文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.302

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2016年(平成28年)11月21日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.302

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 12/12 2017年 1/16 1/23

熊谷元一研究&テキスト作品読み(志賀直哉他)

 

2016年読書と創作の旅

 

11・21下原ゼミ

 

  1.  ゼミ誌合宿について ゼミ誌についての報告

 

 

 

 

17日、両陛下、満蒙開拓平和記念館ご訪問

三笠宮様が薨去されたため、阿智村にある満蒙開拓平和記念館の訪問中止が懸念されましたが、予定通りご訪問されました。

天皇、皇后両陛下は17日午前、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」を訪れ、国策によって満州(現中国東北部)などへ渡った引き揚げ者と懇談された。

「満蒙開拓」には、1932年から先の大戦中にかけて約27万人の農業移民が動員され、終戦直前のソ連軍の侵攻や収容所生活などで約8万人が命を落としたとされる。長野県は全国最多の約3万3000人を送り出したが、その多くが阿智村など県南部出身者。同記念館は苦難の歴史を後世に伝える拠点として、2013年4月に開館した。

宮内庁によると、両陛下は知人から記念館の話を聞いて心に留め、訪問を望まれ続けていたという。この日は、満蒙開拓の歴史を紹介する写真や資料などの展示を見学後、記念館の「語り部」として活動する引き揚げ者ら3人と懇談。天皇陛下は「大変な苦労をされましたね」と声をかけ、「今の人たちに皆さんの経験を伝えることがとても大事だと思います」と話された。(満蒙開拓平和記念館ニュース)

 

満蒙開拓平和記念館の展示をご覧になる天皇、皇后両陛下(17日午前10時51分、長野県阿智村で)=菅野靖撮影

 

天皇・皇后両陛下は、16日、17日、熊谷元一写真童画館がある昼神温泉に連泊されました。

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熊谷元一研究 関連ニュース 新聞報道 信濃毎日新聞

 

 

 

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熊谷元一関連ニュース 新聞報道

 

2016年11月17日 朝日新聞

 

下原ゼミⅡは、27日見学

 

下原ゼミⅡは、26日夕、昼神温泉入りします。27日、朝市見物の後、「熊谷元一写真童画館」見学、車で移動して満蒙開拓平和記念館へ。

□11月26日(土)

集合   PM1時30分 新宿南口にある新宿バスタ待合室

・高速バス PM2時00分 → 6時30分頃到着 (車中4時間半)

・宿夕食  PM6時30分 ~ 7時半頃 夕食後

 

□11月27日(日)

・朝市見物 AM6時00分 ~ 7時

・朝 食     7時30分 ~ 8時 朝食

・熊谷元一写真童画館見学 9時15分 ~ 10時30分

・満蒙開拓平和記念館見学 11時00分 ~ 12時30分

・南国飯店で打ち上げ    1時30分 ~ 3時30分

・高速バス         4時19分 ~ 8時30分 新宿駅解散

 

天皇・皇后両陛下が見学された満蒙開拓平和記念館

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熊谷元一研究 阿智村が密かに持っていたプロパガンダ・ポスターが本になった。

勉誠出版 2016.7.15田島奈都子編著

 

2016年11月17日 朝日新聞・天声人語

 

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熊谷元一研究 熊谷元一の故郷「阿智村」とは何か 戦中を知る

 

古代東山道は、ロマンあふれる歴史だが、72年前となると悲劇の村となる。16、17日に

訪問する天皇・皇后両陛下は、その歴史的出来事を忘れない為に来られる。

阿智村は、なぜ悲劇の村となったのか。その謎を探求した本がある。原安治氏の

『還らざる夏』(幻戯書房2015.12.24)がそれだ。本書には「二つの村の戦争と戦後 信

州阿智村・神奈川平塚」の戦時が描かれている。歴史ガイドしてくれた林茂伸氏が書評を

寄せているので、その一部を紹介する。

 

書評『還らざる夏』    林 茂伸(郷土史家)

 

本書は昨年末発刊された。NHKのプロデューサーとして長野県の飯田下伊那の地を取

り上げ、幾つものテレビ放映作品、なかんずく戦後の中国残留孤児の問題を手がけた著者の経験から生み出された。また戦後直後の本人の少年時代から始まる体験は、恐らく当時の多くの国民が経験した時代を映し出している。

本書の極めつきは、満蒙開拓民を送り出す大きな役割を担った村の部落「常会」の資料を駆使していることにある。当時の資料を使い、山村の昭和前期の歴史の本質に迫る力作である。それが本人の生きざまと結びついていることが、悲しくも逆に元気を与えてくれる。2015年に発行された小林信介氏の『人々はなぜ満州に渡ったのかー長野県の社会運動と移民』(世界思想社)でも、「何故長野県が全国1の送り出しをしたのか、この問いに答えることのできる研究した例はほとんどない」とされているように、全国で27万余の開拓民の内33千人(飯田伊那はそのうちの8400人)を送った長野県の内実に迫った研究は少ないのである。何故長野県が極端に多いのか、多くの方が抱く疑問であり、満蒙記念館を訪れる多くの入館者の共通した思いである。何があったのかその背景を知ることが、実は昭和近代史を尋ねる歴史探求の旅になって行く。

遅々とした研究は資料の欠如によるところが多いが、しかしここに、その過程を示す一資料があった。昭和20年敗戦当時、会地村(現阿智村)の村長をしていた原弘平氏があえて残した資料である。行政の指示資料、それを受けての部落常会の資料を著者は入手した。戦時中のポスター135枚、出征兵士からの「戦地からの手紙」、加えて「日記」もあるという。ポスターや手紙は既に阿智村が保管しているが、今回明らかになり注目されているのは、村から各「常会」への指示資料である。―― 略 ――  全文はコピー配布。

【常会について】

戦後になるが、子どものころ夜になると時々、

父は「常会に行ってくる」と言って外出した。

それ故「常会」は耳慣れた言葉である。集会所

に行くことは知っていたが、何を話に行くのか

は想像したことはなかった。

本書の著者、原安治氏は、満蒙開拓多数輩出

の謎解きは、この「常会」にあるとみて、入手

した常会資料を徹底分析する。そこに見えてく

るのは、国から県、村から部落へと押し付ける

逃げ場のない無言の権力である。

会地村(阿智村)は、なぜ満蒙開拓団が多い

のか。本書は、その謎が解き明かす。

 

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熊谷元一研究 熊谷元一を偲ぶ、故郷の阿智村を知る「古希になった一年生」

 

熊谷元一没後7年&岩波写真文庫『一年生』の会

 

11月13日(日)熊谷元一没後7年偲ぶ会&「古希を祝う会」開催

14日(月)「熊谷元一と一年生の会」記念事業、古代東山道を歩く

 

 

1113(日)午後6時から熊谷元一の故郷で没後7年を偲んで、「古希になった一年生」を祝う会が開かれた。会場の昼神温泉郷には、岩波写真文庫『一年生』でお馴染みの顔(63年前だが)が多数が集まった。西組の担任だった北條(原)房子先生は健在で出席された。ちなみに、北条先生は下原の小説『山脈はるかに』にモデルとなった担任の女性教師。現在82歳だが、伊那市在住。

 

1114(月)「古希になった一年生」記念行事として、まず故郷を知ろう、ということで阿智村歴史探訪を行った。古代東山道を歩いた。歴史ガイドは、地元の郷土史家・林茂伸氏にお願いした。「古希になった一年生」は、東山道について、富士見台登山のとき通過する道と知っているが、歴史的にはまったくといってよいほど知らなかった。

古代の旅人が歩いた道は、熊谷元一先生が阿智村を撮るために歩き回った道でもあるそれを思うと、遠かった古典文学が身近に感じられた。

園原は、源氏物語に詠まれた「ははき木」がある土地、

ははき木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな

上、写真は熊谷元一写真童画館がある昼神温泉郷。古代東山道が通っている。

 

※写真右端方向に、下原が生まれ育った曽山部落がある。子どもの頃、60年前だが、この辺一帯は畑や雑木林と草むらだった。蜂や魚を追った山河である。

昭和50年代、中央高速道建設で温泉が湧いて温泉郷となった。ちなみに、地名は湯浅といって、温泉伝説があった。

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熊谷元一研究  13日 偲ぶ会と古希を祝う会をホテル清風苑で

 

東京、岐阜、愛知、からも駆けつけ、総勢22名参加

 

熊谷元一没後7年と「古希になった一年生」を祝う会は、13日、午後6時から熊谷の故郷、長野県昼神温泉郷のホテル清風苑で開かれた。「古希になった一年生」が入学した昭和28年は東・西組併せて60余名の児童数だった。この日、参加したのは22名。地元の出席者が多かったが東京、岐阜、愛知、長野、松本からも参加した。(男性13人、女性9人)

 

多治見市在住の園原君と63年ぶりの再会

 

このなかで多治見市からの園原恒利君は、実に63年ぶりの再会となった。園原君は、半年で引っ越された為(中電)記憶に残らず、『一年生』では、謎の子どもだった。(『なつかしの一年生』の表紙写真)など登場回数は多い。が、偶然が重なり再会となった。園原君は、当時のことを詳細に覚えていた。よく朝、親しかったという鈴木照男君が駆けつけた。姿かたちは違っても話せばたちまち竹馬の友。懐かしい話が尽きなかった。

写真家・童画家の熊谷元一は2010年11月6日に東京・清瀬で亡くなった。101歳だった。今年は没後7周年になる。岩波写真文庫『一年生』昭和28年入学で被写体となった一年生は、奇しくも古希の節目となる。

 

記念誌発刊(左)の紹介

 

☆「古希になった一年生」冊子、2016.11.13 今回作成 上

☆『五十歳になった一年生』写真集 1996年 中

☆『還暦になった一年生』記念文集・カラー写真2010年4月10日

 

房子先生と会地小学校校歌、ふるさと合唱で閉幕

 

北條(原)先生の指揮のもと会地小学校の校歌と「ふるさと」を合唱

して閉幕。北条先生、帰宅。9時30分の飯田発の電車で。

 

ビッグニュース 熊谷元一研究に朗報

 

祝・原佐代子さん、村議に当選 !!

 

13日は、阿智村村会議員選挙の日。万年幹事で「熊谷元一と一年生」の会の開催に毎回尽力されている原佐代子さん(熊谷元一写真童画館職員)が立候補。400票余りの票を得て3位当選しました。熊谷元一研究には、いつも協力いただいているので本当に良かったです。

祝・おめでとうございます!!

 

 

 

他に

記念文集『五十歳になった一年生』も出版

 

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まさに灯台もと暗しだった。歩いてみて知る阿智村の歴史と伝説の数々。

 

 

「古希になった一年生」散策、古典文学の里 こんな山奥にも防人の徴集が…

 

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熊谷元一研究 阿智村の歴史を読む、観る、書く 林茂伸氏の歴史ガイド

 

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【ははき木】について

園原山には、千余年前からほうきをさかさに立てたようなははき木(箒木)という巨木が空高くそびえていた。その木(ヒノキ)は疲れた旅人の心を癒した。ところが、峠をくだり園原の里に入ってみると、あの大木はどれだったかわからなくなっていた。しかし、園原を離れて見ると、その木はやはりあるのです。その不思議に「ありと見えつつ…見る人ぞなき」とか「ありとは見えてあわぬ君かな」あるいは「ははき木の梢はいづこ」という歌が詠まれた。

 

※  園原は謡曲 木賊(とくさ)の舞台でもある

 

 

 

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くまがいもといち研究 網掛山の向こうに昼神温泉郷

 

 

この日「古希になった一年生」は、晩秋の古代東山道を歩いた。

 

【東山道】とは

大宝元年(701)、朝廷は近江国(滋賀県を起点に、「東山道」という道路を作った。道は美濃国(岐阜県)を経て、神坂峠(信濃坂)から信濃国へ入り、信濃国府を経て、碓氷峠を越えて上毛野・下毛野より陸奥・出羽国に通じていた。全長1000㎞の長い道。

東山道は大和政権が地方を服従させるための「軍事の道」、九州防備の「防人の道」、そして「納税の道」馬を都に運ぶ「貢馬の道」であった。

 

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ゼミ誌作成について

 

参加者  →  浦上  鈴木

11月下旬 → 校正作業、印刷会社・新生社へ

→ 入稿 新生社 → 03-3353-7661

12月9日(金)納品

 

ゼミ雑誌の納品は、2016年12月9日(金)です。

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交通   中央高速バス 新宿 → 伊賀良 → 新宿 4000×2=8000

03-5376-2222

宿泊   鶴巻荘 阿智村村営旅館 0265-43-2320

土曜日料金 3人 → 31050  1人 → 10350

総額   18350(交通費往復含む)

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☆2017年 第20回熊谷元一写真賞コンクール応募

テーマは「遊ぶ」です。併せて「阿智村」

 

☆第19回授賞式11月23日(水)午後2時 熊谷元一写真童画館3階(昼神温泉郷)

 

ゼミⅡの記録

 

□10月3日 ゼミ誌について、DVD「ある山村の昭和史」

□10月17日 ゼミ誌について、ゼミ合宿について

□10月24日 ゼミ誌について、テキスト読み、志賀直哉『子を盗む話』

□10月31日 ゼミ誌について、バス予約、校外授業申請書き込み

□11月 7日   ゼミ誌について鶴巻荘

□11月14日 DVD「村民は、なぜ満蒙開拓団になったか」

 

掲示板

 

読書会のお知らせ ドストエフスキー全作品を読む会

どなたでも自由に参加できます。下原まで

 

月 日 : 2016年12月10日(土)

場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)

開 場 : 午後1時30分

開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分

作 品  :『悪霊』第一回目

米川正夫訳『ドスト全集12巻(河出書房新社)』 他訳可

報告者  : 報告者・小野口哲郎さん & 司会進行・小山 創さん

会  費 → 1000円(学生500円)

 

※二次会はJR池袋駅西口付近の居酒屋 → 5時10分 ~ お茶会(喫茶店)

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