文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.307

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2017年(平成29年)1月30日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.307

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/26 10/3 10/17 10/24 10/31 11/7 11/14 11/21 11/28 12/5 12/12 2017年 1/16 1/23 1/30

熊谷元一研究&テキスト作品読み(志賀直哉他)

 

2016年読書と創作の旅

 

1・30下原ゼミ

 

2016年度文芸研究Ⅱ 下原ゼミ閉幕

 

この一年、速かったのか、遅かったのか。それぞれとおもいますが、2016年度の文芸

研究Ⅱ下原ゼミは、本日をもって終幕いたします。

 

平成28年「読書と創作の旅」を振り返って

 

気がつけば最終日です。まだ実感はありませんが、「2016年、読書と創作の旅」どんな旅だったでしょうか。少数精鋭の旅でした。時には嵐に、時には孤独感に襲われての一年だったと思います。が、楽しい旅でした。ありがとうございました。

内容的には、熊谷元一研究と志賀直哉観察作品をテキストにした一年間でした。目標とした、「読むこと」「書くこと」の習慣化が達成できたか否か。わかりませんが、その土壌を培うことはできたと思います。この収穫を、江古田校舎で生かせてください

熊谷元一という未知の人物の探究。戸惑いもあったと思いますが、ゼミ誌『熊谷元一研究 No.3』締め切り日までに完成させることができました。お疲れ様でした。

(編集室)

「読むこと」の習慣化

 

テキスト(志賀直哉、主に車内観察作品)

『菜の花と小娘』『網走まで』『ある朝』『出来事』『范の犯罪』『灰色の月』

 

テキスト外(主に自己観察をテーマにしたもの)

『空中ブランコに乗った大胆な青年』『透明な存在の正体』『殺し屋』『セメント樽の中の手紙』『ドストエフスキーとギャンブル』「多読と精読」「恩師の告白」『三四郎』

 

「書くこと」の習慣化

 

課題提出

 

「日本国憲法について」「車内観察」「なんでもない一日の記録」「テキスト感想」

「熊谷元一写真感想」「ニュース」『岩波写真文庫一年生』

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【2016年、読書と創作の旅回顧】

 

2016年の思い出

 

11月26日、27日阿智村訪問

 

11月27日(日)熊谷元一写真記念館見学

 

下原ゼミⅡは、27日熊谷元一研究の一環として長野県昼神温泉郷にある「熊谷元一写真童画館」を訪問、展示作品を見学した。撮影 原佐代子(職員・一年生)

ゼミ生:鈴木優作 浦上透子 講師:下原敏彦 芝勝社長:下原勝弘

 

8月予定のゼミ合宿(校外授業)をこの日、一泊二日で実施しました。

 

11月26日 土曜日、晴れ、(前々日雪が降ったとの情報から寒さが心配)

 

1時30分 バスタ新宿待ち合いところ集合 全員揃う。

2時05分 飯田行き出発

4時25分 休憩地・双葉出発

6時15分 伊賀良下車

「鶴巻荘」送迎バス迎えに。

6時50分 「鶴巻荘」着

7時00分 夕食

8時10分 星空を見に外に出るが、曇り空で残念、寒くてすぐ戻る

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9時00分 温泉入浴

10時00分、二次会

11時50分頃 就寝

 

11月27日 日曜日 雨、時々曇り

 

この日、阿智村は創立60周年記念行事のマラソン大会。有名ランナーの他お笑い芸人の猫ヒロシさんが走るということでわいていた。

 

9時00分 鶴巻荘清算 熊谷元一写真童画館へ。

9時10分 熊谷元一写真童画館見学 職員の原佐代子さんと話す。「芝勝」社長迎えに来る。

記念写真撮る。撮影者は、村議の原佐代子さん。

10時30分 芝勝社長の車で満蒙開拓平和記念館へ、天皇陛下訪問以来客数増加とのこと。強度史家・林茂伸さんのガイドを聞く。

12時30分 芝勝社長迎えに、芝勝事務所でお茶。

1時00分 南信州新聞、佐々木氏の希望で、4人写真撮影(65年前の写真ある)

1時30分 打ち上げ 南国飯店 ゼミ生・浦上さん、鈴木君、地元紙・佐々木氏、新村議原佐代子さん(写真童画館職員の原佐代子さんが村議になったことで、熊谷元一研究も見通しが明るくなった)

「芝勝」社長夫妻からゼミ合宿祝い(打ち上げ代に充てる)、ゼミ合宿祝い南国飯店主、料理で協賛

3時30分 南国飯店の車で、リンゴの里まで送ってもらう。

4時19分 新宿行き高速バス発車

6時45分 双葉休憩ところ発車

8時30分 バスタ新宿着

8時35分 解散 お疲れさまでした。

 

11月27日(日)、満蒙開拓平和記念館見学

 

天皇・皇后両陛下&ゼミⅡの皆さんが見学した満蒙開拓平和記念館

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2016年下原ゼミⅡの記録

 

 

ゼミⅡ記録

 

□4月11日ガイダンス6名 DVD NHK長野放送「熊谷元一追悼番組」

□4月18日 浦上透子さん 「恩師の告白」ゼミ合宿について 満州国について

□4月25日 鈴木優作さん 「恩師の告白」満州・子ども時代の遊びについて

□5月9日 浦上さん、鈴木さん、「個人の完成」「多読と精読」『菜の花と小娘』読む。

高橋さんに写真撮ってもらう。

□5月16日 浦上さん 鈴木さん DVD「オンボロ道場再建」観賞。

□5月23日 浦上さん、鈴木さん(須川さん課題配布)サローヤン『空中ぶらんこ』

『網走まで』『夫婦』の読み

□5月30日 熊谷元一研究 DVD「教え子たちの歳月」観賞。

20年前制作、45分番組だが、撮影全時間は35時間、撮影期刊間5月~10月

□6月6日 ゼミ合宿話し合い 『網走まで』考察(本通信) 『三四郎』読み

□6月13日 浦上さん テキスト読み(ジュナール)ゼミ誌について

□6月20日6月13日 浦上さん テキスト読み(ジュナール)ゼミ誌について

□6月20日 浦上さん、鈴木さん、DVD観賞(熊谷の教育)テキスト読み『出来事』

 

 

 

ゼミⅡ後期の記録

 

□10月3日 ゼミ誌について、DVD「ある山村の昭和史」を見る

□10月17日 ゼミ誌について、ゼミ合宿について

□10月24日 ゼミ誌について、テキスト読み、志賀直哉『子を盗む話』

□10月31日 ゼミ誌について、バス予約、校外授業申請書き込み

□11月 7日  ゼミ誌について鶴巻荘に予約

□11月14日 DVD「村民は、なぜ満蒙開拓団になったか」を見る

□11月26日 校外授業 長野県阿智村

□11月27日 校外授業 長野県阿智村

□11月28日 ゼミ誌編集作業

□12月5日 ゼミ誌編集作業

□12月12日 ゼミ誌完成報告 読むことの習慣化「殺し屋」読み

□ 1月16日 ゼミ誌について 小倉百人一首 坊主めくり

□ 1月23日 『灰色の月』の読み 「シンゴジラ」などアニメ感想

□1月30日  『最後の授業』

 

 

 

 

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世界名作紹介   アルフォンス・ドーデー『最後の授業』

アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)この作家を知らなくても、シーボルトの名は、たいていの日本人は知っている。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授。1828年帰国、59年再来航、62年に帰国。日本の医学、開国に大いに貢献したドイツ人。著書に『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などがある。(1796-1866)

1866年の春、ドーデーはシーボルトと知り合った。作家の言葉を借りれば「私たちはすぐに大の仲良しとなった」。場所は、パリ、テュイルリー宮。オランダ国勤務のバヴァリヤのシーボルト大佐は、ナポレオン三世に不思議国ジャポン開拓の国際的協会創立計画の嘆願に訪れていた。若い作家は、著名な冒険家の話を喜んで聞いた。気に入ってシーボルトは、16世紀の日本の悲劇「盲目の皇帝」の校閲を頼んだ。が、ドイツに戦争が起きて頓挫。若い作家は、あきらめずにミュンヘンに追った。「・・・そりゃあ君すばらしいぜ」大佐はその晩ばかに元気だった。が、翌朝、自宅に行くと彼は亡くなっていた。72歳だった。「盲目の皇帝」は題だけで終わった。

◆この作品は、たんに文字通り最後の授業ということでとりあげたもので、政治的・思想的意図はありません。日本も戦前は、似たようなことをしてきました。が、ここでは、そうしたことの批判感想ではなく、あくまでも文学的にみて世界名作作品としてです。

 

100冊の現代文学より1つの古典名作を。課して読みましょう。

 

「2016年、読書と創作の旅」この旅も本日が最後です。というわけで、最後の読書のススメは、いつも正真正銘の『最後の授業』ドーテーの作品を紹介しています。

最後の授業 ~アルザスの一少年の物語~

 

A・ドーデー(桜田佐訳)

 

その朝は学校へ行くのがたいへんおそくなったし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。

空はよく晴れて暖かかった!

森の端でつぐみが鳴いている。りベールの原っぱでは、木挽き工場の後でプロシア兵が調練しているのが聞こえる。どれも分詞法の規則よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走って行った。

役場の前を通った時、金網を張った小さな掲示板の傍に、大勢の人が立ちどまっていた。二年前から、敗戦とか徴発とか司令部の命令というようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。

「今度は何が起こったんだろう?」

そして、小走りに広場を横ぎろうとすると、そこで、内弟子と一緒に掲示を読んでいたかじ屋のワシュテルが、大声で私に言った。

「おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校には遅れっこないんだから!」

かじ屋のやつ、私をからかっているんだと思ったので、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入っていった。

ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、

「も少し静かに!」と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。

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私は気づかれずに席につくために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!

ところが、大違い。アメル先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。

「早く席へ着いて、フランツ。君がいないでも始めるところだった。」

私は腰掛をまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督学官の来る日か賞品授与式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、村の人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、村の村長、元の郵便配達夫、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。オゼールじいさんは、縁のいたんだ古い初等読本を持って来ていて、ひざの上

にひろげ、大きなめがねを、開いたページの上に置いていた。

 

※分詞法=動詞が変形し、形容詞の機能を持つもの。インド・ヨーロッパ語族の諸国語に見られ、英語では現在分詞、過去分詞の二つがある。(『広辞苑』)

 

私がこんなことにびっくりしている間に、アメル先生は教壇に上がり、私を迎えたと同じ

優しい重味のある声で、私たちに話した。

「みなさん、私が授業するのはこれが最後(おしまい)です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました・・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです。どうかよく注意してください。」

この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。役場に掲示してあったのはこれだったのだ。

フランス語の最後の授業!・・・・・

それだのに私はやっと書けるぐらい!ではもう習うことはできないのだろうか!このままでいなければならないのか!むだに過ごした時間、鳥の巣を探しまわったり、ザール川で氷滑りをするために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう!さっきまであんなに邪魔で荷厄介に思われた本、文法書や聖書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。アメル先生にしても同様であった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。

きのどくな人!

彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜこのむらの老人たちが教室のすみに来てすわっていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔やんでいるらしい。また、それは先生に対して、四十年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった・・・・

こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗しょうの番だった。このむずかしい分詞法の規則を大きな声ではっきりと、一つも間違えずに、すっかり言うことができるなら、どんなことでもしただろう。しかし最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛の間で身体をゆすぶっていた。アメル先生の言葉が聞こえた。

「フランツ、私は君をしかりません。充分罰せられたはずです・・・そんなふうにね。私た

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ちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。明日勉強しょうつて。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう・・・・ああ!いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちはフランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!・・・この点で、フランツ、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです。」

「君たちの両親は、君たちが教育を受けることをあまり望まなかった。わずかなお金でもよけい得るように、畑や紡績工場に働きに出すほうを望んだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか?勉強するかわりに、君たちに、たびたび花園に水をやらせはしなかったか?私があゆを釣りに行きたかった時、君たちに休みを与えることをちゅうちょしたろうか?・・・・」

それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日のけいこのところを読んだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことを

すっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。

日課が終わると、習字に移った。この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意して

おかれた。それには、みごとな丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス。」と書いてあった。小さな旗が、机のくぎにかかって、教室じゅうにひるがえっているようだった。みんなどんなに一生懸命だったろう!それになんというし静けさ!ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度こがね虫が入ってきたが、だれも気をとられない。小さな子どもまでが、一心に棒を引いていた。まるでそれもフランス語であるかのように、まじめに、心をこめて・・・学校の屋根の上では、はとが静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、

「今にはとまでドイツ語で鳴かなければならないのじゃないかしら?」と思った。

ときどきページから目をあげると、アメル先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ・・・無理もない!四十年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変わらない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛と机が、使われているあいだに、こすられ、みがかれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり彼の手植えのウブロンが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべての物と別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りしている妹が二階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう!明日はでかけなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。

それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。それから、小さな生徒たちがみんな一緒にバブビボビュを歌った。うしろの、教室の奥では、オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない・・・

とつぜん教会の時計が12時を打ち、続いてアンジェリスの鐘が鳴った。と同時に、調練から帰るプロシャ兵のラッパが私たちのいる窓の下で鳴り響いた・・・アメル先生は青い顔をして教壇に立ち上がった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。

「みなさん」と彼は言った。「みなさん、私は・・・私は・・・」

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しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終わることができなかった。

そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。

「フランスばんざい!」

そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図した。

「もうおしまいだ・・・お帰り。」

 

※この話、舞台はフランスですが、戦争になれば世界中どこでもあることです。

 

A・ドーテについて

アルフォンス・ドーデー(1840-1897)は、南フランスの古都ニームに生まれた。若いとき兄がいるパリにきて詩集『恋する女たち』、短編集『風車小屋だより』、自伝小説『プチ・ショーズ』によって作家となった。普仏戦争(1870)が始まると国民兵を志願した。ここで紹介する短編『最後の授業』は、そのときの体験と想像をまじえて創作したもの。フランスは負けてアルザス地方を割譲されるが、作者の憤怒と嘆き愛国心が投影され名作となった。 このときの戦争を「歴史新聞」(日本文芸社)は、下記のように大々的に報じている。

 

 

 

掲示板

 

ドストエフスキーを読みませんか

 

 

読書会のお知らせ ドストエフスキー全作品を読む会

どなたでも自由に参加できます。下原まで

 

月 日 : 2017年2月18日(土)

場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)

開 場 : 午後1時30分

開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分

作 品  :『悪霊』二回目

米川正夫訳『ドスト全集12巻(河出書房新社)』 他訳可

報告者  : 報告者・太田香子さん & 司会進行・熊谷暢芳さん

 

 

月 日 : 2017年4月29日(土)

場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)

開 場 : 午後1時30分

開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分

作 品  :『悪霊』三回目

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