文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信 No.79

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)6月 4日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.79
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007前期4/16 4/23 5/7 5/14 6/4 6/11 /   /
     6/18 6/25 7/2 7/23 
  
2007年、読書と創作の旅
6・4下原ゼミ
6月 4日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」(提出課題受付・・進行指名)
 2.愛読書、名作紹介&提出原稿読み・評
 
3.テキスト初読み(『菜の花と小娘』初読み『網走まで』)
 
 4.連絡・配布・その他
 
5月のニュース
  思わぬはしか流行もあったが、木の芽どき、というせいか、この季節、毎年、あまりいいニュースはない。昨年は、秋田で起きた連続児童殺人事件が連日注目を浴びていた。今年も、中盤にきて会津の母親殺しが起き、月末にきて政治家の自殺や人気ボーカルの死もあった。いずれも不可解な事件、出来事である。なかでも会津の事件は、大きな謎といえる。新聞記事、テレビニュースによると、この事件の概要はこのようであった。
 15日火曜日の早朝、福島県警会津若松署前に一台のタクシーが止まった。降りたのはTシャツにパーカー、ジーンズ姿の少年だった。手には市内にある有名進学高校のバッグ。少年は署内に入ると応対した警察官になんの衒いもなく「母親を殺しました」と打ち明けた。そして、訝しむ警察官に「ここに入っています」と、バックのチャックを開けた。中には人間の生首が入っていた。少年は、市内の高校に通う高3年の生徒17歳だった。
 最近では、子供の親殺しは珍しくはない。が、バラして警察に持参した話は前代未聞といえる。(今年正月、妹をバラした兄がいたが、)生首から神戸の少年Aの事件を思い出した人もいたようだ。報道から詳細が徐々にわかってきた。それによると、少年の実家は、事件のあった会津若松市から約40㌔離れた町にある。家族は祖父母、両親、男の子3人の7人家族だが、現在は長男の少年と弟は、高校通学のため会津若松市のアパートで下宿していた。少年は中学までは、勉強とスポーツどちらも得意で挨拶もできる優等生。野球はエース、スキーはジャンプの選手で優勝したこともある。近所の評判もよい。子供時代の友人たちのコメントがないので本当のところはわからない。中学の校長先生の話では活発な子供だったという。が、高校に入って一変する。少年は、環境によって変わったのか。元々、そうした性格、性質だったのか。新情報では、遺体を切り刻んで部屋に吊るしておきたかったという。どうやら少年は、透明な存在(嗜癖)に支配されていたようだ。(編集室)
※透明な存在(10年前、神戸の少年Aが新聞社に送った声明文の中で使った。)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.79 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 車窓雑記
「テロの正体」とは何か
 朝日新聞が5月2日まで連載していた「テロの正体」には、うそ寒さを覚えた。戦後60年、民主主義の国家として成長してきた日本のなかに、まだそんな時代錯誤の考えを持った人間が大勢いて、いまも堂々と活動している。その事実に戦慄した。平和と繁栄を謳歌した社会。見た目は穏やかな水面。が、湖底には、前時代の怪物が棲息し続けていたのだ。
 考え方が違う、信じるものが違う。ただそれだけの理由で、他者を傷つけ抹殺しようとする憎むべき犯罪。最近では昨年、山形で政治家の実家に放火した事件、今度の長崎市長銃撃事件。テロ犯は、いつも突然に現れ、社会を恐怖に陥れる。
 なぜテロはつづくのか。なぜテロ犯は存在しつづけるのか。この謎を解くには「テロの正体」とは何か、を考える必要がある。結論から言えば、「テロの正体」は、一種の英雄主義のようなもの。そのように想像する。人間は群れ社会の生き物である。常に指導者を必要とする。歴史を振り返れば、多くの偉大な指導者、すなわち英雄たちが各時代にその名を連ねている。そして人々は、常に英雄に憧れ、その出現を待望する。救世主として。
 しかし、彼ら英雄は10人が10人真に立派な人間であったのか。といえば否である。彼らの大半はテロリストであり、大量殺戮者であった。あるときは政敵を葬り、あるときは戦争を引き起こし、またあるときは人間を家畜のように虐殺した。人間を一人殺せば殺人者だが、100人殺せば英雄になれる。ロシアの文豪ドストエフスキーは名作『罪と罰』において、この問題に悩む若者を描いた。なぜ英雄になりたいのか。誰もが幸福に暮らせる世の中をつくりたい。そんな大義名分があった。彼は英雄になるための手始めとして、くだらない人間、役に立ちそうにない人間を殺してみる計画をたて実行した。はたしてそれは罪だろうか。主人公ラスコーリニコフの躓きは、最初の殺人行為を反問したことにある。現実の英雄たちは、反問も自責の念もない。ただ無人の野を行くごとく人民という草を踏みにじってつき進む。そうして、躊躇なく王の座につく。人々は、そんな人物を英雄と呼び、敬服する。
 故に英雄主義は、事あるたびに片鱗をみせる。10年前、神戸で起きた児童連続殺傷事件。犯人が14歳の中学生と報道されたとき、警察署前に集った若者たちが歓声をあげた。英雄主義が一瞬顔をのぞかせた恐ろしい光景として忘れられない。しかし、なによりも恐ろしいのは個人よりマスメディアや国家の英雄主義だ。たとえば3日に亡くなった前大阪府知事のメディアの扱いも良い悪いは別にして英雄主義が表れたものだった。新聞・テレビは「漫才・政治、絶頂と転落 寂しい晩年」と見出しをつけたが、記事内容はおおむね芸能界や政治の世界での活躍を讃えるものだった。長時間ワイセツ行為を受けつづけた女子大生の無念は、英雄主義によって吹き飛ばされていた。また、オウム事件や三島事件にしろ、メディアは、事件で犠牲になったり傷つけられたりした人たちのことは報道せず、殊更、首謀者の偉大性を浮き彫りにしょうとする傾向がある。その人間が、天才なら、立派な思想家なら、権力者なら、なにをやってもかまわない。マスメディアも社会もそれを受容しようとしている。今日そんな風潮が蔓延している。それがテロリストを勇気づけ活発化させている。
 靖国神社合祀問題も英雄主義の表れである。明治、大正、昭和を観察しつづけた志賀直哉は、英雄主義に異を唱えた小説家である。500万余の日本人を死なせ、弱い国々を隷属化し、開闢以来2000余年続いた日本民族を滅亡の危機に陥れたA級戦犯。終戦の翌年、小説家は警鐘を鳴らした。200年の後「どんな歴史家が異をたてて」A級戦犯を「不世出の英雄に祭り上げないとはかぎらぬ」と。が、半世紀もしないうちに彼らは合祀された。テロの正体は、英雄主義である。私たちが心のどこかに英雄主義を持つ限り、テロはなくならない。
 政府は、荒廃した教育を立て直す目玉に愛国教育をとりいれた。が、愛国教育は、英雄主義をますます助長させるだけである。暗澹たる思いだか、希望はまだある。ドストエフスキーは、最後の作品『カラマーゾフの兄弟』にその思いを託した。全世界を救うには、全人類を救うには何をなすべきか。科学でも、思想でも宗教でもない。憐れむ心と美しい思い出を憶えていること。編集室
――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79
2007年、読書と創作の旅
6・4ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」4日目
・提出課題の受付。書いてある人は提出してください。
・出欠確認、ゼミ担当者から。(お知らせがあれば)
・本日の司会進行指名。声や体の調子の悪い人は、無理しないで申し出てください。次回に
 お願いします。
 ※司会進行の目的は、全体を見る目と指導性・公平力を培います。各人の個性を尊重しながら、常に客観性をもって仕切ってください。
   2.愛読書、名作紹介&提出原稿読み・評
以下の手順で進めてください。
・愛読書アンケート紹介 → 金野幸裕君。
・名作紹介5月の詩 → A・ランボー『谷間に眠るもの』他1篇の読み。
・提出原稿読み → 前回提出のあったもの。車内と自分の観察作品。
 【車内観察】、山根裕作君の「ある一日の中央線」、疋田祥子さんの「隣の娘」
 【一日を記憶するは】、山根裕作君の「昼夜転換」、茂木愛由未さんの「妹の気持」
           疋田祥子さんの「フック船長な日」、金野幸裕君の「朝には何を」
愛読書アンケート紹介
 愛読書紹介は、金野君で全員が終了します。詳しく紹介したい人は、課題原稿とします。どんなふうでも結構ですので、いつでも提出してください。本通信に掲載します。
金野幸裕
○ 『リング・ラセン・ループ』
 これが流行した頃は恐ろしすぎて近づきませんでした。大学にも入り精神肉体共に成熟した今なら大丈夫だと思って読みました。大丈夫だと思っていた。
○ 白夜行 文庫
 今、読んでいるぶ厚い本を読めば知的だと思った。
○ 『逃避行』
 表紙がめっち可愛らしい犬だったので買ってみた。犬は素晴らしい。実家でも犬を飼っているが彼もまた非常に可愛らしい。正直日本で五本の指に入る可愛らしさだと思っている。多少頭は悪いがむしろその分容姿がいい。トイレの場所を未だおぼえていないが、変な場所にトイレをしちゃつたときの「失敗したっ!テヘッ!」って感じのかおがまたカワイらしい。
こちらが怒るとションボリと反省するのだがそれが本当に反省している顔でその辺りは変にかしこい。洋式のドアの開け方をいつのまにか理解していたりする。侵入した部屋にあった化粧品を食べる。やはりバカ。うちの犬は犬のくせに熱にも寒さにも弱い。夏はせんぷうきの前でグッタリしているし冬は親のふとんに入っていっしょに寝る。時々オレのふとんで寝る。冬の散歩は歩かない。だっこされている。試しに地面に置くと数歩歩いただけで動かなくなりプルプルしながらだっこをせがんでくる。それがまたかわいらしくてかなり弱々しさっていうのはかわいらしさの一つだと思うのだが、彼はときたま~
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79 ―――――――― 4 ――――――――――――――――
○ 『ポケット怪談』
 怖い話は好きだが、恐い。だが恐くない恐い話も嫌い。超短篇が収録されているこの本は、そんなわがままな人間のニーズに答えてくれる。見事に。
名作案内
5月の詩「谷間に眠るもの」
 前号に文学を志すなら、『トニオ・クレエゲル』は必読と書いた。同じように詩人に憧れるなら、まずランボーを知れである。野口雨情も中原中也も皆、ランボーに魅入られた。
 19世紀末のフランスに彗星のように現れ消えたランボーとは、どんな人間だったのか。金子光晴訳『ランボオ詩集』(角川文庫1970)の解説ではこのように紹介(抜粋)。
・1854年10月20日 ジャン・アルチュール・ランボオはフランスの北西にあるシャルルヴィルの町で生まれた。父は軍人、母は百姓。兄弟は5人。兄、次兄、姉、ランボー、妹。
・1865年、中学校に入った彼は、すばらしく優秀な生徒であった。ラテン語の詩をはじめ、すべての課目をマスターして、しばしばアカデミー・コンクール賞を獲得した。・・・彼は、文学と革命思想との魅惑から、詩人になることを自分の転職と考えるようになった。
・1870年8月、ランボー15歳、はじめてパリに家出する。以後、度々、家出する。
・1872年、18歳 詩人ヴェルレーヌとの放蕩生活。ロンドンで二人で放浪生活。
「地獄の季節」を書き始める。7月8日別れ話からヴェルレーヌ拳銃でランボーの左手首を撃つ。ヴェルレーヌ2年の禁固刑。
・1873年 19歳 散文詩「地獄の季節」の大部分を燃やす。以後、筆をとらない。
・1891年 5月マルセイユ病院に入院。11月9日死去。 37歳。 
代表作『酔っぱらいの舟』「韻文で書かれた彼の作品の頂点を示すものであろう。」訳者
以下、長篇なので出だしの触りを紹介。全篇は各自で。
       酔っぱらいの舟
 ひろびろとして、なんの手ごたえもない大河を僕がくだっていったとき、
船曳きたちにひかれていたことも、いつしかおぼえなくなった。
罵りわめく亜米利加印度人たちが、その船曳きをつかまえて、裸にし、
彩色した柱に釘づけて、弓矢の的にした。
 フラマンの小麦や、イギリスの木綿をはこぶ僕にとっては、
乗組員のことなど、なんのかかわりもないことだった。
船曳きたちの騒動がようやく遠ざかったあとで、
河は、はじめて僕のおもい通り、くだるがままに僕を連れ去った。
訳者・金子光晴(1859-1975)解説
 ・・・マラルメや、ヴァレリーとまた違った意味で、ランボーの詩は、難解な詩というふうに宣伝されすぎた嫌いがある。・・・・彼の想像と、幻想の中から生まれた海洋は、それ自身の血肉をもって、現実の海洋に拮抗し、それもより奥深いものにしようとした。・・・
オススメ図書 トオマス・マン『トニオ・クレエゲル』訳・実吉捷郎
この作品を知らずして文学を語るなかれ。作者の自叙伝風作品だが、「芸術と生活、もしくは芸術家と人間という対立が、ここではきわめて率直に、さまざまな角度から、さまざまな濃淡をつくして、照らし出されている」(訳者1951年)是非、読んでください。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79
2007年、読書と創作の旅」
提出課題・「車内観察」発表
ある一日(いちじつ)の中央線
山根裕作
 電車というものは、東京近郊に住む者にとって欠かせぬ物である。網の目のように張り巡らされた鉄道網を把握するのは、都会人にとってもはや義務とさえ言えるだろう。
 都内に住む私は、毎日の通学に電車を利用している。初めての電車通学は高校生の時で、大学に入ってからもその習慣は続いていた。
 今朝もまた、眠い頭を引っ張りながら益のホームに向かう。目的地方向の電車が来ていたので駆け足で階段を昇った。全身オレンジに塗装された車体を確認して、次いでホームの電光掲示板に目をやった。映っていた文字は『武蔵小金井』だった。
 それを認めた途端、膝の力が抜け落ちて危うく階段から転げ落ちそうになった。電車は行ってしまった。気を取り直して最後の二段を踏みしめながら、「構うものか」と、流れ出す車体に毒づいた。自分が向かうのは国分寺駅。その一歩手前の武蔵小金井で止まられても仕方がなかった。ホームのベンチに腰かけながら次の電車を確認する。黒色のボードに橙色の文字で『大月』と映っていた。大月は国分寺の更に先にある駅で、当然国分寺にも停まる。だから次の電車に乗ればよいのだ。
 ベンチに腰を落として瞼を閉じる。眠るためではなく、むしろ目を覚ますため、頭に余裕を持たせるべくまったりと休んでいた。
 しばらくして目当ての電車がやって来た。銀色の車体にオレンジ色の線模様が上下に一本ずつ、計二本横向きに伸びていた。中央線の電車なのに、あたかも山手線電車の如き姿だった。先のオレンジ一色電車とは外装内装ともに違っていた。
「あら、今日は新車ですか」
 少し前から中央線には数本、新しい電車が走っているのだ。外見の違いは言うまでもなく、しかしナカミの造りはもっと顕著だった。象徴的なのが車内扉の上に設置された二つの液晶モニターである。右のモニターには次の駅や路線情報が表示され、左の方には様々なニュースやコマーシャルそして暇潰し用の動画が流れていた。そこで流れる一分間英会話や豆知識クイズなどが案外面白かったりする。しかし今はそういったこと雑事には目もくれず空いている席に腰をおろした。
 先程よりは幾分マシになったとはいえ、まだ頭の覚醒率は七割といったところか、いつものように電車の中で本を読むほどの気力はなかった。恐らくはもうしばらくすれば目も覚めるので、乗り換えた後の車内で読むとしょうか。再び瞼を閉じて、浅く眠っているような、しかし確かに意識のある、半覚半睡状態で時を過していた。そんな状況だったが故、あまりはっきりとは覚えていないのだが、三鷹駅か、いや恐らく武蔵境駅のあたりで車内の空気が変わった。それまでは割かし閑散としていた車内に妙な活気が湧き出して来た。
 何事かと思い、うっすら瞼を開けると、車壁の白と座席の青にあうツートンカラーだった車内が、黄やらピンクやら様々な色で溢れかえっていた。小学生の大群が押し寄せて来たのである。全員がリックサックを背負っていたり、視界の端に先生とおぼしき保護者の姿が見えたことから、どうやら遠足らしいと推測を建てた。
 普段であれば「元気でよろしい」などと思うところだが、いかんせん頭が重く沈んでいるこの体調にあっては、子供達の話し声はこの上ない騒音でしかなかった。必死で耳蓋を閉めて耐え抜き、ようやくのことで目的の国分寺駅到着の知らせが右のモニターに映った。
 駅のホームに差し掛かり、席を立って扉の前に移動すると、またしても障害が発生した。小学生の一団が扉の前をびっしりと占拠していたのである。ことここに来てこの仕打ちをされては、もはや我慢の限界である。これはもはや注意するしかない。などと心の中で憤りを
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79―――――――― 6 ――――――――――――――――
2007年、読書と創作の旅・提出課題「車中観察」
表すが、そこは現代人。思うだけで実際の行動には移らなかった。
電車が止まり、扉が開くと、小学生の一団が何やら騒つき始めた。
「ここで降りるの?」
「え?ここなの?」
「他の子は降りているよ」
「降りろ降りろ」
 どうやら一団もまた、この駅で降りるらしい。しかし当人達はいまいち確証がない様子で、扉の前を塞いだまま慌てふためいていた。
 そんなこんなで時は刻一刻と進んで行く。 こうしている間も入り口の占拠は続いていて、いつ扉が閉まってしまうかもしれないという焦りが徐々に頭を埋め尽くしていった。
 果たして一団はとっと流れ出す様に出て行き、自分もその流れに次いで駅に降りた。
 最近の子供は・・・・・・などと考えつつ、自分の小さい頃はどうだったのかを思い出して、結局閉口してしまった。
□ この車中観察は、大きく分けて三つの観察を行っています。一つは電車の車両比較。いつもの電車と新しい電車。二つめは、「雑事には目もくれず空いている席に腰をおろした。」とあるように車内の自分。そうして、三つめは、乗り込んできた一連の小学生の観察。後半だがこちらが本文となっている。小学生のうるささがよく観察されている。最後の締めの一文がオチとなっている。が、前半との関連をもう少し描けると。
隣の娘
疋田祥子
 午前十時、新宿からの下り電車。私の隣には一人の女の子が座っていた。彼女は、頭にカチューシャをし、白とネイビーのボーダー柄のトップに白いスカートを合わせ、ストッキングを履いた細くきれいな足をきちんとそろえて座っていた。爪やふんわりと巻いた髪は手入れが行き届いており、薄化粧は清潔な印象を与えた。
 これぞ”清楚な娘さん”である。彼女は鞄から数枚の紙を取り出して読み始めた。紙の表紙には「W大手話サークル○○通信 vo1.3」書かれていた。才色兼備でしかもボランティア精神あふれる完璧な娘のようだ。泥ねずみのようなことばかりしている私は、彼女が ”清楚な娘さん”というだけで苦労知らずの子だと思いこみ、嫉妬や羨望を抱いていたのだが、それはここにきて一気に急上昇した。何かしら彼女の非を見つけ出せねば気がすまない。気付かれようが関係ない。私は彼女を上から下まで舐めるように見た。
 そして、私は見つけた。彼女が膝の上に置いていた鞄を少し動かしたとき、白いスカートにいくつかのシミがあったのだ。しかもそのスカートは毛玉だらけで、相当履き古されているもののようだった。
 さっきまでの思いは急転、私は一気に彼女のことが嫌でなくなった。彼女は物を大切にする、又はお金がない人なのだ。苦労知らずではない。勝手に決めつけて嫌悪感を抱いていた私は申し訳ない気持になり、心の中で彼女に謝った。そして彼女が電車を降りる時、そっと
「手話頑張って」とつぶやいた。
□車内には、いろんな乗客がいる。よく第一印象というが、人はちょっと見ただけではわからない。しっかり観察して、ようやくその人の生活や環境、心根がわかってくる。そうして、ときには、大きな誤解をしていたことにも気付く。隣の女の子も、この観察眼がなければ、セレブぶりっこで終わってしまうところでした。後半であげるテキストの『灰色の月』に通じるものがあります。
―――――――――――――――――――― 7 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79
2007年、読書と創作の旅・提出課題「一日を記憶する」
提出課題・普通の一日を記憶する
兄さんおめでとう
茂木愛由未
 いつもと何ら変わりのない朝だった。違った事は、今日着る服を選ばなくてもいいという事と、バイトを休んだっていう事と、次兄の結婚式があるということだけ。気持ち的には何も変わらない。普段と一緒だった。
 教会の扉が開きガチガチに緊張した兄が入ってきたとき初めて、今日が結婚式なのだということを実感した。バージンロードをゆっくり歩いてきた新婦の手が、新婦の父から兄の腕へとまわされ二人で歩く様子は、とても綺麗だった。そして、小さい頃の記憶が呼び出された。
 幼い私が転んだときにおんぶして家まで連れて行ってくれたこと、友達とけんかして落ち込んでいたときに励ましてくれたこと、高校の進路で悩んだときに私の考えを何も言わずに聞いてくれたこと、自転車を二人乗りして近所の本屋まで行ったこと、思い出したら止まらない。そうやって私と兄の今までを思い出したとき、何だか急に寂しくなった。一生会えなくなるわけではないし遠くに行くわけでもないのに。家にいた時はよく喧嘩して、早く出て行って欲しいと思ったこともあった。ここ一、二年くらいはあまり家で顔を合わせる事もなかったし、結婚したからといって特に何か変わることはないと思っていた。ただ気持の上で、何かが変わったのだと思う。しかもそれは、朝までは抱いていなかった気持で、タキシードに身を包んだ兄を見て初めて感じた気持だった。その気持がなんなのか、私にはよく分からない。
 式の終わりには、来てくれた人へのメッセージがその人と一緒に写った写真と共にスライドで映し出された。私は長男と一緒に「これからも三人で仲良くやっていこう」みたいなことが書いてあったのを見て、今まで押さえていたものが一気にこみ上げ、号泣してしまった。うまく言えないけど、私は兄の唯一の妹で、私にとって兄は唯一の兄で、三人はずっと兄弟だったんだと思った。血のつながりよりも、心のつながりを感じた。もう今までみたいに、二人で本屋に行ったり犬の散歩に行ったり、私の泣き言を聞いてもらうことは出来ないと思うけど、それでもつながっているのだと思う。変わらないものなんてないと思っていたけど、変わらないものがあるんだってことにすごく安心した。
 私が今まで見てきた兄の姿の中で、今日の兄が一番かっこよかった。
□よかったですね。まずはお祝いもうしあげます。結婚式は、おめでたいけど、家族にとってはちょっぴり寂しいものがありますね。たとえ相手の人がどんなにいい人でも、やっぱり奪われたという気持になります。仲のよかった兄は、もう自分だけの兄ではない。真っ先に自分を助けにきてはくれない。そんな心の巡りをよく書き表せています。最後の一行がいいですね。全体をまとめています。本当にやさしくていいお兄さんだったんですね。
 内容は違いますが、志賀直哉の短篇『或る朝』を思い浮かびました。こちらは、祖母に対してですが、うるさく起こされるのが嫌で、意地を張って寝ている。そんな小話ですが、親しい肉親の情が伝わってきます。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79――――――――8 ―――――――――――――――――
2007年、読書と創作の旅・提出課題「一日の記憶」
昼夜転換
山根裕作
 ゴールデンウィークとは、この時期になると映画館の客入りが増えることからつけられた業界用語が元だという。つまり、この時期の皆々は外に出掛けるということだ。
 気だるい体を起こしてベッドの下に手を伸ばす。そこに置いてあった携帯電話を確認すると既に三時を回っていた。無論、十五時のことである。
 昨夜も遅くまで原稿と睨めっこしていた・・・なんて言い訳は見苦しい。如何に遅く寝ようとも、起きる気があれば起きられる。それが人間というものだ。事実昨夜だってそのつもりで布団に入ったのだから、起きられなかった時点で何も終わりなのだ。
 学校のある日であれば何とか起きられるのだが、こう休みに入ると朝日は目覚まし足り得ないから不思議だ。ベッドから降りて風呂場へのそのそ歩いていく。朝シャン・・・というには遅すぎて、昼シャンにしても時間がおかしいが、ま何でも良いか。
 シャワーからお湯を出して頭から浴びる。眠気眼は未だ半開きで、意識があるのかないのか自分でも怪しかった。今この時が「夢です」と言われても「ああ、そうか」程度にしか思わなかっただろう。
 頭を洗う前にまず歯を磨く。寝起き時はこの歯のザラザラ感が気になって気持ち悪かった。それが終わると次は頭を洗った。体は手で申し分け程度にこするだけにした。
 風呂場から出て体を拭きながら、今日は何をしょうかと考えて、原稿の締切が真っ先に頭に浮かんだ。明日も起きるのが遅くなりそうだ。
□連休中の作者の様子がよく観察されています。連休は、どこにも出掛けなかったのでしょうか。書くことに悩まされなくするには、とにもかくにも習慣化することです。どんどん書いて、日常的にしましょう。そしたら、休日は・・・。
朝には何をしましょうか
金野幸裕
 お早うございます。今は何時でしょうか。
 僕の目蓋を刺激する光の具合から推察するに、午前八時から十時の間です。
わあ!珍しく早起きできました。こんな日には、じゃあ、思い切り家事をやってしまいましょう。散らかった衣服を集め洗濯し、台所に積まれた食器を洗います。隅々まで掃除機をかけ、食い物へ行きましょう。今日はカレーなんか作りますか。
 お早うございます。外から砂嵐の音と湿った匂いがします。推察するに、雨が降っています。こんな日は家でノンビリ過すが良しです。
 お茶とお菓子と本と音楽で今日はゆっくりしましょう。
 お早うございます。目を開けても何も見えず聞こえず何ものの気配もありません。
推察するに今は夜中で、だから眠りましょう。明日は学校です。
 いや、今日です。
 あれ昨日かも。
□リズムのよい散文詩になっています。ちょっと頼りない朝の情景が浮かびます。作者が彷彿される作品です。童謡を思わせる、特徴ある文体です。
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79
2007年、読書と創作の旅・提出課題「一日の記憶」
フック船長な日
疋田祥子
 朝、起きてみるとなんだか右の瞼が重い。鏡で見てみると、若干腫れているようだ。睡眠不足かな、今日は一日中立ちっぱなしのハードワークだからもう少し寝よう。そう思うやいなや、私は心地よい二度寝の波にさらわれていった。三十分ほど浅い眠りを楽しんで起きてみると、今度は右目が開かない。急いで鏡を見てみると、目の上はパンパンに腫れている。うずらの卵でも入っているようだ。その上、猛烈にかゆい。どうしたものか、と考えていると(本当は途方に暮れていたのかもしれない。)鼻のあたりがムズムズとする。鼻の下に指をそっと当ててみると真っ赤な液体が。散々だ。これじゃあまるでお岩さんじゃないか。今日はお岩さんになっている場合じゃないのだ。今日は青山に行くのだ。青山で青汁の試飲販売をしなくてはならないのだ。
 とりあえず私は眼帯をして行くことにした。調剤薬局はまだ開店前だったが、都合よく玄関前を掃除していた人がいたので売ってもらった。運はまだ逃しきっていないようだ。駅のホームで、お岩さんからフック船長に変身した。初めて使用する眼帯は使い方がよくわからなかったが、なんと隣に立っていた男性が眼帯をしていたので見本にさせてもらった。なんだかツイてきている。
 土曜日の午前中、上り電車は家族づれでそこそこに混む。フック船長は入口付近に立っていた。すると、すごい。子どもの視線が、興味津々。しかし少し怯えたような目で見てくる。私はなんだか面白くなってきた。目があった子どもに笑いかける。子どもは「見てはいけないものを見た」という顔をして、顔をそむける。それの繰り返しだ。
 フック船長はゆっくりしか歩けない。片方の目で生活するというのはストレスが溜まる。ゆっくり電車を乗り継いで、ゆっくりと今日のアルバイト先へ向かう。青汁は売れず、私はただ時間が早く過ぎることを願うばかりである。
 夕方になってくると、店が混み始め、ちょっとずつ商品が動きはじめる。ショッピングカートをひいたお母さんに手をひかれ、お菓子を持った男の子は上機嫌だ。にこにこしながら彼は私を見上げた。笑いかけた私を彼が通り過ぎ、次の彼の言葉で、フック船長、撃沈。
「なんかあの人に、ニタってされた」
違う、違うんだよ。フック船長はどん底の気持で仕事を終えた。
 片付けをして駅までの道を歩く。そっと眼帯をとってみると随分とマシな顔になっている。使いすぎた左目の視界はぼんやりとかすみ、今日の疲れ具合がわかった。翌日はお岩さんになって目覚めませんように。願いながら一日を終えた。
□大変でしたね。一昨年でしたか、同じ経験をしました。片目で見るということがどんなに不便で面倒か、よくわかりました。腫れた目の感覚、子どもの視線などから、うつとおしい気持が伝わってきます。そんな様子がよくあらわせています。もういいのですか?
土壌館日誌
 5月13日(日)晴れ、道場には、まだ誰も来ていなかった。で、玄関前の草取りをしていると小2のAがきて手伝いはじめた。ダンゴ虫を拾っている。聞くと何とかヘビの餌にする、という。最近、飼い始めたトカゲの仲間らしい。Aは草取りは熱心だったが、稽古はふざけてばかりだった。注意すると、投げやりになって動かなくなった。いつもは元気なので、腹が立って叱った。もしかして体の具合が悪いのか。遊びにきた小4の姉に聞いたが「そんなことはない」という。練習が終わると、いつもは最後まで残って騒いでいるのに、逃げるように帰っていった。玄関には、迎えにきた他の子どもの母親たちで賑やかだった。食事に出掛ける話もしていた。そのとき、今日は母の日だったことを思い出した。叱ったことを悔いた。母も父もいないAには辛い日だったのだ。(編集室)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79――――――――10 ―――――――――――――――――
         3.テキスト初読み&周辺読み
・テキスト周辺読み → 「菜の花と小娘」観察から創作の見本作品。志賀の処女作
            「夫婦」車内観察の見本。夫婦の機微。人間の普遍性。
・テキスト初読 → 『網走まで』
5・14ゼミ報告
5月14日(月)のゼミは、以下のように行いました。
4名の同行者
 大学で「はしか」が大流行している。上智、駒沢、明星などいくつかの大学が全学部休講となっている。日大も世田谷にある文理が休講するというニュース。所沢への飛び火も心配される。この日、一人欠席でした。が、都合あってのようでした。皆さん気をつけましょう。
この日の参加者 : 茂木愛由未  疋田祥子  山根裕作  金野幸裕
司会進行は、山根裕作君
 
 この日の司会は、山根裕作君にお願いしました。山根君の声は低音で、わりと聞きやすい響きがありました。中編の割り振りご苦労様でした。吉祥寺、三鷹は、いまではちょっとおしゃれな若者の街になっていますが、かつては文学者の街でした。その街の住人ということですが、落ち着いた話しぶりはレトロの雰囲気がありました。
課題の採点
 
 前回課題とした四谷・大塚の作成問題の採点をしました。第一問を回答した金野君の選択は論理的かつ的確なものでしたが、時間が心配されたので、各自採点ということになりました。採点合わせは、しませんでしたが、正解率はどうだったでしょうか。
採点作品『ひがんさの山』の全篇読み
 テスト問題での部分読みと全体読みでは、感想・印象は違ってくるのか。そんな問題意識から中編で少し長めでしたが、読んでもらいました。
 この作品は、ある国立大の教育学部ゼミでテキストにしたところ、感想が割れたそうです。一つは、この物語は、最近学校で起こる兎殺しの事件を彷彿するという疑念。二つは、ストーリーの展開で、正雄が野うさぎを逃がしてやる。その方がより感動的ではないか、との意見。作者の子供の頃、兎狩りは、単純に狩りであった。肉は食べ、毛皮は敷物とした。部落の大人たちの冬場の楽しみでもあった。学校の兎殺しの犯人たちが、自分たちも楽しみで兎を殺したといわれても困る。全員の感想は、作者と同じ狩りと捉えたことに安堵した。
 この話自体、八九割作者の実体験、子供のころの実際の話として書いた。で、肝心なところを傷ついた野うさぎを逃すという展開にしてしまうには抵抗がある。無理である。しかし、読者が、自分なら、「逃げろ、逃げて元気になれと見送った」と、するなら、それもやむなしである。振り分けと中編読みごくろうさまでした。
愛読書紹介
 愛読書紹介は、時間がなくなってしまい、山根君一人しかできませんでした。古代英雄伝説が好きとのことで、竜との戦いの物語を紹介しました。
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79
2007年、読書と創作の旅・お知らせ
ゼミ雑誌について
 ゼミ授業の実質的成果は、ゼミ雑誌発行にあります。が、毎年、刊行日の遅れが指摘されています。また、編集段階でいろいろな問題が生じることもあります。1年間の大切な授業成果なので、しっかり守って、よい雑誌を作りましょう。
 刊行までの要領は、下記の通りです。厳守しましょう。
1. ゼミ雑誌編集委員は、
  高橋亨平君、山根裕作君です。が、全員一丸となって当たりましょう。
2. 6月上旬 ゼミ雑誌作成ガイダンス。ゼミ誌編集委員は必ず出席してください。
    ○ ゼミ雑誌作成についての説明。○ 申請書類の受取り。
  【①ゼミ誌発行申請書】を期限までに提出してください。
       提出場所=所沢/出版編集室
3. ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めていく。題名など。
4. 7月下旬、夏休み前、編集委員は、原稿依頼し、締め切りを決める。
5. 9月末 夏休み明け、編集委員、ゼミ員から原稿を集める。締切厳守。
6. 10月上旬 ゼミ誌編集委員は、印刷会社を決める。印刷カイシャから【②見積書】を 
  もらい料金を算出してもらう。
7. 10月~末日 編集委員は、印刷カイシャと、希望の装丁やレイアウトを相談しながら
   編集作業をすすめる。
8. 10月末までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
9. 11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
10. 12月14日(金)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
11. 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
12. 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
◎ 予算金額は、ゼミ雑誌作成ガイダンスで発表される。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
 ※ 印刷会社は、学科スタッフに相談した方が、スムーズに運びます。
◎ 外部(一般の人)と関係しない。(インタビュー、依頼原稿など)
ゼミ誌発行期限は、12月14日です。
お知らせ
 はしか休講で5月21日、28日のゼミができませんでした。皆さんは大丈夫だったでしょうか。追講は、様子をみてお知らせします。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.79――――――――12 ―――――――――――――――――
掲示板
課題原稿提出状況(5・14現在)
□ アンケート「私の愛読書」=茂木愛由未、髙橋亨平、疋田祥子、山根裕作、金野幸裕
□ 車中観察(事実でも想像でも可)=髙橋亨平(1)山根裕作(1)疋田祥子(1)
□ 一日を記憶する=髙橋亨平(1)、山根裕作(1)疋田祥子(1)茂木愛由未(1)
          金野幸裕(1)
□ 読書感想、社会コラム、他
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第222回「読書会」
月 日 : 2007年6月16日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 村野和子氏 作品『白痴』第二回目
      二次会は近くの居酒屋。
■ドストエーフスキイの会第180回例会
月 日 : 2007年7月28日土曜日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿
報告者 : コメンティター5名。
題 目 : 『ドストエーフスキイ広場』合評会      関心ある人は下原まで
出版
        D文学研究会刊行
山下聖美著『100年の坊ちゃん』
  夏目漱石『坊ちゃん』100年を記念して
清水 正著『萩原朔太郎と』
ドストエフスキー文学は20世紀の100年をまたぎ超えて
ゲンダイ文学であり続ける。 
※ 集英社『21世紀ドストエフスキーがやってくる』2500円 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
☆冊子観察「賢所」「写真を読む」『学生と読む志賀直哉の車内作品』④は、紙面の都合で、
 次号以降の掲載となります。
教育基本法改正記念
岩波写真文庫『一年生』を読む②
 この写真文庫は、1955年3月25日発行。復刻ワイド版は1988年2月18日発行。
 
本稿は、写真集「『一年生』-ある小学教師の記録-」の観察である。
2頁目 解説 入学前の知能テスト
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.77
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.76――――――――14 ―――――――――――――――――
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.77
冊子観察
 
雑誌紹介 この雑誌は「2004年、読書と創作の旅」にご一緒した何名かの皆さんが他の、
      有志の皆さんと大学生活の記念につくった冊子です。
『賢所Kashikodokoro』発行人・木佐貫功 編集人・飯塚みのり 木佐貫功
                              平田郁恵
発行人の言葉(編集後記から)
 ・・・・
 四年間の集成になればと思い、冊子を作ることを思い立った。そうなったかどうかはよくわからないけど、この冊子を手に十年後、皆で笑い合えればよいなと思う。
 ・・・・・・
目次
「彼の島への旅」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飯塚みのり
「客」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横山真二郎
「夏の夢の終わりに」・・・・・・・・・・・・・・・・・金牧智広
「将軍 VS 300円」・・・・・・・・・・・・・・・・橘上
「背理」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御橋尭言
「恐ろしい秋」/「ハミングバード」・・・・・・・・・・木佐貫功
特別企画「奴らを高く吊るせ」
 頁をひろげ目次を見るとなつかしい名前がならんでいた。皆、四年前、「読書と創作の旅」で一緒に過した面々である。旅がはじまってすぐに彼らの一人から「賢所」の印刷物をもらった。発行はつづいていて、こんな冊子を出すまでになった。それを思うとうれしかった。
 学校を去る人、残る人、不明の人。3月25日のお別れ会で偶然あって消息を聞けば皆、様々である。が、この冊子のなかで、再会できたことを喜んでいる。
作品感想
 何作か読んだ。ゼミ誌『背中に人生を』に掲載していた作品を思いだした。皆、作風はあの頃のものと変わっていないようだ。書き手を彷彿する文章だった。が、物語の方向性において読者側にもう少し寄ったら、と思った。とにかくどんどん書くことである。
・飯塚みのりの「彼の島への旅」を読む
 短篇だが一読だけでは、この物語の全体を捉えることは難しい。だが、情景はくっきり思い浮かべることができる。よく晴れた秋の日の穏やかな海辺の光景。
「潮が満ち始めて三十分もすると、第五療養所は完全な島になる」第五療養所とは何か。はじめは医療施設かと思ったが、そうではないらしい「この地方で一番人が集る寺院だった」とある。人生の終着地、そんな印象を受ける作品でもある。どこかに宮沢賢治の香りがする不思議な作品になっている。はじめにも述べたが、童話ふうにまとめたほうが読者にはわかりやすいのではと思った。
・金牧智広「夏の夢の終わりに」
 この異次元と現在の作品も短篇だが、やはりストーリーを理解するには想像を必要とする。おそらく作者の頭の中には、この10倍ほどの物語があって、実際にここに書いたのは、ほんの断片に過ぎない。そんな気がするのである。夏休みの補講を舞台に、お盆という異次元との接点をした作品だが、読者に伝わるか否か疑問である。この作者は、生と死の世界の境界の作品が多い。
次回
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.76――――――――16 ―――――――――――――――――
2007年、読書と創作の旅「車中観察」下原ゼミ原稿用紙 名前・
2007年、読書と創作の旅「一日を記憶する」下原ゼミ原稿用紙 
             
名前・
2007年、読書と創作の旅「社会観察」下原ゼミ原稿用紙 名前・
2007年、読書と創作の旅「名作観察」下原ゼミ原稿用紙 名前・
2007年、読書と創作の旅「愛読書紹介」下原ゼミ原稿用紙 名前・
『網走まで』を読む

 
 
網走まで
 宇都宮の友に、「日光のかえりには是非おじゃまする」といってやったら、「誘ってくれ、ぼくも行くから」という返事を受け取った。
 それは8月もひどく暑い時分のことで、自分はとくに午後4時20分の汽車を選んで、とにかくその友の所まで行くことにした。汽車は青森行である。自分が上野へ着いた時には、もう大勢の人が改札口へ集っていた。自分もすぐその仲間へ入って立った。
 鈴が鳴って、改札口が開かれた。人々は一度にどよめき立った。鋏の音が繁く聞こえ出す。改札口の手摺りへつかえた手荷物を口を歪めて引っぱる人や、本流からはみだして無理にまた、かえろうとする人や、それを入れまいとする人や、いつもの通りの混雑である。巡査がいやな眼つきで改札人のうしろから客の一人ひとりを見ている。このところを辛うじて出た人々はプラットホームを小走りに急いで、駅夫等の
「先が空いてます、先が空いてます」と叫ぶのも聞かずに、われ先と手近な客車に入りたがる。自分は一番先の客車に乗るつもりで急いだ。
 先の客車は案の定空いていた。自分は一番先の車の一番後ろの一ト間に入つた。後ろの客車に乗れなかった連中が追い追いこのところまでも押し寄せてきた。それでも七分しか入つていない。発車の時がせまつた。遠く近く戸をたてる音、そのおさへ金を掛ける音などが聞こえる。自分のいる間の戸を今閉めようとした帽に赤い筋を巻いた駅員が手をあげて、
「こちらへいらっしゃい。こちらへ」と戸を開けて待っている。26、7の色の白い髪の毛の少ない女の人が、一人をおぶい、一人の手をひいて入ってきた。汽車はすぐでた。
二つの謎
「網走」の謎
 この作品には、大きく言って二つの謎がある。一つは、題名の「網走」である。作者は、なぜ網走とつけたのか。なぜ青森でも、函館でも、札幌でも、旭川でもなくではな網走なのか。第一、当時(明治41年頃)は、北見が終着であったという。そもそも網走までは、鉄道が敷けていなかったのだ。網走まで行くには、列車を札幌から帯広、池田、北見まで乗り継ぎ、北見から徒歩で向かわなければならなかった。それも囚人が原野を切り開いて作った道を、である。雨で降ったらとても歩けたものではない。それに、ふつう「網走」といえば、後世の読者は網走駅を連想してしまうだろう。作者はのちに『創作余談』において、この作品は「或時東北線を一人で帰ってくる列車の中で前に乗り合わせた女とその子等から、勝手に想像して書いたものである」としている。そうだとすると、作者は東京に向かいながら全く反対の方向の、それも、まだ鉄道のいっていない網走を想起した。草稿に題名として「小説網走まで」、としていることから、すでにこの地名はゆるぎないものであったことが伺い知れる。青年志賀直哉は、母子の行き先を、なぜ網走としたのか。網走でならない必要性があったのか。作品を読みながら考えて行きたい。

作家は、この作品を書いたきっかけを後の「創作余談」において、このように回想している。「或時東北線を一人で帰って来る列車の中で前に乗り合していた女とその子等から勝手に想像して書いたものである」。まさに、観察と想像力で書いた作品である。現在の形になるまで、少なくても3回、書き直している。なお、『網走まで』、『菜の花と小娘』、『或る朝』は、志賀直哉の三つの処女作といわれている。
この作品をどう読むか、で、作家志賀直哉とその作品の理解度が大きく違ってくる。志賀直哉は、なぜ「小説の神様」と呼ばれているのか。大袈裟に言えば、その根源が、この作品に潜んでいる。とすれば、この作品を理解できないと志賀直哉がわからない、ということになる。もっと厳しく言えば創作というものがわからないということになってくる。はなはだ独善的考察だが、それほどに、この作品は重要ということである。
 ちなみに、この作品は、1908年(明治41年8月14日)作家25歳のときに書き、帝國大学で出版していた『帝國文学』に投稿する。が、没となる。このことについて志賀直哉は、「原稿の字がきたないためであったかも知れない」と、推測している。謙虚だが、

 さて、私たち団塊の世代までは、「小説の神様」といえば志賀直哉だった。学校の教科書の定番で、小学生のときなら『菜の花と小娘』、中学なら『小僧の神様』か『清衛とひょうたん』、高校になれば『灰色の月』や『和解』、『 暗夜行路』が載っていた。が、団塊以降はどうなのだろうか。息子や娘の教科書では見ることがなかった。現在の若い人たちは、どうなっているのか、皆目見当がつかなかった。一昨年、大学でゼミを受け持ったことで、学生に文学を教えるなら、川端康成が「文学の源泉」と評した志賀直哉をおいてほかにない。そんな思いからテキストに志賀直哉をとりあげることにした。しかし、周囲からは「古臭い」「シンプルすぎる」「学生はついてこない」など、村上春樹や吉本ばななといった現代の流行作家の方がいいのでは、そんな声を多く聞いた。一昨年は、参加者17名のうちで志賀直哉の作品を学校の教科書以外で呼んだことのある人は、誰もいなかった。但し、読んでみたい、と興味を持っている人は半数いた。昨年の参加者は、12名の中で志賀直哉を読んでいた人は、二名。『網走まで』を読んでいた人は一名でした。(読んでいた人は宇都宮から通学しているので興味を持って、とのことでした)。今年のゼミ生は七名でした。このうち志賀直哉に興味を抱いて、という人は一名いましたが、作品は読んでいませんでした。作品名も、ほとんど知らなかった。学校の国語の教科書で定番だった、『菜の花と小娘』、『小僧の神様』、『は作品名も知らなかった。

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑