文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.317

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2017年(平成29年)6月19日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.317

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/10 4/17 4/24 5/1 5/8 5/15 5/22 5/29 6/5 6/12 6/19 6/26 7/3 7/10 

テキスト作品読み(志賀直哉他) &熊谷元一研究

 

2017年読書と創作の旅

 

6・19下原ゼミ

 

 

文芸研究・政治観察  「共謀罪」法、強行採決で成立 !

 

2017年6月5日(木)朝、「共謀罪」法が、国会において強行採決、成立した。

 

■「共謀罪」法の骨子

 

【目的】 → 国際組織犯罪防止条約の締結

 

【処罰される行為】 → テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(犯罪の実行を共同の目的として結成されている団体)の活動として、対象となる277の犯罪を2人以上で計画すること、ただし、このうちの誰かが、資金・物品の手配や場所の下見などの準備行為を実行することが必要。

 

【罰則】 → 対照犯罪のうち、10年を超える懲役・禁錮の刑が定められているものは、5年以下の懲役か禁錮。その他は2年以下の懲役か禁錮。

 

〈マスメディア〉 新聞は、どう報じたか。

 

朝日新聞 → 「共謀罪」疑問山積み、誰を処罰 ? 範囲あいまい

捜査機関への懸念も残す。警察は評価、拡大手今日ないか注意必要

 

読売新聞 → 組織犯罪 未然に防止 テロ抑止へ一歩、適用には高いハードル

〈適用される例〉

 

  1. 宗教団体が、/武器の製造を始めた。2.テロ組織が東京五輪妨害を計画し、メンバーが航空券を予約した。3.テロ組織が繁華街でテロを計画、メンバーがワゴン車を借りた。4.暴力団が内部抗争で、拳銃を入手するための資金を用意した。5.詐欺集団が電話を使って現金を振り込ませる特殊詐欺を計画し、拠点となる部屋を借りた。

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ゼミⅡ

 

課題報告  テキスト『正義派』を読む     島袋美咲

 

正義というものが持つ、内在する大きな力が与える影響について深く考えた。

 

□原発、豊洲、難民等など。世界は正義だけでは片付かない問題であふれている。

 

課題報告  社会観察(気になる出来事)   島袋美咲

上野動物園のパンダが6月12日午前11時52分産まれました。

シンシンと名付けられたらしい。無事に産まれてくれて私は嬉しい。

 

□動物、好きだったのですね。志賀直哉の生き物作品をテキストにするのもいいですね。

ちなみに小説の神様・志賀直哉が生き物を観察して書いた作品は、凡そ20作品あります。

例えば「濠端の住まい」「蜻蛉」「城の崎にて」「犬」「雪の遠足」「池の縁」「日曜日」など。

 

課題報告  なんでもない一日の記録         島袋美咲

 

雨の匂いがする季節に太宰治は死んだ。6月が私は好きだ。太宰治が死んだ季節だからではなく、それが心中するには一番ふさわしい季節だからだ。有島武郎が死んだのも、6月だった。心中する季節に。

 

□そうですか、6月を・・・・。例えば、インドの偉大な詩人タゴールの言葉に、こんな詩編がある。「私は悩み、絶望し、そして死を知った。だが、私はこの世に生きていることを喜んでいる」タゴール。太宰のファンは、いまも大勢いるようだが、この作家には人間性を疑うところがある、良識ある人たちには見えていた。志賀直哉、川端康成といった人たち。

 

【七里が浜心中】

昭和5年11月29日午前8時頃、神奈川県鎌倉郡腰越町の小動神社裏手の海岸。早朝の漁に出た地元の漁師は、海岸でもつれあって苦しんでいる若いカップルを発見した。二人のうち女の方は既に死んでいた。小柄だった。大きい男は、まだ生きていて近くの七里ガ浜恵風園に収容された。すぐに警察と医者がきた。二人が服用した薬は、カルモチンだった。嚥下時刻は、前日の28日夕刻から夜半のあいだと推定された。死んだ女は小柄で、生き残った男は大柄だったことから、カルチモンの中毒作用が体に比例したとみられた。(男は、自分は死なないという確信で飲んだ可能性が高い)後で、男は睡眠薬常用者と判明。(ますます、その疑惑を強くした)男に自殺幇助の嫌疑がかけられた。鎌倉署の調べで二人の身元が判明した。死んだ女は、銀座のカフェ―「ホリウッド」のウエイトレス田辺あつみ、本名・田部シメ子(17歳)広島県出身。新劇の女優を目指して上京。働きながら役者の勉強をしていた。

生き残った若い男から調書をとりはじめた刑事は、男の身元を聞いて驚いた。21歳の帝国大学生というのもあるが、出身地を聞いて、肝をつぶした。刑事も同じ郷里で、しかも実家は学生の家の小作農だった。刑事は、大慌てで横浜地方裁判所の所長に電話した。所長は、帝大性の縁者だった。所長は、すぐ郷里の帝大性の長兄に知らせた。帝大性の実家は、県下では知らぬ者がいない旧家。亡父は貴族院議員、長兄は県会議員。すぐにご意向か忖度が働いて、心中は表ざたにならなかった。帝大生は、心中オタクで高校時代から繰り返していた。

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6・12ゼミ

 

テキストとの対比  作品の比較対照

 

□志賀直哉の『剃刀』と森鴎外の『高瀬舟』

 

『剃刀』は、剃刀店の店主が風邪で微熱と疲労のなか営業を実施、手元がすべって客の若い兵士を死なす。若い兵士は、これから遊びに行くところだった。過失致死、懲役6年。

 

森鴎外の『高瀬舟』は、長い病気の弟が仲の良い兄に迷惑かけまいと自殺をはかる。が、死に切れなかった。ちょうどそこに来た兄は、弟の苦しみを助けようと。自殺に使った剃刀で切る。その瞬間を目撃される。が、自殺幇助。遠島罪。

 

□『網走まで』と夏目漱石の『三四郎』の車内観察

 

『網走まで』と『三四郎』

 

『網走まで』は、明治四十三年(1910)に『白樺』第一号に発表された。が、実際に書かれたのは二年前の明治四十一年といわれている。作者が25歳のときである。明治三十九年七月に学習院高等科を卒業。九月に東京帝国大学文科大学英文学科に入学している。

この時代、明治四十年代は、どんな時代だったのか。日清日露戦争に勝利した日本は、韓国併合(1910)を目指して大陸侵攻の準備を着々と進めていた。ポーツマス条約、明治三

十九年(1906)には南満州鉄道会社を設立するなど富国強兵政策をますます強めていた。

しかし、華々しい国策の裏で暗い出来事が次々起きていた。明治四十二年には伊藤博文がハルビン駅で暗殺された。また四十三年には、大逆事件が起き、幸徳秋水ら二十四名に、死刑、の判決がくだった。そのうち十二名が減刑され無期懲役となったが、幸徳秋水はじめ12名が絞首台の露と消えた。

 

大逆事件は知識人に大きな衝撃をあたえた。森鴎外、永井荷風、石川啄木、与謝野鉄幹らのおどろきと打撃はかれらの作品に書きのこされている。(『高校日本史』実教出版)

大逆事件(明治天皇の暗殺を計画したとされる嫌疑)は、明治四十四年(1911)二月十八日に上記の判決が下った。この死刑宣告の判決について、志賀直哉は、その感想を二十日金曜日の日記にこう書きしるしている。

 

二月二十日 金曜日

 ・・・一昨日無政府主義者二十四人は死刑の宣告を受けた。日本に起つた出来事として歴史的に非常に珍しい出来事である。自分は或る意味で無政府主義者である、(今の社会主義をいいとは思わぬが)その自分が今度のような事件に対して、その記事をすっかり読む気力さえない。その好奇心もない。「其時」というものは歴史では想像出来ない。

 

ここで唐突だが、明治の文豪夏目漱石の『三四郎』は明治四十一年(1908)九月一日から十二月二十九日まで、百十七回にわたって東西の朝日新聞に掲載された。『網走まで』は明治四十一年(1908)八月十四日と執筆年月日が明記されていることから、両作品は、ほぼ同時期に書かれたとみてよい。

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同時期に書かれた『三四郎』と『網走まで』。この二つの作品の違いは、まず作者にある。『三四郎』を発表したときの漱石は四十一歳。前年、明治四十年(1907)一切の教職を辞して朝日新聞社に入社。すでに『草枕』を発表し、『我輩は猫である』『坊ちゃん』などを相次いで出版。押すも押されぬ大流行作家となっていた。文学一本に人生を絞ったのである。

 

ちなみに『三四郎』を発表した年、明治四十一年の年譜をみると、このような文学活動をしている。

1月1日より4月6日まで『坑夫』を朝日新聞に連載。

『虞美人草』(春陽堂)出版。友人、森田草平に小説『煤煙』の執筆を勧める。

6月13日より21日まで『文鳥』を大阪朝日新聞に連載。

7月から8月にかけて『夢十夜』を東京・大阪朝日新聞に連載。

9月1日より12月29日まで『三四郎』を朝日新聞に発表

 

なぜ、『三四郎』を持ち出したのか。この作品も出だしは車内観察からはじまる。子ども連れではないが、子持ちの女と同席する。『網走』は、同情と純情だが、『三四郎』は新聞小説だけに色っぽいところもある。直接的な時代批評もある。そして、主人公の目的地、東京での生活が長編で描かれている。

この作品が、単なる新聞小説で終わることなく、いまも読みつづけられているところはなぜか、『網走まで』を知るうえで、6・12ゼミではこの作品の車内観察部分を読んでみた。

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なぜ「網走」か、『網走まで』の題名を考察する

 

この作品は一見、エッセイふうで、経験した話をそのまま書いた。そんなふうに読めるが、そうではない。この作品は完全な創作だという。作者志賀直哉は、創作余談においてこの作品は、「或時東北線を一人で帰ってくる列車の中で前に乗り合わせていた女とその子らから勝手に想像して書いたものである」と明かしている。

そうだとすれば、なにも「網走」でなくてもよかったのでは、との思いも生ずる。当時、あまり知られていない網走より、「青森」とした方がより現実的ではなかったか、と思うわけである。網走同様、青森という地名の由来も諸説ある。が、一応、三七○年前、寛永二年頃(一六二五年)開港されたときにつけられた、というから一般的にも知られていたと思う。題名にしても歌手石川さゆりが熱唱する「上野発 夜行列車降りたときから 青森駅は雪だった・・・」の青森に違和感はない。当時としては、網走よりはるかに現実的だったに違いない。なぜ「青森まで」ではなく、「網走まで」なのか。もし作者が北海道にこだわるのなら函館でもよかったのではないか。そんな疑問も浮かぶ。函館なら、こちらもよく知られてもいる。歌手北島三郎が歌う「はーるばる来たぜ函館!」は演歌の真髄だ。他にも函館には、歴史の郷愁がある。既に40年の歳月が過ぎているとはいえ、函館(箱館)といえば、あの新撰組副長土方歳三(35)が戦死した土地。明治新政府と榎本武揚(34)北海道共和国が戦った城下である。現代では百万ドルの夜景と、観光名所にもなっている。それ故に当時も一般的知名度は、それなりに高かったのではと想像する。

しかし、時は明治全盛期である。過去に明治政府に反抗した都市ということで、よろしくないとしたら、札幌はどうだろう。「札幌まで」としても、べつに遜色はないように思える。一八七六年(明治九年)あの「青年よ大志を抱け」のクラーク博士ほか数名の外国人教師を迎えた札幌農学校のある「札幌」は、それから三十余年北海道開発の拠点として、大いに発展しつつあったはず。「札幌」の名は、全国区であったに違いない。にもかかわらず「札幌」ともしなかった。なぜか・・・。ではやはり当時、「網走」は人気があったのか。それとも作者志賀直哉に何か、よほど深い思い入れが、題名として使いたい理由があったのか。どうしても行き先が「網走」としなければならない何かが・・・そんな疑念が浮かぶ。

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しかし、四十一年後、1951年(昭和26年)68歳のとき、志賀直哉は、リックサック一つ背負い一人ではじめて北海道を旅した。が、網走には行かなかったという。と、すると、

作者の深い思い込んみでもなさそうだ。だとすると、「網走」という土地名は、たんなる思いつきか。それともサイコロを転がせて決めただけの偶然の産物であったのか。

題名は、この作品の最初の謎である。が、その前にもう一つ、大きな謎がある。作者は、この作品について【創作余談』で、にこのように記している。

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或時、東北線を一人で帰って来る列車の中で前に乗り合わしていた女とその子等から、勝手に想像して書いたものである。これは当時帝國大学に籍を置いていた関係から「帝国文学」に投稿したが、没書された。原稿の字がきたない為であったかも知れない。

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原稿の字がきたなかった――作者は、そう謙遜しているが、果たして、それだけであったろうか。なぜ、採用されなかったのか。この謎も併せて考えてみたい。

 

□『墨東綺譚』とドストエフスキー『地下生活者の手記』

 

『墨東綺譚』を初めて読んだ時、頭に浮かんだことは、『地下生活者の手記』だった。永井荷風は、ドストエフスキーを読んでいたのか。同じような感覚はしばしばある。

高見順の『如何なる星の下に』を読んだ時、ドストエフスキーの『虐げれし人々』を彷彿させた。果たして高見順の日記の中にドストエフスキーはあった。

ドストエフスキーは、読み進めて行くと「やがては自分につきあたる」(ツバイク)とあくまでも私、個人を追求した永井荷風。組織の破壊者。・

 

『地下生活者の手記』

 

『地下生活者の手記』第二部「ぼた雪」脚本を読む

 

このあいだ名前は忘れたが、新聞で女性評論家がこんなようなことを云っていた。世に美人コンテストというものが雨後のタケノコのようにいっぱいある。何百何千という少女たちがわれこそはAKB48にならんと応募し群がる。だが、スポットライトを浴びるのは、ほんのひとにぎりの少女たちだけ。あとは夢破れて散っていく。そうした彼女たちは、どこに行くのか。彼女の調査によると表舞台でスターになれなかった彼女たちの何割かは、裏舞台のスターとなっていくというのだ。現代における裏舞台のスターとは何か。昔なら、バーの女給、トルコの女、あるいはストリッパーだが、現代は、AV嬢だという。彼女らの大半は、家族のためでも生きて行くためでもなく、ただ有名になりたがために。(騙されてもあるだろうが)、だいたいがなんの迷いもなくその仕事につくらしい。

そんな彼女らに19世紀の地下男の口説きは、通用するのか。ペテルブルグの地下男にお出まし願い対談してもらった。果たして地下男は、現代のリーザに勝てるのか。・・・。

 

対談 地下室男VS21世紀風俗壌

 

レンタルビデオ店に行くと必ずといってよいほど奥まった所にアダルトコーナーという一角がある。世の男性諸氏なら一度は覗いてみたい場所である。だが、入るとなると誰もが逡巡するらしい。余程の勇気を必要とする。昼間はほとんどといってよいほどそのコーナーには人影がない。

では夜はというと、やはりまばらにしか入っていない。いつの時間帯も混雑している一般コーナーに比べ常に閑古鳥が鳴いているのだ。そうでなくとも狭いスペースの店内、全く無

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駄な空間のように思えるが、実際は店の経営にとってなくてはならないコーナーらしい。業界ではこの産業、あっと言う間に急成長を遂げ年間何億もの売上があるそうだ。伸び過ぎて近ごろ過当競走に入ったとはいえ、やはりドル箱なのである。ビデオを年間一千本以上制作し、出演するAV嬢も五百人は下らないという。そして、今現在も予備軍の若い女性が後を断たないということだ。

彼女らがAVに出演するきっかけを何かの雑誌で読んだことがある。それによるとAV嬢は街でキャッチされたり自分から飛び込んでくる娘が大半。理由はお金が欲しいから、退屈してたから、有名になりたいから、誰か芸能人と知り合いになれるかもしれないから。などとまちまちだ。つまるところ若い女性の持ち得る心理そのものがすべて有機体と化して集合したのがAV嬢たちなのである。いったい彼女たちの深層心理はどうなっているのか。彼女たちは映画『哀愁』をみて涙するのか。

地下男は、ドストエフスキー作品に登場する多くの女性、ソーニャやブランシュやナスターシャ、ワルワーラたち、それに『作家の日記』で扱った<単純な、しかし厄介な事件>のコロニーロヴァや<私人からの手紙>のカイーロヴァ女史たちの深層心理に光を当て、ときには謎解いてきた。彼は、奔放な現代の風俗嬢の深層に迫ることができるだろうか。

それでは、さっそく地下男とAV嬢の問答を聞くことにしよう。その結果、地下男は彼女に<子供が自分の大好きな人に、物をねだるような目つき>をさせることができるだろうか。<宝物のように、大事にしまっていた>恋人の手紙をとりに駆けださせることができるだろうか。

どのように切り出すか、<それは愛情もなく無恥粗暴な態度で、本当の愛の栄冠となるべき行為から、いきなりことを始めるのだ。>(<>は米川正夫訳)

地下男 <彼女はわたしの視線を受けながら、目を伏せようともしなければ、その眼差しも変えもしなかった...>

地下男 <お前の名はなんというんだい?>

風俗嬢 「まだ、決まってないのよ。何かないかしらいい名前。

最初が肝心でしょ。姓名判断でみてもらおうかしら。女優の名前って難しいから」

地下男 じ、女優だって! 何なんだこの明るさは。

<どこから来たの?>

風俗嬢 「原宿からってことにしとくわ。都会の娘に見えるでしょ。フフフ、遊びに来たらたら誘われたの。やってみないかって。ちょうどヒマしてたから、面白そうだし。それで冷やかしにちょっと来たのよ」

風俗嬢 <えっ、それでいきなり撮ったのかい。>

「そうよ。別に演技いらないっていうから」

 

地下人間、口をあんぐり。

地下男 <前からここへ釆てるの?>

風俗嬢 「今日からよ。この世界、新しい娘の方がもてるんだつてね。やたら褒められちゃったわよ。わたしそんなに魅力あるかしらハハハ」

 

地下男 うっ、この明るさ、この陽気さは何なのだ...これでは<いっこうに無愛想な調子に、だんだんぶっきら棒になって>いかないではないか。

 

早くも地下人間に焦りの色があらわれた。

 

地下男 <お父さんお母さんはいるかい?>

風俗嬢 「いるわよ、二人とも元気よ。どうして、そんなこと聞くの。わかった! わたしがAV嬢だから、ちゃんとした両親がいないと思ったのね」

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地下男 <どこにいるの?>

風俗嬢 「東京よ。田舎かも知れないけどフフフ、訛りがないのね、あたしの言葉」

地下男 <いったいどういう人なんだい?>

風俗嬢 「ちゃんとした人よ。地位があって教養があって、教育者とか聖職者みたい」

地下男 そ、そんな家庭の娘さんがなぜなんだ?!

<親の家に暮らしていたら、どんなにいいかもしれないじゃないか!>

<なぜきみは親もとを離れたんだい?>

風俗嬢 「一人で住みたかったからよ。干渉なんかされたくないわ。もう大学生でしょ。だから自由に生活したいのよ。自由に」

地下男 ム、ム、ム、ム...自由とAV出演とどんな関係があるんだ。それに<娘たちの中には、家で暮らすのが愉快でたまらないというのがいるよ!>という娘がいるのに。この娘は一体何者だ。地下人間、早くも形勢危うしである。こうなったら...そうだあの話をしてやれ、これなら少しはこたえるぞ。

<きょうあるとこで棺を担ぎ出していたが、あやうく取り落とすところだったよ>

風俗嬢 「棺って、葬式の?!エーッ見たかったわ。どこで?そのとき死体転がり出たの? そんなのめったに見られないんじゃない」

地下男 めったに見られない、だって! どんな性格してるんだ!ここは堪えて

<...いやな臭いがしてね。胸が悪くなるようだったよ>

風俗嬢 「あら、いやだ。腐ってたの」

地下男 「そうさ、夜の商売で一人で暮らしていたからね。あの売春婦、もしかしたらエイ

 

ズにかかっていたかも知れないな。頬が痩せこけていて顔じゅう班点だらけで、そりゃあひどいものだった」

風俗嬢 「ふうん、物好きね。そんなに詳しく見るなんて。悪趣味ね」

地下男 <今日あたりの埋葬はいやだなあ!>

風俗嬢 「あら、どうして」

地下男 「雪が降ってるだろ、こんな日に限って葬式が多いんだ。道路は渋滞するし火葬場は満杯だ。どうせ身元不明の遺体なんか一番最後に回されるから運搬していった市の職員たちなんか不満たらたらさ。そのうち遺体にだって当たりだすよ。帰りが遅くなるだの、パチンコする時間が減るとかいってね。それとも以前その女のビデオを見たことがあるとか、何とかいってみんなでげらげら笑っているかね」

風俗嬢  「フン、死んでしまえば他人が何いおうが勝手よ」

地下男  <いったいきみはどうだってかまわないのかい。死ぬってことが?>

風俗嬢  「そうよ。だって、なんのためにわたしが死ぬのよ。そんなこと考えなきゃいけないのよ」

地下男  <そりゃ、いつかは死ぬさ。ちょうどさっき話した死人のように、あれと同じ死に方をするのさ。あれもやはり...きみと同じような女だったんだ...>

風俗嬢  「ちょっと! 違うわよ。あなたの見たのは商売女でしょ。わたしは女優よ。まあ、アダルトだけど、そのうち将来はちゃんとした映画に出るわ」

地下男  <現在、きみは若くて、奇麗でいきいきしているからうんと高く買ってもらえるけど、こんな生活をもう一年つづけていたら、きみもすっかり変わってしまって、しなびてくるに決まってる>

風俗嬢  「おあいにくさま、わたしだってこの仕事、長くやるつもりないわ」

地下男  「そうかい<いずれにしても一年たったら、きみの相場は下がってくるよ>次々と新しい女の子たちが入ってくる。きみのビデオはあきられ、きみはもっとハードなものを要求されるようになる。そして、結局のところ別の仕事にくらがえし

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なくちゃあいけないんだ。テレビや映画に出れる娘なんて、殆どいやしないさ。たいてい場末の風俗営業の方に流れていくんだ。月百万、二百万とっていた娘が、元の十万、二十万の仕事なんかできっこないからね。ストリッパーになるかソープランドかSMクラブ。そんなような職場で働くしかなくなるね。 そうやって<だんだんと低みに落ちてゆく。七年ばかり経ったら、いよいよセンナヤ広場の穴蔵まで行きついてしまうわけさ。それだけならまだしもだけれど、そのほかに何か悪い病気でも背負いこむとか...こんな生活をしていると、病気はなかなか早く癒らないから、とっついたら最後、もう離れないかもしれないぜ。 こうして、とどのつまりは死んでしまうのだ>きみは一年間に身元不明死体が何体でると思う。

風俗嬢  知らないわ。

地下男  二万以上さ。そのうちの半分が女性だ。誰も知らず引き取り手もなく死体置き場のプールの中にぷかぷか浮かんでいるのだ」

風俗嬢 「あ、そう。そうなったら、そうなったよ。心配なんかしてないわ。平気よ」

地下男  まったくどんな神経をしてるんだ。あの女の場合、リーザのときなんかもっと深刻だった。沈黙、深い沈黙があった。

 

<彼女はもうすっかり毒々しい調子で>答えていた。

 

風俗嬢  死んでしまえば、なんだって同じよ。

地下男  それはそうだが・・・<だってかわいそうじゃないか>

風俗嬢  「だれが?」

地下男  命がさ。<命がかわいそうなのさ>

風俗嬢  「命? なによ、それ?」

地下男  <魂さきみの。体とは別なものだからね>

風俗嬢  なにそれ、意味がわかんない。

地下男  心だよ。心は肉体とは別なんだ。いくら肉体が汚れても心がきれいなら美しい人なんだる

風俗嬢  「あ、そう。なんだかわかんないけど、わたしそんなこと全然思わないわ」肉体がどうの、心がどうのなんか。

 

地下男  なんということだ? 人がこんなに優しくしてやってるのに、この女は

<いったいきみは、どんな気でいるんだね? まっとうな道を踏んでるとでも思っているのかい、え?>

風俗嬢 「どんな気って、関係ないでしょ。AVがなんで悪いのよ。じゃあ、ヌード写真集

を出版したタレントはご立派というわけ。裸で勝負してるんじゃないの。おんなじよ。違うっていえる」

地下男  なんだい。ああいえば、こう云う。いっこうにリーザのようにならない。

 

地下男、たじたじとなって額の汗を拭う。どうも、まっとうな道の定義が変わってきているようだ。ご時世の違いかも...

 

地下男 「しかし<きみはまだ若くて、器量もいいんだから、恋をすることもできようし、結婚することもできる。幸福な身の上にもなれるというものだ...>」

風俗嬢  あきれた、まだそんなこといってるの。<お嫁にいったものが、みんな幸せだとも限らないわ> 第一わたし女優になる夢があるんですからね」

地下男  思わずかっとなって怒鳴る。

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「きみは本気で思っるのかい。女優になれるって。それを目指すんなら道が違うんじゃないのかい。まずはじめは演劇の練習からだろ」

風俗嬢 「バカじゃない、知らないの、テレビに出ているたいていのタレントはいきなりスカウトされるのよ。それから女優になったり歌手になったりする勉強するんじゃない。あなた時代遅れよ。頭が古いのよ」

地下男 「時代遅れだって! いいかい人間の心は文明のように進歩しないんだ」

風俗嬢 「あっそう。もしかしてわたしのビデオファン。それでごちゃごちゃ説教たれるのね。そうでしょ<まるで本でも読んでいるような話し方をするんですもの>」

地下男  <よしてくれ、本がどうのこうのと、いってる場合じやないよ。いったい、いったい、きみ自身こんな所にいるのが、いまわしくはないかい?>

風俗嬢  「男なんかみんな同じね。<なんでもわかる一段えらい人間だと思>われたくて偉そうなことを言うだけよ。本当は『復活』のカチューシヤがいうように、ほんとは寝たいと思ってるだけよ。頭の中はそれで一杯なだけ。そうでしょ」

地下男 「きみ、そ、そんな..それだけじゃない人間だっているんだ.」

 

地下男、しどろもどろになる。図星だったようだ。

 

風俗嬢 勝ち誇って「いいわよ。あなたにその気があれば、付き合ってあげてもいいわよ。たっぷりサービスするわ」

 

AV嬢は勝ち誇ったように席を立って妖しく歩み寄る。もはや勝負あったのか。

 

 

地下男 がっくりと肩を落としてつぶやく。21世紀においては<ダイヤモソドにも等しい処女の宝>である愛は道化に過ぎないのか・・・・・

 

風俗嬢  笑い声を残して去っていく。

(ドストエーフスキイ広場 No.2 1992)

 

安岡章太郎著『私の墨東綺譚』を読む

 

この作品が(『墨東綺譚』を)良く顕している。そのように思えるので紹介している。

 

六、大人と子どもの違い

横光利一の『旅愁』は昭和12年4月13日から東京日日(現在・毎日新聞)・大阪毎日の有閑で始まった。そして、それから三日後の4月16日の東京・大阪の朝日新聞夕刊は荷風の『墨東綺譚』を連載しはじめた。

別段、これは朝日、毎日の両紙が意図的におこなったことではない。

前にも述べたように荷風は前年、9月末頃、墨東をおとずれたあと、《この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり》と言い、翌日の夜から直ちに執筆にとりかかって、約一か月後の10月25日に『墨東綺譚』百数枚の原稿を脱稿している。そして翌月には、朝日との契約が成立し、あくる昭和12年の新年から連載がはじまる旨の予告も、新春の新聞にある。しかし、その予定は遅れに遅れ、12年4月14日の夕刊にやっと、

《待望の永井荷風氏が、いよいよ近く夕刊中編小説に登場いたします。題して

《墨東綺譚』…》

という予告が出たこれはもっぱら朝日の社内事情によることであって、毎日新聞への対抗措置ではない。尤も、この朝日の社内事情なるものの実態は、私にはまったくの不案内であ

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る。要するに、この緊張した時局に玉の井の小説などのせるのはいかがなものかといったことであろう。作者荷風にとっても、いったん社告で連載を予告しながら、いつまでも宙ぶらりんの状態に置かれることは、甚だ落ち着きが悪く不快なものであったに相違ない。それで無名の小出版社から私家版で出してみたが、これが神のタテ目とヨコ目を取り違えるというシロウト然とした不様な出来のものだったので、荷風は激怒して、代価の支払いに応じないことになった。

一方、毎日の『旅愁』には、そんなゴタゴタはなかったようだ。横光利一作、藤田嗣治画と両大家の名を並記し、セーヌ河畔のエッフェル塔に旭日の燦然と輝くさまを挿絵に、次のような堂々たる文章ではじまっている。

《・・・復活祭の近づいた春寒い風が、河岸から吹く度に、枝枝が震えつつ落としていく》

《パッシイからセイヌ河を登って来た蒸気船が、芽を吹き立てたプラターンの幹の間から、物うげな汽笛の音を響かせてくる。・・・》

まことに悠然たるかまえであるが、描かれた風景は日本人読者にとって、、じつに目新しく、期待感を覚えさせるものであったに違いない。

しかし、それから三日たって朝日で『墨東綺譚』の連載がはじまると、両者の力関係は次第に逆転していったらしい。

中山義秀は、『墨東綺譚』を『旅愁』と比較して大人と子どもの違いだという意味のことを言っている。これは中山氏だけでなく、文壇内の大方の見方でもあったらしい。誰よりも横光氏自身が荷風の『墨東綺譚』に引け目をおぼえていたらしく、『墨東綺譚』の連載が完結すると、『旅愁』の中断を毎日に申し込んだ。むろん、毎日が和では、これを即座に了承するわけには行かなかったが、40日ばかり後に『旅愁』の中断をきめた。その時、すでにシナ事変が始まっており、わがくにが戦争の泥沼にに足をとられていったことは、すでに何度も述べたとおりだ。

これは日本にとって大きな不幸であったが、横光個人にとっても、『旅愁』という小説にとっても、また大いなる不運であり、横光は戦後も断続的にあちこちの雑誌で延々2千枚まで『旅愁』を書きついだが、ついに完成せず。中断のままに終わった。横光利一は『旅愁』のために死んだ、といっても過言ではない。

横光が渡欧した頃、、氏は毎日の学芸部顧問であったが、毎日としては、「横光利一特派員」の名前で、ヒトラーが【民族の祭典】を謳い上げているベルリン・オリンピックの模様を伝えてくれれば、それでよかった。しかし、文名赫々たる横光利一としては、オリンピックなどという子供騙しの見物だけのために、わさわざヨーロッパまで出掛ける気にはなれなかった。行くからには、ジュペングラーの『西洋の没落』ではないが、或る文名の「落日」の実態を自分の目でしっかりととらえてこなければという心持だったのである。

(次回は「七、驟雨の出会い」)

 

書棚から 本棚の奥から、埃だらけになっていたこんな本がでてきた。

若い時、読んだのか、途中でなげだしたのか、いまとなっては不明。

 

世界の大思想 河出書房新社 800円 1966.1.30

 

『キルケゴール』

・おそれとおののき 桝田啓三郎訳

・哲学的断片    矢内原伊作訳

・不安の概念    原 佑 飯島宗亨訳

・死にいたる病   松浪信三郎訳

―――――――――――――――――― 11 ―――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.317

 

 

熊谷元一研究

 

熊谷元一研究紹介・熊谷元一農協絵本シリーズ(8)「もらい風呂」

 

 
【もらい風呂】 農家は忙しいので風呂は毎日、焚かなかった。
私の実家のある集落は17戸あった。全戸が農家、(役場の助役、〒局長、銀行員もいたが)本業は蚕養農家で、ほとんどが親戚だった。叔父さん、叔母さんの家とは忙しい時期は、一緒に農作業した。そんなときは風呂を順番に焚いて、もらい風呂だった。

いとこたちと一緒に入るのが楽しみだった。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.317 ―――――――― 12 ―――――――――――――

 

ゼミⅡ日誌

 

□4月10日 参加 □4月17日 参加 □4月24日 参加 □5月8日 参加

□5月15日 参加 □5月22日 参加 □5月29日 参加 □6月5日 参加

□6月12日 参加 □6月19日 参加

 

【テキスト】志賀直哉『或る朝』、志賀直哉『網走まで』、志賀直哉『剃刀』、志賀直哉『正義派』、森鴎外『高瀬舟』、夏目漱石『三四郎』最初の章

 

2017年 熊谷元一写真童画館 お知らせ

 

☆2017年 第20回熊谷元一写真賞コンクール応募 詳細は「熊谷元一写真童画館」HP

テーマは「遊ぶ」です。併せて「阿智村」を撮る

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会からのお知らせ

 

2017年6月24日(土) 午後2時~4時45分

 

東京芸術劇場第7会議室

 

作品『悪霊』4回目 報告者・梶原公子  司会進行・尾嶋

 

2017年8月19日(土) 午後2時~4時45分

 

 

 

東京芸術劇場第7会議室

 

作品『悪霊』4回目 報告者・未定  司会進行・未定

 

2017年8月19日(土) 午後2時~4時45分

 

東京芸術劇場第7会議室

 

作品『悪霊』5回目

 

 

 

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下原ゼミ通信編集室 〒274-0825 メール:toshihiko@shimohara.net

 

 

 

 

 

 

提出課題     文芸研究Ⅱ下原ゼミ  2017.6.19  名前

 

  1. テキスト感想

 

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  1. 社会観察

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  1. なんでもない一日の記録 

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