文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.327

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2017年(平成29年)11月20日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.327

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 12/4 12/11 1/15 1/22 1/29 

テキスト作品読み(志賀直哉他) &熊谷元一研究

 

2017年読書と創作の旅

 

 

熊谷元一最新ニュース  18日熊谷元一写真賞コンクール授賞式

 

2017年11月18日(土)第20回熊谷元一写真賞コンクール授賞式開催

長野県阿智村昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館で

 

第20回熊谷元一写真賞コンクールの授賞式が、2017年11月18日(土)熊谷の故郷、長野県阿智村昼神温泉郷の熊谷元一写真童画館、昼神温泉ガイドセンター2Fで行われた。

第20回のテーマは「遊ぶ」で全国から多数応募作品があった。

 

・応募数 683点(昨年482点)

・応募者数 255人(昨年167人)

 

【審査】

・元一写真大賞・・・・・1点 賞金7万円、昼神温泉宿泊券3万円相当、トロフィー

・阿智村賞  ・・・・・1点 賞金3万円、昼神温泉宿泊券2万円相当、トロフィー

・信濃毎日新聞社賞・・・1点 昼神温泉宿泊券5万円相当、トロフィー

・JAみなみ信州賞・・・1点 賞金3万円、地元農産物1万5千円相当 トロフィー

・優良賞・・・・・・・・2点 賞金1万円、昼神温泉宿泊券1万円相当

・佳作・・・・・・・・・10点 賞金1万円、昼神温泉宿泊券1万円相当

・阿智村輝き賞・・・・・10点 1万円相当地元商品券

 

【審査委員】

 

・増田今雄(写真家)・須藤 功(写真家)・毛利英俊(信濃毎日新聞)・飯沢耕太郎(写真評論家・日芸)・佐々木賢実(南信州新聞)・杉本恭子(写真家)

 

【訃報】

会地村は、なぜ満蒙開拓団が多かったのか。中国残留孤児の帰国に尽力した原安治さんが逝去しました。77歳でした。二つの問題を扱った著書に『還らざる夏』『再会』があります。元NHKプロデューサーで熊谷元一写真コンクールの審査員でもありました。

ご冥福をお祈りします。合掌。

 

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応募作品、テーマと応募者数の推移

【第21回写真賞コンクールについて】

 

テーマ 「はたらく」  第一回「働く」の初心に帰って

 

締切 2018年9月末日

 

最終審査 2018年10月12日(金)

 

最終日審査会場  昼神温泉郷 熊谷元一写真童画館

 

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熊谷元一賞写真賞コンクール20回記念写真展

 

□日 時 平成30年5月29日~6月3日

□会 場 JCフォトサロンクラブ25 東京・半蔵門

 

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『一年生』を読む  隣り村に遠足

 

 

上野写真は、遠足の写真である。構図的にも優れている感がある。いつだったか、同級会に熊谷先生が出席されたときたずねてみた。

「遠足の写真、偶然、あの場所で撮ったのですか」

「写す場所は、遠足の前日、コースを下見して決めていた」

熊谷の写真は、偶然は少ない。ほとんど計画された計算された場所で撮られた。

 

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文芸研究Ⅱ 実際の記事から創作、一つの物語をつくる。前号のつづき

 

 

彼は、窓外を眺めるともなく見ながら母が聞いたヤナーエフ医師の話を思い出した。退院の日のときのことだ。それより前。いつのころから、運転手は、こう丸のかゆみに悩まされていた。はじめケジラミと思った。それで毎日、石鹸で洗ったが、かゆみは増すばかりだった。てっきりインキンになったと思った。なにせ三十五歳の今日まで、病気らしい病気はしたことがなかった。水虫か痔は、いつも患っていたが、これは一種職業病と酒の飲みすぎ。そう安易に考えてほうっておいた。が、引っかき過ぎて下着が血だらけになったのを妻や母親のタチャーナに知られ疥癬か、よからぬ遊びでもらった皮膚病と疑われ、中央病院に行くことになった。しかし、検査の結果は、予想外の病名だった。

「こう丸腫瘍です」と診断された。しかも悪性のガンとのこと。運転手は、むろん家族は、谷底に突き落とされた。が、手術して切除すれば命に問題はないということで一安心した。で、師走に入ったばかりの十二月四日に手術した。術後は、順調だった。彼は、かゆみから解放された。こんなことなら、もっと早くに診てもらえばよかった、と悔やむほどだった。生来が丈夫で入院などしたことのない彼にとって、天国のような日が過ぎた。西側では、大金がかかるので、貧乏人は病気になれば死ぬだけと聞いていた。わが偉大な革命国家は、寛容で平等だ。ガンになって入院しても、ただの一ルーブルもかからない。共産党国家に感謝するばかりだった。

聖誕祭前に退院が決まった。母親のタチャーナが迎えにきた。妻と二人の子供たちは、家で退院祝いの準備に忙しいのだ。最後の診察をうけた。

「すっかりよくなっていますよ」ヤナーエフ医師は、眼鏡の顔を近づけて明るい声で言って聞いた。「もうかゆみや痛みはないでしょう」

「ええ、たすかりました」運転手は、礼を言ったあと、恥ずかしそうに聞いた。「それで、アレはもういいのでしょうか」

「アレ?ですか」ヤナーエフ医師は、一瞬わざとらしく考える風をした。それからニヤリとして「かまいません、かまいません。ただ過ぎてはだめですよ」と言った。その後、急に真顔になって言った。

「ドミイさん、ご家族の方は来ていらっしゃいますか」

「母が、きています」

「じゃあ、お母さんに、ちょっとお話が」

「なんでしょう」

「手術は成功、術後も良好。でも、病気はガンですからね。一緒に暮らしている家族に知っておいてもらいたいことがあるんですよ」言って医師は笑った。

病室では、タチャーナが大きなかばんに、洗濯物や日用品をせっせと詰め込んでいた。

「あとは、ぼくがやるよ」

「そうかい。ちょうどよかったお礼にうかがおうと思っていたところさ」彼女は、腰をさすりながら出ていった。

ヤナーエフ医師は、にこにこしながら、彼女を迎えた。

「先生さま。おかげで退院できます。ありがとうございます」

タチャーナは床に白髪がつきそうなばかりにお辞儀した。

「よかったですね。順調にいって」ヤナーエフ医師は、どこかぎこちない笑みを浮かべて言った。「およびだてしたのは、これからのことについて、お話しておきたかったのです」

「これからの・・・」

「そうです。なにしろガンですからね。切って治れば、はいそれまで、というわけにはいかないんです」

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「なにか、問題が・・・」タチャーナは、不審そうに医師の顔を覗き込んで恐る恐る聞いた。「もしかして死ぬんですか、ディーマは。まだ小さい子供がいるんです。二人も」

「お母さん、落ち着いてください。息子さんの病気は、すぐにどうなるという病気ではありません」ヤナーエフ医師は、やさしく笑った。

「じゃあ、助かるんですか」

「そうですよ。もちろんですよ。そんな病気じゃあありません」元気にこう言ったあと、一瞬複雑な笑みを浮かべて切り出した。「この病気は、手術後が重要なのです」

「重要・・・なんでしょう」

「薬を飲む必要があるんです」医師は、繰り返し言った。「抗がん剤を服用が必要なんです」

「ああ、そんなことで・・」タチャーナは、ほっとしたように微笑んだ。

「ええ、そうなんです。そのことなんですが」医師は、一瞬ためらっていいにくそうに言った。「その薬は、わがソビエト連邦にはないのです」

「ない?!」

タチャーナは、意味がわからなかった。

「わが国では、薬学の分野は、まだ遅れているのです」

「ああ、神様」彼女は、思わず手を合わせた。が、すぐに気を取り直して聞いた。「どこにあるんです、そのお薬」

「調べてみました。アメリカにもありますが、最新では日本の方が進んでいます」

「にほん?!」

日本と、聞いてタチャーナの頭に浮かんだのは、ろくでなしの夫が、戦場から戦利品として持ち帰った人形だった。日本人のことは、まったく知らないが、あの人形から受ける印象は、繊細な民族だということである。わが国は、宇宙にまで人間を飛ばせるのに、薬づくりは日本人に負けている。ツアー時代、戦争に負けたという噂は本当かも知れないと思った。

「そうです。日本の薬ブレオマイシンが、よく効くとのことです」

「じゃあ、お願いします。その薬を、どうかディーマに」

タチャーナは、十字を切って頭を下げた。

「そのことで、実にいいにくいのですが、その薬は、とても高額なんです」

医師は、気の毒そうに言った。レニングラードの労働者階級の経済事情は知り尽くしているといった顔だった。

「高額!!」タチャーナは聞いた。「おいくらですの」

「それが、見当がつかないのです」ヤナーエフ医師は困った顔で首を振った。「あちらでも、日本でも、相当な額とききました。たしか円だと16万円以上すると・・・一ヶ月の生活費に匹敵する額とか」

「ルーブルだと・・・」

タチャーナは、ためいきまじりにつぶやいた。

実数は、わからなくても、とても家計からだせる金額ではないことが想像ついた。わが家には一銭だって余分なお金はなかった。

二人の子供を持つ息子のディーマだって、そんな余裕はない。日本円で16万円もする薬は、トロリーバスの運転手の家族には、あまりにも大きな額だった。

 

「母さん、あきらめるよ」

ディーマは、陽気にふるまった。家族のものにも、心配させまいとした。

「薬を飲んだからといって、治るとも限らないし」

しかし、家族の心配は、大きくなるばかりだった。

「どうしたらいいんだろうね」

タチャーナの毎日は、その呟きで明け暮れた。

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「アンドレイがいたら」元夫への愚痴もでるようになった。

重苦しい家の中が嫌で、運転手は外にでた。帰りは、またあの家に戻るのかと思うと気がふさいだ。が、今日は、めずらしく足を速めた。妻は、降誕祭の準備を終えて待っていた。ご馳走が並べられてあった。子供たちは、うれしそうに騒いでいた。ほどなくしてタチャーナが帰ってきた。夕食のとき、運転手は、ついでのように聞いた。

「そういえば、今日、バスの中から母さんとよく似た人を見たよ」

「あら、そうかい。世の中には、いるからね。他人の空似といわれる人が」

タチャーナは、そっけなく言った。

「私なんか、しょっちゅうセンナヤ広場であんたを見かけるような気がするわ」

妻は、皮肉っぽく言った。

「あそこには手術以来いってない。いまだって、こうして帰ってるじゃないか」運転手はむっとして言った。「

「だから、よく似た人の話でしょ。あんたが言い出した話じゃないの」

妻は、笑ってかわした。

「パパ、なんの話してるの」息子のアリョーシャがホークをにぎったまま聞いた。

「おばあちゃんを見たって」カチューシャが答えた。

「どこで」

「あそこさ、反動作家の館」

運転手は言った。

「はんどうさっかって」

「知らない」

「さあーさ、二人ともおしゃべりはいいから、早くたべてちょうだい」

妻のニーナは、せきたてた。

二人は、皿の残りを急いで詰め込むと、テーブルを立ってソファーに行った。テレビで日本製のアニメが始まるのだ。狭い家だが、子供たちはいつも駆け足だ。

ニーナは、運転手から、記念館の反動作家と我が家との関係を聞いていた。結婚して、しばらくしてバスのなかで、記念館を指差してよそ事のように言ったのだ。

「もしかしてだが、あの記念館の反動作家は、曾ジィさんかも知れないんだ」

「えっ!」彼女は、ひっくり返った。

彼女にすれば、大泥棒が自分の家系の人間だと言われたようなものだった。反革命作家、人民の敵。学校でさんざん悪口をいわれてきた人物の血筋。でも、正直いうと彼女には、よくわからなかった。国家がそういうから、皆がそういうから、そうなのか、ぐらいだった。

「親父が、あの逃げた親父が隠してたんだ」

「結婚する前に言ってほしかった」彼女にしてみれば、自分の愛が、そんなもので計られたのかと悲しかった。反動作家であろうが、なかろうが自分はディーマを愛して結婚したのだ。

子供たちが去った食卓は、急に静かになった。

「わたしよ」不意にタチャーナは言った。「ディーマが見たのはわたしよ」

「えっ、母さん、やっぱり」運転手は、口をあんぐりあけたままタチャーナを見た。そして、不思議そうに聞いた。「どんな用事で・・・」

あそこに行ったのか。まるで見当がつかなかった。

「お前も、知ってるだろ、あそこには、日本人がよく来ることを」

「知ってるさ、金持ちチビザルが金をばらまきにくるんだ」

「お前の病気に効く薬が、日本にあることは、前に話しただろ」

「ああ、知ってる」

「だから、お願いしてみようと・・・」

「な、なんだって、母さん!」運転手は、思わず声を張り上げた。「ばかばかしい。母さん、そんなみっともないこと、やめてくださいよ」

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子供たちが、びっくりして振り向いた。彼は、声を落として言った。

「あんなチビザルに頭を下げるくらいなら死んだほうがましだよ。なんだって母さんは、そんなことを、悔しくないんですか」

「だって、ディーマ。ほかにどこも、頼みにいくところがないんだよ。お前は嫌でも、もし何かあったら孫たちが可哀そうで。わたしゃ、この一週間、あちこち、算段に回った。でも、どこもだめだった。あそこが、お前と繫がる最後の糸なんだよ」

「母さん、まさか、旅行者に頼んだりしなかったよね。そんなことしたら革命政府の、わがソビエト連邦の恥になるよ」

「旅行者に、するもんですか、第一、おまえ言葉が通じないじゃないか」

「それもそうだ」運転手は、苦笑した。気持が落ち着いたようだ。「じゃあ、だれに」

「あそこのお役人に相談してみたんだよ」タチャーナは言った。「お前のことを知っている人がいるからね。そしたら親切に教えてくれたんだ」

「どんなことを」

運転手は、身を乗り出した。

「日本には、ペテルブルグの文豪の会というのがあるそうだよ。ここを詣でにくる人たちのなかには、その会員が多いといっていた」

「聖地めぐりのつもりか。まったく奇妙な連中だ」

運転手は、不愉快そうに吐き捨てた。

「事情を話したら日本人は、金持ちだから、力になってくれるかも、といってくれた。なんといってもおまえは血筋のものなんだからね。日本人は、ペテルブルグの文豪を神様みたいに思っているそうだから、と励ましてくれたよ」

「ふん、あてになるもんか」

運転手は、てんで信じなかった。

「明日は降誕祭。きっといいことがあるよ。偶然か、お前の曾ジィさまの作品に貧乏で可哀そうな子どもを書いたのがあるんだよ」

「チビザルに救われる話か」

「いや、キリスト様だよ。最後は、みんなキリストの子になるんです」

「なんだ、やっぱりだめな話じゃないか。キリストの子っていうのは死んだ子ってことだろ」

「あれはお話だかね。でも、こちらは真実だろ。キリスト様の力で、なにかいいことがありそうな気がするのさ。それで私は、その会にお願いしてみようと思うのさ。いいだろ」

「まあ、団体なら」運転手は、渋々頷いた。それから妙な顔をして言った。「へんだな文豪は、集団を嫌っていると話だったが・・・」

「そうかも知れないけどね。なんだって許してくださるよ、神様は」

タチャーナは、浮き浮きした様子で立ち上がった。

「それでお母様、あちらの、住所は・・・」

ニーナは、怪訝な顔で聞いた。

「ありがたいことに日本人は、丁寧に住所まで書き残していくんだよ。それも、日本語とロシア語で」

「まったく奇特なチビザルだ」

「善は急げだからね、エアーメールどこかにあったねえ」タチャーナは、探しはじめたが、ふと思い出したように立ち止まって聞いた。「日本は、どの方角だろうね」

「東だろ、あっちだ」運転手は、なげやりに指さした。

タチャーナはひざまずくと、その方角に向かって拝んだ。妻のニーナもつづいた。

「どうぞ願いがとどきますように」

長い長い祈りだった。部屋のなかには、二人の子供たちの明るい遊び声が響いていた。

外は、昔、文豪時代ペテルブルクと呼ばれたレニングラードの街に、雪がしんしんと降りつづいていた。 完

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【物語材料の後日談】 1981年1月6日、日本にある「ペテルブルグの文豪の会(ドストエーフスキイの会)」事務局に、レニングラードから一通の手紙が届いた。文豪の曾孫の母と名乗るロシア人の女性からだった。頼みはガンの特効薬プレオマイシン懇願だった。高価な薬だったが、多くの人の好意によって1月15日、差出人の手に届けられた。

このニュースは美談として1981年2月7日サンケイ新聞朝刊で報じられた。

 

ドストエフスキー殿

 

以上の内容であります。この冊子の物語が、貴殿の子孫解明に少しでも役立ったなら幸いに存じます

 

この話は、1981年2月7日付けのサンケイ新聞の記事をヒントに創作した。これまでドストエフスキーの血筋は絶えたと思われていた。が、この記事から直径の子孫が存在することがわかった。2004年、曾孫ドミートリイ氏来日、早稲田大学と東京藝術劇場で講演した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」開催のお知らせ

 

□月 日 2017年12月9日 土曜日

 

□会 場 池袋・東京芸術劇場第5小会議室

 

□時 間 1時半開場 2時開始 ~ 4時45分

 

□作 品 『悪霊』5回目最終回

 

□報告者 フリートーク

 

 

 

 

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