文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.332

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2018年(平成30年)1月15発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.332

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/25 10/2 10/16 10/23 10/30 11/6 11/13 11/20 11/27 12/4 12/11 1/15 1/22 1/29 

 

テキスト読み(志賀直哉・ドスト他) &熊谷元一研究

 

謹賀新年2018

 

今年はよい年でありますように

 

熊谷元一研究  熊谷元一写真童画記念館へのお誘い

 

人間の営みに接し、表現し続けた写真家・熊谷元一童心をテーマに描き続けた童画家・熊谷元一懐かしいあの日がよみがえる昭和の原像がここにある. 昼神. 阿智村を撮り続けてきた熊谷元一氏の写真展示しています。昭和20年代の写真などがあり、農村の記録としても貴重なものとなっています。「農村記録写真の村宣言」の村・阿智村にある熊谷元一写真童画館は、郷土を70年にわたって写真で記録し続け、また伊那谷のなつかしい生活を童画で描き続けた熊谷元一の作品を保存、展示しています。熊谷元一写真童画記念館HPより

阿智村を撮り続けてきた熊谷元一氏の写真を展示しています。昭和20年代の写真などがあり、農村の記録としても貴重なものとなっています。「農村記録写真の村宣言」の村・阿智村にある熊谷元一写真童画館は、郷土を70年にわたって写真で記録し続け、また伊那谷のなつかしい生活を童画で描き続けた熊谷元一の作品を保存、展示しています。さらに館では熊谷の農村生活記録写真を5万枚、データベース化しています。熊谷元一の記録写真や童画を通して自分たちの子どもの頃にタイムスリップしたり、なつかしい日本の原風景にふれることができるでしょう。思い出の玉手箱、熊谷元一写真童画館にぜひ一度、おこしください。長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷にあります。新宿から高速バス4時間

熊谷元一写真賞コンクール20回記念写真展

 

月 日 2018年5月29日~6月3日

会 場 JCIIフォトサロンクラブ25(東京・半蔵門)

 

満蒙開拓平和記念館情報 選者の三枝昴之さんの歌です。1月13日 夕刊
語ることは繋ぎゆくこと満蒙といふ蜃気楼阿智村に聞く

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【熊谷元一略歴】(『てんしんらんまん』解説冊子から)

 

熊谷元一(1909-2010)長野県下伊那郡阿智村に生まれる、戦前は小学校勤務、拓務省嘱託として満州開拓段撮影。戦後は、生涯小学校教師

《主な著作》

・写真集  『会地村』(朝日新聞)

・写真文庫  『一年生』『かいこの村』『農村の婦人』(岩波書店)

『農家の四季』『むらの写真先生』(家の光協会)

・絵  本  『わらべうた』(理論社)『ヤマノムラ』(教養社

『二ほんのかきのき』(福音館)

他多数

・伊那谷を描く(郷土本 秀文社)

『伊那谷のわらべ歌』

『伊賀良』

『黒田人形』

『天竜川のカワランベ』

『伊那谷のかいこ』

□ふるさとが生んだ【写真家・童画家】熊谷元一が、楽しい絵と文でつづる

大正~昭和初期の村の暮らし。(毎日出版文化賞記念出版)

 

熊谷元一の人生を変えた一冊

熊谷27歳のとき感銘を受けた本、見つかる !!

灯台もと暗し 所蔵・日本大学芸術学部図書館にありました。(破損部分有り)

 

板垣鷹穂著『藝術界の基調と時潮』六文館 1932

「グラフの社会性」1931・12・14-16 東京朝日新聞学芸欄

※板垣 鷹穂(いたがき たかお/たかほ、1894年10月15日1966年7月3日)は、美術評論家明治大学教授、早稲田大学教授、東京写真大学教授を歴任した。東京生まれ。文芸評論家の平山直子(板垣直子)と結婚。1929年『新興芸術』を創刊。1933年、明治大学文芸科教授[1]。モダニズム研究で文芸、美術、建築、文学にまで射程は広い。終戦後に早稲田大学文学部教授となり、最晩年まで教鞭を取った。HP

熊谷元一研究   2017年 熊谷元一関連資料入手

 

・熊谷元一童画カレンダー(昭和54年~61年)飯田中央農業組合 7点 鈴木藤雄様

・熊谷元一農協絵本シリーズ ふるさとと農業を見直す絵本 7冊(27頁)鈴木藤雄様

・画集『てんしんらんまん』16画 秀文社 写真保存会(岡庭一雄会長)から

・口演 戦没画家・市瀬文夫(無言館代表作品「黒衣の婦人」)台本記事 鈴木藤雄様

熊谷元一と市瀬文夫、飯田中学時代の親友同士。和歌山県で絵画教師だった市瀬は、召集され昭和19年2月20日ニューギニヤ・マダン島において戦死 享年29歳。

ちなみに警察官だった編集室下原の叔父・下原忠男(28)は、同年2月トラック島付近で戦死した。(詳細は作家山本茂実著『松本連隊の最後』角川文庫)

※口演は、2017・4・1 東京四七会にて行われた。講談・神門 久子 台本・牧内 冬彦

台本の全文は南信州新聞(2017・4/14 /17 /20 /26 /27)に掲載された

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ドストエフスキー関連  加筆と校正しながら完成させる1回目

 

連載1

 

小説ドストエフスキイの人々

 

庵 敦吾

 

はじめに

たとえば1931年に刊行されたエドワード・ハレット・カー著の評伝『ドストエフスキー』(1968年筑摩書房、村松達雄訳)にD・S・ミルキーのこんな序文がある。

「イギリスのドストエフスキー熱もかなり衰えてきた。もう彼を預言者とみるといったような問題も全然なくなった。特に彼に関連しての心理学的問題も今日ではかってのように人々の心を惹かなくなったようだ/今日では彼を小説家以上のものとみないことで満足するようになった。これまでの彼に関する書物は、多少ともすべて古くさいものになってしまった。/真の近代思想というべきものは、ドストエフスキーの影響を受けておらず今後とも受けないであろう。少なくともロシアにおいては、近代的精神はドストエフスキーにはなくチェルヌイシェフスキーにあるということはあきらかに理解されている。

(ユートピア=社会主義の国と思われていた)

 

※ミルスキー(18901938?)30年代に粛清 ロシアの批評家、著書『ロシア文学史』

※チェルヌイシェフスキー(18281889)ロシアの批評家、小説家、農奴制の徹底的一掃主張。シベリア流刑。長く革命的青年層に影響を与えた。(文学小事典)

 

しかし、ドストエフスキーは今日まで営々と読み継がれてきた。或る時は盛大に、またあるときは密やかに議論され、考察され、語り継がれてきた。時代の止みを照らす預言者として、人間社会の警鐘者として世見つづけられてきた。そして、その評価は今も昔も変わることはない。1922年ペレヴェルゼフは革命さなかのロシアで「現下においてこそ、ドストエフスキーを想起し」と訴えた。1969年日本において「明治以後のわが国知識人の精神史に、ドストエーフスキイ文学のあたえた影響は、今日にいたるもその持続度と深さにおいて、他に類をみないものがある」として「ドストエーフスキイの会」が誕生した。このとき自然発生的に「ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会」ができた。1971年に「国際ドストエーフスキイ学会」が設立された。1993年、ロシア文学者江川卓氏は講演《ドストエーフスキイと現代》で「現代のロシアは大審問官の縮図である」と、総括した。それは今のプーチン政権下のロシアにおいても同様といえる。

ドストエフスキー没後137年激変する新世紀はじめにあってドストエフスキーの予見はますます人類の行く末になくてはならないものになっている。

さて、これからはじまる物語は、この偉大な作家フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエーフスキイその人と、彼が残した多大な作品群に憑かれた人々のお話である。

尚、この物語はフィクションです。現存する如何なる団体とも関係ありません。

(この作品は20数年前清水正発行「D文学通信」掲載に加筆・校正したものです)

 

※ベレヴェルゼフ(1882~1968)ロシアの文芸批評家。1912年に『ドストエフスキーの想像』(長瀬隆訳)を刊行した。この中に「ドストエフスキーと革命」がある。

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連載1回目

小説ドストエフスキイの人々

一、今日的名曲喫茶

 

ときは平成、春弥生、ここは東京池袋、天にそびゆるサンシャイン、へいげい足下のちまたにはネオンの海が広がれど、かって昔に三奈嬢が妖しく媚態に歌いたる、彼のため息の街ならず。時の移りにドヤ街も今は変わりてモダン都市。若人集う街角にマルメラードフ今いずこ。旧きをたずね彷徨えば、未だありなん昭和の遺跡。レンガ造りの外壁に蔦のからまる北欧古城。これぞなつかし名曲喫茶、しばし憩わん春の宵。

 

画・モモ

 

――と、いうわけで平成はじめのある春の夕、私は所用で池袋に行った折り、JR池袋駅から人ごみをかきわけ、久しぶりに昔馴染みのその珈琲館に入った。店内は、夕刻どきの混雑に呼応するかのようにビゼーのカルメンが高らかに鳴り響いていた。しかし、名曲喫茶も今は昔。近頃はたんに若者たちの待ち合わせ場所になってしまっていた。見る限り、うっとり名曲に聴きいる客も、酔狂に一人愁いて孤独にひたる客もいない。ロココ風の店内は一階、二階とも若いカップルや学生グループの笑い声、叫び声が洪水のように溢れていた。加えてこれに負けじとボリュームいっぱいにあげた音響。店内は、まさに闘牛場さながらの騒々しさであった。が、これも時世とあきらめて、あのねずみ男のよぅに「世界など滅びてしまえ」と一杯のコーヒーをすするほかなかった。

ところが、店内を見まわすと三階だけが、ちと様子が違う。一階二階の喧騒をよそにひ

っそり閑と静まり返っている。上がって行く客もいない。そのわけは階段口に貼られた一枚の紙にあるようだ。「三階は、『ドジョウの会』様貸し切り」と書かれている。はてさてドジョウの会とは、これ如何に。私ならずとも興味を引こうというもの。ドジョウといえば安来節。その集りでもあるのだろうか。しかし、和風の料理店ならいざ知らず、民謡とはほど遠いこんな店で…、首を傾げながらも思わず失笑がでる。同じことを思い浮かべる客もいるようだ。上がろうとして立ち止まり張り紙をながめていた若者二人、どっと笑うとドジョウす

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くいの恰好をしながら引き上げていった。それにしても、全フロアー貸し切っての集りとは、よほどの人数のはず。だがしかし、三階は明かりはあるが人けなし。深山幽谷のごとしである。

ドジョウとは、いったい何の会であろうか。暇人というほど暇ではないが、所用も済んだし、気になって仕方がない。いらぬ節介、野次馬根性だが、ちょいと観察してみることにした。そんな酔狂が、この物語のはじまりである。

その前に、主な登場人物を紹介しておこう。

 

□夢井信吉 ドジョウの会の地方会員   □大野キン子 女子大生

□渋川哲春 ドジョウの会顧問      □丸山茂喜 ドジョウの会事務長

□浜島 敬 ドジョウの会の会計係    □小堀清人 ドジョウの会の会誌編集長

□石部健三 ドジョウの会の会計監査役

 

二、ドジョウの会

 

明かりはあるが人けなし。深山幽谷のごとしとはよくいった。それもそのはずであった。三階の店内には、たった五人の男性客が中央にテーブルを寄せ集めてつくった会場で人待ち顔でだんまり座っているのみ。彼らの年齢は白髪の一人を除いて中年から初老にかけてといったところ。服装は背広姿の御仁もいれば、ブレザーありジャンパーありのそれぞれである。が、皆一様に黙して語らずで、沈みきった雰囲気。間違っても安来節では、なさそうだ。

普通、集った顔ぶれをみれば、かのシャーロック・ホームズやポリフイリー判事でなくとも凡そのところ見当がつくというものだが。この御仁たち、如何なる集まりか、推測し難たいことこのうえもない。例えば年齢から想像つくのは会社の同僚、同級生、はたまたゴルフ仲間に町内会といった感じである。全フロアー貸し切りでテーブルに二十近い椅子が用意されているのをみると政治団体とも宗教団体とも思えるのだが、その手の会合にみられる覇気がない。考えればかんがえるほどわからない。そもそも「ドジョウ」とは何か、まさか一歩譲って柳川鍋をつつく会かも。が、土鍋もコンロも用意されてない。さすがにそれはないようだ。

この閑古鳥鳴く会場に、さっきから長髪をポマードで固めた背の高いボーイ君が、調理場のある、階下から再三再四あがってきては、一つ覚えの九官鳥よろしく

「お飲み物はどういたしましょうか」と、繰り返していた。

その都度、石地蔵のように黙りこくっていた彼らは、尻をつつかれた昆虫のように、緩慢に顔を見合した。この度も、一斉に互いの顔を見合わせていたが、そのうち階段口に座っていた体の大きな背広姿の御仁、つまりこの会の事務局長でもあり今夜の幹事、丸山重喜という霞ヶ関のさる省庁に勤めるお役人だが、おもむろに腕時計を見つめたあと、少し裏返った声で困惑げに

「どうします、みなさん」とたずねた。

しかし、皆といっても四人だが、彼らの反応はいたって鈍い。名ばかりではあるが会の会計担当をしている実直そうな御仁、浜島敬、通称ケイさん。年のころ三十五六の御仁、と一番若そうな御仁、編集委員の肩書きをもつ小堀清人、通称コボちゃんだが、二人は同時にふっと情けないため息をもらすばかりだ。一人、落ち着かない御仁がいる。こちらは監査役で会きってのうるさ型、石部謙三、小さな印刷会社経営者、社長と呼ばれているが、その彼も、さすがいまは返答に窮して苦虫を潰し貧乏揺すりするのが精一杯といったところだ。こんな気詰まりのなか、一人のんきに構えているのはこの会の顧問を引きうけている白髪の紳士。都の東北X大の渋川哲春教授。槍が降ろうと白川夜船。席に着いたときから頬杖枕である。

しかし、今度ばかりはおめおめと引き下がれるものかと、ノッポのボーイ君、直立不動で

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よき返事を待っているのである。そんな決意もなんのその、相変わらずの五人衆である。な

んというルーズさ、煮えきれなさ。もうとっくにこのパーティの開催時間は過ぎているのだ。ラストオーダーの時間というものがある。なんとしても、もうはじめてもらわなくては困るのだ。ボーイ君、とうとう痺れをきらして申し出た。

「あのう、何時ごろからはじめられるでしょうか。お時間はとっくに過ぎておりますが」

無理につくった笑顔が引きつっている。

だが、皆からは相変わらず返事なし。曖昧模糊としてのだんまり戦術。幹事の丸山一人が弱りきって、額の汗を拭うばかりだ。気まずい沈黙だけが卓上のすっかり冷えてしまったフライトポテトやから揚げの上を漂うばかりである。

「そろそろお飲み物、お持ちしてもいいでしょうか」

次の予約もある。ボーイ君、慇懃無礼に事を運ぼうとするつもりらしい。

が、このときさすがの昼行灯。渋川教授、いきなりひょいと顔をあげると、その仙人のようにのびた白髪をかきあげ

「もう少し、待ってもらいましょう。もう少し」と問答無用の寝ぼけ声。それだけ告げると元の狸か狐の眠り。

納得いかないのはノッポのボーイ君だ。このあと、本当に誰かくるんですか、と言いた

げにピクリと頬を引きつらせた。だが、店のオーナーが教授の教え子と聞いているだけに露骨に嫌な顔もできず、ここは微笑して

「それでは、もう少し皆様がそろいましたら」と馬鹿丁寧に頭を下げてそそくさと引き上げていった。

ボーイ君の姿が階段の下に消え去ると、一同ほっとして安堵のため息。店内は、ふたたび洞窟のように森閑として、階下のにぎわいだけがやけに大きく響いてくるだけ。そんななかで皆の胸内に一つの疑問。いまの渋川教授の言葉である。

もう少し待つとは、あてでもあるのか。もしかして大勢さんの約束でもあるのか。だが、再びの頬杖枕の教授に確かめるわけにもいかず、てんでに思いをめぐらせていた。

「来ませんねえ、ほんとうに・・・」小堀は考えの重さに耐えきれなくなってつぶやいた。もう何度目の嘆息か。「来ませんねえ・・・」

一体だれを待つのか五人衆。宵の帳は濃さを増すばかりである。

 

三、そして誰もこなかった

 

「これは由々しき問題ですぞ!」突如、浜島が吐き出すように言った。「もしだれもこないとすると、これだけの場所を借りきっているんですからねえ」

名ばかりとはいえ、さすがに会計係りである。はじめのうちは冗談ぽかった彼の声もいまではすっかり深刻味をおびている。

「うーむ、こんなことだったら料理の方は頼まなくてもよかったですねえ」丸山は背広のボタンがちぎれ飛ばんばかりに太ったからだを傾げて後悔しきり。

「しかし、誰も来ないということはないでしよう。いくらなんでも、地方の会員は仕方ない

としても東京近辺、その気があれば来れる会員は百人がとこいるんだ。それに、今日のは、ただの総会じゃあない、緊急の特別会議なんだ。会の存亡がかかった」石部は吐き出すように言って乱暴に席を立つと、落ち着きなくテーブルの周りを歩き始めた。性格が直情径行の石部には、もうこれ以上イライラを押さえきれないといった様子だ。ひとりごとを繰り返し自分に向かってぶつぶつとぶつけている。「しかし、誰も来ないなんて・・・しかし」

「いやあ、この分じゃあ、ありえるかも知れませんよ。むしろその方が確率的に高くなっているでしょう。この後に及んでは」

丸山は、お役人らしい見通しで諦め口調で言った。

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「あり、ありえるだなんて、事務局長!」石部が目を剥いて怒鳴った。「冗談じゃあないで

すよ。出席者がゼロだなんて、縁起でもない。もし、そんなことになったら、私んとこの印刷代はどうなるんです。会はなくなったって、またつくればできますがね。借金は残ります

からね。役員意外の会員に一人でも出席してもらって意見を聞いてみたいですよ。まったく」

「石部さん、またまたそんなことを言い出して。仕方ないじゃあありませんか」浜島は、

手持ち無沙汰に電卓をたたきながらたしなめるように言った。「こればっかりは、どうしょうもないんじゃないですか。天災とおなじで仕方ないですよ」

「仕方ない!君い!仕方ないで済まされる問題じゃないよ。のんきなことを言ってちゃ困るよ。会計係りが」

「じゃあ、どう言えばいいんですか」浜島は気色ばんで言った。

「そのう、あれだ・・・」石部は、ちょっと返事に窮したあと語気を荒げて言った。「・・・だから仕方ないはないだろう。仕方ないじゃあすまされませんよ」石部は禿げ上がった額を真っ赤にさせてつづけた。「だいたい私は反対だったんだ。いまどき、この手の雑誌を創刊したって成功するはずがないってことを。この手の論文ものは売れるはずがないってことは分かりすぎるくらいわかっていた。全学連はなやかし頃のふた昔前だったらいざ知らず、いまじゃ時代錯誤もはなはだしいもほどがある。それで、私は、はなっから乗り気ではなかったんだ。ある程度、予想がついてたね、こうなるんじゃないかと」

「えっ!本当ですか!」浜島は素っ頓狂な声をあげた。「わたしは初耳ですよ。社長さんが今回の出版に関して、そんな見識というか見通しをもっていたなんて。事務局長、そんな意見ありました。あのとき」

「あの編集会議でしょ。一切ありませんよ。そんな話は」丸山はきっぱり言った。「あるもないも雑誌の発行は、全員が、賛成でしたよ。慎重論さえでませんでした。それに、わたしの記憶するところでは石部さん、だいたいにあなたが一番に乗り気だったですよ。ドストエフスキイは今日、この過渡期の時代にこそ必要だとか、広く社会に宣伝して現代文明警鐘の書としなければならないとかなんとか一席ぶったじゃないですか。なかなか名演説でしたよ」

「そうそう、ビデオやマンガに溺れる飽食日本の若者の目を覚ましてやるのだと意気込んでいました。覚えていますよ」

「ほお、そんなこと言いましたっけ」石部は他人事のようにおどろいたふうをみせて言った。「あのときは世評を言ったまでですよ。別に雑誌の件で言ったわけじやない。もしかしてドストエフスキイは現代に必要だとは言ったかも知れませんが、それは雑誌を刊行するしないで言ったことじゃあないですよ。とにかく、わたしは創刊号をだすことについては最初から慎重論でしたよ。危惧してましたよ。結局のところしまいには、こうなるんじゃないかと、みえてましたてよ。そりゃあ、わたしはしがない印刷屋のおやじですがね。それでも一応、経営者だ。だいたいのところは予期できますよ。まあなんというか、事業家のカンというか・・・それがありますから」

「はあ、そうですか・・・それはたいした予見で」浜島は半ばあきれた半ばからかい口調で言った。「しかし、あのとき1万部以上のベストセラーにするなんて大風呂敷をひろげた

人はどなたでしたっけ。おまけに後から足らないと困るとかで百部も追加印刷したのはいったいどこのどなたでしたか。おまけに、自分とこの工場をビルに改築するなんて、ちゃっかり胸算用までしてたじゃないですか」

 

四、それぞれの夢

 

「ほう、たいした記憶ですな。そんなこと言いましたか。いい加減なこと言ってもらっちゃ困ります。しかし、百歩ゆずって、言ったとしても、たいして驚きませんよ。たとえ、そん

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な大法螺吹いたとしても当然じゃないですか。会の存亡をかけてなにかやろうとしてたとき

ですからね。一か八か、望みはでっかくですよ。大ボラ結構じゃないですか。ハハハ」石部は、指摘された、自分の発言を吹き飛ばすかのように声だかに笑ってハゲあがった広い額を

平手でピタピタ打ってから、人差し指を浜島に向けて逆襲する。「そういう話ならわたしだって覚えていますよ。浜さんあんただって、あのときは随分はしゃいでいましたよ。『白痴』を撮った黒澤明監督に掛け合ってドストエフスキイの伝記映画を作るんだって相当の熱の入れようだったじゃないですか。われわれ、「ドジョウの会」が制作に加われば日本アカデミー賞だって夢じゃない、そんな途方もない妄想にとりつかれていたじゃないですか。そこにいくとわたしの工場のビル建設計画なんか可愛いもんです。浜さんのに比べたらささやかな夢ですよ。極めて、現実的な」

「なにが現実的ですか」浜島は顔を真っ赤にして言った。「妄想じやありませんよ。ボクは今でも思っていますよ。石部さん、あなたのように何部売れて儲かったらビルをつくろうなんて、そんな卑しい気持ちじやないんです。今回の創刊号で一段落ついたらドストエフスキイの愛読者を増やすために黒澤監督だけじゃあなしに世界中のドストエフスキイ監督に手紙を書いて協力を要請する計画だって小堀君とたてていたんだ。現に実行しようとしていたんだ。なあ小堀君」

「え、ええ、まあ、茶飲み話ですけど」

小堀は照れくさそうに小声で言って頷いた。顔が赤くなった。

「ほう、そりゃあまた結構なことだ。そんな壮大な、そんな遠大な計画をお二人でたてていたというわけですか。まことにすばらしい。わたしのビル建設計画なんか、みみっちいもんですな。吹けば飛ぶような夢だった。こりゃまた失礼しやした」

「まあ、いいじゃあないですか。どんな非現実的な夢だって。あのときは誰もが夢をもっていたわけです。だからこそ創刊号を刊行できたのです。そうホメ殺しするような言い方もないでしょう」

丸山は幹事らしく割って入る。

「ホメ殺し、なにもそんなつもりじゃありませんよ。本当にたいした計画だと感心したまでですよ」石部は鼻をならしてどっかと椅子に腰を下ろした。そして、腕組みをしてふん

ぞり返ると貧乏揺すりをはじめながら矛先を丸山にかえた。「そういえば、丸山さん、事務局長だって、相当に張り切っていたじゃないですか。成功したあかつきには二十五周年記念を兼ねて新宿西口の高層ホテルで大々的に出版パーティを打ち上げるなんてほざいてたんだから。忘れたなんていわせませんよ」

「ああ、社長さん、よく覚えていらっしゃる。はいはい、否定しませんよ。確か、そのようなことを言ったように記憶しています。なにしろあのときは出航まえですからねえ。みなさんすっかり舞いあがっていたし。もしかして、これを契機に会の運命が明るい方に拓けていくんじゃないか。そんな希望というか期待がありました。『世界ドストエーフスキイ友好協会』設立へ向けて一歩前進。そんな思いがありましたからね。だから、事務局を預かるものとして盛大に記念行事をやりたいぐらいの挨拶はやりますよ。私としても、本当にそれが夢ですからねえ」丸山はダンゴ鼻を膨らませ些か興奮気味に言った。

「ほんとあのときは、皆さん張り切っていましたよね。聴衆こそいませんでしたが、ぼくなんか、あのプーシキン記念式典のドストエーフスキイの講演を思い浮かべました」小堀は懐かしげに、しかし感傷を含んだ声で言った。

「ああ、それなのに、それなのに、か」突然、浜島は歌いだすと大声でつぶやいた。「そして、悲しき、祭かな、か」

「ベストセラーどころか、このていたらくだ」

「しかし、何の批評もないとはねえ。まさか新聞にも批評家連にもまったく無視されるとは思ってもみなかったです」

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「近ごろは、見る目のあるやつがいないんだ」石部は憤然として言った。

「まあ、売れる、売れないは仕方ないとしても、せめて記念行事だけでも敢行したかったですね。我々一人一人に違った夢があって、その夢でせっかくちゃんとした本をだしたのだか

ら,お祝いぐらいはしたかったね」浜島は残念そうにため息をつくと愚痴った。「そもそも、その資金ぐりを創刊雑誌の売上から得た収入で、なんて考えたのが甘かった」

「わたしんとこのビル建設計画に、浜さんの伝記映画製作、それに丸山事務局長の出版記念パーティ計画・・・おつ、小堀君のを忘れてたよ。浜さんと映画協力の他にあっただろう、えーと、なんだっけ」

「いいですよ。ぼくのは」

「それはないだろ、われわれのホラをさんざん披瀝させておいて。自分ばかり恰好つけようと思っても、そりゃだめだ」

「あっ、おもいだした」浜島が叫ぶ。「ビルだよ。ビル」

「ビル?なんや」

「ビル建設やで、でも、石部社長のビル建設計画とは、違いまっせ、コボちゃんのは日本ドストエーフスキイ会館の建設計画」

「おお、そうだった。何、わたしだって、自分の工場のことばっかり考えていったんじゃあない。当然、ビル家屋の中に、『ドジョウの会』事務局の部屋をつくることにしていた」

「ふん、ほんまですか。社長はすぐこれだ。調子いいんだから」

「何です!」石部は目をむく。

「まあ、皆さんの夢はさておき、もしこの本がベストセラーにでもなっていたら今ごろは、すごいことになっていたでしょう。たぶん、ホテルの大広間は日本全国から全会員が集まっただろうし、各界のドストエーフスキイ関係者で大盛況間違いなしだったでしょうな。なにせ二十五年前この「ドジョウの会」を発足させたときはすごかったですからねえ」丸山は華やかなりし当時を思い出して感慨深めになつかしむ。

「栄枯盛衰とはよくいったもの、いまでは、未だ来ぬ会員を待ってボーイが注文をとりにくるのを冷や冷やしている始末。まさにこれを喜劇といわずして何というですな。ついこのあいだまでは、何人かの会員の参加者があったのに・・・それが・・・」浜島、店内を見回しうそぶく。「国敗れて山河あり、はたまた、つわものどもが夢のあとか・・・」

「ふん、浜さん、夢の跡でも、山河でもあればいいですよ。あれば。何か残っていればいいですよ。それを元手に何かできますから。夢の跡なら、思い出話しになるし、山河なら観光地にもなるし、百姓だってできる。しかし、我々の場合、何も残っちやいない。何もない。いや違う。我々の場合、残っているのは借金の山だ。ゼロどころか大マイナスときている。これじゃあ、なにかはじめようにもどうにもならん。おまけに頼みの綱の会員も目下のところ一人も出席せずだ。この調子じゃあ本当に誰も来ませんよ。これ以上いくら待ったってしょうがない。そろそろ、今後を含め、どうするか話し合った方がいいんじゃあないですか。もうこれ以上タラネバの話しをして悔やんだってしょうがない」石部は落ち着きなく貧乏揺すりをはじめると、断固たる態度で言い放つ。「いったいどうするんです。いくらなんでも私んとこだけが尻拭いするのはごめんですからねえ。このままでいくと・・・」

「ええ、わかってますよ。そんなことがないようにと、こうして臨時会議を開いたんじゃないですか」浜島は苦虫をつぶして言うと丸山を見て苦笑いする。二人とも石部にその話しを持ち出されるのはうんざりといった顔だ。

「え、ええ、まあ、茶飲み話ですけど」

つまるところ話しは責任転嫁の堂々巡り、会話のいきつく先はいつもここ、積もり積もった借金の山。一同、ふっと思い出すと、これまでの好き放題の会話はどこへやら、気がついた現実の重さに口をつぐんだ。石部は口をへの字にへし曲げ再びがたがたと貧乏揺すりをは

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じめれば、浜島は何度計算し直しても同じ数字しかでない電卓を恨めしげに見つめるばかり。幹事の丸山は階段口を睨んだまま時折長いため息わもらすだけ。本当に眠ってしまったのか渋川教授は化石のように動かない。またしても卓上は重苦しい空気がよどんた゛。階下の賑やかさが余計にその静けさを煽った。

「す、すみません!」突然、小堀が叫んで立ちあがった。一同、ぎょっとして見つめるなか彼は頭をテーブルに打ちつけんばかりに下げて詫びた。

「すみません。みんな僕が悪いんです。僕が間違ってました。この軽薄短小の時代にドストエーフスキイをひろめようと思ったのがね間違いの元でした。いまこそ人類にとってドストエーフスキイが必要だなんて、そんなことを一人よがりに信じきっていた僕が浅はかでした。僕が、最初に本を出版すべきだなんて言い出さなければ。皆さんに迷惑かけることなかったんです。会をこんな状態にすることはなかったんです。本当に、なんて謝ったらいいのか」

「いやあ、困るよ、小堀君、そんなこと言い出しちやあ」丸山は苦りきった顔で行った。「誰もあなたの責任だなんて思ってやしないですよ。ドストエーフスキイを読もう会通称ドジョウの会は発足以来二十五年、当初の華々しさはありませんが今日までなんとかつづけてこれた。その記念碑として、これまでの同人誌的なものではなく、ちゃんとした本を出版したい、、そうした気概というか、意欲は我々の誰にもあったのです」

「そう、その通り、事務局長の言う通りだ。何も小堀君一人が責任を感じることないよ。」浜島も口添え。「ちゃんとした本を出版するというのは夢でしたからね。我々の、このドジョウの会発足時からの念願だった。まだ盛会だった十周年のときも出版の話しはでた。しかし、ここにいらっしゃる渋川先生が一番ご存知だと思うのですが、あの頃は船頭多くして船うごかずでね。いろいろな案がだされたが結局はまとまらなかった。個人的に出版された方もいましたが、会ではとうとう刊行できなかった。そして、いつかそのうちにと、そのうちにと思っているまに年月だけがたってしまって。会員も当初は三百人近くいたのに、会を重ねるごとに一人減り、二人減りで、いまでは、結局、ちやんとした会員は百名をきってしまった。が、それでも我々はあきらめていなかった。だから、今回の出版だって内面積極的だったのは、会の創設に関わった我々だったんだ。でも、先細る一方の会の実態に、はっきり言い出せなかった。だから、誰かが言い出すのを待っていたんだ。だから、ちょうどよかったんです小堀君の提案は」

「そういうこと、私もいつか切りのいいときに言い出そうとおもっていてた。だから、この問題はコボちゃんが言い出したからとかとか、どうのってことじやない」

「そう言ってもらえれば・・・」

小堀は消え入りそうな声で言って、腰をおろした。

彼は、もと地方都市に住んでいた。半年に一回東京都内の会場、主にW大の渋川教授の研究室だが、そこで開かれる例会に新幹線で上京し出席していた。その熱心さをかわれて会の会報の編集担当になり会報の編集を任せられた。すると彼は持ち前の責任感の強さから、都内に職をみつけ引っ越してきた。小柄だったが、ことドストエーフスキイにかけては誰にも負けないほどの心酔ぶり、かって詩人萩原朔太郎は「ドストエフスキーこそ私の神」と叫んだが、彼も詩人に劣らず、ほとんど信仰のようにドストエーフスキイを信じ、青春のすべてを会の活動に捧げてきた。啓蒙につくしてきた。二十五年のあいだ。しかし、その苦労は報われなかった。今日、今晩の状況が、そのことをものがたっている。彼が費やした時間と努力は水疱に帰した。会は衰退の一途をだどり、今宵終点をむかえるかも知れないのだ。彼が会で唯一の収穫は以前例会の会場にしていた新宿の談話喫茶で、その店の予約係りだったウエイトレス嬢と付き合いはじめ、昨年秋になって遅い結婚わしたことだった。近くに子供も生まれる予定である。新しい生活と念願の出版。二つの喜びにつつまれていた。

そうした諸事情や意気込みを知っているだけに慰めようもない。皆は言葉を失って口をつぐんだ。卓上にはふたたび重く沈んだ空気だけがよどんだ。

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「ああ、せっかくの記念碑が墓標になりやあ世話ないや」

突如、石部が半ば自棄っぱちのように声をあげた。

「起死回生のつもりが、アリ地獄とはねえ」浜島も首をひねってこぼす。「いったい、何がまずかったのかねえ」

「題名だよ『ドストエフスキーと世紀末』、どうみてもありきたりだよ」

「そうかなあ、世紀末ということでかなりインバクトありそうだが・・・」

「読みませんからねえ」不意に渋川教授がむっくり顔をあげて言った。てっきり眠りこけているものと思いこんでいた一同、ぽかんとしてみる。教授、すまし顔で、テーブルの上にはずしておいていた眼鏡をとると、テーブルクロスの端でレンズをぬぐいながら言った。「近ごろの学生は、ドストエフスキーどころか、古典文学などほとんど読みませんよ。作家と作品は受験対策で覚えたんでしょう。誰が何を書いたか、、それなりに知ってはいますが、いわゆるクイズの答えですよ。中身の方はさっぱりですね、たまに読んでいるかと思うと、これが解説書かあらすじをただ教養のために暗記したというだけでねえ。とてもドストエーフスキイを読むなんてとこにはいきませんよ。まあ、日本の学生に、限ったことじゃありませんがね。ドイツではゲーテを読む学生がいなくなったというし、イギリスではシェクスピアーも読まれなくなったといいますからね」

「我々の時代とねどこが違うんです」かっては学生運動の闘士だったという浜島はなっとくできない顔だ。

「ほかにすることが、といっても遊び事ですが、多くなったんですよ。それに当節は無理して考えなきゃあいけない政治問題も哲学的なこともありませんしね。世の中、軽いノリで流れてますから、ドストエーフスキイのようなくどいものはちょっとね。それに今はなんでもマンガですよ。政治も経済も法律も。活字族にとっては嘆かわしいことかも知れませんが、若者にとってはわかりやすくていいんですよ」

「そういえば、うちの庁内でも見かけましたよ」丸山が頷く。

「えっ、法務省で、ですか?!」

「新人の机の上に、見なれない本が置いてあるんで、ちょっとのぞいたら、これがマンガなんですよ。狭山事件っていうのがあったでしょ。作家の野間宏だかが協力して冤罪を訴えていた」

「どんな事件でした」

「ほら、狭山のお茶畑で警察が犯人を取り逃がして後で別件逮捕した」

「ああ、」

「えーと、吉展ちゃん事件があった年に起きた事件。あの事件ですよ」

さすが、本業とあって詳しい。

「へーえ、お役人もねえ」

浜島は腕組して感心する。

「文学書で抱えているか読んでいるものといったら、ばななか、春樹、それに何とか探偵シリーズぐらでしょう。変わりましたよ今の学生は、もっともあの東大紛争のころだってマンガは読んでいましたが・・・」

「それは、マスコミのアレですよ。我々を揶揄せんとするプロパガンダ。そんなようなもんですよ」浜島は失笑池沼しながらも心外といわんばかりに言った。「たしか、右手、左手だったか、忘れちゃつたけど『朝日ジャーナル』、左手に『少年マガジン』そんなふうに言われてた時代があったのは事実です。白土三平の『忍者武芸帳』が若者たちに人気あった。それに、あの「よど号ハイジャック事件」田宮なんか、『我々は明日のジョーである』なんちゃって言葉を残していますしね。否定はしませんよ。いまの学生とたいした違いは内かも知れない。しかし、心意気というか姿勢だけはあった。読まなくたってジャーナルを買うことが一種のステータスだった。だから今の学生とは全然違いますよ。ドストエフスキーが読ま

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れなくなったのがいい証拠じゃないですか」

「そうですね。時代が悪かったかも知れません。一昔、いや二昔前だったら、状況は違っていたでしょうね」

「ち、ちょっと待ってください」石部が割って入った。「事務局長、時代のせいばかりじゃあありませんよ。さっきから黙って聞いてりやあ、本が読まれなくなったの、学生はマンガしか読まなくなったから、だのと勝手な詮索をしていますが、商売、他人様のせいにしたらおしまいですよ。創刊号を出したといったって、我々、これ趣味や道楽で出版したわけじゃないですからね。累積した赤字を解消しょうとして、一発逆転を狙って、極めてギャンブル的ではあったが、儲けることを目的ではじめたわけだから、責任はあくまでも我々にありますよ。もう少し、検討すればよかったんです」

「-―――と、いいますと?」

「内容ですよ。内容」石部はテーブルのなかほどに山積みしてある創刊号『ドジョウ時代』を一冊手にとるとペラペラめくりながら言った。「売れなかった。たしかにいまどき、こんなものは売れないでしょう。時代の風潮ってものもありますが、それならそれで対策を考えればよかったんです。まあ、私は編集委員じゃあないので黙ってましたが、一般読者を対象とした読み物にしては難解過ぎますよ。これはどう見たってロシア文学専門家かドストエーフスキイを研究している人を対象にしたものですよ。とても一般読者が手にとるような代物じゃあないですよ。小林秀雄や中村雄二郎、それに・・・誰だっけ・・・まあいいや。最近、評判のよかった江川卓の『謎解き「罪と罰」』や『謎解き「カラマーゾフの兄弟」』にしたって作者の知名度が売れ行きにかなりプラスに働いているのは否めないです。そりゃあ、まあ、これまでドストエーフスキイものを出版している著者は研究者か作家ですから比較にはなりませんが、もし我々が、作家先生たちとまったく同じものを書いたとしても、だめでしょうね。私らみたいな、無名のドストエーフスキイ愛読者が世間に勝負するんなら、もっとわかりやすいものにすべきだったんですよ。今度の創刊号は、できたものに言っちゃあ悪いが、どうサバ読んだってドストエーフスキイを読んでないものにとっちゃあ、ちょっと手のでないしろものでしょう。敬遠しますよ。題名だって『ドジョウ時代』でよかったかどうか」

「意外ですね。石部さん、あなたの提案ですよ。親しみやすいもの、意表をつくものがいいと、会の名前をつけることにしたのは・・・」

「そうですか。まあ、題名はいいでしょう。芸名と同じで、売れればぴったりするし、売れなければ、しっくりしない。『ドジョウ時代』も売れればぱっとするのかも。それより本は中身ですよ。中身がよければ・・・もっともここが問題なんですよ。たんに何か見がいいだけじゃあだめなんです。本を出版する場合、いわゆる儲けを考えたら鉄則があるんですよ。たとえば科学書を一般向けで売ろうとしたら、科学記号を少しでも減らすことに努力するといいますから。COとかH2Oとか、わけのわからん方程式とか、一般読者にはチンプンカンプンですからね。そういうものを一つ入れるたびに本の売れ行きは半減するっていわれている。この轍を踏むとゴリャートキンとかスヴドリガイロフとかバフチンとかの名前も同じこと、店頭で本をひろげた途端、こりゃだめだってことになる。とても買ってまで読もうとしないよ。もっと気楽に、より一般読者がわかるように。だいたいドストエーフスキイの作品人物は小難しい人間など一人も登場しないんだ。下っ端役人か、酔っ払い、それにちょっと頭のおかしい人間、といった社会じゃあどうにもうだつのあがらない連中ばっかしだ」石部は言ってから苦笑いして。「我々も似たり寄ったりですが・・・それなのにドストエーフスキイものきはなぜか難しいものになっちゃう。これは一体、どういうことなんでしょうなあ、前々から疑問に思っていたんだ。社会の落伍者をなぜこうも哲学的に心理学的に難解に論じなきゃあいけないのか。『貧しき人々』のヂェーブシキンなんかよくいる寂しいおっさんだし、マルメラードフに至っては下の下の父親、いや人間ですよ。こんな人間のことを何だかんだと議論の対象にすること自体、私は本当いうと我慢ならんですよ。だいたいマルメ

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ラードフなんかあの保険金欲しさに娘を殺した木下伝司郎と五十歩百歩。たいして違いがないんです。だから奴の言い分や存在理由なんか分析する必要なんかないね。たんなる悪党、ダメ人間。で、いいじゃあないか。なにも難しくすることなんかないのだ。そこんとこをちゃんと解決してから発行すればよかったんだ」

「また、その話ですか」丸山は露骨に嫌な顔をして言った。「もう、『ドジョウ時代』の話はやめましょう。石部さんの問題は結局、そこにいくんですから」

「またですか」丸山は露骨に嫌な顔をした。

渋川教授は居眠り顔で苦笑したが、浜島と小堀はあきれ顔。

「そうそう。なんら建設的なもんじゃあないですからね」浜島は相槌を打つ。

「私は、ただ真実をいってるだけですよ。真実を。過去を反省しないで、どうして前進できるんですか。難し過ぎたことを難し過ぎたと言ってなにが悪いんです。たんに覆水盆に帰らず式にかたづけては困りますよ」

石部は頑迷にまくした。が、皆は知らん顔だ。彼がごねるのは毎度のことである。それに、その立派な批評とは裏腹に難しいというご当人が「日本人の国民的根源とロシア主義」というたいそうな論文を載せているのだ。なおも挑発的な石部だが、皆はこれ以上、刺激を与えない方が得策とみてか、まったく無視した態度をとっていた。

「もっとも、いまさら、こんなことを言っても埒があきませんが・・・」石部は、誰も聞いていないのに気がついて言葉をきった。そして、皆を見回しながら自嘲気味につぶやいた。

「書くってことはむずかしいことですわ。ほんと・・・」

卓上は白けた雰囲気になった。そして、またもとの重苦しい空気が漂った。

待てど暮らせど来ぬ人を、待つは「どじょう」の五人衆。春はおぼろに宵過ぎて、焦る心も失せにけり。絶えて久しい階段に今はなつかし注文取り。だがしかし、ここは辛抱石の上。待てば海路の日よりあり。喧騒階下から声一つ。

「いらっしゃい!」の響きあり。あとにつづくは靴の音。天井映るは上る影。一足ごとのブロッケン。やっときました会員一人。さてさて如何なるご人でありますか。

 

次回 女子大生大野キン子登場

 

創作ルポ

草稿・小説永遠の一年生

 

創作ルポ 本文は、フィクションです。校正・加筆しながら完成させる。4回目

 

草稿・永遠の一年生

平成22年11月6日、写真家・童画家の熊谷元一は、都下武蔵野にある老人施設で101歳の生涯を閉じた。亡くなる前日まで元気にカメラの話をしていたという。

熊谷は、故郷の長野県伊那谷で小学校の教師生活を終えたあと上京、清瀬市に住み始め

た。還暦からの出発だったが、老後は写真家・童画家として活躍する一方、「清瀬の自然を守る会」の会長に推され地域のために尽力した。訃報を知って大勢の清瀬市民が焼香に列を成した。名誉村民となっている故郷、阿智村からも村長はじめ関係者多数が駆けつけた。他に知人友人、出版社やマスメディアの人たち。そして熊谷の写真作品の愛好者が大勢参列した。私もそうした一人だった。代表作『一年生』に魅せられて30年になる。

 

 

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それ故、訃報を知って、矢も盾もたまらず通夜に駆けつけた。大勢の参拝者のなかには、写真展で顔見知りになった人もいた。その一人に地元紙の元記者がいた。80に近いお歳だが、嘱託記者兼写真班として、いまでも地元紙に写真や記事を載せていた。彼はふだんは農業に従事していて、農作業のあいま、村中を回って話題や出来事を取材していた。記事が載れば、送ってくれる昵懇の間柄だった。私は、挨拶し話しかけた。

「順風満帆な幸福な人生だったですね」

私は、熊谷の履歴を振り返って言った。

「そうですなあ・・・」

彼は、つぶやいて言葉をにごした。

奥歯にものがはさまったようで、何か否定的に思えた。私は、不可解に思ってたずねた。

「ちがうのですか」

「そうですねえ・・・あのことがなければ・・・」

彼は、なぜか言いずらそうに言った。

「あのこと?!」私は、不思議に思って再度たずねた。「なんでしょう」

これまで熊谷の写真や童画、それに書いたものを見たり読んだりしてきた。それ故に、熊

谷の人生のほとんどは知り得ている。そんな自負もあった。

熊谷の人生で、まだ私の知らないことがあるのか。そんな疑問から

「満蒙開拓団撮影のことでしょうか」と、聞いた。

熊谷は、戦前戦中、拓務省の嘱託撮影班になって満蒙開拓をすすめるプロパガンダ写真を撮っていた。写真に鼓舞されて大勢の若者が満蒙開拓青少年義勇兵となって海を渡った。阿智村は、県下で満蒙開拓団を多く満州に送った屈指の村だった。熊谷はそのことを負に感じていた。

「あれは国策ですから、日本人みんなの問題です」

「で、ないとすると、なんでしょう」

私は、食い下がった。

「先生の秘密です」

「ひみつ!?ですか」私は驚いて聞きなおした。

「ええ、まあ、秘密というか、先生が封印してきたことですから、明かしてよいものか、どうか」

「ぜひ教えてください。私は熊谷元一という写真家の全てを知りたいのです」

「困りましたな」そう言って彼は首筋をたたいて、回りを見回した。

「私は、他言しません」

「いえ、そういったひみつではないです」彼は、小さく首をふると言った。「先生には、個人的な苦悩があったのです。亡くなるまで消えない」

「個人的苦悩?」

「『一年生』ご存知ですよね」

「ええ、代表作品ですからね。もちろん知ってます」

「あの『一年生が』が原因です。心のトゲとなっていたのです。でも、これで解放されたでしょう。いまごろは、ほっとされていると思います」

彼は、そういうと日焼けした顔に明るい笑みを浮かべた。

私は、ますます不思議に思った。奇妙にも感じた。あの『一年生』に、亡くならなければ安堵できないような、そんな深い懊悩のようなものがあったのだろうか。いつも、ひょうひ

ょうとして陽気に写真を撮っていた熊谷から、想像できなかった。いったい熊谷は、一年生にどんなトラウマを持っていたのだろうか。私は、読経を聞きながら熊谷の功なり名を遂げた101歳の人生を振り返ってみた。

 

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画家が夢だった熊谷は、偶然カメラを手にしたことで、写真の世界に目覚めた。28歳で朝日新聞社から写真集を出版、高い評価を得た。30歳で大東亜省の嘱託カメラマンとなり、国策として満州の開拓村を撮影した。戦後は、郷里で小学教師をやりながら村人の生活を写真に撮り、出版された写真集は、農村の記録写真として注目された。『農村の婦人』『かいこの村』などがそれである。そして写真の合間に描きつづけた童画は、失われていく山村文化の伝承と認められた。絵本『二ほんのかきのき』(福音館)は、百万部を超えるロングベストセラーとなっている。写真や童画作品の多くの作品が数々の賞に輝いた。これらをみれば、順風満帆な人生ではなかったなどと、だれが評せられるだろうか。三足のわらじを履いた人生だったが、創意工夫の教育を実現させた教師生活、記録写真の分野を確立した写真撮影、山村の子どもの遊びに心の故郷を思い起こさせる童画。どのわらじも立派に履き切った愉しく面白く生きた人生だった。

 

そのなかで『一年生』は熊谷の人生に金字塔として燦然と輝いている。そしてそれがアマチュアカメラマンにもかかわらず熊谷を絶対のプロ写真家として認めさせている。

そして、老記者は、その「一年生」に熊谷は苦しんできたという。何のことか。私は、もう一度老記者に話しかけた。

「いったい何に、苦しんできたのでしょう。禁じ手を破って、教育現場の学校で写真を撮っ

た、ということでしょうか」

「いや、いまは撮影禁止は、あちこちにあるでしょう。が、当時は、問題になっていません。熊谷先生の苦悩は、個人的責任感です」老新聞記者は、きっぱり言った。

「責任感ですか?!」

「そうです。人一倍責任感が強い人でしたから」そう言って彼は思い出すようにしみじみした口調で言った。「あの陽気な先生が時折、ふっと見せる寂しげな表情、深い憂愁を見た時、いつもそれを感じていました」

「責任感ですか…」私は、意味がわからず、オウム返しにつぶやいた。

「そうです、一年生は先生を写真家として不動なものにしました。が、先生を一番に苦しめもした作品でもあったのです。それ故に先生は一年生の人生を撮りつづけたのです」

「・・・・・」私は意味がわからず黙って聞いていた。

「あなた、先生が、なぜ一年生を撮りつづけたかわかりますか」

「教え子だからじゃないんですか」

私は、戸惑って答えた。いまさら、そんなことを質問されるとは、思っていなかった。

「先生は、長い教師生活で、一年生は、何度も担任しました。しかし、撮っていないんです写真は、その子たちの人生もおいかけていません」老記者は、熱を帯びた口調で言った。

「あの一年生を撮ったのは、すべて永遠の一年生のためだったんです。私はそう思います」

「永遠の一年生??」

はじめて聞く言葉に私は困惑して、焼香の煙が流れはじめた晩秋の闇をみつめた。

「こんなことを言うのも私は、目撃者だったからです」そう言って老記者は、遠くのあの日を思いだすように。ぽつりぽつり語りはじめた。

私は、黙したまま老記者の独り言のような話に耳を傾けた。それは、熊谷が、心の中にし

まっていた55年前のある悲劇のことだった。

それは

※『会地小学校の百年』誌にある「会地小学校沿革史」の項、昭和30年(1955年)9月4日の日曜日に起きたある不幸な出来事だった。

 

老記者の思い出は、次号

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.332 ―――――――― 16 ―――――――――――――

 

 

掲示板

 

創作『キンチョウ』は、次号から

 

インドシナ、カルダバン高地のヤマ族集落に迫る危機。クメール・ルージュ「赤い悪魔」

 

【ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」】

 

2018年2月10日(土)

東京芸術劇場小会議室7 午後2時 ~ 4時45分

作品 『おかしな人間の夢』

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【第21回写真賞コンクールについて】

 

テーマ 「はたらく」第一回「働く」の初心に帰って

締切 2018年9月末日 最終審査 10月12日(金)

最終日審査会場  昼神温泉郷 熊谷元一写真童画館

詳細は、「熊谷元一写真童画館」のホームページをご参照ください。

 

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2018年度 ゼミⅢ講座予定

 

テキスト 志賀直哉の生き物作品読み

 

考察   ルナール『にんじん』から家族問題 依存について

 

ドストエフスキー作品

 

熊谷元一研究 写真・童画展見学

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