文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.335

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2018年(平成30年)4月9日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.335

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/18 6/25 7/2 7/9 7/23 

 

テキスト読み(志賀直哉・ドスト他) &熊谷元一研究

 

下原ゼミ、今年度の講座は、以下の要領で行います。

 

2018年度の目標は、「書くこと」「読むこと」の習慣化

 

「書くこと」について

既にお知らせしているように今年度、下原ゼミの目標は「書くこと」「読むこと」の習慣化・日常化を身につけることです。入試面接で聞く文芸学科受験生の将来の希望は、ほとんどの人が、作家、エッセイスト、ジャーナリストといったものを書く職業です。

しかし、現実的には、書くことが苦手、そんな、人が多いようにも思われます。最近ではネットの普及もありますが日記をつけたり、手紙を書く人も少ないようです。そこで、このゼミⅡは、毎年そうですが、まず、スタート点にかえって地道に「書くこと」の習慣化・日常化を身につけることを目標にします。

毎回、課題を本通信に掲載(10行以内と短くても可)していきます。何事も訓練です。もの書きの基礎練習としてつづけます。

 

「読むこと」について

 

これも入試面接で知ることですが、「どんな本を読んできましたか」との問いにあげられる多くの本は、最近の作家やファンタジーだったりしますが、このゼミで読むのは、いわゆる一般に古典と評価されている短編作品です。音読。

 

テキストについて 志賀直哉、ドストエフスキー、他

 

「読むこと」でのテキストは、主に志賀直哉の短編作品(車内観察作品など)を読んで、自らも、毎日通学に利用する電車の車内観察を課題とします。

ドストエフスキーは「ドストエーフスキイの全作品を読む会」読書会の紹介。

ドストエフスキーの謎についても。

 

なぜ志賀直哉か 志賀直哉は、なぜ「小説の神様」か

 

なぜ志賀直哉をテキストにあげたのか。いまは、どう呼ばれているか知らないが、昔は「小説の神様」と呼ばれていた。しかし、当時は、なぜ小説の神様なのか、わからなかった。ゼミでとりあげ、なんども読んでいるうちに、なんとなくわかるようになった。が、それでもまだはっきりとはわからない。読むことで、解明に近付ければと思います。

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読書の方法 本の選び方と読み方について

 

「読むこと」の習慣化が身についたとしても、その読書が、どんなものか。近代日本の教育に尽力した、且つ柔道の開祖でもある嘉納治五郎は、著書「青年修養訓」のなかでこのように説いている。(ちなみに志賀直哉は、柔道において嘉納治五郎の孫弟子になる)

 

15 精読と多読

『嘉納治五郎著作集 教育篇』(五月書房)

精神の健全な発達を遂げようとするには、これに相当の栄養を与えなければならぬのであるが、その栄養を精神に与えるのは読書である。人は誰でも精神の健全な発達を望まないものはないにもかかわらず、実際その栄養法たる読書を好まない者も少なくないのは甚だ怪訝(けげん)に堪えぬ。かくの如きは、その人にとっても国家にとっても実に歎(タン)ずべき事である。読書の習慣は学生にあっては成功の段階となり、実務に従事しいるものにあっては競争場裡の劣敗者たるを免(まぬが)れしむる保障となるものである。看よ、古来名を青史に留めたるところの文武の偉人は多くは読書を好み、それぞれの愛読書を有しておったのである。試みにその二、三の例をあげてみれば、徳川家康は常に東鑑(あずまかがみ)等を愛読し、頼山陽は史記を友とし、近くは伊藤博文は繁劇な公務の間にいても読書を廃さなかった。またカーライル(イギリスの歴史家・評論家)は一年に一回ホーマー(ホメロス)を読み、シルレルはシェクスピーアーを読んだ。ナポレオンは常にゲーテの詩集を手にし、ウエリントン(イギリスの将軍・政治家)はバットラーの著書(『万人の道』「生活と習慣」など)やアダムスミスの国富論に目を曝(さら)しておったということである。なすことあらんとする青年が、学生時代において読書を怠(おこた)らない

ようにし、これを確乎とした一の習慣として、中年老年まで続けるようにするということの必要なるは多言を俟(ま)たないのである。

 

※東鑑(吾妻鏡・鎌倉時代の史書。日本最初の武士記録)

※頼山陽(1780-1832 江戸時代後期の儒者・史家 著『日本外史』『日本政記』など)

※ホメロス(前9世紀頃ギリシャの詩人著書『イリアス』『オデュッセイア』など)

※カーライル(1795-1881 著『衣裳哲学』『英雄及び英雄崇拝』など)

※ウエリントン1769-1852 (ナポレオンをワーテルローで破った)

 

健全な精神をつくるには、相当な栄養が必要だという。その栄養は読書である、として、歴史上の偉人たちの読書をあげて、その必要性を説いている。そして、どんな本を読むかは、その選び方について以下のように述べている。

 

読書はこのように必要であるけれども、もしその読む書物が適当でないか、その読書の方法がよろしきを得なければ、ただに益を受けることが出来ないのみならず、かえって害を受けるのである。吾人(われわれ)の読む書物のどんなものであるべきかに関しては、ここにはただ一言を述べて余は他の章に譲っておこう。すべて新刊書ならば先輩識者が認めて価値があるというものを選ぶか、または古人のいったように世に出てから一年も立たないようなものは、必要がない以上はこれを後廻しとするがよい。また、昔より名著として世人に尊重せられているものは、その中から若干を選んで常にこれを繙(ひもと)き見るようにするがよいのである。

どんな本を読んだらよいか。本によっては栄養になるどころか害になるという。嘉納治五郎が言うのは、先輩識者が認めた価値のあるもの。つまり世に名作といわれている本である。

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他は、現在、たとえどんなに評判がよくても、百万冊のベストセラーであっても後回しにせよということである。そうして古典になっているものは、常に手にしていなさいと教えている。本のよしあし、作家のよしあしは時間という評者が選んでくれる。

さて、このようにして読む本を選んだら、次にどのようにして読むか。いらぬ節介ではあるが、全身教育者である嘉納治五郎は、その方法をも懇切丁寧に述べている。

 

次に方法の点に移れば、読書の方法は、とりもなおさず精読多読などの事を意味するのである。精読とは読んで字の如くくわしく丁寧に読むこと、多読とは多く広く読むのをいうのである。真正に完全の読書をするには、この二つが備わらなければならぬ。

 

つまり書物は偏らず、多くの書を読め、ということである。そうして読むからには、飛ばし飛ばし読むものには耳が痛いが、決していい加減にではなく、丁寧に読むべし、ということである。いずれももっともなことではあるが、人間、こうして指導されないと、なかなか読むに至らない。次に、折角の読書に陥りがたい短所があることを指摘し、注意している。

 

世に鵜呑みの知識というものがある。これは教師なり書物なりから得た知識をば、別に思考もせず会得もしないで、そのまま精神中に取込んだものをいうのである。かようなものがどうしてその人の真の知識となって役に立つであろうか。総じて知識が真の知識となるについては、まず第一にそれが十分に理解されておらねばならぬ。次にはそれが固く記憶されておらねばならぬ。

 

鵜呑みの知識。よく読書のスピードを自慢する人がいるが、いくら早く読んでも、理解していなければ、ただ知っている、ということだけになる。試験勉強で暗記したものは、真に教養とはいえない。

 

 理解のされていない知識は他に自在に応用される事が出来ないし、固く記憶されていない知識は何時でも役に立つというわけにはいかない。したがってこれらの知識は、あるもないも同じ事である。かような理由であるから、何人たりとも真の知識を有しようと思うならば、それを十分咀嚼(そしゃく)消化して理解会得し、また十分確固明白に記憶しおくようにせねばならぬ。

 

 そのためには・・・・・

 

さてこの理解記憶を全くしようとするにはどうしたらよいかというには、他に道は無い。その知識を受け入れる時に用意を密にする。すなわち書物をば精しく読まねばならぬのである。幾度か幾度か繰返し読んで主要点をたしかに捉えると同時に、詳細の事項をも落とさず隅々まで精確に理解をし、かつ記憶を固くするのである。こうして得た知識こそは真の栄養を精神に与え、また始めて吾人に満足を与える事が出来るのである。試みに想像してみれば分かる。何らかの書物をば百遍も精読し、その極その中に書いてある事は十分会得していて、どんな場合にも応用が出来、その知識は真のわが知識になって、わが血液に変じ筋肉と化しておったならば、その心持はどのようであろうか。真に程子(テイシ兄弟)のいったように、手の舞い足の踏むところを知らないであろう。書物の与える満足には種々あろうが、これらはその中の主なるものであって、また最も高尚なものである。

 

※テイシ兄弟(北宋の大儒 著『定性書』1032-1085)

 

書物を理解するには、繰り返し読むことが重要と説く。一に精読、二に精読である。さす

れば応用ができ真の知識となる、と説いている。また、この精読するということについても、こう語っている。

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 かつまた一冊の書物の上に全力を傾注するという事は、吾人の精神修養の上から観ても大切である。何となれば人間が社会に立っているからには、大かり小なりの一事をば必ず成し遂げるという習慣がきわめて必要であるが、書物を精読し了するというのは、ちょうどこの一事を成し遂げるという事に当たるからである。今日でこそやや薄らいだようであるが、維新前におけるわが国士人の中には、四書(儒教の経典)の中の一部もしくは数部をば精読し熟読し、その極はほとんどこれを暗誦して常住座臥その行動を律する規矩(きく・コンパス)としておったものが多いのである。伊藤仁斎(江戸初期の朱子学儒者)は18,9歳の頃『延平問答』という書物を手に入れて反復熟読した結果、紙が破れるまでになったが、その精読から得た知識が大いに修養の助けとなり、他日大成の基をなしたという事である。また荻生徂徠は、13年のわびしい田舎住居の間、単に一部の大学諺解(ゲンカイ口語による漢文解釈)のみを友としておったという事である。程子は「余は17,8より論語を読み当時すでに文義(文章の意味)を暁りしが、これを読むこといよいよ久しうしてただ意味の深長なるを覚ゆ」と言っている。古昔の人がいかに精読に重きをおいたかは、これら2,3の事例に徴するも分明である。学問教育が多岐に渉る結果として、遺憾な事にはこのような美風も今日ではさほど行われないようである。

 

ひとつのものを徹底して読む。この美風、すなわち習慣は、現代においては、ますます為

されていない。が、学生は、すすんで挑戦しようという気まがえがなくてはならぬ。と、いっている。その一方で、多読の大切さも説く。

 

しかし現に学生生活を送り近い未来において独立すべき青年らには、各率先してこの美風を伝播しようと今より覚悟し実行するように切望せねばならぬ。

 読書ということは、このような効能の点からいっても満足の点からいっても、また精神修養の点からいってもまことによいものであるが、しかしまた不利益な点を有せぬでもな

い。すなわち精読は常に多くの時間を要するということと、したがって多くの書物が読めないようになるから自然その人の限界が狭隘(キョウヤク)になるを免れないということである。例えていえば、文字において一作家の文章のみを精読しておったならば、その作家については精通しようが思想の豊富修辞の巧妙がそれで十分に学べるということは出来ない。どんなに優秀な作家とても、その長所を有すると同時に多少の欠点を有するものであるから、一作家の文章が万有を網羅し天地を籠蓋(ロウガイ)するというわけにはいかぬ。そこで精読によって益を受けるにしても、またその不備な点が判明したならば、これを他の作家の作物によって学び習うという必要が起きる。すなわち他の作物にたよるということは、多読をするという事に帰するのである。

 

一作家のものが万有を網羅することはない。

 

 またこの外の人文学科、たとえば歴史修身等においても、もしくは物理化学等の自然学科においても、一の著者の記述説明に熟すると同時に、他の著者はそれをどんなに記述し説明しているかを参照してみる必要がある。このように参照してみることは知識を確実にする上にきわめて多大の効能があるから、決して煩雑無用のことではない。精読はもとより希うべきであるが、また一面には事情の許す限り多読をして、その限界を狭隘にせぬようにするがよい。精読でもって基礎を作り、多読でもってこれを豊富にするは学問の要訣(ヨウケツ)であってこのようにして得られた知識こそ真に有用なものとなるのである。

 さらに精読と多読との仕方の関係を具体的に述べてみれば、、まず精読する書物の中にある一つの事項に対して付箋または朱黄を施し、かくてその個所が他の参照用として多く渉

(しょうりょう)(読みあさる)する書中にはどんなに記述説明されているかを付記するのである。換言すれば精読書を中心として綱領として、多読所をことごとくこれに関連付

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随させるのである。また学問の進歩の程度についていうならば、初歩の間は精読を主とし相当に進んだ後に多読を心掛くべきである。けれどもどんな場合においても精読が主であって多読が副である。そうしてこの両者のうちいずれにも偏してはならないことは無論であるが、もしいずれに偏するがよいかといえば、精読に変する方がむしろ弊害が少ないのである。精読に伴わない多読は、これは支離散漫なる知識の収得法であって、濫読妄読となるに至ってその幣が極まるのである。

 また鼠噛の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれをも読みとおさずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛(ソコウ)の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれも読み通さずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛の陋(ロウ)に陥ったものも多いのである。実に慎み謹んで遠ざくべき悪癖である。

 

以上、嘉納治五郎の説く読書の必要性を紹介した。どんな本を読めばいいのか。どんなふうに読めばよいのか。人それぞれに好き嫌いもある。それに、世に古典といわれる良書は山ほどある。となると読書も簡単ではない。このゼミでは、この青年訓の嘉納治五郎とも関係が深く、かつ小説の神様といわれる志賀直哉の作品をテキストとした。

(編集室)

 

ゼミ誌について

 

  1. 編集係りを決める。ゼミ誌ガイダンス出席者。

 

  1. 本通信で発表した課題、日頃、書いている創作を掲載する。

 

  1. 今年度は締切日が早い。11月末

 

  1. 題字は自由だが、「熊谷元一研究 No.4」も入れる。

 

熊谷元一研究とは何か

 

アマチュアカメラマンだが、写真界では、よく知られている人物。岩波書店があげる日本の写真家17人の一人。4年前から、ゼミでとりあげてきた。

 

これまでの主なゼミ活動としては、

 

☆岩波書店創業百年展見学 銀座・教文館に。

 

☆ゼミ合宿。2015、2016、2017 昼神温泉「熊谷元一写真童画館」見学

 

☆日芸・江古田校舎アートギャラリー「黒板絵」展開催

 

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熊谷元一研究の記録

 

2017年 熊谷元一写真賞コンクール20回記念写真展のお知らせ

 

写真家・熊谷元一写真賞コンクールは昨年で早くも20回を数えます。この節目を記念して、今年5月、これまでの入選作品の写真展を開催します。

 

※  選考委員は、新聞社写真部、郷土写真家、プロカメラマン、写真評論家で日芸の飯沢耕太郎先生も、その一人です。

 

月 日 2018年5月29日(火)~6月3日(日)

 

会 場 JCIIフォトサロンクラブ25(東京・半蔵門)

 

 

 

 

第20回の応募作品のテーマは「あそぶ」でした。テーマの他に、「阿智村賞」もあります。

 

※阿智村賞、長野県阿智村内の風景、人の撮影。

 

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応募要項 2018年 第21回熊谷元一写真賞コンクール

 

写真の好きな人、南信州の星降る村「阿智村」を撮りたい人は挑戦してみてください。

 

【第21回写真賞コンクールについて】

 

テーマ 「はたらく」第一回「働く」の初心に帰ってのお題です。

 

締切 2018年9月末日

最終審査 10月12日(金)

最終日審査会場  昼神温泉郷 熊谷元一写真童画館

 

※前年2017年まで、最終審査は東京新宿のホテルでしたが、今年2018年から第一次選考会から最終選考会まで、熊谷元一の郷里「阿智村」で行います。、

 

詳細は、「熊谷元一写真童画館」のホームページをご参照ください。

 

下記、写真は、熊谷元一の故郷 長野県、伊那谷にある昼神温泉郷

ここに「熊谷元一写真童画館」がある。

 

阿智村は、戦前戦後を通じ養蚕の村だったが、半世紀前の中央高速道建設工事で温泉がでたことから、温泉、観光の村と変貌していった。そして、近年は、星空が日本一きれいに見える村として、たびたびテレビでとりあげられるようになった。それ故、現在は、星降る村として有名、人気が高い。

下原ゼミⅡは、ここ3年、阿智村でゼミ合宿をおこなっている。「熊谷元一写真童画館」と「満蒙開拓平和記念館」見学が目的だが、星空見物も、隠れた目的になっている。しかし、残念なことにお天気に恵まれず、壮大な天の川の流れを、まだ目にしていない。

ちなみに、交通は、下記のような行程である。

〈中央高速バス〉飯田行

バスタ新宿 → 2時間→ 双葉(休憩)→ 2時間→ 伊賀良下車→ 送迎車30分

 

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熊谷元一写真童画館とは何か

 

人間の営みに接し、表現し続けた写真家・熊谷元一童心をテーマに描き続けた童画家・熊谷元一懐かしいあの日がよみがえる昭和の原像がここにある. 昼神. 阿智村を撮り続けてきた熊谷元一氏の写真展示しています。昭和20年代の写真などがあり、農村の記録としても貴重なものとなっています。「農村記録写真の村宣言」の村・阿智村にある熊谷元一写真童画館は、郷土を70年にわたって写真で記録し続け、また伊那谷のなつかしい生活を童画で描き続けた熊谷元一の作品を保存、展示しています。HPから

 

写真家・熊谷元一 (1909年~2010年、101歳)

 

代表作は、岩波写真文庫『一年生 ―ある小学教師の記録―』(1955)

この写真集は、第一回毎日写真賞受賞作品!

 

1955年(昭和30年)8月30日(火)毎日新聞はトップニュースとして報じた。

以下は、そのときの記事。

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第一回毎日写真賞決まる

 

本社では近年とみに重要さを増してきた写真文化の一層の発展に役立てるため、毎日十大文化賞の一つとして、昭和30年度から「毎日写真賞」を設定しました。これは年度内に発表された藝術、報道、観光、学術など各部門を通じて、最もすぐれ、しかも社会に貢献したと認められた写真に贈られるものですが、このほど慎重選考の結果、第一回(昭和29年4月~昭和30年3月)の毎日写真賞を次の通り決定しました。(選考経過、受賞者紹介、推薦のことばは、第二面に掲載)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このとき最終選考に残った写真家と作品は、

・林忠彦『ある画家の生活』・樋口進『カメラ 日本の旅』・木村伊兵衛『外遊作品全般』

無名のアマチュアカメラマンが並みいる有名プロ写真家たちを抑えての受賞。写真界では伝説となっている。『一年生』とは、どんな作品か。昭和28年(1953年)山村の小学校に入学した一年生を担任が一年間、写真に収めたもの。教室で、廊下で、校庭で遊び勉強する子供たちの様子が、良く観察されている。スマホの時代である。写したり写されたりすることは日常になっている。が、学校での撮影は、ますます厳しくなっている。不可能に近い。その意味で『一年生』は、より貴重な作品となっている。 

・土門拳『室生川――「室生寺」より』・木村伊兵衛『スラム街イタリア』。現在もそうだが、彼らは皆、当時一流の写真家たちだった。

 

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黒板絵 熊谷元一は、受け持った一年生の全てを撮った。その一つに黒板の落書き絵がある。2015年、下原ゼミは、それらの落書き絵を集めて、『黒板絵は残った』と題して出版した。また、日芸図書館と協力して「黒板絵写真展」を開いた。大きな反響があった。

62(火)16(火)日芸アートギャラリー AM1000~PM1800

 

戦後70年で注目、黒板絵写真展

 

熊谷元一撮影の黒板絵は、戦後70年という節目の年もあって注目された。

以下、マスメディアで紹介された黒板絵。

 

□朝日新聞 秋田 2012・7・10 「教え子撮った瞳 温厚」

 

□読売新聞 2013・3・23 芥川喜好編集委員「時の余白に」皆さんは私の目標でした

 

□毎日小学生新聞 2014・4・10 「60年後の1年生」教室の1年生を撮影

 

□読売新聞 2015・4・25芥川喜好編集委員「時の余白に」無心という時間があった

 

□長野朝日放送 2015・5・21 戦後70年特集 黒板絵は残った放映

 

□毎日新聞インターネットニュース 2015・6・9 黒板絵は残った

 

□信濃毎日新聞 本・『黒板絵は残った』2015・6・21 教育の力を信じたくなる1

 

□南信州新聞 本・書評「『黒板絵は残った』出版」 2015・6・26

 

□南信州新聞 2015・6・26コラム「偶然の出会いを楽しみながら」

 

□朝日新聞 夕刊 2015・7・3 「思い出の黒板絵」

 

□朝日新聞 インターネットニュース 2015・7・5 「黒板の落書き絵」

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熊谷元一研究でゼミⅡ授業テレビ取材

 

黒板絵に注目した長野朝日放送は、特別番組「戦後70年」で黒板絵に着目。「黒板絵は残った」を企画。下原ゼミⅡの授業風景を撮影し放映した。(DVDで観ること可能)

abnステーション(月~金 午後6時15分~55分)で5月21日に放映。15分。

5月21日(木)夕方6時15分から長野朝日放送は、abnステーション「戦後70年特集」番組において、近く刊行予定の『黒板絵は残った』についてを放映した。下原ゼミは熊谷元一研究をすすめているが、黒板絵はその研究の一環。インタビューでは、D文学研究会の清水正教授が黒板絵について、下原が熊谷の教育理念につい語った。日芸所沢校舎が映された。

ゼミⅡに集まった大半の学生が熊谷元一を知らなかった。代表作「一年生」を見ながら感想や自分の一年生の頃を話しあった。同じ世代なのにそれぞれ違った一年生体験談だった。司会進行は「熊谷元一研究 2号」編集委員の大島君。(正面右)

ドキュメント、下原ゼミⅡテレビ撮影取材

2015年

5月14日(木)長野朝日放送から電話、熊谷元一研究の授業風景を撮りたいとのこと。

5月15日(金)大学に撮影取材の許可申請。下りる。当初、江古田校舎だったが、展示準備ができていなかったのと、授業風景も撮りたいとの意向で所沢の通常授業のゼミ2教室に決まる。

5月18日(月)晴れ 午後2時、朝日放送2名、来校。『黒板絵は残った』出版の清水正日芸図書館長と下原講師二人にインタビューしたあと、個別にインタビュー30分ほどした。

午後4時20分 授業開始、授業内容は、岩波写真文庫『一年生』をみながらゼミ学生たちの一年生体験を話した。「自分の入学式のときの思い出」

午後5時30分、授業風景の撮影終了。その後、1時間ほど写真のみを撮影。

5月21日(木)朝日長野放送6時30分からの特集番組で放映。15分ばかり。

 

11月24日(水)信州昼神温泉郷「熊谷元一写真童画館」で作品の展示準備、朝日長野放送撮影取材、午後6時半からのニュースで放映。

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新聞各紙も取り上げた。下記は、その一つで朝日新聞の記事。

 

 

下原は、『一年生』の被写体の一人。熊谷の教え子である。黒板絵写真展の展示作品のなかにも下原の落書き絵が、何点か入っている。

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日藝アートギャラリーで、記者から取材され、自分が描いた黒板絵を説明する下原。

(朝日新聞インターネットで配信)

 

ゼミ合宿 2017年のゼミ合宿は、写真館の他に、満蒙開拓平和記念館

 

下原ゼミⅡは、8月16日(水)~17日(木)ゼミ熊谷元一研究の一環として、熊谷の故郷、長野県下伊那郡阿智村訪問を実施した。下原ゼミ生の他にドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会の会員も加わって総勢10名となった。

写真は、熊谷元一写真童画館、「一年生」展示作品の前で。

熊谷元一について興味ある方は、以下のHPをご覧ください。

熊谷元一写真童画館 ℡0265-43-4422 熊谷元一研究toshihiko@shimohara.net

 

 

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