◆聴講報告(下原ゼミ通信23号より)

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「現代においてチェーホフは有効か」講師・校條 剛氏(文芸講師)
 講師の校條氏は、元『小説新潮』編集長をやっておられた方で講演は、文壇など多岐にわたった。丸谷才一の小林秀雄批判から、この時期に亡くなられたロシア文学者の原卓也さんへの哀悼、チェーホフの作品に出てくる桜と日本の桜(ソメイヨシノ)の違い。などなど。
 とりあげたチェーホフ作品は、主に『グーセフ』『中二階のある家』だったが、内容、質問とも『グーセフ』に集中し生と死の感覚についての言及や感想が多かった。
 はじめに氏は、演題についてサルトルの「飢えた子の前で文学は有効か」をもじったものと明かされた。この題を踏まえて、現代の出版状況を説明された。それによると昨今、チェーホフ全集は、ほとんど出版されていないとのこと。もとより欧米では、なぜかはわからないが日本ほど読まれていない。没後100年だが作品が出版されない。その意味では、チェーホフは、もはや日本においても有効ではなくなっている
ということか。
 


なぜチェーホフかについては、「どんな悲劇の作品でも読んでいると楽しくなる」笑いの感覚が持てるなど、読者としての素直な感想があった。
 質疑応答では、主に『グーセフ』作品の最後の海に水葬されるシーンや作家としてのチェーホフの感性の豊かさが話し合われた。トルコ料理店の二次会も楽しいものだった。
※チェーホフと聞くと、図書館のチェーホフ全集に挑戦した青春時代を思い出す。仕事のように次々と短編を乱読しながら、自分も早くこんな作品が書けないものかと悶々とした日々。いまは、遠い昔となった。チェーホフがなぜ欧米で読まれないのか。思うにこの作家は、自身のルーツからアメリカの奴隷よりロシアの農奴の方が悲惨。この比較感情を終生拭い去ることができなかった。そのへんに欧米人に読まれない原因があるのではと想像する。祖父の代まで農奴だった作家の家系をおもえば、それもいたしかたないかもしれないが・・・。それ故に、ロシア革命という未曾有の暗黒国家建設に向かう濁流を、ドストエーフスキイの警鐘を知りながらも、ほくそえんで覗き見していたのかも。   (編集室)

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