文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.343

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2018年(平成30年)6月11日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.343

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 

 

土壌館創作道場 2018年、読書と創作の旅

 

テキスト読み(志賀直哉作品・他) &熊谷元一研究(情報)

 

6・4ゼミ報告   下原ゼミ所沢の旅姿三人衆

 

下原ゼミ・所沢の三人衆、勢揃いです。海路は日大問題で暴風雨。波乱の旅立ちとなりましたが、どんなときも勇気と希望を持って有意義で楽しい旅としましょう。

 

 

目 次

 

・下原ゼミ所沢・旅姿三人衆紹介 ―――――――――――――― 1

 

・ゼミ雑誌作成計画の説明(西村編集長)―――――――――――― 2

・討論会 議題「日大問題」について ―――――――――――― 2、3

・6/11ゼミ自分観察・テーマ「悩み」――――――――――――――― 3

 

・熊谷元一写真賞コンクール応募規定 ――――――――――――――――― 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.343 ―――――――― 2 ―――――――――――――

 

6・4ゼミ報告ゼミ雑誌作成計画 西村美穂編集長からの説明

 

【エッセイ、創作部門】枚数、写真可 締切 → 6月中

 

6・4ゼミ報告・日大問題 日大問題をどう思うか

 

芸術学部(学部長・木村政司 事務局長・小野 卓)から教職員への声明文

同    から芸術学部、藝術学研究科の学生の皆さまへの声明文

 

【討論会・テーマ「日大問題」】下原ゼミ

 

マスメディアはどう報じたか テキスト=新聞(朝日・読売新聞)

 

5月23日(水)朝日新聞

◎悪質タックル「監督ら指示」日大選手、会見し謝罪

 

5月24日(木)朝日新聞

◎日大前監督、指示を否定 悪質タックル コーチは辞任

 

5月24日(木)朝日新聞「声」欄

◎日大はなぜ学生一人守れぬのか

◎真摯な反省 隠蔽の風潮に一石

 

5月25日(金)読売新聞「社説」・朝日新聞「社説」

◎選手を追い詰めた責任は重い (読売新聞・社説)

◎「アメフト問題」選手の悲鳴受けとめよ(朝日新聞・社説)

 

5月28日(月)朝日新聞

◎日大選手と「また戦ってみたい」悪質タックルで負傷選手復帰

 

5月29日(火)朝日新聞

◎悪質タックル アメフト指導者は変革を

 

5月30日(水)読売新聞

◎日大再発防止誓う アメフト部長「不退転の覚悟」

 

5月31日(木)朝日新聞

◎日大処分割れた意見 関東学連「選手にチャンスを」

 遅れた初動 世間の認識と距離 森コーチら3人辞意

 

6月1日(金)朝日新聞

◎社説・アメフト問題 日大はどう応えるか

◎耕論・アメフト問題 映すもの

 競技以外の「日常」持て(高橋正紀) 声あげる社会への好機(ハリス鈴木)

 日本を覆う無責任体質

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テーマ・「日大問題をどう思うか」 司会進行 西村美穂

 

□説明責任と混乱を招いた謝罪をしてほしい。

□学生に責任を転嫁している。

□大学トップ(元監督とコーチ)は、自分の身を守ることばかり考えている。

□私服警官に職務質問されたしき「なんだ日大か」と言われ腹が立った。

□自主・創造の意味がわからない。

□日大がこんな組織になった原因、学祖山田顕義が暗殺された。

□大学の理念を代えてほしい。「うそをつかない人間を創る」

 

日大の負の歴史を回顧する

 

日大は、なぜ今日のような問題多い体質となったのか。推理・想像するとこんな、原因と歩みが思い浮かぶ。

現在の日大の体質――そのすべては、日本大学(1920)前身初期に起きた不幸な出来事にある。そんな気がする。学祖・山田顕義(1844-1892)は、1882年、法律学校を創った。人は法律の前に皆平等。真の近代国家を創ることを目的として設立された。その意味から日本国家の名を冠とした。封建制度社会からの脱却。重責を担いながらも輝かしい前途。

しかし、学祖は、兵庫県生野銀山を視察中採掘場で転落死する。学祖の無念の死。病死か事故死(近年、日大病院で遺骨を検証した結果、後頭部に鋭利な傷痕が確認された)。学祖を失った学舎は、草刈り場となり公人たちの天下り先と化したと想像に難くない。

日大は、時代のなかでときの為政者の懐所として都合のよい教育の場と化していった。先の大戦で未来を担う若者が多数亡くなった。学徒出陣では、約10万余の学生が帰らぬ人となった。日大は、新学部、新学科設置と引き換えに学士製造工場となって日本社会を支える要となっていった。利益を生む教育の場となった。そこには金と権力が集中し、故事ことわざ通り、腐敗していった。日大暗黒時代のはじまり。「日大生は、学生ならず株式会社日大の商品」とまでに蔑まれ、差別された。当時、学生たちは学園自治や政治に対して闘いの狼煙をあげた。が、なぜか日大だけは静まりかえっていた。飼いならされた眠れる獅子。そんな陰口もあった。が、ある使途不明金に端を発して、ついに怒りを爆発させた。

日大だけは学園紛争とは無縁だ。どんな確証あってか、そんな風評がまことしやかに流布されていた。しかし、昭和四十三年、突如、日大は燃え始めた。その火は、まるで枯野に放たれた野火のようにたちまちに全学部にひろがった。香港帰りの警視庁公安部警視正佐々淳行警備第一課長は、鎮火すべき日大校舎に向かった。彼は、後に東大安田講堂攻防戦や連合赤軍浅間山荘事件で警備幕僚長として活躍する。当時彼の知る日大はこのようだった。(佐々淳行著『東大落城』文春文庫1996)

 

「日大は徹底した商業主義に基づくマンモス教育であり、その放漫きわまる経営方針ゆえに私立大学紛争の最高峰となったのである。そもそも学生の総数すら日大当局の誰にきいてもはっきりしない。あるいは十二万人、あるいは十五万人という。・・・・二部や通信教育をいれると三十万人ともいう。」

 

立ち上がった学生たちにたいしても、こんな感想があった。

 

「古田会頭以下経営陣や大学当局の商業主義に徹した不明朗階系とね20億にのぼるといわれた古田会頭自身の背任横領容疑事件にあった。

警視庁は最初どちらかというと、これじゃあ日大の学生たちが怒るのも無理はない。と、

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内心ひそかに秋田明大日大全共闘議長の率いる学園民主化運動に理解を示していた。

 そしてわがまま勝手で無責任な大学当局の機動隊出動要請に、やや中っ腹で対応してきていたのだ。」

 

平の将門の風

 

日大闘争のはじまりの頃、世間も警察も日大生には同情的だった。「よくぞ声をあげてくれた」と、涙ながらに応援する人もあった。これで日大は新しく生まれ変われる。そんな期待と希望があった。しかし、残念ながら、そうはならなかった。日大生のたちあがりは、純粋に学園民主化だった。が、当時の学生運動の主流は過激な思想闘争だった。学校当局の暴力に痛めつけられていたデモ学生たちは、暴力には暴力で対抗してしまったのだ。しかし、それでも、世間は、まだ日大生の味方だった。あの日、あのときまでは――。

昭和43年9月4日警視庁第五機動隊は、日大当局の要請により、神田三崎町にある日本大学経済学部本館に向かった。本館のバリケード封鎖解除を目的とした公務執行の任務中だった。占拠するデモ学生に惻隠の情を寄せながらも公務の実行にあたる機動隊隊員たち。その上に無情にも人頭大の石塊が投げ落とされた。その石は、第三分隊長・西条秀雄巡査部長(34)を直撃した。デモには参加しなかったが当時、同じ日大生としてお詫びしたい。

純粋な学園運動から殉職者を出してしまった。このときから世間の見方は、一変した。この石は、まさに日大闘争の勝敗を分けた将門の風となった。この日、以来、警視庁の日大全共闘に対する姿勢は厳しくなった。社会もそれでも日大闘争は、約2年2カ月(昭和43年4月20日~昭和45年6月11日)つづいて鎮圧された。日大は一新されたのか。きれいに一掃されたのか。否、番犬の代表だった応援団は、永久追放の憂き目をみたが、権力の構造は残っていた。魑魅魍魎が巣食う環境は、依然として残されていたのである。

現在、日大のトップの座にある面々。当時、学生だった彼らは、この50年の歳月の間に、少しずつ根を張り、地盤を固め、スポーツに名を借りた番犬なき帝国をつくりあげた。彼らは、大学の不正に怒りの拳をあげた学生たちに意気を感ぜず、日大を食いものにしていた大人たちの真似をはじめたのだ。彼らは、アメとムチで権力と私服を増やしてきた。

しかし、図らずも、今回、アメフト問題で悪事は露呈した。今後、日大問題は、どのように展開するのか。アメフト悪質プレー発覚当時、世間の見方は、日大に厳しかった。「あの日大が」「また日大が」日大に対する数々の差別、揶揄、蔑視。日大生はいわれのない屈辱を味わうことになった。厳しい世間の風。一変させたのは、加害選手宮川君の一人会見だった。50年前は、4階の窓から落とされた一石が、日大闘争の風を変えた。悪い方向に。今回は、たった一人の一学生の会見が、世間の日大に対する見方や評価を変えた。よい報告に。

メディアの関心の終息と共に、アメフトだけの問題として忘れ去られていきはしないか。そんな心配がある。が、このチャンスを日大は見逃さないでほしい。

こんどこそ大学組織改革を起こしてほしい。期待する。

 

50年前、日大出身の著名人がだした声明文を思いだした。

 

○埴谷雄高 作家 ドストエフスキー研究者

○佐古純一郎 評論家

○宇野重吉 舞台俳優

 

 

 

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50年前の声明文

 

燃える怒りの火を消すな

 

・池田みち子 ・伊藤逸平  ・宇野重吉  ・佐古純一郎  沙羅双樹  ・当間嗣光

・中桐雅夫  ・埴谷雄高  ・後藤和子

 

34億円の使途不明金問題をかわきりに学園の民主化をめざして闘っている学生諸君、君らは今、日本大学の新しい歴史をきり刻んでいる。日本大学の民主化闘争は日本の最右翼の大学における反逆である。だからこそ、砲丸から日本刀まで持出した体育会系右翼の暴力と、機動隊の介入は決して偶然のものではありえない。しかし、10万人の日大生は、かいならされていなかった。その証明を、君らは闘いの中で展開している。日本大学のこれまでの恥辱の歴史に勇然とたちあがった怒りの炎を、君らの胸にもやしつづけろ。それは自由を暴圧する全てを包み、反逆のいかりをさらにもえあがらせる力となるだろう。私たち日本大学を巣立った有志は、君たちの闘いを支持し次の事柄を声明する。

 

私たち日本大学を巣立った有志は、君たちの闘いを支持し次の事柄を声明する。

一、34億円の使途不明金問題を出し、さらに右翼暴力団、体育会系学生を動員しての暴力事件に対して、理事会は責任の所在を明らかにし、大学を真の教育の場とする方針を具体化せよ。

一、大学は学問追究の場として、学生の、表現・出版・衆会の自由を認めよ。

一、これまでに起こった暴力事件の責任を無学生に転嫁した退学・停学等の処分を撤回し、今後このような学生に対する不当処分をくりかえすな。

一、学園民主化のため、暴力と弾圧に屈せず闘っている学生諸君の勇気ある行動をたたえこれを支持する。

         (『朝日ジャーナル』1968年6月30日号より転載)

 

※日大出身の著名人は多いが、なぜかいまは沈黙を保っている。気骨ある人を求む!

 

不滅の夏

柳田 邦夫(雑誌記者)

 

1968年9月10日、嵐の先ぶれで、本降りになりはじめた神田三崎町の経済学部付近で、私はこの一文を書いている。

たった今、三つの文章を読んだばかりである。雨にうたれて半ば破れかかった「壁新聞」ではあったが、それぞれに胸を衝く文章であった。

ひとつは詩である。それは「勝利のうた」と題されている。一部紹介

古田(最高権力者)は何を作ったか マンモスと右翼と暴力

   学生は何を創ったか 自主講座とバリケード 

(五行略)

   学生は何を創り出すか 自治と自己変革

   古田は何を意味するか 反動の拠点 学生は何を意味するか

   スチューデントパワーの前衛 

学生諸君                      ――読み人知らず――

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社会観察   繰り返し起きる児童虐待 救助の壁は個人保護法か

 

さる3月2日に発覚した5歳幼女船結愛ちゃん虐待殺人事件は、なんとも痛ましい限りだ。毎回、こうした事件のニュースを聞く度に、「またか!」と言う驚きと、「なぜ!?」という疑問が交差する。そして、実情を知れば知るほど、こんな親が、世の中に存在するのか、という怒りと2度も対応した児童相談施設への不信感。ちゃんと仕事をしろ!

幼い命を救うべき道はなかったのか。個人を守るべき個人保護法が、救助の手を妨げている。ダメな親でも親は親。そんな日本人的人情も影響しているかも。

 

朝日新聞 2018年6月9日 土曜日 「社説」

 

 

 

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6・11ゼミ 討論会  テーマ「悩み」について

 

悩みは、人それぞれだ。1968年、6月に日大闘争が起きた年だが、この年の流行語の一つ

「五月病」がある。連休明け、たいした理由もなく会社や学校を休んだりやめてしまう人たちのことを、そう呼んだ。いまでは、医学的に究明され、原因や背景、症状も明らかにされている。が、いずれにせよ「悩み」には救いの手が必要だ。

悩み代表作品といえば、1774年ヨーロッパで大ベストセラーになったゲーテの『若きウェルテルの悩み』である。婚約者のいる女性に恋したウェルテルの運命は。

映画ならエリア・カザン監督の『草原の輝き』か。若者の性と愛を描いた名作。

 

※悩みには、大きくは二つある。「自分の悩み」と「他者の悩み」。「心の悩み」と「物質的悩み」五月病 → 自分の悩み → 心の悩み

 

プレイバック・テキスト読み感想 「下原ゼミ通信60号」 志賀直哉短編・編

 

少年事件の謎

 

志賀直哉の初期作品の一つに『母の死と新しい母』(1912)という短編がある。主人公十三歳の夏、学習院の初等科のとき母を亡くし、二ヶ月ほどして新しい母親がくる話である。十三歳といえば、今の中学二年生あたりか、難しい年頃である。話は、十二年ぶりに懐妊した母はつわりがひどく、それが元で病床に伏し「病気は段々と進んで行った」そして、危篤となってしまう。主人公は、母の死を冷静沈着に観察している。「散切りになった頭が、括枕の端の方へいってしまっている。それが息をする度に烈しく揺れた。吾々が三つ呼吸する間に、母は頭を動かして、一つ大きく息をひいた。・・・・少時すると不意に代診は身を起こした。――母はとうとう死んでしまった。」享年三十三歳。明治二十八年八月三十日のことである。突然に母を失った少年の心情は「棺を〆る金槌の音は私の心に堪えられない痛さだつた。」の他、あまり語られていない。ただ現実が淡々と観察されているのみである。それだけに思春期の少年の哀しみの深さ、大きさが感じられる。しかし、大人の世界は残酷である。妻を亡くした四十三歳の父は、二ヶ月も過ぎると新しい母を探しはじめたのだ。作品には、「その時の私には思いがけなかった」とだけある。しかし、祖母と毎日泣いていた主人公も、すぐに新しい母を待ち焦がれた。しばらくして、新しい母がきた。「母となるべき人は若かった。そして写真では亡くなった母より遥かに美しかった」。そして、この裕福な一家にふたたび何事もなかったような毎日がはじまった。主人公も新しい母にすぐになれた。

突飛だが、先日(2006年)奈良県で起きた「高1長男による放火事件 母子三人死亡」のニュースを聞いたとき、なぜか志賀直哉の上記の作品を思いだした。事件は、高校1年十六歳の少年が、早朝自宅に放火した。そのため就寝中の母(36)次男(7)長女(5)三人が焼死した。当初、三人は傷つけられていたという報道があったが、その後、火事が原因と判明した。医師の父親は当直でいなかった。長男(16)は、行方不明だったが、二日後、京都市内で保護された。夜半、民家に侵入、テレビを見ながら眠ってといるところを家人に見つかって110番されたという。侵入の理由は、W杯が見たかった。日本―ブラジル戦らしかったが、一日日を間違えていたふしがある。民家の人の証言では、靴は、きちんと揃えてあった。冷蔵庫から牛乳かなにかを出して飲んだらしいが、六百円が置いてあったという。少年は保護されたとき短パン、Tシャツ所持金ゼロだった。少年は、三人が「死んでもいいと思った」と自供し放火したことを認めた。またしても、少年による家族を狙った犯罪。近年、毎年のように起きている。ちなみに2000年からみれば、この年6月岡山で野球部少年

 

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(17)が母親(40)をバットで撲殺。2001年4月兵庫県で小学6年生(11)が母親(44)を包丁で刺殺。10月北海道で無職次男(16)が会社役員(55)を刺殺。2003年11月大阪で少年(18)が母親(43)を刺殺。弟(14)と父親(46)にも重傷を負わせる。2004年11月水戸市で少年(19)が就寝中の両親をアレイで撲殺。2005年6月東京板橋で、高1長男(15)が両親を殺害、放火。2006年1月盛岡市で高1少年(16)が母親(39)を殺害。3月東京世田谷で中2少年(14)が自宅マンションに放火。妹(0)を殺害。父親(40)重傷。などと枚挙がない。これら事件に共通するのは、少年たちが、普通の、もしくは普通より礼儀、勉強ともにできる少年だった。奈良の少年も県下有数の進学校に通い、剣道二段の勉強もスポーツも秀でている少年。性格も小学校時代明るかった。家庭も、医師の父親(47)、医師の義母。歳の離れた弟、妹。少年と父親はよくサッカーをして遊んでいた。竹刀で素振りする少年をみている父親の姿も目撃されている。傍目には何の問題もない幸せ家族。しかし、事件は起きた。新聞報道で、少年はこのように述べている。「父親から成績で強くしかられた。暴力も受けた」母親については「日ごろささいなことを父親に告げ口する」県警は「家族のなかで強い疎外感を抱いていたようだ」とみている。「一家を知る人によると、父親は長男が小学校に入学したころ離婚した」

 

先週金曜日、夜、のぞみ号で起きた乗客3人殺傷事件。犯人の若者(22)は、動機を「だれでもよかった」と答えた。家族に問題。両親は育児放棄、発達障害者との診断。一向になくならないこうした事件。人間の心の闇は、深い。              編集室

 

熊谷元一研究

第21回熊谷元一写真賞コンクール応募要項

 

◎テーマ部門 → 「はたらく」

◎阿智村内撮影部門 阿智村 → 自然、祭り、温泉、史跡、旧跡・・・

 

※詳細は、熊谷元一写真童画館ホームページをご笑覧ください。

 

こんな賞があります。締切2018年9月末日

 

□元一写真大賞(1点)賞金7万円・トロフィー・副賞(昼神温泉宿泊券3万円)

□阿智村賞(1点)賞金3万円・トロフィー・副賞(昼神温泉宿泊券2万円)

□信濃毎日新聞社賞(1点)トロフィー・副賞(昼神温泉宿泊券2万円)

□JAみなみ信州賞(1点)賞金1万円・トロフィー・副賞(地元農産物1・5千円)

□優良賞(2点)賞金1万円・トロフィー・副賞(昼神温泉宿泊券1万円)

□飯田信用金庫省(5点)副賞

□佳作(10点)トロフィー・副賞(昼神温泉宿泊券1万円相当)

□阿智村輝き賞(10点)トロフィー・副賞(1万円相当地元商品券)

 

下記は、「熊谷元一写真童画館」がある昼神温泉郷

 

 

 

 

 

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