文芸研究Ⅱ下原ゼミ No.88

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)10月22日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.88
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/21 1/28 
  
2007年、読書と創作の旅
10・22下原ゼミ
10月 22日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」)
   ・ゼミ雑誌について 原稿集めと今後の予定
      
 2.「車中観察」(『正義派』)& 「店内観察」(『殺し屋』)、季節観察
 3.名作紹介・家庭観察作品(『にんじん』他、戦争観察)
 4.紙芝居稽古
  
 
速報・ゼミ誌タイトル『CoCo☆den』に内定!
 先の11月15日ゼミにて開かれたゼミ誌編集会議でゼミ誌タイトルが内定した。内定のタイトルは『CoCo☆den』(ココデン)。
 ちなみに、候補には1.ココナツアイス 2.時刻表’07 3.ビックサイト沈め!!    4.轟沈☆ 5.貧しき者共 6.ココナツトレイン 7.日本の車窓などがあったなど。
※『CoCo☆den』(ココデン)=ココナツ(アイス)電車
最終仮作成は11月16日(金)です
ゼミ誌の仮作成は11月16日です。12月14日の提出期限厳守を目標に、頑張りましょう!
先週のニュースに想う
 ”スポーツの秋”というわけでもないだろうが、先週は、スポーツに関する話題が多かった。シリーズの覇者を決めるプロ野球のステージ戦を除けば、あまりいいニュースはなかった。日大出身で元水泳五輪選手の木原光知子さん(59)の急逝には驚いた。こちらは悔やまれるが、あとは後味の悪いニュースだった。相撲、相撲ときて、こんどはボクシングである。11日のWBC世界フライ級タイトルマッチでチャンピョン内藤選手に挑戦した亀田選手が何度も反則行為を繰り返した。従来の亀田父子の逸脱した言動もあって、騒動になった。所属が協栄ジムと聞いて、あのオレンジ事件を思い出した人も少なくないだろう。亀田選手は、なぜ反則を連発したのか。採点は絶望だから、未熟、若さなどがあげられている。が、おそらく反則負けを狙ったのではないかと思う。中止の反則負けなら、いまごろは、まだ気勢をあげていたかも知れない。どちらにせよ本当に嫌なニュースばかりだった。 (土壌館)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.88 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 車窓雑記
1967・10・9 に想う
 南米の革命家チェ・ゲバラがボリビアで銃殺されてから今年で40年になる。その時代、どんなに活躍した人でも、たいていは時代と共に忘れ去られていくものだが、ゲバラは、違うようだ。歳月がたてばたつほど伝説化していく。ナポレオンやスターリン、それに毛沢東といった世界の歴史的人物、彼らの命日は知らないが、チェ・ゲバラの命日は、どこかで目にする。毎年、近くなるとマスメディアがとりあげるからである。今年も命日となった10月9日の新聞には大見出しで掲載された。没後40年ということもあって特集を組んだところもある。その一つを紹介すると、このようである。朝日新聞2007・10・9「時時刻刻」
没後40年ゲバラ熱冷めず「人間性豊か共感」
 67年10月9日、キューバ革命を助けたアルゼンチン生まれの革命家チェ・ゲバラが、ボリビアで銃殺された。それから40年。今なお世界中の多くの若者の胸の上に、鋭い眼光で遠くを見つめるゲバラがいる。没後40年の追悼行事も各地で目白押しだ。「社会主義」という言葉が色あせた21世紀、志半ばで倒れたゲリラがなお人々を魅了するのはなぜか。
(ハバナ=萩一晶、パリ=飯竹恒一、ボリビア=石田博士)
中見出し「日本でも仏でも若者集う」「南米の政権、人気に便乗」
 ゲバラは、同時代を生きた人たち(団塊世代の人たちもそうだが)にとって、忘れられない人物の一人といえる。彼は、この時代、世界の若者のヒーローだった。―― と言っても、没後半世紀近く過ぎた今の学生諸君に、そのヒーロー度をわかってもらうのは難しい。現在、世界中のどこを探してもゲバラに似合った人は存在しない。超タカ派で、根っからのゲリラ嫌いの人なら、アルカイダのビンラービンをあげるかも知れないが、彼は似て非なる人間である。ゲバラとテロ犯は一線を画すものがある。ゲバラは、自分の手で銃を持って、軍隊と戦い、銃殺された。テロの首謀者たちのように若者たちをそそのかして市民のなかで自爆させたりはしない。そこに決定的な違いがある。新聞にある、彼の人生年表はこうだ。
1928年にアルゼンチンの名家に生まれる。(6月14日)
    (ブエノスアイレス大学で医学を学ぶ。)
1951年 南米大陸を放浪、貧困と米資本と癒着した独裁体制の腐敗を目撃する。
1956年 メキシコ亡命中だったカストロ氏(現・国家評議会議長)と共に、バチスタ独裁
     政権下のキューバーに潜入。
1959年 キューバ革命を成功させる。
1965年 アフリカ・コンゴに渡り、反政府勢力にゲリラ戦を指導。
1966年 親米軍政下のボリビアに潜入。
1967年 農民らの密告もあって捕らえられ、イゲラ村で銃殺される。(10月9日)
1997年 埋葬場所が不明だった遺骨がボリビアで見つかり、キューバーに埋葬される。
 ゲリラ戦士だったゲバラが、いまもって世界中の若者を魅了するのはなぜか?
 私が、ゲバラの死を知ったのは、大学2年のときだった。皇居堀端にある毎日新聞社の地下2階にいた。地下3階に住み込んで、輪転機から刷り上ってくる新聞を束ね発送するバイトをしていたのだ。いろんな大学の学生が大勢働いていた。地方版は、夕方から零時まで、都内版は零時から朝未明までだったが、学校に行かない日は、一日中、新聞を包んでいた。10日だったか、11日だったか。ベルが鳴って輪転機が動きだし、新しいニュースを載せた新聞が、あがってきた。そこにゲバラ死亡の記事を見た。当時、ゲリラは革命家、革命家は共産主義者といった連想があった。が、ゲバラにはこの方式が当てはまらなかった。当時の若者たちが抱いた印象は、怪傑ハリマオーかゾロのイメージだった。貧しい農民たちのために戦った『七人の侍』を彼のなかにみていた。ゲバラのドキュメントのなかでゲバラが捕まったとき世話を命じられた小学校教師の女性が、死んだゲバラはキリストのようだった、と述懐していた。なぜか『カラマーゾフの兄弟』のコーリヤ少年を思い出した。
                                (土壌館・編集室)
――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.88
2007年、読書と創作の旅
10・22ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」
・ゼミ雑誌について ゼミ誌編集委員から → 原稿提出など現状報告。
           2.車中観察・テキスト
 テキスト車中観察読みは『正義派』をとりあげます。この作品は明治45年・大正元年(1912)作者29歳のとき書いたものです。前期の『出来事』は人身事故未遂をめぐって車内の乗客の反応の様子でしたが、この作品は、人身事故を目撃した車外の人たちを観察した作品となっています。が、『出来事』のように実際に体験し観察した話ではありません。車に乗ったとき、その車夫から聞いた話を材料に書いたと言っています。
 車夫 → 作者(事故の話)どの程度かは不明。 
 現場にいた人たち = 運転手、巡査、監督、工夫3人
 話を聞いた人たち = 牛肉屋の客と女中、車夫
 事故の話 = 車夫 → 作者
○当事者の心理を想像してみる。多角的に捉える。
・事故を起こした運転手の心理
・鉄道会社の監督の考え。
・目撃した工夫1、工夫2、工夫3の気持。
登場人物一人ひとりの側からみているので立体感がより強くなっている。
3.名作観察読み(家族・季節・店内・戦争)
家族観察・テキストはジュール・ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。
「犬」「いやな夢」「失礼ながら」を読みます。訳は窪田般彌
 今年も、家族事件が続発しました。事件が起きるたびに、決まって近所や知人は、「まさか、あの家族が」「幸福そうにみえました」「普通の家族です」などと証言しています。他者の目から、どんなに幸せに見えても、その家の事情はなかなかわからないものです。『にんじん』一家も作者「にんじん」から見ると問題があります。どこに問題があるのか考えて見ましょう。家族構成は次の通りです。作品から見る家族の性格を観察してください。
父親 = ルピック氏   例 → 子供思いの普通の父親
母親 = ルピック夫人  例 → 躾にうるさい母親だが愛情はある
兄  = フェリックス  例 → 長男らしいおっとりした性格
姉  = エルネスチーヌ 例 → 意地悪そうだが弟思いのやさしい姉
私  = にんじん    例 → ひがみ屋だが本当は甘えん坊
季節観察 ・テキストはヴェルレーヌ(1844-1896)の「秋の歌」「沈む日」
 季節をうたった詩はたくさんありますが、ヴェルレーヌの『土星の子の歌』の「秋の歌」はよく知られています。堀口大学訳。
乗客観察・テキストはO・ヘンリー(1862-1910)の「心と手」大久保康雄訳を読みます。
 米国文学というとヘミングウェイやフォークナーを思い浮かべるが、短篇小説の面白さにおいては、やはりO・ヘンリーだろう。「アメリカのモオパッサン」といわれている。
 この作家は、10年たらずの作家生活のあいだに、およそ280編の短篇作品を残している。人生の断面、街の片隅など、どんなところでもしっかり観察して、オチのある楽しい作品をつくりだしている。「心と手」も、その一つである。芝居で上演もされた。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.88 ―――――――― 4 ――――――――――――――――
店内観察・ ヘミングウェイの『殺し屋』大久保康雄訳を読みます。
 20世紀短篇小説で、最高峰にある作品といえる。簡潔な文体のなかに、人物観察・状況観察がしっかりできている。ヘミングウェイ作品の原点が詰まっている。
戦争観察・ テキストは、石川達三のルポタージュ文学最高峰『生きている兵隊』
 毎年、日本の政治は靖国参拝問題、教科書検定問題で混迷する。すべては、63年前の戦争が原因である。この作品は、あの不幸な戦争の発端となった南京攻略戦を描いたルポタージュ作品である。日本において最高峰にあるといっても過言ではない。戦争がはじまれば、どんな人間も戦場にいくことになる。いい人間も悪い人間も。戦地で彼らは、どう変貌するのか。昭和13年、はじめて中国に行った昨日まで一般市民だった日本の兵隊をしっかり観察している。この作品は、発売されたその日に発禁中止となった。
4.「少年王者」紙芝居稽古
 時間あれば、この前のつづきから稽古。「少年王者」は、60年前、子供にも大人にも人気のあったベストセラー作品です。紙芝居の形にしましたが、物語の面白さは・・・・・。
             怪しい乗客             下原敏彦
  それは土曜日の蒸し暑い夜だった。私は、松本発、千葉行の特急「あずさ」に乗車していた。旅から千葉の自宅にかえるところだった。時間は、夜八時を過ぎていた。「あずさ」は、三時間の長旅を終え新宿に到着した。乗客の大半が下車した。ほとんどが信州の旅を楽しんだ旅行客だった。皆、久しぶりの都会の暑さにうんざり顔で、降りていった。空いた車内に、特急券を支払って千葉まで行く乗客が乗ってきた。私の前の座席には、台湾人の旅行者らしき母娘が乗っていたが、錦糸町で彼女らが降りると、その座席に年の頃、四十歳前後の男が座った。ネクタイはしていないが、白いワイシャツに黒っぽい背広姿で、一見、サラリーマン風であった。錦糸町から、特急に乗車することに疑問はなかった。たぶん、急いでいるか、座って帰りたかったのだろう。何事もなかったなら、まったく記憶にも残らない乗客だった。暫くして、白い制服を着た五十前後の車掌が切符をきりにきた。いつも感心するが、どこで見ているのか新しい乗客があると、必ずやって来る。
「おそれいります」車掌は、前の座席の男に一礼して声をかけた。
 窓際に座っていた男は、はじめて気がついたように振り向いた。
「ああそうか、特急券ね」男は、つぶやきながらきいた。「いくら?」
「五百円です」「あ、そう」男は、頷いて胸ポケットから財布をだした。
 なんでもないいつもの改札光景。私は、時計に目をやった。次が降りる駅だったので降りる支度をして、再び顔をあげると、まだ車掌がいる。男がお金をだすのを待っているようだ。
 男は財布をひろげ小銭を計算しているらしい。が、なかなか渡さない。しばらくして、男は苦笑しながら言った。
「五百円ですよねえ、ちょっと足らないんですが」
車掌は、無視して黙って立っていた。すると、男は胸ポケットからスイカをだしてみせ
「これでは・・・」と言った。
「特急料金は、現金でいただいております」車掌は丁寧に頭を下げた。
「だめですか」男は、困った顔で、なおもスイカを差し出した。
 あとから思うとそれが墓穴となったようだ。車掌は、男の執拗さにスイカを受け取った。そして鞄にあるコンピューターで確認した。
「お客さま、これは昨日、錦糸町改札になっていますが」
男の反応はなかった。車掌は、すぐにその場から離れた。駅に着いたが男はそのままだった。列車が動き出すと、車掌がやってきた。男はおとなしく後に従っていった。
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2007年、読書と創作の旅・旅記録
10・15ゼミ報告
 10月15日(月)、は4名の出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  茂木愛由未 山根裕作 髙橋享平
1.ゼミ誌編集委員(髙橋享平・山根裕作)ゼミ誌作成についての話し合い。決定したの
 は下記の事項です。
○ タイトル → 『CoCo☆den』(ココデン)に決まる。
○ 表紙   →  候補作品を描いて・写真など持参してくる。
○ 仮完成  →  11月15日(木)までには、ゼミ雑誌仮完成にする。
○ 提出日  →  12月14日(金)に間に合わせる。
2.新聞コピー配布
 ・最近のドストエフスキー作品新訳『カラマーゾフの兄弟』情報。
 ・神田のニコライ堂のニコライ大主教(1836-1912)に関する情報。
ニコライ著『ニコライの見た幕末日本』中村健之介訳 講談社学術文庫
【裏表紙の解説】ニコライ堂で知られるロシア正教の宣教師ニコライは、幕末・維新時代の激動の渦中に日本に渡り、函館を本拠地に布教活動を行った。本書は、そのニコライがつぶさに見た日本の事情を、祖国の雑誌に発表したものである。ニホンの歴史・宗教・風習を、鋭い分析と深い洞察を駆使して探求し、日本人の精神のありよう、特質を見事に浮き彫りにしている。「日本人とは何か」を考える上に、多くの示唆を与える刮目すべき書である。
【土壌館評】一般的にキリスト教布教者の日本ルポは、どうしても宗教色の強い偏見的ものになってしまう。が、本書は、そうした弊害をまったく感じさせない。すこぶる客観的に、自分の目で見、耳で聞いた日本の姿を書き表している。日本人の宗教観、歴史も正しく語られている。
3.復刻版・岩波写真文庫『一年生』-ある小学教師の記録ーを見る。53年前の小学一年生
 の学校・家庭・授業風景。当時は、下駄、わらじ通学も普通だった。学校は石炭ストーブ。
 テレビは、はじまったばかり。ラジオが主流だった。「一丁目一番地」「少年探偵団」「赤
 胴鈴の助」が流行っていた。
4.家族観察・ルナールの『にんじん』「めんどり」「しゃこ」を読む。
「めんどり」田舎の夜は、今日でも怖いものだ。真っ暗になる。お手伝いさんが閉め忘れたニワトリ小屋の鍵を誰が閉めにいくか。母親は、兄、姉と指名していって最後に、にんじんに命令する。兄、姉は読書中で、にんじんだけが何もしていなかったのだ。にんじんは渋々行く。大冒険をやった気持だった。が、家族は全く無視している。そればかりか母親からは、戸締りは、これからはおまえの仕事だと決め付けられてしまう。にんじんにすれば理不尽な話ではある。しかし、兄弟がいると、よくある話である。この家庭に問題はあるか・・・?
「しゃこ」子供の頃、家で鳥肉を食べるときは、タマゴを産まなくなったニワトリか、猟で獲ってきたキジだった。羽をむしるのは子供の役目。フランスも同じようだ。猟で半死にの鳥を誰が殺すか。ここでも「にんじん」に白羽が。にんじんは嫌で、早くすまそうと一度に二羽を殺す。それも、即死ぬように、力をこめて。それが家族から残酷な奴だと非難される。間違った見方をされてしまう。これもよくある話である。
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2007年、読書と創作の旅・後期
ゼミ雑誌について
 ゼミ授業の実質的成果は、ゼミ雑誌発行にあります。が、毎年、刊行日の遅れが指摘されています。また、編集段階でいろいろな問題が生じることもあります。1年間の大切な授業成果なので、しっかり守って、よい雑誌を作りましょう。
 刊行までの要領は、下記の通りです。厳守しましょう。
1. ゼミ雑誌編集委員は、
  髙橋享平君、山根裕作君です。が、全員一丸となって当たりましょう。
2. 10月15日(月)までの進行状況は コーシン出版の件、編集室に説明。
  済み【①ゼミ誌発行申請書】を提出した。提出場所=所沢/出版編集室
3. ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めていく。
  題名=内定「ココ☆den」、内容=車内観察、サイズ=A4版、
  印刷会社=コーシン出版
4. 10月中旬、夏休み前、原稿内容を決める。一人二作(車内1とフリー1、写真可)
5. 10月末日 編集委員に原稿を提出。20~30枚 締切厳守。
ゼミ誌作成終了11月15日(木)を目指す
6. 10月下旬 ゼミ誌編集委員は印刷会社から【②見積書】をもらい料金を算出しても
  らう。
7. 10月~末日 編集委員は、印刷会社と、希望の装丁やレイアウトを相談しながら
   編集作業をすすめる。
8. 10月末までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
9. 11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿してください。
10. 12月14日(金)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
11. 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
12. 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
◎ 予算金額は、ゼミ雑誌作成ガイダンスで発表される。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
◎ 外部(一般の人)と関係しない。(インタビュー、依頼原稿など)
ゼミ誌提出期限は、12月14日です。
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土壌館情報・草稿1
嘉納治五郎とは何か
土壌館編集室
はじめに
 今日、嘉納治五郎といえば、柔道の創始者としてよく知られている。が、嘉納が唱え訴えつづけた理念・理想や歩んだ人生の軌跡を振り返ると、単に柔道の生みの親というだけではない嘉納治五郎像が浮かび上がってくる。それは、世界においては、現在のグローバリゼーションの先駆者ともいえる国際人の姿であり、日本においては近代日本人を作った明治の偉大な教育者としての印象である。
 だが、今日、嘉納の柔道外の功績は、自然か故意にか時代の波に洗われ色あせてしまっている。嘉納治五郎という歴史上の人物について知るとき、私たちは、ただ柔道の創始者としてのみの嘉納を知るだけである。もっとも、その柔道においても近年、日本柔道と西欧柔道の対立のなかで学ばれる機会が少なくなっている。2007年にシドニーで開かれた国際柔道連盟(IJF)理事選挙で、本家日本勢は落選したことは、その現れではないかと想像する。嘉納治五郎は、柔道なしには語れない。それが、今日までの嘉納像であった。本当に嘉納治五郎は、柔道がすべてだったのだろうか。嘉納の生涯をみると、常にこの疑問がつきまとう。たしかに柔道の創始者は、嘉納治五郎である。世界に普及させたのも嘉納である。
 嘉納治五郎が亡くなってから来年2008年で70年になる。私たちは、嘉納治五郎をそろそろ柔道とは違った土俵で、考えてもいいのではないか。今日の世界の混乱をみたとき、強くそう思うのである。嘉納治五郎とは何か。柔道という脇役を除いたとき、そこには本当の嘉納治五郎の姿がある。本稿で、その生涯を検証することで明らかにしたい。
一、嘉納治五郎とその時代
 いまから69年前、昭和13年(1953)嘉納治五郎は、オリンピックのカイロ会議に出席し、第12回オリンピック東京大会招致に成功した。意気揚々の帰路の太平洋上氷川丸船中で肺炎のため急逝した。79歳だった。老体に鞭打って世界平和の象徴ともいえる東京オリンピック招致に奔走していた嘉納の突然の死。心ある日本国民は哀しんだ。が、ひそかにほくそ笑んでいた人間もいたと想像する。軍部と戦争推進者たちだ。このころの日本は、戦争へ戦争へとひた走っていた。年表をみると、その危機ぶりがよくわかる。
1931年(昭和6年)72歳 満州事変
1932年(昭和7年)73歳 上海事変 犬養首相射殺される
1933年(昭和8年)74歳 日本国際連盟脱退
1934年(昭和9年)75歳 満州国帝政実施
1936年(昭和11年)77歳 ロンドン軍縮会議脱退
1937年(昭和12年)78歳 盧溝橋事件、日支事変 日独伊三国防共協定調印
             南京占領
 年表から、日本が着々と戦争に向かって動き出しているのがわかる。こんなとき、精力善用自他共栄の理念を掲げ、世界を飛び回っている人間がいるとなると、戦争を企む連中にとっては、迷惑千万、目障りな存在以外なにものでもない。だが、その人物が、柔道の創始者ともなれば厄介である。嘉納が柔道に託した理念は、このようなものであった。
 世界に柔道の技術を普及すると同時に、その根本原理である精力善用自他共栄の本義を宣明し、国際の関係を円満にし、人類の福祉を増進せんとする運動である。
 本稿は、嘉納治五郎の生涯から、嘉納が真に目指したこと、為さんとしたことを考えてみることが目的とした。
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2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇創作・習作
KINCHOU
    キンチョウ ―サムライの約束―
土壌館編集室
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・大和大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・大和大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 浩・・・・・ヒロシ。カメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者 プノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈ヤマ族の村へ〉一「戦慄の旅」二「激流を渡って密林へ」三「ヤマ族」
あらすじ(第二~三章まで)
 10年前、インドシナ最大の密林魔境カルダモン山地を訪れた大和大学探検隊の隊員たちは、山岳民族ヤマ族との約束を果たすために再びインドシナに戻ってきた。タイ国境まで密林ガイドをたのまれたのだ。部落までは、3月の政変で鎖国が解かれたカンボジアが近道だった。彼らは1970年7月、3月政変があったカンボジアに入国した。戒厳令下のプノンペンは危険な都だった。ゲリラ活動は激しさを増していた。新政権樹立と同時に国交を結んだ米軍のじゅうたん爆撃がはじまっていた。大学を出て10年、隊員は、それぞれの道を歩んでいた。密林ガイドの7日間の仕事のポカは厳しかったが、サムライの約束キンチョウを守るためにやってきたのだ。想定外に不安を感じる隊員たち。だが、出発を決心する。柳沢医師は一人迷う。メコンとトンレサップの合流に掛るカンボジア最大の橋、ニホン橋にくる。多勢の市民が夕涼みに出ていた。その中にゲリラがいた。彼らは橋を爆破し、政府軍と撃ち合いになった。巻き込まれた隊員たちは、急いで、船まで走る。濁流に落ちる橋げたと欄干。そのなかに一瞬きらりと光ものが、副長の中島教一郎のメガネだった。逃げ遅れ、橋とともにメコンの藻屑と消えた。迫りくる政府軍の一斉射撃。銃弾が雨霰と降り注ぐなか脱出する。
 真っ暗な闇のなかを船は、遡上する。中島を失った隊員たちは、引き返すべきかまだ迷っていた。柳沢医師は、船に乗ってしまったことを悔やんだ。ただ一人フリーカメラマンのヒロシは、興奮状態にあった。銃撃戦と巨大な橋の崩落を目の前にしたのだ。自分は戦場にいる。憧れの岡村昭彦になれる。ヒロシの希望とは裏腹にメコンの上流からは、大勢のベトナム人の死体が流れてきた。ゴム農園で働く人々だった。
第四章
一 戦慄の旅
 時刻は昼近くだったが、辺りは夕暮れのように暗かった。激しい雷雨がやんだばかりだった。こい靄がたちこめるなか六人を乗せた船は、わりとおおきな船着場に着いた。隙間から大勢のカンボジア人が忙しそうに働いているのが見えた。リー・セン商会のトラックが迎えに来ている、手はずだという。
「町があるのか?」
「ええ、ここから、アンコールワットにも行けるんですよ」ソクヘンは説明した。
「そうか、やっと降りれるのか。飯でも食って、ついでに見物していくか」柳沢は、やれやれといった顔で、立ち上がろうとした。
「そうだな、せっかく来たんだ。歴史的建造物でも拝んで行くか」高木も同調する。
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.88
「だめ、だめですよ」ソクヘンは慌てて言った。「あまり見られない方がいいんです。迎えきます。待っててください」
「なぜ、だめか?!」
西崎隊長は、眉をひそめて聞いた。
「怪しまれるとやっかいです。迎えが来ますから、それまで出ないでください」
「なんだよ、連中、みんなゲリラか」
「やめとけ。あの橋のこともあるから」一の瀬がつぶやいた。
「そうだな、へたに現地人と接触しない方がいいかも」西崎隊長は頷いた。
 また雨が激しく降り出した。林の方に駆け去る船着場の男たちを割って、一台の幌つきトラックが現れた。
「あ、きました!」ソクヘンは、叫んだ。「乗ってください」
六人は、外に飛び出した。シャワーのような雨が頭に降り注ぐ中、渡し板にとび移った。
「グッドラック」
船頭の若者が、叫んで手を振った。
「グッドラック」
高木も思わず言ってから、振り返って船頭をみた。彼の顔は、靄でみえなくなっていた。船は、もう岸を離れていた。
六人は、幌の荷台に飛び乗った。中は、衣料品や缶詰類の日用雑貨が詰まれていた。運転手の男が、紙袋を差し入れ。
「ボスから頼まれた」とソクヘンに渡した。
「リーセンさんは無事か」ソクヘンはクマイ語で聞いた。
「大丈夫だ、それで六人分のパンを用意した。橋から落ちた日本人は、見つからない」
運転手はそれだけ言って運転台に戻った。
「彼は、・・・」
「リーセン商会の人です。電話があったそうです。中島さん見つからなかったそうです」
「そうか・・・」わかってはいたが、皆、肩を落とした。
 袋の中には、細長いフランスパンと、ハムとオレンジが六人分、それに竜眼と呼ぶ果物が入っていた。皆は、夕べから何も食べていなかったことを思い出し、夢中で頬張った。
 高木は、積み荷にあったセブンアップの瓶の蓋をベルトの金の部分で開けると、ラッパ飲みしながらふと船の船頭が、別れ際に言った言葉を思い出した。
グッドラック、たしかにそう言った。
「彼、英語話せたのか。船の――」
「ええ、サイゴンの方にも行ってますから、少し」
「なんだ、そうなら、情報仕入れておけばよかったなあ」
高木は舌打ちして残念がった。
ソクヘンは、ほっとした。もし話していたら、赤い悪魔のことを話してしまったかも知れない。そしたら密林ガイドを断られるに違いないと思ったのだ。トラックがひどく揺れた。幌の破れ目から覗くと、崩れた遺跡の中を走っていた。「ここは」高木は聞いた。
「シェムレップの近くの町です」
「ホテルはないのか」柳沢はハムをかじりながら聞いた。
「ありません。あってもダメですよ。みんなが待っている」
「あっそう」柳沢は、疑い深そうに言った。「それにしても、なんだって、そんなに急いでいかなくちゃあならんのだ」
「すみません」ソクヘンは、謝るばかりだ。早く村に戻りたいのもあったが、それよりも赤い悪魔たちに知られるのを恐れた。ヤマ族が案内人を頼んでタイ国境めざして逃げようとしている。そのことを知ったら、彼らは、雨季明けを待たずして攻め上ってくるに違いない。悪魔たちは、そこいらにいる。なんとしても、知られてはまずいのだ。
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「ヤマ族には、ほかの人に知られちゃあまずい、よほどの事情があるのだろう」
西崎隊長は高木に小声で言った。
 ソクヘンは、聞こえぬふりをしていた。外がにぎやかだ。
「お、すげえ。兵隊だらけだ」退屈しのぎに外をのぞき見ていた柳沢は驚きの声をあげた。
 皆、幌の隙間を覗き込んだ。トラックは、田舎町を走っていた。が、通りは、米軍とロンノル軍の兵士でいっぱいだった。いきなりトラックが止まった。検問だ。皆、緊張した。が、すぐに走り出した。リーセン商会の威光は、強いらい。町を離れると、しばらく田園地帯がつづいた。山に入るとひどい悪路になった。あまり揺れるのでヒロシは気持ちが悪くなった。道はどんどん狭くなった。木の枝がバシバシとトラックに当たった。しばらくして不意にトラックは止まった。
「どうした、まだ行けるだろ」
西崎は地図を見ながら言った。
「ここから先は、いけない」運転手は、なぜか怯えた顔で言った。
「ゲリラか」
「はい」ソクヘンは、直接運転手と話をするのを遮るように言った。
「ベトコンみたいなものでしょ、ゲリラだから」ヒロシは、目を輝かした。ゲリラのなかに潜入して体験記を書く。カンボジアは、はじまつたばかりだ。遅れてきた自分にもチャンスはある。若い野心が燃えた。
「ゲリラにも、いろんなゲリラがいます。彼らは広東人だから恐れるんです」
ソクヘンは、弁解するように説明してから言った。「ここから歩きです」
「やれやれ、やっと歩けるか」
柳沢は、真っ先に飛び降りていった。船とトラックにうんざりしていた。西崎隊長、一ノ瀬、高木がつづいた。ヒロシは、ようやく大地の上に立ってほっとした。辺りを見回すと運転手が嫌がるのも無理ないと思った。道ともいえない岩だらけの山道だった。この先、行っても行き止まりになるように思われた。それになによりもゲリラを恐れているようにみえた。たしかに中島副長が亡くなったのはゲリラのせいだった。日本橋での銃撃戦や橋爆破にまきこまれなかったら副長は死ななかった。そう思うのだが、政府軍より彼らにシンパシイを抱いていた。夜が迫っているのか、空の暗さかわからなかった。時計をみると、まだ午後四時だった。すぎていた。真っ暗な夜のジャングルに向かって歩き出した六人の足取りは、一人ソクヘンをのぞけば軽かった。
雨はあがっていたが、山道は墨を流したように真暗だった。ソクヘンにとってはプノンペンに行くたびに、また帰省するたびに通った道である。真っ暗闇の中を小走りにどんどん進んで行く。文明に慣れてしまった五人は、眼が見えないも同然だった。遺跡があった。この国は、アンコール・ワットのような大きな遺跡の他、大小さまざまな遺跡がそこここにあった。はずれだという。寝袋で明け方まで仮眠した。
「知っている村がある、そこで朝食を」ということだった。
ジャングルを抜けていくつもの村を通った。
夜明けは早かった。雨が、再び降り始めた。が、周囲は一気に見通しがよくなった。うっそうと繁る、林のなかを歩いていた。かなり深い山のなかにいることがわかった。夜通し、歩き詰で、皆、疲れ果てていた。
「もうすぐです」
ソクヘンは、皆を案内して山道を急いだ。東の空が明るくなったころ密林のなかにその村が見えてきた。小高い丘の間に青く繁った田んぼがある。バナナの葉を屋根に敷いた高床の家々がいくつか並んでいる。やっと食べ物にありつける。皆は、ほっした。が、不意にソクヘンは立ち止まった。
「あの村だろ」西崎は聞いた。
「はい」ソクヘンは頷いた。が、その顔はこわばっていた。
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「なんだ?」
「煙があがってません」
「けむりが・・・」西崎隊長は、訝しげにソクヘンをみた。
「誰もいないということです」
「誰もいないとは」高木は聞いた。「どういうことだ?!」
「わかりません。静かにしてください」ソクヘンは、両手で皆に伏せるように示したあと言った。「ぼく、見に行ってきます」
「よし、オレも行く」何かを察して高木は言った。
「おれたちは、ここで待つ、十五分たって、何でもなかったら、あの家の横で手を振ってくれ。何かあったら、竹林の竹を一本揺すってくれ。きっかり十五分後だ」
「OK」
二人は、頭を低くして潅木の中に消えた。
「いったい何だっていうんだ。この国は」柳沢が、またぼやきだした。「なにかへんだぜ、こんどの、奴さんの頼みごとは。何かを隠してる」
「うん、たんなる密林ガイドじゃないな」西崎隊長は、わかっているといったように頷いた。
「中島センセイはまきこまれるわ、死体がいっぱい流れてくるわ、町には兵隊だらけ。なにかあるぜ。そう思わないか」
「インドシナ全体がおかしいんだ。ここだけが特別じゃないさ」一ノ瀬は平然と言った。
「おいピューリッア賞狙いのカメラマンはどうなんだ」柳沢はヒロシをからかう。
「どうって、なにがです」
「この国でみたことさ」
「おい、まて」西崎隊長は、立ち上がって村の方をみた。高木が手を振っている。
「十分しかたっていないぞ。なにかあったようだが、隠れる必要はないようだ」
 皆は、集落に向かった。高木が、恐怖の顔で駆け下りてきた。手で示すばかりで何も言わない。集落には人影がなかった。皆行ってみると、集落の真ん中に串刺しされた人間の遺体がごろごろ転がっていた。子供、赤ん坊、女の陰部に竹やりを突き刺してあった。
「協力を断った村です」
「協力、だれの」
「ゲリラの」
「カンボジアのゲリラは、こんなひどいことをするのか」
「サルがきてからです」
「さる?」
「赤い悪魔です」
「そんな連中がいるのか」
「どうして、話してくれなかった」
「知ってると・・・」
「おれたちは、とんでもない世界に来てしまったのか」
はじめて赤い悪魔の存在を知った彼らは、頭から冷水を浴びた気持ちだった。高木も柳沢も、立ちすくんだ。一人、無表情なのは一ノ瀬だった。
 南ベトナムのゲリラは、日本では、正義のために戦う勇気ある賞賛すべき人々だった。実際、彼らの中に潜入した記者や写真家が証言している。当然、カンボジアのゲリラも、ベトコンのようなもの、と理解した。しかし、彼らの蛮行を目の当たりにしても、なお、信じることができなかった。
「こんなことをするのは、ゲリラではないだろう」
 ソクヘンは黙っていた。こんな残酷なことをする人間は、凶悪な山賊たち。そう思っていてくれた方がよかった。もし、密林で政府軍と戦うゲリラの仕業とわかってしまうと、怖れて帰ってしまう心配があった。        次回、二、激流の向こうへ
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掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き下記の提出原稿があります。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する
□ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳氏 報告「ドストエフスキーと私」
      二次会は近くの居酒屋。
■ドストエーフスキイの会第180回例会
月 日 : 2007年11月24日土曜日
曜日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿
報告者 : 渡邊好明氏
題 目 :  未定          関心ある人は下原まで
新刊紹介
三修社 賢治文学
山下聖美著『「呪い」の構造』2007.8
 宮沢賢治生誕111年。今、伝説のベールが剥がされる!
D文学研究会
猫 蔵著『日野日出志体験』2007.9
猫蔵が渾身の力をこめて書き下ろした日野日出志体験
好評発売中
        D文学研究会刊行
山下聖美著『100年の坊ちゃん』2007.4
  夏目漱石『坊ちゃん』100年を記念して
清水 正著『萩原朔太郎とドストエフスキー』2006.12
ドストエフスキー文学は20世紀の100年をまたぎ超えてゲンダイ文学であり続ける。 
下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社 2006.3
下原敏彦著『伊那谷少年記』2004.6
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
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☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
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