文芸研究Ⅱ下原ゼミ No.89

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)10月29日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.89
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/21 1/28 
  
2007年、読書と創作の旅
10・29下原ゼミ
10月 29日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」)
   ・ゼミ雑誌について 原稿集めと今後の予定   
 2.「車中観察」(『灰色の月』)& 「家庭観察」(『にんじん』)
 3.名作紹介・店内観察(『殺し屋』)戦争観察(『生きている兵隊』)
 4.紙芝居稽古
  
 
速報・ゼミ誌『CoCo☆den』表紙絵候補集まる!
疋田祥子さん提供の四国写真2点
 先にゼミ誌タイトルが『CoCo☆den』(ココデン)と内定した。次に、表紙絵候補の提出が求められていたがは22日、疋田さんが自転車旅行した際、撮った四国の写真を提出した。落日と駅からの海。現在、候補は、この二点である。
最終仮作成は11月15日(木)です
ゼミ誌の仮作成は11月15日です。12月14日の提出期限厳守を目標に、頑張りましょう!
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最近のニュースに想う
 ”食欲の秋”である。が、折角のこの季節、美味しそうな食べ物を前にしても即、食欲とはいかない。「これって大丈夫だろうか」まず、こんな疑念が先に立つてしまう。これもかれも大手から老舗に到る有名会社が、嘘の表示で食材や土産物を売っていたからだ。このところのニュースは食品不審・名物不信のニュースばかりだ。インチキ食品を売ってバレたのは、いまに始まったことではないが、最近、記憶しているだけでも、こんなにある。雪印の牛乳、不二家のケーキ、ミートホープのハンバーグ、札幌石原製菓の「白い恋人」、秋田「比内鶏」の鶏肉偽装、東国原知事で有名になった宮崎の地鶏。そして、超老舗和菓子メーカー『赤福』の小細工販売。どの会社も年間売り上げが億単位の優良企業である。凡者の浅知恵というか貧者の僻みからか、ニュースを聞くたびに「なぜ、こんな大きな会社が」と疑問に思う。『赤福』では「三つ売るより一つ残すな」という社訓があったそうだ。あきれる以外にない。正直に、期限切れと明示して半額セールをやれば、すぐに完売するはず。スーパーで期限切れコーナーばかり漁る我が身にとっては、摩訶不思議な商法である。それにしても昨日、天皇、今日はコソ泥以下。相撲、ボクシング、企業、官僚、政治家。亀田一家に我が身を見て騒いでいるテレビ局。どこを見ても情けないニュースばかりだった。日本国は、見渡せば、道も誇りもなかりける、いずこも同じ秋の夕暮れである。(土壌館)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.89 ―――――――― 2 ――――――――――――――
 車窓雑記
NHK「陸軍特攻隊・許さざる帰還」をみる
 62年前の太平洋戦争末期に日本軍がとった軍事作戦の一つ、行きて帰らぬ特攻隊攻撃は美学という衣を着た愚かな作戦である。が、「カミカゼ」として世界的に有名だ。その言葉は、そのまま今も残って日常用語となっている。(現在、世界のあちこちでテロ犯が起こしているイスラムの自爆犯は、カミカゼではない。カミカゼは、あくまでも敵軍損傷を目的とした作戦である)。それが故に、この作戦に参加した若者たちのことを思うと、たいていの日本人は、厳粛な気持になる。いつだったか、小泉元首相が特攻隊の記念館を訪れたとき、飛び立つ前に家族に書いた遺書を読んで涙したというニュースがあった。こればかりは批判する人は少なかったように記憶している。日本を守るために、自らすすんで突撃していった若者たちの英雄行為。たとえ時代が移ろうと敬意を表すばかりである。
 今日、日本人は、落ちるばかりだ。「最近のニュースに想う」にも書いたが、政治家は、選挙と地盤を世襲することのみに奔走し、役人は相も変わらず袖の下をふくらませ、企業は、ひたすら経済効果しか頭にない。教育もマスメディアも混迷している。こんな社会だからこそ、余計に、あたら無残に若い命を散らした彼らのことが勇敢に思えるのである。
 だがしかし、この作戦を考えた大人たち、指揮した上官たちのことを検証すると、その思いも複雑になる。そして、悔しい気持になる。10月21日(日)に放映されたNHKスペツャル「学徒兵 許されざる帰還」は、まさに特攻隊の影に光りを当てた番組だった。新聞「試写室」には、このように紹介されていた。(2007・10・21 朝日)
 太平洋戦争末期、悪化する戦局の中で繰り返された陸軍の特攻作戦はなぜ、どのように進められたのか、軍部の日記や元隊員の証言などからその真相に迫る。
 44年秋、海軍が特攻作戦を始めると、陸軍も短期間で操縦士に要請した学徒兵らを、命令ではなく志願によって集めて特攻隊を編成する。20歳そこそこの若者が、爆弾を積む代わりに無線機も機関銃もはずされた旧式の97式戦闘機で次々に出撃。故障で不時着したり、機体を撃たれたりして生き残った者は秘密施設に隔離され国賊のそしりをうけたという。
 元隊員の男性は特攻前夜、教師を志しながら23歳で戦死した仲間が「戦争のない国に生まれて教壇に立ちたかった」と言った顔が忘れられないと言葉を詰まらせる。
 あの時代の狂気を肉声で語れる人は、もう少ない。残し、継ぐべき貴重な記録だ。若い人たちにこそ見てほしい。  (菅野俊秀)
 突撃するにも、無念にもその機のあまりのオンボロさから軍艦への体当たりができなかった特攻隊員たち。彼らを待っていたのは、あまりに理不尽な酷い仕打ちだった。彼らは囚人のように秘密裏に一つ所に収容された。その理由は、生きて帰ったことが知れると他の兵士の志気を削ぐことになるからとのこと。彼らはいわれのない罵倒を受け、再特攻の教育を強いられた。そんな中で、彼らは、自分たちは何のために死ぬのかを考えたという。天皇陛下のため、違う!国のため、違う!故郷と愛する人たちを守るため。自分自身をそう納得させたという。特攻隊について語られるとき、愛国、忠誠、勇気といった美辞麗句で飾られる。が、決してそんなものではなかったのだ。今日、学校で愛国心教育が叫ばれている。が、いつの時代でもそうした言葉を口にする者ほど偽善者である。本日29日、国会喚問される防衛省の前事務次官も自衛隊員を前に訓辞をたれていたという。特攻攻撃を考えついた人間、出撃する特攻隊員を激励した上官。彼らの多くは生き延び、平安の生涯を送ったという。当時の最高責任者の一人で「君らだけを死なせはしない」と、演説した将校はなんと昭和58年95歳大往生したという。なんとも浅ましい話しだ。
 特攻隊の姿を客観的に捉えた文学作品といえば梅崎春夫の『桜島』がある。特攻隊に志願すると士官になれるが、ただの学徒兵は一等兵。上等兵に罵られながら主人公は、特攻隊の基地で、遠くから飛び立つ前の特攻隊員たちを観察する。(土壌館・編集室)
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2007年、読書と創作の旅
10・29ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」
・ゼミ雑誌について ゼミ誌編集委員から → 原稿提出など現状報告。
           2.車中観察・テキスト
 テキスト車中観察読みは『灰色の月』をとりあげます。この作品は昭和20年11月(1945)作者62歳のとき書いたものです。最初に書いた車中観察作品『網走まで』は、明治41年(1908)25歳のときである。この間、37年の歳月が流れている。作者志賀直哉は、押しも押されぬ小説家の大家となった。が、日本社会はいろんなことがありすぎた。日露戦争で勝った勝ったと浮かれて戦争を繰り返しているうちに世界ではじめて原爆を落とされる目にあった。車中観察という簡単な作品だが、作者は、既に『網走まで』において『灰色の月』を予見している。初期作品において37年後の日本をしっかり見つめている。
 志賀直哉の代表作は長編『暗夜行路』だが、『灰色の月』も超短篇ながら代表作となっている。日本文学においても名作とされている。なぜ、そんな高い評価があるのか、読みながら考えてみましょう。ちなみに太宰治は、この作品を非難している。
3.名作観察読み(家族・季節・店内・戦争)
家族観察・テキストはジュール・ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。
「尿瓶」「うさぎ」「鶴嘴」「猟銃」「もぐら」を読みます。訳は窪田般彌
 毎日、新聞をひろげ社会面を見ると、必ずといってよいほど家庭内で起きた事件記事が掲載されています。18日(朝日)「18歳、祖母?を刺殺」「男性(父親)重傷」、23日(朝日)「母親殺害17歳 再び精神鑑定へ」、「父親の遺体遺棄 容疑の長男逮捕」、「幼児コンクリート詰め」などなどである。こうした事件が起きるたびに、決まって近所や知人は、「まさか、あの家族が」「幸福そうにみえました」「普通の家族です」と証言しています。他者の目から、どんなに幸せに見えても、その家の事情はなかなかわからないものです。
『にんじん』一家も作者「にんじん」から見ると問題が大ありです。果たして、ここに書かれた話は真実のことでしょうか。もし本当だとしたら、どうしてこんな情況になってしまったのか。たんに「にんじん」自身に問題があるのか。もし、問題があるとすれば誰が一番に責任あるのか。考えて見ましょう。家族構成は次の通りです。
 作品から見る家族の性格を推察してください。
父親 = ルピック氏   例 → 子供思いの普通の父親
母親 = ルピック夫人  例 → 躾にうるさい母親だが愛情はある
兄  = フェリックス  例 → 長男らしいおっとりした性格
姉  = エルネスチーヌ 例 → 意地悪そうだが弟思いのやさしい姉
私  = にんじん    例 → ひがみ屋だが本当は甘えん坊
お手伝い オノリーヌ 67歳
乗客観察・テキストはO・ヘンリー(1862-1910)の「心と手」大久保康雄訳を読みます。
 米国文学というとヘミングウェイやフォークナーを思い浮かべますが、短篇小説の面白さにおいては、やはりO・ヘンリーです。「アメリカのモオパッサン」といわれている。
 この作家は、10年たらずの作家生活のあいだに、およそ280編の短篇作品を残している。人生の断面、街の片隅など、どんなところでもしっかり観察して、オチのある暖かな楽しい作品をつくりだしている。「心と手」も、その一つである。芝居で上演もされた。
 登場人物を注意して観察していないと、読み終わっても話がわからないこともあります。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.89 ―――――――― 4 ――――――――――――――――
店内観察・ ヘミングウェイの『殺し屋』大久保康雄訳を読みます。
 20世紀短篇小説で、最高峰にある作品といえる。簡潔な文体のなかに、人物観察・状況観察がしっかりできている。ヘミングウェイ作品の原点が詰まっている。
 ヘミングウェイの『日はまた昇る』とプルーストの『失われた時を求めて』が20世紀文学の出発点といわれている。
戦争観察・ テキストは、ルポタージュ文学最高峰石川達三の『生きている兵隊』です。
 毎年、日本の政治は靖国参拝問題、教科書検定問題で混迷する。すべては、63年前の戦争が原因である。この作品は、あの不幸な戦争の発端となった南京攻略戦を描いたルポタージュ作品である。日本において最高峰にあるといっても過言ではない。戦争がはじまれば、どんな人間も戦場にいくことになる。いい人間も悪い人間も。戦地で彼らは、どう変貌するのか。昭和13年、はじめて中国に行った昨日まで一般市民だった日本の兵隊をしっかり観察している。この作品は、発売されたその日に発禁中止となった。
 この作品で注目してもらいたいのは、昭和13年という年です。本通信で『嘉納治五郎とは何か』を連載していますが、まさにこの時代と密接な関係があります。
新聞記事紹介・コピー配布
 □ ゲーテの『ファウスト』について 10月18日 朝日新聞
 金野君からドイツ文学の話がでました。『ファスト』を読んでいるそうですが、10月18日の朝日新聞に漫画家・手塚治虫の『ファウスト』に関する記事が載っていたので、新聞コピーを配布します。ちなみに記事紹介は、次のようでした。
 89年に亡くなった漫画家・手塚治虫の生誕80年を前に、未発表シナリオ「ネオ・ファウスト」が今月刊行された。遺作の一つとなった連載漫画と同タイトルだが、時代や舞台設定が異なる。手塚にとって『ファウスト』はどんな存在だったのか。ゲーテ『ファウスト』の翻訳もあるドイツ文学者の池内紀さんに読み解いてもらった。
 余談だが、創作ルポタージュ『生きている兵隊』を書いた石川達三。この作家の作品に『四十九歳の抵抗』『神崎四郎の犯罪』がある。この両作品は、たぶん私個人の感想ですがゲーテの『ファスト』が下敷きになっている。そんな気がしました。
□ 司馬遼太郎の『坂の上の雲』情報 
 バルチック艦隊司令長官の手紙 ロシアで発見 10月25日朝日新聞「文化」欄
 日露戦争でバルチック艦隊を率いたロジェストウェンスキー中将が、決戦の場となる日本海へと向かう航海の中で記した手紙31通が遺族のもとで保管されていることが、山梨学院大のコンスタンチ・サルキソフ教授らの調査で明らかになった。自軍の状態を冷静に判断し、「この艦隊は滅亡する」などと本音が記されていた。状況判断のできない傲慢な愚将と描かれてきた従来の提督像とは相当に隔たる内容だ。
 1905年、日本の連合艦隊は日本海にてロシアのバルチック艦隊を全滅させた。世界の大方の予想は、日本海軍の敗北だった。なぜ、ロシア艦隊は負けたのか。司馬遼太郎の『坂の上の雲』で描かれた「あれは愚物だ」の評が災いしているとのこと。コピー配布。
4.「少年王者」紙芝居稽古
 時間あれば、この前のつづきから稽古。「少年王者」は、60年前、子供にも大人にも人気のあったベストセラー作品です。紙芝居の形にしましたが、物語の面白さは・・・・・。
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2007年、読書と創作の旅・旅記録
10・22ゼミ報告
 10月22日(月)、は全員出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  茂木愛由未 山根裕作 髙橋享平 金野幸裕
司会進行=髙橋享平
1.ゼミ誌編集委員(髙橋享平・山根裕作)からゼミ誌作成についての説明。原稿枚数の確認。 
 これまでに決定しているのは下記の事項です。
○ タイトル → 『CoCo☆den』(ココデン)。
○ 表紙   →  引田さん候補作品の写真を提出。海と落日。
○ 仮完成  →  11月15日(木)までには、ゼミ雑誌仮完成にする。
○ 提出日  →  12月14日(金)に間に合わせる。皆の原稿が読めるようにメーリン
          グリストを作る(高橋君、提案)
2.テキスト『正義派』読み。
 女の子が電車にはねられて死んだ。運転手と目撃者の見方、考え方の違いから証言は違ったものに。
・電車の運転手=ブレーキをかけたが間に合わなかった。自分の過失のようにも思えるが、
 会社のために不利になることを言ったらマズイといった感覚。
・線路工事の監督=運転手の話に合わせよう。真意は、会社の損にならないように。
・目撃していた工夫=早くにブレーキをかければ間に合ったはずだ。監督に注意されようが、
 見て思ったことを押し通す。
 内部告発の問題も含まれている。最近の『赤福』製造日虚偽や比内鶏偽装の発覚は、社員の中に正義派がいたからである。現代でこそ、マスコミに知られればどんな大きな会社でも悪いことは悪いと罰せられる。が、作者・志賀直哉がいた時代はそうでなかった。この作品を書く10年前、1901年に有名な足尾銅山鉱毒問題が起きた。志賀直哉は、この問題が元で父親に反発していくようになる。
3. フランスを代表する詩人ヴェルレーヌの「秋の歌」を読む。
4.家族観察・ルナールの『にんじん』「犬」「いやな夢」「失礼ながら」を読む。
「犬」田舎の夜は、今日でも怖いものだ。真っ暗になる。お手伝いさんが閉め忘れたニワトリ小屋の鍵を誰が閉めにいくか。母親は、兄、姉と指名していって最後に、にんじんに命令する。兄、姉は読書中で、にんじんだけが何もしていなかったのだ。にんじんは渋々行く。大冒険をやった気持だった。が、家族は全く無視している。そればかりか母親からは、戸締りは、これからはおまえの仕事だと決め付けられてしまう。にんじんにすれば理不尽な話ではある。しかし、兄弟がいると、よくある話である。この家庭に問題はあるか・・・?
「しゃこ」子供の頃、家で鳥肉を食べるときは、タマゴを産まなくなったニワトリか、猟で獲ってきたキジだった。羽をむしるのは子供の役目。フランスも同じようだ。猟で半死にの鳥を誰が殺すか。ここでも「にんじん」に白羽が。にんじんは嫌で、早くすまそうと一度に二羽を殺す。それも、即死ぬように、力をこめて。それが家族から残酷な奴だと非難される。間違った見方をされてしまう。この家族には、想像性と思いやりが欠けているのか?
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.89―――――――― 6 ――――――――――――――――
2007年、読書と創作の旅・後期
ゼミ雑誌進行状況(10・29現在)
 ゼミ授業の実質的成果は、ゼミ雑誌発行にあります。が、毎年、刊行日の遅れが指摘されています。また、編集段階でいろいろな問題が生じることもあります。1年間の大切な授業成果なので、しっかり守って、よい雑誌を作りましょう。
 刊行までの要領は、10月29日現在までの進行状況は下記の通りです。
1. ゼミ雑誌編集委員は、
  髙橋享平君、山根裕作君です。が、全員一丸となって当たりましょう。
2. 10月22日(月)までの進行状況。コーシン出版の件、出版編集室に説明。
  済み【①ゼミ誌発行申請書】を提出した。提出場所=所沢/出版編集室
3. ゼミで話し合いながら雑誌の装丁を決めていく。10月22日、大筋内定。
  題名=内定「ココ☆den」、内容=車内観察、サイズ=A4版、
  印刷会社=コーシン出版
4. 原稿内容 → 一人二作(車内1とフリー1、写真可)
5. 10月末日 編集委員に原稿を提出。メーリングに掲載。提出良好。 
ゼミ誌作成終了11月15日(木)を目指す
6. ゼミ誌編集委員は印刷会社から【②見積書】をもらい料金を算出してもらう。
7. 10月末日~ 編集委員は、印刷会社と、希望の装丁やレイアウトを相談しながら
   編集作業をすすめる。
8. 10月末までに、出版編集室に見積書を提出する。編集作業をすすめる。
9. 11月中旬までに印刷会社に原稿を入稿予定。
10. 12月14日(金)はゼミ誌納品期限です。厳守!!
11. 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
12. 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
◎ 予算金額は、ゼミ雑誌作成ガイダンスで発表される。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
◎ 外部(一般の人)と関係しない。(インタビュー、依頼原稿など)
ゼミ誌提出期限は、12月14日です。
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歴史人物観察 草稿その1(前号とダブります)
嘉納治五郎とは何か①
土壌館編集室
 今日、嘉納治五郎といえば、柔道の創始者としてよく知られている。が、真に嘉納が目指し唱え訴えつづけた理念・理想や歩んだ人生の軌跡を振り返ると、単に柔道の生みの親というだけではない嘉納治五郎像が浮かび上がってくる。それは、世界においては、現在のグローバリゼーションの先駆者ともいえる国際人の姿であり、日本においては近代日本人を作った偉大な教育者としての実績である。人類の幸福と世界平和を願ったコスモポリタンとしての顔がある。柔道は、その理念達成への手段であった。そのことが見えてくる。
 だが、皮肉なことに、柔道の急速な発展と普及、そして日本人がもつ伝統という独特の美意識に嘉納の理念と目標は、すっかり隠れてしまった。
 嘉納治五郎とは、真にどんな人間だったのか。まず、幼少期の年譜を見てみよう。その人間の出発点からおよその人生がわかる。(『嘉納治五郎著作集』五月書房から)
【1860年(万延元年)10月28日】、兵庫県に嘉納家3男として生まれる。姉は2人。父親次郎作は幕府の廻船を務める傍ら船舶を所有し事業を発展させていた。この関係で海軍奉行だった勝海舟とは親交が深い。ちなみに姉、勝子は海舟が訪問しているとき生まれたので勝子としたという。母定子は、本嘉納一族。灘の銘酒『菊正宗』本輔株式会社。父親は嘉納家に養子縁組。この年3月桜田門外の変。
【1869年(明治2年)】治五郎10歳、母定子病死。
【1870年(明治3年)】父親は、維新後明治政府に起用され官界に入り、通商、土木、造船、皇居の造営などに尽力することになる。(勝海舟の縁からではと推測)ということで父親のいる東京にでる。治五郎11歳。
【1873年(明治6年)】育英義塾に入学、寄宿舎に入り、英語・ドイツ語と普通学を学ぶ。10月征韓論に敗れた征韓派参議下野。西郷隆盛も鹿児島へ。
【1874年(明治7年)】外国語学校に入学。英語と普通学を学ぶ。このころから学校での、いじめに悩むようになる。小柄な治五郎には「なにくそ」と思うしかなかった。2月に佐賀の乱。江藤新平(1834-1874)鎮圧される。
 この年表でわかることは、嘉納治五郎は家庭的には裕福な家に生まれた。しかし、父親は幕府や明治政府の仕事で家を留守にすることが多かった。広いお屋敷の中で使用人にかこまれて育った。が、治五郎は、いわゆるお坊ちゃまにはならなかったらしい。幼少期の生活について嘉納治五郎は、「回顧60年」で、このように述べている。
「父親は多くその時の江戸におって幕府の廻船廻漕などの用を務め、維新後は明治政府にも出仕」するなど「終始多忙の身であったから家のことは殆ど顧みる暇がなく母や使用人に委ねてあったわけである。それゆえ自分の幼少の教育は殆ど全く母の手一つによったのであった。」5人兄弟末っ子の治五郎は、母親っ子であった。母親の印象を治五郎は、こんなふうに話している。「母は中々厳格な人であって間違った事をすれば、決して許さぬ。他所の子供と一緒に遊んでおっても、他所の子供には厚くして自分らには薄くするというようなふうで・・・不満に思ったこともあったが、不断は自分に対して極めて情のあたたかい、厳格であると同時に懐かしいのであった。」広大な嘉納の屋敷には、近所の子供たちが大勢遊びに来ていたという。裕福の子も、貧しい家の子もいた。が、定子は、区別することなく平等に扱ったという。明治8年(1875)福沢諭吉は、三田演説館を開館。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と説いたが、定子は、すでに実践していた。治五郎に母定子が教えたことは、「人の上に立つ者は人より先に苦しみ、人よりも遅れて楽しみを受けるべきで、人間と生まれてきた以上は他の為に尽くすということを忘れてはいけない」
 自他共栄精神のはじまりは母親にあったといえる。(来週は少年期紹介)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.89―――――――8 ―――――――――――――――――
2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇草稿・習作
KINCHOU
    キンチョウ ―サムライの約束―
土壌館編集室・志茂
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・大和大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・大和大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 浩・・・・・ヒロシ。カメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者 プノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈ヤマ族の村へ〉一「戦慄の旅」二「激流を渡って」三「ヤマ族」
第五章〈密林逃避行〉一「北北西」二「
あらすじ(第三~四章二まで)
 1970年3月、王政の独裁社会主義国カンボジアに政変が起きた。ロンノル将軍は無血クーデターに成功した。しかし、それは血塗られた内戦へのはじまりだった。戒厳令下のプノンペンに入った大和大学探検隊の元隊員たちを待っていたのは、市内での銃撃戦だった。ゲリラと政府郡の戦闘にまきこまれて副長の中島教一郎は死んだ。彼らは引き受けた密林ガイドを躊躇した。が、サムライの約束、キンチョウを果たすことに決めた。彼らは船でプノンペンを脱出。10年前に行った山岳民族ヤマ族の集落に向かった。だがメコンには死体が浮かび、通りすがりの少数民族は全員虐殺されていた。昭和元禄という平和と繁栄の国からきた日本の青年たちは、恐怖にうちのめされた。だが、もはや進むしかなかった。
第四章
二、激流を渡って
ソクヘンは、黙々と山道を歩いていった。ミユ族が虐殺されているのを見られてしまった。もう隠すことはなかった。大和大学の元アジケン隊の四人とヒロシに赤い悪魔の存在とヤマ族との経緯を包み隠さず話した。なぜ急いでいるかも打ち明けた。
「雨季が明けるまえにか・・・」彼らは絶句した。これが、東京で聞かされたなら、それほどの衝撃も実感もなかっただろう。が、目の当たりにしてしまった今は言葉を失っていた。五十人近い集落の人間が男も女も、子供も年寄りも全員殺されていたのだ。
大和大学の元探検隊は、ソクヘンの頼みの全てを知って戦慄した。キンチョウは、たんに密林ガイドではなく、赤い悪魔と呼ばれる殺人者集団のゲリラからの脱出手助けだった。あまりに危険過ぎる。が、彼らは自分たちが置かれた情況を思い知るより他なかった。大変なことを引き受けてしまった。だが、相変わらずボヤク柳沢以外の隊員に悔いはなかった。ついてきたヒロシは、怖いもの知らずか、真に戦場カメラマンの野心を持ち合わせていたのか、妙に活き活きしていた。五人は黙ったまま、ソクヘンの後についていった。ソクヘンは、わき道に入った。赤い悪魔たちに出会うことを恐れたのだ。山を下りプノンペンに向かうとき、よく通った近道だった。が、潅木や草が密生していて、進むのに困難を極めた。吸血ヒル、グリーンスネーク、毒蜘蛛との闘いがあった。一行はいきなり川岸にでた。川幅はないが、水量は多く流れも早かった。
「この川が外敵から守ってくれるのです」ソクヘンは言った。「この川を渡り、山をのぼれば、ヤマ族の部落です」
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.89
「どうして、渡るんだ」
「乾季の間は丸太橋をつくって渡ります。雨季のあいだは」ソクヘンは、言って流れのゆるやかな方を見た。「あのへんに岩があるんです。秘密の川の道です」
「川にはいるのか」
「ええ、腰までしかないです」
「頭に、荷を乗っけるしかないな」
五人は、川に入る身支度をはじめた。
 そのとき、どこかでピゅーと小鳥が鳴くような音が鳴した。ソクヘンの顔がぱっと明るくなった。彼は、小さな竹笛をだしてピゅーと合図した。河上の方で、ザブンと水音がした。すぐに丸太が流れてきた。曲がり角になっていて、水流の関係か、一行のいる岸にきた。ソクヘンが慣れた手つきで拾い上げた。丸太には、麻縄がついていた。ソクヘンは丸太を河岸にある幹の太い木の又にはさんだ。空中にぴんとはられた麻縄の橋ができた。
「行ってください」
「よし、おれが最初に」
西崎は、腹這いで渡った。
 途中、麻ばしごが反転して背中が流れにつかりそうになった。が、どうにか向こう岸に着いた。銃を持った男が二人、姿を現した。ソクヘンが手を振ると彼らも手をあげた。柳沢医師、ヒロシ、高木、一ノ瀬の順で無事渡り終えた。最後となったソクヘンは丸太をはずし急流にもどすと、自分は、急流のなかの麻縄をたよりに、皆のいる岸についた。
「コーン、ソム」ソクヘンは、言ってずぶぬれのまま二人に抱き合った。ヤマ族の、若者は昨日からここで待っていたらしい。様子みに山をおりて町でリーセンに電話したのだといった。
「赤い悪魔たちがきたのか」
「いや、そうではない」迎えに来ていた若者は首をふった。
「なぜ、」
「いえ、夕方までです」
「夜、渡ってくることはないのか」
「雨季のあいだは渡れない。夜になると、もつと降るのです」
ソクヘンは、言って空を仰いだ、大粒の雨が降ってきた。
         三、ヤマ族の集落
眼下に緑の絨毯を敷き詰めたようなジャングルが広がっていた。インドシナ最大の密林は、降りしきる雨のなかで眠っているよぅだった。カルダヤン山地の、尾根にヤマト族の集落はあった。竹と丸太で作った家屋。十年前と変らぬ風景だった。五人は、ソクヘンの後について集会所に入った。
長老のタオや族長のチャットをはじめ部族の中心となる男たちが待っていた。男たちの顔色がどことなく暗い。一ヶ月前のあの日、会議で決めたことが実現したというのに。ヤマト族は、キンチョウを守ってやつてきた日本人を歓迎する様子がない。どちらかといえば、困ったなといった顔つきだ。シナタと、その仲間だけが、ニャついている。
「遠路、ご苦労様でした」
まず族長のボトンが頭を下げた。が、どこか奥歯に物の挟まった言い方だ。
「申し訳ないが、あんたらに頼む用事がなくなった」
「ソクヘンの出発したときと事情が変わってきていた。
密林を抜けて逃げ延びるのは不可能。彼らに協力して、ということは、何人かの若者をゲリラの戦士として、献上する。その方がよさそうだ。長老の甥であるシナタを中心に、その意見が強くなっていた。
「日本人を信用してもいいのか」
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「ほんとうにあてになるのか」
 知らない土地に行く。その不安が、赤い悪魔の恐怖を上回った。住み慣れた土地を捨てるぐらいなら、少しばかりの譲歩は仕方ない。結局は、そんな考えが、ひろがった。ポルポト兵を殺したのも、あのとき、自分たちが話し合いを拒否し、一方的に断ったからだ。
「話し合えば、赤いゲリラはクメール・ルージュなんだ、よくしてくれる。彼らはもともと人民の軍隊なんだ」
シナタは、皆をそう説得した。
村長ボトンは、腕組みしてため息をつくばかりだ。彼はいまだ新政府に期待を抱いていた。
チャットは、五人の日本人を気にして、何度も会議をぬけだしては
「まだ、話がつきません。わざわざ、きてもらった。約束を守ってくれたことに感謝します」
と、床に頭がつくそうなくらいにわびた。
 ソクヘンが申し訳なさそうに通訳するが、集会場の中を困りきった顔で行ったり来たりする村長をみれば、向こうで何を議論しているのか一目瞭然だった。
「なんだ、なんだ、何、話し合ってるんだ。いまごろ」
高木は、苛立ってソクヘンに怒鳴った。
「すみません」
ソクヘンは、蚊の鳴くような声で謝った。
「中島副長の死は、いったい何だったのだ」
西崎は、苦りきった顔で吐き捨てた。
「まったくの無だ骨か・・・」
「だから言わんこっちゃない。さっさと、帰ろうぜ」
柳沢は、立ち上がった。
「待てください。聞いてきます」
ソクヘンは、慌てふためいて会議の場に飛んで行った。西崎たちも後につづいた。一ノ瀬だけは座ったまま動かなかった。彼は、皆の話には我関せず。日本から持ってきた自分の弓の手入れを黙々としていた。
「われわれは、帰ると云ってやれ」西崎は、ソクヘンに言った。
 長老のタオが、頭を下げた。
「おれたちは、キンチョウをはたした。困ったとき助けにくると。そのために中島副隊長も死んだ。しかし、ヤマ族は本当に困っているのか。困っていないみたいだ。日本では、いまやっている話し合いを小田原評議といって、ダメなことの教訓にしている」
「なんですか」ソクヘンが聞いた。
「無駄な話し合いということだ」
「皆の衆、聞いてくれ」長老のタオは、両手をひろげて皆に呼びかけた。「われわれは、どうしょうか話し合っている。ここを捨ててタイを目指すのか、新政府に助けを求めるのか、赤い悪魔の言うことをきくか。タイを目指すなら、約束を守ってきてくれた日本人の彼らに案内してもらう。新政府に頼むなら、ソクヘンにプノンペンに行ってもらう。赤い悪魔の言うことをきくなら、どうしたらいい。シナタ、どうすればいいんか」
「無駄です。やつらには話し合いなど」
ソクヘンは言った。
「あのときは、話すひまなかったじゃないか」シナタは、ソクヘンを憎々しげに見て言った。「いきなり、彼ら赤いゲリラを怒らせてしまったやつがいたから」
「抵抗しなかったら、みんな連れてゆかれたんだ」ソクヘンは、言った。
「わかるもんか」
「やめんか」長老は、シナタを睨みつけた。「あのときは、みんな立派に戦って、奴らを追い払ったんだ。抵抗は当然のことだった」
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.89
「じやあ、なんだって、みんなは怯えているんです。この地を離れる。それも外国人の案内で。たしかに、あのときは、急なことで、他に考えが浮かばなかった」シナタは、言った。「しかし、この一ヶ月の間、情勢や見方が変ったんだ。噂じゃ赤いゲリラの方がロン・ノル政権より人気があるんだ。いくらアメリカがついているといっても、赤いゲリラには中国がついているんだ。北ベトナム軍やベトコンだって、味方なんだ。プノンペンに攻め入る日が来るかも知れんという話だ。赤いゲリラの仲間になった方が安全だということさ。そうでしょ村長」
「やつらは赤いゲリラなんかじゃない!赤い悪魔だ。見てきたじゃないか。奴らが村々で何をしたか」ソクヘンは怒鳴った。
「だれがやったかわかるもんか!うわさじゃベトナムから来たロン・ノルの兵隊ってうわさもある」
「なぜ、彼らが」
「ベトナムにいたときの恨みだろ。その証拠にベトナム系が、ひどくやられている」
「ミョン族は、ベトナム人とは関係ないだろ。でも全員殺された」
「知るもんか!」シナタは言った。「ナム族はどうなんだ。連中は、なにもされていないぞ」
「若い衆はどうなった?え、若い衆は」
「どっちかにつかなきゃならないんだ。でも新政府についたらどうなる」シナタは勝ち誇ったように人差し指を突きつけた。「なんにもしちゃあくれない。シアヌークのときと同じさ」
「だからといって、悪魔の仲間になるのか」
 この際は、元のクメール・ルージュ赤い悪魔の手下になろうというシナタ派、もう一度新政府に頼もうという村長のボトン派。どちらも当てにできない。タイに逃れて、北部山岳地帯に隠れるしかないとする長老派の三派に分かれた話し合いは、何時間、話しても結論はでなかった。結局、一つの打開策として、赤いゲリラの仲間入り派が、ゲリラとコンタクトとってみるということになった。前回のことを詫びて、許してもらい、ゲリラ協力の人数を聞いてみるということだった。若者一人か二人犠牲になっても仕方がない。シナタと弟分のケムとスオン・チャオが行くことになった。が、実際に手紙を届けるのはチャオだった。チャオは、自分と決まると引きつった顔に、無理やり笑顔をみせた。三人は村人に送り出されて雨の中を山を下りて行った。
〈ここまでのあらすじ〉
 船を下りた彼らはリーロンの会社のトラックで山の麓に着いた。密林のなかにあった少数民族の集落の住民は、何者かに皆殺しされていた。ヤマ族の密林ガイドにきた探検隊はショックを受ける。自分たちが危険な仕事を引き受けてしまったことをはじめて知る。
 ヤマ族の集落に着くが、ヤマ族は、三つに分裂していた。赤い悪魔に詫びて、彼らの傘下に入ることを希望する派。新政府のロンノルの軍隊に協力する派。いますぐこの地を離れタイ国境を越え、安全な山を探す派。困惑する探検隊。フリーカメラマン志望のヒロシは、チャンスと喜ぶ。カンボジアの、しかもこんな密林奥地に足を踏み入れた日本人カメラマンはいないのだ。ヤマ族は、赤い悪魔と話し合うことを選ぶ。三人がヤマを下りる。
       
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掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き下記の提出原稿があります。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する
□ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳氏 報告「バフチン『ドストエフスキイ論』」検証
      二次会は近くの居酒屋。
■ドストエーフスキイの会第180回例会
月 日 : 2007年11月24日土曜日
曜日 午後6時00分~9時00分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿
報告者 : 渡邊好明氏
題 目 : 「ドイツキリスト教神秘主義思想における」
           関心ある人は「通信編集室」まで
新刊紹介
三修社 賢治文学
山下聖美著『「呪い」の構造』2007.8
 宮沢賢治生誕111年。今、伝説のベールが剥がされる!
D文学研究会
猫 蔵著『日野日出志体験』2007.9
猫蔵が渾身の力をこめて書き下ろした日野日出志体験
好評発売中
        D文学研究会刊行
山下聖美著『100年の坊ちゃん』2007.4
  夏目漱石『坊ちゃん』100年を記念して
清水 正著『萩原朔太郎とドストエフスキー』2006.12
ドストエフスキー文学は20世紀の100年をまたぎ超えてゲンダイ文学であり続ける。 
下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社 2006.3
下原敏彦著『伊那谷少年記』2004.6 昭和30年代の原風景
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
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☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
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