文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.349

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2018年(平成30年)7月23日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.349

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23

 

土壌館創作道場 2018年、読書と創作の旅

 

テキスト読み(志賀直哉作品・他) &熊谷元一研究(情報)

 

テキスト=志賀直哉、他(世界文学)、エッセイ・評論の読み。

討論会、テーマを決めて話合う。

社会観察 いま起きているニュース、話題になっていること。

熊谷元一研究(童画・写真観察)写真・童画展情報

7・23ゼミ

 

前期ゼミ観察 自然災害、社会問題、様々な出来事がありました

 

2018年ゼミ前期、気がつけば本日23日、最終日です。豪雨に、いまもつづく猛暑。異常気象の前期でした。政治や教育の場でも信じ難い出来事がつづいています。四カ月といった短い期間でしたが人間の不思議を数多く観察し考察できたと思います。

下原ゼミでは、志賀直哉の作品観察を土壌に、裁判・事件などテーマにあげ話合ってきました。実質的には、刊行が早められた(提出日は例年とおりですが)ゼミ誌について早速に編集方針が決まり目下、順調にすすめられています。また、ゼミ合宿については、全員の歩調が合わず、残念ながら早い時点で本年中止がでています。が、郊外活動として都内での写真コンクール展が実施された。ゼミ授業で行われた主なテーマは以下の通りです。

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▽テキスト観察 = 志賀直哉作品『或る朝』『網走迄』『菜の花と小娘』『女児を盗む話』

▽裁判観察 = ドストエフスキー「継子殺人未遂事件」志賀直哉「剃刀職人殺害事件」

▽テーマ観察 = 日大アメフト及び日大本部問題、私の悩み「日芸で解消」、オウム事件とは何か、虐待事件など観察

▽校外授業 = 第20回熊谷元一写真賞コンクール展見学

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目 次

□2018年「前期ゼミ観察」について――――――――――――――――――――1

□依存を考える ある講演から「透明な存在の正体」――――――――――――2

□ゼミⅡの記録 掲示板 ド読書会お知らせ―――――――――――――――――12

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.349―――――――― 2 ――――――――――――――

 

2018年上半期も、人間の謎ともいえる事件が相次いだ。「人を殺してみたかった」「刑務所に入りたかった」「居場所がなかった」など、そんな不可解な理由や動機から、いきなり見ず知らずの人を襲う、卑劣極まりない犯行。彼らの重罪は当然だが、この謎に迫らない限り被害者は後を絶たない。悲劇はつづく。考察で謎解明に挑む。

20年前、この問題を考えて、あるシンポジュウムで報告した。14年前も、あるカルチャー教室で発表した。今一度当時の論稿を思い起こしてみた。

 

依存論稿紹介

 

一九九九年五月「ドストエーフスキイと現代」シンポジュウム

二〇〇四年六月 世田谷市民大学

 

「 透 明 な 存 在 」 の 正 体

 

ドストエフスキーと現代の問題

下原 敏彦

 

「人を殺して、なぜいけないのか」と問う少年たち。「自分の体でお金を稼いで、なぜ悪いのか」と答える少女たち。現代の問題は、より不可解で、理解しがたい問題となってきている。謎に満ちた現代の問題。はたしてドストエフスキーで解くことが、語ることができるだろうか・・・。今報告のテーマは、この疑問が動機となった。

 

一 、 現 代 の 問 題

 

現代の問題とは何か。毎日のニュースをみていると様々な問題が洪水のように溢れている。その中から現代の問題を象徴するものとして一九九七年に起きた神戸の児童連続殺傷事件をとりあげてみた。この事件には、家庭の問題をはじめ、学校教育の問題、地域社会や戦後民主主義の在り方など、多くの現代の問題が含まれていると思うからである。

それでは日本社会を震撼させた事件、神戸児童連続殺人事件とは、いったいどんな事件だったのか。振り返ってみることにする。およそ事件の推移はこんなであった。

一九九七年五月十八日の明け方、行方不明になっていた小学生児童の生首が中学校校門の前で発見された。切り裂かれた口の中には挑戦状が入っていた。事件は、こんなショッキングな光景からはじまった。あまりの残虐さに、また例をみない猟奇的犯行に日本中が戦慄した。こんな酷い犯罪ができるのは、頭の狂った大人以外にありえない。マスメディアは、こぞって「黒ビニール袋を持った中年男を追え」と報道した。新聞社に送りつけられた声明文は、連続幼女殺しの今田勇子(宮崎勤)を連想させた。犯人像は青年から中年の、異常な精神の持ち主、もしくは薬物依存者。誰もがそう思うところだった。

しかし、犯人は十四歳の中学三年生の男子生徒だった。少年は、春先にも四人の小学生の女の子を次々と襲い、一人を死亡させていた。少年は精神病者でも、薬物患者でもなかった。憎悪や激昂にかられての犯行でもなかった。少年は、学校生活において少しばかり問題児であったが、家庭では普通の中学三年生だった。調べにたいして彼は殺人の動機を、人が壊れる実験をしたかった、自分が信じる神の生け贄にしたかった、と答えた。

少年は、なぜそんな恐ろしい想念を持ち得たのか。そして実行に移すことができたのか。多くの専門家や識者が言及した。『現代殺人百科』を書いたコリン・ウイルソンも遠くアメリカから論評を寄せた。少年が思春期だっただけに、多くの分析があった。偏差値教育が生

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み出した、戦後民主主義の産物、マスメディアの影響、地域社会の崩壊、父権失墜などなど実に多くの要因が挙げられ、弊害が指摘された。付随してルポライター、精神科医、弁護士、

被害者の父、少年Aの両親といったように少年と直接に、また間接的に関わった様々な分野の人たちの本が出版された。例えば『「少年A」十四歳の肖像』高山文彦著(捜査資料が語る神戸少年事件の真実)、『「少年A」この子を生んで』(父と母 悔恨の手記)などなどである。だが、どの本も、どんな報告も、事件解明には、素人感想ではあるが、今一つ及んでいないように思えた。少年Aを犯行に駆り立てたものは何か。真の責任は両親や学校教育にあったのか。その辺の所がなんとなくうやむやだった。あれから三年の歳月が流れた。しかし、事件の真相は相変わらず深い霧に包まれたままである。

ドストエフスキーの会例会や読書会でも、この事件は話題になった。『罪と罰』のラスコーリニコフや『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフと重ねてみる会員が多かった。前者には少年の非凡人的観念が、後者には猫の舌を切り取って集めるという奇行癖が類似視された。また、研究者のなかからも「神戸の少年Aにはドストエーフスキイ的なものが感じられる」といった話がでた。だが、その指摘は論及されることなく「両者の関連を理論づけるとなると難しい」といった解釈にとどまった。はたしてドストエフスキーで現代の問題―――つまり神戸の児童連続殺傷事件を解くということは、可能だろうか。

私は、この事件は「透明な存在」が引き起こした犯罪と仮定して想像・創造批評的に推理してみることにした。そうすること・・・「透明な存在」を犯人にすることで、ドストエフスキーと神戸事件とが密接に関係してくると思うからである。そして、そのこと(両者を繋げること)が現代の問題を解くヒントになるのでは、と信じるからである。

この事件は、前述したように一般的には両親の子育ての失敗、偏差値教育の歪み、メディア社会の悪影響、少年自身の病的性格といった原因があげられた。たしかに事件を生み出したのは、そうした土壌や背景があったせいかも知れない。だが、それが直接の引き金になったとは考えにくい。なぜなら、そうした要因はたいていの現代の少年に当てはまるからである。少年Aだけが特別な環境で育ったわけではない。こうした理由から、私は神戸の児童連続殺傷事件の真犯人は、いわゆる少年Aではなく、少年Aの心のなかに棲みついている「透明な存在」と考えたのである。「透明な存在」という姿なき存在があの残虐極まりない事件を少年Aに引き起こさせたのだと。

それでは、この「透明な存在」とは何者なのか。はたまた、どんな存在なのか。そして、その存在がなぜドストエフスキーに関っていくのか。そのあたりを創造的に論証していきたい。はじめに「透明」という言葉である。この言葉は、それほど珍しくはない。「透明人間」という映画もあれば小説もある。しかし、「透明な存在」という言葉は耳新しい。断定はできないが神戸児童連続殺傷事件の犯人少年Aがつくった言葉だといわれている。(あるいは何かの書物からの引用かも知れないが・・・。)

「透明な存在」、この言葉は、逮捕前に神戸新聞社に送った声明文のなかに書かれていた。次は、その箇所の抜粋である。(神戸新聞社に送った少年Aの声明文から)

 

「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを」

「それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した」

「そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」

このように三箇所に使われている。この「透明な存在」について、いくつかの解釈がある。たとえば、厳しい母親の躾や、理不尽な学校教育のせいで自己がすり減って無くなってしまった、という見方(評論家・教育関係者にはこの考えが多い)。他に現実からの逃避願望、居場所喪失感といった見方(カウンセラー・心理学者関係者に多い)など。

私は、この「透明な存在」を物質的に捉えてみた。そして、この存在を少年Aと切り離し

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て考えた。そうすることで、この存在を少年Aの心の中に棲みついた、もうひとりの誰か、見えない寄生木のようなもの、と想像した。

少年Aは、自分の心に巣くった「透明な存在」について、次のように書き表し分析している。(少年Aの作文「懲役13年」から)

その存在は「止めようもないものはとめられぬ」

その存在は「とうてい、反論こそすれ抵抗などできょうはずもない」もの

その存在は「あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせている        かのように俺を操る」もの

この文面から思うことは、「透明な存在」とは、自分の意志より強く、自分を自由にコントロールしようとする存在、ということになる。このような存在を描いた文学作品がいくつかある。たとえば、次の作品の主人公たちである。

☆スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド』のハイド氏

☆ドストエフスキーの『二重人』の調子のよいゴリャートキン氏

他に、現在、米国で話題になっている多重人格者を描いた作品。ダニエル・キースの『24人のビリー・ミリガン』などを思い浮かべる。また、日本では人気漫画家・浦沢直樹が描く『モンスター』もそれを感じさせる

「透明な存在」に操られると主人公たちの人格は一変する。その性格は、概して①憐愍の情がない ②自己中心的 ③恐れを知らない(無神論者)、といった特徴がある。いわゆる悪魔的人物像である。十四歳の少年が生首を抱えて平然と真夜中の街を徘徊する光景を想像すれば頷けなくもないだろう。

他に「透明な存在」は、ドストエフスキーの作品『地下室の手記』の主人公がいう蒸溜器人間を彷彿する。すべての元素をレトルトして最後に残った存在。それは、「きみの意向などかまわず、割りこんでくることになる」ほどに強度の自意識を持った存在でもある。

この存在こそ人間がはるか昔から「神」と呼び、「悪」と呼んで恐れ拝してきたものではないだろうか。この「存在」が少年Aを操り、あの残虐な事件を引き起こした張本人ではないかと疑うのである。つまり事件の真犯人は「透明な存在」であると。

ところで、この「透明な存在」は少年Aの心の中だけに棲みついていたのだろうか。昨今、多発する不可解な事件のことを思うと、この存在はすべての人間の心の片隅に潜んでいるような気がする。ちょうどガン細胞が誰の肉体組織にもあるように。それだけに現代の問題は、より深刻であるといえる。

 

二 、 現 代 の 問 題 と 「 透 明 な 存 在 」

 

神戸の少年Aが逮捕されたとき、テレビの画面で異様な光景を見た。大勢の少年たちが警察署前に集まって、まるで英雄をたたえるかのように歓声をあげていた。彼らを駆り立てているもの。それも「透明な存在」がなせる業かも知れない。

「透明な存在」が介在しているのではないかと思えるもの――現代は、そのような事件・出来事が激増している。例えば毒入りカレー事件、文京区の幼女殺人事件、京都の小学生殺人事件などの凶悪事件から援助交際という売春、幼児虐待、万引き、痴漢に至るまで枚挙にいとまがない。また犯罪ではないがアルコール中毒、ギャンブル狂、過食・拒食などの摂食障害、不登校、家庭内暴力などなど、いわゆる依存と呼ばれる症状にも「透明な存在」を強く感じる。まさに現代の問題のかげに「透明な存在」ありである。

「透明な存在」は、どんな人間の心の中にも潜んでいるものだが、それは普段は小さな無力な存在として潜んでいるに過ぎない。だが、ひとたび適した環境を得て成長すれば、その存在は絶大な力を発揮し、どんな行為でも、その人間にやらせてみせる。まさに少年Aが書いた「あたかも熟練された人形師が,音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺

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を操る」のである。戦地に行った善良な市民が、平気で赤子を串刺しにしたり、強姦もすれば人肉も食らうという話を聞けば頷ける。

「透明な存在」は人間を「どんなこともする、どんなことにも慣れさせる動物」に変えてしまう恐ろしい「存在」である。この「存在」が現代社会に蔓延っている。

ここで「透明な存在」が操る事件・出来事とは何かを理解するために、いわゆる普通の(「透明な存在」が関係しない)事件・出来事との違いを比べてみた。

まず普通の事件は、偶発的であったり、計画的、欲がらみ憎しみがらみであったりする。これに対し、「透明な存在」が引き起こすものは、唐突で、意味も理由もなく、場合によっては動機もない。そして、自虐的・攻撃的・破壊的である。

最大の特徴は、普通の事件は、途中で止めることができるのに対し、「透明な存在」が犯す事件や行為は、自らの意志では容易に止めることができない断念できないところにある。

それだけに犯行は、破滅するか、何かの理由で「存在」が抜け出さない限り何度でも繰り返される。また犯罪行為そのものも、大きな違いがある。存在の犯罪は、目的に執着するあまり、犯行は直截的で雑(証拠隠しがない)である。それゆえ、一見完全犯罪風であっても解決してみると、意外と単純で稚拙な犯罪だったりもする。

たとえばラスコーリニコフの犯罪が、そのよい例といえる。あの「金貸し老婆強盗殺人事件」。歩数まで計算したこの犯罪は、一見完璧である。が、その実、完全犯罪とは言いがたいところがある。「犯罪の実行行為は常に病気にともなわれる」と主張した『月間論壇』掲載の論文の存在。入質されていた指輪と時計の存在。財政状態など嫌疑の証拠や根拠が多すぎる。またラスコーリニコフの犯罪が非凡人思想という「存在」に操られたものではないかという疑いは、彼の行動にも多くみられる。彼は犯行を犯す前に既に真っ黒の本星なのである。断念できる機会は何度もあったのに実行し、考えに考えた犯行だったのに、あっさりと自首した。そして罪に服しても悔悛しない。彼こそ典型的な「透明な存在」操られ人間といえる。神戸の少年A、連続幼女殺人事件の宮崎勤、そして京都の小学生殺人事件の若者。彼らにも、どこか似たもの同族のものを感じる。

人類救済のための殺人衝動。おそらく社会復帰をしてもラスコーリニコフの人生は畢竟、その衝動(存在)にコントロールされるかも知れない。それは人類救済のために核実験を繰り返す人間と重なるものがある。

やめることができない行為は、現代にあふれている。たとえば、「幸せそうにみえたから」といった理由で、たいした知り合いでもない男性に三年間、イヤガラセ電話をかけつづけた主婦が逮捕された。一日二百回以上というから尋常ではない。周囲の証言によると主婦は明朗活発な性格で、幸せそうにみえたという。もし証言通りだとしたら、彼女をそんな陰湿な行為に走らせたものは、やはり「透明な存在」ではなかったか。

「透明な存在」は、必ずしも他者を攻撃(犯罪)するためにコントロールするだけではない。アルコール、ギャンブル、買物など人間が持つあらゆる欲にとりつき、その人の肉体や財産を危うくさせる。拒食症・過食症に陥った少女たちは苦しく悲しい青春を送ることになる。こうした依存行為の原因は、精神医学的見地では心の傷トラウマにあると云われている。が、はたして本当にそうだろうか。この世に生まれた以上、誰にも一つや二つ心の傷があるはず。トラウマは決して特別なものではない。だとすれば、なぜ依存行為は生じるのか。私は、こう想像する。傷口にバイ菌が感染するように、「透明な存在」は心の傷に感染する「透明な細菌」ではないかと。

「透明な存在」は、個人だけではなく、傷ついた国家や民族、迷える人々が集まる共同体にもとりついたりする。その事実を歴史や現在の事件で知る事ができる。崇高な理念の下、独裁者を崇拝したり、国民を粛清したりした。共存を訴えながらも浄化作戦を繰り返した。そして、救済や解脱、癒しを唱えながらも監禁や洗脳、搾取を繰り返すオウムをはじめとする怪しげな宗教集団がおしえている。「透明な存在」は、物質欲だけではなく、主義や理念

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にもとりつき国家や民族をも操ろうとするのだ。

二十世紀は、人間が自由と幸福を目指しながら模索した時代だった。同時に最も「透明な存在」がその勢いを増した時代ではなかったか。なぜ、増殖したか。科学文明の進歩と理想国家の建設と失敗。人類の夢が具現化し挫折した時代。繁殖するのに最も適した土壌神と悪魔がもっとも活躍した時代だったといえよう。十六世紀・百六十万人、十七世紀・六百万人、十八世紀・七百万人、十九世紀・千九百四十万人、そして二十世紀・一億七百八十万人。これは米年報『ワールド・ミリタリー・アンド・ソーシャル』による、犯罪の極みである戦争によって亡くなった世界の推定戦車数である。二十世紀という現代。地球にとっても人間にとっても、きわめて危険で病んだ時代だったといえる。新世紀目前の現在、その危険や病根は未だ回避されていないし癒されてもいない。

十九世紀末ドストエフスキーは『冬に書く夏の印象』や『悪霊』などの作品で文明の危うさや水晶宮の恐さを警鐘した。それはとりもなおさず、「透明な存在」大量発生への警告ではなかったか。「透明な存在」がラスコーリニコフの夢にでてくる「せんもう虫」のように全世界にひろがることへの危惧。当時も今も「透明な存在」の恐ろしさを、正体を知っていたのはドストエーフスキイだけかもしれない。

この存在が神か悪魔だとすれば、まさにドストエフスキーの文学は両者への挑戦ということになる。

 

三 、「 透 明 な 存 在 」 と ド ス ト エ フ ス キ ―

 

ドストエフスキーの作品には、異常とも思える人物たちが次々と登場する。と、いうより物語は殆ど異常な人たちで構成されている。ここで言う異常な人たちというのは、いわゆる「透明な存在」にコントロールされた人達のことである。

例えば『貧しき人々』のマカール・ジェーヴシキン。彼は、若い女性にせっせと手紙を書き続ける中年男だが、その純情行為は現代において、まさにストーカー的と言えなくもない。毎夜、マットレスの中に隠した金貨銀貨をこっそり数える『プロハルチン氏』、『罪と罰』では、前述した非凡人思想に憑かれた主人公ラスコーリニコフ、アル中の典型人間マルメラードフ、自己犠牲の信奉者ソーニャ。水晶宮という『悪霊』にと取り憑かれた若者たちもまたしかりである。『白痴』では、摂食障害に陥ったような過激でエキセントリックな女性がナスターシャをはじめ何人も見られる。

とにかくドストエフスキーの作品には、守銭奴、アル中、吝嗇、非凡人妄想家などあらゆる欲(存在)にとりつかれた人間が多数登場する。彼らは皆、何か強い見えぬ力に操られて行動しているかのようでもある。

ドストエフスキーは、作品の中にこうした人たちを描くばかりではなく、現実の社会のなかにも「透明な存在」にコントロールされたかのような人々や主義を見つけることができた。たとえば社会主義という崇高な理念。そのなかに人々を粛清し奴隷化する「透明な正体」が潜んでいることを見抜いていた。当時、若者たちの心をつかんだチェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』の未来には何があるのかを的確に理解していた。

また、犯罪者のなかにも「透明な存在」に取り込まれた不幸な人を見つけ、彼らを救いだすために手を尽くした。(このためドストエフスキーは、ともすると犯罪者の味方のように誤解される)。犯罪者の救済――『作家の日記』にみる「単純な、しかも厄介な事件」は、その一つの好例である。それは次のような事件である。

五月のある朝、いつものように新聞を読んでいたドストエフスキーは、ある記事に興味を抱いた。それは継母が六歳の継娘を殺そうとして未遂に終わった事件である。この事件は夫に不満を持つ妻が、夫の連れ子である継娘を殺そうと計画。朝、夫を見送ったすぐあと実行した憎むべき事件である。彼女は夫の背中が見えなくなると、急いで四階の窓に継娘を呼

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び、小さな足首をつかんで窓外に放り投げた。彼女は、その足で警察に自首した。十何メートルの高さだったが奇跡的に少女は助かった。しかし、幼い可愛い盛りの子供を殺そうとした罪は、とうてい許されるものではない。が、ドストエフスキーは何か腑に落ちないものを感じた。このことで「しかるに、実際においては、この人非人の継母の振る舞いはあまりに奇怪千万なので」と書いている。存在のにおいをかぎとったのである。

そして、一八七六年十月十五日にこう書いている。

「裁判所で例の継母事件の判決があった/半年前の五月に/幼い継娘を、四階の窓からほうり出したところ、子供は何かの奇跡で怪我一つせず、息災でいたという、あの事件なのである。」判決は、殺人未遂事件の容疑者・継母エカチェリーナ・コルニーロヴァ(20)を二年八ヵ月の懲役に処し、その満期後、終身シベリア流刑という重い、そして単純明瞭なものであった。

この判決にドストエフスキーは不満を感じた。彼女が妊婦だったことから、事件の中に彼女の意志ではない何かの介在を感じ取ったのだ。ドストエーフスキイは、犯罪を行なったのは「並はずれた激情(アフェクト)」と考えた。つまり事件の真犯人は「並はずれた激情」で彼女自身には罪がないというものだった。この論旨でドストエフスキーは裁判史上例のない弁護を熱く展開した。

その結果、動かしがたいと思えたこの判決は覆って無罪となった。このとき、ドストエフスキーが感じたアフェクトというもの、それはもしかして少年Aが自らの心の中に認識した「透明な存在」のようなものではなかったか。私はそのように思うのである。

☆激情(アフェクト)= 少年Aの「透明な存在」=現代の問題を引き起こすもの

それでは、なぜドストエフスキーは、このように「透明な存在」に操られる登場人物を作品に描いたり、実社会のなかに発見することができたのか。

それは、もしかしたらドストエフスキー自身も「透明な存在」に支配され操られていた。そうした事実があったからではないか、と想像する。ドストエフスキーの心の中に棲み、ドストエフスキーを操っていた「透明な存在」とはいったいどんな存在であったのか。

ドストエフスキーといえば死刑宣告、シベリア流刑、そして癲癇の病をもつ文豪ということでよく知られている。が、一時期、もう一つの顔をもっていたことは、一般にはあまり知られていない。ドストエフスキーのもう一つの顔。それはギヤンブルにのめりこんだ賭博者の顔である。ドストエフスキーはルーレットをどうしても止めることができなかった。そのために家族を苦しめ、常に自己嫌悪に陥っていた。

(「家庭から、妻子から金をもぎとってしまったという自責の念でその一週間に夫が味わわねばならなかった苦しみ」)ドストエフスキーがギャンブル狂いするのに、妻のアンナには、理解できなかった。死刑に直面し、酷寒のシベリア流刑を強い意志で耐えることができた彼が、どうしてルーレットごときの誘惑に負けてしまうのか。(「はじめのうち、あれほどさまざまな苦しみ「要塞での監禁、処刑台、流刑、愛する兄や妻の死など」を男らしくのりこえてきたフョードル・ミハイロヴィチほどの人が自制心もって、負けてもある程度でやめ、最後の一ターレルまで賭けたりしない意志の力をどうして持ちあわせないのか不思議でならなかった。」と語っていた。

ギャンブル熱、それは家族への愛も他者へのいたわりも、作家の意志さえも無視する存在。強烈で堅固な、ただひたすら目的だけを果たそうとする非情な存在。二×二=四の存在宇宙に生きる者にとっては、到底、理解しがたい存在なのだ。夫人が理解できないのも無理からぬことである。だがしかし、彼女はその後、夫に取りついた不可解な存在(ギャンブル熱)について、このように解釈し納得した。「これは単なる〃意志の弱さ〃などではなく、人間を全的にとらえる情熱、どれほどつよい性格の人間でもあらがうことができない何か自然発生的なものだということがわかってきた」

ギャンブルという依存症。それは「透明な存在」を限りなく連想する。ドストエフスキー

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にギャンブルをさせていたのはドストエフスキー自身ではない、ほかの誰か。つまりも「透明」という名の「存在」ではなかったか、と思うのである。

それではドストエフスキーはどうしてギヤンブル狂になってしまったのか。この疑問は、なぜドストエフスキーは「透明な存在」に取り憑かれてしまったか、あるいは成長されてしまったのか。

いわゆる専門家の見方として、たいていの依存症(嗜癖)は心の傷(トラウマ)と密接な関係がある、といわれている。つまり心の傷には、「透明な存在」が成育するのに適した環境がある、ということである。心の傷と「透明な存在」の関係について知るには、その人の人生を振り返ってみる必要がある。すると虐待する親には、虐待する親が、自虐の子には、自虐の親が、といったようにそこには必ずや不幸の連鎖がある。

ではドストエフスキーには、どんな連鎖があったのか。彼の人生を振り返ってみると、(私の想像するところではあるが)、いわゆる「透明な存在」が好んで棲みついたトラウマがいくつもある。多感な少年期に愛する母を亡くしたときの傷、また、密かに忌み嫌っていた父親が異常な殺され方をしたときの傷。(間接的に父殺ししたと思い)

もっとも、たいていの人は、その少年期において何らかのトラウマをもっている。だれもが癌細胞を有するように「透明な存在」をも棲ませているのである。そして、たいていの癌細胞がそうであるように殆ど何の活動もしないで終わる場合が多い。「透明な存在」が活動するのは切っ掛けがある。ドストエフスキーの場合どんなきっかけがあったのか。アンナの日記によるとドストエフスキーがギャンブルをはじめたのは、兄ミハイルの急死(一八六四年)以降のようだ。

人の死と「透明な存在」の活動開始の関係。ここで思い出すのが現代の問題といわれる犯罪の容疑者と人の死の因果関係である。連続幼女殺人事件の犯人・宮崎勤は「祖父の死」をきっかけに犯行を重ねたといわれる。神戸の事件も、少年Aの「祖母の死」が引き金となったようにいわれている。京都の小学生殺人事件の容疑者が変わったのも「父の死」以降といわれる。犯罪とギャンブルでは行為そのものは違うが、どちらも親しい人間の死によって潜んでいた「透明な存在」が成長し、恐ろしい怪物と化したことになる。

このように仮定すれば、ドストエフスキーにとりついた「透明な存在」は、兄ミハイルの死を契機に活動を開始したことになる。ギャンブルというかたちで。

ゆえに些か短絡的ではあるが、ドストエフスキーと現代の問題は次のような共通項で繋がってくるのでは、と思うのである。

ドストエフスキー=ギャンブル=止めようとしても止まらぬもの、やめることのできないもの=少年Aの「とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない」(懲役13年)もの「魔物」=「透明な存在」による不可解な事件=現代の問題。

「透明な存在」の支配から、脱出するのは難しい。また、それ以上に心の中に「透明な存在」を見つけだすのも難しい。神戸の少年Aは、例の作文のなかでこう書いている。

「通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そのように振舞う」。独裁者に歓喜する国民、傍からみれば詐欺まがいの宗教をひたすら帰依している信者たち。彼らをみると頷ける。

日本にアダルトチルドレンの言葉を紹介した精神科医は、はっきりとこう断言している。拒食症・過食症、ギャンブルなど依存行為(「透明な存在」)にとらわれた人たちの治療は難しい。医師やカウンセラーだけの力では治らない、と。

神戸の少年Aは、カウンセリング中にあの事件を計画し、実行したのである。

 

四 、 癒 し と 再 生

 

アルコール、ギャンブル、摂食障害など、いわゆる依存行為に取り憑かれた人々が、正常

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な暮らしを取り戻すことは極めて難しいといわれている。神戸の事件をはじめ父親殺し、子供殺し、児童虐待、少女売春、不登校など噴出する現代の問題に、はたして解決への道はあるのか。それはとりもなおさず「透明な存在」に打ち勝つ方法はあるかということでもある。コントロールという呪縛を解くもの。それは、はたして何か。

先ごろ新聞で知ったことだが、非営利組織(NPO)「ニュースタート事務局」という団体がある。「学校に行かなくなる、あるいは定職に就こうとしない若者の再起を手助けする」組織らしい。たとえば彼らが「引きこもり」の若者を助けるためにとった作戦は「兵糧攻め」だった。送金を止め、落城を待つのである。逆境に弱い現代の若者、すぐに出てくると予想した。が、若者は手ごわく、「三万円で、半年もしのぐ猛者」もいたという。なぜ、そんなに持ちこたえることができたのか。現代の若者の心の深層に「富への懐疑」があるのでは、彼らはそう分析した。なぜ、若者は手ごわかったのか。私は、若者が我慢強かったからでも時代への反発意識があったからではなく、たんに「透明な存在」が強かったからではないかと思っている。

たいていの場合、このように物質的に、あるいは精神的な力を頼んでの治療(「透明な存在」を取り除こうとすること)が試みられている。アメリカでは、自分たちで航海させたり幌馬車で砂漠を旅させたりする方法があるという。日本では、死亡事件を起こしたヨットスクールが有名である。つまり、肉体を極限状態にすることて゛「透明な存在」を追い払おうとする。仮に功を奏すことがあっても、かなり危険な方法といえる。

「透明な存在」との闘いについて、少年Aは、作文でこんなことを述べている。

「魔物と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。」と。

ドストエフスキーは、ギャンブルという魔物との闘いに勝った。なぜ作家は、彼の心を支配しつづけた「透明な存在」を、きれいさっぱり追い払うことができたのか。その解明こそ、現代の問題に苦しむ人々を救う事になるのでは・・・と信じる。

勝利の日、その日は突然にやってきた。その記念すべき日のことを作家は一八七一年四月二十八日のアンナへの手紙にこう書いている。

「信じてほしい!じつは私の身に重大なことが起きたのだ。過去十年間にわたってわたしを苦しみつづけてきた、あのいまいましい賭博熱が、いまここにいたって消え果てたのだ。」だがアンナは、すぐには信じなかった。「もちろんわたしは、夫のルーレット遊びの熱がさめるというような大きな幸福を、すぐに信じるわけにはいかなかった。どれほど彼は、もうけっして遊ばないと約束したことだろう。それでもその言葉が守れたためしはなかったのだ。(『回想のドストエフスキー』)」と冷ややかだった。

しかし、この約束は真実だった。アンナはこう証言している。

「その後夫は、何度も外国に出かけたが、もはやけっして賭博の町に足を踏みいれようとはしなかった。」

ドストエフスキーは、なぜアリ地獄から脱出することができたのか。なぜ「透明な存在」という悪魔に打ち勝つことができたのか。彼は、このことについて何も語っていない。ドストエフスキーは、どうして自身の重大事について、触れようとしないのか。大いなる謎である。もしかしてドストエフスキー自身にも、よくわからないのかも知れない。

しかしこの謎は、『アンナの日記』(木下豊房訳)や『回想のドストエフスキー』(松下裕訳)を読むと、いくぶん解けるような気がする。ドストエフスキーから「透明な存在」が去ったわけ。それはアンナ夫人の、無限の愛と辛抱強い温かな見守りがあったからではないだろうか。短絡的な結論ではあるが、私にはそう思えてしかたがない。

案外、「透明な存在」の弱点はそんな単純なところにあったのではないか。「透明な存在」という悪しきマント。その呪われたマントを脱がすには、強い突風でも灼熱の太陽でもない。春の陽だまりのようなやさしい暖かな日差し。そして、いかなる嵐にも揺るがぬ大地。アン

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ナ夫人には、そんな陽光のような愛と、強い意志があったのだ。と。

「透明な存在」とは恐ろしい怪物。存在宇宙の破壊者である。この存在の前には、いかなる医学も、いかなる知識も経験も無力である。唯一、打ち勝つことのできるもの、それはアンナのような愛に満ちた観察眼であり、ドストエフスキーが抱いた自己嫌悪の念である。この両者の強い意志があったればこそ、「透明な存在」に打ち勝つことができた。私は、そのように解釈し、謎解きたい。見守ること・・・それが大切だ。

たら、ねばは禁句ではあるが、神戸の少年Aの両親が書いた「知らなかった」「気がつかなかった」とわびる『この子を生んで』の告白本を読むといっそうそんな気持ちになる。

まとめになるが、少年Aに取りついた「透明な存在」の正体。それはドストエフスキーにとりついた賭博熱と同族のもの、強烈な依存行為ではなかったか。  完

 

熊谷元一研究  創作ルポ 熊谷元一

 

▼第1回毎日写真賞を受賞した『一年生』―ある小学教師の記録―

 

 

またふたたびの東京

 

昭和四十一年六月十六日早朝、熊谷元一は妻貞子と知人の車で伊那谷を縦断する三州街道(153号線)を一路、東京に向かっていた。後続の二台のトラックには、家財道具一式が積み込まれていた。夜明け前の梅雨空は、どんよりとしていたが、東の向こう空は、まるで朝日が昇る前のように白々として明るかった。左手に延々とつづく赤石山脈が妙にくっきりと見えた。見慣れた風景だが、これで見納めになると思うと胸にこみあげてくるものがあった。熊谷は、感無量な思いで、黙然と眺めながら心の中で別れを告げた。

「さらば故郷、さらば赤石の山々」

前年、二十年勤めた小学校教師を定年退職することになったとき、熊谷は、躊躇なく宣言した。

「村を出て、東京に行く」

だが、はじめそれを聞いて誰も本気にしなかった。というより皆は、何のことかわからなかった。東京に遊びに行きたいといっている。そのように解釈しようとした。

妻の貞子でさえ、長年の教員勤めの洗濯に東京見物をしたくなったのかと思った。熊谷は、戦前、戦中、東京で役所勤めをした。結婚し、新婚生活をスタートせたのも東京だった。それ故、東京は熊谷にとって第二の故郷といえる。が、夫が定年後の人生を過ごしたい。そう思うほど東京を懐かしがっていたとは、おもえなかった。

熊谷は、教師時代、既に写真家・童画家として成功していた。熊谷の写真と童画のモチーフは、あくまでも故郷の村の生活、文化、風俗を扱ったものだ。そんなことから、熊谷が村を離れるなどということは、誰も想像だにしなかった。

―――――――――――――――――― 11 ――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.349

 

熊谷の東京行きの言葉は、退職後のご苦労様旅行で二人の息子たちがいる東京に遊びに行く。そんなふうに軽く受け止められた。

しかし、実際は家屋、田畑すべてを片づけて先祖伝来の墓だけを寺に託して、東京に移り住むのだ。その決意を知って、村人は、むろん熊谷を知るだれもがビックリ仰天した。村人の多くは耳を疑った。カメラを持って写真を撮りまわっている熊谷は、村人たちの目には変わりものの先生でしかなかったが、写真家としての評価は知る人ぞ知る、全国区であったのだ。早い話、村の宝、

東京にいる二人の息子たちも、例外ではなかった。突然に、電話で知らされ驚いた。退職金で東京郊外に家を建て一緒に住みたい、との申し出だった。結婚したばかりの長男は、半信半疑で承知した。が、心のどこかでは、まだ信じかねていた。

誰もが思うように、てっきり退職後は、生まれ故郷で、老後を好きな写真を撮り、童画を描きながらのんびり過ごす。俳句を趣味とする妻貞子と悠々自適な生活を送る。そのように思っていたのだ。それに中央高速道建設計画も、決まっている。後、十年も待てば、東京はぐっと近くなる。四時間余りで行けるようになるのだ。老齢になってから、なにもわざわざ、都会に住むことはないのに。

「どうして・・・」「なぜ・・・」

皆は、首を傾げた。あまりに突飛過ぎた話にただ驚くばかりで疑問を呈することさえ忘れていた。

おかげで話はとんとん拍子に進んだ。計画通り退職金で東京に土地を買い、家を建てて長男夫婦と暮らすことができるまでになった。三月に退職してから引越しの今日まで、あわただしい日だったが、それも、もう終わり。明日からは、東京での自分の新しい人生がはじまる。それを思うと身が引き締まった。貞子は、引越し作業でくたびれ果てたのか、眠っている。いや、眠ったふりをしているかも知れない。東京行きをつげても、何も聞かなかった。若いときなら、うれしいかもしれないが、還暦間近になっての東京住まいなどうれしいはずがない。生まれ故郷を捨てて、親、兄弟、親籍とも離れ、趣味の俳句仲間とも別れてゆくのだ。しかし、彼女は、何もたずねなかった。

熊谷は、戦争末期になって、故郷の村に帰ってきた。そのとき、貞子が詠んだ句を突然、思いだした。

 

ふるさとはまだねむたげに春の雪

 

徘句のことはわからないが、ひどくなつかしい気がした。

いつしか空は晴れて夕映えが赤石の峰々に映えていた。まるで、朝日がのぼってくるようだった。いま自分は、ひのてるほうへ、向かっている。子供のころからの夢を果たすために。そう思うと胸が高ぶった。まるで「こどもかけろよ ひのてるほうへ」だな、熊谷は、昭和二十八年に被写体とした「一年生」の文集の題名を思いだしほくそ笑んだ。そして、くちのなかで「望郷」の詩を詠んだ

 

故郷いかに清くとも   

語る人こそ望ましき  

淋しき時ぞ都辺に

故郷の友の名を呼ばん 

 

そうして最後に歌うように小さく口ずさんだ。

 

さらばふるさと  ふるさと さらば             つづく

下原ゼミ通信Ⅱo.349 ―――――――― 12 ――――――――――――――――――

 

 

ゼミⅡの記録

 

□4日9日(月)西村他 ゼミ内容 熊谷元一研究について

□4月16日(月)西村、村瀬 なぜ志賀直哉かについて ドストエフスキーの「読書会」

□4月23日(月)西村、村瀬 テキストよみ開始『或る朝』と感想

□5月7日(月)西村、村瀬 テキスト『菜の花と小娘』と感想

□5月14日(月)西村、村瀬 テキスト「ドストエフスキーとギャンブル」下原エッセイ

□5月21日(月)西村、志津木 テキスト読み『子を盗む話』

□5月28日(月)西村 ゼミ合宿についてなど

□5月31日(木)ゼミ番外 熊谷元一写真賞20周年記念展見学 西村美穂

□6月1日(金)ゼミ番外 熊谷元一写真賞20周年記念展見学 浦上透子(4年)

□6月4日(月)西村、村瀬、志津木 写真 テーマ「日大問題」について

□6月11日(月)西村、村瀬、テーマ「悩み」「ゼミ合宿」「継子殺人未遂事件」裁判行方

□6月18日(月)西村、志津木、テキスト『網走まで』読み 感想書き

□6月24日(月)西村、村瀬 テキスト『剃刀』、脚本裁判判決を考える。

□7月2日(月)西村・志津木 ゼミ誌編集会議 タイトルなど決まる。

□7月9日(月)全員欠、西村さんメール。

□7月16日(月)西村・村瀬 ゼミ誌編集会議

□7月23日(月)

 

掲示板

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日 8月25日(土)

時 間 午後1:30 ~ 4:45 懇親会5:00~ お茶会7:30~

会 場 池袋・東京芸術劇場第5会議室

作 品 『未成年』2回目

報告者 : 富樫紀隆さん 司会進行 :近藤靖弘さん

 

※参加 興味ある方はどなたでも、決まりはありません。自由です。

 

10月読書会は20日土曜日 時間は、都合で夕方6時00分~21時

 

会場・時間 池袋・東京芸術劇場第7会議室 作品『未成年』懇親会21:00~

 

「下原ゼミ通信」・「読書会通信」編集室

課題・投稿などの送り先メール toshihiko@shimohara.net

連絡 090-2764-6052

 

楽し思い出が残る夏休みを!

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