文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.354

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2018年(平成30年)10月22日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.354

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/21

 

土壌館創作道場 2018年、読書と創作の旅

 

テキスト読み(志賀直哉作品・他) &熊谷元一研究(情報)

 

テキスト=志賀直哉、他(世界文学)、エッセイ・評論の読み。

討論会、テーマを決めて話合う。

社会観察 いま起きているニュース、話題になっていること。

熊谷元一研究(童画・写真観察)写真・童画展情報

10・22ゼミ

 

社会観察    南青山に児童相談施設反対騒動のニュースに想う

 

嫌なテレビニュースをみた。東京都港区児童施設建設計画説明会の会場風景だ。反対する関係者が大声で何事か怒鳴っている。上品そうな婦人が、無理につくった丁寧言葉で「ネギ1本買うにもことかくような人たちがくるんですよ」などといったような質問をしている。

質問者の抗議を要約すると、自分のような高級の人間が棲んでいる土地に可哀そうな子供のための施設を作って欲しくない。ブランドが下がる。外国の観光客に恥ずかしい。こんな理由から建設反対と虚勢をあげているのだ。驚いたことにテレビは平等を保つ風をみせながらも「こんな一等地にどうして」などと疑問を呈していた。何を指しての一等地か。価格か、美観か、利便か。確かに土地は一等地かもしれないが、人間は下等のようだ。

先般の目黒虐待死。あまりの酷さに発表した警察官も声をつまらせた。「ゆるして」と書いて死んでいった5歳の結愛ちゃん。あの悲劇を防げなかった大人たち。贖罪として、反省の心を忘れないためにも一等地に建設すべきである。

※人間は、ときには醜い行動を起こす。そんなときメディアは、中立であっていいはずがない。たとえ公平でなくてもそれは変?!と指弾すべきだ。近頃、日本でも右傾化がすすんでいるという。責任はメディアの偽善的平等さが一因かも知れない。

 

目 次

□2018年「社会観察」南青山児童相談施設反対騒動―――――――――――――― 1

□10・15ゼミ報告、」「石川達三」について、フランス文学も―――――――――― 2

□10.22ゼミ「社会観察」口演『范の犯罪』について――――――――――――――3

□創作ルポ「汐留青春グラフティ」、依存観察記録2回――――――――――――― 5

□ゼミ日誌・掲示板―――――――――――――――――――――――――――――8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.354―――――――― 2 ――――――――――――――

 

10・15ゼミ報告 文学雑談 フランス文学&石川達三のススメ

 

航空公園駅のエスカレーターを降りたらスパーの店頭に山積みされたみかんが目についた。曇り空、寒いような、そうでないような。こんな日は風邪をひきそうだ。防止に「そうだ、みかんを食べよう」思い立って一袋買った。村瀬さん、志津木君欠席。出席の西村さんとみかんで文学雑談。先週からはじめた『にんじん』読みからフランス文学の話に。短編の名手モーパッサンのこと。作品「狂人」黙読。これから少しずつ古典フランス文学も。

西村さん、秋田に縁があることから、秋田出身の小説家、石川達三(1905-1985)の話。戦前、戦後の作家。映画化された作品が多い。第一回芥川賞受賞作品『蒼氓』は芥川賞の金字塔。この作品を超える芥川賞作品は、いまだない、と思っている。(編集室)

※昭和13年『中央公論』に発表された名作・創作ルポ『生きている兵隊』は、即日販売中止となる。日の目をみたのは戦後。20万人の大虐殺があったと言われる日本軍の南京攻略戦に従軍して書いた従軍記。石川の作品も紹介してゆきたい。(編集室)

石川達三と太宰治

 

石川達三のことになると、どうしても太宰治の話がでる。第1回芥川賞で有名なのは、受賞者石川達三より四つ若い太宰治が異常にこの賞を欲しがって選考委員たちに自分を選んでくれるよう画策していたということだ。このとき太宰は東大生で、若手有望作家として名前が知れていた。関係者は当然、太宰が受賞するものと思っていた。が、受賞したのは無名のブラジル帰りの青年だった。「どこの馬の骨が」太宰は地団駄踏んで悔しがったという。だが、現在、太宰の作品はまだ読まれているが、反対に、石川の作品を知る若者は少ない。なぜか。受賞した石川達三の作品は、当時の日本の貧困を描いたものだった。貧しい農民は日本から捨てられブラジルに移民するしかない。移民船で現実を知った石川は、怒りをもって国家の絶望を書いた。太宰が書いたのは酒におぼれる大学生。

国家の悩みは、時代の流れのなかで忘れ去られていく運命にある。が、私の悩みは、いつの時代も同じである。それ故、太宰は生き残った。いまもってファンもいるといえる。

石川と太宰。まったく違う作風のふたりだが、編集室は、石川達三の文学をススメたい。石川の文学は、しっかり時代とそこに生きる人間を観察し、文学で正義を貫いている。全世界の人類が幸福になるために小説を書く。志賀直哉やドストエフスキーの理念があるからだ。

 

芥川賞と太宰治

第1回芥川賞では、デビューしたばかりの太宰治も候補となった。太宰は当時パビナール中毒症に悩んでおり薬品代の借金もあったため賞金500円を熱望していたが、結局受賞はしなかった。この時選考委員の一人だった川端康成は太宰について「作者目下の生活に嫌な雲ありて、才能の素直に発せざる悩みがあった」と評していたがこれに対して太宰は強く憤り『文藝通信』に「川端康成へ」と題する文章を掲載、「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思ひをした。小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す、さうおもった。大悪党だと思った」と川端をなじった(川端康成へ)。これに対し川端も翌月の『文藝通信』で「太宰氏は委員会の様子など知らぬというかも知れない。知らないならば尚更根も葉もない妄想や邪推はせぬがよい」と反駁した。また太宰は選考委員のなかで太宰の理解者であった佐藤春夫に何度も嘆願の手紙を送り第2回、第3回の候補になるべく『文藝春秋』に新作を送り続けたが第3回以降しばらく「1度候補に挙がった者は以後候補としない」とする規定が設けられ受賞の機会が奪われることとなった。佐藤はこれらの経緯を「小説 芥川賞」と題して詳しく描いている。(HPから)

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第一回芥川賞『蒼氓』

石川達三氏の出世作である。昭和十年四月、同人雑誌『星座』に発表され、同年第一回芥川賞を獲得した。この時芥川賞の候補としては、石川氏の外に高見順・太宰治・外村繁等の諸氏が挙げられ、これによって数人の作家が眼白推しに文壇に登竜する機縁となった。当時の菊池寛の評言をここに引用して置こう。「芥川賞の石川君は先ず無難だと思っている。この頃の新進作家の題材が、結局自分自身の生活から得たような千篇一律のものであるに反し、一団の無知な移住民を描いてしかもそこに時代の影響を見せ、手法も堅実で、相当に力作であると思う」(話の屑籠) 芥川賞に選ばれたのは第一部『蒼氓』であって、ここでは1903年(昭和五年)、神戸の国立移民収容所に全国から集まってきたブラジル行きの移民たちの、船に乗るまでの八日間の生態が描かれている。 ─解説より─

 

この受賞のあと石川は、売春婦の病気をテーマとした『深海魚』を、ダムに沈む村の悲劇『日陰の村』といった社会問題を書いていく。従軍記『生きている兵隊』は昭和13年『中央公論』にて発表されるも、即日発売禁止となる。

三段論法式にストーリーを展開させるので、読み易い。サマセット・モームのような文体、作風だが、ゲーテの『ファースト』を下敷きに書いた物語も多い。

 

フランス文学のススメ 短編の名手モーパッサン

 

最近の若者は世界の名作文学を読まなくなった。そう云われて久しい。なぜ読まなくなったのか ? 名作というと古典、古典というと受験勉強。そんな堅苦しいイメージがついてしまっているようだ。

世界名作文学には、現代小説には及びもしない面白さがある。現在、ゼミでは志賀直哉をテキストにしているが、後期は、視野を広める目的で外国古典文学のススメもやってゆきたい。先週からはじめた『にんじん』は、その手はじめ。この作品の作者ルナールはフランス人なのでフランス文学について少し話した。

フランス文学は、世界名作文学の宝庫といえる。バルザック、スタンダール、ユーゴーと大文豪が目白押しだが、15日はギ・ド・モーパッサン(1850-1893)のこと。短編の名手である。日本はむろん世界においても短編作品なら彼の右にでる作家はいない。

 

【オススメのモーパッサンの作品】

 

・モーパッサン短編集(新潮文庫)Ⅰ ~ Ⅲ

※360編の短編小説を書いた。ここⅠからⅢには代表作65編が収録されている。

Ⅰには、田舎(田園)もの。 Ⅱには、都会もの。 Ⅲには、戦争ものと怪奇もの。

 

恐怖、悲恋、愛情。どの作品も人間の真実を描いている。

 

・『脂肪の塊』出世作 短編

 

・『女の一生』長編

 

 

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10・22ゼミ

 

社会観察  人間の謎 「夫婦殺傷15歳孫を逮捕」10月20日(土)

 

またしても不可解な事件が起きた。18日、埼玉県和光市のマンションで老夫婦が殺傷される事件が起きた。夫は死亡、妻は重傷。犯人は、同市に住む被害者・老夫婦の孫、中学三年生の少年(15)だった。

 

新聞報道「複数の刃物」「もの静かな子 信じられない」

 

最近、起きた(派出所襲撃など)若者の事件。犯人像は、きまって「真面目でおとなしい子」「勉強はできたが…」だが、今回の事件もそのようだ。が、反抗の動機が、これまでとは、少し異なる。富山や新潟で起きた交番襲撃は、自殺したいが、自分では死ねないので、警察官を襲いピストルを奪って、それで人を殺しつかまって死刑になりたい。なんとも不可解な迷惑な話だが、18日起きた事件は、もっと厄介な奇妙な事件だ。

 

祖父の傷 正面に集中 2018.10.22 朝日新聞

 

中三孫 帰宅直後に犯行か 自宅に血のついた制服 2018.10.22.読売新聞

 

まだ真相は明らかになっていないが、これまでにわかっている動機は、クラスに殺したい同級生がいる。先に殺すと家族に迷惑がかかるので、家族全員を殺してから、その憎むべき人間を殺す。そんな計画だったという。

にわかには信じがたいが、本当だとすれば、元から狂った人間で、これまでそれがわからなかったとしか思えない。先週、西村さんが読んだモーパッサンの『狂人』は、こんなはなしである。

 

社会的にも人格的にも立派な裁判長が亡くなった。故人の机の中から出てきた告白は驚くべきものだった。毎日、殺人事件の裁判を人おこなっているうちに自分も人を殺してみたい。そんな欲求に襲われ、殺人を重ねてゆく。無実な被告に死刑判決を下す。それが心地よいのだ。そんな歪んだ心は、いつからできるのか。生まれついてか、なにかの原因があってか、環境からか。モーパッサンは、人間の深層心理を短編にまとめて物語にすことができる名人。

 

 

テキスト読み  志賀直哉作『范の犯罪』の口演と判決

 

この作品は1913年(大正2年)10月1日発行の『白樺』第4号に発表された。

【創作余談】支那人の奇術で、この小説に書いたようなものがあるが、あれでもし一人が一人を殺した場合、過失か故意か分からなくなるだろうと考えたのが思いつきの一つ。ところがそんなことを考えて間もなく、私の近い従弟で、あの小説にあるような夫婦関係から自殺してしまった男があった。私は少し憤慨した心持で、どうしても二人が両立しない場合には自分が死ぬより女を殺す方がましだというようなことを考えた。気持ちの上で負けて自分を殺してしまった善良な従弟が歯がゆかった。そしてそれに支那人の奇術をつけて書いたのが『范の犯罪』である。レポートは、この犯罪の判決の有無。

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創作ルポ 学園紛争を背景に創作ルポタージュを書く。逃亡生活95日の記録

 

背景メモ

2018年10月11日(木)の朝刊の死亡欄に元警察官僚の佐々淳行(さっさ・あつゆき)さんの

名前があった。老衰のため死去87歳。波乱の人生だったが、穏やかな最期だった。

しかし、全共闘時代の人たちには、ほろ苦くも懐かしい名前である。69年の東大安田講

堂事件、70年のよど号ハイジャック事件、72年のあさま山荘事件など数々の重大事件において陣頭指揮をとった名将である。

当時の日大生にとっても、その名は忘れられない。日大闘争を鎮圧しながらも日大当局

の「ひどさは、最高学府という言葉が恥ずかしくなるようなものだった」(佐々淳行著『東大落城』文春文庫)と憤慨し籠城する日大全共闘学生に同情もしていた。

 

※佐々氏が中隊長として指揮した「日大闘争警備は、紛争が始まった昭和43年4月20日

から、ほぼ紛争が終息した昭和45年6月11日きでの約2年2カ月間に、機動隊数述べ

101691名が延べ277回出動し、殉職1名重軽傷者384名の損害を受けた」

(佐々淳行著『東大落城』文春文庫)

 

2002年11月のある日、私はこんな新聞記事を読んだ。

――鉄道発祥の地、東京都港区の汐留貨物駅跡地、その再開発地区「汐留シオサイト」の玄関となる都営地下鉄大江戸線と新交通ゆりかもめの汐留駅が二日、開業した。――(朝日)

「【汐留再開発】東京・新橋と銀座に隣接する、旧国鉄の貨物跡地と周辺一帯(約三十一ヘクタール)を、東京都が九五年から1463億円をかけて基盤整備を進めた。民間投資は四千億円強、全体で一兆一千億円の経済効果を生むと見られており、首都圏で最大級の事業規模。高級マンションや大企業の本社など、10棟を越す超高層ビルが05年までに次々と立ち上がる。全体の完成は06年で、就業人口六万一千人、居住人口六千人の街になる。」

読み終わった私の脳裏にある光景がよみがえった。それは、もう三十年以上も前の思い出だった。広大な操車場。日本全国から到着する貨物列車。ごった返す鉄道荷物の山。飛び交う怒鳴り声と鳴り響く発着のベル。そこには大勢の若者が働いていた。夢のある青春、挫折した青春。そこにはさまざまな青春群像があった。それらが一気になつかしく思い浮かんできた。

汐留は、現在、瀟洒で華やかなビル街である。が、かつてそこには広大な貨物駅があった。

 

汐留青春グラフティ

 

下原 敏彦

プロローグ

 

木枯らしが吹き始めた秋の終りだった。その日、私は日比谷公園で行われた「ベトナム戦争反対」集会に参加した。当初は、集会の後、銀座周辺をデモ行進するだけの予定だった。が、過激派が大挙して押し寄せため、集会は大荒れとなった。機動隊と小競り合いがはじまり、最後には石や火炎ビン、催涙弾が飛び交う応戦状態となった。大勢の逮捕者がでた。私は、やっとのことで警察の包囲網を潜り抜けヤジウマにまぎれて、神田にある友人の下宿に逃げ込んだ。ノンポリの友人は、不安げだったが、一晩だけと頼み込んで部屋に入れてもらった。その夜、二人でコーラで割ったウイスキイーを角ビン一本空けた。

翌日、昼に目を覚ました私は二日酔いで割れんばかりの頭を押さえて池袋の雑司ヶ谷にある下宿に電話した。仲間から連絡が入っているか知りたかった。

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「Kちゃん、あんた、いまどこにいるの」いきなり大家の女将さんの金切り声が鼓膜に響き渡った。「いまどこにいるのよ! 警察の人がきたわよ。聞きたいことがあるからって。帰ってきたら電話くれって名刺、置いてったから、早く連絡しないと」

女将さんは、興奮気味にまくしたてた。刑事が二人訪ねてきたことが、よほどショックだったらしい。彼女は、私が学生運動に参加していることをうすうす知っていた。日に日に過激になっていくデモ隊に、印象は悪かった。「いったい、なにをやったの?!」と、過敏な反応をみせている。私が、犯罪を犯したようにおもっている。

私も刑事が来たと聞いて、ひどく慌ててしまった。「なぜ幹部でもない私のところに・・」昨日の日比谷公園での機動隊との小競り合い以外、まったく思い当らなかった。が、はじめての警察訪問にすっかり舞いあがってしまった。郷里の両親に知れたらマズイという思いとこれで運動家として一人前になった。そんな相反する気持ちが交差し、なかば誇らしい気持ちにもなった。さっそく本部の幹部に電話すると、「しばらく地下にもぐれ」の指示だった。

私が振り回した角材か、投げた石が誰かに当り大ケガをさせ、そこを写真に撮られたかも知れないというのだ。なぜ、私の名前や下宿まで知っているのかと聞くと、幹部の学生は、あきれ声で冷笑した。

「当局は、みんな知ってる。把握してるよ。学校だって名簿はわたしてあるさ。とにかくいまは隠れていた方がいい」

新入りの私は素直に従うしかなかった。

そんなわけで私は一時的に身を隠すことにした。私はいっぱしの逃亡者になったつもりで、そのまま学校と下宿から姿を消した。

私が潜伏場所として選んだのは、都会のど真ん中にある広大な貨物駅だった。駅で拾ったスポーツ紙で見つけた。

 

【急募!貨物駅作業員。八時~十八時三千五百円、二十四時間勤務六千円】

 

私は、その足で貨物駅に向かった。そこは、身を隠すのに絶好な場所だった。高い塀に囲まれ、広大な敷地にある貨物駅。そこにある建物には、仮眠ベットもあれば、食堂も風呂もある。門を一歩外にでれば、大都会の街角だったが、中にいれば、まったく隔離された場所。人知れず生活することができた。寝るところもあって、仕事もある。まさに一石三鳥、これ以上の隠れ家はあるだろうか。

それでもはじめ、怪しまれたりしないだろうか。そんな心配があったが、まったくの杞憂だった。お歳暮時期を迎える貨物駅は、大忙しだった。連日連夜、荷物を満載した貨車が到着し発車していて、荷卸し、積み込作業は、猫の手も借りたいほどだった。二十四時間勤務希望の私は歓迎され、即、ハンコ一つで採用してもらえた。

「学生さんはデモばっかしやってて、きてくれないからホント、助かりますよ」事務員の男性職員は、うれしそうに言った。「いまから働いてもらえますね」

私は、いきなりで驚いたが、喜びを押えて手カギを受け取ると、彼に案内されて貨物駅構内に出ていった。その日から私は貨物駅で働くことになった。

 

 

構内は騒然としていた。三十五列車の発車時間が迫っていた。大小さまざまな鉄道荷物がごった返す積み荷ホームに、けたたましくベルが鳴り響き、怒鳴り声が飛び交った。

山陽本線方面の貨車の前には、小郡、防府、尾道と表示された荷物がまだ山積みにされて

いた。私は、手当たりしだい手カギに引っ掛け貨車の中にポンポン投げ込んだ。【横倒し厳禁】や【割れ物注意】の荷物もあったが、選別する余裕はなかった。

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「おーい、早くしろ!」

「早くしろ!」

荷物会社の職員が、走りまわって大声でせかしまくった。

私が受け持った車両は、あと一つとなった。一緒に作業していた39番君は、最後の荷物を両手で持ち上げると

「これで、おしまあい!」

叫んで、思いっきりデッキの奥に投げ込んだ。

荷物は、白地にUSAと印された岩国米軍基地行きのサンドバックのような兵隊袋で、毎朝きまって一個小隊分ほどあった。何が入っているのか、角ばっていてかなり重かった。

私は、はじめのうち、このアメリカ兵の荷物を積みこむたびに緊張した。ベトナム戦争反対のデモ活動しているものが、先棒を担いでいるようで、妙な気持ちだった。が、いまでは積みやすい荷物の一つでしかなかった。

「オーライ!」「オーライ!」「オーライ!」

積み荷作業終了を確認する合図が最後尾の車両方向から、連呼して聞こえてきた。

「オーライ!」

39番は、大声で前の車両に手を振った。

合図の声は、またたくまに最前部の車両まで伝わった。そのとたん

「発車するぞ!さがれ!さがれ!」

の叫びが返ってきた。

蒸気が白煙となってたちこめる中で紺服の機関士は赤い小旗を打ち振って怒鳴つた。

「おーい、発車するぞ!」

突如、警笛がピィーと鳴り渡って喧騒を引き裂いた。つづいて荷物を満載した貨物列車はレールをきしませながらゆっくり動きだした。連結器のかみ合う鈍い金属音が玉突きのような連続音を響かせていった。ガシャン、ガシャン、ガシャン。重量感あふれるその響きは、凍てついた朝の空気を震えさせながらしだいに間隔を早めていく。積み荷班の連中は、ぼう然と佇んでいた。だれもかれもまるで湯上りのように体から湯気立ち上らせていた。

私も汗だくだった。が、一仕事を終えた爽快感があった。私は、ほっとした気持ちで目の前を過ぎて行く貨物列車を見送った。ワム15829、ワラ39764、ワム1759――貨車にかかれた数字は、すぐに読み取れなくなった。十余輌編成の長い貨物列車は、さらに速度をまして、操車場のはるか前方にあるトンネルの中に吸いこまれるように消えていった。最後尾の車両が完全に見えなると、途端、構内から轟音が消えた。すべての動力エンジンが切られ、構内はまるで時間が停止したような静寂に押し包まれた。

「おーい、一服だあー」

静まり返ったホームに南条班長の甲高い声が響いた。

南条班長は、元、といっても二十何年か前のはなしだが、職業軍人だったと自慢するだけあって痩せて筋ばった老体ながら、その声はよく通った。皆は軍曹と呼ばっていた。

班長の声を合図に、棒立ちに佇んでいた積み荷班の連中は、魔法が解かれたかのように一斉にホーム先端に向かって歩き出した。

「行きますか」

39番は、なまりのある言葉で私を誘った。それから、まだ放心状態で立っている25番の松宮さんにも声をかけた。「おじさん、行きます」

「やれやれ、やっと休めるか」松宮さんは、ハンカチで禿げあがった額の汗を拭きながらた

め息まじりに愚痴った。「今朝は、やけにあったねえ」

「二百トンな。今日は」39は言った。

「ええっ、冗談でしょう」

「見てきたんです。事務所で」三十九番は、笑いながら言った。彼は父親ほど年齢差があ

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りそうな松宮さんをからかうのが楽しそうだった。「いまの列車なんか軽いです」

「ほんとかい、だったら休めばよかった。ああ、ついてない」

松宮さんは、真顔でがっくり肩を落とした。

私と三十九番は顔を見合わせて失笑した。ここでは臨職はお互い胸の名札番号で呼び合っていたが、松宮さんに対しては、名前で呼んでいた。松宮さんは、四十歳ぐらいで、まだそんな歳でもないのに、髪の毛はかなり薄くおまけに白いものが混じっていた。貨物駅に臨時雇用でくる人は、なかなか自分のことは話さなかったが、松宮さんは、こだわらない性格か、なんでも話した。昨年の秋に勤めていた印刷会社が倒産して、一時しのぎに日勤するようになったこと。家は横須賀の方にあって家族は奥さんと小学生の子供が二人いることなどあっさりと他人事のように話した。ときおり「早く、職をみつけなきゃあな」と、焦燥気味につぶやくのだが、なぜか滑稽にみえて、つい笑ってしまう。松宮さんは、いつも情けない笑みを浮かべていたが、映画については博学だった。

休憩時間、映画の話になると昔の映画名をあげては、さも自分が監督したような口ぶりで、解説した。ただ鉄骨が組んであるだけの殺風景の貨物駅の高い天井を見上げて

「ここの、貨物駅、好きなんだ。この景色がねパリやローマの駅に似ているんだよ」

と、さも行ってみてきたようなことを言った。

いつもは口数の少ない松宮さんだったが、こと映画に関しては饒舌で自信にあふれていた。しかし、その映画への情熱が、どこでギャンブルにすりかわってしまったのか、いまの松宮さんは、かなりの競馬狂だった。近ごろの競馬は猫も杓子も手を出すようになってつまらん、とぼやきながらも暇さえあればズボンの裏ポケットにねじこんでいる競馬新聞をひろげて熱心に見入っていた。若い三十九番がのぞきこむと

自嘲気味に笑って

「こんなものやらんほうがいいよ。おじさんみたいになっちゃうから」

と、言っていた。

三十九番は、十九歳と話していたが、まだ高校生のようにみえた。言葉づかいも地方から東京にきて日も浅い、そんな感じがした。だが、そのことをたずねたことはない。自分から話すのなら別だけれど、ここで他人のことなど、誰も興味がなかったし、抱いても質問しないのが常識だった。私にとってはまさに最高の隠れ家だった。

だがしかし例外もあった。奇声をあげながら追いついてきた三人組は、ここですっかり意気投合し、仲良しになっていた。作業は、たいてい三人でやっていた。

「はーい、お先に」

三人組の一人、二十七番の団が笑顔をふりまいて追い抜いた。

彼は、小さな劇団の役者だといっていた。いつもボサボサの髪に赤タオルで鉢巻していた。小太りで、愛嬌があった。つづいて小柄な高槻がシャドウボクシングしながら。そして、そのあとは、曼陀羅模様の布切れをヘアーバンドにしたヒゲの磯村が鼻歌まじりに「やあ」と一声かけて行った。三人とも二十代後半といったところだった。

「相変わらず、仲がいいね、あの三人」松宮さんは言った。「もとからじゃなくて、ここで知り合ったっていってたよね」

「そうみたいですね」

私は、軽く頷いた。

「ともだちができるっていいですね」

三十九番は、羨ましそうにぽっつりつぶやいた。

「でも、結局は一人になっちまうよ」松宮さんは、寂しそうに笑って言った。「この年になるとね」

 

次回へ

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観察記録2

「透明の存在」との闘いの記録

 

2月14日(金)野の子、もう一日休む。4時、スーパーに買い物。

2月15日(土)野の子 、学校に行く。

2月16日(日) 母親、野の子にケーキづくりのことで、4時「とんでん」で食事

2月19日(水)10時20分、野の子参加。天台でマラソン大会。8時野の子帰宅すぐ寝る。

2月28日   野の子と駅迄散歩20分ダイエーでうどん食べる。

3月1日(土) 野の子、夕食作る。

3月20日(木)野の子、肉まんつくる。

3月22日(土)野の子、生理四カ月来ず、母親と仲村医院で診察。甲状腺が腫れている。もしかして拒食症かもの診断。それほど深刻にとらえず。注射をうってもらう。そのあとダイエーに食品の買い物。

3月24日(月)野の子、学校~電話。剣道部合宿どうするか。木曜日に診てもらう

3月26日(水)部活に行く。つかれたので審判をやった。

3月27日(木)剣道部、今日から合宿だが不参加にする。東邦大学佐倉病院へ。問診、血液、尿検査。甲状腺、バランス崩し。「気力がでないから頑張ろうと思っていた」  米国でカルトの39人自殺。宇宙服姿で

野の子、昨年の夏頃からケーキ食べず。夜7時から9時にかけてほとんど食べない。修学旅行以後、急激にヤセた。症状はこのようである。①時間が長く感じられる。②疲れる。③気力がない。しかし、睡眠はある。

3月28日(金)1時、デニーズで野菜スープ。ダイエットの失敗とはじめて明かす。

3月29日(土)朝のうち元気だが、そのうちうつ状態になる。食事メニューを眺めるだけになる。

3月30日(日)少年柔道大会。バナナジュース。帰り路、デパート書店で偶然『思春期やせ症の世界』アーサー・H・クリスプ 高木隆郎、石坂好樹訳を見つける。症状がそっくりで驚く。

3月31日(月)バナナジュース、剣道稽古は休む。

4月1日(火)ひとりで東邦大佐倉病院へ診察に。

4月2日(水)鬼怒川温泉に家族旅行、野の子、42・5㌔

4月4日(金)野の子と学校、CD「光の道」買う。作曲者佐藤一美氏にサインしてもらう。野の子、作曲者に直接サインをもらったと喜ぶ。

4月7日(月)ノノ、3年A組26番。顧問に相談。

4月8日(火)ノノ、友達と映画。

4月23日(水)ノノ、4時半帰宅。かなり疲労の様子。買い物は行かないで眠る。甘いものに狂いは、いっさい口にせず。体重42・6㌔。食事観察

朝食 パン2切れ、イチゴジュース、紅茶 トマトにカッテチーズをのせたもの。昼は弁当、全部たべたといっているが?夕食 おかゆ、ゴマ豆腐、サトイモ

4月24日(木)元気なし。保健室で相談。

4月27日(日)母親と買い物。体重42・2㌔

4月28日(月)担当医体調不調で診察は6日に延期。

5月9日(金)登校。

5月10日(土)仲村医院、注射。

5月12日(月)7時半登校、5時帰宅。

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レポート提出 テキスト読み口演『范の犯罪』「奇術師美人妻殺害事件」

 

◆この事件の裁判で自分が裁判員だったら  被告范の罪は 「無罪」なら、なぜ

「有罪」なら、なぜ 量刑は

 

 

依存との闘い記録を校正しながら小説にする 校正3は次回

あるシンポジュウム会場に置き忘れていたノート。「透明な存在」との闘い

 

 

ゼミⅡの記録

 

□  9日24日(月)晴れ 参加=村瀬、西村

夏休み報告 ゼミ誌原稿校正

□10月 1日(月)社会観察「なぜ幸福家族は分解したのか、海外事情

□10月8日(月・祝日)晴れ 暑くなる 図書館に寄る。マサリック2巻受け取り

参加=西村、村瀬、志津木「それぞれの夏休み」「ニュース観察雑談」

『にんじん』2作口演。感想・批評。

□10月13日(土)熊谷元一研究・熊谷元一写真賞コンクール選考会無事終了の報告。選考会場、今年から長野県・昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館にて実施。

□10月15日(月)晴れ 西村さん モーパッサンの作品、石川達三の話。

□10月22日(月)

 

 

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掲示板

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日 10月20日(土)

時 間 午後6:00 ~ 8:45 懇親会9:00~

会 場 池袋・東京芸術劇場第7会議室

作 品 『未成年』3回目

報告者 : フリートーク 司会進行 :小山 創さん

 

※参加 興味ある方はどなたでも、決まりはありません。自由です。

 

10月読書会は20日土曜日 時間は、都合で夕方6時00分~21時

 

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「下原ゼミ通信」・「読書会通信」編集室

課題・投稿などの送り先メール toshihiko@shimohara.net

連絡 090-2764-6052

レポート提出 2018.10.22  名前

 

 

ある日、秋の日の一日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会観察  気になった出来事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テキスト・志賀直哉『范の犯罪』から 2018.10.22

 

「ナイフ曲芸師美人妻殺害事件」裁判(裁判員裁判)

 

自分が裁判員だったら、無罪・有罪ならどんな感想、どんな判断か

 

□無罪なら → なぜ無罪か

 

 

 

 

 

 

 

■有罪なら → なぜ有罪か

 

 

 

 

 

 

 

◆その場合、量刑は

 

 

 

 

 

◆その理由は

 

 

 

 

 

□■主文は(裁判長としての見解)

 

 

 

 

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