文芸研究Ⅱ下原ゼミ No.92

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)11月26日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.92
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/21 1/28 
  
2007年、読書と創作の旅
11・26下原ゼミ
11月 26日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」)
   ・ゼミ雑誌入稿の報告    
 2.「車中観察」(『灰色の月』)& 「家庭観察」(『にんじん』)
 3.名作紹介・店内観察(『殺し屋』)
 4.紙芝居稽古
  
 
ゼミ誌『CoCo☆den』入稿成る!
 ゼミ雑誌『CoCo☆den』は、高橋・山根編集委員の活躍と全員の協力あって、先週入稿の運びとなりました。順調にゆけば12月初旬刊行の予定です。晴れて納入期限厳守できそうです。編集委員とゼミ員の皆様、ご苦労様でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんでもない日の新聞一面観察
 毎日の新聞には、この社会で起きた様々な出来事が満載されている。が、重大ニュースがない場合、新聞はどんなことを話題にするのか。相変わらず、防衛省をめぐるスキャンダルはつづいているが、人間の汚さ、欲深さ、破廉恥さにうんざりするばかりだ。で、たまには重大出来事のない日の新聞を観察しようと思った。何もない日、そんな日はあるだろうか。朝日新聞と読売新聞の一面を見比べてみた。
 何もない日。11月25日、日曜日の新聞がそうだった。この日の両新聞は、一面が違っていた。まず読売新聞は「アスベスト違法工事63件」解体・改修7件で飛散(昨年度、本社調査)の記事。石綿の人体被害について最近、その危険性が明らかにされた。読売は「医療ルネッサンス」など医療特集に力を入れているだけに、独自にこの問題にも取り組んできて、なんでもない日にトップ記事として出したようだ。並んでトップの「ミサイル防衛 PAC3展開 来月訓練」。これは「弾道ミサイル攻撃から首都は守れるのか」の前のイラク戦争でよく使われたパトリオットミサイルの移動訓練に関するもの。中記事に「思わずパチリ シーラカンス」、下段に「豪労働党11年ぶり政権 下院選大勝、イラク撤退も」記事内容、紙面での記事扱いなど読売らしい4記事である。
 これに対して朝日新聞は、2記事。「細る氷河 ヒマラヤ湖が数百㍍拡大 名古屋大・本社 共同調査」と「豪総選挙野党圧勝 11年ぶり政権交代 イラク一部撤兵へ」である。
地球環境問題と、与党政府に厳しい朝日ならではの記事である。このように、その新聞が何に興味を持っているのかは、ニュースのない日の新聞観察がいい。 (土壌館)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.92 ―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
ある女優次男の逮捕に思う
 女優三田佳子さんの次男が、覚せい剤で捕まった。コンビニのトイレに30分以上も閉じこもって怪しまれ110番されたらしい。中年以上の人は、ああまたか、これで3度目だ、と呆れるだろうが、若い人たちから見れば、100人以上の報道陣が駆けつける謝罪会見にマスコミはなぜそんなに大騒ぎするのか、見当がつかないようだ。たとえば先週、ゼミの授業はじめにちょっと話題にしたが、年代差かこの女優について「あまり知らない」という人もいた。そこで、改めて紹介すると(なぜ肉親をと疑問に思う人もいるだろうが、この手の犯罪は、家族関係が大きく影響するからである)三田佳子さん(66)は、日本映画界では長年トップスター女優をつづけている。テレビドラマは、常に主役。むろん今現在もである。CMでも息子の事件さえなければ、恐らくいまでもCM女王として君臨していたに違いない。ご主人(66)は影は薄いが(現在は?)NHKのプロデューサーであった。子供は二人で長男は、劇団員として地道に活動している。と、いうことで常に高額納税者のランクに入る大物女優さん。マスメディアが注目する理由がかわかるというもの。同じ芸能人でも同日のスポーツ紙に、同じ覚せい剤犯罪で捕まった「光GENJI」の元メンバー赤坂被告(34)の保釈記事が写真付きとはいえゴミ記事扱いで載っていた。
 次男の薬物犯罪経過は、10年前の高校生のときからはじまる。このときは未成年ということで、少年鑑別所収容後、保護観察処分になった。母親の三田さんは約8ヶ月芸能活動を自粛した。が、2年後、同じ覚せい剤取締法違反容疑で逮捕される。20歳ということで、留置場に拘置される。母親は約10ヶ月の芸能活動自粛。保釈保証金500万円を支払う。法的には、懲役2年執行猶予5年の有罪判決。両親、更生を願って唐十郎さんの劇団に託す。2年間劇団員として過ごした。退団後は、歌手、役者などの芸能活動をしていたという。この間、生活費として小遣いをあげていたが、その多額さに世間は驚いた。(30~40万円、それ以上という芸能記者もいた)そして、今回、現行犯で3度目の逮捕となった。
 三田さんは、会見で涙ながらに謝罪して、このようなことを言った。「すべては私たち夫婦の養育、教育の失敗」「親としてかかわれる限界はあります」。そして、テレビワイドショーのコメンティターたちだが次男は「もう大人だから関係はないのでは」との見方に終始していた。言葉というのは、その都度、変化するのであてにはできないが、もし、会見で述べた言葉が真意だとすると、三田さんは、次男の犯罪にたいする見方が最初から間違っている。この犯罪の本質を、まったく捉えていない。次男の犯罪は、覚せい剤の薬物依存である。たんなる教育の失敗や、次男の心の弱さくるものではない。甘やかしたという土壌はあったかも知れないが、薬物依存となると、まったく別な次元の話である。「人様に傷つけるようなことになったら大変ですから」といいながらも今回は「芝居は続けます。・・・いい芝居をして」などと暢気なことを言っている。覚せい剤の恐ろしさを知らないのだろうか。「深川・通り魔殺人事件」の川俣軍司(29)は、貧しい生まれである。薬物は金持ちも貧乏人も関係なくその人間を凶悪にする。ほかに三田さんは、どうしてよいかわからない、と嘆いた。もし、本当に更生させたいなら、他人任せではだめだ。(ご主人は見えてこないが)もっと依存、つまり嗜癖について知る必要がある。そうして次男の心に棲みついた悪魔と対峙するべきだ。それができなければ次男の自滅を待つ他ない。『積み木崩し』の父娘の悲惨さを辿るのだ。とにかく自分だけが安全なところにいて他人にすがっても解決はない。女優に失礼だが映画『エクソシスト』(監督ウイリアム・フリードキン1974)をすすめたい。悪魔にとりつかれた女の子を神父が命をかけて戦う話。当時、外国では衝撃作として話題を呼んだが、日本では宗教感覚の相違から、それほどヒットしなかった。はじめて観たとき、つまらない映画に思えた。しかし30年近くたって観たとき、宗教色をなくせば、依存症との闘いの映画であったことがわかった。神父は、悪魔に勝って、自らも死ぬ。心に巣食う悪魔はそれほどに恐ろしい怪物なのだ。『酒とバラの日々』でもいい。依存、この怪物を退治するには観察しかない。それが10年、20年つづこうが。悪魔は試している。(土壌館・編集室)
――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
2007年、読書と創作の旅
11・26ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」
・先に授業評価アンケートの実施可否についての選択がありました。当ゼミは、可としまし
 たところ、本日が実施日となりました。アンケート用紙を配布します。
 
 マークシート方式です。10分でお願いします。
・ゼミ雑誌について ゼミ誌編集委員から → ゼミ雑誌作成経過報告
            2.車中観察・テキスト
 テキストの車中観察作品は、『灰色の月』です。この作品は昭和20年11月(1945)作者62歳のとき書いたものです。最初に書いた車中観察作品『網走まで』は、明治41年(1908)25歳のときです。この間、37年の歳月が流れています。時代にすれば、明治、大正、昭和。社会状況は、富国強兵、大正デモクラシー、軍国主義、一億総玉砕主義、そして敗戦。これらの時代が焼け野原の東京を走る山手電車の中に詰め込まれている。
 この車中観察は、一見なんでもない作品ですが、乗客車中のなかにしっかり時代を捉えています。志賀直哉の代表作は長編『暗夜行路』ですが、この超短篇『灰色の月』も代表作です。日本文学においても名作とされている。
3.名作観察読み(家族・季節・店内・戦争)
家族観察・テキストはジュール・ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。
「尿瓶」「うさぎ」「鶴嘴」「猟銃」「もぐら」を読みます。訳は窪田般彌
 
店内観察・ ヘミングウェイの『殺し屋』大久保康雄訳を読みます。
 20世紀短篇小説で、最高峰にある作品といえます。簡潔な文体のなかに、人物観察・状況観察がしっかりできている。ヘミングウェイ作品の原点が詰まっている。
 ヘミングウェイの『日はまた昇る』とプルーストの『失われた時を求めて』が20世紀文学の出発点といわれている。が、現代にみる会話文体の源泉は『殺し屋』にあるとみる。
 
4.『少年王者』紙芝居稽古
 観察すること、書くことをつづけてきましたが、演ずることも重要です。この世はすべてバルザックの言う人間喜劇の平土間。というわけで、紙芝居「少年王者」の「生いたち編」の稽古を再びはじめます。60年前、子供にも大人にも人気のあったベストセラー作品です。紙芝居の形にしましたが、物語の面白さは伝わるのか。
 ゼミ雑誌作成が軌道に乗ったら本格的に稽古します。ちなみに「少年王者」を紙芝居の形にしたものは、土壌館作成のこの紙芝居以外他にないようです。ことしはじめNHKBS「私が子供だったころ」の番組で小道具に必要になり、テレビ会社は書店、出版社、原作者の家を訪ね探し回った。が、どこにないとのことでした。結局、土壌館作成のこの紙芝居が必要になり、これを貸し出しました。が、実際には「暗黒大陸といわれたアフリカも」ではじまる最初の場面が一瞬、使われただけでした。
『少年王者』第一集「生いたち編」が出版されたのは昭和22年の12月の末であった。わずか48ページのうすい本で、良質の紙などなく、いまの本に比べたらみすぼらしい本であったが、・・・戦後の混乱期の子供たちに大ベストセラーとして愛読された。
    作者・山川惣治
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92 ―――――――― 4 ――――――――――――――――
季節観察・秋の歌 10月、11月はこの歌を吟唱してみましょう。
秋の歌 ヴェルレーヌ(1844-1896)「土星の子の歌」堀口大学訳
秋風の
ヴィォロンの 節ながきすすり泣き
もの憂きかなしみに わがこころ 傷くる。
時の鐘 
鳴りも出づれば せつなくも胸せまり、
思いぞ出づる 来し方に 涙は湧く。
落ち葉ならぬ 身をばやる われも、
かなたこなた 
吹きまくれ
逆(さか)風よ。
興味の新聞記事紹介・コピー配布
発生から70年 南京事件とは 朝日新聞11月24日(土)
 日中戦争の中で起きた南京事件から70年。その南京で、日中両国の研究者らが24日から事件に関する国際シンポジウムを開く。日中関係の深まりのなかで、事件をめぐる論議はなお続く。南京で何が起きたのか。なぜ犠牲者数に関する見解が分かれるのか。これまでの実証的な研究をまとめてみた。(塚本和人、吉沢龍彦)以下、新聞コピー配布。
過去の教科書には、どう書かれていたか?
 南京事件は、現在を生きるものにとっては遠い昔、歴史の一コマだが、実際の政治のうえでは国内・国際を問わず、現代の日本の上に大きな問題となってのしかかっている。過去、教育は、この問題についてどのように触れてきたか。一部の教科書だが拾ってみた。
『高校日本史』 三訂版  実教出版 文部省検定済 平成7年発行
1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋付近で日本軍が中国軍と衝突し日中戦争が勃発した。…8月に上海で(支那事変)…。
 …1937(昭和12)年12月、日本軍は、国民政府の首都である南京を占領した。(南京大虐殺)南京占領から一か月あまりの間、南京市内外でニホン群は、婦女子をふくむ少なくとも10数万人と推定される中国人を虐殺したこの事件は、ナンキン・アトロシテイとして欧米などで報道され、人びとに衝撃をあたえた。
『新しい歴史教科書』 扶桑社 第一刷2001・6・1 市販本
国民に判断してもらいたい――これが話題の教科書だ!
1937年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将校が射殺される事件が起こり、これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。日本軍は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、12月、南京を占領した(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)。しかし、蒋介石は重慶に首都を移し、抗戦を続けた。
ちなみに『生きている兵隊』を書いた石川達三は13年1月5日に南京到着した。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
2007年、読書と創作の旅・旅記録
11・19ゼミ報告
 11月12日(月)は、以下の出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  茂木愛由未  金野幸裕  山根裕作
司会進行・疋田祥子
1.ゼミ誌編集委員(山根裕作君)からゼミ誌入稿報告
 12月1日(土)納入予定日とのこと。ご苦労様でした。
2.最近のニュース
 ・女優三田佳子さんの次男覚せい剤逮捕について話す。
  覚せい剤依存は、ギャンブル依存、摂食障害、リストカット、などなどの依存症。
 覚せい剤 → 薬物依存 → 依存 = 嗜癖 ← ギャンブル依存 ← 賭博
 話し合ったこと
 覚せい剤犯罪は薬物依存。28歳だとか、突き放してとか、自活させるとかの問題ではな
 い。マスメディアで知る、自助グループの話。施設にはいっても7割が再犯。解決方法。
 1.強制的に施設入居 2.家族や周囲の力 3.本人が死ぬ
・関連記事読み 学燈社『国文学』別冊「ギャンブル」から
 「ドストエフスキーとギャンブル」の読み
 ドストエフスキーはギャンブル依存症だった。外国放浪暮らしのあいだルーレット賭博にはまっていた。ギャンブル地獄からなんとか抜けだそうと苦しんだがだめだった。10年間つづいた。が、ある日、突然に賭博熱は雲散霧消した。なぜか。この拙稿は、その謎を追ったものである。依存症は、自分の意志ではどうにもならない欲望である。とりつかれたら最後、その人間はおろか、周囲の人たちも巻き込もうとする恐ろしい悪魔である。
3.石川達三『生きている兵隊』その一を読む。
なぜこの作品を読むのか 戦争こそが、人間の本性が一番にみえるときである。現在、日本の最大課題は憲法改正問題である。なかでも「戦争の放棄」を謳った第九条は、最重要課題のひとつとして注目されている。改正に賛成も反対も「戦争とは何か」。まずそれを知らなければならない。「戦争とは何か」を教えてくれるものは、映画・小説・記録など多々ある。そのなかで作家石川達三が書いた創作ルポ『生きている兵隊』は秀逸である。この作品に書かれてあるのは戦争賛美でも戦争批判でもない。ただ戦地において戦闘においの兵隊たちの日常が淡々と活写されているのみである。意図するもの、導くものは何もありません。戦争が何かを考えるのは読者自身です。この作品から、戦争を考えてみてください。
前記 石川達三は、この作品を1938年(昭和13年)2月1日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。「あるがままの戦争の姿」を知らせたくて書いた。必読の戦場ルポ。
 1937年7月7日から日中戦争がはじまったことから大日本帝国は、9月25日言論統制のための内閣報道部設置。11月大本営が宮中に設置した。ゆえに、この作品は創作ルポの形をとり「部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい」とした。
「人間は、何にでも慣れる。そしてどんなこともできる生き物」ドストエフスキー
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92 ―――――――― 6 ――――――――――――――――
ゼミ雑誌進行状況(11・26現在)
 ゼミ授業の実質的成果は、ゼミ雑誌発行にあります。が、毎年、刊行日の遅れが指摘されています。また、編集段階でいろいろな問題が生じることもあります。1年間の大切な授業成果なので、しっかり守って、よい雑誌を作りましょう。
 刊行までの要領は、11月26日現在までの進行状況は下記の通りです。
☆提出書類の手続きで、既に完了しているものは以下の書類です。
【①ゼミ誌発行申請書】提出、【②見積書】提出
☆11月26日現在までの状況。
納品待ち → 予定12月1日
○ 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
○ 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌補助金の支払いも認められません。
ゼミ誌提出期限は、12月14日です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
土壌館日誌・「子ども観察」
 これまで、いろいろな子どもが土壌館に入門し、去っていった。子どもは一人ひとり性格は違うが、たいていは普通のどこにでもいる子どもである。が、ときどきそうでない子どももいる。最近、そんな子が多い。数年前のA君もそんな一人だった。
 A君の入門は、こんな様子だった。「こんにちわ」といって母親に連れられて入ってきた。丸眼鏡をかけた男の子は、小学校二年生にしては礼儀正しく返事もはきはきしている。普通は、どんなガキ大将も、最初に道場に入るときは親の後ろにくつついているものだ。が、妙に堂々としている。この子に比べ若くきれいな母親は、妙におどおどして不安気である。
 
お詫び、風邪のため咳で中断、次回へ
―――――――――――――――――――― 7 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
歴史人物観察 草稿「嘉納治五郎とドストエフスキー」から
嘉納治五郎とドストエフスキー
(推敲・校正しながら書いていくので重複あり)
土壌館編集室
  本稿は「嘉納治五郎とドストエフスキー」の理念を照合し、その一致を広く世に知らしめることを目的としている。が、両者において既にドストエフスキーは、世界的文豪でもあり、2007年には、新訳刊行によって社会的ブームにもなっているところから本稿は主に嘉納治五郎に標準をあて論じ検証する。嘉納治五郎といえば、一般的には柔道の創始者として、明治の偉大な教育者として名高い。が、柔道や教育は、たんに嘉納の理念達成への手段であるに過ぎない。嘉納が、世界の調和と全人類の幸福をめざして孤軍奮闘していたことは、あまり知られていない。これまで嘉納治五郎は、真にコスモポリタンとしてきちんと評価されてこなかった。本稿によって嘉納治五郎が、真に正しく評価されるようになれればと願う。また本論によって嘉納師範の本当の目的であった崇高な理念を少しでも伝播できれば幸いである。
序章 背後の山
麓では見えない山脈
 いじめ対策 現在、いじめは日本のみならず世界中で大きな問題となっている。日本では、いじめによる自殺というニュースが後をたたない。このあいだも、遠く北欧の国で、いじめによる発砲事件があった。いじめを受け、女友達にもふられたという少年が学校で銃を乱射して、多数の人を殺傷した。日本のいじめは、いまでこそ中学、小学校だが戦後は大学の運動部、戦前は軍隊と根が深い。江戸時代、江戸城内の松の廊下で赤穂藩城主浅野内匠長矩が刃傷沙汰をおこしたのも、いじめが原因のようだ。当然、明治はじめの学校も例外ではない。いくら徳があっても、勉学に優れていても、腕力の前にはどうすることもできない現実があった。開成学校・東京帝国大学での出来事でこんな証言がある。
「学生の中には旧藩そのまま腕力をほこるものがある。殊に高知県から出た千頭清臣、福岡孝季、仙石貢が主導者の形をなして、事があれば人を殴った。千頭は校内一の元気者で、ある日、嘉納治五郎が気に食わぬと、ひどく殴りつけたが、嘉納は手向かいできなかった。」(加藤仁平著『嘉納治五郎』)
 人一倍正義感と負けん気の強い治五郎だけに悔しさはいかばかりだったろう。弱ければ馬鹿にされても何もできない。「当時はなかなか乱暴な世の中で喧嘩も多く弱い者は随分辱められる場合もあった」弱いもの、正しいものを救うこともできない。治五郎が、いじめ対策で思いついたのは、武道だった。「日本には柔術というものがある。その柔術を習っておけば自分らの如き弱い者でも他人に負けないだろう」しかし、この動機は、当時の社会ではあまり受け容れられなかったようだ。学問をするものが、野蛮なことをする、ということで非難もされた。まず父親に反対された。だが、嘉納はあきらめなかった。いじめから逃れたい。その一念が強かったのだろう。いじめ対策に武道を習う。それは平成の現在でも変わらない。先般、ボクシングのチャンピョン戦で、防衛した内藤選手は、まさに、いじめから逃れて強くなるためにボクシングをはじめたという。私は地元で二十余年子供たちに柔道を教えている。毎年、何人かの子供が入門してくる。柔道に憧れて入ってくる子もいるが、僅かである。たいていの子は親のすすめで、動機は「いじめにあわないように」である。子供たちの世界は、民主主義教育が六十年間つづいても、水面下では昔も今も弱肉強食の世界である。残念ながら、柔道は、嘉納の目指す理念のためでなく腕力の手段として必要とされている。こうした現状も、ひとえに嘉納治五郎の真の目的が理解されていないからだろう。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92―――――――8 ―――――――――――――――――
人生の目標
出会い
二足のわらじ いじめ対策ではじめた柔術であったが、治五郎は、しだいに柔術の魅力にとりつかれていく。また、東京大学の学生が廃れゆく日本古来の武術を学ぶということで、少数ではあるが世間からも注目されるようになる。明治十二年(1879)アメリカの前大統領グラント将軍が来日したとき渋沢栄一の飛鳥山の別荘で前大統領一行に余興として柔術が披露されたが、推挙された並み居る武道家たちのなかに若干二十歳の治五郎がいた。このことは、当時の柔術家の底の浅さを証明するものでもあるが、西欧人たちが日本の何に興味を示したかもわかる。治五郎は、そのことをしっかり頭に焼き付けたのだろう。治五郎の学生時代は、いっそうの柔術の稽古と勉学にあけくれることになる。この二足のわらじは、結局のところ治五郎の人生に決定的な役割をになうことになる。柔術との出会いは、このときはわからないが、後の治五郎の理念を運ぶ役目を担うことになる。もう一つの出会いは、勉学のなかにあった。が、それがなんであるか。いま少し待たねばならなかった。
将来の迷い
治五郎将来の夢 生来の負けず嫌いから、学生時代は勉学と柔術稽古に励む治五郎であった。が、だれにでもある青春の迷いは、例外なく治五郎にもあった。自分は、何のために勉強するのか。柔術は、強くなるため、とはっきりしているが、さて勉学はと振り返ると、わからない。自分は、いったい将来何になりたいのか。どんな職業につきたいのか。治五郎の心は揺れ動く。このときの気持を「回顧六十年」では、このように述べている。
 …自分が趣味、長所のみから割り出せば自分は天文学者になったろうと思われる。自分は幼少から数学が得意で、天文が大好きであった。…ロッキャー、エーリー等の天文文学の書物を読んだ事を覚えている。しかし自分は考えた、今仮に自分が好きな道で天文学者になったところが、学問上から世に一種の貢献をする事は出来るかも知らぬがそれは自分以外にそういう人間を作り得る。昔の歴史を読み自分は一つ政治家になって世のために大いに尽くしたいという考えを懐き、…。そこで大学卒業後もやはり自分は政界に起つ心算もりでいたので、…
毎夜、天空を望遠鏡で覘いている天文学者の嘉納治五郎は、想像しにくいが、政治家としてならありえるかも知れないと思う。が、治五郎の将来の夢は、変転する。子供のころから、しっかりした夢をもって、それに向かって邁進できる人は幸いである。が、たいていの人は今も昔も「青春時代」のフォーク歌詞ではないが「道に迷っているばかり」である。治五郎の頭には、あるときは、なんとこんな考えも思い浮かぶ。
政治家か宗教家に代わるもの
 ある時には既住の宗教家のやった事実を見て、宗教に心を向けたこともある。…自分は人間のなし得る最も偉大なるものは政治か宗教であって政治家か宗教家になって、世に貢献したいという事が心から離れなかったのである。
 政治家か、宗教家という発想は、いったいどこからきたものか。激動の時代にあって、治五郎の頭にはなぜか軍人や実業家はなかったようだ。ここで、どうしてという疑問の答えは第二章の「嘉納治五郎の思想」で述べることにする。治五郎の政治家や宗教家に対する思いは、本気のようであった。大学を卒業して柔道をつづけながら教育者として歩みだしてからも、その思いは消えなかった。
 明治22年(1889)に宮内庁から欧州行を仰せつけられて出かけたがその時は教育の視察に行ったのだが、まだ政治や宗教のことが心から離れずにいたのであった。
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
と、このように述べている。が、欧州でみた教育に開眼する。一年間の欧州視察は
…著しく教育という事に対して興味を増し教育が一国の消長に如何に重大なる関係を有するかを、従来より一層痛切に感じるようになった。…
そして、あれほど頭から離れなかった宗教と政治は、急速に色あせていった。
…宗教は既往の事を考えてみると偉大なものだが、今後は自身の身を投じて働くほどの値打ちのあるものではない、宗教はもはや過去に属するもので、…また政治もつらつら考えてみればなるほど一時的には随分人の注目を惹くような事も出来るが、、既往の歴史を通覧してみると政治家の仕事は短きは二、三十年長きも四、五十年か百年も経てば、多くはその形跡も消滅してしまうことが多い。
確かに、世の中が悪くなると、そのたびに立派な政治家がでてきて改革を施行した。徳川吉宗の享保の改革しかり、松平定信の寛政の改革しかり、水野忠邦の天保の改革しかりである。しかし、彼らがいなくなると、また元の木阿弥。世の中は、いっそう悪くなる始末である。宗教もまた同じ、世の中がおかしくなると、何度でも宗教家と称する輩が現れでる。つまるところ、宗教も政治も、即効薬にしかならないということである。人間が、いつの時代でも、幸せに生きることができるにはどうしたらよいのか。
教育者への目覚め
教育者として生きる決心 治五郎三十歳、欧州視察で、にわかに教育に目覚める。
 …しかるに教育は全ての事の基である。教育上人間のなした事は容易に磨滅しない。ただ普通の人間にそれだけ認められないだけで、深い意味において華やかなものである。
風邪の為、次回へ
 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92――――――――10 ―――――――――――――――――
2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇草稿・習作
KINCHOU
    キンチョウ ―サムライの約束―
土壌館編集室・志茂
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・大和大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・大和大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 浩・・・・・ヒロシ。カメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者 プノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈再びの密林〉一「戦慄の旅」二「ヤマ族集落」三「再びの宣戦布告」
第五章〈密林逃避行〉一「タイ国境を目指して」二「待ち伏せ」三「父親」
第六章〈さらばサムライ〉一「矢は尽きて」二「カオ遺跡の戦い」三「虹の彼方に」
あらすじ
 大和大学探検部の元隊員たちは密林ガイドのためヤマ族のインドシナ最大の密林にある少数山岳民族ヤマ族の集落に着いた。が、ヤマ族の考えは、この地に残ることに変わっていた。クメール・ルージュと呼ばれる赤い悪魔のゲリラと交渉にいった若者三人のうち帰ってこない二人を見に高木と一ノ瀬は山を下り、ゲリラを二人殺害する。赤い悪魔の怒りを恐れて、ヤマ族は、長年住み慣れた集落を捨てる。10年前往復した道を元隊員たちは、所々の遺跡を目印にタイ国境を目指す。が、背後からゲリラたちが迫る。
第五章 密林逃避行
二、待ち伏せ
 「先手必勝だ。待ち伏せてやろうぜ」
高木は言ってから、自然にそんな言葉が口をついてでる自分に驚いた。
 待ち伏せて人間を殺す。そのことに妙に興奮した。もう遠い昔に思えるが、昨日、ふもとで蹴り倒したときの感触が忘れられなかった。五人は崖道まで引き返すと、ここを待ち伏せの場所に決めた。崖下は岩場と繁みで見通しが悪く、一列に進まなければ、抜けられなかった。一ノ瀬は、先の茂みを指差し
「おれは、あそこで後ろから狙う。ケン、おまえ前にいてくれ」と、言った。
「どうする」
「おれが最初に射る。何人やれるかわからんが、気がついて、振り返ったら襲ってくれ」
「わかった。そこの岩場がいいな」
高木は、頷いてソクヘンたち三人に隠れるよう指示した。
 一ノ瀬は、黙って頷いて進んでいった。奴と、こんなに息が合うとは・・・。高木は、前方がよく見える岩場の茂みに隠れると一ノ瀬の背中を見送りながら不思議に思った。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。時間がどれほど経ったかわからなかった。もしかして、奴らは引き返したのか。そう思われたとき崖道の繁みが大きく揺れた。不意にゲリラが現れた。赤い悪魔の兵隊たちだった。兵隊といっても彼らの軍服はベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。首に縞のスカーフを巻いている。履物はサンダルだった。五人いた。岩場で一列になって進むしかない獣道をだつた。彼らは、一ノ瀬が潜んでいる岩
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
場を過ぎると、一列になって進んできた。途中、ヤマ族の一行が通った痕跡を岩肌に見つけたのか。苔が、はがれていた。一ノ瀬、弓を引き絞り、距離を測る。黒服に縞模様のまいた赤い悪魔が繁みに見え隠れした。五人いる。しだいに近づいてくる五人。息を呑む高木、一ノ瀬、まだ射らない。目の前まできた赤い悪魔の兵士たち。六メートル、四メートルと近くなる。どうした、なぜいらない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してる。瞬間、矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に刺さった。一瞬、兵士は立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨。前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に、つづいて三の矢が三人目のゲリラ兵の背中に。倒れたゲリラ兵の銃が木に当たり跳ね返った。その音に、前のゲリラ兵が気づき振り返った。が、次の瞬間、第四の矢が首に突き刺さる。ゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。突然の銃声に先頭のゲリラは、驚いて反射的に繁みに飛び込んだ。よく訓練されたゲリラだった。次の瞬間には、立ち上がってこちらに銃口を向けていた。背後にヤマ族の若者、襲いかかる。一人、銃尻で、顔面を殴られ、倒れる。高木、体当たりして倒すと、膝を首筋に叩きつける。頚骨の折れる鈍い音。即死だった。はじめて空手技で人を殺した高木、興奮気味。若者たちゲリラから銃を奪う。殴られた若者、右腕に裂傷。出血。高木、ゲリラ死体からベルトをとり、腕の付け根を締める。
三 医師の目覚め
 高木たち、一行に追いつく。柳沢、湯を沸かさせる。
「火をたくのか、まずいな」
「雨がやんだ。もやがでる。その間なら大丈夫だ」
長老の言葉どおり、雷雨がやんだ密林にもやがたちはじめた。火がたかれ、鍋に湯が沸騰した。柳沢、医療箱からメスを出し、鍋に。肩にめり込んでいる弾を取り出す。
柳沢は、汗だくになって傷口をたこ糸で縫う。夕方、暗くなる。柳沢、自分がはじめて人の役に立ったような気持ちになる。
「きてよかった」
柳沢が医師とは何か、それを自覚したのは、医学部でも大学病院でもなかった。皮肉なことに遠くはなれたこのジャングルにきてはじめて悟ったのだ。
 「この先に、とっくり谷があるはずだ」
西崎は地図を片手に、空を仰ぐ。が、繁れるつたや樹木の葉が、ほとんど空を隠していた。磁石がなければ右も左も進めなかった。しかし、、ほどなく繁みを抜け出すと岩場についた。少しのぼると、まるで人間がつくったような二つの岸壁に囲まれた岩場になった。とっくり谷は、出口がせまくとっくりの口を連想させたからだ。岸壁をよじのぼり狭い入り口を岩づたいに出ると、目の前にふたたび絨毯を敷き詰めたような密林がひろがる。銃声がして、岸壁をのぼる村人が転げ落ちていった。銃声は密林に吸い込まれながらもつぎつぎと鳴り響いた。全員がのぼりきるまでに三人が犠牲となった。女子供がいるヤマト族、赤い悪魔たちは、労せず追いついた。見下ろすと、はるか下方の岩場を黒服の赤い悪魔たちが、ヤモリのようにはりついて、まるでアリンコのようにのぼってくる。
「おい、矢をみんなおいて行け」
一ノ瀬が不意に立ち止まってヤマ族の男に言った。
 男は、キョトンとした顔で一ノ瀬を見た。が、すぐに意味を解した。男は、頷きながらも、自分の胸をたたいた。
「どうするんだ」西崎隊長が聞いた。
「ここで足止めさせてやる。だから先に行け」
「地の利がいい」一ノ瀬は言った。「崖を上って、このとっくり口からは一人二人しか出られん。かっこうの標的になる」
「そうか、じゃあちょっとでも本体を、すすませる」
今回分次回、直し掲載。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92――――――――12 ―――――――――――――――――
掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き書くことの習慣化を目指して提出原稿を受け付けます。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する □ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳也氏 報告「ドストエーフスキイ その咬交円錐的世界』」
      二次会は近くの居酒屋。
好評発売中
山下聖美著『「呪い」の構造』2007.8 三修社 賢治文学
 宮沢賢治生誕111年。今、伝説のベールが剥がされる!
猫 蔵著『日野日出志体験』2007.9 D文学研究会
  猫蔵が渾身の力をこめて書き下ろした日野日出志体験
山下聖美著『100年の坊ちゃん』2007.4 D文学研究会刊行
  夏目漱石『坊ちゃん』100年を記念して
清水 正著『萩原朔太郎とドストエフスキー』2006.12
ドストエフスキー文学は20世紀の100年をまたぎ超えてゲンダイ文学であり続ける。 
下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社 2006.3
下原敏彦著『伊那谷少年記』2004.6 昭和30年代の原風景、『五十歳になった一年生』
岩波写真文庫143・復刻版『一年生』
― ある小学教師の記録 ―
熊谷元一・下原敏彦・28会編纂『50歳になった一年生』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
「行け、俺にかまうな」
一ノ瀬は、無表情で言うと、次の矢を定めた。
「一緒に帰ろう、帰るんだ」
「俺は帰らん」
「奥さんが待っているだろ」
「うん、あの世でな」
「なんだつて!?」
「殺してきた。日本を出る夜」
「殺した!?」
「もう、行け。ここは引き受けた」
一ノ瀬は、そう言って矢を放った。矢は、音もなく吸い込まれるように曲がり角に姿をあらわしたゲリラの胸に突き刺さった。赤いゲリラ兵は、絶叫して深い谷底に落ちていった。
「ここで、もう少し奴らの足を止める。その間に、できる限り遠くに逃げろ」
「しかし・・・」
「心配するなって、奴らの足が止まったら、後を追うから」
「そうか、無理するな」
一刻の猶予もなかった。西崎隊長は、前進する他なかった。
「出発、出発」大声で一行をせきたてた。
ヤマ族の一行は、西崎と高木を先頭に岩場の多い道なき道を登って行った。乳のみ子を抱えるもの、老人を背負うもの。子供たちは、いたって元気だった。が、その速度は相変わらずカメのように遅かった。峠を越せば、また平坦な山地となる。それまで一ノ瀬が持ちこたえてくれたら。一分でも二分でも時間が欲しかった。
一ノ瀬は岩場の繁みの中に潜んで、登ってくる赤い悪魔のゲリラたちを待った。奴らが姿を現す場所は一ヶ所しかなかった。大きな岩と巨石が崩れ落ちた場所。そこが唯一崖下から登って来れる道なき道だった。ヤマ族の一行が通った後である。かなり砂地の崖はゆるんでいた。、のぼりすらくなっている。よじ登りきった瞬間、放たれた矢は、ゲリラの胸を正確に射った。一ノ瀬は、人間的を射ることに快感を覚えていた。また一人、また一人とゲリラは一の瀬の標的になった。
ゲリラたちは戦法を変えた。朽木の幹を盾にして上がってきた。一ノ瀬は、次々と矢を射ったが、仕留めることはできなかった。あがりきったゲリラたちは、次々と繁みの海の中にとびこんでいった。一の瀬は、頓着せず、なおも上がってくるゲリラの盾のわずかな隙間を狙って射ていた。が、不意に弦が切れた。焦りをヤマト族の若者は、狂ったように乱射した。が、を放ったの放つ矢、次々、兵士を射る。事態がわかった赤い悪魔たちは、緑の海の中にもぐったまま息を殺した。
 高木は、何度も振り返った。とおくに迎撃に残ったヤマ族の若者が走ってくるのが見えた。二人いる。
「どうした、あとの連中は」
「まだ、戦ってます。残り五人とわかったから全員片づけるって」
「無理するなといったのに・・・」
不安が過ぎった。
「よし、ここで待とう」高木は西崎に言った。
「ソクヘン、とめてくれ、小休憩だ」
「チャボンティー」
ソクヘンは大声で叫んだ。
皆一斉に足を止め、その場に座り込んだ。
「しかし、なぜ奴らは、的確に追ってくるのだ」
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
高木は、朽木の上に腰を下ろすと、ヤマト族の男たちの顔をながめながら思いめぐらせた。
「誰かが、目印をつけているのでは」西崎は。「そうとしか思えん」
「内通者がいるというのか」
「そうだ」
「なぜ、なぜ内通するんだ」
「わからん」
「ソクヘン、そんなことあるのか」
「いません、いるはずがありません。やつらの恐ろしさ、みんな知っています」
「長老に聞いてくれ」
 ソクヘンは渋々、タオのところに行って何事かささやいていた。タオは、思い当たる節があるのか、顔を曇らせて、岩場の陰に甥のシナタを呼んだ。なんだろう。皆の視線が岩場に集まった。言い争う話し声のあと、突然、タオの怒鳴り声と物音。
「助けてくれ、」シナタが血相を変えて、岩場の穴から飛び出してきた。
 シナタは、皆の前にくるとばったり倒れた。シナタの背中にタオの山刀が突き刺さっていた。タオがよろけながらいわばから出てくると、すでに息絶えているシナタを見下ろした。
「犯人は、こいつだった。ルビーを盗んで逃げようとしたのだ」 
タオは、はき捨てるようにつぶやくと白髪の頭を深々と下げてわびた。「すまない」
 シナタはルビーを盗んだあとの逃げ道として、目印をつけてきたらしい。それが赤い悪魔たちの案内となっていたのだ。
「とうとう最後まで、性根は治らなかった。治せなかった」
タオは、肩をおとしてつぶやくとシナタの上に折り重なるように倒れた。皆の悲鳴。
「タオ様!」
村人たちは、一斉に駆け寄った。
 柳沢が割って入り脈をとった。そのあとまぶたを閉じた。あっけない最期だった。
「死んだ」
柳沢は、告げてたちあがった。
 突然に、一族の要を失って皆は、泣くことも悲しむことも忘れてへたりこんだ。
「じっとしてはいられないぞ。族長に言え」
泰造は、ソクヘンの耳元にささやいた。
 ソクヘンは大きく頷いて呆然とたたずむボトに伝えた。ボトは夢遊病者のように頷くと、それでものろのろと皆に支持を与えた。長老亡き後は、ボトがこの一族の要となる他はなかった。タオのようなカリスマ性はないが、ボトは誠実さで皆から信頼されていた。
「おい、ソクヘン二人の遺体を隠せ」
 
 柳沢、首を振る。二人の死体を繁みに隠し、通ったこん跡を消しながらの前進。ようやく追撃の気配が去ったかのように思えた。が、一難去って、また一難か。
 突如はるか頭上でエンジンの音。うっそうと繁る大木の葉々の間に銀色の機体が見えた。
「飛行機、アメリカの戦闘機だ」高木が叫んだ。
 こんなに低く飛んでいる飛行機を見たことのない村人たちは、皆口をあんぐりあけて眺めていた。高木の胸に不安がよぎった。西崎隊長も同じだった。二人は同時にどなった。
「隠れろ!隠れろ!」
バリバリと幹や繁みに弾丸の雨が降り注いできた。前の方に爆発音がして火柱があがった。ロケット弾を撃ち込んだのだ。思いもしない絨毯爆撃に、一行は逃げるのも忘れて凍りついた。
「どうして、どうしてなんだ」
佑介は、完全に混乱していた。米軍に爆撃されることが理解できなかった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92――――――――14 ―――――――――――――――――
「バカヤロー、ベトコンの輸送隊と勘違いしてるんだ」
高木が怒鳴って草むらにとびこんだ。
「伏せろ! 伏せろ! 」岩かげで泰造が叫んでいる。
 佑介は、一瞬われに返って、その場に伏せた。とたん皆、一斉にクモの子が散るように四散し、ものかげに姿を隠した。一人、二歳くらいの女の子が残された。ぽかんとした顔で立っていた。近くに母親らしき女性が息絶えていた。次の瞬間、誰かが飛び出していって子ど
もを抱えると岩陰に飛び込んだ。高木だった。静まり返った密林に米軍機は、執拗に取っては返し取っては返して一掃機銃を繰り返した。これでもか、これでもかといわんばかりの乱射。持っている弾薬を全て使い切る気だ。密林は爆風と煙で夜のように暗くなった。一行はなすすべがなかった。これが空襲か。佑介は、大人たちから聞いた東京大空襲の話を思い出しながら失禁していた。
 長い瞬間だった。燃料切れか弾倉が空になったか。戦闘機は、不意にキーンという突ん裂く爆音を残して一気に空高く上昇していった。晴れ渡った青空に、一筋の白い線を描いてどこかに飛び去った。嵐が去った後、村人の三人が逃げ遅れて死んでいた。一人は若い母親で近くで赤ん坊がショックのあまり、泣くことも忘れて座っていた。そばで夫が、茫然と立ち尽くしていた。
「柳沢は、どうした」
「あれ、そのへんにいたろ」
三人は不安にかられて探した。
 岩陰に彼の背中を見つけた。動かなかった。
「おい、ヤギイ!」
西崎が背中を押すと、ゆっく倒れた。なかにニホンがうずくまっていた。
「バカやろう!なんだってこんなところで死んじゃうんだ」
西崎は、泣きながら怒鳴った。
 ユンも悲しみをこらえてニホンを抱きしめた。本当に父親はいなくなった。が、悲しみにひたってはいられなかった。遺体の上に、山ほど木の枝をのせ、動物たちから守ると悲しみの場を後にした。
「中島助教授につづいて一ノ瀬、それから柳沢まで死んじゃうなんて」
「せんせい、せっかく医者になりかけたのにな」 
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.91
 五人は、もと来た道を戻っていった。一行は、歩き始めた。ふたたび暗雲がたれこめ雨まじりの風が吹きだした。        次号へ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.91――――――――16 ―――――――――――――――――
       
通るとすれば、ここしかない見通しのよい繁みにくると一ノ瀬は
「挟み撃ちにする。おれが最初に射る」、
と、言って高木とソクヘンたち三人の若者を残して、一人で前に進んで行った。二十メートルほど行ったところで手を振って岩陰に隠れた。高木とソクヘンも大木の陰に身をひそめる。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。雨に打たれた繁みが大きく揺れた。不意に赤い悪魔の兵隊たちが現れた。兵隊といっても軍服ではない。彼らの軍服はベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。首に縞のスカーフを巻いている。履物はサンダルだった。そこは岩場で一列になって進むしかない獣道だった。彼らは、一ノ瀬が潜んでいる岩場を過ぎると、一列になって進んできた。途中、ヤマ族の一行が通った痕跡を岩肌に見つけたのか。苔が、はがれていた。一ノ瀬、弓を引き絞り、距離を測る。黒服に縞模様のまいた赤い悪魔が繁みに見え隠れした。五人いる。しだいに近づいてくる五人。息を呑む高木、一ノ瀬、まだ射らない。目の前まできた赤い悪魔の兵士たち。六メートル、四メートルと近くなる。どうした、なぜいらない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してる。瞬間、矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に刺さった。一瞬、兵士は立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨。前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に、つづいて三の矢が三人目のゲリラ兵の背中に。倒れたゲリラ兵の銃が木に当たり跳ね返った。その音に、前のゲリラ兵が気づき振り返った。が、次の瞬間、第四の矢が首に突き刺さる。ゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。突然の銃声に先頭のゲリラは、驚いて反射的に繁みに飛び込んだ。よく訓練されたゲリラだった。次の瞬間には、立ち上がってこちらに銃口を向けていた。背後にヤマ族の若者、襲いかかる。一人、銃尻で、顔面を殴られ、倒れる。高木、体当たりして倒すと、膝を首筋に叩きつける。頚骨の折れる鈍い音。即死だった。はじめて空手技で人を殺した高木、興奮気味。若者たちゲリラから銃を奪う。殴られた若者、右腕に裂傷。出血。高木、ゲリラ死体からベルトをとり、腕の付け根を締める。
―――――――――――――――――――― 17 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85――――――――18 ―――――――――――――――――
―――――――――――――――――――― 19 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85――――――――20 ―――――――――――――――――
―――――――――――――――――――― 21 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85――――――――22 ―――――――――――――――――
―――――――――――――――――――― 23 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.85――――――――24 ―――――――――――――――――

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑