文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.361

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2018年(平成30年)12月17日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.361

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/21

 

土壌館創作道場 2018年、読書と創作の旅

 

テキスト読み(志賀直哉作品・他) &熊谷元一研究(情報)

 

テキスト=志賀直哉、ドストエフスキー。他の世界文学

討論会、テーマを決めて話合う。

社会観察 いま起きているニュース、話題になっていること。

熊谷元一研究(童画・写真観察)写真・童画展情報

12・17ゼミ

 

読書会観察  ドストエフスキー『作家の日記』を読む 小作3編

 

ドストエーフスキイ全作品を読む会は偶数月、池袋にある東京芸術劇場小会議室で読書会を開催している。12月15日(土)午後2時から開かれた読書会では、『作家の日記』から小作品2編を朗読、1編を黙読し参加者各人の感想を述べあった。

※『作家の日記』米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集14巻(河出書房新社)

 

・小作品は、「キリストのヨルカに召されし少年」1876年1月

「百姓マレイ」1876年2月

「百歳の老婆」1876年3月

 

・朗読は、西村美穂さん「キリストのヨルカに召されし少年」「百姓マレイ」

朗読予定者が都合で忘年会からの参加となり、急遽、西村美穂さんにお願いしました。小作品とはいえ一人で2作品の朗読、お疲れ様でした。ありがとうございました。

 

・参加者は、16名(忘年会16名、お茶会10名の出席でした)

年の瀬のせいか参加者はいつもより少なめでしたが、活発な意見感想もあって愉しい読書会となりました。忘年会からの参加者もあって盛会でした)

 

目 次

□12・15ドスト全作品を読む会「読書会」――――――――――――――――― 1

□12・15「読書会」報告―――――――――――――――――――――――――― 2

□テキスト「灰色の月」レポート発表と解説――――――――――――――――――3

□ゼミⅡの記録、掲示板――――――――――――――――――-―――――――― 8

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.361―――――――― 2 ――――――――――――――

 

読書会観察ドストエフスキー『作家の日記』

 

『作家の日記』1873年から1881年まで書かれた作家の社会観察・批評。

 

作品 「キリストのヨルカに召された少年」「百姓マレイ」「百歳の老婆」

 

朗読 西村美穂さん  報告 熊谷暢芳さん 司会進行 小野口哲郎さん

 

報告者レジメ

 

見てのとおり、月ごとに発行された『作家の日記』の1月号から3月号に掲載された作品です。『作家の日記』の一号当たりのボリュウムがそれなりにある中で、この三作品は、章の中のさらに一節をなし、一息で読めるほどの長さのものとなっています。実際、三作品を合わせて読んでも、一時間とかからないでしょう。しかし、短いながらもそれぞれの作品は、読後、不思議な余韻を残します。

ドストエフスキーの『作家の日記』は、韜晦に満ちたぐねぐねした主張のウルトラエッセイですが、その中にあって各作品のテーマは極めて真率なものとなっています。まるで思想の混乱の塊にぎゅうぎゅう押されて、シンプルな夢想がぽろりと生み出されたかのようです。しかしながら、テーマのシンプルさとは別に、その語り口はやはり一ひねりしたもので、そのひねりの中でドストエフスキーの思想や印象や感情や記憶が、作家の脳を通って各物語に結実する、その感触をかすかながらも得られるものとなっています。不思議な余韻はそのあたりから来るのかもしれません。そんなことを、簡単に話します。

私の使用するテキストは、『作家の日記2』小沼文彦訳 筑摩学芸文庫となります。

なお、インターネット上の青空文庫にも。

 

★物語の生まれる瞬間

 

  1. キリストのヨルカに召された少年

「創造したことを自分で確実に知っているのに、それでもやはりこれはどこかでいつか実際に起こったこと、それもほかならぬ、ちょうどクリスマスの前夜に、どこかものすごく大きな都会で、しかも恐ろしく寒い晩に起こったことのように思われてならないからである。」

 

  1. 百姓マレイ

「わたしはそのときやっと満9歳になったばかりであった。…いやそれよりも、満29歳のときのことからはじめることにしょう。」

復活祭:春分の日の後の最初の満月の次の日曜日。

光明週間:復活大祭の後に続く一週間。

 

  1. 百歳の老婆

「わたしがこの物語の――いや物語というほどの仰々しいものではなく、百歳の老婆に出会った歳の印象のようなものにすぎないのだが(とは言っても、実際の話、百歳の老婆、それもこのような豊かな精神生活を送っている老婆などには、そうめったにお目にかかれるようなものではあるまい?)――」

 

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12.10ゼミ報告

 

テキスト『灰色の月』を読む   (「ゼミ通信199」参照)

 

西村美穂   切りとられた車内に時代の変動を見る(12・10提出レポート)

 

一読目、内容あまり要領を得。最後の行で戦後すぐとわかり。

二読目、ようやく飲み込めた。食べ物の足りない時代、誰もどうすることもできない車内。

金はあるが物はない。

三読目、読み損ねた細かいところまで目がいく。今までいくつか車内観察を読んだが同じ車内という空間を切りとられることにより、人や時代の変わり様を感じた。

 

編集室・解説

 

はじめに

この作品は、僅か6、7枚の分量なのに、中長編作品に匹敵する。千枚の告発文にも勝るものがある。その夜、乗り合わせた乗客から人間の哀しみや怒れる声が聞こえる。それはなぜか。たぶんに、作者の車内観察が、表層に終わらないからだ。僅か数行の人物描写から時代を超えた真理を見ることができる。そこから人間の愚かさ、無力さ、悲しさを感じ取ることができる。それ故にこの作品は、というよりこの作者の車中観察は、一時代の車内観察だけに終わることなく普遍でありつづけている。そんな気がする。

『灰色の月』は、一見、なんの変哲もない車内エッセイである。だが、ここには現在、日本が抱える様々な問題が潜んでいる。が、日本の為政者は、保身に躍起だ。憲法改正問題、靖国神社参拝問題、沖縄米軍基地問題は棚上げされたままだ。現在、世界はグローバル化の果てに混沌となった。歴史を遡り始めた。日本は、世界はこの先いったいどうなるのか。この作品は、人類全体に向かって訴えている。

なお、本文は小話48年発行の岩波書店『志賀直哉全集』を『下原ゼミ通信』編集室で現代読みにしたもの

灰色の月

 

表題に凝る作家と、頓着しない作家がいる。志賀直哉は、それなりに拘泥した作家のようである。例えば処女作の一つ「花ちゃん」は『菜の花と小娘』になった。『暗夜行路』も『和解』も簡潔だが、葛藤の深さを感じる。この作品も、草稿ノートには、「白いつき、白い月、しろいつき、しろいつき」という書入れがあったという。『灰色の月』に決まるまで、あれこれ模索したに違いない。が、つけてしまえばぴったりする。それが名作である。

灰色・・・はっきりしない、うっとおしい色である。そんな月が、都会の夜を照らしている。地上はほとんど真っ暗いに違いない。狼男かドラキュラでもでそうな不気味さがある。作品をよく表した題名といえる。それでは、作品を検証・考察していきます。

 

東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。

 

東京駅は、大正3年12月30日アムステルダム中央駅をモデルにルネッサンス様式赤レンガ駅舎として開業された。原敬首相暗殺や浜口幸雄狙撃など、大きな政治的事件は起きが、建築的にはいたって頑丈で、大正12年のときに起きた関東大震災でも被害はなかった。

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それなのに「屋根のなくなった歩廊」、とはどういったことか。疑問は、冒頭のこの光景からはじまる。なぜ、屋根がないのだろうか。日付も説明もないから、読者にはわからない。が、その疑問は、すぐに明らかになる。ちなみに「上野まわり、品川まわり」とあるが、山手線が現在の環状運転になったのは大正14年のことである。と、するとこの物語はそれ以降の話ということになる。「着て来た一重外套」から、季節は初秋とわかる。屋根のなくて見通しのよいホームからは何が見えるか。

 

薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。

日本橋側の焼跡」で、読者は、ようやく情景を思い描くことができる。都心の「焼跡」といえば、東京大空襲しかない。B29の爆撃で焼け野原と化した東京。文面の印象から静けさを感じるから、既に戦争は終わっているようだ。8月15日に終戦。山手電車も普通に走り出したのなら、10月初旬の頃だろうか。この時の乗客は、どんなだったか。

 

遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼を

つぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。

 

ここには東京駅から有楽町までの車内の乗客観察が描かれている。当時の(終戦直後の)夜八時半頃の山の手電車の、乗車状況がどうだったかは知らない。しかし、「車内はそれ程

混んでいず」とあるから7、8割の乗客があったかも。観察では、右隣の「もんぺ姿の女

のほかに「少年工」のことが書かれている。「連続的なのが不気味に感じられた」とあるから七、八分入りの車内で少年は目立った存在だったのだろう。が、ホームに着くたびに乗客は入れ替わる。志賀直哉(この作品では、主人公を志賀直哉本人とみるべきである。続々創作余談で「あの通りの経験をした」と語っている)は「車中の人々」を、どう描いたのだろう。みてみよう。山手電車は、有楽町、新橋と停車していく。

 

有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、

「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。

「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。

「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。

 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、

「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。

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乗客はリックサックを背負った人が多くなった。有楽町、新橋から混んできたというから、新橋あたりに市場があったのだろうか。しかし、時間を考えると戦後の闇市を想像する。話は逸れるが、闇市で思い出すのは、昭和40年前後に流行ったヤクザ映画の一つである。当時、高倉健、鶴田浩二の任侠ものが全盛時代ではあったが、それとは違う、戦後のドサクサを描いた、闇市ヤクザ路線も流行っていた。安藤昇という大学出のインテリヤクザが、足を洗い映画監督になってつくったもので闇市がリアリティあった。殺伐とした時代だが、主人公の観察は「一頃とは人の気持も大分変わってきた」と、戦争、終戦で埃のようにまいあがっていた世の中が、漸く治まってきたと見ている。観察は、乗客の表層面から、会話や一人ひとりの感情や思考へと移っていく。

浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。

「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかったが、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分

男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。

笑った仲間も少し変に思ったらしく、

「病気かな」

「酔ってるんじゃないのか」

こんなことを云っていたが、一人が、

「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。

山手電車は、浜松町、田町、品川と過ぎていく。車内は益々混んできた。乗客も入れ替わったが、あの少年工は、まだ乗っていた。「依然身体を大きくゆすっていた」ところから、

他の乗客たちも注目する。奇妙な動作。主人公からは見えなかったが「少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。」会社員たちは笑い、車内の雰囲気は快活になった。しかし、新橋から乗っている25、6の若者は、少年工をずっと観察していたので、なにかがわかったようだ。いまでこそ、若者は血色のいい丸顔であるが、戦時中は、この少年工と同じだったことがわかる。「そうじゃないらしいよ」その意味は、皆にもすぐわかった。ここから主人公は、この少年をじっくり観察することになる。

 

地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供らしく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。

 

破れ、つぎはぎだらけの工員服。よごれた細い首。甘えるように頬ずりする子供らしい顔。一見、無邪気な光景描写である。しかし、読者は、凍りつく。少年の子供のような仕草は何を意味するのか。この世の全てを放棄した姿。恐れを知らぬ幼児の表情。それとも写真で見たホロコーストの順番を待つ人々の顔か。上野の山ではこのときもバタバタ飢え死んでいる。

 

「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、

「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。

「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」

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乗客は、少年の運命を知っている。なんとかしたい。男が聞いたのもその表れだろう。しかし、少年には、もはやどうでもよいことだった。こんな日本に誰がした。そんな怒りや絶望も、もはやない。乗客にできることは、電車の方向を教えることだけだった。

 

少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を

全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、

少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。(一貫=3・75k)

 

私は、なぜ少年を突返したのか。死神がついている。無意識にそれをみたのかも知れない。このときの私は、体重が13貫余りというから50㌔に満たないわけだ。少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。とあるから、少年は栄養失調を過ぎた体だったのだろう。この少年にたいして何をしてやれるのか。作者には『小僧の神様』になれる余裕も体力も気力もなかった。このときの気持を作者志賀は【続々創作余談】でこう述べている。

「あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮に自家へ連れて来ても、自家のものだけでも足らない食料で、又、自身を考へても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうする事も出来なかった。まつたくひどい時代だった。」

 

「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、

「渋谷から乗った」と云った。誰か、

「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。

少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、

「どうでも、かまはねえや」と云った。

少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。

 

どうやら少年工は、山手線に乗ったままぐるぐる回っているようだ。乗客たちは、おせっかいに、むろん悪気はないのだろうが騒ぎだした。少年も皆が自分の行き先に注目していることがわかった。山手線を一回りしようが何周しようが、少年にとってどうでもよいことだった。少年は、現世とは、もはや完全に縁を切った世界にいる。他者は、どうすることもできない。ヘミングウェイの短編に『殺し屋』というのがある。不況とギャングが横行するアメリカの暗黒時代の話だ。主人公のニックが働くレストランに二人の殺し屋がやってきた。時間まで待って殺す相手が来ないとわかると帰って行った。ニックは、知らせに走った。だが、狙われている「オール・アンダーソンは、きちんと服を着たままベッドに横になっていた」そうして逃げようともせず、他人事のように「どうしょうもねえんだ」と言うばかりであった。死ぬことを、殺されることを受け入れた人間の前にニックは、なす術もない。このときの作者も同じ気持であったのかも知れない。

 

 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。昭和二十年十月十六日の事である。

(『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)

 

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「暗澹たる気持」志賀直哉は、この「暗澹」、アンタンという言葉をこの時代、何度か使っている。が、おそらくこの言葉が最初に口にでたのは、あの日ではなかったか、と推測する。

昭和8年2月25日(土)の日記にこう書いている。

<MEMO 小林多喜二2月20日に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会わぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持になる。ふと彼等の意図ものになるべしという気する>

このとき志賀直哉が抱いたアンタンは、国民を戦争へと駆り立てていった為政者たちへの怒りと憎しみ、それを阻止できなかった悔やみと後ろめたさ。今日、靖国神社は戦犯合祀の問題でゆれている。死ねば、誰しもが英霊か。否、時の為政者は、死してなおその罪を償わなければならない。それが為政者の使命であり、義務である、と編集室は思う。

小林多喜二と志賀直哉

 

戦前だが日本経済が悪くなりはじめの頃、小林多喜二の『蟹工船』が評判になったことがある。ワーキングプア、若者たちの貧困などから注目されるようになったようだ。小林多喜二の作品は、現実社会を的確に捉え、反映しているのかも知れない。

完璧なまでのプロレタリア作家・小林多喜二と、貴族趣味作家と揶揄される志賀直哉。両作家は、対極にあると見える。が、両者は、お互いを理解し、尊敬しあっていた。多喜二(29)は、昭和8年(1933)2月20日東京築地署で特高警察により拷問死させられた。歴史に「たら、ねば」はないが、もし戦後まで生き、『灰色の月』を読んだら、どんな感想をもっただろうか。おそらく、すぐに直哉の家に駆けつけ、「はじめて文学の真髄がわかりました」と熱く文学談議するに違いない。両雄相識る。志賀直哉は、昭和43年、『小林多喜二全集』の推薦を書くにあたり、こんな文を寄せている。

人柄については真面目で、立派な人だと思う。あんなふうに死んだのはそんなことがなければ今でも生きていて、自由に仕事が出来たのにと思うと非常に残念な気がする。

志賀直哉の悔しさが滲む一文である。『灰色の月』を一番読んでもらいたかった人間、それは小林多喜二だった。編集室はそのように想像している。

昭和6年(1931)11月、小林多喜二(28)は、奈良に住む志賀直哉(48)を訪ねた。我孫子時代から度々手紙をやりとりしていた。二人は一晩、旧知の友のように親しく語り明かした。

なぜ、ガチガチの新進気鋭プロレタリア作家、小林は、優雅な貴族的作家の志賀直哉を訪ねたのか。度々、手紙をだしていたのか。親友のように語り明かしたのか。おそらくプロレタリア作家という衣の奥に、真の文学の炎が燃えていた。それが向かわせた。社会の現状を憂い嘆いて糾弾する。それも文学。だが、本当の文学は違う。多喜二には、そのことが薄々わかっていたに違いない。『網走まで』は、文字通り網走、でないことがわかっていたのだ。美しき明治の奥に潜む暗部。日本という列車は、その闇に向かって走っている。網走を過ぎれば次は奉天。列車は満州鉄道の壮大な大陸をひた走る。そうして、その先には、想像もつかない終着駅が待っていた。ヒロシマ、ナガサキという駅が。多喜二は読み解いたからこそ、玉座の直哉を訪ねたのだ。20歳も年下の文学革命青年。だが、直哉は彼の中に本物の文学の炎を見た。だからこそ惜しんで、やさしく諭した。早く、その衣を脱ぎなさい、と。しかし、時は待ってはくれない。多喜二は、その姿がわからないほどに叩かれ殴られ虐殺された。「小説を書いただけで殺された」多喜二の母の嘆きに直哉は悔やみの手紙をしたためるしかなかった。夏目漱石『三四郎』の同席者は、日本は「滅びるね」と言った。『網走まで』から37年。灰色の月の下の東京は廃墟と化し、走る山の手電車の車両のなかでは、乗客の少年が飢えて死のうとしている。こんな国に誰がした。『灰色の月』から志賀直哉の静かな怒りが聞こえてくる。文学は表層ではない。多喜二にそう諭したはず。が、直哉の怒りは次第に大きくなった。稚拙、とち狂った。直哉は、そんな嘲笑をよそに「銅像」を発表した。まるで多喜二や嘉納治五郎師範に手向ける敵討ちのように。(編集室)

下原ゼミ通信ⅡNo.361 ――――――――― 8 ―――――――――――――――――

 

ゼミⅡの記録

 

□  9日24日(月)晴れ 参加=村瀬、西村

夏休み報告 ゼミ誌原稿校正

□10月 1日(月)社会観察「なぜ幸福家族は分解したのか、海外事情

□10月8日(月・祝日)晴れ 暑くなる 図書館に寄る。マサリック2巻受け取り

参加=西村、村瀬、志津木「それぞれの夏休み」「ニュース観察雑談」

『にんじん』2作口演。感想・批評。

□10月13日(土)熊谷元一研究・熊谷元一写真賞コンクール選考会無事終了の報告。選考会場、今年から長野県・昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館にて実施。

□10月15日(月)晴れ 西村さん モーパッサンの作品、石川達三の話。

□10月22日(月)晴れ 西村さん 社会観察「南青山児童相談施設反対」「老夫婦殺傷15歳孫逮捕とその動機」について。

□10月29日(月)晴れ 西村 ゼミ誌『自主創造』校正。社会観察「17年度いじめ最多」

□11月12日(月)晴れ 西村、村瀬、「やまびこ学校」読み「いじめについて」レポート

□11月19日(月)曇り 村瀬、西村 「いじめ」「入管法改正」議論、「にんじん」読み。

□11月26日(月)文学フリマ、ドストエフスキー3短編(作家の日記))

□12月3日(月)テキスト読み、名作読み。レポート「2018年の記憶」「一日」

□12月10日(月)テキスト読み『灰色の月』レポート

□12月17日(月)テキスト読み

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掲示板

 

お知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日 2019年2月16日(土)

時 間 午後2:00 ~ 4:45 懇親会5:00~

会 場 池袋・東京芸術劇場第7会議室

作 品 『カラマーゾフの兄弟』

報告者 野澤隆一さん 司会進行 :梶原公子さん

 

※参加 興味ある方はどなたでも、決まりはありません。自由です。

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「下原ゼミ通信」・「読書会通信」編集室

課題・投稿などの送り先メール toshihiko@shimohara.net

連絡 090-2764-6052

 

2018年ゼミも余すところ、あと24日のみとなりました。24日は、全員顔を会わすことができるといいですね。

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