文芸研究Ⅱ下原ゼミ No.93

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)12月3日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.93
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/21 1/28 
  
2007年、読書と創作の旅
12・3下原ゼミ
12月 3日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」)
   ・ゼミ雑誌刊行状況の報告    
 2. 『注文の多い料理店』『どんぐりと山猫』(12・10ジョイント授業前に)
 3. 12・10時空体験報告稽古(『灰色の月』&紙芝居)台本づくり
   ☆時空1945年『灰色の月』の読み・感想。☆時空1947年『少年王者』稽古
 ※二つの時空を連携させて紙芝居『少年王者』を引き立たせる為の創意工夫。
  
 
土壌館劇場・紙芝居『少年王者』12月10日公演!
 来週12月10日は、文芸学科&デザイン学科ジョイント授業に参加します。山下ゼミでは、研究発表がありますが、下原ゼミでは、時空体験報告として紙芝居を上演します。出しものは戦後のベストセラー山川惣治作・画『少年王者』の第一集「生いたち編」です。
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先週の事件簿
 またしてもストーカー殺人が起きた。11月26日朝、北海道函館で会社員の女性(23)が、出勤するために自宅を出た直後、容疑者(22)にナイフで刺されて出血性ショックで死亡した。母親ももみあって軽傷。被害女性と容疑者の接点は、大学時代の同級生。女性は、今春、容疑者は9月に卒業している。容疑者のストーカー行為は、大学2年の教育実習で知り合ってからつづいていた。学校側は、相談され把握していたが「あと1回付きまとわれたら、警察に相談しよう」と応じていたという。自首した容疑者は「好意を持っていたが、受け容れてもらえないので殺そうと思った」と供述している。被害者の女性も「身の危険を感じている」と不安を訴えていたという。まったくの確信犯だが、被害者本人と家族以外には、危機感があまり見えてこない。そこがこの犯罪の難しいところである。ちなみに最近の、ストーカー事件は以下である。■99年2月 兵庫県姫路市で20歳の会社員女性が27歳の元彼から車で正面衝突され死亡。容疑者も自殺。■99年10月 埼玉県桶川市で21歳女子大生が一時交際していた男(27)の兄や知人に刺殺された。男は入水自殺。■00年4月静岡県沼津市で、女子高校生(17)が元交際相手の男(27)に刃物で刺され死亡。■03年1月長崎県島原市でバスガイドの女性(33)を元交際男(49)が刺殺。■今年8月都下国分寺市で警官(40)が、知人女性(32)を拳銃で射殺。自分も自殺。これら犯罪事件に共通するのは、犯人の確かな殺意である。殺してしまえば、後は野となれ山となれ。そこには、殺人の目的以外なにもない。恐ろしい嗜癖である。ひたすらゴミ集めに専念するゴミ屋敷の住人、捨て犬を何十匹と飼う人。どちらも防ぐには多勢の観察眼が必要だ。(土壌館)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.93 ―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
官・民の癒着はなぜ起きるか
 11月28日夕方、都内では「守屋夫妻逮捕」の号外が出た。夕刊トップは、各新聞とも「守屋前次官逮捕へ」「「賄賂容疑、妻も」などの大見出し記事が踊っていた。異常な接待などで軍需専門商社に便宜を図っていたらしい。過去5年間で総額500万円のゴルフ接待や金銭を夫婦でとのこと。「妻らの口座に400万円」もある。防衛省という秘密主義の領域で、思う存分自分の欲望を満たしていた、なんとも情けない話である。まるで時代劇の脚本にでも使えそうな古典的な汚職事件である。役人と民間業者の癒着は、今にはじまったことではないが、なぜ、役人、政治家、民間会社の黒い癒着は後を絶たないのか。戦後60年、日本という池は、何度ドブさらいしても一向に透明にはならない。清くなったかと思えばすぐ濁る。発覚して掃除をはじめたように見えても、すぐ元の木阿弥。この繰り返しである。なぜ、この池は、ちゃんとした浄化装置が働かないのか。これだけ学校教育が整備され経済大国の国が不思議である。なぜ、官も民も江戸時代の悪代官、狡猾商人越後屋のままなのか。この国の歴史を振り返るとすべては早急の議会制にあった。そのように思えてならない。
 議会制とは何か。選挙で人を選んで政治を行ってもらう。つまり代議制統治である。民主主義の基本でもある。日本の選挙の始まりは、1889年(明治22)2月11日に大日本帝国憲法を発布したことからスタートする。衆議院と貴族院からなる二院制を設置し、衆議院においてのみ国民選挙を実施するというもの。もっとも、憲法と同時に公布された衆議院議員選挙法は、時代背景もあり平等とはいえなかった。選挙権の規定は、このように決められていた。「選挙権は直接国税(地租・所得税)15円以上をおさめる満25歳以上の男子に制限され」ていた。『新しい歴史教科書』には、このように書かれている。
 1890年(明治23)に、初めての衆議院が行われ、第一回帝國議会が開かれた。選挙権は満25歳以上の男子で一定額以上の納税者に限られていた。しかし、これによって日本は、本格的な立憲政治は欧米以外には無理であると言われていた時代に、アジアで最初の議会をもつ立憲国家として出発した。
 この新憲法は、翻訳されて世界各国に通告された。おおむね評判はよかったようだ。当時、政府批判の論陣を張ってきた新聞も、「聞きしにまさる良憲法」と報じた。イギリスの新聞『タイムズ』は「東洋の地で、周到な準備の末に議会制憲法が成立したのは何か夢のような話だ。これは偉大な試みだ」と書いた。ドイツの法学者イェーリングは、「議会を両院に分け、貴族院を設けたのはもっとも賛成するところで、私の持論を実現している」と称賛した。
 なにからなにまで西欧のものが優れているという時代にあって、浅薄な日本の選択は仕方ないものではあったが、幕末には、日本がどのような政治体制を取り入れたらよいのか、しっかり見ていた賢者たちもいた。1864年に京都で暗殺された儒・洋学者佐久間象山(1811-1864)もその一人だ。象山は、科学においては西欧は優れているが、政治制度は、もともと東洋が優れている。だから「政治制度は、やはり東洋諸国で行われている儒学思想の教えに従うのがよい」と説いていた。だが、明治政府は、代議制統治に飛びついた。国民が法律の範囲内で各種の権利が保障され幸福に生活できる社会をつくるには選挙しかない。確かにそうである。だが、『代議制統治論』を書いたJ・S・ミル(1806-1873)は、この制度の害悪と危険性について二つあげている。一つは「監督機関における一般的な無知と無能力、あるいはもっとおだやかにいえば不十分な精神的資質」。二つは「その機関が、共同社会の全般的福祉と一致しない利害関係者の影響下にある」と警鐘している。猿真似の代議制の実施は、どうなったのか。ヒロシマ、ナガサキに突き進んだ日本の歴史をみればわかる。ドイツで生まれたヒットラーという怪物も、まさに選挙の落とし子である。
 戦後、日本はアメリカの傘の下、与えられた選挙制度は、20歳からとなり、規定もなくなったが、相変わらず多数決の論理はつづいている。多数のものが勝つ。比例代表にはなったが、ミルが心配した事態はいまだ解決されていない。民主主義の基礎は選挙であるを金科玉条として、選挙のみに全精力を注いでいる。で、選挙に勝つための知識と経験しかない政
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2007年、読書と創作の旅
治家ばかりがどんどん誕生している。そういった政治家は、各省の大臣になっても、何も知らないのだから官吏のドンに従うしかない。かくて官吏のドンは、天皇と呼ばれて采配をふるうわけである。今回の防衛省のドンは、大臣がクビにしようとしてもできなかった。まさに天皇中の天皇であったわけだ。何故にこんな人間が力をもつのか。これもかれも国会議員を選ぶのに選挙のみという方法しかないからである。どっぷりぬるま湯に浸かっているドンたちにとっては、沼のことなど何も知らない大臣など赤子同然なのだ。医者はインターン、司法にも危険物扱いにも国家試験がある。国を治める大事な職業には選挙しかない、というのはどうにも変である。民・官の癒着を防ぐには、国会議員の質を高めなければいけない。それには、ただ選挙に通れば誰でも、という代議制ではダメである。
 ここでもう一度、ミルの『代議制統治論』をみてみよう。選挙にある危険と対策について論じられた章がある。「第七章 真の民主政治とにせの民主政治について、全体の代表と多数者だけの代表について」の部分である。前文を抜粋してみる。
 代議制民主政治に付随する危険に、二つの種類があることは、すでにみてきた。(先にあげた二つである)すなわち、代議機関およびそれを統制する民衆世論における知性が低いことの危険と、数的な多数者側での、これがすべて同一階級から構成されているための階級立法という危険である。次にわれわれは、民主的統治に特有の諸便益を実質的にそこなうことなしに、これら二つの大きな害悪を除去するように、あるいは少なくとも人間の工夫によって達成できる最大限度に、それらの実害を減少させるように、民主政治がどこまで可能であるかを考察しなければならない。
 このことを試しみるふつうのやりかたは、多かれ少なかれ制限された選挙権によって、代議制の民主的性格を制限することである。
 『代議制統治論』J・S・ミル著 水田洋訳 岩波文庫参照 (土壌館・編集室)
 かつて幕末の儒学者・佐久間象山は、政治は東洋がいいと言った。その真意はどこにあるのか、選挙について考えるときがきているといえる。
12・3ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」ゼミ誌
・ゼミ雑誌について ゼミ誌編集委員から → ゼミ雑誌作成経過or刊行報告
         2. 12・10ジョイント授業に向けての準備
 次回ゼミは第5回文芸学科&デザイン学科ジョイント授業に参加します。山下ゼミは宮沢賢治童話の研究報告です。作品は『注文の多い料理店』『どんぐりと山猫』など。まだ、読んでいない人もいるかも知れません。予習としての読みと感想。
      3.1945年10月、47年12月を時空体験報告
 12・10のジョイント授業では、1947年時空体験を報告します。出し物は『灰色の月』と『少年王者』です。『灰色の月』を読んだあと『少年王者』の紙芝居を上演します。
  ナレーション → 『灰色の月』 → ナレーション → 紙芝居公演
創意工夫で、短篇名作と長編劇画をドッキングさせ観客を引きつけましょう。たとえば
1.ナレーション「最高の車中作品が書かれた時代に時空体験します」タイムスリップ。
2.ナレーション「焼け野原の東京です。月がでています。山手線の電車が走ってきます。車中をのぞいてみましょう」『灰色の月』朗読。3.ナレーション「餓死する少年を誰も救うことができない。何という悲しい、何と残酷な現実でしょう。戦争に負けて打ちひしがれた大人たち。この時代の子供たちは何と不幸だったのでしょう。4.ナレーター「いや、子供たちは夢と希望に燃えていました。47年12月を時空体験してください」紙芝居公演開始。
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灰色の月
志賀直哉
 東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかった
が、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内
には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供ら
しく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
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「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。
 昭和二十年十月十六日の事である。
                  (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
『網走まで』と『灰色の月』
 志賀直哉の処女作『網走まで』は、草稿が1908年(明治41年8月14日)に書かれ、『白樺』第1号に発表されたのは、1910年(明治43年)である。『灰色の月』は1945年(昭和20年10月6日)に書かれ、1946年(昭和21年)『世界』創刊号に発表された。この間、37年の歳月の開きがある。25歳の無名の文学青年は、62歳になり「小説の神様」と呼ばれるほどの大家になっている。社会的地位と名声においては格段の差がある。が、作品においては、それほど差があるとは思えない。(たていての作家は処女作を越えられない)二作品に差がないということも、この作家が小説の神様と呼ばれる所以の一つでもある。ドストエフスキーが、いまもって人類にとって最高峯の作家といわれるのは、処女作『貧しき人々』がすでに世界文学の頂点にあるのに、晩年になればなるほど、後続の作品群が、より高い場所に上りつめたところにある。
 志賀直哉の車中文学に限っていえば、『網走まで』ではじまり、終盤の『灰色の月』で、その完成度を極めたといえる。他の車中作品も同様である。それ故、どれも珠玉な作品となっている。いずれも、優れた乗客観察、人間観察である。が、『網走まで』と『灰色の月』には、その方向性において他作品と異なるものがある。『網走まで』と『灰色の月』は、たんに乗客観察に留まっていない。時代と対峙しながら今を突きぬけ、その向こうにある未来を危ぶんで見つめている。正確には覚えていないが、十年ほど前だったか新聞で石川啄木の書き物のなかに東京大空襲を予言したようなものがあったという記事を読んだことがある。『網走まで』にもそれがある。かつては良家の子女であったろう女。今は、病気がちな幼子二人を連れ、ちいさな荷物一つを持って、まだ鉄道も敷かれていない北の果てに行くという。女と子供たちの運命は目にみえるようだ。同じころ東京に向かう列車の中で三四郎は、富士山を見て日本には「あれよりほかに自慢するものは何もない」と悲観する同席の男に「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。が、男は即座に「亡びるね」と、言った。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.93 ―――――――― 6 ――――――――――――――――
 漱石と志賀直哉。歳は違うがともに明治という時代を見続けてきた作家。奇しくもその作品『三四郎』と『網走まで』において日本の未来を予見している。落ちぶれてゆく母子、希望に燃えて上京する若者。その未来は、共に絨毯爆撃によって焼け野原となった敗戦日本である。「こんな日本に誰がした」。『灰色の月』からそんな怒号が聞こえてくる。『灰色の月』は400字詰め原稿用紙にして僅か6、7枚の作品である。見方によれば、エッセイのような小説とも呼べない小話である。『網走まで』同様、なんの変哲もない作品。だが、この作品は、名作といわれている。この作品は、なぜ普遍なのか。
 たんに面白いだけの小説、昨今流行の感動もの。それらはどんなにベストセラーであったても時代とともに消え去るだけです。『網走まで』や『灰色の月』は、たとえ退屈で面白くなくても文学のテキストとして、手本として、これからも読み継がれていくでしょう。
 ◎ それは、なぜか ? そこに文学の謎があります。
『少年王者』とは何か
 『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。大長編冒険物語です。楽しみなが挑戦しましょう。
 山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
少年王者』第一集「おいたち編」「赤ゴリラ編」「魔神ウーラ編」「豹の老婆編」
      第二集「モンスターツリー編」「決戦編」「砂漠の嵐編」
      第三集「アメンポテップの財宝編」「謎の太平洋編」「解決編」
【作者の言葉】この物語の頃のアフリカは、暗黒大陸といわれていて海岸線から内陸にかけて、英国がケニヤや南阿連邦を、フランスがカメルーンを、ベルギーがコンゴ地方をというように治めていたが、その奥地は人跡未踏で、未開と謎につつまれていた。
 第二次大戦後の三十数年の間にアフリカは、全土にわたって独立の気運がたかまり、彼らは勇敢にたたかって、その統治国から独立をかちとった。
 しかし、『少年王者』の物語の頃のアフリカは、神秘のベールの中に、夢とロマンがあった頃の話であり、その頃のアフリカは、真吾やザンバロが、すい子とともに黒豹ケルクたちと冒険をくりかえした大密林であった。集英社『少年王者』豪華復刻版 1977年2月
少年王者の歌
山川惣治・作詞
一、大密林に    とどろくは
  少年王者の   さけびごえ
  黒いひとみに  ばらのほほ
  みどりのかみを なびかせて
  天にそびえる  大木の
  枝から枝へ   とびまわる
  少年王者の   いさましさ   二、なくはふくろか    魔の鳥か
                    森はしずかに     夜はふけて
                    王者はねむる     枝のうえ
                    さす月かげに     にっこりと
                    笑ってきえた     かたえくぼ
                    ゆめにきいたか    みもしらず
                    やさしい母の     子守りうた
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季節観察・師走の歌 12月はこの歌を吟唱してみましょう。
 12月になると、なぜかアポリネール(1880-1918)のこの詩を思い出します。黄昏どき、落ち葉を踏みながら暗誦してみてください。「ミラボー橋」は1913年の作品。セーヌ川にかかる鉄製の橋の名前です。(詳しくはネット「アポリネール」検索ください)
  Le pont Mirabeau            ミラボー橋
Sous le pont Mirabeau coule la Seine.  ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Et nos amours              そして私たちの愛も
Faut-il qu’il m’en souvienne       思い出さねばならないのか?
La joie venait toujours apres la peine  悲しみの後に必ず喜びが来たことを
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
Les mains dans les mains         手に手を取り
restons face a face         顔に顔を合わせ
Tandis que sous le Pont         私たちの腕が作る橋の下を
de nos bras passe          永遠の微笑みが流れる間に
Des eternels regards l’onde si lasse   水は疲れていった
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
L’amour s’en va comme cette eau courante 愛は流れ行く水のように去っていく
L’amour s’en va comme la vie est lente  愛は人生は遅すぎるかのように
Et comme l’Esperance est violente    そして望みは無理であるかのように
                     去っていく
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
Passent les jours et passent les semaines日々が去り、週が去って行くのに
Ni temps passe              時は去らず
Ni les amours reviennent         愛は戻らない
Sous le pont Mirabeau coule la Seine   ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
 句読点を使わないという画期的な手法を使った作品集「アルコール」の特徴
がこの詩にも出ています。(検索)
 去っていった恋人、マリー・ローランサン。詩人は38歳の短い生涯。だが、彼女への愛は永遠に終わらない。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.93―――――――8 ―――――――――――――――――
11・26ゼミ報告
 11月12日(月)は、以下の出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  高橋享平  金野幸裕  山根裕作
授業評価のアンケート調査実施 10分程度
司会進行・金野幸裕
山川惣治絵・作『少年王者』の紙芝居稽古。前回の途中から。
ゼミ雑誌進行状況(12・3現在)
近く納品か
☆提出書類の手続きで、既に完了しているものは以下の書類です。
【①ゼミ誌発行申請書】提出、【②見積書】提出
○ 12月12日までに見本誌を出版編集室に提出してください。
○ 12月下旬までに印刷会社からの【③請求書】を出版編集室に提出してください。
【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌補助金の支払いも認められません。
掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き書くことの習慣化を目指して提出原稿を受け付けます。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する □ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳也氏 報告「ドストエーフスキイ その咬交円錐的世界』」
      二次会は近くの居酒屋。
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
■「嘉納治五郎とドストエフスキー」は、都合により次回に掲載します。
■同じく冒険物「キンチョウ」も次回掲載します。
ゼミ誌提出期限は、12月14日です。
下原ゼミ「2007年、読書と創作の旅」      12月10日第5回ジョイント授業
土壌館劇場・時空体験ツアー公演台本
公演に伴う台本の中身
時空:1945年(昭和20年)10月16日午後8時30分頃
場所:山手線外回り電車・車内
作品:志賀直哉『灰色の月』
時空:1947年(昭和22年)12月30日~
場所:日本全国の各書店、家庭、路地
作品:山川惣治作・画『少年王者』 製作・土壌館
12月10日ジョイント授業・出し物
紙芝居
『少年王者』第一集「おいたち編」
スタッフ
レイア姫・茂木    ハムナプトラ・祥子    道産子ボヘミアン・金野
(茂木愛由未)       (疋田祥子)         (金野幸裕)
バリトンバス・山根  DJクマグス・髙橋
 (山根裕作)       (高橋享平)
総指揮:土壌館・しもはら
  紙芝居
『少年王者』台本
第一集「おいたち編」
スタッフ(係決め)
前口上
 私たちは、この一年、志賀直哉の車中作品をテキストに、車内観察を書き発表しあって、読むこと書くことの日常化を培ってきました。
 本日は、その成果として車中作品の名作『灰色の月』の時代に旅した時空体験を報告します。あの時代、今から60年前ですが、戦争に負けた日本の大人たちは自信をなくし打ちひしがれていました。『灰色の月』は、山の手電車の乗客に、飢え死に寸前の少年がいた。しかし、だれも救うことができなかった。そんな車中観察です。この悲惨な闇市時代、子供たちはいったいどうしていたのか。
 まだ日本は占領国で、先のみえない真っ暗闇の時代です。その時代の夜空に明星のように輝く一点の星。それはベストセラーとなった『少年王者』でした。子供たちは、その星から夢と希望と正義を知ったのです。時空探検ツアーから持ち帰った、かってのサブカルチャーですが、もしかして、これが現在の混迷する教育に子供たちの世界に光りを与えてくれるかもしれません。私たちは、それを願って稽古してきました。それではごゆっくり観劇ください。
 その前に、この紙芝居の舞台となった時代、正確には本が発行されベストセラーになった2年前ですが、その時代を象徴する車中作品『灰色の月』を朗読します。
追記
スタッフ
『灰色の月』の場面
タイムスリップ!
ここは1945年10月16日の東京。夜8時30分ころ。戦争が終わって2ヶ月の東京は不気味に静まり返っています。あっ、山手線は動いているようです。さっそく車内に入ってみましょう。
『灰色の月』朗読
スタッフ
 あの少年は、飢えで死ぬばかりです。だれも助けてやれる人がいない。なんて悲しい光景でしょう。後にこの観察作品を残した作者は、非難されたそうです。「なぜ救ってやらなかった」と。しかし、この作者もこのときは栄養失調になっていたのです。
 こんな時代、子供たちは何をしていたのでしょう。
追記・備考
『少年王者』紙芝居公演
タイムスリップ!
 1947年の暮れです。あれから2年が過ぎています。子どもたちは、どうしているでしょう。師走の本屋に子供たちが大勢い集まっています。皆、瞳が輝いています。表情が明るいです。この2年間に何があったのでしょう?
 あっ!本です。子供たちが店頭で夢中になって読んでいるのは『少年王者』です。
追記・備考
紙芝居公演・開始
スタッフ
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土壌館日誌・「子ども観察」
 これまで、いろいろな子どもが土壌館に入門し、去っていった。子どもは一人ひとり性格は違うが、たいていは普通のどこにでもいる子どもである。が、ときどきそうでない子どももいる。最近、そんな子が多くなった気がする。数年前のA君もそんな一人だった。
 A君の入門は、こんな様子だった。「こんにちわ」といって母親に連れられて入ってきた。丸眼鏡をかけた男の子は、小学校二年生にしては礼儀正しく返事もはきはきしている。普通は、どんなガキ大将も、最初に道場に入るときは親の後ろにくつついているものだ。が、妙に堂々としている。利発そうにみえた。が、なぜか若くきれいな母親は、不安気である。自宅は近所にあり、A君は一人で通いはじめた。丁寧な話し言葉、きちんとした挨拶。他の子供より面倒なさそうに思えた。いつだったかアフリカ人が見学に来たときも、自分の方から近づいていって、言葉が通じないにもかかわらず話しかけていた。A君が、少し変わっていると気がついたのは、会話の最中だった。質問されるとダメなのだ。しばらく目をぱちくりして考えたあと、「えーとですねえ」とかなんとか言っていて「すみません、わかりません」と謝るのだ。
 
歴史人物観察 草稿「嘉納治五郎とドストエフスキー」から
(推敲・校正しながら書いていくので重複あり)
土壌の人
― 嘉納治五郎とドストエフスキー ―
土壌館編集室
  本稿は「嘉納治五郎とドストエフスキー」の理念を照合し、その一致を広く世に知らしめることを目的としている。が、両者において既にドストエフスキーは、世界的文豪でもあり、2007年には、新訳刊行によって社会的ブームにもなっているところから本稿は主に嘉納治五郎に標準をあて論じ検証する。嘉納治五郎といえば、一般的には柔道の創始者として、明治の偉大な教育者として名高い。が、柔道や教育は、たんに嘉納の理念達成への手段であるに過ぎない。嘉納が、世界の調和と全人類の幸福をめざして孤軍奮闘していたことは、あまり知られていない。これまで嘉納治五郎は、真にコスモポリタンとしてきちんと評価されてこなかった。本稿によって嘉納治五郎が、真に正しく評価されるようになれればと願う。また本論によって嘉納師範の本当の目的であった崇高な理念を少しでも伝播できれば幸いである。
序章 背後の山 麓では見えない山脈
第一章 その生涯 幼年期  少年期から青年期  壮年期 晩年
第二章 その思想 自他共栄 精力善用精神
第三章 理念の実践 柔術から柔道 
第四章 コスモポリタンへの道
第一章 青年期
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人生の目標
出会い
二足のわらじ いじめ対策ではじめた柔術であったが、治五郎は、しだいに柔術の魅力にとりつかれていく。また、東京大学の学生が廃れゆく日本古来の武術を学ぶということで、少数ではあるが世間からも注目されるようになる。明治十二年(1879)アメリカの前大統領グラント将軍が来日したとき渋沢栄一の飛鳥山の別荘で前大統領一行に余興として柔術が披露されたが、推挙された並み居る武道家たちのなかに若干二十歳の治五郎がいた。このことは、当時の柔術家の底の浅さを証明するものでもあるが、西欧人たちが日本の何に興味を示したかもわかる。治五郎は、そのことをしっかり頭に焼き付けたのだろう。治五郎の学生時代は、いっそうの柔術の稽古と勉学にあけくれることになる。この二足のわらじは、結局のところ治五郎の人生に決定的な役割をになうことになる。柔術との出会いは、このときはわからないが、後の治五郎の理念を運ぶ役目を担うことになる。もう一つの出会いは、勉学のなかにあった。が、それがなんであるか。いま少し待たねばならなかった。
将来の迷い
治五郎将来の夢 生来の負けず嫌いから、学生時代は勉学と柔術稽古に励む治五郎であった。が、だれにでもある青春の迷いは、例外なく治五郎にもあった。自分は、何のために勉強するのか。柔術は、強くなるため、とはっきりしているが、さて勉学はと振り返ると、わからない。自分は、いったい将来何になりたいのか。どんな職業につきたいのか。治五郎の心は揺れ動く。このときの気持を「回顧六十年」では、このように述べている。
 …自分が趣味、長所のみから割り出せば自分は天文学者になったろうと思われる。自分は幼少から数学が得意で、天文が大好きであった。…ロッキャー、エーリー等の天文文学の書物を読んだ事を覚えている。しかし自分は考えた、今仮に自分が好きな道で天文学者になったところが、学問上から世に一種の貢献をする事は出来るかも知らぬがそれは自分以外にそういう人間を作り得る。昔の歴史を読み自分は一つ政治家になって世のために大いに尽くしたいという考えを懐き、…。そこで大学卒業後もやはり自分は政界に起つ心算もりでいたので、…
毎夜、天空を望遠鏡で覘いている天文学者の嘉納治五郎は、想像しにくいが、政治家としてならありえるかも知れないと思う。が、治五郎の将来の夢は、変転する。子供のころから、しっかりした夢をもって、それに向かって邁進できる人は幸いである。が、たいていの人は今も昔も「青春時代」のフォーク歌詞ではないが「道に迷っているばかり」である。治五郎の頭には、あるときは、なんとこんな考えも思い浮かぶ。
政治家か宗教家に代わるもの
 ある時には既住の宗教家のやった事実を見て、宗教に心を向けたこともある。…自分は人間のなし得る最も偉大なるものは政治か宗教であって政治家か宗教家になって、世に貢献したいという事が心から離れなかったのである。
 政治家か、宗教家という発想は、いったいどこからきたものか。激動の時代にあって、治五郎の頭にはなぜか軍人や実業家はなかったようだ。ここで、どうしてという疑問の答えは第二章の「嘉納治五郎の思想」で述べることにする。治五郎の政治家や宗教家に対する思いは、本気のようであった。大学を卒業して柔道をつづけながら教育者として歩みだしてからも、その思いは消えなかった。
 明治22年(1889)に宮内庁から欧州行を仰せつけられて出かけたがその時は教育の視察
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に行ったのだが、まだ政治や宗教のことが心から離れずにいたのであった。
と、このように述べている。が、欧州でみた教育に開眼する。一年間の欧州視察は
…著しく教育という事に対して興味を増し教育が一国の消長に如何に重大なる関係を有するかを、従来より一層痛切に感じるようになった。…
そして、あれほど頭から離れなかった宗教と政治は、急速に色あせていった。
…宗教は既往の事を考えてみると偉大なものだが、今後は自身の身を投じて働くほどの値打ちのあるものではない、宗教はもはや過去に属するもので、…また政治もつらつら考えてみればなるほど一時的には随分人の注目を惹くような事も出来るが、、既往の歴史を通覧してみると政治家の仕事は短きは二、三十年長きも四、五十年か百年も経てば、多くはその形跡も消滅してしまうことが多い。
確かに、世の中が悪くなると、そのたびに立派な政治家がでてきて改革を施行した。徳川吉宗の享保の改革しかり、松平定信の寛政の改革しかり、水野忠邦の天保の改革しかりである。しかし、彼らがいなくなると、また元の木阿弥。世の中は、いっそう悪くなる始末である。宗教もまた同じ、世の中がおかしくなると、何度でも宗教家と称する輩が現れでる。つまるところ、宗教も政治も、即効薬にしかならないということである。人間が、いつの時代でも、幸せに生きることができるにはどうしたらよいのか。
教育者への目覚め
教育者として生きる決心 治五郎三十歳、欧州視察で、にわかに教育に目覚める。
 …しかるに教育は全ての事の基である。教育上人間のなした事は容易に磨滅しない。ただ普通の人間にそれだけ認められないだけで、深い意味において華やかなものである。
風邪の為、次回へ
 
2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇草稿・習作
KINCHOU
    キンチョウ ―サムライの約束―
土壌館編集室・志茂
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・大和大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・大和大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 浩・・・・・ヒロシ。カメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者 プノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈再びの密林〉一「戦慄の旅」二「ヤマ族集落」三「再びの宣戦布告」
第五章〈密林逃避行〉一「タイ国境を目指して」二「待ち伏せ」三「父親」
第六章〈さらばサムライ〉一「矢は尽きて」二「カオ遺跡の戦い」三「虹の彼方に」
あらすじ
 大和大学探検部の元隊員たちは密林ガイドのためヤマ族のインドシナ最大の密林にある少数山岳民族ヤマ族の集落に着いた。が、ヤマ族の考えは、この地に残ることに変わっていた。クメール・ルージュと呼ばれる赤い悪魔のゲリラと交渉にいった若者三人のうち帰ってこない二人を見に高木と一ノ瀬は山を下り、ゲリラを二人殺害する。赤い悪魔の怒りを恐れて、ヤマ族は、長年住み慣れた集落を捨てる。10年前往復した道を元隊員たちは、所々の遺跡を目印にタイ国境を目指す。が、背後からゲリラたちが迫る。
第五章 密林逃避行
二、待ち伏せ
 「先手必勝だ。待ち伏せてやろうぜ」
高木は言ってから、自然にそんな言葉が口をついてでる自分に驚いた。
 待ち伏せて人間を殺す。そのことに妙に興奮した。もう遠い昔に思えるが、昨日、ふもとで蹴り倒したときの感触が忘れられなかった。五人は崖道まで引き返すと、ここを待ち伏せの場所に決めた。崖下は岩場と繁みで見通しが悪く、一列に進まなければ、抜けられなかった。一ノ瀬は、先の茂みを指差し
「おれは、あそこで後ろから狙う。ケン、おまえ前にいてくれ」と、言った。
「どうする」
「おれが最初に射る。何人やれるかわからんが、気がついて、振り返ったら襲ってくれ」
「わかった。そこの岩場がいいな」
高木は、頷いてソクヘンたち三人に隠れるよう指示した。
 一ノ瀬は、黙って頷いて進んでいった。奴と、こんなに息が合うとは・・・。高木は、前方がよく見える岩場の茂みに隠れると一ノ瀬の背中を見送りながら不思議に思った。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。時間がどれほど経ったかわからなかった。もしかして、奴らは引き返したのか。そう思われたとき崖道の繁みが大きく揺れた。不意にゲリラが現れた。赤い悪魔の兵隊たちだった。兵隊といっても彼らの軍服はベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。首に縞のスカーフを巻いている。履物はサンダルだった。五人いた。岩場で一列になって進むしかない獣道をだつた。彼らは、一ノ瀬が潜んでいる岩
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場を過ぎると、一列になって進んできた。途中、ヤマ族の一行が通った痕跡を岩肌に見つけたのか。苔が、はがれていた。一ノ瀬、弓を引き絞り、距離を測る。黒服に縞模様のまいた赤い悪魔が繁みに見え隠れした。五人いる。しだいに近づいてくる五人。息を呑む高木、一ノ瀬、まだ射らない。目の前まできた赤い悪魔の兵士たち。六メートル、四メートルと近くなる。どうした、なぜいらない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してる。瞬間、矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に刺さった。一瞬、兵士は立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨。前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に、つづいて三の矢が三人目のゲリラ兵の背中に。倒れたゲリラ兵の銃が木に当たり跳ね返った。その音に、前のゲリラ兵が気づき振り返った。が、次の瞬間、第四の矢が首に突き刺さる。ゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。突然の銃声に先頭のゲリラは、驚いて反射的に繁みに飛び込んだ。よく訓練されたゲリラだった。次の瞬間には、立ち上がってこちらに銃口を向けていた。背後にヤマ族の若者、襲いかかる。一人、銃尻で、顔面を殴られ、倒れる。高木、体当たりして倒すと、膝を首筋に叩きつける。頚骨の折れる鈍い音。即死だった。はじめて空手技で人を殺した高木、興奮気味。若者たちゲリラから銃を奪う。殴られた若者、右腕に裂傷。出血。高木、ゲリラ死体からベルトをとり、腕の付け根を締める。
三 医師の目覚め
 高木たち、一行に追いつく。柳沢、湯を沸かさせる。
「火をたくのか、まずいな」
「雨がやんだ。もやがでる。その間なら大丈夫だ」
長老の言葉どおり、雷雨がやんだ密林にもやがたちはじめた。火がたかれ、鍋に湯が沸騰した。柳沢、医療箱からメスを出し、鍋に。肩にめり込んでいる弾を取り出す。
柳沢は、汗だくになって傷口をたこ糸で縫う。夕方、暗くなる。柳沢、自分がはじめて人の役に立ったような気持ちになる。
「きてよかった」
柳沢が医師とは何か、それを自覚したのは、医学部でも大学病院でもなかった。皮肉なことに遠くはなれたこのジャングルにきてはじめて悟ったのだ。
 「この先に、とっくり谷があるはずだ」
西崎は地図を片手に、空を仰ぐ。が、繁れるつたや樹木の葉が、ほとんど空を隠していた。磁石がなければ右も左も進めなかった。しかし、、ほどなく繁みを抜け出すと岩場についた。少しのぼると、まるで人間がつくったような二つの岸壁に囲まれた岩場になった。とっくり谷は、出口がせまくとっくりの口を連想させたからだ。岸壁をよじのぼり狭い入り口を岩づたいに出ると、目の前にふたたび絨毯を敷き詰めたような密林がひろがる。銃声がして、岸壁をのぼる村人が転げ落ちていった。銃声は密林に吸い込まれながらもつぎつぎと鳴り響いた。全員がのぼりきるまでに三人が犠牲となった。女子供がいるヤマト族、赤い悪魔たちは、労せず追いついた。見下ろすと、はるか下方の岩場を黒服の赤い悪魔たちが、ヤモリのようにはりついて、まるでアリンコのようにのぼってくる。
「おい、矢をみんなおいて行け」
一ノ瀬が不意に立ち止まってヤマ族の男に言った。
 男は、キョトンとした顔で一ノ瀬を見た。が、すぐに意味を解した。男は、頷きながらも、自分の胸をたたいた。
「どうするんだ」西崎隊長が聞いた。
「ここで足止めさせてやる。だから先に行け」
「地の利がいい」一ノ瀬は言った。「崖を上って、このとっくり口からは一人二人しか出られん。かっこうの標的になる」
「そうか、じゃあちょっとでも本体を、すすませる」
今回分次回、直し掲載。
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掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き書くことの習慣化を目指して提出原稿を受け付けます。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する □ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳也氏 報告「ドストエーフスキイ その咬交円錐的世界』」
      二次会は近くの居酒屋。
好評発売中
山下聖美著『「呪い」の構造』2007.8 三修社 賢治文学
 宮沢賢治生誕111年。今、伝説のベールが剥がされる!
猫 蔵著『日野日出志体験』2007.9 D文学研究会
  猫蔵が渾身の力をこめて書き下ろした日野日出志体験
山下聖美著『100年の坊ちゃん』2007.4 D文学研究会刊行
  夏目漱石『坊ちゃん』100年を記念して
清水 正著『萩原朔太郎とドストエフスキー』2006.12
ドストエフスキー文学は20世紀の100年をまたぎ超えてゲンダイ文学であり続ける。 
下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社 2006.3
下原敏彦著『伊那谷少年記』2004.6 昭和30年代の原風景、『五十歳になった一年生』
岩波写真文庫143・復刻版『一年生』
― ある小学教師の記録 ―
熊谷元一・下原敏彦・28会編纂『50歳になった一年生』
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
「行け、俺にかまうな」
一ノ瀬は、無表情で言うと、次の矢を定めた。
「一緒に帰ろう、帰るんだ」
「俺は帰らん」
「奥さんが待っているだろ」
「うん、あの世でな」
「なんだつて!?」
「殺してきた。日本を出る夜」
「殺した!?」
「もう、行け。ここは引き受けた」
一ノ瀬は、そう言って矢を放った。矢は、音もなく吸い込まれるように曲がり角に姿をあらわしたゲリラの胸に突き刺さった。赤いゲリラ兵は、絶叫して深い谷底に落ちていった。
「ここで、もう少し奴らの足を止める。その間に、できる限り遠くに逃げろ」
「しかし・・・」
「心配するなって、奴らの足が止まったら、後を追うから」
「そうか、無理するな」
一刻の猶予もなかった。西崎隊長は、前進する他なかった。
「出発、出発」大声で一行をせきたてた。
ヤマ族の一行は、西崎と高木を先頭に岩場の多い道なき道を登って行った。乳のみ子を抱えるもの、老人を背負うもの。子供たちは、いたって元気だった。が、その速度は相変わらずカメのように遅かった。峠を越せば、また平坦な山地となる。それまで一ノ瀬が持ちこたえてくれたら。一分でも二分でも時間が欲しかった。
一ノ瀬は岩場の繁みの中に潜んで、登ってくる赤い悪魔のゲリラたちを待った。奴らが姿を現す場所は一ヶ所しかなかった。大きな岩と巨石が崩れ落ちた場所。そこが唯一崖下から登って来れる道なき道だった。ヤマ族の一行が通った後である。かなり砂地の崖はゆるんでいた。、のぼりすらくなっている。よじ登りきった瞬間、放たれた矢は、ゲリラの胸を正確に射った。一ノ瀬は、人間的を射ることに快感を覚えていた。また一人、また一人とゲリラは一の瀬の標的になった。
ゲリラたちは戦法を変えた。朽木の幹を盾にして上がってきた。一ノ瀬は、次々と矢を射ったが、仕留めることはできなかった。あがりきったゲリラたちは、次々と繁みの海の中にとびこんでいった。一の瀬は、頓着せず、なおも上がってくるゲリラの盾のわずかな隙間を狙って射ていた。が、不意に弦が切れた。焦りをヤマト族の若者は、狂ったように乱射した。が、を放ったの放つ矢、次々、兵士を射る。事態がわかった赤い悪魔たちは、緑の海の中にもぐったまま息を殺した。
 高木は、何度も振り返った。とおくに迎撃に残ったヤマ族の若者が走ってくるのが見えた。二人いる。
「どうした、あとの連中は」
「まだ、戦ってます。残り五人とわかったから全員片づけるって」
「無理するなといったのに・・・」
不安が過ぎった。
「よし、ここで待とう」高木は西崎に言った。
「ソクヘン、とめてくれ、小休憩だ」
「チャボンティー」
ソクヘンは大声で叫んだ。
皆一斉に足を止め、その場に座り込んだ。
「しかし、なぜ奴らは、的確に追ってくるのだ」
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
高木は、朽木の上に腰を下ろすと、ヤマト族の男たちの顔をながめながら思いめぐらせた。
「誰かが、目印をつけているのでは」西崎は。「そうとしか思えん」
「内通者がいるというのか」
「そうだ」
「なぜ、なぜ内通するんだ」
「わからん」
「ソクヘン、そんなことあるのか」
「いません、いるはずがありません。やつらの恐ろしさ、みんな知っています」
「長老に聞いてくれ」
 ソクヘンは渋々、タオのところに行って何事かささやいていた。タオは、思い当たる節があるのか、顔を曇らせて、岩場の陰に甥のシナタを呼んだ。なんだろう。皆の視線が岩場に集まった。言い争う話し声のあと、突然、タオの怒鳴り声と物音。
「助けてくれ、」シナタが血相を変えて、岩場の穴から飛び出してきた。
 シナタは、皆の前にくるとばったり倒れた。シナタの背中にタオの山刀が突き刺さっていた。タオがよろけながらいわばから出てくると、すでに息絶えているシナタを見下ろした。
「犯人は、こいつだった。ルビーを盗んで逃げようとしたのだ」 
タオは、はき捨てるようにつぶやくと白髪の頭を深々と下げてわびた。「すまない」
 シナタはルビーを盗んだあとの逃げ道として、目印をつけてきたらしい。それが赤い悪魔たちの案内となっていたのだ。
「とうとう最後まで、性根は治らなかった。治せなかった」
タオは、肩をおとしてつぶやくとシナタの上に折り重なるように倒れた。皆の悲鳴。
「タオ様!」
村人たちは、一斉に駆け寄った。
 柳沢が割って入り脈をとった。そのあとまぶたを閉じた。あっけない最期だった。
「死んだ」
柳沢は、告げてたちあがった。
 突然に、一族の要を失って皆は、泣くことも悲しむことも忘れてへたりこんだ。
「じっとしてはいられないぞ。族長に言え」
泰造は、ソクヘンの耳元にささやいた。
 ソクヘンは大きく頷いて呆然とたたずむボトに伝えた。ボトは夢遊病者のように頷くと、それでものろのろと皆に支持を与えた。長老亡き後は、ボトがこの一族の要となる他はなかった。タオのようなカリスマ性はないが、ボトは誠実さで皆から信頼されていた。
「おい、ソクヘン二人の遺体を隠せ」
 
 柳沢、首を振る。二人の死体を繁みに隠し、通ったこん跡を消しながらの前進。ようやく追撃の気配が去ったかのように思えた。が、一難去って、また一難か。
 突如はるか頭上でエンジンの音。うっそうと繁る大木の葉々の間に銀色の機体が見えた。
「飛行機、アメリカの戦闘機だ」高木が叫んだ。
 こんなに低く飛んでいる飛行機を見たことのない村人たちは、皆口をあんぐりあけて眺めていた。高木の胸に不安がよぎった。西崎隊長も同じだった。二人は同時にどなった。
「隠れろ!隠れろ!」
バリバリと幹や繁みに弾丸の雨が降り注いできた。前の方に爆発音がして火柱があがった。ロケット弾を撃ち込んだのだ。思いもしない絨毯爆撃に、一行は逃げるのも忘れて凍りついた。
「どうして、どうしてなんだ」
佑介は、完全に混乱していた。米軍に爆撃されることが理解できなかった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92――――――――14 ―――――――――――――――――
「バカヤロー、ベトコンの輸送隊と勘違いしてるんだ」
高木が怒鳴って草むらにとびこんだ。
「伏せろ! 伏せろ! 」岩かげで泰造が叫んでいる。
 佑介は、一瞬われに返って、その場に伏せた。とたん皆、一斉にクモの子が散るように四散し、ものかげに姿を隠した。一人、二歳くらいの女の子が残された。ぽかんとした顔で立っていた。近くに母親らしき女性が息絶えていた。次の瞬間、誰かが飛び出していって子ど
もを抱えると岩陰に飛び込んだ。高木だった。静まり返った密林に米軍機は、執拗に取っては返し取っては返して一掃機銃を繰り返した。これでもか、これでもかといわんばかりの乱射。持っている弾薬を全て使い切る気だ。密林は爆風と煙で夜のように暗くなった。一行はなすすべがなかった。これが空襲か。佑介は、大人たちから聞いた東京大空襲の話を思い出しながら失禁していた。
 長い瞬間だった。燃料切れか弾倉が空になったか。戦闘機は、不意にキーンという突ん裂く爆音を残して一気に空高く上昇していった。晴れ渡った青空に、一筋の白い線を描いてどこかに飛び去った。嵐が去った後、村人の三人が逃げ遅れて死んでいた。一人は若い母親で近くで赤ん坊がショックのあまり、泣くことも忘れて座っていた。そばで夫が、茫然と立ち尽くしていた。
「柳沢は、どうした」
「あれ、そのへんにいたろ」
三人は不安にかられて探した。
 岩陰に彼の背中を見つけた。動かなかった。
「おい、ヤギイ!」
西崎が背中を押すと、ゆっく倒れた。なかにニホンがうずくまっていた。
「バカやろう!なんだってこんなところで死んじゃうんだ」
西崎は、泣きながら怒鳴った。
 ユンも悲しみをこらえてニホンを抱きしめた。本当に父親はいなくなった。が、悲しみにひたってはいられなかった。遺体の上に、山ほど木の枝をのせ、動物たちから守ると悲しみの場を後にした。
「中島助教授につづいて一ノ瀬、それから柳沢まで死んじゃうなんて」
「せんせい、せっかく医者になりかけたのにな」 
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.91
 五人は、もと来た道を戻っていった。一行は、歩き始めた。ふたたび暗雲がたれこめ雨まじりの風が吹きだした。        次号へ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.91――――――――16 ―――――――――――――――――
       
通るとすれば、ここしかない見通しのよい繁みにくると一ノ瀬は
「挟み撃ちにする。おれが最初に射る」、
と、言って高木とソクヘンたち三人の若者を残して、一人で前に進んで行った。二十メートルほど行ったところで手を振って岩陰に隠れた。高木とソクヘンも大木の陰に身をひそめる。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。雨に打たれた繁みが大きく揺れた。不意に赤い悪魔の兵隊たちが現れた。兵隊といっても軍服ではない。彼らの軍服はベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。首に縞のスカーフを巻いている。履物はサンダルだった。そこは岩場で一列になって進むしかない獣道だった。彼らは、一ノ瀬が潜んでいる岩場を過ぎると、一列になって進んできた。途中、ヤマ族の一行が通った痕跡を岩肌に見つけたのか。苔が、はがれていた。一ノ瀬、弓を引き絞り、距離を測る。黒服に縞模様のまいた赤い悪魔が繁みに見え隠れした。五人いる。しだいに近づいてくる五人。息を呑む高木、一ノ瀬、まだ射らない。目の前まできた赤い悪魔の兵士たち。六メートル、四メートルと近くなる。どうした、なぜいらない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してる。瞬間、矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に刺さった。一瞬、兵士は立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨。前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に、つづいて三の矢が三人目のゲリラ兵の背中に。倒れたゲリラ兵の銃が木に当たり跳ね返った。その音に、前のゲリラ兵が気づき振り返った。が、次の瞬間、第四の矢が首に突き刺さる。ゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。突然の銃声に先頭のゲリラは、驚いて反射的に繁みに飛び込んだ。よく訓練されたゲリラだった。次の瞬間には、立ち上がってこちらに銃口を向けていた。背後にヤマ族の若者、襲いかかる。一人、銃尻で、顔面を殴られ、倒れる。高木、体当たりして倒すと、膝を首筋に叩きつける。頚骨の折れる鈍い音。即死だった。はじめて空手技で人を殺した高木、興奮気味。若者たちゲリラから銃を奪う。殴られた若者、右腕に裂傷。出血。高木、ゲリラ死体からベルトをとり、腕の付け根を締める。
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