文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.364

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(平成31年)21日発行

 

文芸研究下原ゼミ通信No.364

 

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN

編集発行人 下原敏彦

9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  12/17 12/24 1/7 1/21

 

土壌館創作道場 2018年、読書と創作の旅

 

テキスト読み(志賀直哉作品等) &熊谷元一研究(写真)

 

テキスト=志賀直哉、ドストエフスキー。他の世界文学

討論会、テーマを決めて話合う。

社会観察 いま起きているニュース、話題になっていること。

熊谷元一研究(童画・写真観察)写真・童画展情報

1・21ゼミ

 

成人になられた下原ゼミⅡ3名の皆さん おめでとうございます!!

 

50年前、1969.7.21人類は、はじめて月に降り立った。アポロ11号の宇宙飛行士にール・アームストロング船長(1930-2012)は、そのときの感動を地球にこう打電した。

 

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
(That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind.)

 

折しも米ソ冷戦時代の最中だったが、全世界の人たちは平和な世界到来を信じた。民族や宗

教の違いを乗り越えて世界は一つになれる。そんな予感さえした。

あれから半世紀、世界はどうなったか。平和は訪れたか。否、世界は、あの時よりさらに混

乱・混迷にある。ITからAI。文明は進んだが、紛争も差別もなくなっていない。人類の祭

典オリンピック憲章は、輝いてはいるが、メダル獲得欲と商業主義にまみれている。

新世紀はテロと戦争で幕あけた。いまも世界は格差、貧困、紛争と高波の荒海である。

そんな中、君らは旅立つ。責任という大人の切符を手にして海図なき航海に乗り出した。

その一歩は、未来にとって重要である。19年間の人生とゼミⅡの経験とで先行く人類が成

しえなかった平和な世界を創ってほしい。誰もが幸福になる社会を。    (編集室)

 

目 次

□「成人を祝う詩」――――――――――――――――――――――――――――   1

□「祝成人の新聞観察」――――――――――――――――――――――――――― 2

□「晴れの日の写真」―――――――――――――――――――――――――――― 4

□「『オンボロ道場』関連ニュース」――――――――――――-――――――――― 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.364―――――――― 2 ――――――――――――――

 

成人の日を祝う新聞観察  祝・成人下原ゼミⅡ、3名

下原ゼミからは3名の皆さんが大人としての旅立ち 3人/125万人

 

新聞各紙は、社説で以下のように祝った。

 

【社説】踏み出せば見える景色がある  読売新聞 2019.1.14

 

一人の大人として社会とどう関わり、責任を果たしていくか。この先の生き方を改めて考える日にしてほしい。成人の日のきょう、125万人が大人の仲間入りをした。新たな門出を祝いたい。

新成人が生まれた1998年以降、日本は数々の自然災害に見舞われた。その都度、若者たちのひたむきな頑張りが、復旧・復興への大きな力となってきた。

昨夏の西日本豪雨で特産のミカン畑が崩落するなど、甚大の被害を受けた愛媛県宇和島市では、2日に式典が開かれた。代表であいさつした二宮由里佳さんは、飲料水の運搬や土砂のかき出しといったボランティアを炎天下で体験した。「つらく苦しい時こそ笑顔で支え合う大切さを学んだ」と、壇上で語った。

95年の阪神大震災を契機とする災害ボランティアは、社会貢献活動として定着している。

被災した住人のために、一心に汗を流す。世代や立場の異なる人たちとの共同作業が、若者の新たな人生観を育み、自らの古里や地域を見つめ直す機会にもなる。

宮城県気仙沼市の根岸えまさん(27)は、まちづくりの団体で働く。東京の女子大だった頃、2011年の東日本大震災の被災家屋で清掃作業などを経験し、地元の人たちとの交流を深めた。黙々と働く漁師や主婦の姿に「大人たちの使命感を感じ、震える思いだった」という。被災現場で直面した出来事は、成長の大きな糧になったに違いない。

卒業後、迷わず気仙沼に移り住んだ。同じ20歳代の移住者仲間と一緒に、豊かな自然や暮らしぶりなど地域の魅力をインターネットで発信している。

勇気を持って一歩、踏み出すことで、見える景色がある。

岩手県陸前高田市の漁師の元でカキの養殖、販売に携わる三浦尚子(27)も、ボランティア経験をきっかけに地域に魅せられ、5年前、神奈川から移り住んだ。

首都圏に住んでいては、疲弊する地方の実情は分かりにくい。三浦さんは「自分の知らない世界が開けた」と、振り返る。

今春から様々な分野で外国人材の受け入れが拡大する。互いの価値観を理解し合うためにも、幅広い視野がより大切になる。3年後には、成人年齢を18歳に引き下げる改正民法が施行される。施行時には、18~20歳がそろって成人となる。現在、15歳の中学生にも、3年後には大人になる自覚が求められている。

 

□新成人のみなさんに、ボランティア活動の継続と参加を期待する論調。

新聞観察・入管法関連 2019.1.20 朝日新聞 入管法改正対策

 

外国人との共生へ 国が専門職 4月新設の入管庁

全国に13人の「支援官」

 

 

――――――――――――――――― 3 ――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.364

 

【社説】思考の陰影感じる世界へ 2019.1.14 朝日新聞

 

成人の日に

 

新成人のみなさんに、見てもらいたい風刺画がある。黒と白の真ん中に引かれた、グレーの細い線。「怒りの時代に、ニュアンスある議論へ与えられた空間」だという。作者は、30年以上のキャリアを持つオーストリアの人気風刺画家、キャシー・ウィルコックスさん。昨年9月にツイッターに載せると、すぐに1500回近く「いいね」された。「ニュアンスある議論」とは何だろう。あなたの意見に共感はできないが、意図するところは理解できる――。そんな結論に至ることができる意見交換だと、ウィルコックスさんは話す。

LINEやツイッターなどのソーシャルメディアが社会のすみずみまで広がり、前向きな対話が細ったのではないか。その思いを込めて描いたら、意外なコメントがたくさん届いた。

いや、線の幅はまだ広すぎる。世の中はもっと不寛容だ。「昔はその中間部分に多くがいたものだった。今の政治家や左右両極の支持者たちは違うけれど」というのもあった。

賛成と反対、好きと嫌い、敵と味方。社会には二択では決められない、微妙で複雑な感情があふれている。ツイートに積み上がる「いいね」の陰には、いろいろなサイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)の思いがあることを創造してみてほしい。そう、世の中は白黒だけで成り立っているわけではない。

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.364 ―――――――― 4 ―――――――――――――

 

SNS時代の議論

 

米大学の心理学者らが2年前、銃規制や同性婚など3テーマに絞って56万以上のツイートを調べた研究がある。異なる考えの人たちは無視しあい、似たもの同士による意見交換に終始する傾向が強い。同じ価値観同士でも特に「怒り」と「嫌悪」への共感で講堂を活発化することもわかった。

名古屋大学大学院の大平英樹教授(感情心理学)は「SNSでは、同じ意見をほめ、異論は遮断できる。これを続けていると、異質のものを想像したり、中長期的に感情を制御したりする機能が低下するという考え方がある」と話す。会って意思の疎通をするとき、相手の考え方は言葉だけでなく、口調や表情、しぐさなどから判断できる、会ってみたら悪意はないとわかった、ただ自分とは違う価値観を持った人だった、というように。

スマートフォンやパソコンの画面だけを通じたやりとりだけでは、十分にはわからない。時にはスマホから顔を上げて真正面から向かい合い、触れてみよう。怒りや嫌悪の裏にある、何十、何百もの陰影に。みなさんが成人の仲間入りした世界に目を向けると、そこにも分断線が広がっている。グローバル主義を否定するトランプ大統領の米国で、ポピュリズムが台頭する欧州で、相反する意見への拒絶反応が激しさを増している。

 

違いを超えて対話を

 

ローマ・カトリック教会のフランシスコ法廷は1日、新年恒例の平和メッセージを出した。「閉鎖的なナショナリズムの姿勢が政治の中にも表れている」「真の政治活動は、人びとの誠実な対話と法に基づいている」として、文化や宗教などの違いを超えた対話を呼びかけた。暴力や差別に対するように、みんなで怒りを共有し、告白する勇気が必要な時もある。同時に、異なる価値観に思いを巡らせ、対話し、理解しようとする寛容さも大切にしたい。

ニュアンスある世界へ、ようこそ。

 

□ドストエフスキーの土壌主義、嘉納治五郎の自他共栄に通じる社説となっている。

 

祝 成人式 おめでとう !!

成人になった感想は、いかがですか。

学生生活は、あと2年。この歳月、個人の完成を目指して頑張ってください。

「個人の完成とは、現在その個人が棲息している社会において可能なる肉体および精神の最も発達したる状態と、その力によって獲得し得る最も第なる有形無形の力である」/およそ社会生活は、実に複雑なものであって、一人の利害がたの人の利害とと衝突する場合が多い。その調和を図らねば社会の結合はできぬ。それ故に社会生活を営みながら個人の完成を図るということは、社会の他の成員と調和しつつ完成するという意味であって、決して他を排して自分だけを全うするという次第ではない。実際他を無視しては真誠の事故の完成は望み得られるものでない。嘉納治五郎著作集より(「大勢」大正11年5月号)

 

―――――――――――――――――― 5 ――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.364

 

ニュース 『オンボロ道場は残った』カルチャーセンター(市民講座)が注目

 

『オンボロ道場は残った』は、現在、読者の推薦で市民講座開設の話がでています。 テーマは、現在NHKの大河ドラマ「いだてん」に登場するアジア初のオリンピック委員・嘉納治五郎についてと読書会50周年を迎えたドストエフスキーです。

嘉納治五郎は、一般的には柔道の創始者としてひろく知られているが、教育者・国際人としての業績は計り知れない。だが、残念なことに、日本では、柔道のみに焦点があてられ、嘉納の偉大な業績を知る人は少ない。下原ゼミでは、嘉納を封建時代の日本の青年たちを近代日本人に変えた真の教育者、世界平和をとなえた真の国際人(コスモポリタン)として捉え、これまで嘉納治五郎全集をテキストに嘉納の理念を毎年、ゼミはじめにとりあげてきた。とくに嘉納治五郎の「青年修養訓」は現代の若者に必要かつ重要な言葉として紹介してきた。そのなかの「精読と多読」は、朗読してきた。嘉納の読書する祭の書物の選び方であるが、百年たっても変わらぬ適切な指導である。

下記紹介は、ゼミはじめに読んだものであるが、ゼミⅡ最終ゼミの締めととして、再度、紹介して、二年次ゼミを終了します。

 

15 精読と多読

『嘉納治五郎著作集 教育篇』(五月書房)

精神の健全な発達を遂げようとするには、これに相当の栄養を与えなければならぬのであるが、その栄養を精神に与えるのは読書である。人は誰でも精神の健全な発達を望まないものはないにもかかわらず、実際その栄養法たる読書を好まない者も少なくないのは甚だ怪訝(けげん)に堪えぬ。かくの如きは、その人にとっても国家にとっても実に歎(タン)ずべき事である。読書の習慣は学生にあっては成功の段階となり、実務に従事しいるものにあっては競争場裡の劣敗者たるを免(まぬが)れしむる保障となるものである。看よ、古来名を青史に留めたるところの文武の偉人は多くは読書を好み、それぞれの愛読書を有しておったのである。試みにその二、三の例をあげてみれば、徳川家康は常に東鑑(あずまかがみ)等を愛読し、頼山陽は史記を友とし、近くは伊藤博文は繁劇な公務の間にいても読書を廃さなかった。またカーライル(イギリスの歴史家・評論家)は一年に一回ホーマー(ホメロス)を読み、シルレルはシェクスピーアーを読んだ。ナポレオンは常にゲーテの詩集を手にし、ウエリントン(イギリスの将軍・政治家)はバットラーの著書(『万人の道』「生活と習慣」など)やアダムスミスの国富論に目を曝(さら)しておったということである。なすことあらんとする青年が、学生時代において読書を怠(おこた)らない

ようにし、これを確乎とした一の習慣として、中年老年まで続けるようにするということの必要なるは多言を俟(ま)たないのである。

 

※東鑑(吾妻鏡・鎌倉時代の史書。日本最初の武士記録)

※頼山陽(1780-1832 江戸時代後期の儒者・史家 著『日本外史』『日本政記』など)

※ホメロス(前9世紀頃ギリシャの詩人著書『イリアス』『オデュッセイア』など)

※カーライル(1795-1881 著『衣裳哲学』『英雄及び英雄崇拝』など)

※ウエリントン1769-1852 (ナポレオンをワーテルローで破った)

 

健全な精神をつくるには、相当な栄養が必要だという。その栄養は読書である、として、歴史上の偉人たちの読書をあげて、その必要性を説いている。そして、どんな本を読むかは、その選び方について以下のように述べている。

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・364―――――――― 6――――――――――――――――

 

 

読書はこのように必要であるけれども、もしその読む書物が適当でないか、その読書の方法がよろしきを得なければ、ただに益を受けることが出来ないのみならず、かえって害を受けるのである。吾人(われわれ)の読む書物のどんなものであるべきかに関しては、ここにはただ一言を述べて余は他の章に譲っておこう。すべて新刊書ならば先輩識者が認

めて価値があるというものを選ぶか、または古人のいったように世に出てから一年も立たないようなものは、必要がない以上はこれを後廻しとするがよい。また、昔より名著として世人に尊重せられているものは、その中から若干を選んで常にこれを繙(ひもと)き見るようにするがよいのである。

 

どんな本を読んだらよいか。本によっては栄養になるどころか害になるという。嘉納治五郎が言うのは、先輩識者が認めた価値のあるもの。つまり世に名作といわれている本である。他は、現在、たとえどんなに評判がよくても、百万冊のベストセラーであっても後回しにせよということである。そうして古典になっているものは、常に手にしていなさいと教えている。本のよしあし、作家のよしあしは時間という評者が選んでくれる。

さて、このようにして読む本を選んだら、次にどのようにして読むか。いらぬ節介ではあるが、全身教育者である嘉納治五郎は、その方法をも懇切丁寧に述べている。

 

次に方法の点に移れば、読書の方法は、とりもなおさず精読多読などの事を意味するのである。精読とは読んで字の如くくわしく丁寧に読むこと、多読とは多く広く読むのをいうのである。真正に完全の読書をするには、この二つが備わらなければならぬ。

 

つまり書物は偏らず、多くの書を読め、ということである。そうして読むからには、飛ばし飛ばし読むものには耳が痛いが、決していい加減にではなく、丁寧に読むべし、ということである。いずれももっともなことではあるが、人間、こうして指導されないと、なかなか読むに至らない。次に、折角の読書に陥りがたい短所があることを指摘し、注意している。

 

世に鵜呑みの知識というものがある。これは教師なり書物なりから得た知識をば、別に思考もせず会得もしないで、そのまま精神中に取込んだものをいうのである。かようなものがどうしてその人の真の知識となって役に立つであろうか。総じて知識が真の知識となるについては、まず第一にそれが十分に理解されておらねばならぬ。次にはそれが固く記憶されておらねばならぬ。

 

鵜呑みの知識。よく読書のスピードを自慢する人がいるが、いくら早く読んでも、理解していなければ、ただ知っている、ということだけになる。試験勉強で暗記したものは、真に教養とはいえない。

 

 理解のされていない知識は他に自在に応用される事が出来ないし、固く記憶されていない知識は何時でも役に立つというわけにはいかない。したがってこれらの知識は、あるもないも同じ事である。かような理由であるから、何人たりとも真の知識を有しようと思うならば、それを十分咀嚼(そしゃく)消化して理解会得し、また十分確固明白に記憶しおくようにせねばならぬ。

 

 そのためには・・・・・

 

さてこの理解記憶を全くしようとするにはどうしたらよいかというには、他に道は無い。その知識を受け入れる時に用意を密にする。すなわち書物をば精しく読まねばならぬのである。幾度か幾度か繰返し読んで主要点をたしかに捉えると同時に、詳細の事項をも落とさず隅々まで精確に理解をし、かつ記憶を固くするのである。こうして得た知識こそは真

―――――――――――――――――― 7 ――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.364

 

の栄養を精神に与え、また始めて吾人に満足を与える事が出来るのである。試みに想像してみれば分かる。何らかの書物をば百遍も精読し、その極その中に書いてある事は十分会得していて、どんな場合にも応用が出来、その知識は真のわが知識になって、わが血液に変じ筋肉と化しておったならば、その心持はどのようであろうか。真に程子(テイシ兄弟)

のいったように、手の舞い足の踏むところを知らないであろう。書物の与える満足には種々あろうが、これらはその中の主なるものであって、また最も高尚なものである。

 

※テイシ兄弟(北宋の大儒 著『定性書』1032-1085)

 

書物を理解するには、繰り返し読むことが重要と説く。一に精読、二に精読である。さす

れば応用ができ真の知識となる、と説いている。また、この精読するということについても、こう語っている。

 

 かつまた一冊の書物の上に全力を傾注するという事は、吾人の精神修養の上から観ても大切である。何となれば人間が社会に立っているからには、大かり小なりの一事をば必ず成し遂げるという習慣がきわめて必要であるが、書物を精読し了するというのは、ちょうどこの一事を成し遂げるという事に当たるからである。今日でこそやや薄らいだようであるが、維新前におけるわが国士人の中には、四書(儒教の経典)の中の一部もしくは数部をば精読し熟読し、その極はほとんどこれを暗誦して常住座臥その行動を律する規矩(きく・コンパス)としておったものが多いのである。伊藤仁斎(江戸初期の朱子学儒者)は18,9歳の頃『延平問答』という書物を手に入れて反復熟読した結果、紙が破れるまでになったが、その精読から得た知識が大いに修養の助けとなり、他日大成の基をなしたという事である。また荻生徂徠は、13年のわびしい田舎住居の間、単に一部の大学諺解(ゲンカイ口語による漢文解釈)のみを友としておったという事である。程子は「余は17,8より論語を読み当時すでに文義(文章の意味)を暁りしが、これを読むこといよいよ久しうしてただ意味の深長なるを覚ゆ」と言っている。古昔の人がいかに精読に重きをおいたかは、これら2,3の事例に徴するも分明である。学問教育が多岐に渉る結果として、遺憾な事にはこのような美風も今日ではさほど行われないようである。

 

ひとつのものを徹底して読む。この美風、すなわち習慣は、現代においては、ますます為

されていない。が、学生は、すすんで挑戦しようという気まがえがなくてはならぬ。と、いっている。その一方で、多読の大切さも説く。

 

しかし現に学生生活を送り近い未来において独立すべき青年らには、各率先してこの美風を伝播しようと今より覚悟し実行するように切望せねばならぬ。

 読書ということは、このような効能の点からいっても満足の点からいっても、また精神修養の点からいってもまことによいものであるが、しかしまた不利益な点を有せぬでもな

い。すなわち精読は常に多くの時間を要するということと、したがって多くの書物が読めないようになるから自然その人の限界が狭隘(キョウヤク)になるを免れないということである。例えていえば、文字において一作家の文章のみを精読しておったならば、その作家については精通しようが思想の豊富修辞の巧妙がそれで十分に学べるということは出来ない。どんなに優秀な作家とても、その長所を有すると同時に多少の欠点を有するものであるから、一作家の文章が万有を網羅し天地を籠蓋(ロウガイ)するというわけにはいかぬ。そこで精読によって益を受けるにしても、またその不備な点が判明したならば、これを他の作家の作物によって学び習うという必要が起きる。すなわち他の作物にたよるということは、多読をするという事に帰するのである。

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・364―――――――― 8――――――――――――――――

 

一作家のものが万有を網羅することはない。

 

 またこの外の人文学科、たとえば歴史修身等においても、もしくは物理化学等の自然学科においても、一の著者の記述説明に熟すると同時に、他の著者はそれをどんなに記述し

説明しているかを参照してみる必要がある。このように参照してみることは知識を確実にする上にきわめて多大の効能があるから、決して煩雑無用のことではない。精読はもとより希うべきであるが、また一面には事情の許す限り多読をして、その限界を狭隘にせぬようにするがよい。精読でもって基礎を作り、多読でもってこれを豊富にするは学問の要訣(ヨウケツ)であってこのようにして得られた知識こそ真に有用なものとなるのである。

 さらに精読と多読との仕方の関係を具体的に述べてみれば、、まず精読する書物の中にある一つの事項に対して付箋または朱黄を施し、かくてその個所が他の参照用として多く渉

(しょうりょう)(読みあさる)する書中にはどんなに記述説明されているかを付記するのである。換言すれば精読書を中心として綱領として、多読所をことごとくこれに関連付随させるのである。また学問の進歩の程度についていうならば、初歩の間は精読を主とし相当に進んだ後に多読を心掛くべきである。けれどもどんな場合においても精読が主であって多読が副である。そうしてこの両者のうちいずれにも偏してはならないことは無論であるが、もしいずれに偏するがよいかといえば、精読に変する方がむしろ弊害が少ないのである。精読に伴わない多読は、これは支離散漫なる知識の収得法であって、濫読妄読となるに至ってその幣が極まるのである。

 また鼠噛の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれをも読みとおさずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛(ソコウ)の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれも読み通さずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛の陋(ロウ)に陥ったものも多いのである。実に慎み謹んで遠ざくべき悪癖である。

 

以上、嘉納治五郎の説く読書の必要性を紹介した。どんな本を読めばいいのか。どんなふうに読めばよいのか。人それぞれに好き嫌いもある。それに、世に古典といわれる良書は山ほどある。となると読書も簡単ではない。私のゼミでは、この青年訓の嘉納治五郎とも関係が深く、かつ小説の神様といわれる志賀直哉の作品をテキストとするしだいである。

(編集室)

 

なぜ柔道をはじめたか  嘉納治五郎

 

「自分が柔術を学びはじめた動機は、今日自分が柔道について説いていることとは、まったく異なったものであった。/明治6年(1873年)14歳、育英義塾入学のとき、/当時少年間ではとかく強いものが跋扈して弱いものはつねにその下風に立たなければならない勢いであったので、これには残念ながらつねにおくれをとった。」『嘉納治五郎著作集第三巻』

・1873年(明治6年)14歳 育英塾に入学。はじめてイジメにあう。柔術を習って強くなりたいと思う。が、いろんな人に頼むが「今時そんな必要はないと顧みてくれなかった」

・1874年(明治7年)15歳 東京外国語学校の英語部へ転学。ここは少数だったので。

・1875年(明治8年)16歳 開成学校(東京大学)入学。イジメひどくなる。

・1877年(明治10年)18歳 開成改称東京大学に編入、イジメひどくなる。整骨院の八

木貞之助から天神真楊流の福田八之助を教えてもらい入門。はじめて柔術をはじめる。

―――――――――――――――――― 9 ――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.364

 

新聞観察 人気沸騰「嘉納治五郎の講座」希望者多数で既に締め切り

 

2、3月 我孫子で連続講座 2019.1.16 朝日新聞

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・364―――――――― 10――――――――――――――――

 

ゼミⅡの記録

【前期ゼミⅡ】

□4日9日(月)西村さん他 ゼミ内容 熊谷元一研究について

□4月16日(月)西村さん、村瀬さん なぜ志賀直哉をテキストにするかについて。

ドストエフスキーの「読書会」紹介。

□4月23日(月)西村さん、村瀬さん テキストよみ開始『或る朝』と感想。提出2

□5月7日(月)西村さん、村瀬さん テキスト『菜の花と小娘』と感想。提出2

□5月14日(月)西村さん、村瀬さん テキスト読み「ドストエフスキーとギャンブル」學灯社発表特集「ギャンブル」下原エッセイ、

□5月21日(月)西村さん、志津木さん、テキスト読み『子を盗む話』途中まで。

□5月28日(月)西村さん ゼミ合宿とゼミ誌についてなど。ゼミ合宿中止方向に。

◆5月31日(木)ゼミ番外 熊谷元一写真賞20周年記念展見学(千鳥が淵フォトギャラリー) 西村美穂さん、読書会・野口さん。日大・六会会3名。

◆6月1日(金)ゼミ番外 熊谷元一写真賞20周年記念展見学 浦上透子(4年)

□6月4日(月)西村さん、村瀬さん、志津木さん 写真撮影 議論・テーマ「日大問題」

□6月11日(月)西村さん、村瀬さん、議論テーマ「悩み」「継子殺人未遂事件」の判決。

□6月18日(月)西村さん、志津木さん、テキスト『網走まで』読み 感想、提出2

□6月24日(月)西村さん、村瀬さん テキスト読み『剃刀』、脚本裁判判決を考える。

□7月2日(月)西村さん・志津木さん ゼミ誌編集会議 タイトルなど決まる。

□7月9日(月)全員欠、西村さんメール。西村編集長、「自主創造」編集作業に入る

□7月16日(月)西村さん・村瀬さん ゼミ誌編集会議、レイアウトについて。

□7月23日(月)西村さんゼミ誌レイアウト打ち合わせ。

【後期ゼミⅡ】

□   9日24日(月)村瀬さん、西村さん 夏休み報告 ゼミ誌原稿校正。

□10月 1日(月)西村さん、社会観察「なぜ幸福家族は分解したのか、海外事情

□10月8日(月・祝日)晴れ 暑くなる 図書館に寄る。マサリック2巻受け取り。

西村さん、村瀬さん、志津木さん「それぞれの夏休み」「ニュース観察」

『にんじん』2作、「めんどり」他3名で口演。感想・批評。提出3。

□10月13日(土)熊谷元一研究・熊谷元一写真賞コンクール選考会無事終了の報告。選考会場、今年から長野県・昼神温泉郷にある熊谷元一写真童画館にて実施。

□10月15日(月)晴れ 西村さん モーパッサンの作品、石川達三の話。

□10月22日(月)晴れ 西村さん 社会観察「南青山児童相談施設反対」「老夫婦殺傷15歳孫逮捕とその動機」について。

□10月29日(月)晴れ 西村さんゼミ誌『自主創造』校正。社会観察「17年度いじめ最多」

□11月12日(月)晴れ 西村さん、村瀬さん、「やまびこ学校」読み「いじめについて」レポート

□11月19日(月)曇り 村瀬さん、西村さん「いじめについて」「入管法改正」議論、テキスト「にんじん」読み。

□11月26日(月)西村さん、文学フリマ、ドストエフスキー3短編(作家の日記))の読み。

□12月3日(月)テキスト読み、名作読み。レポート「2018年の記憶」「一日」

□12月10日(月)西村さん、テキスト読み『灰色の月』提出レポート1

◆12月15日(土)ドスト読書会(東芸劇)「キリストにー」「百姓マレイ」西村さん朗読

□12月17日(月)西村さん、テキスト読み『日曜日』レポート「私の日曜日」

□12月24日(月)2018年を振り返る。西村さん、特殊詐欺の話。

□1月7日(月)「小倉百人一首」について。

□1月21日(月)

―――――――――――――――――― 11 ――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.364

 

2018年度ゼミⅡ劇場終幕

 

ゼミⅡ観察    夢のように過ぎた2018年度でした

気がつくと本日がゼミⅡの最終日です。桜並木の歩道を文芸棟に向かって歩いた4月のあの日が夢のようです。ゼミ生は三者三様、なかなか全員参加の日はみられませんでした。が、それぞれ個性ある皆さんでした。

皆勤賞は、西村美穂さんです。ゼミ誌編集長としてゼミ誌『自主創造』刊行に尽力されました。ご苦労さまでした。村瀬琴さんには明るい笑顔と愉しい議論に癒されました。志津木さんには、いなくても心強い存在感が伝わってきて安心できました。

江古田で会えることを楽しみにしています。

 

2018年度の1年間、お疲れ様でした。ありがとうございました。

 

「下原ゼミ通信」編集室・下原敏彦

 

2019年度ゼミⅢについて

 

2019年度、ゼミⅡの皆さんは、いよいよ3年生です。

社会への準備、自分の完成を目標にしましょう。

 

現在のところ、下原ゼミⅢは、以下の曜日と時間を提出しています。

 

☆曜日 火曜日

 

☆時間 5次限目 16:20~17:50

 

目標 創作・エッセイ・評論など書くことを身につけることを目標にします。

テキスト 志賀直哉、嘉納治五郎、ドストエフスキー、他

 

内容 多くの名作に触れる。新聞観察から社会問題を考える。創作に繋げる。

 

ゼミ合宿 熊谷元一写真童画館・満蒙開拓平和記念館見学(南信州)

   

観賞 熊谷元一写真展(写真展あれば) ドストエフスキー作品の映画観賞。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・364―――――――― 12――――――――――――――――

 

掲示板

 

お知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日 2019年2月16日(土)

時 間 午後2:00 ~ 4:45 懇親会5:00~

会 場 池袋・東京芸術劇場第7会議室

作 品 『カラマーゾフの兄弟』1回目

報告者 野澤隆一さん 司会進行 :梶原公子さん

 

※参加 興味ある方はどなたでも、決まりはありません。自由です。

 

お知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日 2019年4月20日(土)

時 間 午後2:00 ~ 4:45 懇親会5:00~

会 場 池袋・東京芸術劇場第7会議室

作 品 『カラマーゾフの兄弟』2回目

報告者 未定 司会進行 :未定

 

※参加 興味ある方はどなたでも、決まりはありません。自由です。

 

お知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

 

月 日 2019年6月未定(土)

時 間 午後2:00 ~ 4:45 懇親会5:00~

会 場 池袋・東京芸術劇場第7会議室

作 品 『カラマーゾフの兄弟』3回目

報告者:菅原純子さん 司会進行:江原あきこさん

 

※参加 興味ある方はどなたでも、決まりはありません。自由です。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「下原ゼミ通信」・「読書会通信」編集室

課題・投稿などの送り先メール toshihiko@shimohara.net

連絡 090-2764-6052

 

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑