文芸研究Ⅱ下原ゼミ No.94

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2007年(平成19年)12月10日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.94
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/21 1/28 
  
2007年、読書と創作の旅
12・10下原ゼミ
12月 10日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。所沢校舎文芸棟教室1
文芸学科&デザイン学科ジョイント授業参加
第5回 宮沢賢治研究発表会
 1.宮沢賢治『銀河鉄道の夜(発表者9名)
  ・安藤大智「銀河鉄道の夜」死の匂いの文学
   ・奥田千晶「銀河鉄道の夜」の不思議な音の世界
   ・鎌田敬太「銀河鉄道の夜」における科学的誘惑
   ・菊池彩佳 銀河鉄道の夜に感じる友人を失う喪失感
   ・国府田智「銀河鉄道の夜」を読んで
   ・河野宏行 なんで、ジョバンニが銀河鉄道に乗っているのか!
   ・齋藤健太 銀河鉄道の夜「もののあわれ」の世界
   ・西 亮輔 宮沢賢治と僕
   ・原 啓伍 銀河鉄道の終点
    
 2. 『銀河鉄道の夜』タイポグラフィー作品発表(デザイン学科中島教室)
~ 作品を展示しています!!!~
 3. 紙芝居:山川惣治作・画&製作・土壌館「少年王者」(出演者5名)
   ・茂木愛由未(レイア姫茂木)出演スタッフ
   ・疋田祥子(ハムナプトラ祥子)『灰色の月』朗読スタッフ
   ・金野裕幸(道産子ボヘミアン金野)語り手スタッフ
   ・山根裕作(バリトンバス山根)出演、演出スタッフ
   ・高橋享平(DJクマグス)総監督、演出スタッフ
ジョイント授業参加を前に
 今年も山下先生の研究実習Ⅰ「宮沢賢治研究発表会」に参加します。研究テーマの「銀河鉄道の夜」は、車中観察作品の側面もあるので、大いに関心があるところです。悲しい汽笛を鳴らして銀河を旅する列車。哀悼のなかに静かな感動がひろがる不思議な物語。9名の皆さんは、どのように読み感じ考察されたのか、デザイン学科の皆さんはどのようにイメージされ描かれたのか。発表&展示観賞が楽しみです。
 下原ゼミは、読書と創作の旅をつづけながら「車中観察」作品を発表しあってきました。車内を描写する、ということでは『銀河鉄道の夜』も一つの車中作品です。賢治の銀河列車車内観察をじっくり味わってください。(土壌館・編集室)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.94 ―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
『銀河鉄道の夜』と『灰色の月』
 
 或いはこじつけかも知れないが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と、志賀直哉の『灰色の月』には、いくつかの共通点がある。その一つというか最大のものは、どちらも車内観察作品(銀河鉄道の場合は途中からではあるが)である、ということである。
 下原ゼミでは、小説の神様・志賀直哉の車中作品をテキストとして、車内観察をつづけてきた。都会にいれば、毎日のように電車を利用する。それだけに、授業では多くの車内観察作品が発表された。そのいくつかは、先週発行されたゼミ誌『CoCo☆Den』にも掲載されている。緻密な観察は、それが創作であれ見たままであれ一つの佳品となる。ゼミ誌は、それを証明している。下原ゼミの「2007年、読書と創作の旅」は、間もなく終着駅に着く、乗客には、この一年に培った観察眼を、これからも持ちつづけていって欲しいと願う。
 テキストである志賀直哉の車中観察作品は、作者が25歳のときに書いた『網走まで』をスタートに何編かある。朗読で知っての通りいずれも珠玉の観察作品である。その中でも原稿用紙10枚にも満たない『灰色の月』は、短篇ながら名作といえる。作者62歳のとき書いたものである。この作品の読後感想は、内容からいって当然ではあるが、「暗い」「悲惨」「重い」といったものが多かった。本日発表される『銀河鉄道の夜』も、明るい物語ではない。「いじめ」や「死」「犠牲」といった重苦しいテーマである。発表者の題目も「死の匂いの文学」「友人を失う喪失感」「もののあわれ」といったものがある。つまるところ両作品からは、救いのない深い闇を感じる。そこに二つ目の共通項があるといえる。
 それにしても二人の作家は、なぜ、こんな作品を書いたのか。『灰色の月』は、作者、志賀直哉が見たままを、体験したことを書いたといっている。たしかに作品末尾に昭和20年10月16日としっかりと明記されている。この日付だけで、この作品の情景が思い浮かぶ。昭和20年8月15日正午、日本は天皇のラジオ放送により無条件降伏の敗戦を国民に伝えた。沖縄は全土が戦場、ヒロシマ、ナガサキには、原子爆弾。そして東京は、連日連夜の空襲で焼け野原。その悪夢から僅か二ヶ月過ぎただけの山の手電車の車内。作者は、渋谷駅で暗澹たる気持で降りた。と書いているが、まさに暗澹たる時代だったわけである。
 『銀河鉄道の夜』が書かれた時代は、これより先、1924年初稿というから21年前に書かれたものである。その頃の時代は、表層的には民主主義と国際協調の世論が強まった時代。大正デモクラシーと呼ばれた。人々にとっては明るい時代にみえた。演劇、文学といった様々な文化が花開き、メーデー、普通選挙法成立、婦人運動などいろいろな社会活動も活発になった。大正17年ころからの作家と作品の主なものは、1917年有島武郎『カインの末裔』、1919年菊池寛『恩讐の彼方に』、1921年志賀直哉『暗夜行路』、1924年谷崎純一郎『痴人の愛』、1929年島崎藤村『夜明け前』がある。
 しかし、実際の社会や政治の裏側は、暗い出来事が相次いでいた。米騒動もその一つの事件である。「第一次世界大戦による大戦景気は、一方で物価高を招き、人々の生活は苦しくなった。1918年(大正7)年7月、シベリア出兵をあてこんだ一部商人の米買い占めのうわさで米価があがり、これに怒った群衆が米商人を襲撃する騒乱が全国で起こった。」(『新しい歴史教科書』)1921年、日本の最初の政党内閣の首相だった原敬が東京駅で暗殺された。1923年(大正12)9月1日、関東大震災が起き、死者、行方不明者約14万人という大災害となった。こうした社会不安のなか水面下で軍部の暴走が始まっていた。『日本脱出記』を書いた無政府主義者の大杉栄虐殺(1885-1923)もその一つである。1929年に「戦旗」に『蟹工船』を書いた小林多喜二殺害も殺害される。東北地方の農村の困窮は、すざまじく子供を売る農民が続出。芥川龍之介が「ぼんやりした不安」を感じて自殺したのもこの時代(1927)であった。こうしてみると、『銀河鉄道の夜』と『灰色の月』は、どちらも暗澹たる時代に生まれた作品。賢治は、はっきりしない不安と恐怖からの脱出を天国に求めた。直哉は、その不安と恐怖じっと見つめた。それが両作品を普遍にした。(土壌館記)
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2007年、読書と創作の旅
12・10ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」ジョイント授業に参加
 12・10は、途中下車して文芸学科&デザイン学科のジョイント授業に参加します。会場は、文芸棟教室1です。会場には、デザイン学科・中島教室の皆さんによる『銀河鉄道の夜』タイポグラアィー作品が展示されています。毎年、物語をイメージする楽しい、すばらしい作品が出展されています。ゆっくりご鑑賞ください。
 また研究発表では、文芸研究実習Ⅰの皆さんによる宮沢賢治『銀河鉄道の夜』研究が報告されます。9名の皆さんによる研究発表です。一つの作品を深く掘り下げ追究するのも文芸研究にとって重要なことです。『銀河鉄道の夜』は、広く知られた作品です。アニメ映画にもなり評判にもなりました。この作品に限らず、宮沢賢治の作品群は、読む人によっていろいろな感想がだされます。『銀河鉄道の夜』は、とくに様々な解釈、見方があります。9名の皆さん一人ひとりが、どんな読みをしたのか、しっかり聴いてみてください。
   
   2.『銀河鉄道の夜』タイポグラフィー作品発表
 
デザイン学科・中島教室の皆さんの作品。
3. 紙芝居公演1945年10月、47年12月を時空体験報告
 
 本日のジョイント授業で下原ゼミは、1947年の時空体験報告として紙芝居を公演します。出し物は『少年王者』です。一年間の車中観察授業が、なぜ60年前の紙芝居か。それについては、前座として志賀直哉の『灰色の月』朗読で説明があります。
 なお、『少年王者』は第6集まである大長編冒険絵巻きです。今回、公演するのは第一集「おいたち編」です。が、時間の都合で第一集すべてを公演できない場合もあります。ご了承ください。以下、プログラムです。
        山川惣治作・画、紙芝居製作・土壌館
   紙芝居『少年王者』第一集「おいたち編」
総監督・高橋享平      弁士・金野幸裕     出演・茂木愛由未
朗読・疋田祥子、      演出・山根裕作
場面1:DJクマグス・高橋享平 車中観察作品について 
 
1945年10月16日夜8時30分山手線外回りの車内にタイムスリップ。
 
場面2:ハムナプトラ祥子・疋田祥子『灰色の月』を朗読
1947年12月末にタイムスリップ。
場面3:道産子ボヘミアン金野・金野幸裕 紙芝居についての口上
場面4:演出=レイア姫茂木・茂木愛由未、バリトンバス山根・山根裕作、
       DJ高橋、疋田祥子、
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.94 ―――――――― 4 ――――――――――――――――
公演の前に
『少年王者』の動物画と紙芝居について
 車内観察をつづけてきた下原ゼミが、なぜ紙芝居『少年王者」か、について前々頁「車窓雑記」両作品の関連で簡単に説明した。これからはじまる紙芝居の前口上でも語られるのを承知している。で、ここでは『少年王者』の動物絵とこの紙芝居について少しばかり紹介します。
躍動感あふれる動物たち、数少ない描き手
 『少年王者』には、アフリカに棲むいろいろな動物がたくさん描かれています。おそらく現在の日本で、一人でこれだけの動物たちを描くことができる山川惣治(1908-1992)のような絵物語作者は、数少なくなったと思います。しかし、サブカルチャーの宿命で、いまは作者も作品も忘れ去られる運命にあります。それだけに、貴重な作品でもあります。土壌館が製作したこの紙芝居で、躍動感あふれる動物たちの雄姿をご観覧くだされば幸いです。動物園では、ぜったいに見られない動物たちの生態です。
 なんの関連もありませんが、アニメ映画『銀河鉄道の夜』の動物・ネコの世界でした。
世界に一つだけの紙芝居『少年王者』
 
 自慢ついでに、土壌館製作の紙芝居『少年王者』について、少しばかり紹介します。この紙芝居は、復刻版『少年王者』の本の絵をコピー拡大し、夜なべで色を塗り制作しました。というわけで、この紙芝居は世界に一つだけしかありません。
2007年2月21日(水)夜10時30分NHKhiビジョンに登場!!
 
 NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」という番組があります。著名人の子供時代の思い出を綴る番組です。今回公演する紙芝居第一場面が、今年2月21日その番組に一瞬だけ登場しました。劇団主催者・唐十郎さん(大鶴義丹さんの父)が、子供時代の一番の思い出として『少年王者』の紙芝居をあげたのです。(土壌館の見解では、唐さんの思い違いではないかと思っている。つまり紙芝居は存在しないと)テレビ製作会社は、出版社、原作者自宅など、ありとあらゆる関係筋を探しました。が、なぜか紙芝居は存在しなかった。さいごに、ようやく下原ゼミでやっていることを探り当てたのです。さすがです。
『銀河鉄道の夜』は車内観察作品
 この作品は、6.「銀河ステーション」の章から車内観察にはいります。車内観察章の冒頭部分抜粋を紹介します。(『銀河鉄道の夜』6.銀河ステーションから)
…気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけているのでした。ほんとうにジョパンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。車室の中は、青い天鵞絨を張った腰掛けが、まるでがらあきで、向こうの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っているのでした。
 すぐ前の席に、ぬれたやうにまつ黒な上着を着たせいの高い子供が、窓から顔を出して外を見ているのに気がつきました。そしてそのこどもの肩のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、さう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくってたまらなくなりました。
・・・・・それがカンパネルラだつたのです。
 こうしてジョパンニとカンパネルラの天国列車の車内観察の旅はつづく。
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『灰色の月』について
 この作品は、僅か6、7枚の分量なのに、中長編にも匹敵するものを感じる。千枚の告発文にも勝るものがある。その夜、乗り合わせた乗客から万人の哀しみや怒れる声が聞こえる。それはなぜか。たぶんに、作者志賀直哉の車内観察が、表層に終わらないからだろう。僅か数行の人物描写でも、そこにその時代の人間社会を見ることができる。そこから、人間の愚かさ、無力さ、悲しさを感じ取ることができる。それ故にこの作品は、というよりこの作者の車中文学全般は、一時代の一電車車内を映しながらも普遍でありつづけるのだ。
『灰色の月』は、一見、なんの変哲もない車内エッセイである。だが、ここには現在、日本が抱える様々な問題が潜んでいる。現在、日本は靖国神社参拝問題をはじめは、北朝鮮問題、テロ対策問題、憲法問題など多大な問題を抱えている。戦争から人間の業まで、そのいっさいがこの作品にはある。新世紀の混沌する時代において日本は、人間は、どうするのか。この作品は、人類全体に向かって訴えている。
なお、本文は小話48年発行の岩波書店『志賀直哉全集』を『下原ゼミ通信』編集室で現代読みにしたもの
『灰色の月』を読む
表題に拘る作家と、頓着しない作家がいる。志賀直哉は、それなりに拘泥した作家のようである。例えば処女作の一つ「花ちゃん」は『菜の花と小娘』になった。『暗夜行路』も『和解』も簡潔だが、葛藤の深さを感じる。この作品も、草稿ノートには、「白いつき、白い月、しろいつき、しろいつき」という書入れがあったという。『灰色の月』に決まるまで、あれこれ模索したに違いない。が、つけてしまえばぴったりする。それが名作である。
灰色・・・はっきりしない、うっとおしい色である。そんな月が、都会の夜を照らしている。地上はほとんど真っ暗いに違いない。狼男かドラキュラでもでそうな不気味さがある。作品をよく表した題名といえる。それでは、作品を検証していきます。
東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
東京駅は、大正3年12月30日アムステルダム中央駅をモデルにルネッサンス様式赤レンガ駅舎として開業された。原敬首相暗殺や浜口幸雄狙撃など、大きな政治的事件は起きたが、建築的にはいたって頑丈で、大正12年のときに起きた関東大震災でも被害はなかった。それなのに「屋根のなくなった歩廊」、とはどういったことか。疑問は、冒頭のこの光景からはじまる。なぜ、屋根がないのだろうか。日付も説明もないから、読者にはわからない。が、その疑問は、すぐに明らかになる。ちなみに「上野まわり、品川まわり」とあるが、山手線が現在の環状運転になったのは大正14年のことである。と、するとこの物語はそれ以降の話ということになる。「着て来た一重外套」から、季節は初秋とわかる。屋根のなくて見通しのよいホームからは何が見えるか。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
 「日本橋側の焼跡」で、読者は、ようやく情景を思い描くことができる。「焼跡」といえば、東京大空襲である。B29の爆撃で焼け野原と化した東京。文面の印象から静けさを感じるから、既に戦争は終わっているようだ。8月15日に終戦。山手電車も普通に走り出したのなら、10月初旬の頃だろうか。この時の乗客は、どんなだったか。
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 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。
 ここには東京駅から有楽町までの車内の乗客観察が描かれている。当時の(終戦直後の)夜八時半頃の山の手電車の、乗車状況がどうだったかは知らない。しかし、「車内はそれ程、
混んでいず」とあるから7、8割の乗客があったかも。観察では、右隣の「もんぺ姿の女」
のほかに「少年工」のことが書かれている。「連続的なのが不気味に感じられた」とあるから七、八分入りの車内で少年は目立った存在だったのだろう。が、ホームに着くたびに乗客は入れ替わる。志賀直哉(この作品では、主人公を志賀直哉本人とみるべきである。続々創作余談で「あの通りの経験をした」と語っている)は「車中の人々」を、どう描いたのだろう。みてみよう。山手電車は、有楽町、新橋と停車していく。
有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 乗客はリックサックを背負った人が多くなった。有楽町、新橋から混んできたというから、新橋あたりに市場があったのだろうか。しかし、時間を考えると戦後の闇市を想像する。話は逸れるが、闇市で思い出すのは、昭和40年前後に流行ったヤクザ映画の一つである。当時、高倉健、鶴田浩二の任侠ものが全盛時代ではあったが、それとは違う、戦後のドサクサを描いた、闇市ヤクザ路線も流行っていた。安藤昇という大学出のインテリヤクザが、足を洗い映画監督になってつくったもので闇市がリアリティあった。殺伐とした時代だが、主人公の観察は「一頃とは人の気持も大分変わってきた」と、戦争、終戦で埃のようにまいあがっていた世の中が、漸く治まってきたと見ている。観察は、乗客の表層面から、会話や一人ひとりの感情や思考へと移っていく。
 浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかったが、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分
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の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 
 山手電車は、浜松町、田町、品川と過ぎていく。車内は益々混んできた。乗客も入れ替わったが、あの少年工は、まだ乗っていた。「依然身体を大きくゆすっていた」ところから、
他の乗客たちも注目する。奇妙な動作。主人公からは見えなかったが「少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。」会社員たちは笑い、車内の雰囲気は快活になった。しかし、新橋から乗っている25、6の若者は、少年工をずっと観察していたので、なにかがわかったようだ。いまでこそ、若者は血色のいい丸顔であるが、戦時中は、この少年工と同じだったことがわかる。「そうじゃないらしいよ」その意味は、皆にもすぐわかった。ここから主人公は、この少年をじっくり観察することになる。
地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供らしく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
 破れ、つぎはぎだらけの工員服。よごれた細い首。甘えるように頬ずりする子供らしい顔。一見、無邪気な光景描写である。しかし、読者は、凍りつく。少年の子供のような仕草は何を意味するのか。この世の全てを放棄した姿。恐れを知らぬ幼児の表情。それとも写真で見たホロコーストの順番を待つ人々の顔か。上野の山ではこのときもバタバタ飢え死んでいる。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 
 乗客は、少年の運命を知っている。なんとかしたい。男が聞いたのもその表れだろう。しかし、少年には、もはやどうでもよいことだった。こんな日本に誰がした。そんな怒りや絶望も、もはやない。乗客にできることは、電車の方向を教えることだけだった。
少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、
少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。(一貫=3・75k)
 私は、なぜ少年を突返したのか。死神がついている。無意識にそれをみたのかも知れない。このときの私は、体重が13貫余りというから50㌔に満たないわけだ。少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。とあるから、少年は栄養失調を過ぎた体だったのだろう。この少年にたいして何をしてやれるのか。作者には『小僧の神様』になれる余裕も体力も気力もなかった。このときの気持を作者志賀は【続々創作余談】でこう述べている。
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「あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮に自家へ連れて来ても、自家のものだけでも足らない食料で、又、自身を考へても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうする事も出来なかった。まつたくひどい時代だった。」
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
どうやら少年工は、山手線に乗ったままぐるぐる回っているようだ。乗客たちは、おせっかいに、むろん悪気はないのだろうが騒ぎだした。少年も皆が自分の行き先に注目していることがわかった。山手線を一回りしようが何周しようが、少年にとってどうでもよいことだった。少年は、現世とは、もはや完全に縁を切った世界にいる。他者は、どうすることもできない。ヘミングウェイの短編に『殺し屋』というのがある。不況とギャングが横行するアメリカの暗黒時代の話だ。主人公のニックが働くレストランに二人の殺し屋がやってきた。時間まで待って殺す相手が来ないとわかると帰って行った。ニックは、知らせに走った。だが、狙われている「オール・アンダーソンは、きちんと服を着たままベッドに横になっていた」そうして逃げようともせず、他人事のように「どうしょうもねえんだ」と言うばかりであった。死ぬことを、殺されることを受け入れた人間の前にニックは、なす術もない。このときの作者も同じ気持であったのかも知れない。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
「暗澹たる気持」志賀直哉は、この「暗澹」、アンタンという言葉をこの時代、何度か使っている。が、おそらくこの言葉が最初に口にでたのは、あの日ではなかったか、と推測する。
昭和8年2月25日(土)の日記にこう書いている。
<MEMO 小林多喜二2月20日に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会わぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持になる。ふと彼等の意図ものになるべしという気する>
このとき志賀直哉が抱いたアンタンは、国民を戦争へと駆り立てていった為政者たちへの怒りと憎しみ、それを阻止できなかった悔やみと後ろめたさ。今日、靖国神社は戦犯合祀の問題でゆれている。死ねば、誰しもが英霊か。否、時の権力者は、国民を滅亡の淵に追いやった指導者は、死してなおその罪を償わなければならない。それが為政者の宿命であり、義務である、と編集室は考える。
                  (『志賀直哉全集』を現代読みに・土壌館編集室)
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『少年王者』とは何か
 
 『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。大長編冒険物語です。楽しみなが挑戦しましょう。
 山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。
少年王者』第一集「おいたち編」「赤ゴリラ編」「魔神ウーラ編」「豹の老婆編」
      第二集「モンスターツリー編」「決戦編」「砂漠の嵐編」
      第三集「アメンポテップの財宝編」「謎の太平洋編」「解決編」
【作者の言葉】この物語の頃のアフリカは、暗黒大陸といわれていて海岸線から内陸にかけて、英国がケニヤや南阿連邦を、フランスがカメルーンを、ベルギーがコンゴ地方をというように治めていたが、その奥地は人跡未踏で、未開と謎につつまれていた。
 第二次大戦後の三十数年の間にアフリカは、全土にわたって独立の気運がたかまり、彼らは勇敢にたたかって、その統治国から独立をかちとった。
 しかし、『少年王者』の物語の頃のアフリカは、神秘のベールの中に、夢とロマンがあった頃の話であり、その頃のアフリカは、真吾やザンバロが、すい子とともに黒豹ケルクたちと冒険をくりかえした大密林であった。集英社『少年王者』豪華復刻版 1977年2月
少年王者の歌
山川惣治・作詞
一、大密林に    とどろくは
  少年王者の   さけびごえ
  黒いひとみに  ばらのほほ
  みどりのかみを なびかせて
  天にそびえる  大木の
  枝から枝へ   とびまわる
  少年王者の   いさましさ   
                  二、なくはふくろか    魔の鳥か
                    森はしずかに     夜はふけて
                    王者はねむる     枝のうえ
                    さす月かげに     にっこりと
                    笑ってきえた     かたえくぼ
                    ゆめにきいたか    みもしらず
                    やさしい母の     子守りうた
三、悪いガラ族   くるならこい
  豹ライオンも  くるならこい
  力のかぎり   たたかおう
  弱いけものを  すくうため
  森の平和を   まもるため
  正義にもえて  立ちあがる
  少年王者の   鉄のうで
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.94――――――――10 ―――――――――――――――――
サブカルチャーは世界を救う
 現在、好評発売中の山下聖美著『ニチゲー力』(三修社)は、日本のサブ・カルチャーの発信地、日大芸術学部を徹底解剖した画期的な書です。本日、下原ゼミで紙芝居上演する山川惣治作・画『少年王者』(集英社)は、まさしく、そのサブ・カルチャーの一端です。今から60年前、昭和22年から23年にかけた戦後の混乱期、少年少女たちに愛読され大ベストセラーとなった痛快和製ターザン物語です。
 下原ゼミは、前・後期通してテキストとして志賀直哉の車中作品を読みすすめてきました。名作『灰色の月』は、終戦直後、昭和20年10月16日夜9時頃の山手線の車内を描いた作品です。飢えて、もうすぐ死ぬかもしれない少年を乗客は、誰も助けることができない。街には戦争孤児があふれ、上野の山ではバタバタと餓死者がでていた。「全くひどい時代だった」。戦争に負けて、大人はすっかり元気をなくしていた。22年都内の年間収容浮浪者は1万人を越え、米軍占領下の街には「星の流れに」の歌が流れ、性病が蔓延した。斜陽族の言葉が流行ったのもこの時代。翌年早々には12人の銀行員が毒殺された帝銀事件も起きる。神国日本の崩壊は大人たちを虚無と自堕落に陥れた。殺伐としたこの時代に子供たちに夢と勇気を与えたのが山川惣治の『少年王者』「第一集おいたち篇」だった。アフリカの猛獣の世界に投げ出された赤ん坊が勇気と正義を持った少年に成長していく物語。この作品が日本人に自信を取り戻させ、やがてくる高度成長への原動力となった。サブ・カルチャーには、明日はない。しかし、今日という時代を盛りたて励ます力を持っている。
 あの日『灰色の月』の主人公は、「暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた」。60年の歳月が流れた今日、あの暗澹は晴れたであろうか。否、いま暗澹は、子供たちの中にある。いじめ、自殺、親殺し、子殺し、とじこもり、2007年現在、子供たちの問題は、より暗く、より深刻化している。子供たちを救えるのは何か。学校でも家庭でもない。まして識者の知恵でも政治の力でもない。真に子供たちを救えるもの。それはサブ・カルチャーにおいて他にない。60年前、『少年王者』は、子供たちの心に光を与えた。今日、子供たちの心の闇を照らす光は何か・・・・いまこそニチゲー力が試されるときである。
 自分は、何のためにニチゲーで学ぶのか。この暗澹を照らし、全人類を幸せにするため。すべては、その目的のため学ぶのだ。そんな気概をもって読み、書き、演じて欲しい。手本として『少年王者』をとりあげた。ここには子供の夢、全てがある。(「No72」から)
 演じるのは、『COCO&Den』5名の乗客。
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.94
季節観察・師走の歌 12月はこの歌を吟唱してみましょう。
 12月になると、なぜかアポリネール(1880-1918)のこの詩を思い出します。黄昏どき、落ち葉を踏みながら暗誦してみてください。「ミラボー橋」は1913年の作品。セーヌ川にかかる鉄製の橋の名前です。(詳しくはネット「アポリネール」検索ください)
  Le pont Mirabeau            ミラボー橋
Sous le pont Mirabeau coule la Seine.  ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Et nos amours              そして私たちの愛も
Faut-il qu’il m’en souvienne       思い出さねばならないのか?
La joie venait toujours apres la peine  悲しみの後に必ず喜びが来たことを
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
Les mains dans les mains         手に手を取り
restons face a face         顔に顔を合わせ
Tandis que sous le Pont         私たちの腕が作る橋の下を
de nos bras passe          永遠の微笑みが流れる間に
Des eternels regards l’onde si lasse   水は疲れていった
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
L’amour s’en va comme cette eau courante 愛は流れ行く水のように去っていく
L’amour s’en va comme la vie est lente  愛は人生は遅すぎるかのように
Et comme l’Esperance est violente    そして望みは無理であるかのように
                     去っていく
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
Passent les jours et passent les semaines日々が去り、週が去って行くのに
Ni temps passe              時は去らず
Ni les amours reviennent         愛は戻らない
Sous le pont Mirabeau coule la Seine   ミラボー橋の下をセーヌは流れる
Vienne la nuit sonne l’heure       夜が来て、鐘が鳴り
Les jours s’en vont je demeure.     日々は去り、我は一人。
 句読点を使わないという画期的な手法を使った作品集「アルコール」の特徴
がこの詩にも出ています。(検索)
 去っていった恋人、マリー・ローランサン。詩人は38歳の短い生涯。だが、彼女への愛は永遠に終わらない。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.94――――――――12 ―――――――――――――――――
12・3ゼミ報告
 12月3日(月)は、以下の出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  高橋享平  茂木愛由未
司会進行・高橋享平
1.ゼミ誌の書評・感想(出版室は好評でした。「いいゼミ誌ができましたね」の声あり。)
2.『灰色の月』朗読、感想と合評。
3.紙芝居、スタッフ決め。
掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き書くことの習慣化を目指して提出原稿を受け付けます。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する □ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳也氏 報告「ドストエーフスキイ その咬交円錐的世界』」
      二次会は近くの居酒屋。
■ドストエーフスキイの会例会第184回
月 日 : 2008年1月26日(土) 午後1時~5時
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館
報告者 : 高橋誠一郎氏(東海大学・司馬遼太郎研究者)
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2008年2月23日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 菅原純子氏
作 品 : 『悪霊』第一回
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
連載中断のお詫び
■「嘉納治五郎とドストエフスキー」
■同じく冒険物「キンチョウ」は紙面の都合でお休みします。お詫び申し上げます。
土壌館劇場・時空体験ツアー公演台本
公演に伴う台本の中身
時空:1945年(昭和20年)10月16日午後8時30分頃
場所:山手線外回り電車・車内
作品:志賀直哉『灰色の月』
時空:1947年(昭和22年)12月30日~
場所:日本全国の各書店、家庭、路地
作品:山川惣治作・画『少年王者』 製作・土壌館
12月10日ジョイント授業・出し物
紙芝居
『少年王者』第一集「おいたち編」
スタッフ
レイア姫・茂木    ハムナプトラ・祥子    道産子ボヘミアン・金野
(茂木愛由未)       (疋田祥子)         (金野幸裕)
バリトンバス・山根  DJクマグス・髙橋
 (山根裕作)       (高橋享平)
総指揮:土壌館・しもはら
  紙芝居
『少年王者』台本
第一集「おいたち編」
スタッフ(係決め)
前口上
 私たちは、この一年、志賀直哉の車中作品をテキストに、車内観察を書き発表しあって、読むこと書くことの日常化を培ってきました。
 本日は、その成果として車中作品の名作『灰色の月』の時代に旅した時空体験を報告します。あの時代、今から60年前ですが、戦争に負けた日本の大人たちは自信をなくし打ちひしがれていました。『灰色の月』は、山の手電車の乗客に、飢え死に寸前の少年がいた。しかし、だれも救うことができなかった。そんな車中観察です。この悲惨な闇市時代、子供たちはいったいどうしていたのか。
 まだ日本は占領国で、先のみえない真っ暗闇の時代です。その時代の夜空に明星のように輝く一点の星。それはベストセラーとなった『少年王者』でした。子供たちは、その星から夢と希望と正義を知ったのです。時空探検ツアーから持ち帰った、かってのサブカルチャーですが、もしかして、これが現在の混迷する教育に子供たちの世界に光りを与えてくれるかもしれません。私たちは、それを願って稽古してきました。それではごゆっくり観劇ください。
 その前に、この紙芝居の舞台となった時代、正確には本が発行されベストセラーになった2年前ですが、その時代を象徴する車中作品『灰色の月』を朗読します。
追記
スタッフ
『灰色の月』の場面
タイムスリップ!
ここは1945年10月16日の東京。夜8時30分ころ。戦争が終わって2ヶ月の東京は不気味に静まり返っています。あっ、山手線は動いているようです。さっそく車内に入ってみましょう。
『灰色の月』朗読
スタッフ
 あの少年は、飢えで死ぬばかりです。だれも助けてやれる人がいない。なんて悲しい光景でしょう。後にこの観察作品を残した作者は、非難されたそうです。「なぜ救ってやらなかった」と。しかし、この作者もこのときは栄養失調になっていたのです。
 こんな時代、子供たちは何をしていたのでしょう。
追記・備考
『少年王者』紙芝居公演
タイムスリップ!
 1947年の暮れです。あれから2年が過ぎています。子どもたちは、どうしているでしょう。師走の本屋に子供たちが大勢い集まっています。皆、瞳が輝いています。表情が明るいです。この2年間に何があったのでしょう?
 あっ!本です。子供たちが店頭で夢中になって読んでいるのは『少年王者』です。
追記・備考
紙芝居公演・開始
スタッフ
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土壌館日誌・「子ども観察」
 これまで、いろいろな子どもが土壌館に入門し、去っていった。子どもは一人ひとり性格は違うが、たいていは普通のどこにでもいる子どもである。が、ときどきそうでない子どももいる。最近、そんな子が多くなった気がする。数年前のA君もそんな一人だった。
 A君の入門は、こんな様子だった。「こんにちわ」といって母親に連れられて入ってきた。丸眼鏡をかけた男の子は、小学校二年生にしては礼儀正しく返事もはきはきしている。普通は、どんなガキ大将も、最初に道場に入るときは親の後ろにくつついているものだ。が、妙に堂々としている。利発そうにみえた。が、なぜか若くきれいな母親は、不安気である。自宅は近所にあり、A君は一人で通いはじめた。丁寧な話し言葉、きちんとした挨拶。他の子供より面倒なさそうに思えた。いつだったかアフリカ人が見学に来たときも、自分の方から近づいていって、言葉が通じないにもかかわらず話しかけていた。A君が、少し変わっていると気がついたのは、会話の最中だった。質問されるとダメなのだ。しばらく目をぱちくりして考えたあと、「えーとですねえ」とかなんとか言っていて「すみません、わかりません」と謝るのだ。
 
歴史人物観察 草稿「嘉納治五郎とドストエフスキー」から
(推敲・校正しながら書いていくので重複あり)
土壌の人
― 嘉納治五郎とドストエフスキー ―
土壌館編集室
  本稿は「嘉納治五郎とドストエフスキー」の理念を照合し、その一致を広く世に知らしめることを目的としている。が、両者において既にドストエフスキーは、世界的文豪でもあり、2007年には、新訳刊行によって社会的ブームにもなっているところから本稿は主に嘉納治五郎に標準をあて論じ検証する。嘉納治五郎といえば、一般的には柔道の創始者として、明治の偉大な教育者として名高い。が、柔道や教育は、たんに嘉納の理念達成への手段であるに過ぎない。嘉納が、世界の調和と全人類の幸福をめざして孤軍奮闘していたことは、あまり知られていない。これまで嘉納治五郎は、真にコスモポリタンとしてきちんと評価されてこなかった。本稿によって嘉納治五郎が、真に正しく評価されるようになれればと願う。また本論によって嘉納師範の本当の目的であった崇高な理念を少しでも伝播できれば幸いである。
序章 背後の山 麓では見えない山脈
第一章 その生涯 幼年期  少年期から青年期  壮年期 晩年
第二章 その思想 自他共栄 精力善用精神
第三章 理念の実践 柔術から柔道 
第四章 コスモポリタンへの道
第一章 青年期
人生の目標
出会い
二足のわらじ いじめ対策ではじめた柔術であったが、治五郎は、しだいに柔術の魅力にとりつかれていく。また、東京大学の学生が廃れゆく日本古来の武術を学ぶということで、少数ではあるが世間からも注目されるようになる。明治十二年(1879)アメリカの前大統領グラント将軍が来日したとき渋沢栄一の飛鳥山の別荘で前大統領一行に余興として柔術が披露されたが、推挙された並み居る武道家たちのなかに若干二十歳の治五郎がいた。このことは、当時の柔術家の底の浅さを証明するものでもあるが、西欧人たちが日本の何に興味を示したかもわかる。治五郎は、そのことをしっかり頭に焼き付けたのだろう。治五郎の学生時代は、いっそうの柔術の稽古と勉学にあけくれることになる。この二足のわらじは、結局のところ治五郎の人生に決定的な役割をになうことになる。柔術との出会いは、このときはわからないが、後の治五郎の理念を運ぶ役目を担うことになる。もう一つの出会いは、勉学のなかにあった。が、それがなんであるか。いま少し待たねばならなかった。
将来の迷い
治五郎将来の夢 生来の負けず嫌いから、学生時代は勉学と柔術稽古に励む治五郎であった。が、だれにでもある青春の迷いは、例外なく治五郎にもあった。自分は、何のために勉強するのか。柔術は、強くなるため、とはっきりしているが、さて勉学はと振り返ると、わからない。自分は、いったい将来何になりたいのか。どんな職業につきたいのか。治五郎の心は揺れ動く。このときの気持を「回顧六十年」では、このように述べている。
 …自分が趣味、長所のみから割り出せば自分は天文学者になったろうと思われる。自分は幼少から数学が得意で、天文が大好きであった。…ロッキャー、エーリー等の天文文学の書物を読んだ事を覚えている。しかし自分は考えた、今仮に自分が好きな道で天文学者になったところが、学問上から世に一種の貢献をする事は出来るかも知らぬがそれは自分以外にそういう人間を作り得る。昔の歴史を読み自分は一つ政治家になって世のために大いに尽くしたいという考えを懐き、…。そこで大学卒業後もやはり自分は政界に起つ心算もりでいたので、…
毎夜、天空を望遠鏡で覘いている天文学者の嘉納治五郎は、想像しにくいが、政治家としてならありえるかも知れないと思う。が、治五郎の将来の夢は、変転する。子供のころから、しっかりした夢をもって、それに向かって邁進できる人は幸いである。が、たいていの人は今も昔も「青春時代」のフォーク歌詞ではないが「道に迷っているばかり」である。治五郎の頭には、あるときは、なんとこんな考えも思い浮かぶ。
政治家か宗教家に代わるもの
 ある時には既住の宗教家のやった事実を見て、宗教に心を向けたこともある。…自分は人間のなし得る最も偉大なるものは政治か宗教であって政治家か宗教家になって、世に貢献したいという事が心から離れなかったのである。
 政治家か、宗教家という発想は、いったいどこからきたものか。激動の時代にあって、治五郎の頭にはなぜか軍人や実業家はなかったようだ。ここで、どうしてという疑問の答えは第二章の「嘉納治五郎の思想」で述べることにする。治五郎の政治家や宗教家に対する思いは、本気のようであった。大学を卒業して柔道をつづけながら教育者として歩みだしてからも、その思いは消えなかった。
 明治22年(1889)に宮内庁から欧州行を仰せつけられて出かけたがその時は教育の視察
に行ったのだが、まだ政治や宗教のことが心から離れずにいたのであった。
と、このように述べている。が、欧州でみた教育に開眼する。一年間の欧州視察は
…著しく教育という事に対して興味を増し教育が一国の消長に如何に重大なる関係を有するかを、従来より一層痛切に感じるようになった。…
そして、あれほど頭から離れなかった宗教と政治は、急速に色あせていった。
…宗教は既往の事を考えてみると偉大なものだが、今後は自身の身を投じて働くほどの値打ちのあるものではない、宗教はもはや過去に属するもので、…また政治もつらつら考えてみればなるほど一時的には随分人の注目を惹くような事も出来るが、、既往の歴史を通覧してみると政治家の仕事は短きは二、三十年長きも四、五十年か百年も経てば、多くはその形跡も消滅してしまうことが多い。
確かに、世の中が悪くなると、そのたびに立派な政治家がでてきて改革を施行した。徳川吉宗の享保の改革しかり、松平定信の寛政の改革しかり、水野忠邦の天保の改革しかりである。しかし、彼らがいなくなると、また元の木阿弥。世の中は、いっそう悪くなる始末である。宗教もまた同じ、世の中がおかしくなると、何度でも宗教家と称する輩が現れでる。つまるところ、宗教も政治も、即効薬にしかならないということである。人間が、いつの時代でも、幸せに生きることができるにはどうしたらよいのか。
教育者への目覚め
教育者として生きる決心 治五郎三十歳、欧州視察で、にわかに教育に目覚める。
 …しかるに教育は全ての事の基である。教育上人間のなした事は容易に磨滅しない。ただ普通の人間にそれだけ認められないだけで、深い意味において華やかなものである。
風邪の為、次回へ
 
2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇草稿・習作
KINCHOU
    キンチョウ ―サムライの約束―
土壌館編集室・志茂
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・大和大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・大和大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 浩・・・・・ヒロシ。カメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者 プノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈再びの密林〉一「戦慄の旅」二「ヤマ族集落」三「再びの宣戦布告」
第五章〈密林逃避行〉一「タイ国境を目指して」二「待ち伏せ」三「父親」
第六章〈さらばサムライ〉一「矢は尽きて」二「カオ遺跡の戦い」三「虹の彼方に」
あらすじ
 大和大学探検部の元隊員たちは密林ガイドのためヤマ族のインドシナ最大の密林にある少数山岳民族ヤマ族の集落に着いた。が、ヤマ族の考えは、この地に残ることに変わっていた。クメール・ルージュと呼ばれる赤い悪魔のゲリラと交渉にいった若者三人のうち帰ってこない二人を見に高木と一ノ瀬は山を下り、ゲリラを二人殺害する。赤い悪魔の怒りを恐れて、ヤマ族は、長年住み慣れた集落を捨てる。10年前往復した道を元隊員たちは、所々の遺跡を目印にタイ国境を目指す。が、背後からゲリラたちが迫る。
第五章 密林逃避行
二、待ち伏せ
 「先手必勝だ。待ち伏せてやろうぜ」
高木は言ってから、自然にそんな言葉が口をついてでる自分に驚いた。
 待ち伏せて人間を殺す。そのことに妙に興奮した。もう遠い昔に思えるが、昨日、ふもとで蹴り倒したときの感触が忘れられなかった。五人は崖道まで引き返すと、ここを待ち伏せの場所に決めた。崖下は岩場と繁みで見通しが悪く、一列に進まなければ、抜けられなかった。一ノ瀬は、先の茂みを指差し
「おれは、あそこで後ろから狙う。ケン、おまえ前にいてくれ」と、言った。
「どうする」
「おれが最初に射る。何人やれるかわからんが、気がついて、振り返ったら襲ってくれ」
「わかった。そこの岩場がいいな」
高木は、頷いてソクヘンたち三人に隠れるよう指示した。
 一ノ瀬は、黙って頷いて進んでいった。奴と、こんなに息が合うとは・・・。高木は、前方がよく見える岩場の茂みに隠れると一ノ瀬の背中を見送りながら不思議に思った。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。時間がどれほど経ったかわからなかった。もしかして、奴らは引き返したのか。そう思われたとき崖道の繁みが大きく揺れた。不意にゲリラが現れた。赤い悪魔の兵隊たちだった。兵隊といっても彼らの軍服はベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。首に縞のスカーフを巻いている。履物はサンダルだった。五人いた。岩場で一列になって進むしかない獣道をだつた。彼らは、一ノ瀬が潜んでいる岩
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
場を過ぎると、一列になって進んできた。途中、ヤマ族の一行が通った痕跡を岩肌に見つけたのか。苔が、はがれていた。一ノ瀬、弓を引き絞り、距離を測る。黒服に縞模様のまいた赤い悪魔が繁みに見え隠れした。五人いる。しだいに近づいてくる五人。息を呑む高木、一ノ瀬、まだ射らない。目の前まできた赤い悪魔の兵士たち。六メートル、四メートルと近くなる。どうした、なぜいらない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してる。瞬間、矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に刺さった。一瞬、兵士は立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨。前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に、つづいて三の矢が三人目のゲリラ兵の背中に。倒れたゲリラ兵の銃が木に当たり跳ね返った。その音に、前のゲリラ兵が気づき振り返った。が、次の瞬間、第四の矢が首に突き刺さる。ゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。突然の銃声に先頭のゲリラは、驚いて反射的に繁みに飛び込んだ。よく訓練されたゲリラだった。次の瞬間には、立ち上がってこちらに銃口を向けていた。背後にヤマ族の若者、襲いかかる。一人、銃尻で、顔面を殴られ、倒れる。高木、体当たりして倒すと、膝を首筋に叩きつける。頚骨の折れる鈍い音。即死だった。はじめて空手技で人を殺した高木、興奮気味。若者たちゲリラから銃を奪う。殴られた若者、右腕に裂傷。出血。高木、ゲリラ死体からベルトをとり、腕の付け根を締める。
三 医師の目覚め
 高木たち、一行に追いつく。柳沢、湯を沸かさせる。
「火をたくのか、まずいな」
「雨がやんだ。もやがでる。その間なら大丈夫だ」
長老の言葉どおり、雷雨がやんだ密林にもやがたちはじめた。火がたかれ、鍋に湯が沸騰した。柳沢、医療箱からメスを出し、鍋に。肩にめり込んでいる弾を取り出す。
柳沢は、汗だくになって傷口をたこ糸で縫う。夕方、暗くなる。柳沢、自分がはじめて人の役に立ったような気持ちになる。
「きてよかった」
柳沢が医師とは何か、それを自覚したのは、医学部でも大学病院でもなかった。皮肉なことに遠くはなれたこのジャングルにきてはじめて悟ったのだ。
 「この先に、とっくり谷があるはずだ」
西崎は地図を片手に、空を仰ぐ。が、繁れるつたや樹木の葉が、ほとんど空を隠していた。磁石がなければ右も左も進めなかった。しかし、、ほどなく繁みを抜け出すと岩場についた。少しのぼると、まるで人間がつくったような二つの岸壁に囲まれた岩場になった。とっくり谷は、出口がせまくとっくりの口を連想させたからだ。岸壁をよじのぼり狭い入り口を岩づたいに出ると、目の前にふたたび絨毯を敷き詰めたような密林がひろがる。銃声がして、岸壁をのぼる村人が転げ落ちていった。銃声は密林に吸い込まれながらもつぎつぎと鳴り響いた。全員がのぼりきるまでに三人が犠牲となった。女子供がいるヤマト族、赤い悪魔たちは、労せず追いついた。見下ろすと、はるか下方の岩場を黒服の赤い悪魔たちが、ヤモリのようにはりついて、まるでアリンコのようにのぼってくる。
「おい、矢をみんなおいて行け」
一ノ瀬が不意に立ち止まってヤマ族の男に言った。
 男は、キョトンとした顔で一ノ瀬を見た。が、すぐに意味を解した。男は、頷きながらも、自分の胸をたたいた。
「どうするんだ」西崎隊長が聞いた。
「ここで足止めさせてやる。だから先に行け」
「地の利がいい」一ノ瀬は言った。「崖を上って、このとっくり口からは一人二人しか出られん。かっこうの標的になる」
「そうか、じゃあちょっとでも本体を、すすませる」
今回分次回、直し掲載。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92――――――――12 ―――――――――――――――――
掲示板
課題原稿提出に関して
 後期も、引き続き書くことの習慣化を目指して提出原稿を受け付けます。
□ 車中観察(車外も可) □ 一日を記憶する □ 読書感想、社会コラム、ルポ
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第223回「読書会」
月 日 : 2007年12月15日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 北岡 淳也氏 報告「ドストエーフスキイ その咬交円錐的世界』」
      二次会は近くの居酒屋。
好評発売中
山下聖美著『「呪い」の構造』2007.8 三修社 賢治文学
 宮沢賢治生誕111年。今、伝説のベールが剥がされる!
猫 蔵著『日野日出志体験』2007.9 D文学研究会
  猫蔵が渾身の力をこめて書き下ろした日野日出志体験
山下聖美著『100年の坊ちゃん』2007.4 D文学研究会刊行
  夏目漱石『坊ちゃん』100年を記念して
清水 正著『萩原朔太郎とドストエフスキー』2006.12
ドストエフスキー文学は20世紀の100年をまたぎ超えてゲンダイ文学であり続ける。 
下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社 2006.3
下原敏彦著『伊那谷少年記』2004.6 昭和30年代の原風景、『五十歳になった一年生』
岩波写真文庫143・復刻版『一年生』
― ある小学教師の記録 ―
熊谷元一・下原敏彦・28会編纂『50歳になった一年生』
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。
「行け、俺にかまうな」
一ノ瀬は、無表情で言うと、次の矢を定めた。
「一緒に帰ろう、帰るんだ」
「俺は帰らん」
「奥さんが待っているだろ」
「うん、あの世でな」
「なんだつて!?」
「殺してきた。日本を出る夜」
「殺した!?」
「もう、行け。ここは引き受けた」
一ノ瀬は、そう言って矢を放った。矢は、音もなく吸い込まれるように曲がり角に姿をあらわしたゲリラの胸に突き刺さった。赤いゲリラ兵は、絶叫して深い谷底に落ちていった。
「ここで、もう少し奴らの足を止める。その間に、できる限り遠くに逃げろ」
「しかし・・・」
「心配するなって、奴らの足が止まったら、後を追うから」
「そうか、無理するな」
一刻の猶予もなかった。西崎隊長は、前進する他なかった。
「出発、出発」大声で一行をせきたてた。
ヤマ族の一行は、西崎と高木を先頭に岩場の多い道なき道を登って行った。乳のみ子を抱えるもの、老人を背負うもの。子供たちは、いたって元気だった。が、その速度は相変わらずカメのように遅かった。峠を越せば、また平坦な山地となる。それまで一ノ瀬が持ちこたえてくれたら。一分でも二分でも時間が欲しかった。
一ノ瀬は岩場の繁みの中に潜んで、登ってくる赤い悪魔のゲリラたちを待った。奴らが姿を現す場所は一ヶ所しかなかった。大きな岩と巨石が崩れ落ちた場所。そこが唯一崖下から登って来れる道なき道だった。ヤマ族の一行が通った後である。かなり砂地の崖はゆるんでいた。、のぼりすらくなっている。よじ登りきった瞬間、放たれた矢は、ゲリラの胸を正確に射った。一ノ瀬は、人間的を射ることに快感を覚えていた。また一人、また一人とゲリラは一の瀬の標的になった。
ゲリラたちは戦法を変えた。朽木の幹を盾にして上がってきた。一ノ瀬は、次々と矢を射ったが、仕留めることはできなかった。あがりきったゲリラたちは、次々と繁みの海の中にとびこんでいった。一の瀬は、頓着せず、なおも上がってくるゲリラの盾のわずかな隙間を狙って射ていた。が、不意に弦が切れた。焦りをヤマト族の若者は、狂ったように乱射した。が、を放ったの放つ矢、次々、兵士を射る。事態がわかった赤い悪魔たちは、緑の海の中にもぐったまま息を殺した。
 高木は、何度も振り返った。とおくに迎撃に残ったヤマ族の若者が走ってくるのが見えた。二人いる。
「どうした、あとの連中は」
「まだ、戦ってます。残り五人とわかったから全員片づけるって」
「無理するなといったのに・・・」
不安が過ぎった。
「よし、ここで待とう」高木は西崎に言った。
「ソクヘン、とめてくれ、小休憩だ」
「チャボンティー」
ソクヘンは大声で叫んだ。
皆一斉に足を止め、その場に座り込んだ。
「しかし、なぜ奴らは、的確に追ってくるのだ」
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92
高木は、朽木の上に腰を下ろすと、ヤマト族の男たちの顔をながめながら思いめぐらせた。
「誰かが、目印をつけているのでは」西崎は。「そうとしか思えん」
「内通者がいるというのか」
「そうだ」
「なぜ、なぜ内通するんだ」
「わからん」
「ソクヘン、そんなことあるのか」
「いません、いるはずがありません。やつらの恐ろしさ、みんな知っています」
「長老に聞いてくれ」
 ソクヘンは渋々、タオのところに行って何事かささやいていた。タオは、思い当たる節があるのか、顔を曇らせて、岩場の陰に甥のシナタを呼んだ。なんだろう。皆の視線が岩場に集まった。言い争う話し声のあと、突然、タオの怒鳴り声と物音。
「助けてくれ、」シナタが血相を変えて、岩場の穴から飛び出してきた。
 シナタは、皆の前にくるとばったり倒れた。シナタの背中にタオの山刀が突き刺さっていた。タオがよろけながらいわばから出てくると、すでに息絶えているシナタを見下ろした。
「犯人は、こいつだった。ルビーを盗んで逃げようとしたのだ」 
タオは、はき捨てるようにつぶやくと白髪の頭を深々と下げてわびた。「すまない」
 シナタはルビーを盗んだあとの逃げ道として、目印をつけてきたらしい。それが赤い悪魔たちの案内となっていたのだ。
「とうとう最後まで、性根は治らなかった。治せなかった」
タオは、肩をおとしてつぶやくとシナタの上に折り重なるように倒れた。皆の悲鳴。
「タオ様!」
村人たちは、一斉に駆け寄った。
 柳沢が割って入り脈をとった。そのあとまぶたを閉じた。あっけない最期だった。
「死んだ」
柳沢は、告げてたちあがった。
 突然に、一族の要を失って皆は、泣くことも悲しむことも忘れてへたりこんだ。
「じっとしてはいられないぞ。族長に言え」
泰造は、ソクヘンの耳元にささやいた。
 ソクヘンは大きく頷いて呆然とたたずむボトに伝えた。ボトは夢遊病者のように頷くと、それでものろのろと皆に支持を与えた。長老亡き後は、ボトがこの一族の要となる他はなかった。タオのようなカリスマ性はないが、ボトは誠実さで皆から信頼されていた。
「おい、ソクヘン二人の遺体を隠せ」
 
 柳沢、首を振る。二人の死体を繁みに隠し、通ったこん跡を消しながらの前進。ようやく追撃の気配が去ったかのように思えた。が、一難去って、また一難か。
 突如はるか頭上でエンジンの音。うっそうと繁る大木の葉々の間に銀色の機体が見えた。
「飛行機、アメリカの戦闘機だ」高木が叫んだ。
 こんなに低く飛んでいる飛行機を見たことのない村人たちは、皆口をあんぐりあけて眺めていた。高木の胸に不安がよぎった。西崎隊長も同じだった。二人は同時にどなった。
「隠れろ!隠れろ!」
バリバリと幹や繁みに弾丸の雨が降り注いできた。前の方に爆発音がして火柱があがった。ロケット弾を撃ち込んだのだ。思いもしない絨毯爆撃に、一行は逃げるのも忘れて凍りついた。
「どうして、どうしてなんだ」
佑介は、完全に混乱していた。米軍に爆撃されることが理解できなかった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.92――――――――14 ―――――――――――――――――
「バカヤロー、ベトコンの輸送隊と勘違いしてるんだ」
高木が怒鳴って草むらにとびこんだ。
「伏せろ! 伏せろ! 」岩かげで泰造が叫んでいる。
 佑介は、一瞬われに返って、その場に伏せた。とたん皆、一斉にクモの子が散るように四散し、ものかげに姿を隠した。一人、二歳くらいの女の子が残された。ぽかんとした顔で立っていた。近くに母親らしき女性が息絶えていた。次の瞬間、誰かが飛び出していって子ど
もを抱えると岩陰に飛び込んだ。高木だった。静まり返った密林に米軍機は、執拗に取っては返し取っては返して一掃機銃を繰り返した。これでもか、これでもかといわんばかりの乱射。持っている弾薬を全て使い切る気だ。密林は爆風と煙で夜のように暗くなった。一行はなすすべがなかった。これが空襲か。佑介は、大人たちから聞いた東京大空襲の話を思い出しながら失禁していた。
 長い瞬間だった。燃料切れか弾倉が空になったか。戦闘機は、不意にキーンという突ん裂く爆音を残して一気に空高く上昇していった。晴れ渡った青空に、一筋の白い線を描いてどこかに飛び去った。嵐が去った後、村人の三人が逃げ遅れて死んでいた。一人は若い母親で近くで赤ん坊がショックのあまり、泣くことも忘れて座っていた。そばで夫が、茫然と立ち尽くしていた。
「柳沢は、どうした」
「あれ、そのへんにいたろ」
三人は不安にかられて探した。
 岩陰に彼の背中を見つけた。動かなかった。
「おい、ヤギイ!」
西崎が背中を押すと、ゆっく倒れた。なかにニホンがうずくまっていた。
「バカやろう!なんだってこんなところで死んじゃうんだ」
西崎は、泣きながら怒鳴った。
 ユンも悲しみをこらえてニホンを抱きしめた。本当に父親はいなくなった。が、悲しみにひたってはいられなかった。遺体の上に、山ほど木の枝をのせ、動物たちから守ると悲しみの場を後にした。
「中島助教授につづいて一ノ瀬、それから柳沢まで死んじゃうなんて」
「せんせい、せっかく医者になりかけたのにな」 
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.91
 五人は、もと来た道を戻っていった。一行は、歩き始めた。ふたたび暗雲がたれこめ雨まじりの風が吹きだした。        次号へ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.91――――――――16 ―――――――――――――――――
       
通るとすれば、ここしかない見通しのよい繁みにくると一ノ瀬は
「挟み撃ちにする。おれが最初に射る」、
と、言って高木とソクヘンたち三人の若者を残して、一人で前に進んで行った。二十メートルほど行ったところで手を振って岩陰に隠れた。高木とソクヘンも大木の陰に身をひそめる。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。雨に打たれた繁みが大きく揺れた。不意に赤い悪魔の兵隊たちが現れた。兵隊といっても軍服ではない。彼らの軍服はベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。首に縞のスカーフを巻いている。履物はサンダルだった。そこは岩場で一列になって進むしかない獣道だった。彼らは、一ノ瀬が潜んでいる岩場を過ぎると、一列になって進んできた。途中、ヤマ族の一行が通った痕跡を岩肌に見つけたのか。苔が、はがれていた。一ノ瀬、弓を引き絞り、距離を測る。黒服に縞模様のまいた赤い悪魔が繁みに見え隠れした。五人いる。しだいに近づいてくる五人。息を呑む高木、一ノ瀬、まだ射らない。目の前まできた赤い悪魔の兵士たち。六メートル、四メートルと近くなる。どうした、なぜいらない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してる。瞬間、矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に刺さった。一瞬、兵士は立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨。前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に、つづいて三の矢が三人目のゲリラ兵の背中に。倒れたゲリラ兵の銃が木に当たり跳ね返った。その音に、前のゲリラ兵が気づき振り返った。が、次の瞬間、第四の矢が首に突き刺さる。ゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。突然の銃声に先頭のゲリラは、驚いて反射的に繁みに飛び込んだ。よく訓練されたゲリラだった。次の瞬間には、立ち上がってこちらに銃口を向けていた。背後にヤマ族の若者、襲いかかる。一人、銃尻で、顔面を殴られ、倒れる。高木、体当たりして倒すと、膝を首筋に叩きつける。頚骨の折れる鈍い音。即死だった。はじめて空手技で人を殺した高木、興奮気味。若者たちゲリラから銃を奪う。殴られた若者、右腕に裂傷。出血。高木、ゲリラ死体からベルトをとり、腕の付け根を締める。
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