文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信 No.95

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)1月7日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.95
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/7 1/21 
  
2007年、読書と創作の旅
1・7下原ゼミ
1月 7日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」
   ・07年ゼミ&ゼミ誌感想  ・冬休み感想  ・2008年の目標   
 2. テキスト『網走まで』『灰色の月』について
 3.名作紹介・家族観察『にんじん』&店内観察『殺し屋』
   授業観察『最後の授業』
  
 
新年 明けましておめでとうございます!
 
            本年もよろしくお願いします
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人類の夢はるか
 世界は、いま格差社会が広がりつつあるという。差別は見えぬところでより強く。富める者は、より富を得て、持たざる者は、より貧困に落ちていく。「働けど働けど、なお我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」と石川啄木がうたってから幾犀星。この忌むべき現象は、21世紀の現在にワーキングプアと名を変えて現れている。なぜ貧富社会はなくならないのか。人類は、その解消を目指して努力してきた。哲学、宗教、主義、思想などなど多くの理念理想を考え実践して解決を試みた。誰もが平等に幸せに暮らすことができる。そんな社会を夢みてトマス・モア(1478-1535)は『ユートピア』を書いた。が、宗教問題(国王至上法反対)で断頭台の露と消えた。1789年、自由、平等、博愛の名のもとにパリ市民が、一斉に武装蜂起した。人類初の大革命は成功したかのようにみえた。が、市民が目にしたのは、ギロチンの血しぶきが降り注ぐ粛清の嵐だった。1793年10月16日午後零時15分ルイ16世王妃マリー・アントワネット革命広場で38歳の華麗な、そして不幸な生涯を終えた。旧体制(アンシャン・レジーム)は崩壊した。しかし、1804年、皇帝ナポレオン誕生。元の木阿弥。人類が夢見た社会は、絵に描いたモチとなった。だが、人間はあきらめない。1848年2月、ロンドンである著書が刊行された。著者は、元ライン新聞の記者で、当時ブリュッセルに亡命中のドイツ人思想家、カール・マルクス。著書は『共産党宣言』。親友の経済学者フリードリッヒ・エンゲルスの全面協力を得て書き上げたもの。「ヨーロッパに妖怪が出現する…共産主義という妖怪が」。1917年、その妖怪はロシアに現れた。人類の夢は漸く達成されたかにみえた。が、70余年後の1991年実験国家ソ連邦は崩壊した。そして、民主主義の世の中。しかし、格差社会のはじまりだった。人類の夢はるか。(土壌館)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.95 ―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
2008年は「自他共栄」精神で
 2008年元旦の朝日新聞「社説」は、いきなり「不穏な年明けである」と物々しい。が、つづけて読んでみると5年前のことである、と知り思わずほっとしたが、それも束の間「今年もまた、穏やかならぬ年明けだ」ときた。「外から押し寄せる脅威よりも前に、中から崩れてはしまわないか。今度はそんな不安にかられる」とある。外をみれば、イラク戦争のニュースが少なくなったと思ったら、昨年暮れのパキスタンでの元首相の暗殺事件、ボスニアなど鎮静化していた東ヨーロッパもなにやら不穏とのこと。石油高騰で経済不安に加え地球温暖化の脅威。この現象、この事態からして、どうやら、この星は、のっぴきならぬところまできているかも知れない。しかし、地球不安の全ての原因を生み出している人間は、相変わらず能天気である。ニセモノ、戦争、自国有利のオリンピック、権力闘争、金儲けに明け暮れている。人間を幸福にするという共産主義や民主主義のシステムも、人間の欲望の前に機能を失った。宗教は紛争と戦争の火種となるばかりで、救いにはならなかった。道徳教育は差別と偏見をより強固にするばかりだ。人類の未来、まさに暗澹である。
 人類に希望はないのか。暗闇に光差すものはないのか。この星を覆う不安と脅威を払拭するには、世界の平和と人類に幸福をもたらすためには、人間はなにをすればよいのか。人類救済の謎。ドストエフスキーは、作品で人間一人ひとりが憐憫の心を持つこと。可愛そうだという心をもつこと、と示唆した。思想でも、宗教でもないと。昨年、出版界においてドストエフスキーブームが起きた。新刊の新訳作品『カラマーゾフの兄弟』は、なんと30万部以上売れたという。この現象は、人類救済の謎を解こうとしている現われか。しかし、しかし、ドストエフスキー山脈は、峻厳だ。たとえヘリコプターで山頂に降り立ったとしても、金脈に辿りつくのは容易ではない。新訳の亀山郁夫氏は苦笑する。「たとえ買ったとしても、実際に読みきる人は千人、いや五千人に一人かも」。では、われわれはどうすればよいのか。人類の不幸を、ただ神のように眺めるしかないのか。新しい年に抱くべきものは。
 唐突だが、これからの時代は、「自他共栄」「精力善用」精神をすすめたい。読んで字の如く。自他共栄は、自分だけが栄えればよいという自己中心からの脱却だ。昨年発覚した偽装は、自分だけが儲ければよいという醜い心の表れ。格差社会は、力はよいことに使うという精力善用精神を失ったものたちが増えすぎた結果である。
 2008年は、嘉納治五郎没後70年にあたる。「自他共栄」「精力善用」精神の考案者・提唱者である。しかし、残念なことに、嘉納治五郎の存在は、日々薄れている。柔道の考案者と答えられる人は、まだよい。その名をはじめて聞く人もいる。名は知っていても何を成した人か皆目見当のつかない人も多い。これは若い人に限ったことではない。柔道経験者や、現にいま柔道をやっている人たちでさえ、どれほど知っているのか。私は、40年近く柔道をやっているが、いろいろな柔道大会や集まりで、嘉納師範の名や理念を耳にしたことは、あまり記憶にない。まして柔道以外では皆無に等しい。他者が栄えれば自分は二の次と考える嘉納師範にとって、これもまた理念達成の表れであるのかも知れない。が、人間嘉納治五郎は、日本においてきちんと評価されていない。嘉納治五郎は、柔道の考案者・普及者として名高い。が、近代日本人をつくった教育者として、また世界平和に奔走した真のコスモポリタンとしての姿は、ほとんど知られていない。嘉納師範が唱えた「精力善用」「自他共栄」精神の目指すもの、それは世界の調和と人類の平和であった。いじめからわが身を守るためにはじめた武術を創意工夫で柔道とし、今日あるまでに発展させた功績は、計り知れない。が、それはあくまでも世界平和の手段としてである。晩年の国際人としての活躍が、そのことを証明している。昭和13年、日本は奈落の淵にあった。前年7月、盧溝橋事件をきっかけに中国との泥沼戦争に足を踏み入れ、12月には、南京を占領していた。暴走する日本を止めるのは、もはや嘉納治五郎しかいない。世界の良心は、小柄な老人に賭けた。第12回オリンピック東京大会決定。だが、凱旋帰国の嘉納師範は太平洋上氷川丸船中で急逝した。平和への最後の理念を失った日本は・・・。          (土壌館・編集室)
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2007年、読書と創作の旅
1・7ゼミ
1.「2007年、読書と創作の旅」
・2007年のゼミ感想
・ゼミ誌「COCO☆電」感想(作品評・こうすれば・・・)
・冬休みの過ごし方(年末・正月は、どこで)
・2008年の抱負(3年生になっての目標・・・のようなもの)
     2.車中観察・テキスト『網走まで」と『灰色の月』
 『灰色の月』は、昭和20年10月(1945)作者が62歳のとき書いたもの。『網走まで』は、明治41年(1908)25歳のときに書いた作品。二つの作品の違いは、『網走まで』が創作で、『灰色の月』が実際の体験といった大きな差異があります。
 両作品の間には37年の歳月が流れています。時代にすれば、明治、大正、昭和。社会状況は、富国強兵、大正デモクラシー、軍国主義、一億総玉砕主義、そして敗戦です。
 それだけに、この車中観察は、一見なんでもない作品ですが、永遠に通じる命をもっているのです。が、どのような感想を持ったでしょうか。
・『網走まで』の印象、感想、評
・『灰色の月』について
3.名作観察読み(家族・店内・授業)
家族観察・テキストはジュール・ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。
「尿瓶」「うさぎ」「鶴嘴」「猟銃」「もぐら」を読みます。訳は窪田般彌
感想:
 
店内観察・ ヘミングウェイの『殺し屋』大久保康雄訳を読みます。
 20世紀短篇小説で、最高峰にある作品といえます。簡潔な文体のなかに、人物観察・状況観察がしっかりできている。ヘミングウェイ作品の原点が詰まっている。
 ヘミングウェイの『日はまた昇る』とプルーストの『失われた時を求めて』が20世紀文学の出発点といわれている。が、現代にみる会話文体の源泉は『殺し屋』にある。
感想:
授業観察 この作品は、アルフォス・ドーデー(1840-1897)が1873年に出した短編集『月曜物語』のなかの一編。パリの新聞に掲載(1871-1873)されたなかの一つです。敗戦国の悲哀と愛国心を描いた名作です。普段は退屈で嫌いな授業でも、もし最後となれば、もっと真面目にやればよかった。そんな悔いがわきあがるに違いない。
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1月15日ゼミ・読書のススメ
 「2007年、読書と創作の旅」この旅も今日をいれて後二日です。というわけで、最後の読書のススメは、正真正銘の『最後の授業』を紹介します。
 
     最後の授業 ~アルザスの一少年の物語~
      A・ドーデー(桜田佐訳)
 その朝は学校へ行くのがたいへんおそくなったし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。
 空はよく晴れて暖かかった!
 森の端でつぐみが鳴いている。りベールの原っぱでは、木挽き工場の後でプロシア兵が調練しているのが聞こえる。どれも分詞法の規則よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走って行った。
 役場の前を通った時、金網を張った小さな掲示板の傍に、大勢の人が立ちどまっていた。二年前から、敗戦とか徴発とか司令部の命令というようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。
「今度は何が起こったんだろう?」
 そして、小走りに広場を横ぎろうとすると、そこで、内弟子と一緒に掲示を読んでいたかじ屋のワシュテルが、大声で私に言った。
「おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校には遅れっこないんだから!」
 かじ屋のやつ、私をからかっているんだと思ったので、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入っていった。
 ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、
「も少し静かに!」と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。
 私は気づかれずに席につくために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!
 ところが、大違い。アメル先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。
「早く席へ着いて、フランツ。君がいないでも始めるところだった。」
 私は腰掛をまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督学官の来る日か賞品授与式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、村の人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、村の村長、元の郵便配達夫、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。オゼールじいさんは、縁のいたんだ古い初等読本を持って来ていて、ひざの上
にひろげ、大きなめがねを、開いたページの上に置いていた。
※分詞法=動詞が変形し、形容詞の機能を持つもの。インド・ヨーロッパ語族の諸国語に見られ、英語では現在分詞、過去分詞の二つがある。(『広辞苑』)
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 私がこんなことにびっくりしている間に、アメル先生は教壇に上がり、私を迎えたと同じ
優しい重味のある声で、私たちに話した。
「みなさん、私が授業するのはこれが最後(おしまい)です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました・・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです。どうかよく注意してください。」
 この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。役場に掲示してあったのはこれだったのだ。
 フランス語の最後の授業!・・・・・
 それだのに私はやっと書けるぐらい!ではもう習うことはできないのだろうか!このままでいなければならないのか!むだに過ごした時間、鳥の巣を探しまわったり、ザール川で氷滑りをするために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう!さっきまであんなに邪魔で荷厄介に思われた本、文法書や聖書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。アメル先生にしても同様であった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。
 きのどくな人!
 彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜこのむらの老人たちが教室のすみに来てすわっていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔やんでいるらしい。また、それは先生に対して、四十年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった・・・・
 こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗しょうの番だった。このむずかしい分詞法の規則を大きな声ではっきりと、一つも間違えずに、すっかり言うことができるなら、どんなことでもしただろう。しかし最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛の間で身体をゆすぶっていた。アメル先生の言葉が聞こえた。
「フランツ、私は君をしかりません。充分罰せられたはずです・・・そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。明日勉強しょうつて。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう・・・・ああ!いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちはフランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!・・・この点で、フランツ、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです。」
「君たちの両親は、君たちが教育を受けることをあまり望まなかった。わずかなお金でもよけい得るように、畑や紡績工場に働きに出すほうを望んだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか?勉強するかわりに、君たちに、たびたび花園に水をやらせはしなかったか?私があゆを釣りに行きたかった時、君たちに休みを与えることをちゅうちょしたろうか?・・・・」
 それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日のけいこのところを読んだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことを
すっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。
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 日課が終わると、習字に移った。この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意して
おかれた。それには、みごとな丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス。」と書いてあった。小さな旗が、机のくぎにかかって、教室じゅうにひるがえっているようだった。みんなどんなに一生懸命だったろう!それになんというし静けさ!ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度こがね虫が入ってきたが、だれも気をとられない。小さな子どもまでが、一心に棒を引いていた。まるでそれもフランス語であるかのように、まじめに、心をこめて・・・学校の屋根の上では、はとが静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、
「今にはとまでドイツ語で鳴かなければならないのじゃないかしら?」と思った。
 ときどきページから目をあげると、アメル先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ・・・無理もない!四十年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変わらない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛と机が、使われているあいだに、こすられ、みがかれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり彼の手植えのウブロンが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべての物と別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りしている妹が二階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう!明日はでかけなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。
 それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。それから、小さな生徒たちがみんな一緒にバブビボビュを歌った。うしろの、教室の奥では、オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない・・・
 とつぜん教会の時計が12時を打ち、続いてアンジェリスの鐘が鳴った。と同時に、調練から帰るプロシャ兵のラッパが私たちのいる窓の下で鳴り響いた・・・アメル先生は青い顔をして教壇に立ち上がった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と彼は言った。「みなさん、私は・・・私は・・・」
 しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終わることができなかった。
 そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。
「フランスばんざい!」
 そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図した。
「もうおしまいだ・・・お帰り。」
余談        ドーデーとシーボルト、そして日本
 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)この作家を知らなくても、シーボルトの名は、たいていの日本人は知っている。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授。1828年帰国、59年再来航、62年に帰国。日本の医学、開国に大いに貢献したドイツ人。著書に『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などがある。(1796-1866)
 1866年の春、ドーデーはシーボルトと知り合った。作家の言葉を借りれば「私たちはすぐに大の仲良しとなった」。場所は、パリ、テュイルリー宮。シーボルト大佐は、ナポレオン三世に不思議国ジャポン開拓の国際的協会創立計画の嘆願に訪れていた。若い作家は、著名な冒険家の話を喜んで聞いた。気に入ってシーボルトは、日本の悲劇「盲目の皇帝」の校閲を頼んだ。が、ドイツに戦争が起きて頓挫。若い作家は、あきらめずにミュンヘンに追った。「・・・そりゃあ君すばらしいぜ」大佐はその晩ばかに元気だった。が、翌朝、自宅に行くと彼は亡くなっていた。72歳だった。「盲目の皇帝」は題だけで終わった。
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2007年、読書と創作の旅・旅記録
12・10ゼミ報告
文芸学科&デザイン学科ジョイント授業
第5回宮沢賢治『銀河鉄道の夜』研究発表&紙芝居『少年王者』
12月10日(月)は、以下の出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  茂木愛由未  金野幸裕  
1. 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』研究発表 研究実習1 → 9名
2.デザイン科 → 『銀河鉄道の夜』タイポグラフィー作品発表
3.紙芝居『少年王者』 → 4名
 
 監督&演出・・・・・・・・・・・・・・・高橋享平
 朗読『灰色の月』・・・・・・・・・・・・疋田祥子
 紙芝居「少年王者」語り&演出・・・・・・金野幸裕
 紙芝居「少年王者」読み&演出・・・・・・山根裕作
祝!『CoCo☆Den電』刊行
2007年の成果、ゼミ雑誌『CoCo☆Den』が、予定通り刊行されました。
編集者の高橋さん、山根さん、ご苦労様でした。茂木さん、疋田さん、金野さん協力ありがとうございました。
情報
2007年夏、軽井沢ゼミ合宿の模様をドキュメントとして『江古田文学66』に掲載しました。「特集・団塊世代が読むドストエフスキー」
 
ご笑覧ください。大手各書店にて販売。
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歴史人物観察 草稿「嘉納治五郎とドストエフスキー」から
草稿・嘉納治五郎とドストエフスキー①
(推敲・校正しながら書いていくので重複あり)
土壌館編集室
  本稿は「嘉納治五郎とドストエフスキー」の理念を照合し、その一致を広く世に知らしめることを目的としている。が、両者において既にドストエフスキーは、世界的文豪でもあり、2007年には、新訳刊行によって社会的ブームにもなっているところから本稿は主に嘉納治五郎に標準をあて論じ検証する。嘉納治五郎といえば、一般的には柔道の創始者として、明治の偉大な教育者として名高い。が、嘉納治五郎の生涯と、その人となりを検証すると柔道や教育は、嘉納が唱えた「自他共栄」「精力善用」精神、この理念達成への手段であるに過ぎないことがわかる。嘉納は、世界の調和と全人類の幸福をめざして孤軍奮闘してきた。日本で最初のコスモポリタンとして、二十世紀初頭の濁流のなかで世界平和のために奔走した。しかし、日本における嘉納治五郎の評価は、柔道の創始者に留まってしまった。それほどに柔道の普及がめざましかったこともあるが、国民にそう印象づけた国家の国策もあつた。きちんと評価されてこなかった。本稿によって嘉納治五郎が、真に正しく評価されるようになれればと願う。また本論によって嘉納師範の本当の目的であった崇高な理念を少しでも伝播できれば幸いである。
序章 背後の山
麓では見えない山脈
 いじめ対策 現在、いじめは日本のみならず世界中で大きな問題となっている。日本では、いじめによる自殺というニュースが後をたたない。このあいだも、遠く北欧の国で、いじめによる発砲事件があった。いじめを受け、女友達にもふられたという少年が学校で銃を乱射して、多数の人を殺傷した。日本のいじめは、いまでこそ中学、小学校だが戦後は大学の運動部、戦前は軍隊と根が深い。江戸時代、江戸城内の松の廊下で赤穂藩城主浅野内匠長矩が刃傷沙汰をおこしたのも、いじめが原因のようだ。当然、明治はじめの学校も例外ではない。いくら徳があっても、勉学に優れていても、腕力の前にはどうすることもできない現実があった。開成学校・東京帝国大学での出来事でこんな証言がある。
「学生の中には旧藩そのまま腕力をほこるものがある。殊に高知県から出た千頭清臣、福岡孝季、仙石貢が主導者の形をなして、事があれば人を殴った。千頭は校内一の元気者で、ある日、嘉納治五郎が気に食わぬと、ひどく殴りつけたが、嘉納は手向かいできなかった。」(加藤仁平著『嘉納治五郎』)
 人一倍正義感と負けん気の強い治五郎だけに悔しさはいかばかりだったろう。弱ければ馬鹿にされても何もできない。「当時はなかなか乱暴な世の中で喧嘩も多く弱い者は随分辱められる場合もあった」弱いもの、正しいものを救うこともできない。治五郎が、いじめ対策で思いついたのは、武道だった。「日本には柔術というものがある。その柔術を習っておけば自分らの如き弱い者でも他人に負けないだろう」しかし、この動機は、当時の社会ではあまり受け容れられなかったようだ。学問をするものが、野蛮なことをする、ということで非難もされた。まず父親に反対された。だが、嘉納はあきらめなかった。いじめから逃れたい。その一念が強かったのだろう。いじめ対策に武道を習う。それは平成の現在でも変わらない。先般、ボクシングのチャンピョン戦で、防衛した内藤選手は、まさに、いじめから逃れて強くなるためにボクシングをはじめたという。私は地元で二十余年子供たちに柔道を教えている。毎年、何人かの子供が入門してくる。柔道に憧れて入ってくる子もいるが、僅かである。たいていの子は親のすすめで、動機は「いじめにあわないように」である。子供たちの世界
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は、民主主義教育が六十年間つづいても、水面下では昔も今も弱肉強食の世界である。残念ながら、柔道は、嘉納の目指す理念のためでなく腕力の手段として必要とされている。こうした現状も、ひとえに嘉納治五郎の真の目的が理解されていないからだろう。
人生の目標
出会い
二足のわらじ いじめ対策ではじめた柔術であったが、治五郎は、しだいに柔術の魅力にとりつかれていく。また、東京大学の学生が廃れゆく日本古来の武術を学ぶということで、少数ではあるが世間からも注目されるようになる。明治十二年(1879)アメリカの前大統領グラント将軍が来日したとき渋沢栄一の飛鳥山の別荘で前大統領一行に余興として柔術が披露されたが、推挙された並み居る武道家たちのなかに若干二十歳の治五郎がいた。このことは、当時の柔術家の底の浅さを証明するものでもあるが、西欧人たちが日本の何に興味を示したかもわかる。治五郎は、そのことをしっかり頭に焼き付けたのだろう。治五郎の学生時代は、いっそうの柔術の稽古と勉学にあけくれることになる。この二足のわらじは、結局のところ治五郎の人生に決定的な役割をになうことになる。柔術との出会いは、このときはわからないが、後の治五郎の理念を運ぶ役目を担うことになる。もう一つの出会いは、勉学のなかにあった。が、それがなんであるか。いま少し待たねばならなかった。
将来の迷い
治五郎将来の夢 生来の負けず嫌いから、学生時代は勉学と柔術稽古に励む治五郎であった。が、だれにでもある青春の迷いは、例外なく治五郎にもあった。自分は、何のために勉強するのか。柔術は、強くなるため、とはっきりしているが、さて勉学はと振り返ると、わからない。自分は、いったい将来何になりたいのか。どんな職業につきたいのか。治五郎の心は揺れ動く。このときの気持を「回顧六十年」では、このように述べている。
 …自分が趣味、長所のみから割り出せば自分は天文学者になったろうと思われる。自分は幼少から数学が得意で、天文が大好きであった。…ロッキャー、エーリー等の天文文学の書物を読んだ事を覚えている。しかし自分は考えた、今仮に自分が好きな道で天文学者になったところが、学問上から世に一種の貢献をする事は出来るかも知らぬがそれは自分以外にそういう人間を作り得る。昔の歴史を読み自分は一つ政治家になって世のために大いに尽くしたいという考えを懐き、…。そこで大学卒業後もやはり自分は政界に起つ心算もりでいたので、…
毎夜、天空を望遠鏡で覘いている天文学者の嘉納治五郎は、想像しにくいが、政治家としてならありえるかも知れないと思う。が、治五郎の将来の夢は、変転する。子供のころから、しっかりした夢をもって、それに向かって邁進できる人は幸いである。が、たいていの人は今も昔も「青春時代」のフォーク歌詞ではないが「道に迷っているばかり」である。治五郎の頭には、あるときは、なんとこんな考えも思い浮かぶ。
政治家か宗教家に代わるもの
 ある時には既住の宗教家のやった事実を見て、宗教に心を向けたこともある。…自分は人間のなし得る最も偉大なるものは政治か宗教であって政治家か宗教家になって、世に貢献したいという事が心から離れなかったのである。
 政治家か、宗教家という発想は、いったいどこからきたものか。激動の時代にあって、治五郎の頭にはなぜか軍人や実業家はなかったようだ。ここで、どうしてという疑問の答えは第二章の「嘉納治五郎の思想」で述べることにする。治五郎の政治家や宗教家に対する思
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95――――――――10 ―――――――――――――――――
いは、本気のようであった。大学を卒業して柔道をつづけながら教育者として歩みだしてからも、その思いは消えなかった。
 明治22年(1889)に宮内庁から欧州行を仰せつけられて出かけたがその時は教育の視察に行ったのだが、まだ政治や宗教のことが心から離れずにいたのであった。
と、このように述べている。が、欧州でみた教育に開眼する。一年間の欧州視察は
…著しく教育という事に対して興味を増し教育が一国の消長に如何に重大なる関係を有するかを、従来より一層痛切に感じるようになった。…
そして、あれほど頭から離れなかった宗教と政治は、急速に色あせていった。
…宗教は既往の事を考えてみると偉大なものだが、今後は自身の身を投じて働くほどの値打ちのあるものではない、宗教はもはや過去に属するもので、…また政治もつらつら考えてみればなるほど一時的には随分人の注目を惹くような事も出来るが、、既往の歴史を通覧してみると政治家の仕事は短きは二、三十年長きも四、五十年か百年も経てば、多くはその形跡も消滅してしまうことが多い。
確かに、世の中が悪くなると、そのたびに立派な政治家がでてきて改革を施行した。徳川吉宗の享保の改革しかり、松平定信の寛政の改革しかり、水野忠邦の天保の改革しかりである。しかし、彼らがいなくなると、また元の木阿弥。世の中は、いっそう悪くなる始末である。宗教もまた同じ、世の中がおかしくなると、何度でも宗教家と称する輩が現れでる。つまるところ、宗教も政治も、即効薬にしかならないということである。人間が、いつの時代でも、幸せに生きることができるにはどうしたらよいのか。
教育者への目覚め
教育者として生きる決心 治五郎三十歳、欧州視察で、にわかに教育に目覚める。
 …しかるに教育は全ての事の基である。教育上人間のなした事は容易に磨滅しない。ただ普通の人間にそれだけ認められないだけで、深い意味において華やかなものである。
つづく
関連記事 柔道「技あり」廃止案 読売新聞1月4日2008年
「1本・有効」2段階に 日本「賛成できない」
 国際柔道連盟(IJF)が、技の判定基準の見直しを検討していることが、3日明らかになった。北京五輪後にも、4段階ある基準を2段階に整理したい意向で、国際試合の柔道用語から「技あり」や「効果」が消えるかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本サイドには先月、IJF幹部からルール改正の意向が伝えられた。全日本柔道関係者は「柔道の本質を変えるものなら賛成できない」と慎重に対応する構えでなぜ『技あり』が「一本」と違うのかなど柔道理念を理解してもらうことが先決」と反論したという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 関係者は「日本がしっかり理論武装して議論していくしかない」と危機感を募らせている。
―――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95
2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇草稿・習作
KINCHOU
    草稿・キンチョウ 
―サムライの約束―
土壌館編集室
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・大和大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・大和大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 浩・・・・・ヒロシ。カメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者 プノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉編 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉編 一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉編 一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈再びの密林〉編 一「戦慄の旅」二「ヤマ族集落」三「再びの宣戦布告」
第五章〈密林逃避行〉編 一「タイ国境を目指して」二「待ち伏せ」三「医者」
第六章〈さらばサムライ〉編 一「矢は尽きて」二「裏切り」三「父親として」
第七章〈さらばサムライ〉編一「カオ遺跡」二「荒城の月」三「虹の彼方に」
これまでのあらすじ
 ベトナム戦争が激しさを増す1970年3月、インドシナにある独裁社会主義国家カンボジアで政変が起きた。国家元首シアヌーク殿下を追放して政権を握ったのは親米派の軍人ロン・ノル将軍だった。断絶していたアメリカとの国交回復は、ゲリラ活動を激しくさせた。この国のゲリラ、クメールルージュはサルというフランス帰りの指導者を得て力をつけた。サル(後のポルポト)は、若者を冷酷非情なゲリラに訓練した。彼らは赤い悪魔と呼ばれて恐れられた。彼らは、少数民族の若者を徴集した。山岳民族ヤマ族の集落にも彼らはきた。が、ヤマ族は拒んでゲリラを殺害した。赤い悪魔の怒りをかったヤマ族は、タイに逃げるしかなかった。が、彼らの前に広がるのは大海のようなカルダモンの大密林。彼らは10年前、この密林を越えてきた日本の探検隊にガイドを頼むことにした。ヤマ族の集落に滞在していた大学の探検隊は、帰るとき、困ったことが起きたら必ずくる、と約束していったのだ。サムライの約束キンチョウを結んで。リミットは雨季が明けるまでの三ヶ月。乾季になれば、赤い悪魔の兵士たちは、大挙して山を登ってくる。そうなればヤマ族は、全員、虐殺される。プノンペン大学の学生ソクヘンは一族の命運を担って東京へ。5名の探検隊は、皆社会人になっていた。大学に残っていた副長中島は皆を集める。日米の航空疑惑を追っていたフリーカメラマンのヒロシは偶然ソクヘンを知ったことで、カンボジアへの同行を希望する。雨季明けまで十日。元探検隊一行がプノンペンで目にしたのは、戒厳令下の都だった。危険な国、危険な旅。5名は迷う。が、中島はゲリラが仕掛けた日本橋爆破と共に散った。市街戦のなか探検隊は、舟で逃れる。メコンを遡上する舟。5名は、帰れない旅にでた。ゲリラ徴集を拒んだ村々。虐殺の村々を抜けてたどり着いた山岳民族ヤマ族の集落。探検隊を待っていたのは、ゲリラとの和解組に賛成した村人だった。しかし、赤い悪魔に妥協はなかった。一度叛旗をみせたものには死あるのみ。交渉に行った和解組は、無残にも殺された。様子を観に行った高木と一ノ瀬は、ゲリラ二人を殺害する羽目になった。もはや有余なかった。ヤマ族は、全員タイ国境を目指して出発した。密林の道なき道を行くヤマ族。見せしめのため皆殺しの命令を受けたゲリラ、赤い悪魔は雨期明けを待たず後を追った。思ってもみなかった事態に巻き込まれたガイドの元探検隊。はたして彼らはタイ国境を越えることができるのか。赤い悪魔の斥候がすぐ後ろに迫っていた。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95――――――――12 ―――――――――――――――――
第五章 密林逃避行
二、待ち伏せ
 前回あらすじ:密林大移動のヤマ族に赤い悪魔の斥候5人が迫っていた。高木は待ち伏せを進言する。「先手必勝だ。待ち伏せてやろうぜ」
高木は言ってから、自然にそんな言葉が口をついてでる自分に驚いた。
 待ち伏せて人間を殺す。そのことに妙に興奮した。もう遠い昔に思えるが、昨日、ふもとで蹴り倒したときの感触が忘れられなかった。蹴り上げた右足つま先が靴を履いていたのに、まだ軽い痛みがある。あごは完全に砕けたはずだ。ニューヨークのときは、夢中でよくわからなかったが、昨日は、事態がはっきり把握できた。昨日の経験者ということで一ノ瀬とソクヘン。それに若者二人トクとジャイ・ワン5名で待ち伏せすることにした。
 五人は崖道まで引き返すと、ここを待ち伏せの場所に決めた。崖下は岩場と潅木の生い茂った繁みで足場が悪く、一列に進まなければ、抜けられなかった。
「どうやる」
高木は、声を押し殺して言った。人殺しの作戦をたてることに軽い興奮を覚えていた。
 一ノ瀬は、先の茂みを指差し、まるで何かの競技の場所決めでもするかのように
「おれは、あそこで後ろから狙う。高とソクヘンたちは、この辺でいいだろ」
と、言った。
「イチ、おまえ一人でダイジョウブか」
「その方がいい」
「どうする」
「おれが最初に射る。5人といったな、何人やれるかわからんが、先のやつが気がついて、振り返ったら襲ってくれ」
「わかった。そこの岩場がいい」高木は、頷いてソクヘンたち三人に隠れるよう指示すると、茂みの中を歩き出した一ノ瀬の背中に言った。
「グッドラック」
 一ノ瀬は、ちらっと振り返ると、ちらっと笑みを浮かべて頷いた。めったに笑ったことのない一ノ瀬の笑顔に、高木は、不気味さと親しさを感じた。
 奴と、こんなに息が合うとは・・・。高木は、前方がよく見える岩場の茂みに隠れると一ノ瀬の背中を見送りながら不思議に思った。学生時代、同じアジア探検部で何度も寝食を共にしたが、友人関係になったことはなかった。卒業してからはなお更である。それが、この待ち伏せ作戦で気心が知れた。そんなふうに思えた。人殺しを楽しむ、そんな趣味がおれたちにあったのか、高木は、緊張をほぐすように無理に苦笑した。
 ものすごい雷とともに激しく雨が降り出した。時間がどれほど経ったかわからなかった。もしかして、奴らは引き返したのか。そう思ったとき向こうの崖道の繁みが大きく揺れた。不意に黒いシャツ姿の男たちが現れた。昨日、倒した二人の服装だった。ベトコンと同じように黒いシャツと黒いズボン。違うのは首に白黒の縞のスカーフを巻いているところだ。赤い悪魔というよりカラスの殺し屋。そんなイメージだった。五人いた。岩場で一列になって進むしかない獣道を草木をかきわけ黙々と歩いてくる。密林を歩き慣れた足取りだ。5人のゲリラは、一ノ瀬が潜んでいる岩場を過ぎた。先頭の男が、立ち止まって岩場を指差して何事か大声で話している。
「ここを通った、と言ってます」ソクヘンが小声で知らせた。おそらく、さきほどヤマ族の集団が通ったとき岩肌の苔がはがれたのだろう。五人は、再び進みだした。そのとき、不意に一ノ瀬が現れて彼らの背後から弓を引き絞った。五人のゲリラはしだいに近づいてくる。草木を打つ激しい雨音。が、話し声の大きさは、すぐそこに聞こえた。高まる緊張のなかで高木は、一ノ瀬が矢を射るのか待った。が、一ノ瀬は、なかなか射らない。ゲリラたちは、どんどん近づいてくる。
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95
 六メートル、五メートル・・・・どうした、なぜ射らない。張り詰めたなかで高木は、苛立った。何してるんだ。瞬間、一の矢は放たれた。矢は吸い込まれるように最後尾のゲリラ兵の背中に突き刺さった。一瞬、ゲリラは立ち止まった。それから振り返えろうとしたまま、前のめりに倒れた。激しい雨で前を行く四人は気がつかない。二の矢が、二人目の背中に命中した。が、運悪く倒れたゲリラのカラシニコフが木に当たり跳ね返った。前を行くゲリラが、異変に気づき振り返ろうとした。が、次の瞬間、つづいて放たれた三の矢が首に突き刺さった。若いゲリラ兵は、苦痛で浅黒い顔を歪め引き金を引きながら倒れた。
 突然の銃声に先頭の二人は、反射的に脇の繁みに飛び込んだ。よく訓練された動作だった。次の瞬間、ゲリラ二人は、俊敏に立ち上がって一ノ瀬に狙いをつけた。間一髪、背後にヤマ族の若者が、二人同時に襲いかかった。が、ゲリラは獣のような素早さで銃尻を反転させた。銃尻は、シャイ・ワンの顔面に当たった。血が吹き飛んだ。シャイ・ワンは悲鳴をあげて倒れた。その上に、ソクヘンとトクに山刀で首根っこをたたき斬られたゲリラが転がった。投げ出された銃が、暴発した。一瞬のことだった。先頭のゲリラは瞬間うろたえて、もつれあって倒れている三人に視線を向けた。刹那、高木は、岩陰から弾丸のように飛び出すと体当たりした。若いゲリラは吹っ飛んで転がった。間髪をいれず高木は、細首に膝頭を叩きつけた。バリッという頚骨の折れる鈍い音した。即死だったが、反射的に正拳を顔面に打ち込んでいた。ゲリラはピクリとも動かない。
 高木は、飛び起きると、周囲をみた。シャイ・ワンのうめき声をあげソクヘンとトクが介抱している。向こうから一ノ瀬が近づいてくるところだった。五人のゲリラは、全員死んだらしい。一瞬にして五人もの人間を殺害した。それも一人は、板割りのように膝頭を思い切り叩き込んだ。そのことに気分が高揚した。
「矢の方は即死か」
「そうだな」一ノ瀬は、ゲリラから奪った三丁のカラシニコフ銃と銃弾を下ろすと倒れて呻いているシャイ・ワンを見て聞いた。「ひどいのか」
「四人いなかったら危なかった」高木は、答えた。「素早いよ、やつら機敏だ」
「傷は?」
「わかりません、顔と右肩をやられました。顔は銃の後ろで殴られたんですが、肩は」
ソクヘンは、言った。まだ緊張しているのか唇が震えていた。「もしかして暴発した弾が」
「うん、見ていた。そうかもしれん。でも彼が飛び掛らなかったらおれは撃たれていた」
一ノ瀬は神妙な顔で言った。
「それじゃあ、傷の手当しなくちゃあ。医者はいる。早くみせよう」
 四人は、木の枝で作った担架にシャイを乗せ、ヤマ族の後を追った。
 
三 医師の目覚め
 
 彼らはすぐにヤマ族たちに追いついた。ジョイ・ワンの呻きは増した。両親と三人の兄弟が集まって、ひたすら柳沢に手を合わす。
「タマが入ってる、みたいだ」
柳沢は、診察すると言った。
「どうするんだ」西崎隊長が聞いた。
「取り出すしかない。このままじゃあ腐って死ぬ」
「おまえできるのか」
「冗談か、先週まで病院にいたんだ」柳沢は、むっとした顔で言って命令した。「おい、湯を沸かさせてくれ」
「やっと出番が回ってきたな、センセイ」
「火をたくのか、まずいな」
「雨がやんだ。もやがでる。その間なら大丈夫だ」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95――――――――14 ―――――――――――――――――
長老の言葉どおり、雷雨がやんだ密林にもやがたちはじめた。火がたかれ、鍋に湯が沸騰した。柳沢、医療箱からメスを出し、鍋に。肩にめり込んでいる弾を取り出す。
柳沢は、汗だくになって傷口をたこ糸で縫う。夕方、暗くなる。柳沢、自分がはじめて人の役に立ったような気持ちになる。
「きてよかった」
柳沢が医師とは何か、それを自覚したのは、医学部でも大学病院でもなかった。皮肉なこと
に遠くはなれたこのジャングルにきてはじめて悟ったのだ。
四、最後の矢
「この先に、とっくり谷があるはずだ」
西崎は地図を片手に、空を仰ぐ。が、繁れるつたや樹木の葉が、ほとんど空を隠していた。磁石がなければ右も左も進めなかった。しかし、、ほどなく繁みを抜け出すと岩場についた。少しのぼると、まるで人間がつくったような二つの岸壁に囲まれた岩場になった。とっくり谷は、出口がせまくとっくりの口を連想させたからだ。岸壁をよじのぼり狭い入り口を岩づたいに出ると、目の前にふたたび絨毯を敷き詰めたような密林がひろがる。銃声がして、岸壁をのぼる村人が転げ落ちていった。銃声は密林に吸い込まれながらもつぎつぎと鳴り響いた。全員がのぼりきるまでに三人が犠牲となった。女子供がいるヤマト族、赤い悪魔たちは、労せず追いついた。見下ろすと、はるか下方の岩場を黒服の赤い悪魔たちが、ヤモリのようにはりついて、まるでアリンコのようにのぼってくる。
「おい、矢をみんなおいて行け」
一ノ瀬が不意に立ち止まってヤマ族の男に言った。
 男は、キョトンとした顔で一ノ瀬を見た。が、すぐに意味を解した。男は、頷きながらも、自分の胸をたたいた。
「どうするんだ」西崎隊長が聞いた。
「ここで足止めさせてやる。だから先に行け」
「地の利がいい」一ノ瀬は言った。「崖を上って、このとっくり口からは一人二人しか出られん。かっこうの標的になる」
「そうか、じゃあちょっとでも本体を、すすませる」
「行け、俺にかまうな」
一ノ瀬は、無表情で言うと、次の矢を定めた。
「一緒に帰ろう、帰るんだ」
「俺は帰らん」
「奥さんが待っているだろ」
「うん、あの世でな」
「なんだつて!?」
「殺してきた。日本を出る夜」
「殺した!?」
「もう、行け。ここは引き受けた」
一ノ瀬は、そう言って矢を放った。矢は、音もなく吸い込まれるように曲がり角に姿をあらわしたゲリラの胸に突き刺さった。赤いゲリラ兵は、絶叫して深い谷底に落ちていった。
「ここで、もう少し奴らの足を止める。その間に、できる限り遠くに逃げろ」
「しかし・・・」
「心配するなって、奴らの足が止まったら、後を追うから」
「そうか、無理するな」
一刻の猶予もなかった。西崎隊長は、前進する他なかった。
「出発、出発」大声で一行をせきたてた。
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95
ヤマ族の一行は、西崎と高木を先頭に岩場の多い道なき道を登って行った。乳のみ子を抱えるもの、老人を背負うもの。子供たちは、いたって元気だった。が、その速度は相変わらずカメのように遅かった。峠を越せば、また平坦な山地となる。それまで一ノ瀬が持ちこたえてくれたら。一分でも二分でも時間が欲しかった。
一ノ瀬は岩場の繁みの中に潜んで、登ってくる赤い悪魔のゲリラたちを待った。奴らが姿を現す場所は一ヶ所しかなかった。大きな岩と巨石が崩れ落ちた場所。そこが唯一崖下から登って来れる道なき道だった。ヤマ族の一行が通った後である。かなり砂地の崖はゆるんで
いた。、のぼりすらくなっている。よじ登りきった瞬間、放たれた矢は、ゲリラの胸を正確に射った。一ノ瀬は、人間的を射ることに快感を覚えていた。また一人、また一人とゲリラは一の瀬の標的になった。
ゲリラたちは戦法を変えた。朽木の幹を盾にして上がってきた。一ノ瀬は、次々と矢を射ったが、仕留めることはできなかった。あがりきったゲリラたちは、次々と繁みの海の中にとびこんでいった。一の瀬は、頓着せず、なおも上がってくるゲリラの盾のわずかな隙間を狙って射ていた。が、不意に弦が切れた。焦りをヤマト族の若者は、狂ったように乱射した。が、を放ったの放つ矢、次々、兵士を射る。事態がわかった赤い悪魔たちは、緑の海の中にもぐったまま息を殺した。
 高木は、何度も振り返った。とおくに迎撃に残ったヤマ族の若者が走ってくるのが見えた。二人いる。
「どうした、あとの連中は」
「まだ、戦ってます。残り五人とわかったから全員片づけるって」
「無理するなといったのに・・・」
不安が過ぎった。
「よし、ここで待とう」高木は西崎隊長に言った。
「ソクヘン、とめてくれ、小休憩だ」
「チャボンティー」
ソクヘンは大声で叫んだ。
皆一斉に足を止め、その場に座り込んだ。
「しかし、なぜ奴らは、的確に追ってくるのだ」
高木は、朽木の上に腰を下ろすと、ヤマ族の男たちの顔をながめながら思いめぐらせた。
「誰かが、目印をつけているのでは」西崎は首をひねる。「そうとしか思えん」
「案内する者がいるというのか」
「そうかもしれん」
「なぜ、なぜ内通するんだ」
「わからん」
「ソクヘン、そんなことあるのか」
「いません、いるはずがありません。やつらの恐ろしさ、みんな知っています」
「長老に聞いてくれ」
 ソクヘンは渋々、タオのところに行って何事かささやいていた。タオは、思い当たる節があるのか、顔を曇らせて、岩場の陰に甥のシナタを呼んだ。なんだろう。皆の視線が岩場に集まった。言い争う話し声のあと、突然、タオの怒鳴り声と物音。
「助けてくれ、」シナタが血相を変えて、岩場の穴から飛び出してきた。
 シナタは、皆の前にくるとばったり倒れた。シナタの背中にタオの山刀が突き刺さっていた。タオがよろけながらいわばから出てくると、すでに息絶えているシナタを見下ろした。
「犯人は、こいつだった。ルビーを盗んで逃げようとしたのだ」 
タオは、はき捨てるようにつぶやくと白髪の頭を深々と下げてわびた。「すまない」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95――――――――16 ―――――――――――――――――
 シナタはルビーを盗んだあとの逃げ道として、目印をつけてきたらしい。それが赤い悪魔たちの案内となっていたのだ。
「とうとう最後まで、性根は治らなかった。治せなかった」
タオは、肩をおとしてつぶやくとシナタの上に折り重なるように倒れた。皆の悲鳴。
「タオ様!」
村人たちは、一斉に駆け寄った。
 柳沢が割って入り脈をとった。そのあとまぶたを閉じた。あっけない最期だった。
「死んだ」
柳沢は、告げてたちあがった。
 突然に、一族の要を失って皆は、泣くことも悲しむことも忘れてへたりこんだ。
「じっとしてはいられないぞ。族長に言え」
泰造は、ソクヘンの耳元にささやいた。
 ソクヘンは大きく頷いて呆然とたたずむボトに伝えた。ボトは夢遊病者のように頷くと、それでものろのろと皆に支持を与えた。長老亡き後は、ボトがこの一族の要となる他はなかった。タオのようなカリスマ性はないが、ボトは誠実さで皆から信頼されていた。
「おい、ソクヘン二人の遺体を隠せ」
  柳沢、首を振る。二人の死体を繁みに隠し、通ったこん跡を消しながらの前進。ようやく追撃の気配が去ったかのように思えた。が、一難去って、また一難か。
 突如はるか頭上でエンジンの音。うっそうと繁る大木の葉々の間に銀色の機体が見えた。
「飛行機、アメリカの戦闘機だ」高木が叫んだ。
 こんなに低く飛んでいる飛行機を見たことのない村人たちは、皆口をあんぐりあけて眺めていた。高木の胸に不安がよぎった。西崎隊長も同じだった。二人は同時にどなった。
「隠れろ!隠れろ!」
バリバリと幹や繁みに弾丸の雨が降り注いできた。前の方に爆発音がして火柱があがった。ロケット弾を撃ち込んだのだ。思いもしない絨毯爆撃に、一行は逃げるのも忘れて凍りついた。
「どうして、どうしてなんだ」
ヒロシは、完全に混乱していた。米軍に爆撃されることが理解できなかった。
「バカヤロー、ベトコンの輸送隊と勘違いしてるんだ」
高木が怒鳴って草むらにとびこんだ。
「伏せろ! 伏せろ! 」岩かげで泰造が叫んでいる。
 佑介は、一瞬われに返って、その場に伏せた。とたん皆、一斉にクモの子が散るように四散し、ものかげに姿を隠した。一人、二歳くらいの女の子が残された。ぽかんとした顔で立っていた。近くに母親らしき女性が息絶えていた。次の瞬間、誰かが飛び出していって子ど
もを抱えると岩陰に飛び込んだ。高木だった。静まり返った密林に米軍機は、執拗に取っては返し取っては返して一掃機銃を繰り返した。これでもか、これでもかといわんばかりの乱射。持っている弾薬を全て使い切る気だ。密林は爆風と煙で夜のように暗くなった。一行はなすすべがなかった。これが空襲か。ヒロシは、大人たちから聞いた東京大空襲の話を思い出しながら失禁していた。
 長い瞬間だった。燃料切れか弾倉が空になったか。戦闘機は、不意にキーンという突ん裂く爆音を残して一気に空高く上昇していった。晴れ渡った青空に、一筋の白い線を描いてどこかに飛び去った。嵐が去った後、村人の三人が逃げ遅れて死んでいた。一人は若い母親で近くで赤ん坊がショックのあまり、泣くことも忘れて座っていた。そばで夫が、茫然と立ち尽くしていた。
「柳沢は、どうした」
「あれ、そのへんにいたろ」
三人は不安にかられて探した。
―――――――――――――――――――― 17 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95
 岩陰に彼の背中を見つけた。動かなかった。
「おい、ヤナギ!」
西崎が背中を押すと、ゆっく倒れた。なかにニホンがうずくまっていた。
「バカやろう!なんだってこんなところで死んじゃうんだ」
西崎は、泣きながら怒鳴った。
 ユンも悲しみをこらえてニホンを抱きしめた。本当に父親はいなくなった。が、悲しみにひたってはいられなかった。遺体の上に、山ほど木の枝をのせ、動物たちから守ると悲しみ
の場を後にした。
「中島助教授につづいて一ノ瀬、それから柳沢まで死んじゃうなんて」
「せんせい、せっかく医者になりかけたのにな」 
第七章 カオ・プレアの戦い
          一
激しい雷雨の中を一行は黙々と進んだ。この激しい雨が足跡を消してくれることを祈った。赤い悪魔たちは雨がやめばすぐに追跡を開始するに違いない。的確に足跡を探して、蛇のように音もなく近づいてくるのだ。一行ができることは、天が味方していてくれている間、少しでも距離をのばすこと。それが目下のタイ国境を越えたとしても、執念深く、追ってくるかも知れなかった。それだけに、奴らからできるだけ遠くに離れたかった。岩場の多い上り坂となった。道なき道だが、見覚えがあった。
「おう、この峠を越せば、タイ国境まで近いぞ」
西崎は、十年前を思い出したのか、ふりかえって大声で叫んだ。
「ほんとですか」
ソクヘンがきいた。
「帰り、苦しかったからな、体が覚えてる」
「じゃあ近いんですね」ソクヘンは、念を押すように言ってから見下ろして彼らの言葉で叫んだ。「おーい、もうすぐだぞーもうすぐだぞー」
岩場を、のろのろと登ってくる一団から歓声があがった。動きが速くなった。
「高木、覚えてないか」
「うん、思い出した」高木は、流れる汗を拭って仰ぎ見てつぶやいた。「たしか上に、この山の上に遺跡があった」
「タイから、くるときは十日かかったが、帰りは半分だった。脱出して五日目だから計算が合う」「と、するとここが最後の難関か。ここを越えれば逃げれるぞ。おれらの勝ちだ」
「やつたー」
佑介は、思わず万歳した。
「そう願いたいね」
 高木は言って眼下にひろがる緑のじゅうたんを不安げにながめた。
 はたして、逃げ切れるだろうか。この緑の絨毯の下を、猟犬のように赤い悪魔たちは迫っている。あまりにも静かな密林に不安は重くひろがるばかりだった。
「いまさら心配してもはじまらん。とにかくのぼりきるぞ」
西崎は、岩場の道なき道をのぼりはじめた。
「おい、この道、尾瀬を思い出すだろ。大清水からのぼった」
「そうだな、あそこに似てるな」
「ハイキングに行ったんですか」ヒロシは、聞いた。
「訓練だよ」
「でも、楽しかったな」
「のんきですね」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95――――――――18 ―――――――――――――――――
はるかな尾瀬 野の小道
突然、高木が歌いだした。
「へんですよ。こんなところでそんな歌、よく歌えますね」
ヒロシには理解できなかった。
 着いた早々に中島教一郎を失い、つぎに一ノ瀬を、そして柳沢も・・・。もう三人も死んでしまったのだ。想像もしていなかったことだ。現実として受け止めたくなかった。それなのに高木は、まるで何事もなかったような顔で鼻歌を歌っている。ヒロシがだまりこんだので高木はハミングを止めて、しっかりした口調で言った。
「へんなもんか、まだ終わっていないんだ。おれたちの約束、キンチョウは。それまではメソメソしてはいられん」
「はい・・・」
ヒロシは頷いた。なんとなくわかるような気がした。
自分も口ずさんだ。
水芭蕉の花が 咲いている 夢みて咲いている 
なぜかわからないが涙がでてきた。ヒロシは、汗をぬぐうふりしてぬぐうと、ちらっと高木を見た。高木は、顔じゅうを汗と涙でぬらしたまま、歌っていた。のんきそうに言っていたが、仲間を失って何十倍も悲しいのは彼なのだ。ヒロシは、自分の幼さを恥じた。エリート商社マンということで、何か冷たい印象があった。はじめてあったときのことが思い出された。いきなり蹴りを入れた痛みと、「そんな約束など守れるか」の怒鳴り声がなつかしくよみがえった。いつも冷静で親しみをもてなかった。が、いまはじめて目にする人間的な側面に思わず胸が詰まった。みんないい人だ、勇気ある立派な男たちだ。亡くなった三人のことが頭に浮かんだ。何か事務的な感じがした中島助教授、気難しそうな一ノ瀬、ただ好色だけにみえた柳沢医師。だが三人ともすばらしい人間だった。日本にいたら絶対わからなかった。むしろ嫌いなタイプだった。が、いまは彼らに死なれたことが悲しく残念だった。生きていて欲しかった。彼らと行動を共にできたことを誇りに思った。苔むした岩の山肌を雨水が滝となって流れていた。
登りきると、いきなり平地になり、大きな水たまりがあった。その向こうに遺跡らしき巨石の建築物がゴロゴロしていた。その昔、大地震にあって壊滅した都市を思わせた。大木や茂みがなかったらペルーの空中都市、マチュピチを彷彿させた。だが、ここはジャングルに囲まれた密林都市。自然の猛威に破壊されつくされていた。が、何十トンもの巨石が大樹の根に持ち上げられていた。
「どうだ、密林の空中遺跡さ」
「おーすげえ」
ヒロシは、疲れを忘れて叫んだ。残り少ないフイルムだったが、思わず撮りまくった。
「驚いたな、十年前と、そう変っちゃあいない」
高木は、かって知ったる家のように、つるで覆われた石の階段を上って行った。長いヘビがあわてて逃げていった。
 西崎と高木は、ここに来るのはこれで三回目となる。タイから入ったときと、ふたたびタイに戻って行った帰路のときだ。
「いや、木がのびた。もっと見晴らしがよかった」
「そうだな。まっすぐだったな」
二人は、大木に押し倒されそうになっているなつかしそうに石柱を仰いだ。
 遺跡の前の大きな池は豪雨によって水があふれ、水路は他にあるのに一ヶ所、低くなっているところから滝のように流れ落ちていた。のぼってくるとき、山道がまるで谷川のように
―――――――――――――――――――― 19 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95
困難だったのは、ここが原因だった。この池とも沼ともつかぬ大きな水溜りは、その昔、遺跡の住人が水遊びのために作った大きなプールのようにも思えた。それとも神なる湖トンレサップを、この山頂に再現しようとしたのか。登山もどきの行軍にヤマ族の男も女もへたりこんで休んでいた。山岳民族とはいえ、山歩きになれていない彼らは、もう限界に近かった。誰も彼もが疲れきって、子どもたちはぐったりして黙り込んでいた。赤ん坊も泣く気力さえ失せていた。
「まずいな」
西崎は心配になった。のぼりの途中、振り返ってみた。雲が割れ一時的に日差しが射した瞬間だった。遠くの密林のなかにキラリと光るものを見た。奴らは、的確にあとをつけている。一瞬だが多勢のように思えた。国境が近くなり、焦っている。こんど単発攻撃ではなく、全員で総攻撃かけてくるはず。そんな気がした。
「あそこからどのくらいでくる」
「奴らの足なら・・・夕方までか」
日本の山と密林では比較にはならないが、ダムつくりで山を歩き回った泰造の勘は、遅くても後、数時間後とみた。
「早いな」高木は、力なくつぶやいた。もう、どう戦っていのかわからなかった。
「いや、明るいうちは襲ってこないんじゃないか」
「どうして」
「これまでかなり犠牲はらってるからな」
「じゃあ、今晩あたりか」
「総攻撃かけてくるかも知れん。いや、かけてくるだろう。おれならそうする。奴らだって、もうこのへんでかたをつけたいはずだ」
「そうだな」
「ここで食い止めるか。守るにはいい場所だ」
西崎は、腕組みをしたまま立ち尽くした。いろんな思いが頭のなかをかけめぐった。中島の死、一ノ瀬と柳沢の死。こんなに犠牲を払うとは考えてもみなかった。が、まだ終わりではない。ここを最後の戦いにして、奴らを退散させるか、あきらめさせなければ。
「どうする」高木は言った。「地の利を生かしたいな」
「戦国時代になかったか。山城を攻めて、反対にやられた話」
「ないな、難攻不落の城を落とすのは、いくつもあるが、守った話はない」高木は、思わず苦笑していった。「第一、あがってくるやつをチョボチョボやってても、きりがないだろう。大部隊がきていれば、こっちがもたない。敵の大半をやっつけるくらいでないと、連中あきらめんぞ」
「いちどきに、やらないと、な」西崎は、つぶやいて考え込む。
「いちどきか・・・・どうやって、いちどきに」
「おびき寄せればいいんだ」
「おびき寄せる・・・どうやって?」高木は、ふたたび眉をひそめる。
「ここで、泊まっているようにみせる」泰造は、言った。「おとりさ」
「どうやってわからせる、それを」
「いまから、煙をだしておけばわかるだろう。敵としては、われわれが逃げきったと思って油断している。そんなふうにとるんじゃあないか」
「うん、そう思ったとしても、奴らを全員が上がってこなければ・・・」
「こんどこそ、われわれを皆殺しにしょうと思って全員で襲ってくる。そうとるしかない。賭けだが、これより他あるか」
つづく
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.95――――――――20 ―――――――――――――――――
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