文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.2

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(平成31年)4月16日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.2

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

4・16下原ゼミ

4・9「2019年 読書と創作の旅」ガイダンス参加、11名

社会観察 「性差別の横行 東大も例外ではない」2019年4月13日 朝日新聞

毎年、何かと注目される東京大学の入学式だが、今年2019年4月12日午前日本武道館で行われた入学式は、祝辞が話題になっている。祝辞を述べたのは同大名誉教授で社会学者の上野千鶴子氏(70)どんな話だったのか。下記は、朝日新聞が抜粋した話題の内容。
・「社会にはあからさまな性差別が横行している。東大も残念ながら、例外ではない」
・「世の中には、頑張っても報われない人や頑張ろうにも頑張れない人がいる。恵まれた環境と能力を、自分が勝ち抜くためだけに使わず、恵まれない人々を助けるために使ってほしい」などを新入生に訴えた。(※今年の新入生男子2558人 女子567人)

この祝辞を直接聴いた新入生の感想はどうかは知らないが、市井では多くの共感を得ら
れた。とくに40代、50代の熟年女性から熱く受け入れられているという。この賛辞に対し、性差別横行は百年もまえから言われている。祝辞には「なんの、解決策もない」陳腐だ。こんな意見もテレビニュースでみた。昨今、学識や勉学をテレビで見世物化する東大生が多くなった。折角の才能もクイズの回答のためでは情けない。
全人類一人一人の幸福。ドストエフスキーは、壮大な目標を打ち立て、目標実現への作品を試みた。『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』がそれだ。最後に、『カラマーゾフの兄弟』を残して逝った。目標達成はあるのか。しかし、いつも、阻むのは人間だ。平和を望みながら戦争を。友愛の声をあげながら差別、いじめ、虐待。そして紛争。人間の悪は、とどまるところをしらない。宗教も哲学も科学も解決策にはならなかった。はたして人類救済策はあるのか。「人間とは何か。私は、その謎を解きたい」ドストエフスキーは17歳のとき、兄への手紙にそう書いて、この謎解決に取り組んだ。編集室

4・9ゼミ報告 ゼミガイダンス11名参加

・ゼミ紹介
・ドストエフスキー『貧しき人々』衝撃デビューについて
・何のために書くのか第一回芥川賞のこと。無名新人は、なぜ太宰治に勝てたのか。
・石川達三『蒼氓』の材料「雨の移民収容所」を読む
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2019年度下原ゼミⅢの皆さん

 4・9、下原ゼミⅢは11名の見学者あり。15日の締め切りまでには6名の登録者があった。次の皆さんです。「2019年度、読書と創作の旅」楽しい旅になりそうです。

・西村 美穂(にしむら みほ)75A098-1

 書くこと、そして自分の考えを人に説明することによって「障害と文学」というテーマを深め、私の考えを読むことで誰かが「私も(僕も)登場人物にそういう人を加えてみようかな?と思えるようなものを作りたいです。ゼミ誌編集可。

・吉田 飛鳥(よしだ あすか)75A030-1

 ドストエフスキー(『罪と罰』)をもっと知りたいと思った。他にも新しい出会いを期待します。詩人・吉野弘(19)に感銘を受けた。意見交換して様々な考えに触れたい。

・中谷 璃稀(なかたに りき)75A073-7

 書く、発表するという方針に心打たれた。海外・国内文学を読み技術力を向上させたい。書きたいことを書くのが信念です。

・佐俣 光彩(さまた みさ)75A034-8

 これまで大人数のゼミで、なかなか自分の色彩をだせなかった。が、少人数ならより明るい自分の光と色彩をだせそうな気がする。

・東風 杏奈(こち あんな)75A097-0

 まだ、自分の目指すものがきまっていない。自由の雰囲気のなかで、出会いを期待します。

・山本 美空(やまもと みく)75A061-1

 元気がとりえです。

□6人の旅人。まとまりやすい人数です。仲良く、楽しく有意義な旅をしましょう!

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ゼミ誌について 皆さんで力を合わせて創りましょう。編集委員、自薦・他薦

ちなみに2018年の下原ゼミのゼミ誌は『自主創造』でした。

ゼミ合宿について 1.実施の有無 2.場所(2か所のうち) 3.日程

議論 テーマ「性差別」東大にもあるという女性差別、日芸でも感じるのか。

提出レポート 「なんでもない一日」「いま書きたいこと」

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読むことの習慣化  読書の選択について

 読書を習慣化するためには、とにかく本を読むことである。が、ただ読めばよい、というものではない。どんな書物をどんなふうに読めばよいのか、人それぞれ勝手ではあるが、何事もスタートを大切にしたい。前号に記したが、ここは先人に学んでみよう。
このゼミでは、読書の選択として毎年、嘉納治五郎の「青年修養訓」を紹介している。
 ※嘉納治五郎(1860-1938)とは何か。NHK大河ドラマ「いだてん」にアジア初のオリンピック委員として登場しているが、主な功績は5つある。
1.柔道による人間教育。2.日本の学校教育の充実。3.留学生の受け入れ。4.IOC委員としてオリンピック・ムーブメントを推進。5.日本の体育スポーツの充実。(筑波大学)

第15 精読と多読
 
    『嘉納治五郎著作集 教育篇』(五月書房)
 精神の健全な発達を遂げようとするには、これに相当の栄養を与えなければならぬのであるが、その栄養を精神に与えるのは読書である。人は誰でも精神の健全な発達を望まないものはないにもかかわらず、実際その栄養法たる読書を好まない者も少なくないのは甚だ怪訝に堪えぬ。かくの如きは、その人にとっても国家にとっても実に歎(タン)ずべき事である。読書の習慣は学生にあっては成功の段階となり、実務に従事しいるものにあっては競争場裡の劣敗者たるを免れしむる保障となるものである。看よ、古来名を青史に留めたるところの文武の偉人は多くは読書を好み、それぞれの愛読書を有しておったのである。試みにその二、三の例をあげてみれば、徳川家康は常に東鑑(吾妻鏡)等を愛読し、頼山陽は史記を友とし、近くは伊藤博文は繁劇な公務の間にいても読書を廃さなかった。またカーライル(イギリスの歴史家・評論家)は一年に一回ホーマー(ホメロス)を読み、シルレルはークスピーアーを読んだ。ナポレオンは常にゲーテの詩集を手にし、ウエリントン(イギリスの将軍・政治家)はバットラーの著書(『万人の道』「生活と習慣」など)やアダムスミスの国富論に目を曝しておったということである。なすことあらんとする青年が、学生時代において読書を怠らないようにし、これを確乎とした一の習慣として、中年老年まで続けるようにするということの必要なるは多言を俟(ま)たないのである。

と、このように読書の必要性を説く。が、どんな本を読むかは、このように述べている。

 読書はこのように必要であるけれども、もしその読む書物が適当でないか、その読書の方法がよろしきを得なければ、ただに益を受けることが出来ないのみならず、かえって害を受けるのである。吾人の読む書物のどんなものであるべきかに関しては、ここにはただ一言を述べて余は他の章に譲っておこう。すべて新刊書ならば先輩識者が認めて価値が
あるというものを選ぶか、または古人のいったように世に出てから一年も立たないようなものは、必要がない以上はこれを後廻しとするがよい。また、昔より名著として世人に尊重せられているものは、その中から若干を選んで常にこれを繙(ひもと)き見るようにするがよいのである。

 どんな本を読んだらよいか。本によっては栄養になるどころか害になるという。嘉納治五郎が言うのは、先輩識者が認めた価値のあるもの。つまり世に名作といわれている本である。他は、現在、たとえどんなに評判がよくても、百万冊のベストセラーであっても後回しにせよということである。そうして古典になっているものは、常に手にしていなさいと教えている。本のよしあし、作家のよしあしは時間という評者が選んでくれる。
 さて、このようにして読む本を選んだら、次にどのようにして読むか。いらぬ節介ではあるが、全身教育者である嘉納治五郎は、その方法をも懇切丁寧に述べている。
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 次に方法の点に移れば、読書の方法は、とりもなおさず精読多読などの事を意味するのである。精読とは読んで字の如くくわしく丁寧に読むこと、多読とは多く広く読むのをいうのである。真正に完全の読書をするには、この二つが備わらなければならぬ。

 つまり書物は偏らず、多くの書を読め、ということである。そうして読むからには、飛ばし飛ばし読むものには耳が痛いが、決していい加減にではなく、丁寧に読むべし、ということである。いずれももっともなことではあるが、人間、こうして指導されないと、なかなか読むに至らない。次に、折角の読書に陥りがたい短所があることを指摘し、注意している。

 世に鵜呑みの知識というものがある。これは教師なり書物なりから得た知識をば、別に思考もせず会得もしないで、そのまま精神中に取込んだものをいうのである。かようなものがどうしてその人の真の知識となって役に立つであろうか。総じて知識が真の知識となるについては、まず第一にそれが十分に理解されておらねばならぬ。次にはそれが固く記憶されておらねばならぬ。

 鵜呑みの知識。よく読書のスピードを自慢する人がいるが、いくら早く読んでも、理解していなければ、ただ知っている、ということだけになる。

理解のされていない知識は他に自在に応用される事が出来ないし、固く記憶されていない知識は何時でも役に立つというわけにはいかない。したがってこれらの知識は、あるもないも同じ事である。かような理由であるから、何人たりとも真の知識を有しようと思うならば、それを十分咀嚼(そしゃく)消化して理解会得し、また十分確固明白に記憶しおくようにせねばならぬ。

 そのためには・・・・・

 さてこの理解記憶を全くしようとするにはどうしたらよいかというには、他に道は無い。その知識を受け入れる時に用意を密にする。すなわち書物をば精しく読まねばならぬのである。幾度か幾度か繰返し読んで主要点をたしかに捉えると同時に、詳細の事項をも落とさず隅々まで精確に理解をし、かつ記憶を固くするのである。こうして得た知識こそは真の栄養を精神に与え、また始めて吾人に満足を与える事が出来るのである。試みに想像してみれば分かる。何らかの書物をば百遍も精読し、その極その中に書いてある事は十分会得していて、どんな場合にも応用が出来、その知識は真のわが知識になって、わが血液に変じ筋肉と化しておったならば、その心持はどのようであろうか。真に程子(テイシ兄弟)のいったように、手の舞い足の踏むところを知らないであろう。書物の与える満足には種々あろうが、これらはその中の主なるものであって、また最も高尚なものである。

 書物を理解するには、繰り返し読むことが重要。精読まずは精読である。さすれば応用ができ真の知識となる、と説いている。また、この精読するということについても、こう語っている。

 かつまた一冊の書物の上に全力を傾注するという事は、吾人の精神修養の上から観ても大切である。何となれば人間が社会に立っているからには、大かり小なりの一事をば必ず成し遂げるという習慣がきわめて必要であるが、書物を精読し了するというのは、ちょうどこの一事を成し遂げるという事に当たるからである。今日でこそやや薄らいだようであるが、維新前におけるわが国士人の中には、四書(儒教の経典)の中の一部もしくは数部をば精読し熟読し、その極はほとんどこれを暗誦して常住座臥その行動を律する規矩(きく・コンパス)としておったものが多いのである。伊藤仁斎(江戸初期の朱子学儒者)は18,9歳の頃『延平問答』という書物を手に入れて反復熟読した結果、紙が破れるまでにな
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ったが、その精読から得た知識が大いに修養の助けとなり、他日大成の基をなしたという事である。また荻生徂徠は、13年のわびしい田舎住居の間、単に一部の大学諺解(ゲンカイ口語による漢文解釈)のみを友としておったという事である。程子は「余は17,8より論語を読み当時すでに文義(文章の意味)を暁りしが、これを読むこといよいよ久しうしてただ意味の深長なるを覚ゆ」と言っている。古昔の人がいかに精読に重きをおいたかは、これら2,3の事例に徴するも分明である。学問教育が多岐に渉る結果として、遺憾な事にはこのような美風も今日ではさほど行われないようである。

 ひとつのものを徹底して読む。この美風、すなわち習慣は、現代においては、ますます為
されていない。が、学生は、すすんで挑戦しようという気まがえがなくてはならぬ。と、いっている。

 しかし現に学生生活を送り近い未来において独立すべき青年らには、各率先してこの美風を伝播しようと今より覚悟し実行するように切望せねばならぬ。
 読書ということは、このような効能の点からいっても満足の点からいっても、また精神修養の点からいってもまことによいものであるが、しかしまた不利益な点を有せぬでもない。すなわち精読は常に多くの時間を要するということと、したがって多くの書物が読めないようになるから自然その人の限界が狭隘(キョウヤク)になるを免れないということである。例えていえば、文字において一作家の文章のみを精読しておったならば、その作家については精通しようが思想の豊富修辞の巧妙がそれで十分に学べるということは出来ない。どんなに優秀な作家とても、その長所を有すると同時に多少の欠点を有するものであるから、一作家の文章が万有を網羅し天地を籠蓋(ロウガイ)するというわけにはいかぬ。そこで精読によって益を受けるにしても、またその不備な点が判明したならば、これを他の作家の作物によって学び習うという必要が起きる。すなわち他の作物にたよるということは、多読をするという事に帰するのである。
 
 どんなにすぐれた書でも、それだけを読んでいたら視野がせまくなる。

 またこの外の人文学科、たとえば歴史修身等においても、もしくは物理化学等の自然学科においても、一の著者の記述説明に熟すると同時に、他の著者はそれをどんなに記述し説明しているかを参照してみる必要がある。このように参照してみることは知識を確実にする上にきわめて多大の効能があるから、決して煩雑無用のことではない。精読はもとより希うべきであるが、また一面には事情の許す限り多読をして、その限界を狭隘にせぬようにするがよい。精読でもって基礎を作り、多読でもってこれを豊富にするは学問の要訣(ヨウケツ)であってこのようにして得られた知識こそ真に有用なものとなるのである。
 さらに精読と多読との仕方の関係を具体的に述べてみれば、、まず精読する書物の中にある一つの事項に対して付箋または朱黄を施し、かくてその個所が他の参照用として多く渉猟(読みあさる)する書中にはどんなに記述説明されているかを付記するのである。換言すれば精読書を中心として綱領として、多読所をことごとくこれに関連付随させるのである。また学問の進歩の程度についていうならば、初歩の間は精読を主とし相当に進んだ後に多読を心掛くべきである。けれどもどんな場合においても精読が主であって多読が副である。そうしてこの両者のうちいずれにも偏してはならないことは無論であるが、もしいずれに偏するがよいかといえば、精読に変する方がむしろ弊害が少ないのである。精読に伴わない多読は、これは支離散漫なる知識の収得法であって、濫読妄毒となるに至ってその幣が極まるのである。
 また鼠噛の学問といって、あれやこれやの本を少しずつ読むのでいずれをも読みとおさずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛(ソコウ)の学問といって、あれや
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これやの本を少しずつ読むのでいずれも読み通さずに放擲するなどは、学に志すものの固く避くべきことである。世に聡明の資質を抱きながらなすこと無くして終わるものの中には、この鼠噛の陋(ロウ)に陥ったものも多いのである。実に慎み謹んで遠ざくべき悪癖である。

以上、嘉納治五郎が説く読書の必要性を紹介した。どんな本を読めばいいのか。どんなふうに読めばよいのか。人それぞれの性癖もある。それに、世に古典といわれる良書は山ほどある。となると読書も簡単ではない。が、文学の手本なら志賀直哉である。
(編集室)
テキスト観察 志賀直哉「玄人素人」をみる。

観察したことを正確に書く。天敵の狩り。

カエルの天敵は蛇だが、蛇の天敵はマングースといわれている。この話はほんとうか。志賀直哉は、その映像を観た。

マングースとコブラ

志賀直哉

義弟がアメリカから持ち帰った16ミリ映画にマングースとコプラの戦いを撮ったものがある。戦いというよりもマングースのコプラ狩と云った方がいいようなものだ。面白いフィルムで、私は二度見て、よく覚えているが、マングースを見て、コプラが急に鎌首をあげる。一間(約1.82㍍)程のコプラで、例の杓子(しゃくし)のような顔を一尺5寸(一尺=30.3㎝、1寸=3.03㎝)程――マングースとの比較でそう思うのだが、――の高さにあげ、尾の先を細かく震わして、口を少し開け、対手を見下ろしている。これに対し、マングースの方も鬚(ひげ)の生えた小さな口を開け、それを蛇へ近づけ、挑むような様子をして見せる。少時(しばらく)、睨み合っていたが、蛇はちょうど、人間が球を投げる時の腕のような動作で、マングースに襲いかかった。マングースは蛇の動作に合わせ、軽く身を退いた。ヘビの首は空しく地面へ倒れた。蛇は再び、それを鎌首に還す。マングースは又、口を開け、それに望む様子をする。蛇が又それにかかる。マングースも軽く身を退いた。それも決して必要以上には退かず、ちょうど蛇の頭の届かぬ程度に退き、蛇が首をあげるのを待って、隙(す)かさず、又近づいて行く。何遍か、これを繰り返すうちに蛇はだんだんに疲れ、動作が鈍くなってきた。マングースは、それを待っていたのだ。そして仕舞に、見ていて、「今度はやるぞ」と分かるくらい、呼吸を計り、不意にコプラの頭に噛みついた。頭を噛みつかれたコプラは非常な速さで、マングースの身体に巻きついた。蛇は、口の上から噛みつかれているのだ。マングースは蛇がすっかり身体を巻いたところで、そのまま――頭をくわえたまま、――自分で前へでんぐりがえしをうった。幾重にも巻かれていたマングースの身体はきれいに、それから脱(ぬ)けた。蛇は起き上がったマングースの身体を再び巻いた。マングースは、すっかり巻かれるのを待って、又でんぐりがえしをうって、それを解いてしまう。写真には2度それが映っていたが、、その次にはもう死んだコブラの頭をくわえ、引きずって行くところが映って、終りになっていた。
いかにもマングースは蛇狩りの玄人で、蛇の習性をよく知っていて、少しも無駄をせず、かけるだけの手間をかけて、仕舞には殺してしまう。「今度はやるぞ」とはっきり分かるくらい、気合いをかけて喰いつくところなど、武道の試合を見るようで、面白かった。兎に角、マングースは蛇捕りにかけては練達の専門家だと思った。

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テキスト講座 1.     ナポレオン生誕250周年に寄せて

-ドストエフスキー『罪と罰』を読む―

〈はじめに〉今年は、ナポレオン生誕250周年ということで、ナポレオンに関して様々なイベントや催しがあるかと思います。この講座も、その一環で行います。
 しかし、ナポレオンとドストエフスキー。このふたりにどんな関係があるのか。方や世界の歴史では名高いナポレオン。方や、ロシアの文豪ドストエフスキー。作家なら、同じロシアの文豪トルストイの方がナポレオンとの比較にはぴったりする。そう思うところです。トルストイの『戦争と平和』は、そっくりそのままナポレオンとの戦争を描いた作品。
 しかし、すでにドストエフスキーの『罪と罰』を読まれた方なら、ナポレオンとドストエフスキーの関連に「ああ、そうか」と頷ける。まだ読んでいなくてこれから一緒に読んでいく皆さんも、読みはじめればすぐにその疑問は解ける。
ナポレオンとドストエフスキー。このふたりが歴史年表に名を連ねることが一度あります。1821年という年です。52歳でした。この年の5月5日、ナポレオンは、囚われていたセント・ヘレナ島で死にます。半年後の10月30日、モスクワの病院でドストエフスキーは生れます。二人は1821年という同じ年に生死を分けたのです。直接的な関係性は、この年だけです。が、この講座タイトル「ナポレオンになりたかった青年」というように、作品にナポレオンの名前が何度もでてきます。英雄になりたい青年として。
もっとも、直接的に関係なくても「ドストエフスキーと何々」、たとえば「アインシュタインとドストエフスキー」「ドストエフスキーとニーチェ」「ドとマルクス」など「ドストエフスキーと何々」は、枚挙にいとまがない。そのどれも比較文学論として成立している。ときにはこじつけもあるが、しっかり論じることができている。
例えば、接点など、どこにもないと思われる筆者の「嘉納治五郎とドストエフスキー」でさえ理解する読者はいたのだ。この比較論、HPにアップして久しいが、ほとんどというよりまったく関心持たれなかった。ドストエフスキーはロシアの文豪としてひろく知られているが、嘉納治五郎については、最近まで知る人ぞ知る人だったせいもある。今年のNHKの大河ドラマ「いだてん」に登場したことで。柔道の創始者、アジア初のオリンピック委員と漸く知られるようになったが、二人の関連に目を向ける読者はいなかった。筆者は、柔道をはじめて50年、ドストエフスキーを読み始めて50年たつが、どちらの場においても、その関連について問われたことがない。両者の比較は、たんにこじつけにすぎないのか。
無謀な比較論と思われた、この比較論だったが、注目されることがあった。3年前の9月の、ある朝だった。我が家に一本の電話があった。でると「シモハラセンセイノオタクデスカ」との外国人なまりの言葉。いま流行りの特殊詐欺か、と思ったが、次の言葉に驚いた。「ワタクシ、カノウジゴロウト、ドストエフスキーヨミマシタ、カンドウシマシタ」と云ったのだ。その人はアメリカ大使館に勤務する柔道家(武官?)だった。両者の関係性を理解できる人がいたのである。私は、そのことに感激して、相手の話をよく聴かず電話を切った。
作品の中にある見えざるもの、書かざるものを照射する。日大芸術学部で文芸批評を講じる清水正教授の評眼も、教授独自の評論手法、創造・想像批評で、これまで多くの作家や作品を俎上してドストエフスキーとの関連性を追究してきた。宮沢賢治童話からはじまり現代小説、映画、漫画、アニメとその対象作品は幅広い。志賀直哉の文学も俎上に乗せた。
人類の諸問題と格闘するドストエフスキー文学と家庭内の確執に拘泥する志賀文学。その作品世界においてあまりにも次元が違い過ぎる。が、逆もまた真なり。両者に通じるものを感じさせる。このようにドと何々は、あげればきりなくある。次号へ
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テキスト研究1 熊谷元一生誕110周年記念に寄せて

☆第1回毎日写真賞受賞『一年生』―ある小学教師の記録―』

2000年7/29-9/17、東京の江戸東京博物館で開催された「近くて懐かしい昭和展」は、昭和をなつかしむ大勢の人たちでにぎわった。美空ひばり、力道山、長島茂雄。戦後の昭和を飾った著名な人たちの記録や映像が人気を博していた。そのなかにあって、ひときわ入場者の関心を引いた写真展があった。昭和28年(1953年)写真家・教師だった熊谷元一が、教え子の一年生を一年間、撮影した写真だった。
この一年生が50歳になったとき、88歳になった熊谷は、50歳になった一年生を撮るために全国行脚した。その様子をNHKはドキュメンタリー番組「教え子たちの歳月」として1996年(平成8年)11月24日「にっぽん点描」で放映し多くの人に感動を与えた。

・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・・

一緒にドストエフスキーを読みませんか

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年4月20日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 場 : 午後1時30分 
開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  :『カラマーゾフの兄弟』三回目
米川正夫訳『ドスト全集12巻(河出書房新社)』 他訳可
報告者  : 報告者・江原あき子さん & 司会進行・熊谷暢芳さん

月 日 : 2017年6月15日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 場 : 午後1時30分 
開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』四回目
報告者 : 菅原純子さん

※ 連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

NHKカルチャー柏教室 2019.7-12 AM10:30~
「ナポレオンになりたかった青年の物語」講師・下原敏彦
イラクの独裁者フセイン元大統領は、なぜ『罪と罰』を持っていたか。隠れ家の穴倉にあったのか。その謎に迫る。
     

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