文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信 No.96

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)1月21日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.96
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2007後期10/1 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10  1/7 1/21 
  
2007年、読書と創作の旅
1・21下原ゼミ
1月 21日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室3
 1.「2007年、読書と創作の旅」
   ・07年ゼミ感想  ・冬休み感想  ・2008年の目標   
 2.名作紹介・授業観察『最後の授業』
 3.紙芝居(「赤ゴリラ」編)Or家族観察『にんじん』・店内観察『殺し屋』
     
 
さようなら「2007年、読書と創作の旅」
 ありがとう!お元気で!健闘を祈る。
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さらば!時空体験五人衆
 1689年(元禄2年)9月6日、この日、一人の俳人の旅が終わった。松尾芭蕉(46歳)この年の春、住み慣れた江戸隅田川畔の芭蕉庵を人に譲り背水の陣で奥羽・北陸地方に旅立ったのは3月もおしつまった27日のことであった。旅の動機は「予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂白の思ひやまず」としているが、真意は文学の奥義を極めるのが目的だった。旅日数150日、旅程6百里に及んだ旅。数々の名句を詠み、不朽の名作となった紀行文を残したことで、目的は見事、達成された。しかし、最後の句は「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と侘しい。いつの世も、旅は惜別。サヨナラだけが人生さ、である。
 2001年、「人間の謎」を知るため宇宙に旅立った宇宙船デスカバリー号の旅は、どうなったのか。「人間とは何か」「我々はどこから来て、どこに行くのか」謎解きの目的は達成できただろうか。ボーマン船長がたどり着いた先は、地球から2万光年離れた宇宙。そこで産声をあげる自分の姿だった。それを認めたとき、ボーマン船長は、存在宇宙に別れを告げた。あらゆる感情は、流れ去り目の前にあるのは人々をいっぱいのせた地球やその他の星々。ボーマンは、人間を全宇宙を見守り観察する存在となった。彼もまた目的を果たした。
 「2007年、読書と創作の旅」はどうだったろう。旅の終わりは、いつのときにも安堵と寂寥感がある。同行者五人の、この旅も、ついに今日が終着地となった。そして五名の同行者との別れの日である。この旅の目的は、読むこと、書くことの習慣化を身につけることだった。果たして達成されただろうか?旅日誌を繰れば、ゼミ誌『CoCo☆電』を見ればその成果を知ることができる。いまの君は、一年前の君か?それぞれ胸に答えはある。
 ともあれ、全員無事の生還を喜び讃えたい。そして、新たな門出を祝いたい。さらば、時空体験五人衆。いつか会える日を楽しみに所沢に在る。体に気をつけて。(土壌館)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.96 ―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
2007年、旅日誌報告
「2007年、読書と創作の旅」旅程は、以下の通りでした。
 
□4月16日、「2007年、読書と創作の旅」説明会 参加者20余名。
 嘉納治五郎の「精読と多読」(青年修養訓)、日本国憲法「前文」、教育基本法、第9条
□4月23日、参加者4名、司会・高橋、①自己紹介、②ゼミ誌編集委員決め。
□5月7日、参加者全員、司会・疋田、①愛読書紹介2名、②テキスト『網走まで』解説、 
      ③名作読みサローヤン『空中ブランコに乗った大胆な青年』の朗読。
□5月14日、参加者4名、司会・山根、①四谷大塚の中学入試問題『ひがんさの山』実施、
      ②朗読・下原の『ひがんさの山』、③愛読書紹介1名。
□5月21日、はしかのため学校閉鎖。
□5月28日、はしかのため学校閉鎖。
□6月4日、参加者全員、司会・茂木、①ゼミ合宿担当委員決め、②愛読書紹介1名、
      ③テキスト読み『菜の花と小娘』『網走まで』、④名作ランボー詩編2編吟唱。
□6月11日、参加者2名、①ゼミ合宿申請書類作成、②写真集『なつかしの一年生』(河出
      書房)、武富健治の漫画『鈴木先生』(平成19年度文化庁メディア芸術祭マン
      ガ部門優秀賞受賞)の読みと感想。
□6月18日、参加者全員、司会・高橋、①ゼミ雑誌編集会議、②ゼミ合宿申請報告、③提
      出現行の発表『車内観察』4名、『一日を記憶する』4名、『車外作品』1名。
□6月25日、4名参加、司会・金野、①ゼミ誌作成会議、②漱石『三四郎』読みと比較。
      ③名作吟唱・『ヴェルレーヌ詩集』(堀口大学訳)、④『網走まで』感想。
□7月2日、参加者全員、司会・山根、①ゼミ合宿についての報告、②提出原稿の発表「今
      が幸せならば」「子泣き爺」、③テキスト草稿の読みと比較、④ビデオ鑑賞。
□7月9日、参加者全員、司会・疋田、①ゼミ合宿について、②ゼミ誌作成会議、③提出
      原稿発表「終電と造花」、④テキスト『出来事』朗読、⑤紙芝居稽古。
□7月23日、参加者全員、司会・茂木、①ゼミ合宿について、②提出原稿発表「終電車内
      の誘惑」「男はつらいよ」、③新聞・人生相談「私なら…」、④紙芝居稽古。
□8月4日、参加者全員、軽井沢ゼミ合宿「『貧しき人々』マラソン朗読」、司会・金野、
      午後3時半スタート、午後6時~夜10時まで夕食、懇親会、10時から再び。
□8月5日、午前3時ゴール。午後1時軽井沢駅にて「時空体験ツアー」解散。
□10月1日、参加者4名、①ゼミ合宿感想、②手紙文学『谷間の百合』など紹介、③それ
      ぞれの夏休み感想報告、④ゼミ誌作成についての話し合い(題名など)
□10月15日、参加者4名、①ゼミ誌作成会議(題名、形式など決まる)、②復刻版・岩波
      写真文庫『一年生』鑑賞・感想、③名作読み・家族観察『にんじん』朗読。
□10月22日、参加者全員、司会・高橋、①ゼミ誌作成状況報告、②テキスト『正義派』朗
       読・感想、③名作・ヴェルレーヌ「秋の歌」「沈む日」吟唱。
□10月29日、参加者3名、①ゼミ誌作成最終段階報告、②ビデオ鑑賞(土壌館協力)・N
       HKアーカイブス「教え子たちの歳月」、日本テレビ「おんぼろ道場再建」
□11月12日、参加者4名、①ゼミ誌作成、②テキスト『児を盗む話』黙読、③名作O・ヘ
       ンリー短編・車中観察もの、④『罪と罰』と『児を盗む話』について。
□11月19日、参加者4名、司会・疋田=①ゼミ誌作成報告、②最近の事件記事関連で「ド
       ストエフスキーとギャンブル」読み、③名作ルポ『生きている兵隊』読み。
□11月26日、参加者4名、司会・金野=①授業評価アンケート実施、②紙芝居稽古。
□12月3日、参加者3名、司会・高橋=①ゼミ誌『CoCo☆電』評、②テキスト『灰色の月』
      朗読、③12月10日ジョイント授業の紙芝居公演・配役スタッフ決め。
□12月10日、文芸学科&デザイン学科ジョイント授業で紙芝居「少年王者」公演。
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2007年、読書と創作の旅
1・21ゼミ
1.さようなら「2007年、読書と創作の旅」
・2007年の旅感想(まだの人) →
・冬休みの過ごし方(まだの人) →
・2008年の抱負(まだの人)→
     2.名作紹介・授業観察『最後の授業』
 
 今日は、文字通り最後の授業になります。昨年、4月23日スタートしたときは、心もとない気持もありましたが、すぐに個性豊かな面々が1人2人と増え、最終的には5名の旅となりました。賑やかで楽しい、家族のような絆をもてた思い出に残る旅でした。ありがとうございました。
 ということで、最後の授業は、授業観察の名作ドーテーの『最後の授業』を読んで、「2007年、読書と創作の旅」を締めくくりたいと思います。
 アルフォンス・ドーデー(1840-1897)は、南フランスの古都ニームに生まれた。若いとき兄がいるパリにきて詩集『恋する女たち』、短編集『風車小屋だより』、自伝小説『プチ・ショーズ』によって作家となった。普仏戦争(1870)が始まると国民兵を志願した。ここで紹介する短編『最後の授業』は、そのときの体験と想像をまじえて創作したもの。フランスは負けてアルザス地方を割譲されるが、作者の憤怒と嘆き愛国心が投影され名作となった。 このときの戦争を「歴史新聞」(日本文芸社)は、下記のように大々的に報じている。
ナポレオン三世プロイセンに降伏
フランス再び共和制に 敗北知ってパリ市民が暴動
【パリ=1870年9月4日】
「皇帝、プロイセンに降伏」の報が届いたパリで、四日、帝政廃止を求める暴動が起きた。市民の圧力で第二帝政は崩壊、臨時政府による第三共和制がスタートした。しかしプロイセン軍はパリに向かって進軍を続けており、フランスの混乱はさらに広まっていくと予想される。ドイツ統一はプロイセンの首相オットー・フォン・ビスマルクの悲願である。1866年の対オーストリア戦の勝利で、ビスマルクの夢はほぼ達成された。残るのはフランスとの国境地帯(アルザス、ロレーヌ)の併合だ。一方フランスの皇帝ナポレオン三世にとって、ルクセンブルグ買収を妨害するプロイセンとは、いずれは雌雄を決しなければならない。
 それぞれの領土拡張の思惑がぶつかりあって、両国は1870年7月14日、戦端を開いた。しかし、勝負はあっけなかった。兵力、兵器の性能、実戦経験、いずれの面でもまさっているプロイセンの敵ではなかった。短期間のうちに敗戦をつづけたナポレオン三世は、9月2日、セダン城で降伏した。
※ この戦争の後、和平条約でフランスは、アルザス、ロレーヌ地方をプロイセンに割譲した。が、これに怒ったパリ市民は、武器をとてって蜂起した。
パリ・コミューン成立(1871・3・28)
政府軍ヴェルサイユに逃亡 民衆による「直接民主制開始へ」
授業観察 この作品は、アルフォス・ドーデー(1840-1897)が1873年に出した短編集『月曜物語』のなかの一編。パリの新聞に掲載(1871-1873)されたなかの一つです。敗戦国の悲哀と愛国心を描いた名作です。普段は退屈で嫌いな授業でも、もし最後となれば、もっと真面目にやればよかった。そんな悔いがわきあがるに違いない。
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1月21日ゼミ・名作読書のススメ
 「2007年、読書と創作の旅」この旅も本日か゛最後です。というわけで、最後の読書のススメは、正真正銘のドーテーの『最後の授業』を紹介します。
 
     最後の授業 ~アルザスの一少年の物語~
      A・ドーデー(桜田佐訳)
 その朝は学校へ行くのがたいへんおそくなったし、それにアメル先生が分詞法の質問をすると言われたのに、私は丸っきり覚えていなかったので、しかられるのが恐ろしかった。一時は、学校を休んで、どこでもいいから駆けまわろうかしら、とも考えた。
 空はよく晴れて暖かかった!
 森の端でつぐみが鳴いている。りベールの原っぱでは、木挽き工場の後でプロシア兵が調練しているのが聞こえる。どれも分詞法の規則よりは心を引きつける。けれどやっと誘惑に打ち勝って、大急ぎで学校へ走って行った。
 役場の前を通った時、金網を張った小さな掲示板の傍に、大勢の人が立ちどまっていた。二年前から、敗戦とか徴発とか司令部の命令というようないやな知らせはみんなここからやってきたのだ。私は歩きながら考えた。
「今度は何が起こったんだろう?」
 そして、小走りに広場を横ぎろうとすると、そこで、内弟子と一緒に掲示を読んでいたかじ屋のワシュテルが、大声で私に言った。
「おい、坊主、そんなに急ぐなよ、どうせ学校には遅れっこないんだから!」
 かじ屋のやつ、私をからかっているんだと思ったので、私は息をはずませてアメル先生の小さな庭の中へ入っていった。
 ふだんは、授業の始まりは大騒ぎで、机を開けたり閉めたり、日課をよく覚えようと耳をふさいでみんな一緒に大声で繰り返したり、先生が大きな定規で机をたたいて、
「も少し静かに!」と叫ぶのが、往来まで聞こえていたものだった。
 私は気づかれずに席につくために、この騒ぎを当てにしていた。しかし、あいにくその日は、何もかもひっそりとして、まるで日曜の朝のようだった。友だちはめいめいの席に並んでいて、アメル先生が、恐ろしい鉄の定規を抱えて行ったり来たりしているのが開いた窓越しに見える。戸を開けて、この静まり返ったまっただなかへ入らなければならない。どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしく思ったことか!
 ところが、大違い。アメル先生は怒らずに私を見て、ごく優しく、こう言った。
「早く席へ着いて、フランツ。君がいないでも始めるところだった。」
 私は腰掛をまたいで、すぐに私の席に着いた。ようやくその時になって、少し恐ろしさがおさまると、私は先生が、督学官の来る日か賞品授与式の日でなければ着ない、立派な、緑色のフロックコートを着て、細かくひだの付いた幅広のネクタイをつけ、刺しゅうをした黒い絹の縁なし帽をかぶっているのに気がついた。それに、教室全体に、何か異様なおごそかさがあった。いちばん驚かされたのは、教室の奥のふだんは空いている席に、村の人たちが、私たちのように黙って腰をおろしていることだった。三角帽を持ったオゼールじいさん、村の村長、元の郵便配達夫、なお、その他、大勢の人たち。そして、この人たちはみんな悲しそうだった。オゼールじいさんは、縁のいたんだ古い初等読本を持って来ていて、ひざの上
にひろげ、大きなめがねを、開いたページの上に置いていた。
※分詞法=動詞が変形し、形容詞の機能を持つもの。インド・ヨーロッパ語族の諸国語に見られ、英語では現在分詞、過去分詞の二つがある。(『広辞苑』)
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 私がこんなことにびっくりしている間に、アメル先生は教壇に上がり、私を迎えたと同じ
優しい重味のある声で、私たちに話した。
「みなさん、私が授業するのはこれが最後(おしまい)です。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました・・・・新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後のおけいこです。どうかよく注意してください。」
 この言葉は私の気を転倒させた。ああ、ひどい人たちだ。役場に掲示してあったのはこれだったのだ。
 フランス語の最後の授業!・・・・・
 それだのに私はやっと書けるぐらい!ではもう習うことはできないのだろうか!このままでいなければならないのか!むだに過ごした時間、鳥の巣を探しまわったり、ザール川で氷滑りをするために学校をずるけたことを、今となってはどんなにうらめしく思っただろう!さっきまであんなに邪魔で荷厄介に思われた本、文法書や聖書などが、今では別れることのつらい、昔なじみのように思われた。アメル先生にしても同様であった。じきに行ってしまう、もう会うこともあるまい、と考えると、罰を受けたことも、定規で打たれたことも、忘れてしまった。
 きのどくな人!
 彼はこの最後の授業のために晴着を着たのだ。そして、私はなぜこのむらの老人たちが教室のすみに来てすわっていたかが今分かった。どうやらこの学校にあまりたびたび来なかったことを悔やんでいるらしい。また、それは先生に対して、四十年間よく尽くしてくれたことを感謝し、去り行く祖国に対して敬意を表するためでもあった・・・・
 こうして私が感慨にふけっている時、私の名前が呼ばれた。私の暗しょうの番だった。このむずかしい分詞法の規則を大きな声ではっきりと、一つも間違えずに、すっかり言うことができるなら、どんなことでもしただろう。しかし最初からまごついてしまって、立ったまま、悲しい気持で、頭もあげられず、腰掛の間で身体をゆすぶっていた。アメル先生の言葉が聞こえた。
「フランツ、私は君をしかりません。充分罰せられたはずです・・・そんなふうにね。私たちは毎日考えます。なーに、暇は充分ある。明日勉強しょうつて。そしてそのあげくどうなったかお分かりでしょう・・・・ああ!いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸でした。今あのドイツ人たちにこう言われても仕方がありません。どうしたんだ、君たちはフランス人だと言いはっていた。それなのに自分の言葉を話すことも書くこともできないのか!・・・この点で、フランツ、君がいちばん悪いというわけではない。私たちはみんな大いに非難されなければならないのです。」
「君たちの両親は、君たちが教育を受けることをあまり望まなかった。わずかなお金でもよけい得るように、畑や紡績工場に働きに出すほうを望んだ。私自身にしたところで、何か非難されることはないだろうか?勉強するかわりに、君たちに、たびたび花園に水をやらせはしなかったか?私があゆを釣りに行きたかった時、君たちに休みを与えることをちゅうちょしたろうか?・・・・」
 それから、アメル先生は、フランス語について、つぎからつぎへと話を始めた。フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならないことを話した。それから先生は文法の本を取り上げて、今日のけいこのところを読んだ。あまりよく分かるのでびっくりした。先生が言ったことは私には非常にやさしく思われた。私がこれほどよく聞いたことは一度だってなかったし、先生がこれほど辛抱強く説明したこともなかったと思う。行ってしまう前に、きのどくな先生は、知っているだけのことを
すっかり教えて、一どきに私たちの頭の中に入れようとしている、とも思われた。
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 日課が終わると、習字に移った。この日のために、アメル先生は新しいお手本を用意して
おかれた。それには、みごとな丸い書体で、「フランス、アルザス、フランス、アルザス。」と書いてあった。小さな旗が、机のくぎにかかって、教室じゅうにひるがえっているようだった。みんなどんなに一生懸命だったろう!それになんというし静けさ!ただ紙の上をペンのきしるのが聞こえるばかりだ。途中で一度こがね虫が入ってきたが、だれも気をとられない。小さな子どもまでが、一心に棒を引いていた。まるでそれもフランス語であるかのように、まじめに、心をこめて・・・学校の屋根の上では、はとが静かに鳴いていた。私はその声を聞いて、
「今にはとまでドイツ語で鳴かなければならないのじゃないかしら?」と思った。
 ときどきページから目をあげると、アメル先生が教壇にじっとすわって、周囲のものを見つめている。まるで小さな校舎を全部目の中に納めようとしているようだ・・・無理もない!四十年来この同じ場所に、庭を前にして、少しも変わらない彼の教室にいたのだった。ただ、腰掛と机が、使われているあいだに、こすられ、みがかれただけだ。庭のくるみの木が大きくなり彼の手植えのウブロンが、今は窓の葉飾りになって、屋根まで伸びている。かわいそうに、こういうすべての物と別れるということは、彼にとってはどんなに悲しいことであったろう。そして、荷造りしている妹が二階を行来する足音を聞くのは、どんなに苦しかったろう!明日はでかけなくてはならないのだ、永遠にこの土地を去らなければならないのだ。
 それでも彼は勇を鼓して、最後まで授業を続けた。習字の次は歴史の勉強だった。それから、小さな生徒たちがみんな一緒にバブビボビュを歌った。うしろの、教室の奥では、オゼール老人がめがねを掛け、初等読本を両手で持って、彼らと一緒に文字を拾い読みしていた。彼も一生懸命なのが分かった。彼の声は感激に震えていた。それを聞くとあまりこっけいで痛ましくて、私たちはみんな、笑いたくなり、泣きたくもなった。ほんとうに、この最後の授業のことは忘れられない・・・
 とつぜん教会の時計が12時を打ち、続いてアンジェリスの鐘が鳴った。と同時に、調練から帰るプロシャ兵のラッパが私たちのいる窓の下で鳴り響いた・・・アメル先生は青い顔をして教壇に立ち上がった。これほど先生が大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と彼は言った。「みなさん、私は・・・私は・・・」
 しかし何かが彼の息を詰まらせた。彼は言葉を終わることができなかった。
 そこで彼は黒板の方へ向きなおると、白墨を一つ手にとって、ありったけの力でしっかりと、できるだけ大きな字で書いた。
「フランスばんざい!」
 そうして、頭を壁に押し当てたまま、そこを動かなかった。そして、手で合図した。
「もうおしまいだ・・・お帰り。」
余談        ドーデーとシーボルト、そして日本
 アルフォンス・ドーデー(Alphonse Daudet 1840-1897)この作家を知らなくても、シーボルトの名は、たいていの日本人は知っている。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授。1828年帰国、59年再来航、62年に帰国。日本の医学、開国に大いに貢献したドイツ人。著書に『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』などがある。(1796-1866)
 1866年の春、ドーデーはシーボルトと知り合った。作家の言葉を借りれば「私たちはすぐに大の仲良しとなった」。場所は、パリ、テュイルリー宮。シーボルト大佐は、ナポレオン三世に不思議国ジャポン開拓の国際的協会創立計画の嘆願に訪れていた。若い作家は、著名な冒険家の話を喜んで聞いた。気に入ってシーボルトは、日本の悲劇「盲目の皇帝」の校閲を頼んだ。が、ドイツに戦争が起きて頓挫。若い作家は、あきらめずにミュンヘンに追った。「・・・そりゃあ君すばらしいぜ」大佐はその晩ばかに元気だった。が、翌朝、自宅に行くと彼は亡くなっていた。72歳だった。「盲目の皇帝」は題だけで終わった。
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2007年、読書と創作の旅・旅記録
1・7ゼミ報告
1月7日(月)は、以下の出席でした。(敬称略・順不同)
参加者 : 疋田祥子  山根裕作  高橋享平  
『江古田文学66』を配布。ドキュメント時空体験ツアー掲載
司会・山根裕作  
1. 「2007年、読書と創作の旅」について
・07年ゼミ感想 → はしか騒ぎなどありで「あっというまだった」、「早かった一年間」
           大学2年生という位置は、学校にも学生生活にも慣れた。卒業は
          まだ遠い、ということで、だらだら過ごす人が多いと思いますが、短
          かったという印象は、何事にも真剣に取り組んだからだとうれしく思
          いました。
・ゼミ誌感想 → 欲をいえば、レイアウトで、こうすればという個所はあるが、全体的に
         は満足いくものができた。編集がだいぶわかった。こんど本を作るのが
         楽しみ、など。前向きな感想が多かった。
・冬休み感想 → 寝てすごした、テレビゲーム、親戚の子の子守り、旅行。
・2008年の抱負 → ①本をつくる、②創作、③応募する、④睡眠時間を決めるなど
2.『江古田文学66』 → 8月4~5日軽井沢ゼミ合宿のドキュメント掲載。
3.2007年の旅を振り返って
 上記のゼミ感想にあったように、2007年の旅は、あっというまだった。物理的には、はしか騒ぎで2回休講になったのも原因の一端といえるが、全体的に5名という理想的人数だったためスムーズにいったというのも要因の一つか。が、やはり第一の理由はゼミ員一人ひとりが真面目に、熱心に取り組んだことにある。出席率、課題原稿の提出率がそれを立証している。これまでも、これからも学生時代の思い出は尽きないでしよう。2007年のこの旅と仲間が、その思いでの一つとして人生の糧となってくれれば幸いです。
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餞にかえて
最後の名作読みは、新たな旅立ちの餞としてタゴールのこの言葉を贈ります。
322
わたしは苦しみ、絶望し、そして死を知った。そしてわたしはこの偉大な世界にいることをよろこぶ。
『タゴール詩選2』宮本正清訳「迷える小鳥322」アポロン社 1967年6月発行
※ラビーンドラナート・タゴール(1861-1941)インド・ベンガル語詩人。11歳ころから詩を発表、15歳のとき兄たちと雑誌を編集。詩集『ブラバート・サンギュート』、つづいて『ブラクリティル・ブラティショード』を発表し「魂の永遠の自由は愛の中に、偉大なものは小さなものの中に、無限は形態の絆の中に見い出されるという彼の根本思想を明らかにした。1912年、詩集『ギーターンジャリ』でアジア初のノーベル賞。(『世界文学小事典』)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.96―――――――8 ―――――――――――――――――
歴史人物観察 仮題「嘉納治五郎とドストエフスキー」から
草稿・嘉納治五郎とドストエフスキー
(推敲・校正しながら書いていくので重複あり)
土壌館編集室
  本稿は「嘉納治五郎とドストエフスキー」の理念を照合し、その一致を広く世に知らしめることを目的としている。が、両者において既にドストエフスキーは、世界的文豪でもあり、2007年には、新訳刊行によって社会的ブームにもなっているところから本稿は主に嘉納治五郎に標準をあて論じ検証する。嘉納治五郎といえば、一般的には柔道の創始者として、明治の偉大な教育者として名高い。が、嘉納治五郎の生涯と、その人となりを検証すると柔道や教育は、嘉納が唱えた「自他共栄」「精力善用」精神、この理念達成への手段であるに過ぎないことがわかる。嘉納は、世界の調和と全人類の幸福をめざして孤軍奮闘してきた。日本で最初のコスモポリタンとして、二十世紀初頭の濁流のなかで世界平和のために奔走した。しかし、日本における嘉納治五郎の評価は、柔道の創始者に留まってしまった。それほどに柔道の普及がめざましかったこともあるが、国民にそう印象づけた国家の国策もあつた。それだけにきちんと評価されてこなかった。本稿によって嘉納治五郎が、真に正しく評価されるようになれればと願う。また本論によって嘉納師範の本当の目的であった崇高な理念を少しでも伝播できれば幸いである。
お詫び
 本論は、これまで嘉納治五郎の生涯について、少年期まで解説してきたが、本日で2007
年度授業が終了するため、本号は本論の根幹である「精力善用・自他共栄」精神の紹介をす
るに留めます。尚、次回から通常通り連載します。
「精力善用・自他共栄」わが国の現在に最も必要な主義
 翻ってわが国の現在を考えてみるならば、内外実に容易ならぬ秋に際している。しかし国民の実生活を見ると、ずいぶん精力を徒費しているように思われる。またたとえ有効に活用していると見られるものでも、更によりよく、最善に到らしむべき余地がないとは決していえない。つまらぬ抗争をやめて、自他共栄の原則によりあらゆる精力を最善に活用するようになれば、その結果国家の実力は現在よりも数倍にのぼるであろう。そしてそのために文化もいちじるしく進み、富強も加わることになる。また自他共栄を主張すれば、国際の関係も更に円満になり人類全体の福祉も増進することと確信する。
  かようなわけで一切の教訓・主張を報復を包含して、動かすべからざる真理に基づいている精力善用・自他共栄の旗を掲げ、天下すべての人々と共に邁進して行こうとするのがわれらの主張である。(大正14年12月号『作興』)
 ◎1925年、いまから83年も前に掲げられた主張だが、2008年の日本に当てはめても立派に通用する理念理想である。完結までの予定は下記の通り。
仮題『嘉納治五郎とドストエフスキー』論作成
序文→ なぜ嘉納治五郎か
第一章→ 嘉納治五郎の生涯 子供(母親の教え、勝海舟の世界観)・少年(いじめ、柔術との出会い)・青年・中高年(柔道の普及、教育)・老年(コスモポリタンとして)
第二章→ 嘉納治五郎の理念 無念の死「仮説氷川丸暗殺事件」、「精力善用・自他共栄」精神 嘉納治五郎の思想の源泉フェノロサ、J・S・ミル『自由論』を読む。
第三章→ 嘉納治五郎の功績(教育・体育・柔道) 
第四章→ 嘉納治五郎・柔道とドストエフスキー、
第五章→ 私と柔道 おんぼろ道場・再建記、脚本『獅子と白菊』
―――――――――――――――――――― 9 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.96
2007年、読書と創作の旅・「下原ゼミ通信」80号記念・実験的冒険活劇習作完結編
KINCHOU
    草稿・キンチョウ 
―サムライの約束―
土壌館編集室
■主な登場人物
 西崎泰造・・・・・ダム建設現場監督   中島教一郎・・・・日南大学助教授
高木 健二・・・・五井物産社員     柳沢晴之・・・・・日南大学付属病院医師
 一ノ瀬幸基・・・・高校教師 沢田 圭介・・・フリーカメラマン
 ソクヘン・・・・・ヤマ族の若者でプノンペン大学の学生
第一章〈赤い悪魔〉編 一「はじまり」、二「ヤマ族の選択」、三「一枚の写真」、
第二章〈過去からの訪問者〉編 一「商社マン」、二「隊員たち」、三「再び密林へ」 
第三章〈クメール共和国〉編 一「滅びの都」、二「日本橋に死す」、三「帰らざる河」
第四章〈再びの密林〉編 一「戦慄の旅」二「ヤマ族集落」三「再びの宣戦布告」
第五章〈密林逃避行〉編 一「タイ国境を目指して」二「待ち伏せ」三「医者への目覚め」
第六章〈追いつめられて〉編 一「矢は尽きて」二「裏切り」三「父親として」
第七章〈カオ・プレアの戦い〉編一「山頂の遺跡」二「荒城の月」三「虹の彼方に」
これまでのあらすじ
 1970年6月、日南大学の元アジア探検部の五人は、10年前、訪れたインドシナ山岳民族のヤマ族からインドシナ最大の密林カルダモンの密林ガイドを頼まれる。困ったことが起きたら助けにゆく。それが彼らとかわした約束だった。社会にでてすでに10年が過ぎていたが、彼らは約束を守ることにした。一度、通ったことがある道筋。五日もあればタイ国境まで案内できる。軽い気持ちで再びインドシナの地を踏んだ。しかし、そこはキリングフィールドのはじまりを迎えた恐怖の地だった。ヤマ族は、クメールのゲリラ・赤い悪魔から逃れるために救いを求めたのだ。五人の青年とフリーカメラマンの若者は、ヤマ族とともにタイ国境を目指す。しかし、次々と命を落としていく隊員。四日目の夕、山頂にあるカオ・プレア遺跡にたどり着いた。赤い悪魔は、すぐ後ろに迫っていた。残ったのは、隊長の西崎と、エリート商社マンの高木、フリーカメラマンを目指す圭介の三人。タイ国境は目前。西崎と高木は、山頂の遺跡で赤い悪魔のゲリラ部隊を迎え撃つ決心をする。
完結編 第七章 カオ・プレアの戦い
一、山頂の遺跡
「国境も近い、こんどこそ、皆殺しを狙って一斉攻撃してくるに違いない。ここで向かえ撃つしかない、だろう・・・」
西崎は、言って高木を見た。
「そうだ、な。・・というか、ここしかないな」高木は、力強く首を振ったあと聞いた。「しかし、どうやって迎え撃つんだ。銃はたったの五丁、タマは撃ち尽くせば終わりだ。しかし、どうみても奴ら百人はいそうだ。まさか石を転がしてなんて原始的作戦じゃないだろうな」
「いや、そうだ。その原始作戦だ。山には自然の武器がいっぱいある」
「冗談いうなよ。石と鉄砲じゃ相手にならん」
「鉄砲なんて目じゃないさ。この雨と水、これで土石流を起こすんだ。ここに登ってくるのは、おれ達がきた沢しかない。一気に流せば一網打尽だ」
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「ヤマ族の戦法か」
「そうだ、一瞬で返り討ちだ」タイゾーは、言って笑みをもらした。
「うまくゆくかな」
「ゆくさ。この水量だ。池の堰も切ればすごいぞ。ナイアガラだ」
西崎は、雨が降りしきる空を見上げうれしそうに言った。
「うまくゆけばいいが・・・」
高木は、不安そうにつぶやいた。
 ダム建設工事の現場監督をやっている西崎は、水については詳しいだろうが、鉄砲水や土石流については、どれだけ知識があるのか。
「これだけ水と雨があれば、なんだってできさ」
西崎は、笑みを浮かべて自信たっぷりに言った。それから池に目をやってからふたたび空を仰いだ。雨が、またはげしく降り出した。
「どうする」
「ソクヘンを、呼んでくれ」
「OK」高木は、座り込んでいるヤマ族の人々を見回した。
 ソクヘンは、石柱の下で圭介と休んでいた。高木と顔が会うと、頷いて、雨の中を走ってきた。
「なんでしょう」
「男たちに枝や草で束をつくるように言ってくれ」
「なにするんですか」
「池をふさぐ、下にも水たまりをいくつもつくる」
「わかりました」
ソクヘンは、大きく頷いて走り去った。
 プノンペン大学ではいつも首席だったという。理解は早かった。彼はボトに告げ、ボトは家長たちに告げた。突貫の堤防づくりがはじまった。男たちは、森から朽木を引き出し、つる草で枝束をつくった。女たちは草を集めた。二時間もするうちに、草木の束が山とできた。巨石を抱えた大木は幹に三分の一もノコギリをいれれば、抱えた巨石の重さで、池にめがけて倒れていきそうだった。大木の枝を利用して草木の束を堤防がわりにつみあげていった。ありの一穴となる太い小枝の束は、つる草をまいて堰の下方に押込んだ。倒した大木と草木の堤防はどんどんできあがった。
 堤防で、あふれる流れを止められた池は、遺跡の方にひろがっていった。ふたたび激しい雨が、水量をいっそう多くさせた。池はたちまちに大きな沼と化した。低い遺跡がとんどん沈んでいく。山頂にできた大きな水溜りは、いまや大きなため池となりつつあった。
「ソクヘン、ボトに皆を連れて出発しろ、と伝えろ」西崎は、言った。そのあと、戸惑い気味に「力のある男たちに何人か残ってもらいたい。堰を崩すのに人数がいる」
「わかりました」
ソクヘンは、走っていって族長のボトに伝えた。ボトが大声で呼びかけるとモイやチャットにつづいて大勢の男たちが進み出た。
「むい、ピー、ばい、ブーン、プラン、プラン、ファイブでいい」
泰造は、数えながら手をひろげて示した。
「ソクヘン、彼には、先に行ってもらえ」泰造は、チャットを指差して言った。「もしかの場合、ボトを助ける人間が必要だ」
「なぜ」チャットは、怒った顔で睨む。
「ここは、武器はつかわん、壊すだけだ」泰造は、ソクヘンに言った。「ボトを助けて、国境を目指せ、すぐ追いつくからといってくれ」
 チャットは、不満そうだったが、村人たちは、もっと不満顔だった。てっきり、この遺跡
で今夜を越せると思っていた人々は、不満そうだったが、ボトとチャットに急き立てられて
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腰をあげた。
「赤い悪魔たちを、この水でやっつけてから、追いつく、それまでには国境を越えているようにしてくれ」泰造は、先発隊と一緒に行く男たちに、後僅かな距離をとにかく速く進んでくれと言った。
「圭介、お前も、子供と女性人と一緒に行ってくれ、必ず、追いつく」
「えっ、ぼくにも手伝わせてくださいよ」圭介は、不満そうに口をとがらせた。
「子どもたちの面倒みろ」
「なんだ、幼稚園の先生じゃあるまいし」
「とにかく国境まで行け、山を降りれば道がある」泰造は怒鳴った。「早く行け、暗くなるぞ」
 一行は、ふたたび歩き出した。
「道にでたら、また戻ってきますからね」
圭介は、振り向いて叫んだ。
 が、誰も聞いていなかった。タイゾー、高木、ソクヘンたちは、堰き止めた堤防の補強にかかった。さすがに山岳民族である。疲れていても総勢百十余人の行列は、たちまち豪雨に煙る密林の中に消えた。
 遺跡は、ふたたび静寂につつまれた。残ったのは、泰造、高木、ソクヘン、それにモイやビバットたち四人。合わせて七人だった。
 重く垂れ下がった暗雲が昼と夜の境をなくしていた。あたりはしだいに闇を濃くしていったが、それが夜のとばりかどうかも判然としなかった。
「まずいな」西崎は、真っ暗な空を仰いで舌打ちした。
 これ以上、降ると堰はもちこたえないのは、誰の目にもわかった。皆は、作業を止め、座り込んで、恨めしげに空を見上げた。「やんでくれ」高木も、手を合わすしかなかった。
 祈りが通じたのか、時が経つと雨は、すこしづつ小降りになっていった。突然に黒雲が薄れて、あたりは薄闇になった。まだ完全に夜になっていなかった。
 
二、荒城の月
 夕暮れの遺跡を静寂が押し包んでいた。しじまの中に堤防の樹木が水の圧力できしむ音だけが不気味に響いた。
 不意に、高木の近くの密林で繁みが揺れる物音がした。咄嗟に高木は、銃をかまえて誰何した。「だれだ」
「ぼ、ぼくです」
圭介の声がして、密林の中から人がでてきた。カメラのフラッシュがたかれた。皆は、てんでに遺跡の上にいた。
「なんだ、ケイスケ、なにかあったのか!?」高木は、怪訝そうに聞いた。
「いえ、順調です。道も迷ってません」
「なんで、戻ってきた」
「向こうにいても、用事がないんで、やっぱりこっちを手伝おうと思って」
「バカヤロー、選んでるときか」高木は怒鳴った。「帰れないかもしれんぞ」
「えっ!?それってここで死ぬってことですか」圭介は、気色ばんで言った。「それならぼくだけ、とり残されるのいやですよ」」
「そういうことじゃないだろ、そういうことじゃあ」
「高木、もういい」遠くから西崎の声がした。「もう夜だ。戻れともいえんだろ。堰を崩すのに人数がいた方がいい」
「ぼうや、よかったな」下方の闇の中で高木の声がした。
「ぼうやと呼ぶの、やめてください」
「OK、OK。じゃあ沢田カメラマン」
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「からかわないでください」
「悪い悪い、そこの石の上に寝転んでみろよ。星が出ているぞ」
「星が・・・」
圭介は、苔むした巨石の上に立って空を仰いだ。雨は、すっかりあがっていて、暗雲のひび割れ、から、星屑が見えていた。
「へーえ、星か、明るいんですね」
「雨のあとの星は、きれいです」
向こうからソクヘンの声がした。一緒にいるヤマ族の若者たちの忍び笑いが聞こえた。
あたりは、墨を流したように暗かった。
「平和ですね」圭介は、言いかえた。「静かですね」
「来ないな」
「もしかして、もう来ないのでは」
「いや、奴らは必ずくる。あきらめんさ」
「待ちぼうけ、待ちぼうけか」高木は、ふざけ声で言った。「ひまつぶしに、歌でも歌って待つか」
「よし、おれが先だ」泰造は、いきなり吟じはじめた。
春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
昔の光いまいずこ
遺跡の巨石にしみこむような重く低い静かに夜の闇に響いた。
「なんの歌ですか、これ」
「荒れた古いお城と月の歌だ」
「ここに似合いますね」
「そうだ、不思議にこの遺跡にぴったりだ」
「いつのまにか月もでているよ」
見上げると、いつのまにか雲が切れたらしい。はるか天空のなかに月がこうこうと輝いていた。が、光は地上にまで届かなかった。周囲は相変わらず墨を流したような暗さだった。
 泰造の歌がやむと再び静寂が辺りを包んだ。
「ケンジさん、星影のワルツを歌ってくださいよ」ソクヘンは言った。「プノンペンに帰ったら、歌うんです。それまでに覚えなくては」
「アジアで、スキヤキソングよりヒットしているって。よし歌うか」
こんどは高木が、巨石の上に立つと星空を仰いで歌いだした。
別れることは つらいけど
しかたがないんだ 君のため
別れに 星影のワルツを踊ろ
何千キロとはなれた日本の歌謡曲だが、なぜか夜の密林によく似合った
不意に高木の目に熱いものがあふれてきた。
 あの夜、真理子と行ったクラブを思い出した。
「どうして、どうしても行かなきゃならない用事があるの」
彼女は、踊っているあいだも何度もたずねた。
唐突にプライベートで外国に行くことになった。何の説明もなしに彼女に納得してもらうのは不可能だった。しかし、まさか学生のときしたヤマ族との約束を守るために行くとも言えず。ただ、のっぴきならぬ理由で、一週間ほど留守にする。そう告げただけだった。まったく馬鹿げた非現実的なことかも知れない。十年前の約束のために会社の仕事を放り投げて
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行く。エコノミックアニマルの代名詞のような企業戦士の自分が、十日間といえ、ここにいる。そのことを高木は自分でさえ、信じられなかった。あんなにもニューヨーク行きを
楽しみにしていた彼女には、尚更だろう。理解を超えた行動に違いなかった。明日はタイ国境にでられそうだ。真っ先に電話しよう。日本で結婚しょうと言うつもりだ。ニューヨークに行ってからと思っていたが、栄転の話はおそらくだめになっているだろう。契約はまとまったとはいえ半月の空白は大きい。ニューヨークどころか大阪か九州支社に左遷されるかも。だが、いまはそんなことはどうでもよかった。出世コースに乗ろうが乗りそこなろうが。真理子はがっかりするだろうか。いや、そんな女じゃない。
「いいわ、なにも聞かない。でもきっと帰ってきてね」微笑んで手を振っていた微笑。
なぜ涙があふれてきた。
冷たい心じゃないんだよ
ソクヘンもへたくそな日本語で歌いだした
冷たい心じゃないんだよ
いまでも 好きだ
不意にソクヘンが黙って下方を見下ろした。何かが転げ落ちるような音が聞こえたのだ。
 さきほどの激しい雨が嘘のように空一面に星がふるように輝いていた。星々の光が濡れた葉々に映えて密林はまるで小波の海面のように見えた。これが星明かりというのか、彼方の地平まで視界があった。ケイスケは、高校生のときに読んだサン・テグジュベルの『夜間飛行』を思い出した。嵐の恐怖に負けて雲の上に出てしまった飛行士が眼にした光景。そこは輝くばかりの星空と果てしない雲海、そして静寂が支配する死の世界だった。彼は、現実を確かめるように足元を見下ろした。何も見えなかった。谷間は墨を流したように真っ暗闇だった。静寂のなかに水の圧力をうけて堰が苦しげにうめく、木々のしなり。死の世界のような闇のなかに、幾千もの生き物がうごめいている。それが感じ取れた。じわじわと登ってくる。獣たちの足音。
ソクヘンは、思わず小いさく叫んだ。「きた!」
死ぬほどに
高木も歌うのをやめて、漆黒の下方に目をこらした。
「おい、やめるな歌を、つづけろ」暗闇から西崎が、押し殺した声で叫んだ。
「OK」
冷たい心じゃないんだよ 
冷たい心じゃないんだよ
二人は、再び声をそろえて歌いはじめた。
「いいぞ、いいぞ」
冷たい心じゃないんだよ
 西崎は、自分も口の中で歌いながら、火薬を入れた竹筒の埋め場所を探した。枝束を積み上げた堰を一気に破壊するには、巨石の力が必要だった。堰の中ほどに大きく崖に突き出した石柱があった。いまにも谷底に転げ落ちていくように傾いでいる。石柱につる草をまきつ
けて、堰の束と繋いである。火薬の爆破で、石柱が転げ落ちていけばつる草が引っ張られ、堰は一気に崩壊する。水は、崖下の沢地にあふれ洪水となってに流れ落ちていく。狭い場所である。水の動きは、ダム造りの現場で、さんざん経験していた。
いまでも好きさ、死ぬほどに
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高木は、歌いながら小声で言った。
「ケイスケ、堰が壊れたら間に合わん、さきにそこの回廊の中に逃げてろ」
「はい」
ケイスケは頷くと、歌いながらゆっくり巨石の上を歩いて行った。
別れに 星影のワルツを踊ろ
 ケイスケは、巨石づたいにゆっくりと歩いていくと、まだ水に浸っていない回廊の中にとびこんだ。しっかりした巨石にかこまれた回廊。たしかに、そこなら安全に思えた。
眼下の闇がかすかにゆれている。あちこちから小石が落ちていく音がする。赤い悪魔のゲリラ兵たちが、蟻のように遺跡めがけてはいあがってくる。その気配がわかった。せき止められた流れは、異常にふくれあがり、限界にきていた。いまにもはちきれそうだった。
「いいぞ、いいぞ あともうちょっとだ。崩れんでくれ」
西崎は、言って片手で、祈る。ようにひとりごちた。
 ヤマ族の五人の若者たちは、一斉に堰止の支柱になっている丸太に結ばれた綱を手にした。
下段の遺跡はまるで水の都のようになつていた。
 またしても下方で石が転げ落ちていく音がした。大勢の生き物が崖をじわりじわり登ってくる。そんな光景が察しられた。
別れに星影の
高木は、口ずさみながら銃を構えた。岩場に何十人という赤い悪魔のゲリラがへばりついて、這い上がってくるのがわかった。
ワルツを 踊ろ
「まだか」高木は、小声で聞いた。
「もう、ちょっとだ」
すぐ下の闇の中で西崎の押し殺した声がした。
あんなに 愛した君なのに
高木は、再びうたいだした。が、もうなにを歌っているのかも分からなかった。神経を集中させて声だけを張りあげた。
あんなに 愛した君なのに
突然、銃の乱射音が遺跡のなかに響いた。待ちきれなくなった若者か、一番乗りしたゲリラが、引き金を引いてしまったようだ。高木は、はじかれたように連射しながら叫んだ。
西崎は、本流に注ぐため池の堰を切るべく巨石に結んだ蔓を断ち切ろうとした。焦っているせいか、なかなか断ち切れない。火薬を詰めた竹筒に繋がった油紐に火をつけた。火はもえながら堰の途中で消えた。
「くそ」西崎は、飛び出して行った。高木は、援護射撃をした。突然、遺跡の頭上で照明弾が打ち込まれた。遺跡の上に銃を構えた高木の姿がくっきり映し出された。とたん、下方の三方から銃弾が火花の雨、あられとなって降り注いだ。
「やられた」
高木は、叫んで膝をつくと。下方に向かって銃を乱射しながら巨石の上から、深い闇の中に転落していった。
「タカキ!」
ソクヘンが絶叫した。
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「だめだ、やられた」
こんどは泰造の叫びが聞こえた。西崎が倒れた。
「タイチョウサン」
ソクヘンが助けに走った。
「バカ、くるんじゃない」
西崎は必死の形相で叫んだ。が、ときすでに遅し、一番上の堰が切られ、下段の池になだれ落ちた。水量を増した水は、力と速さとなって二番目の堰を破壊した。大きな巨石がすべるように動きはじめた。堰は崩れて一気に沼地にあふれた水がものすごい音をたてて、泰造とソクヘンのいる堰をまたたくまに飲み込んだ。予想以上の水の量だった。
 一千トンもの水の流れは壮絶だった。ゆっくりと、そしてしだいに速度を増して流れはじめた。その力は、無限だった。大音響とともに巨木を動かし、遺跡の巨石を軽々と転がし、大河の濁流と化して崖淵のの城壁にぶちふたり、突き破ると大きな滝となってた谷底に流れ落ちていった。崖下から蟻のように岩場をよじ登ってくる赤い悪魔たちは、恐怖の叫びをあげるまもなく、大音響の土石流に巻き込まれ落ちていった。
 半時後、すべての水が流れ去った遺跡は、静寂そのものだった。ただ煌々と雲間の月光が照らすばかりだった。
 どれほどの時間が過ぎたのだろう。密林は静まり返っていた。いつのまに急速に雲が引いて、暗黒の大空には、大きな丸い月が浮かんで、こうこうと静寂の密林を照らしていた。
 ふと地響きにもにた大きな音を聞いたような気がした。ユンは、思わず目を覚ました。いつのまに眠ってしまったようだ。傍らのニホンもぐっすり寝入っている。みんなも死んだようになって眠りこけていた。ユンは見回した。闇があるだけだった。はるか頭上の繁みのあいだに、星がまたたいている。一行は密林の大樹の下で夜を明かしていた。うつらうつらしているうちに雨はやんだようだ。葉から落ちる雨音があちこちから聞こえていた。すぐ近くで誰かが起きる気配がした。
「どうしたんだい」母親のキナの声だった。
「なにか、音がしたの」
「えっ!! 奴らがきたのかい」キナは、あわてて起きようとした。
「しー、違うの、山の音よ」
「山の音 ?」
「うん、山崩れのような、あんな音」
「そうかい」キナは、つぶやいて耳を澄ませた。
 トンレサップの湖底を思わせる静寂。密林の闇は、そんな静寂が漂うだけだった。
「何も聞こえないよ」と言ってからキナは、あくび声で「どこかで、溜まった雨水が、一時に流れだしたんだろ、よく降ったからね」言って。「明日も歩くんだろ、やれやれだ」キナは、ふたたび眠りに入った。老婆の足は、もう限界かも知れなかった。
 ユンは、眠られなかった。あのカオ・プレアの遺跡に残った男たちのことが頭に浮かんだ。もし、赤い悪魔たちに負けたら、こんなに静かなはずはない。悪いことは考えないことにした。きっと、追い帰した。悪魔たちがあきらめたのを見届けて、明るくなってから出発する。後ろを確かめながら来るだろうから。だから、この一行に追いつくのは、昼近くなるかも知れない。きっと、そうだ。ソクヘンをはじめ十人のヤマ族の若者たちとニホンの父親の友人たちの笑顔を早くみたかった。そうしてジャポンの青年たちが三人とも無事でいることを祈った。彼女は、いまだ、彼らが何のために、来たのか完全に理解できていなかった。ハルユキがきたのはわかる。ニホンに会いにきたのだ。
しかし、あとの五人は何のために・・・。十年前に来た四人は、なつかしくてハルユキについてきたのかも知れない。が、自分と似た名前のユウスケのことはわからなかった。写真なら、プノンペンかアンコールワットを撮ればよい。いくらソクヘンと気があったからといっ
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ても、なにもこんな山奥にくるなんて。それに加えて仲間が三人も亡くなったというのに、帰ろうともせずまだついてくる。ヤマ族としては、ありがたかく心強いが、ユンには、不思議だった。すべては、キンチョウしたからだというが、キンチョウとは結んだら破ることの
できない絶対的なことなのだろうか。命さえも賭けた神との契約。ハルユキは、生まれたことも知らなかったし、十年間会ったこともなかった娘を守るために死んだ。キンチョウとは、もしかしたら、そんな父と娘の絆のようなものかもしれない。一度結んだら、未来永劫切ることはできないもの。そんなことを思い巡らせているうちに、睡魔が襲ってきた。ユンは、ふたたび気を失うように突然、眠りに入っていった。
 
三、虹の彼方に
 雨期の終わりの空は気まぐれだ。朝、あんなに晴れわたっていたのに、族長のボトを先頭に一行が出発すると、空は一転、黒雲がおおって激しい雷雨となった。しかし、一行は休むことなく進んだ。雨は足跡を消し去ってくれる。降っているあいだに赤い悪魔から一歩でも遠くに、タイ国境に一歩でも近づくのだ。皆、疲れきっていた。乳飲み子は泣くのさえ忘れていた。一行は黙々と歩いた。しんがりのビバットは、何度も立ち止まって、後ろを振り返った。どちらが勝っても、もう追いついてくるはず。しかし、誰の姿も見えなかった。だが、密林は静まり返ったままだった。
 遅い・・・ボトはむろん、男たちの胸に不吉な予感が黒雲のようにひろがっていた。だが、だれも口には出さなかった。たとえなにがあろうと進むのだ。それしかヤマ族の生きのびる道はない。昼を過ぎると雷雨はやみ、黒雲は四方に去っていった。一行は、峠道にさしかかっていた。まだ、サムライも若者たちも追いついて来なかった。
「おーい、ここで、休むぞー」
峠を一番に上りきったボトが、振り返って告げた。押し殺した声だったが、表情は明るかった。その意味はすぐにわかった。登りきって峠に立つと皆、思わず歓声をあげた。西方の展望が一気に開けて見えたのだ。眼下には緑のじゅうたんがひろがっている。が、その果てに町らしきものが見える。色とりどりの建物。強い西日を受けてキラキラと反射する光。
「あれは」
あちこちで声があがった。振り返ってボトを見ている。
 ボトには確信はなかった。が、ここは族長らしく答えなければならなかった。
「ポイペットの町だ。いや、アランヤプラテートかも」
「じゃあ国境はもうすぐ」
「そうだ。このまま西に向かってすすめば、越えられる」
ボトは力強く頷いた。タオも案内のサムライたちもいない。平和の地までこの民を自分が導いていくしかないのだ。
「やったー!!」
とたん、人々は口々に叫んで喜んだ。万歳する人々のあいだで、子どもたちはとまどいながらも笑顔をみせた。そうして、思いっきり、飛び跳ねはしゃぎだした。
「助かったんだね」キナは、へたりこんだ。
「助かったの、わたしたち」ユンは、息を切らしたまま振り返ってきいた。
「ほんとなの、もう逃げなくてもいいの」ニホンが、走ってきてきいた。
「いや、国境を越すまでは、安心できない」ビバットは首を振った。「皆が、追いつかないということは、まだ戦っている証拠だ。防いでくれているんだ」
「それじゃあ、早くすすまないと」
「そうだ、ケンもタイゾーも言っていた。なにがあっても国境まではすすめと」
ビバットは、自分に言い聞かすように言った。カオ・プレアの遺跡に残った彼らが、いまだ追いつかないということは、まだ戦っている。そうとしか思えなかった。もし、赤い悪魔た
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ちに負けていたら、もうとっくに奴らが追いついているはずだ。奴らを追い返して、時間を稼ぐために見張っている。そんな状況下にあることも想像できる。「たとえ、追いつかなく
ても待つな、生きていれば必ず追いつく」別れるときに言ったタイゾーの言葉が耳に残って
いる。
「あと、どのくらい」
ニホンがきいた。
「下の密林しだいだ。迷わなければ、きっと夕方までには越せる」
ビバットは力強く頷いた。そうして天を仰いだ。いまの自分の使命は、ここにいる皆を守ることだ。一族を平和の土地にまで導くことだ。はるばる約束を守るためにやってきたサムライたち。すでに三人も亡くなっている。ケンやタイゾー、それにユウスケだって、いまはどうなっているかわからない。彼らは、ただ約束を守るためだけにやってきたのだ。報いることは意志を遂げること。彼はかたく心に言い聞かせた。
「出発しよう」ビバットはボトに言った。
「さあ、最後の行進だ。元気をだせ」
ボトは、みなを励ますと先頭に立って歩きはじめた。子どもたちがワーと後を追った。そのあとを各家族たちがぞろぞろとつづいた。大人の男たちは、けが人や老人に手をかした。
 わずか五十数人となった民は、一列となってふたたび進みはじめた。大きな岩の門をくぐりでたとき前の方で子どもたちの歓声があがった。
「静かに、静かに」大人たちは心配するが、小さな歓声は収まらない。
「なんなの」ユンは不安そうに言った。
「おかあさん、ほら、あそこ」先にかけて見に行ったニホンが戻ってきて「あそこに、あそこに」と、指差したまま手を引いて案内した。
 展望のよい岩場で子どもも大人も立ち止まって、眺めていた。
「何でしょう」ユンは、子どもたちの後ろに立って見下ろした。
 眼下の密林の中から大きな七色の柱が、そそり出ていた。七色の柱は、雲のとれた青空の向こうに、みごとな放物線を描いて落ちていた。緑のじゅうたんの上にかかった大きな虹。自然が織り成す美しい光景だった。ヤマ族の一行は、虹に向かって元気に歩きはじめた。
 その後、ヤマ族がどこに行ったか誰も知らない。タイ、ラオス国境の山岳地帯に日本人とよく似た顔立ちの部族が、幸せに暮らしている、という噂を聞くも定かではない。
エピローグ、密林だけが知っている
一九九二年三月二十三日。米国国務省は、ある一つの協定事を発表した。二十二年前、インドシナ半島にあるカンボジア内戦で行方不明者の遺骨がカンボジア政府から米国に返還されるという内容だった。そのなかに三人の日本人も含まれていた。
だがしかし、あの日、激しい雷雨のなかカンボジアの密林で後のポルポト軍、赤い悪魔と勇敢に戦った五人の青年たちの名前はどこにもなかった。彼らのことを知っているのは、昼なお暗い密林の木々たちと静かに眠る遺跡、そして密林の奥に消えた山岳民族の民だけである。
一九九三年四月末。プノンペン。国連統治による総選挙前の市内は、喧騒としていた。各国の軍人、国連職員、民間ボランティアが忙しく走り回っていた。彼らを追う各国のマスコ
ミ陣が市内のあちこちに出没していた。マスコミ陣のなかでは、とくに日本からきたマスコミ隊が、その賑やかさ騒々しさにおいてひときわ目立っていた。日本の軍隊、自衛隊と呼ぶそうだが、その後を追って大挙して押し寄せた彼らは、よほど物珍しいのか選挙そっちのけでプノンペン市内を撮りまくっていた。あきらかにバラエティ番組とみられるテレビチームが朝から市場の外にある青空市場を取材していた。
「魚,、肉、オレンジ、なんでもあります」
レポーター役の女性タレントは甲高い声をあげて露店のあいだを駆けずり回っていた。その
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後をカメラマン、プロデューサーら数人のスタッフか後を追う。台本通り彼女は骨董品売り場に来ると足を止め再び実況を開始した。
「アンコールワットの遺跡でしょうか。仏像の欠片らしきものも売っています。いや、遺跡は売買禁止されていますから、模造品でしょうね。それにしてもよくできています。ほらこ
の踊り子も兵士も」彼女は声を張り上げながら、売り場の片隅に並べてあるものに目をやった。「あれは、」手で示して、そのものを取ろうとしたときプロデゥサーらしき男性が「はい、終わりです、OK」と声をかけた。とたんカメラマンは撮影をやめた。「アー」女性タレントは、万歳して背筋をのばした。そのあと彼女は個人的興味からか、目に止まったものを指差して聞いた。「そんなものも売り物なんですか」通訳は「そうだ」とうなずいた。それは、すっかりさびついたカメラと腐敗したポケットノート。かすかに菊の紋章がわかる色あせ腐食したパスポート。「日本人の持ち物のようです」通訳は説明した。
「日本人の?!」
「たぶん、落し物でしょう」通訳は苦笑して言った。「かなり昔のようですが」
「なんでも売っちゃうのね」
彼女は、可笑しそうに笑った。
が、それ以上は、彼女もスタッフも関心を示さなかった。日本人の落し物など、いまのプノンペンでは珍しくもなんでもなかった。「よし、次は中を撮るぞ」プロデューサーの声に女性タレントは、手鏡をのぞいて化粧し直しながらかけだした。
 後には売り子と、さびの塊となったカメラと色あせ崩れかけたパスポートが残された。遠い異国の密林の遺跡で白骨化していた日本人の持ち物。白骨の主は、発見されるのを何年も待っていたに違いない。長い歳月が流れた。そして、偶然の幸運で発見され、こうして市場の片隅で人目にさらされている。だが、その遺品は、結局、誰の手にもわたることはなかった。にぎわう市場のなかで、そこだけが見向きもされなかった。クメール人のにわか骨董屋は、退屈しのぎに腐食したポケットノートを手にとってひろげた。漢字まじりのわからない文字が殴り書いてあった。日記がわりにメモしていたものらしいが滲んでいてほとんど読めなかった。それでも切れ切れに字の形を見て取ることができた。最後の頁、日本語で、「約束を守ったさむらい、最後の一人ここに眠る」こう書かれていた。
 むろんクメール人のにわか骨董屋には、さっぱりだった。彼は、あくびしてノートを閉じると元の場所に投げ置いた。
 カメラとノートの主は、どんな目的で,密林の遺跡に行き、あの場所で死んだのか。三人死んで三人残ったというと、六人の仲間がいたというか。彼らは誰か。全員日本人か。書かれた名前らしき漢字は、腐食とかすれでほとんど読み取れなかった。二十年前、あの密林の遺跡で何があったのか。遺跡で眠っていたのは何者か。いまは腐敗したノートと錆びたカメラだけが知るだけである。が、昼近く、にわか骨董屋は、店をたたむと、並べてあったガラクタ一切を袋に詰め込み、どこかに行ってしまった。それっきり戻って来なかった。
最近、週刊誌に、こんな囲み記事があった。タイ、ラオス国境の山岳地帯で偶然、出会った部族は、約束するのに山刀で鍔音をたてるのだという。そのいわれをたずねると、村人たちは自分たちの守り神と手を合わせるだけだった。
 しかし、この記事は、だれの興味も引くこともなく忘れ去られた。
サムライの約束を守った若者たち。彼らのことを知っているのは、密林の遺跡だけかも知れない。今も、そして永遠に――

長らくのご愛読ありがとうございました。
―――――――――――――――――――― 19 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.96
家族観察・追記
 家族観察で、ルナールの『にんじん』読みをつづけてきましたが、完読できませんでした。短い一編を紹介します。ひまなとき読んでください。
 昨年から、家族事件が頻繁に起きています。兄が妹を切り刻んだ。親戚の男が、親が、息子が、娘が家族のものを刺す。そんな事件が相次いでいます。なぜ、家族事件は続くのか。「にんじん」を読むことで、その謎に迫ることができれば幸いです。
もぐら
 にんじんは道ばたで一匹のもぐらを発見する。それは、煙突掃除のようにまっくろだ。散々玩具にして遊んでしまうと、こんどは殺してしまおうと決心する。かれは何回となく空中にほうり投げる。うまく石の上に落ちてくるよう念を入れて。
 最初は、万事ぐあいよく、順調にいく。
 早くももぐらの脚は折れ、頭は割れ、背は砕ける。あんがい簡単にくたばってしまうものらしい。
 ところが、にんじんはびっくりした。もぐらってやつは、どうやっても死なないんだ。ということに気づいた家の屋根をふくときのように高く、天までも投げてみても、ぜんぜんむだで、効果は少しもありはしない。
 ――あきれ果てたやつだな!くたばんねえや。
 まさしく、血痕のついた石の上に、もぐらはたたきつけられて、ぺったりとしている。脂肪でいっぱいの腹が、煮こごりのようにふるえている。そして、このふるえが、いかにも生きているといったように錯覚させる。
 ――あきれ果てたやつだな!奮然としたにんじんが叫ぶ。まだくたばんねえのか!
 かれはふたたび拾いあげ、罵りわめく、それから、やり方をかえる。
 真っ赤になり、目には涙を浮かべ、もぐらに唾を吐きつける。そして、力いっぱいに、石に向かって、微塵に砕けよとばかりに投げつける。
 しかし、ぶざまなその腹は、相も変わらず動いている。
 にんじんが、いきり立って叩きつければ叩きつけるほど、もぐらはますます死なないようにみえてくる。
車中観察に関連のある新聞記事
 
最近、新聞の三面にこんなゴミ記事をみつけた。読売新聞2007.1.19夕刊
「毎日新聞投書 小説家が盗用(JR北海道車内誌)」
 泉鏡花文学賞などを受賞した北海道在住の小説家(70)が、JR北海道の車内誌に掲載している短編小説に、毎日新聞に掲載された投稿文を盗用していた、というもの。
 「電車で」というこの作品の内容は、首のけがをした会社員が車内で女子中学生3人から席を譲られ、会社員が娘に話したところ、娘が感動するという美談の車内観察らしい。
 車内観察を作品にして雑誌にしているところがあったのだ。シンパシィを感じるが盗用はいただけない。この小説家の失敗は、車中作品を机の上だけで書こうとしたズボラさにある。車内作品は、やはり自分の足で電車に乗り、自分の目と耳で車内の様子を眺め、体験し、それを創意工夫で作品にする。小説の神様志賀直哉は、ほとんどこの手法で車内作品を書いた。『網走まで』は、実際と空想で、『出来事』は見たままを。『灰色の月』は苦い体験を。『正義派』は、車夫の話だが、直接見た人の話である。
 「2007年、読書と創作の旅」の皆さんは、これからもきっと多くのものを書いていくと思います。自分の足、自分の目でしっかり観察してから書いてください。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.96――――――――20 ―――――――――――――――――
掲示板
読書と創作の旅に関して
 この旅に終わりはありません。物事をしっかり観察することは、より自己を育てることにもなります。これからも書くこと読むことを忘れずに。
□ 車中観察 □ 一日を記憶する □ 社会観察、などをつづけてください。
本通信に掲載、歓迎します。
ドストエフスキー関連
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第224回「読書会」
月 日 : 2008年2月23日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 菅原純子氏 報告『悪霊』第1回目
      二次会は近くの居酒屋。
■ドストエーフスキイ全作品を読む会第225回「読書会」
月 日 : 2008年4月12日土曜日 午後2時00分~4時45分
会 場 : 池袋西口・東京芸術劇場小会議室7
報告者 : 未定 『悪霊』2回目
■ドストエーフスキイの会第184回例会
月 日 : 2008年1月26日土曜日 午後1時00分~4時45分
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館
報告者 : 高橋誠一郎(東海大学)「ドストエフスキーとスラブ主義」
                             以上、詳細は下原まで
好評発売中
『江古田文学66』
― 特集・団塊世代が読むドストエフスキー ―
ドキュメント「軽井沢ゼミ合宿・時空体験ツアー」
岩波写真文庫143・復刻版『一年生』
― ある小学教師の記録 ―
熊谷元一・下原敏彦・28会編纂『50歳になった一年生』
祝!『CoCo☆Den電』刊行
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編集室便り
☆課題原稿、社会評、創作など歓迎します。下記の郵便住所かメール先に送ってください。
「下原ゼミ通信」編集室の住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
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☆本通信はHP「土壌館」に掲載されています。

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