文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.5

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)5月14日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.5

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

5・14下原ゼミ

5・7ゼミ観察    2019年度の旅、同行者9名に
       
 4/9出発時は、6名の参加者だったが、調整期日を過ぎた5/7は9名となった。
但しこの日の参加者は、神尾、西村、吉田、中谷、志津木、松野の6人

社会観察  裁判員裁判スタート10年目、問題多発  (朝日新聞5.9~13)

・刑事裁判の審議に加わる裁判員制度がスタートして、来週21日で10年を迎える。朝日新聞は、全国の裁判員経験者にアンケートを行い748人から回答を得た。
「判決に納得」77% 「裁判官と感覚違った」46% 上級審で覆る「不適切だ」42%
死刑多数決で決定「適切」54%  司法の教育「不十分」70%   (5/9 朝日)

・市民感覚 揺らぐ量刑判断 虐待に怒り 求刑の1.5倍判決 感情先行き懸念も
 上級審で結論覆るケースも  「何だったのか」  (5/10 朝日)

・死刑の判断 良かったのか 「対象事件除外を」回答は少数
 予想外の判決数 死刑判決居る10年は3件。11年は9件に増えた  (5/11 朝日)

・長期化「大丈夫」と思っても 負担減と心理の充実 両立模索 (5/12 朝日)

・心理参加 、「無断欠勤」扱い 辞退率上昇 企業側に不備も (5/13 朝日)

・経験共有 守秘義務の壁   (5/14 朝日)
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.5 ―――――――― 2 ―――――――――――――

2019年度下原ゼミⅢの皆さん

 5・7現在、下原ゼミⅢは9名の登録予定者があります。以下が予定されている9人の皆さんです。全員揃ったら写真撮ります。

・志津木 喜一(しづき きいち)

・神尾 颯(かみお そう)75A107-9

ゼミⅡのゼミ誌『自主創造』を読んで興味をひかれました。ハッピーエンド主義者です。

・松野 優作(まつの ゆうさく)

松田優作ではありません。まつのゆうさくです。

・西村 美穂(にしむら みほ)75A098-1

 書くこと、そして自分の考えを人に説明することによって「障害と文学」というテーマを深め、私の考えを読むことで誰かが「私も(僕も)登場人物にそういう人を加えてみようかな?と思えるようなものを作りたいです。

・吉田 飛鳥(よしだ あすか)75A030-1

 ドストエフスキー(『罪と罰』)をもっと知りたいと思った。他にも新しい出会いを期待します。詩人・吉野弘(19)に感銘を受けた。意見交換して様々な考えに触れたい。

・中谷 璃稀(なかたに りき)75A073-7

 書く、発表するという方針に心打たれた。海外・国内文学を読み技術力を向上させたい。書きたいことを書くのが信念です。

・佐俣 光彩(さまた みさ)75A034-8

 これまで大人数のゼミで、なかなか自分の色彩をだせなかった。が、少人数ならより明るい自分の光と色彩をだせそうな気がする。

・東風 杏奈(こち あんな)75A097-0

 まだ、自分の目指すものがきまっていない。自由の雰囲気のなかで、出会いを期待します。

・山本 美空(やまもと みく)75A061-1

 元気がとりえです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ゼミ誌について 皆さんで力を合わせて記念になるゼミ誌を創りましょう。

編集委員 ・西村美穂さん ・中谷璃稀さん

※ゼミ誌ガイダンス 5月15日(水)12時20分~ 江古田校舎 W303
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.5

提出課題報告・感想 目で見たもの、心で感じたことを正確に表現する。書く。

【令和と私】

・中谷 璃稀 

 天皇と聞くと、「日本の象徴」としか言いようがない。だてに20年、生きてきていない。天皇は人間として扱われるのかどうかすら、今知った。どうやら「天皇」という立場にある以上、人権はないということらしい。人権がない、それだけだと一見、人間としてすら見られない低俗かと思った。
 しかし、そんなわけがなかった。人間という存在を遥かに超越した存在のことを言っているのだ。ものは言いようだ。天皇様、ごめんなさい。
 初めの話からすると、シンボルとされている日本の天皇は、本当に必要なのか。様々な意見が飛び交っているが、難しいことはよくわからない。どちらにせよ、今がよければそれでいい。平和も令和も維持しょう!

□正直な観察。ロシア映画「太陽」で、尾形エッセーが現人神天皇と人間天皇を好演。

・志津木 喜一    末永く続けていってほしい

 天皇制についての知識はあまりないので、平成天皇のことを振り返ると目立った争いの種になることもなく災害時には皆の支えとなり、まさに象徴としての役割を全うされた御方であったと思った。日本人の大事にしている良心の見本となり、国民に安心と尊敬の念を向けられる姿は、天皇制を末永く続けていってほしいと心から思った。

□ほんとうにそう願います。皇室の安定度で、世の中の平和度がわかります。

・神尾 颯   ただ見守ってくれていることが、僕としては嬉しい

 天皇制に関しては、平和な世の中であれば必要であると思います。理由は気持ちの問題でしょうか。戦争への利用とか、そういう子どもみたいな懸念は捨てて、ただ見守ってくれていることが、僕としては嬉しいというか、安心します。
 アメリカから自由の女神が消えたり、聖地が世の中から消えたり、もしそうなれば、全員が変わることはなくても、誰かしらは傷つくと思うんです。つまりは、日本が寂しくなってしまうのかなって。象徴というのは、そういう平和なものであって欲しいし、現に平成はそうであったと思います。
 これは僕が天皇でないから、客観的に言えることでしょう。天皇陛下御自身が、「はぁ~天皇制つら…廃止してぇ…」なんてお思いになられたら、それも仕方のないことです。結局、最終決断として有無を下すのは、僕ら一般人が何か言えたことじゃないと思いますね。

□ロシアは革命で王室全員を抹殺した。豪華絢爛を誇った路まネス王朝は滅んだ。その後のロシアはどうなったか。長い混乱と格差。権力争いと汚職と賄賂。そして独裁者。人間という生き物集団には王様が必要かもしれませんね。

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.5 ―――――――― 4 ―――――――――――――

・松野 優作   慣習で敬っているだけではないか

 自身含め現代で天皇制度に深い関心を持つ人間は、少ないように感じられる。老齢の世代が幼いころからの慣習で敬っているだけではないか。日本国のシンボルと言えど、政治的権力はないわけで、良くも悪くも私にはどうでもよい存在である。ただ、自分と交わるはずのない世界、そこに生きる人間の生活ぶりを想像するのは楽しくもある。

・西村 美穂  過ぎていった時間は、もう戻ってこない

 元号が変化するにあたって、いつもは注目しない天皇についてずいぶんニュースを目にすることになった。いくら沢山の知識を得ても、あまりピンとこないのは、現代の私達の生活と一線離れたところの話と感じるからだろうか。今の、上皇様が最後の儀式の時は、平安時代のような衣束だったのに対し、現天皇陛下が任命される際は、タキシード。謎は深まるばかりであった。
 令和、令和と騒いでみても、5月に急に書く書類もなく、ただ漠然と時が過ぎていった。唯一つ思ったのは、何をしていても時は前へ進むということ。そして、過ぎていった時間は、もう戻ってこないのだということ。そろそろもっと便利な傘が発明されて欲しい。

□ミラボー橋の下をセーヌが流れる。こんな歌詞を思い浮かべました。

・吉田 飛鳥

 普段の生活には、皇居の暮らし等は、全く関与してこない。天皇は、それほどまでに存在が超越してしているのだ。
 夕方、テレビを見ていると時々、天皇が何をしたかとか、その娘が、学校へ行くっただとかが伝えられる。それらの時には決まって、どこか和やかな口調とBGMに切り換えられる。映される天皇やその一家のみなさんは、優しそうな顔で微笑んでいる。
 これを観たら、僕は少しだけ神秘的なものを感じる。或いは、SFストーリーのような、まるで全くの異世界を見せられているのかと思う。
 それが天皇制なのか。国全体で一つ象徴を立て、違和はあまり感じさせないように存在させる。ただそれだけでいみがある。
 いつか皇居の前を訪れた時、なにも感じなかった。この時は、どこかへ出かけていたのか。もしくは、元々なにもない人なのか。

・神尾 颯      熱唱大作戦の夜

 今日は赤信号を渡れない。白線の先には4歳くらいの男の子がいて、嬉しそうに母親の手を握っている。こういう時だけ、真人間になったつもりでいてしまう。いつもは青を待たず通り過ぎるのに、幼い心を配慮したのか。醜いなぁ。無意識に色の変化に反応し、身体は一歩を踏み出した。親子とすれ違えば最後、化けの皮をやっと脱げる。
 人だかりが絶えぬ居酒屋天国の表通りと違って、住宅街が広がるこの通りは、やけに静かだ。昼間は社会のはぐれ者たちが、芸術の名の下で恥を作り続けている。故に存在感のある大学も、こうして夜になってしまえば何かデカい建物でしかない。唯一聴こえるのは、踏切を頻繁に占拠する電車の音だけだ。大学を横切り、線路と廃墟に挟まれた細道を、意図的にゆっくりと歩く。身体はもう準備が出来ていた。心は踊り、脳内音楽プレイヤーは今か今かと、再生ボタンに触れたがる。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.5

「熱唱大作戦」、遠くに揺れる煌きと、不気味な甲高い音が、一定のリズムで夜空に響けば、演奏開始だ。
 息を大きく吸い込んだ。どこでやっても五月蠅いと云われるが、右耳から左耳を突き抜ける轟音は、多分許してくれるだろう。私は歌を歌った。足元の砂利を蹴飛ばしながら詞を詠った。電車の中の知らないだれかと目を合わせながら、詩を歌った。後ろから追い抜いて来た人への差知に、気づかないふりをして、私の好きを叫んだ。
 自分の足音が聞こえはじめたら、静かな夜にもどることにしている。そうしないとだれかに叱られてしまう、こんなさびしい日常に。

□詩編好きなんですね。ランボーなつかしく思い出しました。

・中谷 璃稀

 バスの車内アナウンスが聞こえた。もうすぐ目的地に着く。ここに帰ってくるのが何度目か数えているほど退屈していない。バスを降りると、18年浴びてきた陽の光がやけに懐かしく感じた。バスに乗ったときの、雲と闇に覆われた空とは違う。スマートフォンには、新たな時代をスタートしたような文言が表示されている。眠っている間に、その瞬間を逃したらしい。
 阪急の神戸三宮駅から三駅。今の私を作り出した街に到着した。名前とは裏腹に、古臭さが駄々用、お世辞にもキレイとは言えない街、新開地。ここの空気は不味い。何にも例え難いこの街特有の匂いがする。ただ、そんな空気も匂いも、私は大好きだ。
 家に荷物を置いて向かった先は、神戸ハーバーランド。家からここまでは、歩きなれた道だ。しかし、一度離れ、帰ってくる度に歩くこの街は、少し歩きにくい。神戸湊を一望できる位置に腰を下ろす。今までの人生で、自分が最も落ち着ける場所だ。何をするわけでもない。ただ海を眺め、深く呼吸する。できるだけ多くの空気を、自分の中に取り込みたい。この時間が自分にとって幸せなことだと、初めて帰省してきたときに気づいた。人は失ってから初めてその大切さに気づく、とはよく言ったものだ。まったくその通りだった。依頼、地元に来たら必ず最初に訪れるようにしている。
 こうしている十数分の快楽の裏に潜んだ、痛々しさもまた拭いきれない。しかし、そんなことを恥じている場合ではない。黄昏るほどには、精神的余裕がない。だからここに来た。自分の精神状態は、神戸の海にかかっている。ひとしきり潮風に打たれ、その場を後にした。
 それから数日、地元での時間を楽しんでいた。部活で共に闘った友人や毎日のように遊び回った友人、中学・高校を彷彿とさせる時間だった。帰省の最終日の寄る、来たときと同じ停留所からバスに乗り込む。家に帰る。故郷ではない場所にこれから帰る。故郷ではない場所に。これから帰る。いまだ空気の味を好きになれない、もう一つの家に。

□故郷は、いつ帰っても懐かしいですね。

・吉田 飛鳥   個人の完成を目指しての、次なるバイト

 持て余した自由に危機を感じた僕は、次なる成長の場に遊園地を選んだ。
 なにぶん、関東へ出てから二年ほど世話になった焼肉屋では、年季の入ったお姉さん達にしかチヤホヤされず、カルビやホルモンの焼ける匂いを差し置いてまで倦み疲れていたのである。明るく開放的で、無垢な少年少女の声が響く場所を求めてしまうのも、ご理解頂けるだろう。
 幸いなことに新居から大学へ行く途中に、この辺りでは幅を効かせているらしい遊園地があった。アルバイトも随時募集しているとのことで、喜んで面接へ向かった。不幸なことに即時採用されて、翌週から勤務することになった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.5 ―――――――― 6 ―――――――――――――

 何が不幸なんだ、そう思ったであろう貴方に説明すると、今年2019年は非常にめでたい年で、遊園地を始めととするホテルや飲食店等のサービス業は稼ぎ時となったのだ。
 そう、勤務初日がゴールデンウィークと被ってしまったのである。遊園地内では文字通り右も左もわからない僕に、先輩方゛口を揃えて「いつもは、こんなんじゃあないよ」と適当な事を言うくらいに、大変な盛況を見せていた。客の大半は子供連れで、朝と昼に行われるヒーローショーは立ち見も多く、なかには終演までの30分間、昂奮する我が子を肩車する父親の姿もあった。おそらく、この中の誰よりもヒーローを応援していただろう。
 そんな様子を横目で見れる位置で、子ども向けの小さな急流すべりの降船を担当していた。本来なら一日に十数回しか運行しないアトラクションでも、この日は常に待機列が長く伸び、閉園まで途切れることは無かった。7時間に渡って同じ動作の繰り返し、それでも不思議と

笑みがこぼれるのは、
「あのね、すごいびしょびしょになった」
と聞いてない報告をしてくれるこの子らのそれが伝染ったからかもしれない。

□子供相手、気の抜けないバイトですね。からだに気をつけてください

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ゼミ合宿について

☆実施の場合 南信州の「昼神温泉郷」希望の声が多かった。宿泊地が日大施設ではないので、大学に確認をとる。ダメなら軽井沢か他の日大施設。
・昼神温泉郷の場合 :  熊谷元一写真童画館見学・満蒙開拓平和祈念館見学。
           観光として星空日本一を見物。(天気次第)
・軽井沢日大施設  : マラソン読書会(ドストエフスキー)

【南真宗昼神温泉郷の場合】
 
熊谷元一写真童画館 熊谷元一とは何か。写真童画館見学で、その功績を知る。

           

満蒙開拓平和記念館 終戦3カ月前、5月1日新緑の故郷伊那谷から、はるか海を超えて、中国大陸東北部(満州国)に向かって旅立った村人たちがいた。60名の子供たちと教師も一緒だった。村人たちは、なぜ、ソ連軍が明日にも攻めてくる国境の開拓村を目指したのか。「満蒙開拓平和記念館」見学で、そのなぞが解ける。

☆星空日本一 お天気次第です。
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.5 ―――――――― 7 ―――――――――――――

 
ドストエフスキー『罪と罰』を読む. ナポレオン生誕250周年に寄せて

ナポレオンになりたかった青年の物語(校正しながら連載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
才能ある若者は、なぜ殺人者になったのか。2003年12月、故郷の穴倉で米軍に拘束されたイラクのフセイン元大統領は、なぜ『罪と罰』を所持していたのか。その謎に迫る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第一講 『罪と罰』とは何か

 はじめに作品の考察に入る前に、作家と作品についてドストエフスキー全作品を読む会「読書会」で報告されたことなどを紹介しながらドストエフスキーとは何かを考察していきたいと思います。

・ドストエフスキーの代表作品について

 ドストエフスキーの代表作品は、一般的には、五大長編がよく知られています。個人的には、中編四大作品も代表作にあげたいところです。四大中編作品とは、処女作『貧しき人々』二作目の『分身』(『二重人格』とも訳されています)、シベリア監獄生活の創作ルポ『死の家の記録』、自伝的作品『虐げられし人々』。そして『罪と罰』の基盤とも言える『地下生活者の手記』です。が、研究対象、評論対象になるのは、やはり有名な五大長編です。
〈ドストの評論〉『ウラ読みドストエフスキー』清水正著、『「罪と罰」における復活』芦川進一著、『謎解き「罪と罰」』江川卓著などなど枚挙にいとまがないほどあります。ちなみに私も『ドストエフスキーを読みながら』(2006)『ドストエフスキーを読みつづけて』(2011)をだしています。
五大長編とは『罪と罰』(1866)、『白痴』(1868)、『悪霊』(1872)、『未成年』(1875)『カラマーゾフの兄弟』(1880)です。ここで取り上げる『罪と罰』作品は、長編作品群のトップバッターとして登場します。この作品は、物語の分かりやすさ、面白さ、リアルさから五大長編のなかでも特に人気があります。世界中に多くの読者がいます。この講座の宣伝文として書きましたが、あのイラクのフセイン元大統領も、逃亡生活で持参していたほどです。
 しかし、ドストエフスキーと聞くと、たいていの人は、「難しい小説」「長すぎて重すぎて、終わりまで読めなかった」そんなネガティブの感想を耳にします。
2000年のはじめ、日本では第3次のドストエフスキーブームがありました。火付け役は、ドストエフスキー研究者の亀山郁夫氏。光文社から『カラマーゾフの兄弟』の新訳本をだしたことに端を発しました。この訳書は、若者を中心に売り上げをのばし、売り上げ部数は古典としては何十万部という驚異的数字を記録しました。当時NHKは、HPで
「百人に一人しか読破できないと言われるドストエフスキー/なぜ今人気なのか」不思議に感じて私たちの「読書会」に取材にきたくらいです。その様子は、2007年8月25日「おはよう日本」で放映されました。その後『悪霊』なども訳され、すっかりベストセラー訳者となった亀山氏ですが、こんな本音らしい感想ももらしています。
「本を買っても実際に読む人は少ないと思います。千人に一人、五千人に一人かも知れません」この言葉通り、ドストエフスキーブームは、たちまちのうちに去りました。
しかし、読書会の参加者は、ブームの前も、後も変わりません。いつのときも20人前後です。このことはドストエフスキーは、いつの時代も流行り廃りに関係なく、地道に読みつづけられている。その証ではないかと思うところです。次回
―――――――――――――――――  8 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.5

・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・・

熊谷元一研究関連 法政大学国際文化学部の高柳教授からの報告

 4月の第2回学習会は、当時実際に飯田に疎開(学童集団疎開、縁故疎開)した体験者をはじめ、幸い30人ほどの参加者を得て、無事終了しました。
伊那谷を舞台に、戦争に関して、当時といまを考える場になったのではないかと思います。引き続き、第3回目の学習会を以下のような形で実施します。
よろしかったら、どうぞご参加ください。

※配付資料を準備する都合上、参加の前日までにメール等でご一報願います。

●日時:2019年5月25日(土)15:00~18:00
●会場:法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー3階 0300教室
●テーマ:伊那谷と養蚕
●内容:伊那谷の歴史にとって、かつての主力産業で、多くの住民が携わった養蚕は欠かすことができない。伊那谷の養蚕農家を描いた岩波映画「ひとりの母の記録」(1955年)をはじめ、組合製糸である下伊那の天龍社、上伊那の龍水社、それに蚕の神を祀る蚕玉様信仰に関するものなど、養蚕にまつわる映像をまとめて視聴する。

一緒にドストエフスキーを読みませんか

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年6月15日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』3回目
報告者 : 菅原純子さん

月 日 : 2019年8月10日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』4回目
報告者 : 石田さん

※ 連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

・ドストエフスキーが五大長編に託したもの

 ドストエフスキーが五大長編作品に託し目指したものとは何か。それは、「善い思い出は人間を救う」といった人間愛、人類愛ではないでしょうか。私は、そう推理し、結論しました。原点となったのは、ドストエフスキーが少年時代の夏に過したダーロヴォエ村の「少年時代」と推察する。その頃の思い出をドストエフスキーは、『作家の日記』(1876年2月)に書いている。
小作品にした、百姓マレーとの思い出がそれだ。――夏の真昼間の野で10歳の少年フェージャ(ドストエフスキー)は、突然、狼が来る!という幻聴に襲われる。異常な恐怖感におののく少年をゆったりと抱いて背をなぜさすり緊張をほぐしてくれたのが、近くで畑を耕していたマレーだった。この少年時代の記憶について、ドストエフスキーは「ノート」にこのように書いている。
「あの百姓のマレーは私の頬をべたべたとたたいて、小さな頭をなでてくれたっけ」/懲役へ行って初めて思い出した。あの思い出のお陰で、懲役暮らしを耐え抜くことができた。(ノート)。ドストエフスキーの根本理念を生んだトゥーラ県のダーロヴィエ村の「黄金時代」美しい自然と、『百姓マレー』の純朴なやさしさ、懐かしさ。それら子ども時代の思い出は、ドストエフスキーの理念・理想となった。ドストエフスキーが願ったのは、調和と融和ある社会。人間一人ひとりの幸福だった。つまり全人類救済の目標だった。
「善い思い出は人間を救う」楽園実現のためにドストエフスキーは、五代長編作品でその方法を試みた。『罪と罰』は、その1番バッターとして登場した。調和ある社会、楽園をつくる方法の一つとして。しかし… 

4・23提出レポート 「車内観察」「ある日の出来事」

提出レポート 「令和と私の一日」

本書は、両作家の比較文学論である。が、読みながら感じるのは、生前「憎しみと軽蔑を感じていた」著者自身の父親に対する愛と三十七年間「どうしても受けつけないものがあった」志賀直哉への素直な思いである。
もう三十余年も前になる。千葉県と茨城県の県境にある我孫子市という町に度々、遊びに行った。その地に新しい団地ができ、入居抽選に当選した友人が一人住まいはじめたからである。都内の陽の差さない六畳一間の安アパートに住んでいたから、新築の団地の3DKは郊外とはいえ羨ましい限りだった。その頃、高度成長真っ盛りの最中で、省線のあちこちで駅前再開発事業が行われていた。途中の隣り町では、何の変哲もない田舎の駅、柏駅が、華やかな都会の街に生まれ変るべき連日連夜、槌音を轟かせていた。電車の車窓に町々の喧騒が映えていた。
しかし、さすがに我孫子まで来ると風景は一転した。成田線沿線の所々に造成地は見え隠れしていたが、点在する雑木林と丘陵や畑から都会から遠く離れた感を受けた。小鳥の声が聞こえていた。見上げた空は高く青かった。小高い丘の上にできた団地からの眺めはすばらしかった。眼下に広がる一面の田、その向こうに横たわる大きな沼。よく河畔を散歩した。春の日、岸辺の背の高いヨシの繁みの中でよしきりが、うるさいほど鳴いていた。が、それもまたいっそうの田舎の静寂となっていた。沼に浮かぶ魚取りの小舟。白サギたちの群れ。沼をとりまくなにもかもが風物詩だった。その後、沼は、日本でもっとも汚染度の高い水質。そんな汚名をきることになってしまった。が、当時は本当にのどかな田園地帯そのものだった。あるとき、れんげ花が咲き乱れる土手道を歩いていて、ふと、一時期この土地に志賀直哉が住んでいたことを思いだした。「菜の花と小娘」「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」など教科書で読んだ作品がなつかしく頭に浮かんだ。同時に、もしかして住んでいた家が残っているかも・・・そんな思いが過った。その後、都市化の波のなかであの田園風景がどんなになったか知らない。が、我孫子は今でも志賀直哉を彷彿させる。
本書の著者清水正氏は、この我孫子に生まれ、我孫子で育った。今も暮らしている。「武者小路實篤邸跡の脇道を小学校時代の昔から通っていた」というから白樺派の作家たちは身近だった。それだけに本書は必然の帰結といえる。
「小説の神様」といわれている志賀直哉は、はたしてドストエフスキーをどこまで読んでいたか。また、その作品は、ドストエフスキーの影響をどれほど強く受けていたか。本書は、この疑問を創造・想像批評によって検証・考察するものである。代表作『暗夜行路』をはじめ『濁った頭』『大津順吉』『或る男、其の姉の死』の四作品をとりあげ、主にドストエフスキー作品『罪と罰』のラスコーリニコフを投影させている。また、白樺派の作家たちの著作や伝記から志賀直哉のドストエフスキー度を探っている。が、本書は、両作品の共通性を指摘するというより「テキストを一つの統一された画像に構築する」つまり「ドストエフスキー山脈の見える部屋の窓ガラスに志賀直哉の小説をあてて見る」という技巧をとっている。その結果、そこに「思わぬ光景」が映し出されるとしている。それは如何なる文学的、神学的風景なのか。
本書読了後、感じたのは、難解な比較文学論でも意味深な作品論でもなかった。志賀直哉をスライドさせた窓ガラスに映ったもの。そこには、威厳をたたえながらも寂寥感をにじませる「父」の姿であった。かつてバルザックは「ルイ十六世の首を斬ることによって、革命はあらゆる家庭の主人の首を斬ってしまったのだ。今日ではもう家庭は一つとして残っていない」と嘆いた。現代においてすっかり影が薄くなった「父」。著者清水正氏の父親も、まさにそんな人であったようだ。氏は、その「父」像を、志賀文学に見たのかも知れない。志賀文学を至高の芸術と崇めていた小津安二郎の映画に「父」を感じるように。
秋のある午後、駅前の書店の店頭に名もなき父の死を悼んで書いたノンフェクション作家沢木耕太郎の『無名』を見かけた。創造・想像批評の手法において本書は、その書以上に父を物語っている。そんな気がした。「平凡を絵に描いたような父であったが、その平凡の中に埋め込まれた悲しみを思うと胸が詰まる。この著書は父に捧げるものである」静かに語る著者清水氏の言葉が心にしみる。本書は、志賀直哉との和解と同時に著者自身の父親との『和解』の書でもあるのだ。本書によって改めて志賀文学の普遍さ、奥深さを知る。そこにドストエフスキー文学との接点をみた。
代表作一つ『罪と罰』を読むまえに、「ドストエフスキーとは何か」を今一度、紹介しておきたい。
〈ドストエフスキーとは何か〉資料として1986年3月発行『ドストエフスキー写真と記録』(代表編者 V・ネチャーエワ 訳 中村健之介)から『罪と罰』までの作家の人生を知る。
 はじめにドストエフスキーという姓についてみてみる。日本の家系図は、先祖は、ほとんど藤原鎌足や源氏や平家につながるいい加減なものであるが ロシアでは、その真偽はどうか知らない。参考資料には、このように書いてある。

ドストエフスキーという姓は、16世紀の中ごろ、ドストエヴォという村(ビンスク市の近く)の名から派生して出来たものである。すでに1572年、この姓を名乗っていた者の一人に「留守番役(ドモーヴニク)」のフョードル・ドストエフスキーという者がいた。「留守番役」というのは、信任された配下。貴族だった。(グロスマンによれば)
M・A・ドストエフスキー(1789-1839 作家の父)は。ブラツラフの町(元ボドーリャ県)の司祭長である父が聖職者になってほしいと願っていたのに背いて、まだ若いうちに家をでてしまった。彼(作家の父親)は、1813年モスクワの医学専門学校を卒業し、同地で最初は、陸軍病院で、後に慈善病院で医師として働いた。

作家ドストエフスキーは、

次号へ

NHKカルチャー柏教室 2019.7-12 AM10:30~
「ナポレオンになりたかった青年の物語」講師・下原敏彦
イラクの独裁者フセイン元大統領は、なぜ『罪と罰』を持っていたか。隠れ家の穴倉にあったのか。その謎に迫る。
     

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑