文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.370

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)5月21日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.370

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

5・21下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。1人増えて8人の仲間になりました。
宇治京香  安室翔偉   梅田惟花  佐久間琴莉  松野優作  伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (写真全員のとき)

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【5・21ゼミ予定】
□今週の気になる新聞記事、ゼミ誌ガイスダンス報告(15日参加の編集委員)。
□提出レポート読みと感想「なんでもない1日」「令和と私」
□テキスト志賀直哉・車中観察「出来事」「正義派」読みと感想
□ドストエフスキー講座「日本人とドストエフスキー」下原評論
□提出レポート「車中観察」or「テキスト感想」
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【5・14ゼミ報告】
■参加5名 宇治、大森、佐久間、伊東、梅田
■今週の気になる新聞記事「裁判員裁判制10年目」配布
■ドストエフスキー講座「ドストエフスキーとギャンブル」下原評
■提出レポート「令和と私」報告と感想
■「車内観察」or「なんでもない一日」レポート提出
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.369―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年、読書と創作の旅、同行者の紹介

5月14日現在、以下8名の皆さんの提出がありました。

・宇治 京香さん 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14

・伊東 舞七さん 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14

・梅田 惟花さん 4/9 4/16 4/23 5/14

・佐久間 琴莉さん4/9 4/16 4/23 5/7 5/14

・大森 ダリアさん 4/9 4/16 4/23 5/14

・安室 翔偉さん 4/16 4/23 5/7

・佐藤 央康さん 4/9 4/16 4/23 

・松野 優作さん 5/7

□8人様々な個性を感じます。楽しい有意義な旅となるように…。
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ゼミ雑誌について  皆で協力し合ってよいゼミ誌を創りましょう!!

編集委員 : 宇治京香さん 佐久間琴莉さん (ゼミ合宿についても)

ゼミ誌ガイダンス報告 : 宇治京香さん 佐久間琴莉さん

・・・・・・・・・・・・・・・土壌館雑記・・・・・・・・・・・・・・・・・

先史・古代展を観る
 5月17日(金)「国立歴史民俗博物館」を見学した。この3月リニューアルオープンした《先史・古代》展が目的だった。大学時代の友人たちに声をかけると、9名(夫婦3組)が集まった。通称「歴博」は、千葉県の佐倉市の不便なところにある。が、古希を過ぎたお年寄りには関係ないようだ。待ち合わせた京成「佐倉駅」改札午前11時きっかりに全員集まった。仕事現役の友もいたが、こちらが優先というご身分。
 「歴博」は、駅から徒歩20分程度。小高い丘の上にある。新緑の中を散歩がてら向かった。館内は、地元の小学校、中学校の子供たちでときどき、騒々しかったが、金曜日とあって子供たちの団体が過ぎると、がらんとした。ところどころ人気のない会場もあった。
 リニューアルされた第1展示室(先史・古代)では、下記の展示を観た。
Ⅰ.最終氷期に生きた人々 260万年前~   Ⅱ.多様な縄文列島 約1万1千年前~
Ⅲ.水田稲作のはじまり 紀元前10世紀頃   Ⅳ. 倭の登場 弥生時代 1~2世紀
Ⅴ.倭の前方後円墳と東アジア 3~7世紀   Ⅵ. 古代国家と列島世界 7世紀以後

 古代の展示作品を観ていて、いつも思うのは、古代人と現代人の違いは何かということだ。IT時代スマホ文化を謳歌する現代人だが、生活力や芸術的センスにおいて、はるかに及
ばない気がした。帰路、ステーキハウスで打ち上げ。親しい仲間と飲んで食べているときが
一番。人間の楽しみは、いつの時代も変わらない。(編集室)
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.370

 テキスト・解説 志賀直哉の「なんでもない一日」『或る朝』

現在、本ゼミ通信では、創作指導として自分の一日観察「なんでもない一日」を掲載している。自分の一日観察は、それ自体、短い独立したものだが、積み重ねれば、記録になる。創意を加えれば短編、中編、長編小説にもなる。自分観察は、そんな基盤というか要素を持っている。
テキストにしている志賀直哉の作品は、そうしたものが多い。最初の作品『或る朝』は、まさに「なんでもない一日」の朝の出来事だが、この積み重ね手法は、やがて長編『暗夜行路』に繋がっていく。その意味で、志賀直哉処女作三部作といわれる『或る朝』(他二作は『菜の花と小娘』『網走まで』)

【『或る朝』について】
 この作品は、文字通りふつうの「或る朝」の出来事を書いたものである。が、例によって作者本人の、そのままというより軽い創作というオブラートがかかっている。
 元種は、日々の日記(自分観察)を土台にしたものである。次の日記は、その原形ではないかとみられている。
□ 明治41年1月13日 月曜日
 朝、起きない内からお婆さんとひと喧嘩して午前墓参法事。

この日記を種にして作品を書く。翌14日(火)の日記に
「朝から昨日のお婆さんとの喧嘩を書いて、(非小説、祖母)と題した。とある。
ちなみに作者志賀直哉は、この作品について「創作余談」で、このように述べている。

 27歳(数え年26歳の記憶ちがい)の正月13日亡祖父の三回忌の午後、その朝の出来事を書いたもので、これを私の処女作といっていいかも知れない。私はそれまでも小説を始終書こうとしていたが、一度もまとまらなかった。筋はできていて、書くとものにならない。一気に書くと骨ばかりの荒っぽいものになり、ゆっくり書くと瑣末な事柄に筆が走り、まとまらなかった。ところが、「或る朝」は内容も簡単なものであるが、案外楽に出来上がり、初めて小説が書けたというような気がした。それが27歳の時だから、今から思えば遅れていたものだ。こんなものから多少書く要領がわかってきた。

 この作品は、大正7年(1918)3月1日発行の『中央文学』に掲載された。書いてから10年が経っていた。祖母が、うるさく起こすので素直に起きる気をなくした孫の話。意地っ張りから祖母に悪態をついたことを反省するまで。家庭の日常で生ずるたわいもない喧嘩。これを捉えて、一つの作品にする。簡単なようだが、難しいものがある。それだけに「はじめて小説を書けたというような気がした」「書く要領がわかってきた」という作者の述懐は、作者の文学開眼の言葉ともいえる。つまり、この作品は、志賀直哉の内なる文学の芽。小説の神様へと通じる階段の第一段だともいえる。その意味では、『或る朝』は、志賀文学の重要な基盤、出発点となる作品である。この作品は、その後、父親との確執を描いた中編名作『和解』に繫がっている。そして、あの名作長編『暗夜行路』にと至る。
 核家族になった今日、いわゆる「オバアちゃんこ」はできにくい。起きる、起きないをめぐって祖母と信太郎二人の気持の機微が、描かれている。だれもが子供の頃、祖母や母親とで経験したことがある懐かしい家族の思い出である。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.370 ―――――――― 4 ―――――――――――――

テキスト・志賀直哉の車中作品と関連作品

『出来事』 実際に体験した作品。
 この作品は、1913年(大正2年)9月1日発行の『白樺』第四巻に発表された。30歳。
7月28日の日記「子供が電車にヒカレかかった。(出来事)」。8月15日「病院。かえって『出来事』の了ひを書き直して出来上がってひるね」この夜、友人と散歩にでて山の手電車にはねられて怪我をする。(岩波書店『志賀直哉全集』)
※ この怪我の治療に城の崎温泉に行き『城の崎にて』を書く。

比較 次に読む『正義派』は他者から聞いた事故の出来事を創作した作品。
 『正義派』この作品は、1912年(大正元年)9月1日発行の『朱欒』に発表された。29歳。1912年(明治45年)5月2日の日記「夜少し仕事をした。(興奮という題の)」とある。5月5日には「『興奮』という題の小説をかきあげた」とある。5月17日は「雀の声を聞きながら眠って翌日の12時半に起きた。『線路工夫』を少し書いてみた」とある。5月28日「夜、『正義派』・・・を書き終わった。感心すべきで物ではない」8月25日「あけ方、とうとう『正義派』を書きあげる。悪い小説とは思わない」
 その後の【創作余談】では、「車夫の話から材料を得て書いたもので、短編らしい短編として愛している」と回想されている。(『志賀直哉全集』岩波書店)

名作『城の崎にて』について
自らが電車事故にあい湯治にいった温泉地での作品。

一見なんでもない作品。しかし、この作品は名作と評されている。なぜ名作か。その意味がわかるのは、おそらく、もっと多くの小説。いろんな分野の作品を読む必要がある。文学でもなんでもそうであるが、本物はすぐにはわからない。
 『出来事』を書いた8月15日の夜、山手電車にはねられた。その時の傷の養生に城崎温泉に行く。10月18日から11月7日まで湯治療養。この間、この作品を書く。
10月30日の日記「蜂の死と鼠の竹クシをさされて川へ投げ込まれた話を書きかけてやめた。これは長編の尾道に入れることにした。」とある。(『志賀直哉全集』岩波書店)

【創作余談】これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。所謂心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。

志賀直哉年譜(『網走まで』の)
1883年(明治16)2月20日、父直温(第一銀行石巻支店勤務)、母銀の次男として宮城県
         に生まれる。(ナオハル)
1886年(明治19)3歳 芝麻布の幼稚園に入園。父直温文部省七等属会計局勤務。
1889年(明治22)6歳 9月学習院初等科入学。
1893年(明治26)10歳 父直温、総武鉄道入社。
1895年(明治28)12歳 8月母銀死去享年33 秋、父、浩(こう)24と結婚。 
1901年(明治34)18歳 足尾銅山鉱毒問題で父と意見衝突、父との長年の不和の端緒。
1902年(明治35)19歳 春、鹿野山に遊ぶ。学習院柔道紅白戦で三人抜きをする。
1904年(明治37)21歳 日露戦争、「菜の花」を書く。
1905年(明治38)22歳 父総武鉄道専務就任、帝國生命保険、東洋製薬等の役員。
1907年(明治40)24歳 家の女中に恋する。反対の父、祖母、義母と争う。諦める。
1908年(明治41)25歳 8月14日『小説網走まで』を書く。
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5・14提出課題報告 書くことの鍛錬は、まず、自分が一番知っていることを書く。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の肌で触った感覚。そして自分の頭で考えたことを正確に書くこと。簡潔さと客観性+分かりやすさの確認。以下、5/7提出分。

【なんでもない一日】

・伊東 舞七     とても大きな存在

 GWが終わり、また日常に戻った5月。私も例の五月病にかかるだろうか。とりあえず、今は朝起きるというところから習慣化させています。あと5分…とか言っていると、いつまでたっても起きないし、学校にも行かなくなってしまうので、頑張りたいです。
 そんな中、2日は、母の日でした。日頃の感謝を込め、手紙とちょつとしたプレゼントを贈りました。とても喜んでくれたので良かったです。久しぶりに母とたくさん話し、楽しい時間を過ごすことができました。家族とはいえ、一人の人間でもあるので、理解できないところ、ぶつかるところもあります。けれど、私にとって、母の存在はとても大きなものなので、日々、「ありがとう」の気持ちで接していこうと思いました。

□お母さんの喜ばれた様子、目に浮かびます。子供は成長とともに離れていってしまうので、親はちょっとしたことでもうれしいものです。これからも孝行してください。

・佐久間 琴莉    私の秘密基地
 
 10階建てのマンションに住んでいる。3階の自室で目を覚ます。たいてい予定していた電車には乗れない。二度寝するからだ。不思議なことに、二度寝しなかった日も電車に乗り遅れる。準備し始めるのが遅いらしい。
 なんとか家を出る。移動手段は主に、電車になる。通学ももちろん。最寄りの駅まで走る。冬はまだ良い。夏は、駅に着くまでに化粧やらヘアセットやらが崩れおちる。おまけに汗だくで電車に乗る。学校に行く気もなくなるというものだ。なんとかバイトを終わらせても、バイトに向かう。ミスを連発しながら、なんとかクロースを終わらせ、自宅に帰る。気分が沈んでいる時は、マンションの最上階に上って夜景を見る。昼間に行くと富士山や西武園遊園地の観覧車などが見える。幼い時からの秘密の基地だった。1時くらいに帰宅し、泥のように眠る。アラームをセットしないので寝坊する。

□がんばって1回で起きる習慣つけてくださいね。

・宇治 京香        毎日が小旅行

 午前6時30分、起床、意志とは関係なく落ちてくる瞼を指でこじ開け、洗面台へと向かう。平日の朝は憂鬱だ。なにしろ大学まで片道3時間、毎日が小旅行のようなもの。神奈川(ほとんど静岡)の僻地から大都会を目指す。まず最寄駅まで20分。小田急線に揺られ新宿へ。そこから山手線、西武新宿線と乗り継ぎようやく大学である。2限からでも6時台に起きなければならないことは私の頭を悩ませている。所沢校舎の時よりいくぶんか距離が短くなったのは確かであるが、通学時間のせいで長期休暇以外アルバイトもできない。
 一日の4分の1を電車の中で過していると考えるとなんだかやるせない。このことを考えるとキリがない。しかし、電車の中は睡眠の延長線上にあり、時にはよい夢も見せてくれる。ボーっと考え事をしているうちに時はあっというまに過ぎ去るものだ。帰宅し、気づいたらまた夢の中。目を開ける頃には、またおちてくる瞼を指でこじ開けている自分がいる。

□そうですか、通学の大変さ、いつか懐かしい思い出になれば…。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.370 ―――――――― 6 ―――――――――――――

・大森 ダリア    今年1番の感動

 最近ベットが壊れた。日本に引越してきた時に急いで買った安物だ。よく5年間も私の体重に耐えてくれた。そこで新しいベットが届いた。5年も寝にくい、固い、ダサイベットで我慢していたので今回は贅沢をした。セミダブルのベットにしてやった。母と2人暮らしの狭い部屋によくもそんな買い物をしたなと思う。1部屋しかない大森家でなんとかやりくりし、リビングに母の部屋を無理やり作った。新しいベットとともに私個人の部屋が完成した。今年1番感動したかもしれない。ベットを組み立てるのに4時間ほどかかったが、それすらも幸せに感じた。モスクワにいたときの家は広かったので日本に引っ越してきて5年間、私は、その狭さが本当にストレスだった。
 そして、やっとそのストレスから解放され個人の時間、スペースを有意義に使うことができる。母には申し訳ないが、今年1番の良い買い物をしたと思う。ありがとうセミダブル。

□よかったですね。我が家のバアさんのベット、孫がきて跳びはねするので、壊れてきました。が、バアさんの歳を考えると、修理するよりほかないようです。

・大森 ダリア    眠かった一日

 今日はベットでのコーヒーを飲んでから朝を始めた。やることが山積みで一つ一つ約定(約束、予定)を組み立てた。とりあえずシャワーを浴びて、頭をスッキリさせ行動をしはじめた。だらだらと学校の準備をし、やっとの思いで外に出る。
 一限から英語の授業があり、暗い教室で映画を見た。眠い。ひたすら眠い。お願いだから一限から教室を暗くするのはやめてほしい。授業が少し早く終わり、珈琲館に向かう。今日は、ビーフシチューを食べた。肉がよく煮込まれていておいしかった。コーヒーを飲みながら4限までの空き時間を潰し、また授業に向かう。くだらない話をして気持ちを楽にさせてから授業が始まる。10分くらい早く終わり、バイトに向かうため急いで駅に。掃除のバイトを一時間半ほどやってから、頼まれていた翻訳を家に帰ってやる。骨折している母のために買い物に行き、ごはんをつくる。今日は面倒くさいのでカレー。シャワーを浴びて、食器を洗い、葉を磨いて本を読みながら眠った。

□忙しい一日でしたね。お母さんの骨折、大丈夫ですか。

【令和と私】

・梅田 惟花    寂しさのなかに、胸の高鳴りが…

 5月1日、私が生まれた「平成」が終わり、「令和」が始まった。4月30日には「そんな元号が変わるくらいで」と斜にかまえていた私だったが、やはりいざカウントダウンが始まると一年が終わる12月31日よりも言いようのない寂しさが胸を被った。
「10、9、8、7、…」テレビの中でついに一ケタのカントダウンが始まる。頭の中で゜走馬灯のように今まであった記憶が巡った。目頭が熱くなり、涙があふれそうになる。
「3、2、1、…」
私は新たな時代を笑顔で迎えるのに、背筋を伸ばしながら涙を拭った。
「ゼロ!令和もよろしくお願いします!」アナウンサーや芸能人のそんな声を聞きながら家族とも挨拶をかわす。私の人生の大半を占めることになるのであろう「令和」は一体どんな時代になるのか。寂しさの中に早くも胸の高鳴りを感じた。

□新しい年号、皆さん一番忙しい年齢です。よい時代になってくれるといいですね。
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ドストエフスキー講座 下原「団塊世代とドストエフスキー」

世界名作の旅 5月の詩「谷間に眠るもの」「感覚」

☆『ランボオ詩集』A・ランボオ 金子光晴訳 角川文庫から

詩編2作紹介
アルチュール・ランボオは1854年10月20日北フランス生まれ、1891年11月9日マルセイユ病院にて死去37歳。大作「酔っぱらいの舟」17歳のとき。

金子光晴訳『ランボオ詩集』1870-1872から
Sensation(サンサシオン)
 
 夏の爽やかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと麦穂の先で手をつつかれ、小路をゆこう。
夢みがちに踏む足の 一足ごとの新鮮さ。
帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。

              話もしない。ものも考えない。だが、
             僕のこのこころの底から、汲めどつきないものが湧きあがる。
             さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミヤンのように。
             自然とつれ立って、――恋人づれのように胸をはずませ・・・

谷間に眠るもの

 立ちはだかる山の肩から陽がさし込めば、
ここ、青葉のしげりにしげる窪地の、一すじの唄う小流れは、
狂おしく、銀のかげろうを、あたりの草にからませて、
狭い谷間は、光で沸き立ちかえる。

           年若い一人の兵隊が、ぽかんと口をひらき、なにもかぶらず、
          青々と、涼しそうな水菜のなかに、ぼんのくぼをひたして眠っている。
          ゆく雲のした、草のうえ。
          光ふりそそぐ緑の褥(しとね)に蒼ざめ、横たわり、

 二つの足は水仙菖蒲なかにつっこみ、
病気の子供のような笑顔さえうかべて、一眠りしているんだよ。
やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あっためてやっておくれ。

          いろんないい匂いが風にはこばれてきても鼻の穴はそよぎもしない。
         静止した胸のうえに手をのせて、安らかに眠っている彼の右横腹に、
         真っ赤にひらいた銃弾の穴が、二つ。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.370 ―――――――― 8 ―――――――――――――

ゼミ合宿について 希望地として南信州の「昼神温泉郷」
           大学に確認。ダメな場合は、日大施設。

希望地での授業内容  : 熊谷元一写真童画館見学・満蒙開拓平和祈念館見学。
             観光として星空日本一を見物。(天気次第)
日大施設での授業内容 : マラソン朗読会
 
【南信州、昼神温泉の場合】費用は日大施設より多い…

熊谷元一写真童画館見学「熊谷元一写真童画館」見学で熊谷の功績を知る。

1953年入学の「一年生」「村人の記録70年」の写真作品の他、童画作品の展示。

満蒙開拓平和記念館 中国残留孤児の悲劇を生んだ戦前の国策を知る。

終戦まで後3カ月。昭和20年5月1日、新緑の伊那谷を後にして遠い中国の北東部(当時満州国)に旅立った村人家族と、その子どもたちと教師。総勢195名がいた。彼らは、なぜ、ソ連軍が迫る国境の開拓村に向かったのか。悲惨な逃避行を生んだ国策の謎。同館見学で、その謎が解ける。

星空日本一 日本で星空が一番きれいに見える村として話題。但しお天気しだい。

・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・

一緒にドストエフスキーを読みませんか

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで
月 日 : 2019年6月15日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』三回目 報告者 : 菅原純子さん

月 日 : 2019年8月10日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』四回目 報告者 : 石田さん

※「ゼミ通信」掲載の原稿、メールでも可。

連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

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