文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.8

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)6月4日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.8

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

6・4下原ゼミ

5・28ゼミ観察 2019年度の旅、5・28ゼミは、参加4名
       
 この日の参加者は、西村美穂、吉田飛鳥、中谷璃稀、志津木喜一4名

令和に入って幼い子供が犠牲となる酷く悲惨な事件、事故が相次ぐ。この日も朝から通り魔事件のニュース。子供一人と大人一人心肺停止を学校についたときに知る。当初、無差別と思われた事件だが、その後、長期引きこもり犯(51)の鬱屈した拡大自殺のようだ。

ゼミ誌編集会議  概要決め サイズ 期日、枚数など

設 定 → 架空の町 そこで生活する人々。創作、エッセイ、詩人など自由
サイズ → 文庫本版
印刷所 → 新生社

ゼミ合宿について ゼミⅡ合同参加希望。受け入れ多数で容認が決まる。ゼミⅡ6名、ゼミⅢ9名
              
予 定 = 2019年9月5日(木)~6日(金)下原ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿
場 所 = 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷
目 的 = 「熊谷元一写真童画館」・「満蒙開拓平和記念館」見学
行 程 = 予定5日 8:00頃パスタ新宿発・飯田行→「伊賀良」下車(ホテル送迎車)→ 昼神温泉郷(昼食)「熊谷元一写真童画館」見学 温泉郷散策 夕食後、星空(雨天はなし)温泉、就寝
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    17日 朝市見物・朝食 → 「満蒙開拓平和記念館」見学 → 宿場町「駒場」を見物しながら徒歩で打ち上げ会場(南国飯店)→ 「伊賀良」15:19高速バス → 19:30から20:00パスタ新宿着。解散
【前回の日程】8/16~8/17
8/16 8:00パスタ新宿(飯田行)→双葉休憩→伊賀良下車、宿送迎車→宿(12:30昼食)
   2:00昼神温泉郷散策「熊谷元一写真童画館」見学、珈琲館休憩→温泉、夕食 雨のため星空見物中止、盆踊り、花火大会見物→温泉・就寝
8/17 6:00朝市見物・朝食→10:30「満蒙開拓平和記念館」見学→三州街道の宿場、駒場町を徒歩で会場1:00~「南国飯店」で郷土料理「五平もち」など食べる。→3:19伊賀良(新宿行)→ 20時前後ころパスタ新宿。解散。

2019年(令和元年)のホテル候補(ゼミⅡ6名、ゼミⅢ9名) ゼミⅢ西村

①伊那華(いなか)
 7 人部屋2 室(9500円/ ひとり)、1人部屋1室(1万5500円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜バイキング

②ひるがみの森(ひるがみのもり)
 5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

前回のゼミ合宿 2017年8月16日~17日ゼミ合宿でかかった費用、阿智の里「ひるがみ」

高速バス往復 → 8000
宿、宿泊   → 7750
16日昼食(宿)→ 1200
「熊谷元一写真館」入館料 350
「満蒙開拓平和記念館」入館料 500
17日昼食で打ち上げ(南国飯店)2000
                  総額19800 (交通費・宿泊など)

☆星見物の場合(ロープウエイ)乗車3200 雨天で中止でした。
       星見物の場合、総額23000円(交通費込)
5・28ミニ劇場報告  5・28、ゼミ4法廷で模擬裁判開廷

  テキスト志賀直哉『兒を盗む話』 脚本。「ゼミⅢ通信」編集室

尾道幼女誘拐事件模擬裁判

裁判長 = 吉田飛鳥    被告人の父親 = 西村美穂
被告人 = 志津木喜一   証人(大家) = 西村美穂              検察側 = 中谷璃稀    裁判員   = 参加ゼミ生全員
弁護人 = 西村美穂
                
判決 →  有罪 猶予なし 実刑5年
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提出課題 弁護側としては、執行猶予つき判決にしたい。懲役?年執行猶予?年くらいに。

志津木 喜一  あくまで突発的で、寂しさ故の犯行

 計画的な犯行ではなく、あくまで突発的な犯行であったことを主張する。また会環境が悪く追い詰められていた状況から精神不安定な状態であったことも考慮に。その上で被告の唯一の心の拠り所であった被害者の娘と偶然出会ってしまったが故におよんだ寂しさを埋めるための行動であったことを伝える。

西村 美穂   社会の中で自戒の念を育てさせた方が…

 たしかに彼の行為に対し無罪を主張することはできませんが、彼が初犯であること、また顔見知りであったことや、誘拐期間が三日間であったことを考慮し執行猶予2年懲役2年を求刑します。今回の被告人の行動は社会生活の中で生じたもので、被告を社会から切り離し生活させるよりも執行猶予の中で自戒の心を育てる方が、被告、ひいては社会の為になると主張します。

中谷 璃稀  重罪だが、無事であったことを第一に考えて

 ただ、「寂しかったから」という気持ちからくる行為だ。だとすれば、罪の意識が薄れるのも無理はない。たまたま顔見知りの少女が目の前に現れて、少女が輝いて見えたのかもしれません。
 たしか、少女一人を家に連れて帰ったのは事実です。一時の感情に身を任せ、こうして事件を起こしてしまったのも事実です。被害者家族にとって、それがいかに恐怖と心配で包まれる(被われる)ことか、計り知れないでしょう。罪は情に流されるほど軽くはありません。
 ただ、被害者が無事であったことを第一に考えれば、たとえ重大な罪だったとしても、被告の意思が誘拐の一言で片付けられてしまうのは、気が引けるというものでしょう。彼の意思をもう少し汲み取ってやってもいいのではないでしょうか。

吉田 飛鳥  尾道から離れることを条件に減刑を嘆願

 幾つか減刑の方法を考えてみる。
 まずは責任転嫁。娘が連れ去られた当時の、母親の監視の甘さを言及してみる。わずか5歳の程度の知りあいの娘が一人で人ごみを歩いていたら、これは他のものであっても声をかけ、一時ほごすることは少なくないだろう。
 その後、家に還さなかったことにはつながらないが、誘拐の一点については、いくらか合理性がでる気もする。
 もうひとつは、娘が、本命の子でなかった点についてだ。
 弱った精神状態に起因して、衝動的に実行したものの、本命の舞台小屋のの子ではないため、あくまで非計画性であるといえる。
 今後舞台小屋をはじめとする尾道からは離れ、二度と近づかないことを約束して減刑を申し出る。
 いずれにせよ、在任を救う方法を考えるのは良い気がしないので、僕は弁護士には向かないのだと思う。

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ドストエフスキー講座. ナポレオン生誕250周年に寄せて

ナポレオンになりたかった青年の物語(追記しながら連載)
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ドストエフスキー『罪と罰』を読みながら 現代の『罪と罰』を考える

ドストエフスキーの『罪と罰』は、一時代の国家の物語ならず、未来永劫、人類普遍の問題として、いたるところにある。

 『死刑と無期の間 山中湖畔連続殺人事件』佐藤友之著 三一書房 1991.2.15

ドストエフスキーと犯罪者

 図書館のリサイクル本のなかに、上記の本があった。裁判の所にドストエフスキーの名前が見えたので持ち帰った。ドストエフスキーと犯罪者を扱った作品は、珍しくない。井上ひさしの『合牢者』は小説だが、手記やルポのなかに多く見られる。
本書も、そうした一冊だ。被告人は、ドストエフスキー作品は、犯罪を誘う書。犯罪者のバイブルとして明確に捉えている。犯罪者は、どのようにドストエフスキーを利用するのか、東京地裁で行われた公判で被告が『罪と罰』について述べているので、紹介する。
(ゼミ通信編集室)

事件概要 元警察官澤地和夫被告は、借金返済のため仲間2人と共謀してブローカーの男性と金融業者の女社長を山中湖畔の別荘に誘いだして殺害した。以下はその裁判記録である。

1985年10月24日 山中湖畔連続殺人事件第10回公判

弁護人 あなたは「人を殺しても金を手に入れたい」と、共犯者に、いつごろから話すようになりましたか。
被告 84年の8月半ば頃からだと思います。
弁護人 金を手に入れるには、なにも人殺しをしなくたって強盗でもいいわけでしょう。
被告 いま考えてみればたいへんばかなことをした、やはりまともではなかったと自分では思うんです。殺さなくともどろぼうしたって、どちらも悪いに決まってますけれど、私は調書のなかで「洗脳」ということばを使っていますが、ドストエフスキーの『罪と罰』が頭にこびりついていたのです。主人公のラスコーリニコフの犯罪哲学のなかに、高利貸しの老婆…汗水流して働く弱い人間の汁を吸って私腹を肥やしている人間を殺して金を奪い、ほかに有効に使うのは悪いことじゃあないというのがあります。私はこれを正当化するわけじゃあないですけれども、感化されたわけでもないんですが、そう言う発想がありました。自分が一生懸命稼いで、ときには、一日一割の金利を取られたこともありましたから。
弁護人 あなたは『罪と罰』をいつ読んだのですか。
被告 高校時代にも読んだことはありますけど、84年3月、指を詰めたあと、痛くて何もできないとき、相原のところで読みました。そして「朴さん、洗脳しなさいよ」と話したような気がします。
弁護人 『罪と罰』を読んだのは3月でしょう。
被告 そうです。
弁護人 そのころすでに洗脳されて、人を殺してもいいんだと考えたわけじゃあないんで

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しょう。
被告 ええ、ずっと後になってからです。…こんな考えにとらわれてはいけないと、一時期信仰の道に入ったりしました。
弁護人 しかし、(借金が)もうどうにもならないということで、また考えるようになつたのですね。
被告 そうです。

※殺された女社長について1984年11月28日「東京新聞」朝刊コラムに被害者は常日頃「お金もうけが私の生きがいなの」と話していたという。アリョーナ・イワノヴィチを例に…

BSテレビ アナザーストーリー 独裁者フセインの真実

人類2分法は正しいのか 英雄の魔力
 2017年8月1日夜、BS番組「アナザーストーリー」で、《独裁者フセインの真実》を観た。独裁者は、米軍の進攻で逃げ回っていた。が、2003年12月13日、ついに農家の庭穴にモグラのように隠れていたところを見つけられ拘束された。「フセイン、捕まる!」このニュースに世界中が湧いた。隠れ家に『罪と罰』があったことから「通信」編集室では、朝日新聞「視点」12/27に「『罪と罰』で正当性立証か」の記事を寄せた。あれから16年が過ぎた。
思いだすに番組は、フセインの意外性と彼に関わった3人の証言で構成されていた。意外性は、独裁者は小説を書いていたということ。証言は、逃亡した独裁者を捕まえる任務を受けた軍人と独裁者の正体を暴くために訊問の役を命ぜられたCIAのエージェント。それにフセインの愛人といわれた女性の3人。軍人は詰将棋のように独裁者を追い詰め、計画通り拘束した。優秀な軍人らしく科学的に医学的に本人と断定、新生イラクの法廷に送った。CIA のエージェントと愛人は、独裁者の残虐性を憎んでいた。しかし、インタビューに答える二人の様子は、独裁者を懐かしむ人物になっていた。ミイラとりがミイラになった、恐れながらも独裁者の魅力に呑まれてしまっていた。そんな感があった。
二人はフセインと長く接しているうちに独裁者のカリスマ(悪霊)にとりこまれてしまった。 (本人も、承知していてフセインがとりこもうとしていた、と証言していた)が、そのときは、既にとりこまれていたとみた。そこに独裁者のカリスマのすごさを感じた。
このとき、脳裏をよぎったのは『悪霊』のモデルといわれるネチャーエフのことだった。ネチャーエフは事件後ドイツに逃亡したが、スイスでつかまり、ロシアに引き渡された。身柄はペトロパブロフスク要塞監獄のアレクセイ半月塁に移された。しかし、ここの看守たちに宣伝活動をつづけ、ついには彼らを組織化して逃亡の手筈まで整えさせたという。この事件の逮捕者は698人を数えるという。彼は壊血病で35歳で死ぬが、死ななければ脱走に成功していたかも。フセインも生かしておけば、ネチャーエフのように周囲の人間を捕りこんで、ふたたびイラクにおいて独裁者のカリスマを発揮していたかもしれない。
人類の平和と幸福は、非凡人、凡人の2分法によって得られるのか。英雄は、ほんとうに平和と幸福をもたらすのか。フセイン、ナセル、アサド幾多の英雄が生まれた。しかし、いまもつづく混乱と憎しみの中東。そして格差と差別。持つものと持たざるもの欧州、アジアの社会構造。20世紀の英雄たちが残したものは荒廃だった。
※『悪霊』は革命を企み頓挫した若者たちの物語だが、半世紀後の1917年にスターリンというカリスマのもと革命を成功させた。そして、豚の群れとなった。(編集室)

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人間の謎  佐世保高1女子校生の「アレ」同級生殺害事件

 前記の渡辺氏の論文ではないが、どんな人間にも善と悪が棲んでいる。が、たいていの場合、悪は、心の奥深くに眠っていて、眼を覚ますことはない。(前号に掲載した「一家5人殺害」の犯人のようにある日、突然、起き上がって行動に走る場合もあるが)たいていは、その肉体が消滅するまで心の奥底で眠りつづけて終わるのだが…。
しかし、ときには、ふっと気まぐれに目を覚ますことがある。悪魔は、心の底から這いだし、まるでペテルブルグの、あの元学生が「アレ」にとり憑かれたように、毎日を「アレ」だけを考えて過ごす。そうして、最後に最終目標である「アレ」を実行する。
 「佐世保高1女子殺害」のニュースを聞いたとき、最初、頭に浮かんだのは、恐ろしいあの事件のことだった。「透明な存在」という名の悪魔の犯行。
あの事件とは、「透明な存在」とは何か。22年前、1997年5月18日に発覚した神戸連続児童殺傷事件のことである。日本中を震撼させた一大猟奇事件として、いまも記憶に新しい。事件の推移は、凡そこんなだった。春、14歳になる中学三年の男子生徒が、公園で小学女子児童2名に「水道はありませんか」と声をかけ、案内しようとした二人を背後から襲って殺傷した。すぐに解決するかと思われた殺人と殺人未遂事件だったが、なぜか犯人はわからず2カ月が過ぎた。そして、あの日が――。犯人は、同級生の弟で親しかった障害のある男子幼児を言葉巧みに通称タンク山におびき出して殺害した。そして、その頭部を早朝の校門前に置いて、警察に挑戦状を出した。
 あまりに残虐で残酷な犯行に、日本中が戦慄した。少年Aの殺人動機は「人を殺してみたかった」、そんな欲望の渇きにかられての犯行と自供した。そして、その心境を詩で現した。

「懲役13年」という詩がそれだ。そこには謝罪はむろん、反省も悔いもない。
その存在は「止めようもないものはとめられぬ」
その存在は「とうてい、反論すれこそ抵抗できようはずもない」
その存在は「あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る」

 すべては、この「透明な存在」のせいだというのだ。透明という目に見えない悪魔。真実か、空想か、創作か。その存在に注意が注がれることはなかった。そして、事件は、知る限り、膨大な調査資料はあるにしろ、なんの解決もなく過去に遠ざかってしまった。少年A
も、すでに社会に出て人知れず生活している。あの「透明な存在」とは、いったい何だったのか。真の存在者?それとも、まったくの空想物か。神のみぞ知る、である。
 佐世保の高1女子は、いつのころから、「アレ」の観念に取り憑かれたのか。内なる悪魔を目覚めさせてしまったのか。報道によると、地方都市の裕福な家庭に生まれ育ったとある。父、母とも一流大卒で町の有力者、兄は有名私大、彼女は文武両道に優れ、音楽、絵画にも才能の片鱗をみせていたという。だが、彼女が日頃、考えていたのは「アレ」だった。「止めようもない」もの。多くの人が気づいていた。が、止めることはできなかった。
 父親は、こんな謝罪文を発表した。「複数の病院の御助言に従いながら、私たちでできる最大限のことをしてまいりましたが」、総て人頼みだった。
 ドストエフスキーもまた、ある時期「透明な存在」の同族に支配された人間だった。彼の場合、幸いにも「アレ」は殺人ではなかった。文豪の「アレ」はルーレット賭博だった。作家の「アレ」は、なぜ消滅したのか。いまもって謎だが、アンナ夫人の観察力と想像する。「透明な存在」の弱点。それは、常に観察されることだ。観察者の、強い意志と理解。佐世保の父親には、それがなかったようだ。犠牲者に合掌 (「ゼミ通信」・編集室)

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☆ 名作紹介 究極の愛『砂漠の情熱』(水野亮訳)バルザック(1799-1850)

 フランスの若い兵士がモロッコの戦いでアラブ人の捕虜となった。オアシスで野営したとき、彼は隙を見て脱走に成功した。だが、仲間の軍の宿営地に早く帰りたいと思うあまり、疲れきっている駿馬をいやがうえにもいそがせたので、馬は倒れ絶息してしまった。そこは砂漠のど真ん中だった。「はてしもない大洋が目にうつっていた。どの方角にも砂漠の黒っぽい砂が目のとどくかぎりひろがって、はげしい光に照らされた鋼の刃のようにキラキラしていた。ガラスの海といつたらいいのか、鏡のような平らな湖といったらいいのか、わからなかった。」「空も海も燃えていた。沈黙は、荒々しく恐ろしい威厳をもって、あたりを圧していた。悠久、無限――こうしたものが四方八方から魂にせまるのである。」プロヴァンス生まれの22歳の兵士にとって、絶望のほかはなにもなかった。彼は何度も騎兵銃の引き金に手をかけた。が、「死のうとおもえば、いつでも死ねる」その考えが、死を思いとどまらせていた。やがて、彼は小さなオアシスにたどり着く。以前に人が住んでいた形跡。岩場の洞窟で彼は疲れと安堵から不覚にも眠ってしまった。そこは獣の棲家だった。牝豹に愛されてしまった若い兵士。焼けつく砂漠のなかで恐怖とエロチシズムに満ちた一人と一匹の愛の生活がはじまった。若き兵士は、その緊張の愛に耐えられるか。
 悲恋小説の名手、文豪バルザックが描く、スリリングな究極の愛。興味ある人は。
 

『少年王者』当時、少年少女から大人まで大ベストセラーとなった。だが、いまは、山川惣治の名も『少年王者』の物語も知る人は少ない。今後も忘れられていく運命にある。

『少年王者』について
 いつの時代もサブカルチャーの運命は、はかない。あんなに注目されたのに、あんなに売れたのに、あんなに面白かったのに。いまは誰も振り返らない。
 「少年王者」も、その運命だった。しかし、本当面白い物語なら、たとえ、幾百年地底にあろうとも、機があれば必ずや復活する。『少年王者』はそんな作品だと思っている。

4.紙芝居稽古『少年王者』「生いたち編」
 作者・山川惣治生誕111年記念として口演

『少年王者』とは何か
 この物語は、アフリカがまだ暗黒大陸といわれていた時代のお話。その頃、ケニヤは英国が、カメルーンはフランスが、コンゴはベルギーが植民地にしていた。しかし、奥地は人跡未踏で謎につつまれていた。その魔境で日本の少年が活躍する。
 『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。
 
山川惣治 – 絵物語作家。福島県出身。 (1908年2月28日~1992年12月17日)
■代表作 『少年王者』『 少年ケニヤ』『 荒野の少年』がある。

 後の山川惣治は、出版社経営に失敗し、横浜でレストラン「ドルフィン」を経営するなど、順風満帆な人生ではなかったが、このたび『山川惣治』をまとめた中村圭子さん(文京区・弥生美術館学芸員)は「少年が、そのまま大人になったような人だった。数々の日本のアーティストに影響を与えたその作品を知ってほしい」と話している。(5月6日読売)
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2019年度下原ゼミⅢ

 5・21現在、下原ゼミⅢは9名の登録者+1聴講生、計10名の受講生があります。以下が参加の10人の皆さんです。全員揃ったら写真撮ります。

・志津木 喜一(しづき きいち)5/7  5/28

・神尾 颯(かみお そう)4/16 4/23 5/7 5/21

・松野 優作(まつの ゆうさく)5/7

・西村 美穂(にしむら みほ)4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28

・吉田 飛鳥(よしだ あすか)4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28

・中谷 璃稀(なかたに りき)4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28

・佐俣 光彩(さまた みさ)4/9 4/16 
 
・東風 杏奈(こち あんな)4/9 4/16 

・山本 美空(やまもと みく)4/9 4/16 4/23 5/21

・蓑野 悦子(みのの えつこ) 5/14

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一緒にドストエフスキーを読みませんか

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年6月15日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』3回目
報告者 : 菅原純子さん

市民講座開設のお知らせ NHK柏文化センター

「ナポレオンになりたかった青年の物語」――ドストエフスキー『罪と罰』を読む――
講師:下原敏彦 日本大学講師 「ドストエーフスキイ全作品を読む会」主催
2019年 7/18 8/29 9/19 10/17 11/21 12/16 AM10:30~12:00

※「ゼミ通信」掲載は、メール可

連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

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