文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.9

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)6月11日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.9

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

6・11下原ゼミ

6・4ゼミ観察 2019年度の旅、6・4ゼミは、参加6名
       
 この日の参加者は、西村美穂、吉田飛鳥、中谷璃稀、山本美空 佐俣光彩 神尾 颯

【ゼミ誌編集会議】  タイトル決め 地域分担など

タイトル → 是溢市 (候補、タイマイ、新宝島、他)
地域分担 → 山、町、海岸、
サイズ → 文庫本版
印刷所 → 新生社

【ゼミ合宿について】 ゼミⅡ合同参加希望。受け入れ多数で容認が決まる。ゼミⅡ6名、ゼミⅢ9名だが、来週に持ち越し。
              
社会観察 引きこもり、家庭内暴力の果て息子殺害 元官僚父親
 「幸福な家庭は、どこも同じだが、不幸の家庭は様々である」こんな言葉を思いだす事件が相次ぐ。5月末に起きた学童ら殺傷事件の容疑者(51)は、長期間の引きこもりの末の犯行。高齢の育ての親は、再三公的機関に相談していた。家庭の問題を放置していたら、他人に迷惑をかける。不幸の連鎖は、今月1日に発生した。元官僚のエリート家族から「息子を刺した」との110番通報。元官僚トップの父親(76)が、ながらく引きこもりで家庭内暴力をつづけていた息子(44)を包丁で殺害。動機は、隣接する小学校の運動会。うるさいと騒ぐ息子の言動に危機感を抱いてとのことだった。こちらの家族は誰にもどこにも相談していなかった。そして、また幼女虐待死のニュースが…。家庭の家族のどこに問題があるのか。
ルナールの名作『にんじん』を再読、考察したら少しは謎が解けるかもしれない。
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ゼミ合宿について

予 定 = 2019年9月5日(木)~6日(金)下原ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿
参加者 = 6/11~6/18までに確定させる。

場 所 = 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷
目 的 = 「熊谷元一写真童画館」・「満蒙開拓平和記念館」見学
行 程 = 予定5日(木)~6日(金) 

5日 パスタ新宿発・飯田行→2時間→双葉(15分休憩)→「伊賀良」下車(ホ
テル送迎車)→ 昼神温泉郷(昼食・休憩)徒歩→3時半「熊谷元一写真
童画館」見学 温泉郷散策(自由時間) 夕食後、8時頃、星空(雨天の
場合、熊谷元一と満州についての話)就寝。

6日 朝市見物・朝食 →10時「満蒙開拓平和記念館」見学 → 宿場町「駒場」商店街を歩く、打ち上げ会場(南国飯店)まで→12時半昼食、名物五平もちなどで打ち上げ→「伊賀良」りんごの里3時19分か4時19分高速バス → 8時前後パスタ新宿着。解散

2019年(令和元年)のホテル候補(ゼミⅡ6名、ゼミⅢ9名) ゼミⅢ西村

①伊那華(いなか)
 7 人部屋2 室(9500円/ ひとり)、1人部屋1室(1万5500円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜バイキング

②ひるがみの森(ひるがみのもり)
 5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

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前回のゼミ合宿 2017年8月16日~17日ゼミ合宿でかかった費用、阿智の里「ひるがみ」

高速バス往復(8000) + 宿泊(7750) + 5日昼食(1200) + 「熊谷元一写真館」入館料(350) + 「満蒙開拓平和記念館」入館料(500) + 6日昼食で打ち上げ(南国飯店)2000程度
                  総額19800 (交通費・宿泊など)
☆星見物の場合(ロープウエイ)乗車3200 雨天で中止でした。
       星見物の場合、総額23000円(交通費込)
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目的地までの交通手段は、3通りあります。
①高速バス パスタ新宿・飯田行き → 伊賀良下車・送迎車有り → 昼神温泉の宿
②新幹線  東京 → 名古屋 高速バス → 園原下車 車 → 昼神温泉の宿
③JR    新宿 あずさ → 上諏訪下車 飯田線 → 飯田 車 → 昼神温泉の宿
   
①が時間、料金とも最良。②③は時間金額倍で不便。※車はタクシー
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ゼミ合宿「熊谷元一写真童画館」予備知識  熊谷元一とは何か

創作ルポ 第一回毎日写真賞 無名の小学校教師に決まる !!

1955年8月29日 東京・毎日新聞社で第一回毎日写真賞の最終選考会が開かれた。選考対象作品は、昭和30年4月1日~昭和30年3月31日までに新聞、雑誌、その他刊行物、展覧会を通じて発表された写真。選考委員は、文化人、写真評論家、職業写真家、全国アマチュア写真団体。これまでに82点の候補作品を選出。東京・銀座松屋で7月29日~8月10日まで「第一回毎日写真賞候補作品展」が開かれていた。文字通り、日本ではじめて日本一の写真を決める選考会であった。それだけに日本中の耳目をあつめていた。
投票も終わり、発表を待つ選考委員はじめ関係者の顔には、安堵と緊張の表情がみなぎっていた。しかし、居並ぶ報道陣のあいだには、なぜか白けた雰囲気があった。と、いうのも彼らのあいだに、今回の写真賞は、すでに受賞者は決まっている。デキレースだ。そんな噂がまことしやかに流れていた。と、いうのも候補者の顔ぶれを見れば一目瞭然だった。林忠彦、木村伊兵衛、土門拳といったプロ中のプロ、錚々たる日本の写真家メンバーが勢ぞろいしていたからである。だれもが思った。彼らのうちの誰かが栄誉を受けるだろう。
「それでは受賞者を発表します」
選考委員の声に、ざわついていた会場は静まり返った。皆の視線が縁台にいる選考委員の男性に集まった。
「第一回毎日写真賞の受賞者は『一年生』の熊谷元一さんです」
 会場は、一瞬、真空地帯になった。だれも予想していなかった名前だった。
「だれ、くまがいって…」会場は再び喧々諤々となった。
 既に候補展で作品を見ているはずなのに『一年生』と熊谷元一は結びつかなかった。
 どよめきとざわめき。その後、写真を生業とする人々は、熊谷が信州の山村の小学校教師と知ってもっと驚いた。アマチュアカメラマンの時代と、揶揄し苦笑する他なかった。
 しかし熊谷は、本当にアマチュアだったのか。信州の山奥で、ずっと写真を撮っていた、写真好きの、ただの田舎の教師だったのか。
 写真において、そもそも熊谷は無名だったのか。熊谷が戦前、戦中、中国大陸でシャッターを切っていたことも、その写真を見た大勢の若者が、大陸に憧れ、海をわたったことも、空襲で東京が真っ赤に燃える様をみていたことも、誰か知らん。

熊谷元一の謎 熊谷元一には、二つの謎がある。

1.なぜ終戦2か月前、大東亜省をやめたのか。 2.なぜ故郷に帰って教師になったか。

1955年 昭和30年8月30日(火) 第一回毎日写真賞決定を報じる毎日新聞の
新聞記事 (一面中記事)

第一回毎日写真賞決まる

本社では近年とみに重要さを増してきた写真文化の一層の発展に役立てるため、毎日十大文化賞の一つとして、昭和30年度から「毎日写真賞」を設定しました。これは年度内に発表された藝術、報道、観光、学術など各部門を通じて、最もすぐれ、しかも社会に貢献したと認められた写真に贈られるものですが、このほど慎重選考の結果、第一回(昭和29年4月~昭和30年3月)の毎日写真賞を次の通り決定しました。(選考経過、受賞者紹介、推薦のことばは、第二面に掲載)
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※当時の大卒の給料1万円ぐらい。昭和44年頃は3万円。10万円は大金。副賞テレビも
テレビは、学校に寄付。
2面記事「毎日写真賞」受賞に輝く 初の受賞者 熊谷元一氏
ありのまま捕らえる 作品に満つ子供への愛情

『一年生』の撮影について熊谷は、1955年10月に発行された『図書』のなかで、このように明かしている。

                 
のでうまくゆきます。カメラわしじゅう首にかけて授業をしておりました。
「一年生」の中に出てる掃除の場面、ああいうことが偶々あるのかと人に聞かれますが、
あんなことはしょっちゅうあります。おとなの世界とちがって、子供たちには仕事と遊びの区別がついていない。掃除の途中でふざけだす。目に余ることは叱りますが或る程度のことはしらん顔してやらしていました。相撲をしたり、喧嘩をしたり、雑巾をほうりあげたり、あまり行儀が悪いのであの本には出しませんでしたが、股をひろげて、トンネルだぞ!といって幾人もが雑巾で床をふきながらくぐっていったり、机を動かすにしても吊って運べばい
いものを、机の下へ首をつっこんで、亀が動くようにしてやる。こんなことをさしておくと怪我をするという心配のあること以外はそのままにしておいて、注意しなければならぬことはあとで、ああいうことはよくないことだと指摘し、子供たちに納得させました。

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ドストエフスキー講座  『江古田文学』第66号掲載分の紹介

2007年にタイムスリップした「下原ゼミⅡ」の学生たち

 ドストエフスキーとは何か、アインシュタインをはじめ、世界の天才たちは、なぜドストエフスキーに魅せられたのか。どこが面白いのか。2007年夏、「下原ゼミⅡ」の学生5人衆は、その謎に果敢に挑戦した。本稿は、その記録である。

ドキュメント時空体験ツアー(『貧しき人々』朗読会)

あの感動をもう一度  下原敏彦

~ 軽井沢・ゼミ合宿で体験する1845年5月6日未明白夜の出来事 ~

挑戦者 : 茂木愛由未 疋田祥子 山根裕作 髙橋享平  金野幸裕

【時空体験ツアー出発前夜】

一、とにかく読んでみよう!
 
 2007年8月25日、土曜日の朝、NHKテレビは「おはよう日本」の番組のなかで「なぜ人気、ドストエフスキー」と題して現在のドストエフスキー事情をレポートした。ドストエフスキーをとりあげた動機については、NHKはHPでこのように説明していた。
百人に一人しか読破できないと言われるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。今、この「カラマーゾフの兄弟」が人気だ。言葉を平易に直すなどした新訳本(全5巻)が若者を中心に売り上げを伸ばし、既に25万部を記録。かつて読破を挫折した団塊の世代で再挑戦する人も多い。「金銭トラブル」「テロリズム」など、現代の問題が描かれていることもヒットの要因だという。なぜ今ドストエフスキーが人気なのか。その背景を探る。NHK
 確かに昨今、ドストエフスキー熱が高まっている。自然発生的か作為的か、メディアにおいての喧伝が目立つ。多くの関係書物が出版されたり、新たに新訳作品が刊行されたりしている。07年の六月に発行された『21世紀ドストエフスキーがやってくる』(集英社)は、まさにそのブームを象徴する一冊といえる。本書には、作家大江健三郎をはじめ、多くの著名人のドストエフスキーに寄せる思いや対談が掲載されている。NHKが着目したのは、こうした熱いドストエフスキー現象を受けてのことだった。
 番組では、新訳の翻訳者と出版社のコメント 。ドストエフスキーを愛読書とする若手の人気俳優と私たちがつづけている「ドストエーフスキイ全作品を読む会」読書会が紹介された。市民が読み続けている読書会の取材撮影は、8月10日、東京芸術劇場小会議室で開催されたもの。1970年から隔月に開かれていて今夏は第222回目となる。お盆休みに炎暑も重なったが、参加者は18名。いつもの通りであった。NHK取材班は、読書会の様子と出
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席者全員にインタビューした。が、テレビの常で放映されたのは僅かだった。
 本を買っても実際に読む人は、少ないと思います。「千人に一人、五千人に一人」かも知れません。訳者の亀山郁夫氏は、番組終わりにこう言って苦笑された。ドストエフスキーブームといわれる現象は、これまでも、何度かあった。が、その都度、本当に読まれていたかといえば、はなはだ疑問である。いつのときも笛吹けども、の感がある。
 長い、くどい、暗い、の印象が強いドストエフスキー作品である。いっそうの簡略化がすすむ現代において、人気とは裏腹に、むしろますます敬遠されていく傾向にある。たとえ『カラマーゾフの兄弟』がカラキヨと呼ばれても、中身の重さは変わらない。
 しかし、二十世紀において、世界の賢者たちの多くは、ドストエフスキーに学んだと公言して憚らなかった。アインシュタインしかり、ニーチェしかりである。川端康成はじめ日本の文学者たちもこぞってドストエフスキーを読むことをすすめてきた。そして、それは新世紀になった今日でも止むことはない。「圧倒された。世の中にこんなものがあるのか、と思いました。朝日2007・7・15(中村文則)」と述懐する若い作家たちがつづいている。先にあげた『21世紀ドスト…』の帯にも、こんなすすめが書かれている。

いまどきドストエフスキー?

知っている人も、知らない人も 
 
読み進めれば、ヤメラレない。
 
こんなに おもしろかったんだ。  (『21世紀ドストエフスキーがやってくる』帯)
 
 いったいドストエフスキーの、どこがそんなに面白いのか。読み進めればヤメラレないのか。NHKでなくとも疑問に思うところである。大きな謎といえる。
 だが、この謎は、あまたの案内書を読んでも、どんなに優れた研究者に尋ねても答えは得られない。謎解きの道は、ただ一つ、自分で作品を読むことである。とにもかくにも本をひろげて作品と向き合う。そうして、悪戦苦闘しながら読みすすめてみる。それしか方法はないのである。
 と、いうわけで07年夏の下原ゼミ合宿は学生諸君に、ドストエフスキー作品に挑戦してもらうことにした。合宿地、軽井沢で作品のマラソン朗読会を決行することにしたのである。
 星降る信濃の夜に、無粋な試みである。果たして、学生諸君は読みきることができるだろうか。辟易し投げ出すのでは。そんな懸念もある。が、「とにかく読でみよう!」と、すすめるしかない。退屈するか、夢中になるか。いずれにせよ、読んでみなければはじまらないのだ。試みる挑戦者は、下原ゼミの五人衆。そして、マラソン朗読会のテキストは、ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』とした。
 この作品は、400字詰原稿用紙に換算すれば約八百枚前後の中編書簡小説か。一夜にリレー読みするには大変な枚数である。果たして五人衆は、棄権することなく、完走できるだろうか。不安と期待を抱いての軽井沢入りであった。

二、なぜ『貧しき人々』か

 ドストエフスキー文学を代表する作品といえば、『カラマーゾフの兄弟』『未成年』『悪霊』『白痴』『罪と罰』がある。いずれも世界文学最高峰に位置する長編名作である。ほかにも多くの中短編がある。これら作品群を目指すのに、どの作品から入っていくか。人それぞれ、動機も様々である。では、マラソン朗読になぜ『貧しき人々』を選んだのか。時間的、物理的に手ごろ、ということもあるが、一番の理由は、真の目的は、この作品のデビュー秘話の
真相を確かめたい。その一点にある。
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 今から162年前、ロシアのペテルブルグで、『貧しき人々』を世界ではじめて読み終えた若き詩人と作家がいた。彼らは、読了のあと暫し茫然自失状態だったが、次の瞬間、白夜の街に飛び出して行った。作者に会うためだった。昼のように明るい通りとはいえ朝の四時前である。そんな時間に感動のあまり、作者に会いに走る。そんなことが、この世にあるだろうか?!そして、それは真実なのか・・・?
 私は、偶然この作品の解説を目にした。そのとき、まず最初に頭に浮かんだのはこの疑問だった。おそらく初めに作品を読もうとしたら、躊躇なく投げ出していたに違いない。私とドストエフスキーとの出会いは、『貧しき人々』の解説を読んだこと、その一点にある。
 私は、これまで世間で面白いとされる小説を何冊か、読んできた。松本清張の推理もの、司馬遼太郎の歴史小説、大デュウマの熱血物語。ポーの怪奇もの、などなど。どれも我を忘れさせてくれた。だが、すぐさま作者に会いに行きたい。どの本もそんな気持は起きなかった。読み終えた途端、作者のもとに走らせる。そんな物語があるのか。正しい読書動機とはいえないが、これが私の読書の旅のはじまりだった。そうして読んだ結果は、その通りだった。「こんな本がこの世にあるのか」私は、驚き、感動し、ドストエフスキーのすばらしさを知った。街にでて誰彼に、この本をすすめたい、教えたい、そんな衝動に駆られた。
 しかし、あれから三十五年。私は、いまだ私と同様の体験した人に会ったことがない。たいていのドストエフスキー読者は、『地下生活者の手記』だったり『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』だったりした。『貧しき人々』について言及している人は、はるかむかし宮本百合子が『貧しき人々の群れ』を書いたのと、先ごろ出版された『21世紀ドストエフスキーがやってくる』の「私とドストエフスキー」のなかで作家の井上ひさしが

『貧しき人々』をよく読むのは、この処女作にドストエフスキーのすべてがあるからで、…
と述べているぐらいか。他にこの作品について、語っている人の話は、あまり聞かない。
あの衝撃的なデビュー秘話は、はたして真実だったのか。それとも十九世紀のロシアのペテルブルグでしか起きえなかった白夜の夢物語か。また、私の同様体験。あれは、たんに私の思い込みに過ぎなかったのか。そんな疑念が絶えず頭に浮かんでは消えた。
 この伝説の真相に迫りたい。学生たちと共に再体験したい。そんな理由から、第一にこの作品をとりあげることにした。真夏の軽井沢の夜、『貧しき人々』に挑戦する学生たちは、果たして一六二年前のロシア、ペテルブルグの若き詩人と作家が体験した白夜の感動を得られるだろうか。はたまた三十五年前の私と同じ思いを抱くことができるだろうか。時空体験ツアーで挑戦してもらうことにした。本論は、その体験ツアーの記録を報告するものである。
 なお、その前に時空体験ツアーで試みる、あの日の白夜の感動体験とは、いったいどんなものだったのか、当時の証言を拾ってみた。次回へ

休憩・紙芝居『少年王者』「生いたち編」 作者・山川惣治 BS3NHKで放映

『少年王者』当時、少年少女から大人まで大ベストセラーとなった。だが、いまは、山川惣治の名も『少年王者』の物語も知る人は少ない。今後も忘れられていく運命にある。

『少年王者』について
  この物語は、アフリカがまだ暗黒大陸といわれていた時代のお話。その頃、ケニヤは英国が、カメルーンはフランスが、コンゴはベルギーが植民地にしていた。しかし、奥地は人跡未踏で謎につつまれていた。その魔境で日本の少年が活躍する。
 『少年王者』第一集「おいたち編」が出版されたのは1947年(昭和22年)戦後すぐである。敗戦で打ちのめされた日本。そんななかで子供たちにとって、真吾少年の活躍は、胸のすく物語だった。たちまちに大ベストセラーとなった。
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2019年度下原ゼミⅢ

 6・4現在、下原ゼミⅢは9名の登録者+1聴講生、計10名の受講生があります。以下が参加の10人の皆さんです。全員揃ったら写真撮ります。

・志津木 喜一      5/7         5/28

・神尾 颯  4/16 4/23 5/7 5/21      5/28 6/4

・松野 優作 5/7

・西村 美穂 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4

・吉田 飛鳥 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4

・中谷 璃稀 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4

・佐俣 光彩 4/9 4/16                6/4
 
・東風 杏奈 4/9 4/16 

・山本 美空 4/9 4/16 4/23       5/21     6/4

・蓑野 悦子             5/14

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読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年6月15日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』3回目
報告者 : 菅原純子さん

市民講座開設のお知らせ NHK柏文化センター

「ナポレオンになりたかった青年の物語」――ドストエフスキー『罪と罰』を読む――
講師:下原敏彦 日本大学講師 「ドストエーフスキイ全作品を読む会」主催
2019年 7/18 8/29 9/19 10/17 11/21 12/16 AM10:30~12:00

※「ゼミ通信」掲載は、メール可

連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

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