文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.10

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)6月18日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.10

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

6・18下原ゼミ

6・11ゼミ報告 2019年度の旅、全員参加及ばず8名
       
 この日の参加者は、西村美穂、吉田飛鳥、中谷璃稀、山本美空 佐俣光彩 神尾 颯
    
【ゼミ誌編集会議】  タイトル決め 地域分担など

タイトル → 是溢市(ぜみし) (候補、タイマイ、新宝島、他)
地域分担 → 山、町、海岸、西→高級住宅 東→ スラム街がある
サイズ → 文庫本版 文字数→上限12391 最低5000 増減は夏休み明けに調整
印刷所 → 新生社

【ゼミ合宿について】 ゼミⅡ合同参加希望。受け入れ多数で容認。ゼミ7名、ゼミⅢ7~9名、6/18頃までに明らかに。
              
6・18ゼミ予定   ナイフ曲芸師美人妻殺害事件裁判 
 
テキスト志賀直哉「范の犯罪」から模擬裁判を行います。

ナイフ曲芸師范(30)は、ナイフ投げ演芸中、演芸の相方である妻を殺害してしまった。投げた3本目のナイフが、妻(27)の頸動脈をかすめ、出血死したのだ。近頃不仲だったという夫婦。もしかして、過失を装って故意に殺害したのでは…夫の曲芸師范に疑惑の目が注がれた。この事件、完全犯罪か否か。考えてみましょう。

提出課題 ・裁判員としての見解 
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.9 ―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ合宿について

予 定 = 2019年9月5日(木)~6日(金)下原ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿
参加者 = 6/11~6/18までに確定させる。

場 所 = 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷
目 的 = 「熊谷元一写真童画館」・「満蒙開拓平和記念館」見学
行 程 = 予定5日(木)~6日(金) 

5日 パスタ新宿発・飯田行→2時間→双葉(15分休憩)→「伊賀良」下車(ホ
テル送迎車)→ 昼神温泉郷(昼食・休憩)徒歩→3時半「熊谷元一写真
童画館」見学 温泉郷散策(自由時間) 夕食後、8時頃、星空(雨天の
場合、熊谷元一と満州についての話)就寝。

6日 朝市見物・朝食 →10時「満蒙開拓平和記念館」見学 → 宿場町「駒場」商店街を歩く、打ち上げ会場(南国飯店)まで→12時半昼食、名物五平もちなどで打ち上げ→「伊賀良」りんごの里3時19分か4時19分高速バス → 8時前後パスタ新宿着。解散

2019年(令和元年)のホテル候補(ゼミⅡ6名、ゼミⅢ9名) ゼミⅢ西村

①伊那華(いなか)
 7 人部屋2 室(9500円/ ひとり)、1人部屋1室(1万5500円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜バイキング

②ひるがみの森(ひるがみのもり)
 5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

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前回のゼミ合宿 2017年8月16日~17日ゼミ合宿でかかった費用、阿智の里「ひるがみ」

高速バス往復(8000) + 宿泊(7750) + 5日昼食(1200) + 「熊谷元一写真館」入館料(350) + 「満蒙開拓平和記念館」入館料(500) + 6日昼食で打ち上げ(南国飯店)2000程度
                  総額19800 (交通費・宿泊など)
☆星見物の場合(ロープウエイ)乗車3200 雨天で中止でした。
       星見物の場合、総額23000円(交通費込)
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目的地までの交通手段は、3通りあります。
①高速バス パスタ新宿・飯田行き → 伊賀良下車・送迎車有り → 昼神温泉の宿
②新幹線  東京 → 名古屋 高速バス → 園原下車 車 → 昼神温泉の宿
③JR    新宿 あずさ → 上諏訪下車 飯田線 → 飯田 車 → 昼神温泉の宿
   
①が時間、料金とも最良。②③は時間金額倍で不便。※車はタクシー
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ゼミ合宿「熊谷元一写真童画館」予備知識  熊谷元一とは何か ②

選 考 経 過

まず昭和29年4月1日から30年3月31日」までに新聞、雑誌その他刊行物、展覧会を通じて発表された写真について文化人、写真評論家、全国アマチュア写真団体に対して推薦アンケートを求めその回答を基礎に本社委員会において82点(白黒63点、カラー7点、組写真12点)を候補作品として選出した。これを東京では7月29日から8月10日まで銀座松屋における「第一回毎日写真賞候補作品」で一般に公開すると同時に、45名の選考委員から投票を求め、また大阪においては今回は準備期日不足のため公開展覧会は行わなかったが、本社内で非公開展示を行って在関西6名の選定委員から投票を求めた。
この東西51名の選考委員団の投票を集計した結果、次の14作品が最終選考に残された。
◇『一年生-ある小学教師の記録』(熊谷元一)
◇『ある画家の生活』(林忠彦)
◇『カメラ・日本の旅』(樋口進)
◇木村伊兵衛『外遊作品全般』 
◇『室生川-「室生寺」より』(土門拳)
◇『スラム街イタリア』(木村伊兵衛)
◇『小渕沢所見』(瀬田千作)
◇『おしんこ細工』(土門拳)
◇『曽根崎心中』(木村伊兵衛)
◇『夜の潮流』(緑川洋一)
◇『日本の顔「新しき悲劇」』(橋本保治)
◇『ひまわり』(中山八郎)
◇『秋田』(木村伊兵衛)
◇『待ちぼうけ』(大宮晴夫)
 以上14作品について本社委員会による最終選考を行い「一年生」および「ある画家の生活」が最有力として話題になったが、結局「一年生」が技術的な優劣を超えて、じっくりと対象と取り組んで地方の小学校一年生の生活と性格、その成長をとらえていること、自分の日常生活のなかにテーマを求め、一年間絶えない努力を続けたこと、写真がだれにでもとれ、またアマチュア・カメラマンのあり方を教えたこと、などが認められて受賞と決定した。なお第一回は部門別選考を行わなかったが、次回から白黒写真、天然色写真、組写真の各部門ごとに優秀作品を選び、受賞作品を決定する方法をとる予定である。

【受賞者の紹介】

熊谷元一 1909年、長野県下伊那郡会地村駒場に生まれる。小学校教師。

初の毎日写真賞受賞の熊谷元一氏は明治42年に長野県生まれ大正15年飯田中学卒業、しばらく農業に従事していたが、のちに小学校教員となり現在は長野県下伊那郡会地(おおち)村小学校に奉職している。童画を学び現在日本童画会に属し数冊の絵本を出版している。熊谷氏のカメラ歴は昭和10年(一時教職を去り、童画を学び始めたころである)からスタ
ートを切った。最初のカメラは絵本の原稿料をためて買った17円のパーレットの単玉、常
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焦点、F11という今から考えればオモチャ同様のカメラではあったが、熊谷氏は飛び立つようなうれしさでやたらに写しまわった。
 ちょうどそのころ同氏は村誌を作ろうと考え写真で村の一年間の記録を作ってみたらと次のような計画をたてた。一カ月に約50枚、二年間に1200枚の写真をととる。このための費用は一カ月約50円(フィルム3本で3円、印画紙、薬品2円)節約のために一場面は3枚を原則とする。
 こうして村の記録は次々とカメラにおさめられ2年後には予定を超えた1500枚の写真を作ることができた。こうして出来上がった村ぼ記録は美術評論家板垣鷹穂氏に認められて昭和13年朝日新聞社から『会地村=ある農村の記録』として出版されたのである。
 戦時中東京で役所勤めをしていた同氏は戦後再び村に帰って小学校に奉職するようにな
った。ようやくフィルムが一般の手に入るようになると再びカメラを手にとった。そのころはバーレットではなくて戦時中に買ったセミ・ミノルタ3.5に進んでいた。まず手掛けたのは農林省の駐村研究員として農村婦人の実態を調べることだった。この成果は『農村の婦人』(岩波写真文庫)と『村の婦人生活』(新評論社)の2つにまとめられている。また名取洋之助氏の指導を受けて岩波写真文庫の一つにするために「養蚕」の記録写真をまとめ同文庫の『かいこの村』となってあらわれている。
 この本の印税で同氏のカメラはまた進んだ。キャノンⅡDP1.8となったのである。バーレットからちょうど20年の歳月が流れている。この新鋭カメラをい同氏は教室に持ち込んで教え子たちの姿をとらえ、今回の受賞作『一年生』が生まれたのである。この記録写真集が生まれるまでには次のような苦心がある。
 3年前農村の生活記録を収録したいと構想を練っているやさき岩波の方から「それをいま一つしぼって一年生としたらどうか」と言われ、そのころ氏はちょうど一年生受持に担当変更となったチャンスと合致したため、撮影意欲は盛り上がった。教師と生徒という自然の
間柄から彼らの生活態度は少しもカメラを意識されず極めて自然の姿を、しかもさほど苦心せずに撮影することができた。
「いい写真をとりたいなどと欲張っているとろくな写真がとれないので、いつもありにままの姿、子供の心にかえってチャンスを逃さずシャッターをきっていったまでです」と心境をもらした。
 なお熊谷氏は受賞内定の報に次のように語っている。「我々しろうとカメラマンが推薦にあずかるなど非常にうれしいが、今後もこの調子でいけるかどうか多少心配にもなります。しかしたんたんとした気持でやっていくつもりです」
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推薦の言葉 日常を素朴な目で 金丸重嶺(日大教授 写真評論家)
 この組写真は長野県の農村にある一つの小学校に取材して、新しく入学してきた児童が、その後の一年間にさまざまな体験を通じて変化していくy経過を克明に記録したもので、家庭から初めて学校という集団に入ってきた子供、次第に共同生活の中に芽生えていく状態が興味深くあらわれている。この作品の全般に通ずるものは、単なる興味や感傷に訴えるという装飾を避け、素朴な目で日常の現実をみつめ、極めて自然な角度から対象に融けあい、しかもよく時間的経過の中に、生活やその心理的変化を視覚的に組み立てていることである。
またその組写真全体に流れるものは小学一年生を通じて人間をみつめているが、この背骨の通っていることが何よりも力強い。その表現技術の優れていることも確かであるが、長い年月に一つの問題を深く掘り下げていったこの真摯な態度と、対象に対する深い愛情と理解がこの成果をあげたものであろう。

ドストエフスキー講座  『江古田文学』第66号掲載分の紹介

2007年にタイムスリップした「下原ゼミⅡ」の学生たち

 ドストエフスキーとは何か、アインシュタインをはじめ、世界の天才たちは、なぜドストエフスキーに魅せられたのか。どこが面白いのか。2007年夏、「下原ゼミⅡ」の学生5人衆は、その謎に果敢に挑戦した。本稿は、その記録である。

ドキュメント時空体験ツアー(『貧しき人々』朗読会)

三、162年前の白夜の出来事
 
ときは一八四五年五月六日未明、ロシアの首都ペテルブルグ。昼間のように明るい白夜の街を、興奮した様子で駆けていく二人の青年がいた。一人は若手作家のD・V・グリゴローヴィチ(ドストエフスキーの友人。後年、文壇長老としてチェーホフなど若手作家を育てた)、もう一人は当時ロシアを代表する詩人で編集出版人でもあるN・A・ネクラーソフ(1821-78)。二人は、ヴラヂーミルスキー大通り十一番にあるドストエフスキーの下宿に飛び込むと、寝かかっていたドストエフスキー(24)をたたき起こした。「寝てる場合じゃない!」。彼らは、『貧しき人々』を読み終えるとすぐその足で会いにきたのだ。
 文豪ドストエフスキー誕生の衝撃デビューのエピソードである。この劇的場面をドストエフスキーは、後に『作家の日記』のなかでこのように書いている。(中村健之介訳)

 一八四五年五月五日であった・・・(工兵学校で一年先輩で友人の)グリゴローヴィチが私のところへ来てこう言った。「原稿を持ってきたまえ」・・・、当時ロシアを代表する詩人で編集出版人でもあるネクラーソフ(1821-78)が、来年までにいろんな人の作品を集めた作品集の出版を計画している。「ぼくが紹介してやるから」、(作品をだしてみないか、ということだった。このときドストエフスキーは、作家になるつもりで勤めを辞め、小説を書
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いていた。24歳だった)。私は原稿を持って行き、ネクラーソフにちょっと会った。私とネクラーソフは握手を交わした。私は自分の作品を持ち込んだのだ、と思うときまりが悪くて、ネクラーソフとほとんどひとことも口をきかずに早々に退散した・・・
 私が部屋へ帰って来たのは、もう午前四時、昼のように明るいペテルブルグの白夜であった。・・・突然ベルが鳴り、私はびっくりした。グリゴローヴィチとネクラーソフが飛び込んできて私を抱きしめた。
 彼らは前の晩、私の原稿を取り出し、どんなものか試しに
 その夜、詩人と友人は、「どんなものか試しに読んでみよう」と読み始めた。10ページ読んだ。「なんだこれは・・・」二人は、もう10ページ読むことにした。が、気がつくとやめられなくなっていた。二人は一晩中、声を出して読みつづけた。読み終えたのは朝4時前だった。二人はいても立ってもいられなかった。寝ている場合じゃない。作者に会いに行こう!二人は、興奮して白夜の街にとびだしていった。

 作品は、その日のうちにロシア随一の評論家ベリンスキー(1811-1848)に手渡された。ロシアの指導的批評家は、皮肉な笑みを浮かべて

「君たちによると、ゴーゴリはまるで茸みたいにやたら生えてくるんだな」

と、受け取った。が、彼もまた同じだった。読みはじめたらやめられなかった。そうして 
 
「急いで来たまえ、ニュースがあるんだよ」と大きな声で言った。・・・・「これで二日間、この原稿から離れられないってわけさ。これは、新人の小説なんだがね。その男がどんな見てくれをしているのやら、どの程度のことを考えているのやら、まだ知らないんだけれど、小説は、この男以前には誰一人思いも及ばなかったような、ロシアの生活とさまざまな人間の性格の秘密をあばいたものだ。これはわが国で初めての社会的小説の試みだ。そしてその試みを実行する者自身は、自分のやっていることがどういうことなのか気づいてもいない。この試みは、そういう、芸術家がいつもやるやり方でなされたのだよ。
P・V・アンネンコフ『文学的回想』

と、絶賛した。一八四五年五月六日未明から七日にかけて、白夜のペテルブルグでこんな出来事があった。無名の若者がはじめて書いた小説『貧しき人々』は、これほどまでに感銘を与えた。それも、作家、詩人、評論家といった専門家たちに、である。
 今日、こんな劇的な出来事が、これほど絶賛された小説作品があるだろうか。是非に時空体験ツアーで挑戦して、一六二年前の感動と興奮を今一度再体験してみよう!

※アンネンコフ(1813-1887)ロシアの批評家。西欧派の一人。フランス空想的社会主義をロシアに紹介した。ゴーゴリ、ベリンスキー、ゲルッイン等と親交があり、K・マルクスとも文通した。

四、時空体験ツアー参加者紹介
 一六二年前、白夜のペテルブルグでの出来事。グリゴーロヴィチとネクラーソフの感動体験。その真相を確認するために、また、その体験を再体験するため、下原ゼミはゼミ合宿において時空体験ツアーを計画した。果たして一八四五年五月六日未明に起きた出来事は真実だったのか。いま軽井沢で、その謎が明かされる。
 なお、時空体験ツアー参加者は、07年下原ゼミ五人衆である。マラソン朗読は、初体験だが、全参加者とも前期授業での名作朗読と紙芝居稽古で鍛えている。
 以下、時空体験ツアー参加者の紹介である。

茂木愛由未・・・一見かよわそうだが信念は強い。ガイダンスでの朗読ふるいに残った前橋
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        っ子。前橋といえば萩原朔太郎。朔太郎といえばドストエフスキーである。
        今春『ダヴィンチ・コード』を読了。時空ツアーでは、レイアヒメ。
疋田祥子・・・ハスキー声が魅力。映画「ハムナプトラ(失われた砂漠の都)」を彷彿する
       冒険娘。昨夏は、タクラマカン砂漠をラクダに揺られ彷徨った。今春は自転
       車で四国一周。『クレイジー・ガール』のパワフルさに魅かれる。
髙橋享平・・・大きな体格とボサボサ頭がトレードマーク。顔いっぱいひろがる人なっこい
       笑顔が場を和ませる。話し出したらとまらない弁舌過剰な面もある。DJと
       も呼ばれサー王の死』など歴史ものが好み。朗読に適したバリトン低音。
金野幸裕・・・道産子ボヘミアン。か細い身体だが健康優良児。チャランポランふうに見え
       て根はしっかりしている。ムイシュキンと寅さんの魂を持つ明るいキャラ。
       『リング』や『ポケット怪談』などの怖い話が好き。
 
 まさに五者五様。愛読書も違う。それぞれに個性的メンバーである。果たして彼らは、この時空体験ツアーで、作品を読了して、あの日の感動を体験することができるだろうか・・・・・。

「ナポレオンになりたかった青年の物語」

― ドストエフスキー『罪と罰』を読む ――
2003年12月13日、イラクの独裁者フセイン元大統領は逃亡先で拘束された。農家の穴倉(米軍発表)に隠れていたという。豪華絢爛の宮殿に住み国民に対し絶対の権力をふるっていた中東の英雄。その末路に世界は驚いた。が、ドストエフスキー読者には、もっと驚いた報道があった。隠れ家に、ドストエフスキーの小説『罪と罰』があったのだ。なぜ、独裁者が『罪と罰』を手元に置いたのか。小説が本当に伝えたいこととは?その奥深さと謎を解き明かしながら、読み切りましょう。講師・下原敏彦(日本大学芸術学部)

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2019年度下原ゼミⅢ日誌

 なんともすばらしい日になった。100%とはいかなかったが、あと1人で全員出席、そんな夢が実現しそうになった。9名出席!
 6・11現在、下原ゼミⅢは9名の登録者+1聴講生、計10名の受講生です。以下が参加の10人の皆さんです。

・志津木 喜一      5/7         5/28     6/11

・神尾 颯  4/16 4/23 5/7 5/21      5/28 6/4   6/11

・松野 優作 5/7                      6/11 

・西村 美穂 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11

・吉田 飛鳥 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11

・中谷 璃稀 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11

・佐俣 光彩 4/9 4/16                6/4 6/11
 
・東風 杏奈 4/9 4/16  6/11

・山本 美空 4/9 4/16 4/23       5/21    6/4

・蓑野 悦子             5/14

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読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年8月10日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』4回目
報告者 : 石田民雄さん

※「ゼミ通信」掲載は、メール可

連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

【ドキュメント時空体験ツアー・『貧しき人々』朗読会】

一、前哨
午後一時00分 集合時間午後一時きっかり、全員が軽井沢駅の改札前に集まった。前橋のレイアヒメは、軽井沢には「学校に行くより近かったです」と余裕顔。
 自宅が千葉県の成田の先にある一番、遠くからきたDJ髙橋は、朝七時に「お土産、やくそく」と小学生の妹に見送られて家をでて普通列車とバスを乗り継いで来た、と眠たそう。
 三鷹の自宅からの山根は、いつものポーカーフェイスだが、このところ徹夜がつづいたとツアーに、ちょっぴり不安をみせた。が、変わらぬ冷静さぶりに期待。
 ハムラプトラ祥子は、いつもの朗らかさ。道産子ボヘミアンの金野は、小鳥絵柄のTシャツで登場。カバンの中に子リスのような人形を持っていて、皆の興味を集めた。二人のコンビが爆笑を誘い皆の気持を楽にした。
午後一時十五分 駅前の食堂に入り昼食。髙橋は、にしんそばを注文。一番最初に運ばれてきた。なぜ信州にきて、にしんか?自問自答しながら食べる。
 電車の中で菓子をポリポリ食べてきたハムラプトラ祥子は、おでんを注文。
 レイアヒメは、親子丼。痩せ身のバリトンバス山根とボヘミアン金野は、体力づくりでカツ丼。料理人が不慣れか、火元が一ヶ所しか使用できないか。間隔を置いて注文料理が一品づつ運ばれてくる。金野は、手持ち無沙汰でメニューをながめていたが、突如
「こけももって何ですか」と、たずねた。
「やまもものことですよ」歳のいった店の人が答えた。
 一番先に食べ終わった髙橋は、家族の話をはじめる。一回り歳の離れた妹を可愛がっている、よき兄貴ぶりが目に浮かぶ。皆も親兄弟姉妹のことを話す。家族の話がでるのは、お互い気を許してきた証拠。人跡未踏の時空体験ツアーである。チームワークが大切。よい兆候とみた。軽井沢の日大研修施設を知っているのは、山根と髙橋だった。二人の案内で炎天下を歩いて行った。長い道のりだが、五人の愉快なおしゃべりは団結をいっそう強くした。コンビニで菓子を買う。
午後二時三十分 日本大学軽井沢研修施設に到着。会議室を予約。夕食、睡眠、懇親会に費やす時間を考え、明日の正午まで借りる。一端解散。
午後三時00分 施設玄関前に集合。マラソン読書は格闘技だ!ということで玄関前広場にて準備体操、自彊術、気功を行う。が、体力的なことを考えて簡単に終える。

二、時空体験ツアー出発
 一六二年前の白夜の体験なるか。二○○七年八月四日、本日、猛暑なれど軽井沢の風、涼し。完読の成否ここにあり。ということで、いざ出発!
午後三時二十分 研修所二階にある会議室に集合。五人衆、手にペットボトルのお茶を持ち入室。皆、ちょっぴり緊張の面持ち。長テーブルを二つあわせて会場をつくる。収容人数四十人だが、これから始まる時空探検の迫力か六人でも広さは感じられなかった。
 各人思い思いの椅子に着席。マラソン朗読会開始。テキストとなる作品『貧しき人々』(江川卓訳・集英社)のコピー原稿を全員に配布。四段組み印刷でA4七二枚になる。表紙に「1845年5月6日未明ロシア・ペテルブルグでの感動をいま一度」とある。一六二年前、手書きの作品をドストエフスキーから受け取ったグリゴローヴィチ、ネクラーソフの心境が頭に浮かぶ。「いったい、なにが書いてあるのだ」彼らは思ったに違いない。興味や期待よりうんざりした気持が勝っていたのかも。二○○七年の五人衆もいまは、同じ思いにあるに違いない。空気を察して、私は、こう挨拶した。

 「ドストエフスキーの作品は、どの作品も常に現在です。この書簡小説も、現在のメール作品といっても過言ではありません。そこにドストエフスキー作品の普遍性、予見性があります。いまから百六十二年前、ロシアの若き詩人と作家は、夜通し、この物語を声をあげて読みあいました。はじめのうち彼らは、何だ、こんなもの。あと十枚、あと十枚でポイしょうと思いながら読んでいたそうです。しかし、気がつくと、夢中で読み合っていたのです。そして、読み終わった途端、彼らは作者のもとに駆けていったのです。
 皆さんも、今から挑戦しますが、はたして、一六二年前の彼らと、同じ気持ちを味わうことができるでしょうか。彼らのように感動にむせぶのか。それとも、あまりの退屈さに、途中放棄するか。いずれでしょうか。とにもかくにも読んでみましょう!」
 このあと私は、司会進行を、道産子ボヘミアンの金野に任せた。長時間の朗読挑戦でもあり、皆をまとめ引っ張っていくには、だれの性格が一番いいか、迷った。が、迷ったときは、いつも通りがよい。ということで授業での順番どおり金野を指名した。金野は、茶目っ気と真面目さが混同する見た目より複雑な性格。それだけに、このマラソン朗読会をどうまとめ進めてゆくか、予想はつかなかったが、面白みもあった。
 さあ、はじめてください。私は、時空体験ツアー出発を宣言した。

三、好調な旅立ち
午後三時三十分 では、はじめます。金野は、声高に宣言してトップバッターにDJことクマグス髙橋を指名した。

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