文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.375

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)6月25日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.375

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

6・25下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉   梅田惟花  佐久間琴莉  松野優作  伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (写真全員のとき)

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【6・25ゼミ予定】
□ゼミ誌編集報告、ゼミ合宿報告。
□提出課題報告 テキスト志賀直哉『或る朝』感想。佐藤・安室・大森(374号)
□子ども虐待事件多発を受けて『にんじん』家族「ヤマウズラ」「犬」
□テキスト志賀直哉『正義派』を読む。課題、感想
□ドストエフスキー講座 
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【最近の気になるニュース】

・逃走男 横須賀で逮捕 逃走5日 複数知人が手助け (読売新聞6/24)
・ロシア 北方領土返還を否定 (朝日新聞6/23)
・西日本まだ梅雨が来ない(朝日新聞6/24)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.375―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年、読書と創作の旅、同行者の紹介

6月18日までの出欠状況です。6/18の参加者3名。

・宇治京香さん 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4 

・伊東舞七さん 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28    6/11

・梅田惟花さん 4/9 4/16 4/23    5/14  6/4      6/18

・佐久間琴莉さん4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4  6/11  6/18

・大森ダリアさん4/9 4/16 4/23    5/14  5/28     6/11

・安室翔偉さん  4/16 4/23 5/7  5/21  6/4   6/11  6/18

・佐藤央康さん 4/9  4/16 4/23  5/28 6/4  6/11

・松野優作さん          5/7

□8人8様の個性を感じます。楽しいゼミにしましょう。
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ゼミ雑誌編集報告6/18無し  6/18ゼミで 編集長不在で

【6/4までに出されている案】

〈制作上の日程〉
①進行状況の報告提出 → 10/11(金)迄に
②仮見積もり書の提出 → 10/25(金)迄に
③確定見積もり書提出 → 11/22(金)迄に
④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出12月6日(金)締切

※まだ決まってない事案 → 印刷会社

〈ゼミ雑誌の形態〉
サイズ → 文庫本
表 紙 → 佐久間琴莉さん担当
原 稿 → 夏休み明けに提出 9月24日(火)提出

〈内容〉だいたい決めている人(参加者)
・宇治京香 → 小説 or 論文
・大森ダリア → 小説 or 論文、エッセイ
・伊東舞七 → ポエム 詩
・佐久間琴莉 → 小説
・佐藤央康 → ショートショート 短編
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テキスト(『或る朝』)感想報告  372掲載、伊東 佐久間 宇治

大森ダリア    信太郎の気持ち、共感できる (374号掲載)

 自身の実体験を元に、祖母と孫とのやりとりが生き生きと書いてある。朝、人に起こされてからの二度寝は最高だ。
 しかし、その二度寝から起こされるのは、大変不愉快だ。自分が昨日、夜更かししたのが悪いことだったと(認めて)しまう。自分でもよくわからないプライドがあって、一生起きてやるものか、と思ってしまう。主人公の信太郎もきっと、こういう気持ちだったのだろう。とても共感ができる。いつも小言を言われる近い存在だからこそ、反抗心が沸いてしまう。起らせたくなる。仲の良い家族だからこそ、怒りの感情が押えきれない。
しかし、その怒りにも関わらず、バカバカしくなって仲直りするのも家族。暖かい気持ちになる作品だった。

□起こされるのは腹立たしいけど、起こす人も大変。家族だから遺恨は残らないけど、気持ちよく起きるようこころがけてね。

佐藤央康   多くを語らないことにより、幅広くイメージ

 或る朝という作品は、まさにその題どおりどこの家庭にもありそうな朝の出来事を記したもので、簡素な描写で書かれたそれは、具体的な出来事であるにもかかわらず、どこか抽象的なもののように思えた。
 もともと、ここで書かれた出来事は、志賀直哉の実話をもとにしたものらしい。たしかにありがちな話ではある。であるから共感できる作品となっていると考える。しかし、ただどこにでもありそうな話を書いただけではここまで人々に支持されるような作品になることはないだろう。では志賀の作品に普遍的な人間味をもたせているのは何か。僭越ながら私は簡素な文体だと感じている。多くを語らないことにより、幅広く人々にイメージを想起させる。語ることを少なくすることによって伝えたいことを明確にしているような気がする。

□志賀直哉が、なぜ小説の神様とよばれるのか。それがわかるまで時間がかかりました。

安室翔偉     人によっては胸が痛くなる

 或る朝の話は、なんということはない、起きるのが面倒くさい孫の信太郎と祖母とのやり取りだ。しかし、だれもが共感できるようなないようであり、人によっては胸が痛くなるのではないか。
 祖母の小言は優しくなでるような口調で、信太郎はついついあしらってしまう。祖母がそのような口調であるのは孫を思う気持ちであり、本人は注意をしている気持ちなのだ。
 しかし、その小言が繰り返されることで苛立ってしまい、信太郎は心にもないことを言い祖母を悲しませてしまう。この作品を読むと自分か祖父祖母に対して失礼な態度をとっていないかと考えさせられる。

□お年寄り、大切にね。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.375 ―――――――― 4 ―――――――――――――

家庭観察 虐待を防ぐために観察力、想像力を身につける。
テキストは、ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。

悲惨な虐待事件がつづいている。いすれも専門機関に何度もそうだんがあった末の果てだ。資格はあっても、見る目なし。この作品から想像力を学ぶ。

テキストにした「にんじん」一家 新潮文庫『にんじん』訳高野優       

 パリ郊外に住むにんじん一家、5人家族は、どこにでもある平凡な、明るい家庭のようにみえる。この家庭のどこに問題があるのか観察してみよう。

「ルピック家」と「にんじん一家の家族構成」

ルピック家 →  郊外の一戸建て、畑もある 家畜はニワトリ、うさぎ
        ペットの犬(ピラム) 暮らしは中流上、5人家族。
ルピック氏 → お父さん セールスマン、亭主関白

ルピック夫人 → お母さん 口やかましい

フェリックス → お兄さん 中学3年生ぐらい 性格 長男の甚六 

エルネスティーネ → お姉さん 中学2年生ぐらい 性格 調子いい

にんじん → 主人公、小学校4~5年 性格 わんぱく坊主

オノリーヌ → 家政婦(67)

6/18観察報告 第1話「にわとり小屋」をみる 

Q.「にわとり小屋」を読んで、ルピック家をどう思いましたか。

  1.普通の家族    2.何かへん   3.にんじんに同情する

■2.の「何かへん?」が多かった。
■その理由は、「にんじんが戻ってきても知らんぷりしている」
■母親が厳しいように思えた。行かないと「痛い思いをする」から。
■総体的には、普通の家族。わんぱく坊主の「にんじん」がちょっと浮いているだけ。
■父親ルピックス氏の存在が? まだ゛帰宅していないのか。

☆「にわとり小屋」にみるにんじん家族の評価 普通の家族 たいした問題はない。

第2話「ヤマウズラ」、第3話「犬」、第4話「悪夢」はどうだろうか。   

ジュール・ルナール生没年譜・1864年2月22日 フランス、ニューヴル県に生まれる。
・1910年5月22日未明パリで死ぬ。
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テキスト・志賀直哉の車中作品と関連作品 6/18読み

『出来事』 実際に体験した作品。

 この作品は、1913年(大正2年)9月1日発行の『白樺』第四巻に発表された。30歳。
7月28日の日記「子供が電車にヒカレかかった。(出来事)」。8月15日「病院。かえって『出来事』の了ひを書き直して出来上がってひるね」この夜、友人と散歩にでて山の手電車にはねられて怪我をする。(岩波書店『志賀直哉全集』)
※ この怪我の治療に城の崎温泉に行き『城の崎にて』を書く。

『正義派』は、人から聞いた事故の話を創作したもの

『正義派』は他者から聞いた事故の出来事を創作した作品。
 『正義派』――この作品は、1912年(大正元年)9月1日発行の『朱欒』に発表された。29歳。1912年(明治45年)5月2日の日記「夜少し仕事をした。(興奮という題の)」とある。5月5日には「『興奮』という題の小説をかきあげた」とある。5月17日は「雀の声を聞きながら眠って翌日の12時半に起きた。『線路工夫』を少し書いてみた」とある。5月28日「夜、『正義派』・・・を書き終わった。感心すべきで物ではない」8月25日「あけ方、とうとう『正義派』を書きあげる。悪い小説とは思わない」
 その後の【創作余談】では、「車夫の話から材料を得て書いたもので、短編らしい短編として愛している」と回想されている。(『志賀直哉全集』岩波書店)

名作『城の崎にて』について

一見なんでもない作品。しかし、この作品は名作と評されている。なぜ名作か。その意味がわかるのは、おそらく、もっと多くの小説。いろんな分野の作品を読む必要がある。文学でもなんでもそうであるが、本物はすぐにはわからない。
 『出来事』を書いた8月15日の夜、山手電車にはねられた。その時の傷の養生に城崎温泉に行く。10月18日から11月7日まで湯治療養。この間、この作品を書く。
10月30日の日記「蜂の死と鼠の竹クシをさされて川へ投げ込まれた話を書きかけてやめた。これは長編の尾道に入れることにした。」とある。(『志賀直哉全集』岩波書店)

【創作余談】これも事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。所謂心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。

或る町観察 I市の復活   1万人の米軍兵士の城下

 先週、中国地方にある家人の故郷に帰省した。家人の母親は今秋、白寿を迎える。義父がなくなった数年前、新しくできた老人施設に入居した。そんなわけで半年に1度、ビジネスホテルを予約して家人と面会に行っている。年ごとに月日の流れが速くなり、今回は2年近くなっていた。家人の故郷は、小さな大名の城下町で、日本名橋の一つを観光名所として、この町唯一の作家、宇野千代と人気漫画「島耕作」バスを走らせて、なんとか過疎化を防いでいた。が、年々寂れていく様は、隠しようもなかった。
 ところが2年ぶりで目にしたI 市は、なんとなく活気があった。家族連れの外国人が目についた。オスプレー機発着米軍基地になったことを思いだす。基地をつくるために山を崩し、大きな工業団地になる。「基地のなかには1万人の兵隊がいる」と市民は複雑な苦笑。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.375 ―――――――― 6 ―――――――――――――

ゼミ合宿について 6/18現在までの経過 ゼミⅢと合同。 

○目的地 : 長野県下伊那郡阿智村

・校外学習の内容 : 熊谷元一写真童画館見学・満蒙開拓平和祈念館見学。
           東山道阿智駅「駒場宿」を歩く。中山道の裏街道として発展
            5日夜、星空日本一を観測。(天気次第)雨天は温泉を楽しむ

 ○日程 : 9月5日(木)~6日(金)

 ○宿 : 「ひるがみの森」露天風呂・温水プール・すべり台
    
熊谷元一写真童画館見学「熊谷元一写真童画館」見学で熊谷の業績を知る。

1953年入学の「一年生」「村の記録70年」の写真作品、風化する山村文化の童画作品。

満蒙開拓平和記念館 中国残留孤児の悲劇を生んだ戦前の国策を知る。2015年9月当時天皇ご夫妻が訪問。

映画『望郷の鐘』内藤剛、常盤孝子主演。終戦まで後3カ月。昭和20年5月1日、新緑の伊那谷を後にして遠い中国の北東部(当時満州国)に旅立った村人家族と、その子どもたちと教師。総勢195名がいた。彼らは、なぜ、ソ連軍が迫る国境の開拓村に向かったのか。悲惨な逃避行を生んだ国策の謎。同館見学で、その謎が解ける。

【 行 程 】9/5(木)~9/6(金) 

9/5  パスタ新宿(飯田行)(2時間)→双葉休憩(15分)→(2時間)「伊賀良」下車、宿送迎車→宿(昼食)自由「熊谷元一写真童画館」見学、・珈琲館、温泉、夕食

   ※星空見物ロープウエイなら(3500円)、20時頃バスが迎えにくる。22時温泉~

9/6 6:00朝市見物・朝食→10:30「満蒙開拓平和記念館」見学→三州街道の宿場、駒場町を徒歩で打ち上げ会場1:00~「南国飯店」で郷土料理「五平もち」など食べる。→ 4:19伊賀良(新宿行)→ 20:30前後ころパスタ新宿着。解散。

☆星見物の場合(ロープウエイ)乗車往復3500+ 総額約23000円前後(宿泊・交通費込)

ひるがみの森(ひるがみのもり)
 
5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

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ゼミ合宿・熊谷元一写真童画館 ゼミ合宿に備えて見学対象を知っておく

熊谷元一年譜

・1909年(明治42)熊谷元一、長野県伊那谷会地村(現阿智村)に生まれる。
・1923年(大正12)14歳、長野県立飯田中学校に入学。
・1930年(昭和5)21歳、智里東小学校に代用教員として勤務。
・1931年(昭和6)22歳、童画家武井武雄に師事。
・1932年(昭和7)23歳、市田小学校吉田部校へ転勤。投稿童画「ねぎぼうず」が入選。『コドモノクニ』5月号に掲載。
・1933年(昭和8)24歳、『コドモノクニ』で「すもう」発表。2・14赤化事件に連座し、2月20日市田小学校退職。
・1934年(昭和9)25歳、童画家武井武雄の依頼により、カメラを借りはじめて「かかし」を撮る。
・1936年(昭和11)27歳、パーレットの単玉を17円で求め毎日村をまわり村人の生活を撮る。
・1938年(昭和13)29歳、朝日新聞社刊『會地村』刊行。
・1939年(昭和14)30歳、拓務省嘱託、満蒙開拓青少年義勇軍撮影。
・1945年(昭和20)36歳、4月東京で空襲にあい満州関係の根が消失。6月拓務省退職、7月応召、熊本で終戦。10月智里東国民学校勤務。5年担任。
・1949年(昭和24)40歳、会地小学校へ転勤。
・1953年(昭和28)4月1日「一年生」入学 65名 東組担任。
・1953年(昭和28)44歳、岩波写真文庫『一年生』を撮る。
・1955年(昭和30)46歳、『一年生』刊行。第一回毎日写真賞受賞。
・1956年 (昭和31) 47歳 『一年生』4年まで受け持つ。
・1966年 (昭和41) 57歳 教員を退職 一家で上京。清瀬に転居。
・1968年 (昭和43) 59歳 絵本『二ほんのかきのき』を出版。
・1971年 (昭和46) 62歳 清瀬市の自然の写真を記録しはじめる。
・1976年 (昭和51) 67歳 清瀬市自然を守る会快調に就任。
・1981年 (昭和56) 72歳 「伊那谷を写して50年展」。
・1986年 (昭和61) 77歳 「教え子たちの歳月」「清瀬の365日」展。
・1988年 (昭和63) 79歳 昼神温泉に「ふるさと童画写真館」開館。
・1990年 (平成2)  81歳 日本写真協会功労賞受賞。
・1994年 (平成6)  84歳 地域文化功労者文部大臣賞受賞。
・1995年 (平成7)  86歳 第二回信毎賞受賞。
・1996年(平成8)  88歳、50歳になった一年生撮影で全国行脚。
・2001年(平成13) 92歳、写真集『五十歳になった一年生』。
・2010年(平成22) 100歳、記念文集『還暦になった一年生』。
・2010年(平成22) 101歳 11月6日、逝去。

2000年7/29-9/17、東京の江戸東京博物館で開催された「近くて懐かしい昭和展」は、昭和をなつかしむ大勢の人たちでにぎわった。美空ひばり、力道山、長島茂雄。戦後の昭和を飾った著名な人たちの記録や映像が人気を博していた。そのなかにあって、ひときわ入場者の関心を引いた写真展があった。昭和28年(1953年)写真家・教師だった熊谷元一が、教え子の一年生を一年間、撮影した写真だった。
熊谷は、写真のほかに一年生の「絵」「声」「文集」「黒板絵」を残した。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.375 ―――――――― 8 ―――――――――――――

ドストエフスキー市民講座 「ナポレオンになりたかった青年の物語」

『罪と罰』について

 ドストエフスキーの作品のなかで人気があるのは、古今東西『罪と罰』のようだ。とりわけ日本ではよく読まれ、評論集も多い。日本で、ドストエフスキーの作品が最初に読まれたのは、明治25年(1882年)『罪と罰』が英語訳から重訳されたときからである。最初に読んだのは訳者の内田魯庵という小説家。初版は、明治25年11月4日、出版は11月10日となっている。この名作の余りにも有名な出だしを少し紹介すると、記念すべき第1作のはじまりはこのようであった。

小説 罪と罰 上篇 第1回 内田魯庵訳

 7月上旬或蒸暑き晩方の事、S…「ペレウーロク」(横町)の5階造りの家の道具付の小座敷から1少年が突進して狐疑逡巡の体でK…橋の方へのツそり出掛けた。

この作品を一番先に読んだのは訳者の内田魯庵だが、その感想は、劇的なものであった。

恰も、荒野で落雷に会って眼くらめき耳ろうひたる如き、今までにかってない甚深の感動を与えられた。(二葉亭余談)
この衝撃と感動は、これ以降、訳者が変わっても明治、大正、昭和の時代を文学者から文学者にと受け継がれていく。例えば昭和41年初版発行の江川卓訳は

 七月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日ぐれどき、ひとりの青年が、S横丁のせまくるしい間借り部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした。
と訳されている。が、その衝撃度訳は変わらなかった。内田魯庵の感動から戦後の「族」、そして現在の「好き」とつづく体験者の存在が証明している。いま、この瞬間でも、どこかで誰かが、あらゆる観念が崩壊する深甚の衝撃と感動を受けているに違いない。
 ドストエフスキーが読者に与えた衝撃と感動。そこには、危険なものもある。例えば『罪と罰』この作品は、文字通り犯罪行為の罪と罰を問うたものだが、もう一つ別のテーマも掲げている。それは非凡人と凡人思想だ。1人を救うために99人を犠牲にできるのか。99人を救うために1人を犠牲にできるのか。人類に提起された永遠の問題である。富国強兵策で新しい国づくりを急ぐ明治政府は、次第に国民に犠牲を強いるようになっていった。
 『罪と罰』は、戦後は国家の英雄主義から個人の英雄主義に転じた。40年に渋谷で起きた猟銃乱射事件以降その傾向が多くみられた。そして、その個人の英雄主義は、より先鋭化して平成の今日までつづいている。他者を省みない怪物は国家から社会に、社会から家庭に入り込み夫婦、両親、兄弟内での殺人事件を起こしている。(「団塊とド」下原)

・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで
月 日 : 2019年8月10日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』4回目 報告者 : 石田民雄さん

連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

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