文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.376

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)7月2日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.376

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

7・2下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉   梅田惟花  佐久間琴莉  松野優作  伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (写真全員のとき)

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【7・2ゼミ予定】
□ゼミ誌編集会議、ゼミ合宿報告(ゼミⅢ西村から)。
□提出課題報告「ある日の記録」「子ども時代」「にんじん」大森(374号)
□子ども虐待観察『にんじん』家族「人には言えないこと」「尿瓶」
□テキスト志賀直哉『正義派』を読む。課題、感想
□ドストエフスキー講座 
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【最近の気になるニュース】

・アメリカ合衆国トランプ大統領、朝鮮半島38度線軍事境界線を 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.376―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年、読書と創作の旅、同行者の紹介

6月25日までの出欠状況です。6/25の参加者5名。

・宇治京香 4/9、4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4        6/25

・伊東舞七 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28    6/11     6/25

・梅田惟花 4/9 4/16 4/23    5/14  6/4      6/18

・佐久間琴莉4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4  6/11  6/18 6/25

・大森ダリア4/9 4/16 4/23    5/14  5/28     6/11

・安室翔偉  4/16 4/23 5/7  5/21  6/4   6/11  6/18 6/25

・佐藤央康 4/9  4/16 4/23  5/28 6/4  6/11     6/25

・松野優作          5/7

総計日  6  7  7   5   5  1  5   5  5   3   5
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ゼミ雑誌編集 6/25現在までに決まっていること  

7月2日(火)編集会議での議案 → 1.タイトル決め、2.印刷会社決め

〈制作上の日程〉
①進行状況の報告提出 → 10/11(金)迄に
②仮見積もり書の提出 → 10/25(金)迄に
③確定見積もり書提出 → 11/22(金)迄に
④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出12月6日(金)締切

〈ゼミ雑誌の形態〉
サイズ → 文庫本
表 紙 → 佐久間琴莉さん担当
原 稿 → 夏休み明けに提出 9月24日(火)提出

〈内容〉だいたい決めている人(参加者)
・宇治京香 → 小説 or 論文
・大森ダリア → 小説 or 論文、エッセイ
・伊東舞七 → ポエム 詩
・佐久間琴莉 → 小説
・佐藤央康 → ショートショート 短編
・梅田惟花 → 創作
・安室翔偉 → 創作
・松野優作 →
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テキスト(『或る朝』)感想報告  報告未読 (374号掲載)

大森ダリア    信太郎の気持ち、共感できる 

 自身の実体験を元に、祖母と孫とのやりとりが生き生きと書いてある。朝、人に起こされてからの二度寝は最高だ。
 しかし、その二度寝から起こされるのは、大変不愉快だ。自分が昨日、夜更かししたのが悪いことだったと(認めて)しまう。自分でもよくわからないプライドがあって、一生起きてやるものか、と思ってしまう。主人公の信太郎もきっと、こういう気持ちだったのだろう。とても共感ができる。いつも小言を言われる近い存在だからこそ、反抗心が沸いてしまう。起らせたくなる。仲の良い家族だからこそ、怒りの感情が押えきれない。
しかし、その怒りにも関わらず、バカバカしくなって仲直りするのも家族。暖かい気持ちになる作品だった。

□起こされるのは腹立たしいけど、起こす人も大変。家族だから遺恨は残らないけど、気持ちよく起きるようこころがけてね。

ある日の記録報告

宇治京香          手術の思い出

 まさか自分が、とはよく言うことだが私が、当の本人になるとは思いもしなかった。10日の夕方から胃が痛くなり寝れずに一夜を越した。翌朝、大学に行けるはずもなく近くの内科を受診した。薬を処方してもらったが、全くといっても良い程効かず、熱は上がり、痛みはだんだんと右下腹部へと移っていった。カロナールを飲みごまかしていたが、深夜1時頃、母親が地元の病院に問い合わせてくれたことによって急患で足柄上病院へ駆け込んだ。
 その時には、歩くのもやっとだった。当直の医者に診てもらい、触診だけでは胃腸炎ではないかといわれたが、CT検査をしたところ、虫垂に石があり炎症を起こしていることが分かった。血液検査でも白血球の値が高くなっていた。
 その晩は、点滴をして過ごしたが、やはり痛みで一睡もできなかった。翌朝、手術が決まり、昼には始まった。その晩は術後の激痛と高熱で寝られなかった。その次の番は吐き気で眠れなかった。総括すると、寝れることは幸せだ。

□お見舞い申し上げます。大変で、危なかったですね。元気な様子にほっとしました。でも、油断せず、体やすめてください。ゆっくり睡眠も…。

伊東舞七     チョコしか目に入らなくて

 3歳の頃、私はチョコが好きでよく食べていました。特に好きだったのが、「ツィンクルチョコレート」というチョコでうずら卵くらいのチョコに金平糖やさらに小さいチョコが入っているものでした。
 ある時、そのチョコをたべようと、とろうとしたら目の前にある熱いお茶に気づかずそのまま手をひいてしまい、大ヤケドを負ってしまい、中三くらいまでヤケドの痕が残っていました。今では、消えたのでよかったです。
 小さい頃の思い出はたくさんあるけど、とてもバカなことをしたなと今でも覚えています。よく回りを見て行動しないと16年前の自分に言いたいです。

□甘いものには目がないは、本当ですね。これからも気をつけて。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.376 ―――――――― 4 ―――――――――――――

佐久間琴莉      あの日々よ、もう一度

 今では考えられないことですが、一時期某テーマパークの年間パスポートを持っていました。祖父の株式優待券かなにかで安く買えたので、一年だけ夢のパスポートを手にしていました。ただ、当時私は小学2年生だったので、夢の国の通常価格も知らず、ありがたさもあまりありませんでした。今思うと後悔します。なんであのとき一生分のネズミーランドを満喫しなかったのかと。舞浜は遠く、片道1時間半はかかります。
毎週日曜は必ず行っていましたが、しだいに、今日は、夜のパレードだけ見に行こうとなり、母は犬が家にいるからと行かなくなり、ついには父に誘われても私さえ疲れるから、と言い出し、毎週日曜に残ったのは父だけでした。なんてリッチだったのでしょうか。あの日々よもう一度と何度も念じましたがもうやってきません。いまや入場券だけでも7000円かかります。痛い出費です。
   
□一生分の幸福です。この思い出があれば楽しい人生を送れますね。

テキスト ルナールの「にんじん家族」観察

安室翔偉     「犬」

 犬の話を読むと、にんじんが家の中で安全に過せるように、悪知恵をつけてきたのがわかる。家族を安心させるために外を見に行くというのは口実で、出来るだけ一緒にいたくないのだろう。それでも、にんじんはズルをしていると自分で思っているあたり、家族への気持ちはまだ残っているのだろう。
 このにんじんシリーズは、虐待としてはグレーゾーンだが、家族としては間違っているだろう。

□こんなとき父親は、どんな態度をとるべきか。

【提出課題】「思い出」「ある一日」「にんじん感想」

・佐藤央康 → 自宅課題  ・欠席 → 大森ダリア 梅田惟花 松野優作

 にんじん一家の家族構成 新潮文庫『にんじん』訳高野優       

 郊外に住むにんじん一家。5人家族。どこにでもある平凡な、明るい家庭のようにみえる。この家庭のどこに問題があるのか観察してみよう。

「ルピック家の家族構成」

ルピック家 →  郊外の一戸建て、畑もある 家畜はニワトリ、うさぎ
ルピック氏 → お父さん セールスマン、亭主関白
ルピック夫人 → お母さん 口やかましい性格
フェリックス → お兄さん 中学3年生ぐらい  
エルネスティーネ → お姉さん 中学2年生ぐらい 性格 ときどきやさしい
にんじん → 主人公、小学校4~5年 性格 わんぱく坊主
オノリーヌ → 家政婦(67)

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ゼミ合宿について 6/25現在までの経過 ゼミⅢと合同。 

☆「ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿」幹事の西村美穂さんが打ち合わせにきます。

○目的地 : 長野県下伊那郡阿智村

・校外学習の内容 : 熊谷元一写真童画館見学・満蒙開拓平和祈念館見学。
           東山道阿智駅「駒場宿」を歩く。中山道の裏街道として発展
            5日夜、星空日本一を観測。(天気次第)雨天は温泉を楽しむ

 ○日程 : 9月5日(木)~6日(金)

 ○宿 : 「ひるがみの森」露天風呂・温水プール・すべり台
    
熊谷元一写真童画館見学「熊谷元一写真童画館」見学で熊谷の業績を知る。

1953年入学の「一年生」「村の記録70年」の写真作品、風化する山村文化の童画作品。

満蒙開拓平和記念館 中国残留孤児の悲劇を生んだ戦前の国策を知る。2015年9月当時天皇ご夫妻が訪問。

映画『望郷の鐘』内藤剛、常盤孝子主演。終戦まで後3カ月。昭和20年5月1日、新緑の伊那谷を後にして遠い中国の北東部(当時満州国)に旅立った村人家族と、その子どもたちと教師。総勢195名がいた。彼らは、なぜ、ソ連軍が迫る国境の開拓村に向かったのか。悲惨な逃避行を生んだ国策の謎。同館見学で、その謎が解ける。

【 行 程 】9/5(木)~9/6(金) 

9/5  パスタ新宿8時05分発(飯田行)(2時間)→双葉休憩(15分)→(2時間)12時06分「伊賀良」下車、宿送迎車→宿(12時40分昼食)自由徒歩で3時30分「熊谷元一写真童画館」見学、・珈琲館、温泉、夕食20時バス迎えに→ロープウエイで星空見物→23時00分頃 宿 
   ※星空見物ロープウエイなら(3500円)、20時頃バスが迎えにくる。22時温泉~

宿泊: ひるがみの森(ひるがみのもり)
   5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
   露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

9/6 6:00朝市見物・朝食→10:30「満蒙開拓平和記念館」見学→東山道(古道)の宿場、駒場町を徒歩で打ち上げ会場1:00~「南国飯店」で郷土料理「五平もち」など食べる。→ 4:19伊賀良(新宿行)→ 20:30前後頃パスタ新宿着。解散。
予算
星見物ができたときの、だいたいの総額
8800(宿)+8000(高速バス)+350(入館)+500(入館)+3500(☆)+1500(打ち上げ)+1000(5日昼食)=
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ゼミ合宿・満蒙開拓平和記念館見学を前に

2019年6月28日(金)大阪で世界主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が開幕した。2日間で国際機関や招待国を含めた37の国・期間が経済や環境などの問題を話し合う(海洋プラスチックごみの削減など)。参加国は、それぞれに内情はあるだろうが、平和への意志があるからこそ集まったのだ。成功を祈る。
80年前、日本は暴走に暴走を重ね戦争への道をひた走っていた。見る目も聞く耳もなく、植民地時代は、終わろうとしているのに、あろうことか前世紀の西欧諸国の真似をして大陸にのりだしていた。中国東北部に勝手に国をうちたて貧しい農民を送り込んでいたのだ。だが、終戦時、民間人救出が第一優先時のはずが、なんと関東軍は開拓団を置いて遁走した。あとに残された開拓民たちの悲劇の逃避行がはじまった。
満蒙開拓団は、国策に協力させられた犠牲者の集団である。

【HPで知る昭和近代史・満蒙開拓団の真実】

昭和恐慌と試験的移民期[編集]
満蒙開拓団の事業は、昭和恐慌で疲弊する内地農村を中国大陸への移民により救済すると唱える加藤完治らと屯田兵移民による満州国維持と対ソ戦兵站地の形成を目指す関東軍により発案され、反対が強い中、試験移民として発足し。1936年(昭和11年)までの5年間の「試験的移民期」では年平均3000人の移民を送り出した。
二・二六事件と本格的移民期[編集]
しかし、同年の二・二六事件により政治のヘゲモニーが政党から軍部に移り、同事件により高橋是清蔵相も暗殺され、反対論も弱まり、広田弘毅内閣は、本事業を七大国策事業に位置付けた。同年末には、先に関東軍作成の「満州農業移民百万戸移住計画」をもとに「二十カ年百万戸送出計画」を策定した。その後の1937年(昭和12年)には、満蒙開拓青少年義勇軍(義勇軍)の発足、1938年(昭和13年)に農林省と拓務省による分村移民の開始、1939年(昭和14年)には日本と満州両政府による「満洲開拓政策基本要綱」の発表と矢継ぎ早に制度が整えられた。1937年(昭和12年)から1941年(昭和16年)までの5年間は「本格的移民期」にあたり年平均送出数は、3万5000人にのぼる。
日中戦争と移民崩壊期[編集]
日中戦争の拡大により国家総力戦体制が拡大し内地の農村労働力が不足するようになると、成人の移民希望者が激減したが、国策としての送出計画は変更されなかった。
国は計画にもとづきノルマを府県に割り当て、府県は郡・町村に割り当てを下ろし、町村は各組織を動員してノルマを達成しようとした。具体的には補助金による分村開拓団・分郷開拓団の編成、義勇軍の義勇軍開拓団への編入などである[2]。それでも、予定入植戸数(一集団の移民規模;200から300戸)に達しない「虫食い団」が続出した。「移民崩壊期」である。
1940年(昭和15年)には、同和地区からも開拓団が編成され、1941年(昭和16年)からは統制経済政策により失業した都市勤労者からも開拓団を編成した[4]。結局、青少年義勇軍を含めると約32万人が移住したことになる[1]。
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開拓民が入植した土地はその6割が漢人や朝鮮人の耕作していた既耕地を買収した農地であり、開拓地と言えない土地も少なくなかった。
ソ連参戦と終焉[編集]
太平洋戦争末期の戦局の悪化により、開拓団からの招集も増えるようになり、特に1945年7月の「根こそぎ動員」では、約4万7000人が招集された。同年8月9日にソ連軍が満州に侵攻すると、関東軍は開拓移民を置き去りにして逃亡した。ソ連参戦時の「満蒙開拓団」在籍者は約27万人であり、そのうち「根こそぎ動員」者4万7000人を除くと開拓団員の実数は22万3000人、その大半が老人、女性、子供であった。男手を欠いた開拓移民は逃避行に向かい、その過程と難民生活で約8万人が死亡した[2]。主に収容所における伝染病感染を含む病死、戦闘、さらには移民用地を強制的に取り上げられ生活の基盤を喪っていた地元民からの襲撃、前途を悲観しての集団自決などが理由である。敗戦時に旧満州にいた日本人は約155万人といわれるが、その死者20万人の4割を開拓団員が占める。
自決や殺害の危機を免れ辛うじて牡丹江やハルピンに辿りついた人々は、麻袋の底をくりぬいて身に纏う避難民の姿が目立った。運よく貨車を乗り継いで、長春や瀋陽にまで辿り着いた人々もいたが、収容所の床は剥ぎ取られ、窓ガラスは欠け落ち、吹雪の舞い込む中で飢えと発疹チフスの猛威で死者が続出した。孤児や婦人がわずかな食料と金銭で中国人に買われていった。満州に取り残された日本人の犠牲者は日ソ戦での死亡者を含めて約24万5000人にのぼり、このうち上述のように8万人を開拓団員が占める。満州での民間人犠牲者の数は、東京大空襲や広島への原爆投下、沖縄戦を凌ぐ。
内地に生還した元開拓移民も、引き揚げ後も生活苦にあえぎ、多くが国内開拓地に入植したが、南アメリカへの海外移民になった者もいた。
その他に約1万人の残留孤児、残留婦人が存在する。この帰還は、1972年(昭和47年)の日中国交正常化から21世紀まで続く現代的な問題である。
開拓団員と義勇隊員併せて3万7000人の移民を送り出した長野県内に満蒙開拓平和記念館(同県下伊那郡阿智村)がある。同記念館は、2014年に、開拓団の生活やソ連軍侵攻後の逃避行についての聞き取り調査する活動を、中国人目撃者から聞き取る活動を行った。黒竜江省方正県大羅密村の最年長男性によると、ソ連国境近くにいた開拓団民が同村まで徒歩で逃れてきたが「開拓団民はみなぼろを着て、女性は丸刈りだった。生活は苦しく、中国人に嫁いで子供を産み、何年もしてやっと帰国できた」などの体験談などを得ている
満蒙開拓平和記念館は、なぜ阿智村に
総出数概要

・全国 270000人 ・長野県 33744人
(飯田・下伊那8389人 全国の3.1%、長野県の24.9%)

送出比率は阿智村が、断トツ。なぜ阿智村が ? 

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.376 ―――――――― 8 ―――――――――――――

ドストエフスキー市民講座 「ナポレオンになりたかった青年の物語」

『罪と罰』を読む

ことしの春、NHKテレビで「詐欺の子」というドキュメンタリー風のドラマをやっていました。振り込み詐欺ではなく、「受け子」とか「出し子」と呼ばれる若者たちがドキュメントタッチで描かれていました。この若者たちは、どのような指導や教育によって詐欺という悪事に加担するのか。そんな興味で見ておりました。見ていて、不思議に感じたのは、「受け子」や「出し子」に悪いことをしているという影がないのです。若者たちは、普通のアルバイトをしているような、むしろ堂々とやっているのです。
2003年、オレオレ詐欺がはじめて発生した。そのころは、受話器を手にしばりつけてのモーレツ社員教育のような特訓だったようですが、このとき見たのは、普通の会社のようにレクチャーしているのです。どういっただましのテクニックを教えているのか。よほどずる賢い方法を伝授するのか。そんな好奇心でみていました。ごらんになった方もいらっしゃるかもしれませんが、――
驚きました。詐欺講師がレクチャーしていたのは、いかにして人を騙すか、信じさせるか、ではなく、いかにして多くの人を幸福にするか、困っている人を救うか、そんな話をしていたのです。

たとえば、こんな調子でした。「お金をもっているお年寄りがいます。お金は、タンスの奥に眠っていまです。お年寄りが亡くなったら、お金には困らない人たちがわけて贅沢に暮らすだけです。世の中には、お金を本当に必要としている人たちがいます。そうした人たちのために、あるところからないところに流す。これっていけないことでしょうか。間違っていますか」

一瞬、耳を疑いました。そのあと、どこかで聞いたような、話というかせりふだな、と思いました。そうです、この会話は、『罪と罰』で、最初に主人公が酒場で耳にした会話です。人類を凡人と非凡人に分ける、奇妙な思想にとりつかれた主人公は、この会話で迷っていた強盗殺人を決意し実行するのです。138P―139P 次号

・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年8月10日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』4回目 報告者 : 石田民雄さん

連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

月 日 : 2019年10月12日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)
作 品  :『カラマーゾフの兄弟』5回目

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