文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.377

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)7月9日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.377

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

7・9下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉   梅田惟花  佐久間琴莉  松野優作  伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (写真全員のとき)

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【7・9ゼミ予定】□ゼミ誌編集会議タイトル決め
□紹介・市ヶ谷事件観察「もう一つの三島事件」(『江古田文学20号』)。
□紹介・太宰治と加山雄三(『江古田文学』69号 20008年秋特集号)
□提出課題報告 未読「ある日の記録」「子ども時代」(「下原ゼミ通信376号」)
□子ども虐待観察『にんじん』「人には言えないこと」「尿瓶」
□「ルピック家」虐待疑惑中間報告 ?
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【気になる作家】ゼミで耳にした作家について書いたものがあるので紹介する。太宰治と三島由紀夫、好きではないが、気になる作家だ。太宰は1948年6月13日玉川上水で心中(?)した。三島は1970年11月25日市ヶ谷で切腹自殺(心中?)した。二つのエッセイは、いずれも下原が『江古田文学』に掲載したもの。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.377―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年、読書と創作の旅、同行者出欠

6月25日までの出欠状況です。6/25の参加者5名。

・宇治京香 4/9、4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4        6/25 7/2

・伊東舞七 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28    6/11     6/25

・梅田惟花 4/9 4/16 4/23    5/14  6/4      6/18

・佐久間琴莉4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4  6/11  6/18 6/25 7/2

・大森ダリア4/9 4/16 4/23    5/14  5/28     6/11        7/2

・安室翔偉  4/16 4/23 5/7  5/21  6/4   6/11  6/18 6/25 7/2

・佐藤央康 4/9  4/16 4/23  5/28 6/4  6/11     6/25 7/2

・松野優作        5/7

総計日   6  7  7   5   5  1  5   5  5   3   5  5
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7・2ゼミ報告

ゼミ参加者 → 宇治、佐久間、大森、佐藤 安室

【合同ゼミ合宿についての報告】

Ⅲゼミ・西村美穂さん確認と説明に来訪 配布(銀行振り替え用紙)

【ゼミ誌編集会議】宇治編集長

□印刷会社 → 新星社にアポイント

□タイトル → 候補「光一点」「暗夜光路」

ゼミ雑誌編集 7/2現在までに決まっていること  

〈制作上の日程〉
①進行状況の報告提出 → 10/11(金)迄に
②仮見積もり書の提出 → 10/25(金)迄に
③確定見積もり書提出 → 11/22(金)迄に
④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出12月6日(金)締切

〈ゼミ雑誌の形態〉
サイズ → 文庫本 原 稿 → 夏休み明けに提出 9月24日(火)提出
表 紙 → 佐久間琴莉さん担当
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ある日の記録報告  未読(375号掲載分)

宇治京香          手術の思い出

 まさか自分が、とはよく言うことだが私が、当の本人になるとは思いもしなかった。10日の夕方から胃が痛くなり寝れずに一夜を越した。翌朝、大学に行けるはずもなく近くの内科を受診した。薬を処方してもらったが、全くといっても良い程効かず、熱は上がり、痛みはだんだんと右下腹部へと移っていった。カロナールを飲みごまかしていたが、深夜1時頃、母親が地元の病院に問い合わせてくれたことによって急患で足柄上病院へ駆け込んだ。
 その時には、歩くのもやっとだった。当直の医者に診てもらい、触診だけでは胃腸炎ではないかといわれたが、CT検査をしたところ、虫垂に石があり炎症を起こしていることが分かった。血液検査でも白血球の値が高くなっていた。
 その晩は、点滴をして過ごしたが、やはり痛みで一睡もできなかった。翌朝、手術が決まり、昼には始まった。その晩は術後の激痛と高熱で寝られなかった。その次の番は吐き気で眠れなかった。総括すると、寝れることは幸せだ。

□お見舞い申し上げます。大変で、危なかったですね。元気な様子にほっとしました。でも、油断せず、体やすめてください。ゆっくり睡眠も…。

伊東舞七     チョコしか目に入らなくて

 3歳の頃、私はチョコが好きでよく食べていました。特に好きだったのが、「ツィンクルチョコレート」というチョコでうずら卵くらいのチョコに金平糖やさらに小さいチョコが入っているものでした。
 ある時、そのチョコをたべようと、とろうとしたら目の前にある熱いお茶に気づかずそのまま手をひいてしまい、大ヤケドを負ってしまい、中三くらいまでヤケドの痕が残っていました。今では、消えたのでよかったです。
 小さい頃の思い出はたくさんあるけど、とてもバカなことをしたなと今でも覚えています。よく回りを見て行動しないと16年前の自分に言いたいです。

□甘いものには目がないは、本当ですね。これからも気をつけて。

佐久間琴莉      あの日々よ、もう一度

 今では考えられないことですが、一時期某テーマパークの年間パスポートを持っていました。祖父の株式優待券かなにかで安く買えたので、一年だけ夢のパスポートを手にしていました。ただ、当時私は小学2年生だったので、夢の国の通常価格も知らず、ありがたさもあまりありませんでした。今思うと後悔します。なんであのとき一生分のネズミーランドを満喫しなかったのかと。舞浜は遠く、片道1時間半はかかります。
毎週日曜は必ず行っていましたが、しだいに、今日は、夜のパレードだけ見に行こうとなり、母は犬が家にいるからと行かなくなり、ついには父に誘われても私さえ疲れるから、と言い出し、毎週日曜に残ったのは父だけでした。なんてリッチだったのでしょうか。あの日々よもう一度と何度も念じましたがもうやってきません。いまや入場券だけでも7000円かかります。痛い出費です。
   
□一生分の幸福です。この思い出があれば楽しい人生を送れますね。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.377 ―――――――― 4 ―――――――――――――

ある日の記録報告  (7/2提出分)

大森ダリア     アニメ、面白すぎて

最近、またドラゴンボールを見はじめた。やっぱり鳥山さんは天才だ。アラレちゃんから鳥山さんにはまりはじめて、9年はたつと思う。熱狂的なファンというわけではなく、好きで何回も見直してしまう。そして、今日、ついに見はじめてしまった。
面白くてしかたがない。全部、サボってドラゴンボールをひたすら見ていた。この文章も片目でドラゴンボールを見ながらなので、めちゃめちゃかもしれない。そう、見はじめると止まらなくなるのだ。朝起きて2話、学校行きの電車で1話。家に帰ってきて5話。そして、今に至る。また、お風呂に入って続きを見る予定だ。学校には、しっかり行くように、気をつけながらドラゴンボールを楽しみたいと思っています。責任はとりませんが、みなさんもぜひ見てみてください。

□欠席した理由がわかりました。夢中になれることがあることはいいことです。が、録画して見てね。どんなところが面白くてやめられないのか、そこを書いてください。

佐藤央康        私の妹

 10年以上、飼っていた犬がいた。私は、その犬を妹のように扱っていた。というかものごころつくときには側にいた。そいつは自分にとって本当の妹だった。よく回りの人に父と母と、そして種族は違うけど妹いると言っていた。それを聞く人は、あきあきしているようであったが、たいてい笑ってくれた。
 家族構成を書かされる場合も自分はどんな場合でも4人家族と妹がいると書いた。それはやはり家族の欄にあいつの名前を書かないのが耐えられなかったからだ。そんなあいつも大学に入学してから会う機会が減った。というのは、自分が家に帰るのが遅くなったからだ。これはいたしかたのないことなのかもしれない。だが、やはり小さいころリビングのソファで一緒に寝ていたように、もう少し側にいてやればよかったかなと思う。
 夜がふけたころに帰るとあいつはもちろん寝ていた。この1年はあいつを起こさないようにそっと寝床についていた。今では、夜中に帰っても風呂場で鼻歌もうたえる。

□やさしい兄がいて幸せな「いもうと」さんでしたね。ご冥福をお祈りします。

テキスト ルナールの「にんじん家族」観察 6/25提出分

安室翔偉     「犬」

 犬の話を読むと、にんじんが家の中で安全に過せるように、悪知恵をつけてきたのがわかる。家族を安心させるために外を見に行くというのは口実で、出来るだけ一緒にいたくないのだろう。それでも、にんじんはズルをしていると自分で思っているあたり、家族への気持ちはまだ残っているのだろう。
 このにんじんシリーズは、虐待としてはグレーゾーンだが、家族としては間違っているだろう。

□こんなとき父親は、どんな態度をとるべきか。
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ゼミ合宿について 7/2現在までの経過 ゼミⅢと合同。 

☆「ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿」幹事の西村美穂さんが打ち合わせに。

○目的地 : 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷

・校外学習の内容 : 熊谷元一写真童画館見学・満蒙開拓平和祈念館見学。
           東山道阿智駅「駒場宿」を歩く。中山道の裏街道として発展
            5日夜、星空日本一を観測。(天気次第)雨天は温泉を楽しむ

 ○日程 : 9月5日(木)~6日(金)

 ○宿 : 「ひるがみの森」露天風呂・温水プール・すべり台
    
熊谷元一写真童画館見学「熊谷元一写真童画館」見学で熊谷の業績を知る。

1953年入学の「一年生」「村の記録70年」の写真作品、風化する山村文化の童画作品。

満蒙開拓平和記念館 中国残留孤児の悲劇を生んだ戦前の国策を知る。2015年9月当時天皇ご夫妻が訪問。

映画『望郷の鐘』内藤剛、常盤孝子主演。終戦まで後3カ月。昭和20年5月1日、新緑の伊那谷を後にして遠い中国の北東部(当時満州国)に旅立った村人家族と、その子どもたちと教師。総勢195名がいた。彼らは、なぜ、ソ連軍が迫る国境の開拓村に向かったのか。悲惨な逃避行を生んだ国策の謎。同館見学で、その謎が解ける。

【 行 程 】9/5(木)~9/6(金) 

9/5  パスタ新宿8時05分発(飯田行)(2時間)→双葉休憩(15分)→(2時間)12時06分「伊賀良」下車、宿送迎車→宿(12時40分昼食)自由徒歩で3時30分「熊谷元一写真童画館」見学、・珈琲館、温泉、夕食20時バス迎えに→ロープウエイで星空見物→23時00分頃 宿 
   ※星空見物ロープウエイなら(3500円)、20時頃バスが迎えにくる。22時温泉~

宿泊: ひるがみの森(ひるがみのもり)
   5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
   露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

9/6 6:00朝市見物・朝食→10:00「満蒙開拓平和記念館」見学→東山道(古道)の宿場、駒場町を徒歩で打ち上げ会場12:30~「南国飯店」で郷土料理「五平もち」など食べる。→ 南国送迎→16:19伊賀良(新宿行)→ 20:30前後頃パスタ新宿着。解散。
予算
星見物ができたときの、だいたいの総額
8800(宿)+8000(高速バス)+350(写真童画館入館)+500(満蒙開拓入館)+3500(☆)+1500(打ち上げ)+1000(5日昼食)=
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『江古田文学』69号 20008年秋特集号から

加山雄三と太宰治
 下原敏彦

 太宰治と聞いて思い浮かぶシーンがある。いつごろか記憶は定かではないが、以前、テレビで「知ってるつもり」という人気番組があった。そこで太宰治をとりあげたときのことである。そのときの場面は、心許ないが、こんなふうではなかったかと想像する。
 たしか四十分くらいの番組で、作家の生い立ちや作品、生き方が波乱万丈風に紹介された。ゲストやパネリストには、むかし文学青年、文学少女だったらしい人が多く、会場にも太宰ファンの若い人が大勢いた。そのせいか、スタジオは、異様な熱気につつまれた。司会者も、太宰ファンか、かなり入れ込んでいた。番組の最後に作品か手紙の一節が読み上げられると、スタジオはしんみりした雰囲気につつまれた。その余韻がつづくなか司会者は、満足げに微笑みながら一人の出演者にたずねた。
「どうでしょう。見方が変わったでしょう」
 皆の視線が、一斉にその出演者に注がれた。思えばつぎの場面は、台本にあるかないかは知らないが、この番組の最高のクライマックスとなったはずである。なぜならその出演者は、番組がはじまるとき、太宰治について、作品はまったく読んでいないが、人物については、あまりいい印象は持っていないと答えていたからである。放映された苦悩の作家の人生は、見るもの誰もの魂を揺さぶるに十分なできだった。おそらく、熱烈な太宰信奉者たちの手によってつくられたのだろう。
 皆は、待った。その出演者が感動と興奮に震えて称賛するのを・・・。
 だが、つぎの瞬間、会場の誰もが耳を疑った。
「いやあ、ますます理解できなくなりました。どうしてこんな人を」
その出演者は、呆れたように大声でアッケラカンに言い放った。
 一瞬の静寂のあと、会場にブーイングのようなため息がもれた。予想外の答えに司会者は、狼狽気味に視線を漂わせた。が、そこは教養も経験もあるベテラン司会者。すぐに笑顔を取り戻すと、慇懃無礼とも思えるほどのゆっくりした口調で
「そうですか、わかりませんか」と、小首を傾げた。
 それにあわせたように会場のあちこちから失笑がもれた。ゲストや他の出演者たちの何人かは、苦笑しながら隣同士ささやきあっていた。
「人間の弱さが書かれていてるんですがねえ―」「やっぱり、―さんにはわかりませんか」
などといっているようにみえた。
「しかし、少しは興味がもてたでしょう・・・」
司会者は、なおもあきらめ切れない顔で、たずねた。
 大団円に水さされたのが、よほど残念だったようだ。が、やぶ蛇だった。その出演者は、困惑しながらも満面の笑みを浮かべてふたたび快活に言った。
「いゃあ、よけいに読む気がしなくなりましたよ、この人の本は」そう言って、大きく首を振ると自問するようにつぶやいた。「どうして、こんな人を・・・」
 その様子に、会場から忍び笑いが漏れた。嘲笑的な笑いだった。おそらく、その出演者が大物でなければ、お調子者の芸人が、飛び出していって
「アンタが大将。人間失格」とかなんとか揶揄して笑いをとるところだ。
 その出演者は、大物中の大物、加山雄三さんだった。歳はとっても無敵の若大将である。皆は苦笑するほかなかった。多様化された現在の芸能文化のなかで比較するのは難しいが、1960年代、加山さんの活躍は凄かった。黒澤映画や『若大将』シリーズなど銀幕での活躍をはじめ、歌手としても数々のヒット曲を歌った。また弾厚作の名で作詞作曲するなどシンガーソングライターの草分け的存在でもあった。まさにヒーロー中のヒーローだった。
―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.377

 その加山さんでも、失笑される。このことは、裏を返せば太宰治は、それほどに神格化された存在ともいえる。どんなに時代が過ぎようと太宰人気は健在。太宰治は永遠に不滅。図らずも偶然に、そのことを強く印象づけた場面だった。おそらく、私も若いときなら、「やっぱり若大将だ」と皮肉まじりに苦笑していたに違いない。だが、このときの加山さんの感想は、まともに思えた。文学と縁のない人たちが思う普通の感覚にみえた。
 それにしても、加山さんは、なぜあんなにも、はっきりと、あっさり断言したのか。長年つづくバラェテイー番組の常連出演者である。社交辞令に「読んでみたくなりました」と答えてもよかったはず。その方が番組的には盛り上がったし、失笑もされなかった。
 しかし、意表を突く健康的な感想。加山さんらしいといえば、それまでだが、あまりにも加山さんらしかった。能天気ふうだった。それがかえって不自然にみえた。加山さんが太宰に対して何か確固たる信念をもっているように思えた。

 太宰死して61年。相変わらずその人気は高いようだ。こうして特集も組まれている。あの芥川賞作家の綿矢りささんも太宰ファンらしい。受賞のときのコメントにそんな言葉があったようにおぼえている。いつの時代も文学青年や文学少女は、太宰を避けて通れないようである。かく云う私も、若いとき人並みに太宰ファンだった。太宰は、日本文学のなかにあって特別な存在だった。が、私のなかではいつのころからか落ちた偶像となった。
 私の父は、十年前に亡くなった。1909年生まれで卒寿だった。あるとき、父が太宰と同い年ということに気がついた。一瞬、感激した。が、そのうち父親が太宰のような生き方をしたら、と思うようになった。私の父親は、信州の山奥のどん百姓で猟師だった。とても比較にはならないが、結論は、たとえどんなに偉い才能ある人間だったとしても、心中願望の生き方は許せたものではない。(死ぬなら一人で死ね。他者をまきぞえにするな。それは如何なる正論があろうとホロコーストへの道)。こう考えると、文学という衣装がとれた。
 すると、それまで覆い隠されていた真実が見え始めた。その一つに、作家長篠康一郎がなめるように検証した七里ケ浜心中がある。日本中が不況のどん底にあった昭和5年3月8日、氷雨の神戸港から出航する移民船があった。日本が国策としてはじめた移民事業は22年目に入っていた。が、日本は相変わらず国民を外国に棄てていた。この日も、多くの人々が夢と希望を抱いて新天地に旅立っていった。950名の移民団、そのほとんどは東北の貧しい農家の家族だった。この移民船が目的地のサントスに着くころ、銀座にあるカフェ「ホリウッド」に頻繁に出入りする大学生がいた。東北出身の帝國大学仏文学科の学生で実家は大地主。郷里には結納をすませた芸者の婚約者までいた。そのことで勘当騒動まで起こしていた。まさに絵にかいた放蕩息子。この大学生は、何度かカフェに足を運び、店の女給と親しくなると江ノ島にある海岸で、心中事件を起こした。事件の推移は、長篠氏の検証によると、およそこのようである。
 この年の晩秋、正確には1930年、つまり昭和5年11月29日の午前8時ごろ。場所は、神奈川県鎌倉郡腰越町にある小動(こゆるぎ)神社裏手の海岸。早朝の漁にでた漁師が、海岸で、若い男女がもつれ倒れて苦しがっているのを発見した。漁師は、すぐに警察と医者に連絡、救助にあたった。漁師が苦しがっていると見た二人のうち、女のほうは、すでに死亡していた。が、男は、まだ生きていて近くの七里ケ浜恵風園に収容された。二人が服用した薬品はカルモチンであった。嚥下時刻は、前日の28日夕刻から夜半のあいだと推定された。死んだ女は小柄で、生き残った男は大柄だったことから、カルチモンの中毒作用が体に比例したとみられた。後で男は睡眠薬常用者と判明。これにより女だけ死ぬ可能性が大いとわかった。男に自殺幇助の嫌疑がかけられた。鎌倉署の調べで、二人の身元が判明した。死んだ女は、銀座のカフェー「ホリウッド」のウエイトレス田辺あつみ、本名・田部シメ子(十七歳)広島県安佐郡字小河内出身だった。長篠康一郎著『…七里ケ浜心中』の表紙にその愛くるしい写真が載っている。新劇女優を目指して上京、大半の劇団女優がそうであるように生活のためのカフェー勤めだった。12月2日生まれというから、18歳目前の死だった。生き
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残った男から調書をとりはじめた刑事は、男の身元を聞いて驚いた。帝国大学の21歳の学生というのもあるが、出身地を聞いて、肝をつぶした。刑事も同じ郷里で、実家は学生の家の小作農だった。生き残った若い男が何者かわかった。担当刑事は、大あわてで横浜地方裁判所の所長に連絡した。所長は、男の縁者だった。所長は、即青森県金木町に住む男の長兄に知らせた。実家は県下で知らぬ者がいない旧家。亡父は貴族院議員。長兄は青森県会議員。大学生は起訴猶予になり無罪放免となった。
 大学生は心中オタクだった。高校時代から心中未遂を繰り返しては、それをネタに小説を書いた。男は、それで名を成し、女たちは闇の底に消えた。高まる男の名声。女たちの肉親は、どんな思いでその名を聞いただろう。これも、いつだったか忘れたが、テレビドラマで、佐藤B作演じる男(田部シメ子の兄を彷彿する役)が、またしても玉川の濁流に女を残して自分だけ助かろうとする心中作家を、こんどは、そうはさせまいと蹴り落とす場面があった。名も無き薄幸な女たちが溜飲を下げたシーンである。

 加山さんの父親は、美男日本一と称された超有名な男優である。週刊誌か何かで読んだが、晩年の父親には頭を痛めたようだ。それに加え自身も実社会では辛酸をなめて死ぬことも考えたという。テレビでは、能天気にわからない、と答えた加山さんだが、もしかして本当は、作家のことはわかっていた。だからこそ、その生き方に対し堂々と、理解できない、そんな人の作品に興味がもてないと宣言できたのでは。いまは、そう思えて仕方ない。
 せっかくの太宰治特集。青春時代に夢中で読んだよき思い出をと思った。が、頭に浮かんだのは、テレビでみた加山さんの感想だった。一見、若大将のように単純明快にみえた。が、加山さんは、確信もって、ご自分の人間観を人生観を述べられた。そのように思えてならない。来年は、太宰治生誕百年、祝うべく記念の年だが、この作家のことを思うと、拭えぬ光景として、あの番組のあのシーンがよみがえるのである。

※ 「知ってるつもり」番組は、日本テレビが1989~2002年3月まで放映した。が、こ
   の番組の放映月日は不明。シーンの会話は推測です。
※ 佐藤B作出演のドラマは「グッドバイ 私が殺した太宰治」平成4年フジテレビ放映
  (役所広司主演)
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観察報告の途中点検

 これまで提出されたルピック家の観察報告評です。第三者の目からの判断です。

・「にわとり小屋」ルピック家のしつけかも 直接の虐待 ?
・「ヤマウズラ」 役割分担は家によって違う 直接の虐待 ?
・「犬」にんじんの自主性を尊重か 直接の虐待 ?
・「悪夢」 母親の愛情のあらわれか。
                    ※目立った直接的虐待は感じられない。

これまでは、直接虐待の疑いは見受けられません。引き続き観察してください。
・「人には言えないこと」報告待ち
・「尿瓶」報告待ち
・「うさぎ小屋」報告待ち
・「つるはし」報告待ち
・「猟銃」報告待ち
・「モグラ」報告待ち

・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年8月10日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』4回目 報告者 : 石田民雄さん

連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

月 日 : 2019年10月12日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)
作 品  :『カラマーゾフの兄弟』5回目 .

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