文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.11

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)6月25日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.11

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

6・25下原ゼミ

6・18ゼミ報告 2019年度の旅、全員参加はるか、4名
       
 この日の参加者は、西村美穂、吉田飛鳥、中谷璃稀、神尾 颯の4名
    
【ゼミ誌編集会議】  タイトル決め 地域分担など

タイトル → 是溢市(ぜみし) (候補、タイマイ、新宝島、他)
地域分担 → 山、町、海岸、西→高級住宅 東→ スラム街がある
サイズ → 文庫本版 文字数→上限12391 最低5000 増減は夏休み明けに調整
印刷所 → 新生社

【ゼミ合宿について】 西村 → 「ひるがみの森」℡予約、9/5~9/6

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 岩国報告・土壌館日誌  6/19 ~6/21 橋と城と基地がある町
 
 先週、家人の故郷である山口県岩国市に帰省した。月日は早いもので、この前、帰ってから2年近くなっていた。この歳になると両親は、たいてい逝去しているが、家人の家系は長寿で、今年、白寿になる義母が健在である。駅前に宿をとって、義母が入居している老人施設を訪問した。元気な様子に、ほっとした。(家人の叔母も一緒に見舞った。)
岩国、この町は、日本3橋の一つ錦帯橋で知られているが、米軍の基地があることでも知られている。この町出身の作家宇野千代バスや漫画「島耕作」バスが10年1日のごときに走っていた。が、町全体がどこか変わってていた。活気づいていた。JR駅舎も新しくなっていた。近代兵器オスプレー機が配備されたせいかもしれない。
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ゼミ合宿について

予 定 = 2019年9月5日(木)~6日(金)下原ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿
参加者 = 6/11~6/18までに確定させる。

場 所 = 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷
目 的 = 「熊谷元一写真童画館」・「満蒙開拓平和記念館」見学
行 程 = 予定5日(木)~6日(金) 

5日 パスタ新宿発・飯田行→2時間→双葉(15分休憩)→「伊賀良」下車(ホ
テル送迎車)→ 昼神温泉郷(昼食・休憩)徒歩→3時半「熊谷元一写真
童画館」見学 温泉郷散策(自由時間) 夕食後、8時頃、星空(雨天の
場合、熊谷元一と満州についての話)就寝。

6日 朝市見物・朝食 →10時「満蒙開拓平和記念館」見学 → 宿場町「駒場」商店街を歩く、打ち上げ会場(南国飯店)まで→12時半昼食、名物五平もちなどで打ち上げ→「伊賀良」りんごの里3時19分か4時19分高速バス → 8時前後パスタ新宿着。解散

宿泊=ひるがみの森(ひるがみのもり)
 
5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

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前回のゼミ合宿 2017年8月16日~17日ゼミ合宿でかかった費用、阿智の里「ひるがみ」

高速バス往復(8000) + 宿泊(7750) + 5日昼食(1200) + 「熊谷元一写真館」入館料(350) + 「満蒙開拓平和記念館」入館料(500) + 6日昼食で打ち上げ(南国飯店)2000程度
                  総額19800 (交通費・宿泊など)
☆星見物の場合(ロープウエイ)乗車3200 雨天で中止でした。
       星見物の場合、総額23000円(交通費込)
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目的地までの交通手段は、他に4通りありますが…。

①高速バス パスタ新宿・飯田行き → 伊賀良下車・送迎車有り → 昼神温泉の宿

②新幹線  東京 → 名古屋 高速バス → 園原下車 車 → 昼神温泉の宿
③JR    新宿 あずさ → 上諏訪下車 飯田線 → 飯田 車 → 昼神温泉の宿
④JR    東京 → 豊橋 飯田線 → 飯田下車 → 車 → 昼神温泉郷

①が時間、料金とも最良。②③④は時間金額倍で不便。※車はタクシー

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6/18ナイフ投げ曲芸師妻殺害事件裁判・報告

 6月18日、日芸地裁は、第4法廷で「ナイフ投げ曲芸師妻殺害事件」の裁判を行い、審議を終了した。主文は、以下の通りであった。

【事件概略】
 十月十五日、夜八時十三分頃、所沢中富南四の二十一にある演芸場で范(28)という若い中国人の奇術師の妻(24)が演芸中に死んだ。演芸は、板の前に立った人に当らないようにナイフを投げていく芸。奇術師は夫婦で、この芸をつづけていた。この夜、奇術師の夫が投げたナイフが妻の首に刺さり頚動脈を切断。若い妻は、その場で亡くなった。
 不意の出来事だった。当初、演芸に伴う事故とみられた。が、夫婦間に不和があったため故意と疑われ奇術師ハンは十月二十日、逮捕された。
 取調べで奇術師ハンは、「故意ではないが、(無意識に)故意があったかもしれない」と答えている。そして、妻の死を悲しむ心は、「全くない」とも話している。

【主文】裁判長

神尾 颯   「妻は安心して芸を任せていた」故意の殺害衝動とみる

 結婚していたにも関わらず、お互いに愛していないと断言。それはすなわち、形式上の婚姻関係でしかなく、赤の他人に近い関係である。加えて、妻に関しての情報は全て夫の口から発言されている故に信頼性は低い。
 また、妻の事に関して夫は全てにおいて許し切れておらず、犯罪の動機としては十分である。前日の喧嘩にしても、これまで聞く限りでは幾度も起ったこと。現に妻も芸を下りることなく、続けている。例え身寄りが他になかったとして、わざわざ愛してもいない、にくまれているかもしれないという相手にナイフを自身の方へ投げさせることはないだろう。
 故に妻は、安心を持って芸を夫に任せていたと思われる。その心情や、自身のこれまでの軌跡を充分に積み上げた上で、今回の事件は、故意の殺害衝動を持って行われた完全犯罪と言っても過言ではない。よって被告人を有罪判決とする。

西村 美穂 「違和感を感じたにもかかわらず、演芸を続行した」ことを重視

 有罪。また故意である。被告人は自身のことを信頼して舞台に立った妻に対し僅かに園芸に違和感を感じたにもかかわらず、演芸を続行した。本当に妻への殺意がなければ、途中でも危険の為、演芸を中止できたはずだ。自身のなかの怒りに気づきながら都合のよい状況を利用して演芸を行い、妻を殺し、あまつさえ事故に見せかけられるだろうという反省の心もない態度は、罪に価する。
 ▼本当の完全犯罪にしたいなら、殺したあとも妻の死を悲しむふりをしし、事故だったと主張するはず。偶然できてしまった状況を利用して内なる殺意をおさえきれなかったのではないか。

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豆知識 執行猶予(しっこうゆうよ)HP

 罪を犯して判決で刑を言い渡された者が、その執行を条件付きで受けなくなる制度。

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 日本法での執行猶予、日本では刑法25条~27条に規定されている。執行猶予が付された判決のことを執行猶予判決という。逆に執行猶予が付されていない判決のことを実刑判決(または単に実刑)という。

【概要 執行猶予を受ける場合のある法廷条件は】

1.以前に禁固以上の刑を受けたことがないか、あるいは禁固以上のの刑を受けたことがあっても刑の終了(執行猶予の場合はそれを受けた時)から5年以内に禁固以上の刑を犯していない者←刑が3年以下の懲役または禁錮もしくは50万円以下の罰金であるとき
2.前に禁固維持用の刑に処せられたがその執行を猶予されている者←刑が1年以下の懲役又は禁固である。

※執行猶予には保護観察が付く場合もある。なお前者の条件に該当しないが後者街頭するため執行猶予を受けた場合は、必ず保護観察が行われる。

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吉田 飛鳥   重い罰が、一番の救いになる

 被告人は、完全に計画的な殺人として、有罪とする。
 日常になっていた激しい口論、結婚当初から秘めていた険悪、それを演芸のステージという云わば異世界の、逃げることのできない状況、被告が圧倒的な決定権を持つなかで殺人行為にまで及ばせた、極めて悪質なものである。
 弁護として神経衰弱を挙げられたが、この状況に置いては、むしろランナーズハイのような一種の開放状態にあったのではないかと思われる。
 妻に対する複雑な感情が、完全犯罪の成せる状況に置いて、ひと思いにナイフを投げさせたのだろう。
 被告にしても、長年の恨みを改称していること、犯行後の感情からしても、重い罪に問われることが一番の救いになるはず。

中谷 璃稀  完全犯罪の為の布石

 本件の被告は有罪とし、判決は実刑で懲役10年とします。
 被告の発言や態度からして、過失と認めるには、条件が揃っているように思います。故意的な気持ちが働いていることも確認できたため、計画的である可能性も高いです。いつか、このときを、と待ち望んでいたようにも思います。
 今回の反抗に至るまで、同じような状況があったことを踏まえると、完全犯罪のための布石と考えられなくもないでしょう。この手の反抗は極めて悪質だということも、公判を通して見受けられました。
 判決に関しては、賛否両論あるかと思いますが、有罪には変わりないでしょう。

■4人の裁判官は、全員が有罪判決でした。計画的で悪質、完全犯罪を狙った。が、事件の基本的な見方でした。被告は直ちに控訴。

□最高裁(作品)の判決は 心神耗弱で一転、逆転「無罪」でした。

「なぜだー !? 」裁判員からは不満の声も。
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家庭観察 虐待のニュースが後を絶たない。児相はじめ、学校、教育委員会、警察。
子ども救うべき公的機関は揃っている。法律的権限ももっている。
しかし、子どもたちを救うことはできない。なぜか? 観察力、想像力と熱意のなさが要因のようにおもえる。ルナールの『にんじん』の家族をみながら想像力を養ってみよう。
今年もテキスト考察は、ルナール(1864-1910)の『にんじん』です。

テキスト『にんじん』訳高野 優       

「ルピック家」と「にんじんの家族」しっかり観察して想像力をつける。

ルピック家 →  郊外の一戸建て、畑もある 暮らしは中流上、5人家族。
ルピック氏 → お父さん セールスマン、亭主関白
ルピック夫人 → お母さん 口やかましい
フェリックス → お兄さん 中学3年生ぐらい 性格 長男の甚六 
エルネスティーネ → お姉さん 中学2年生ぐらい 性格 調子いい
にんじん → 主人公、小学校4~5年 性格 わんぱく坊主
オノリーヌ → 家政婦(67)
ピムラ → 犬の名前
家畜 → ニワトリ、うさぎ
        
「にわとり小屋」「ヤマウズラ」「犬」「悪夢」を観察して答えてください。

Q.「にわとり小屋」では、母親の指示は、どうでししたか。

  1.普通    2.何かへん   3.にんじんに厳しい

Q.「ヤマウズラ」では、この家族をどう思いましたか。

1.普通の家族    2.何かへん   3.にんじんに同情する

Q.「犬」では、にんじんと家族の態度をどう思いましたか。

1.普通    2.何かへん   3. 異常

Q.「悪夢」では、母親をどう思いましたか。

 1.普通   2.変だ   3.末っ子にんじんを可愛がっている

□「にわとり小屋」「ヤマウズラ」「犬」「悪夢」の4話からわかったこと、感じたことは、どんなことですか。

 1.平凡な 5人家族  2.幸福な一家  3.嫌な感じの一家  4.児相に連絡する

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ドストエフスキー講座  ゼミ合宿に寄せて 『罪と罰』編

熊谷元一とドストエフスキー

 ドストエフスキーの強みというか便利さは、どんなことにも対処でき、論じることができるということだ。例えば、『アインシュタインとドストエフスキー』(B・クズネツォフ著 小箕俊介訳 れんが書房新社1985.6.30)のような場違いの分野、科学者との比較もあれば、『聖書とドストエフスキー』(芦川進一著 河合文化教育研究所2007.12.5)のように宗教との比較もある。『ドストエフスキーとマルクス』(河原宏著 彩流社2012.6.1)といった思想家との比較もある。何々とドストエフスキー、ドストエフスキーと誰々など、あげていったらきりがない。
そんなわけで、むろん今年のゼミ合宿で見学活動する「熊谷元一写真童画館」「満蒙開拓平和記念館」も例外ではない。両者も、しっかり比較評論することができる。
しかし、山村の一小学教師・熊谷元一と戦前の満蒙開拓記念館。どちらもドストエフスキーとは、関係なさそうにみえる。熊谷は、山村のアマチュアカメラマン。満蒙開拓平和記念館は、戦前の日本の国策の悲劇を伝える資料館。どこにドストエフスキーが入り込む余地があるのか。接点があるのか。あったのです。『罪と罰』を再読していたら両館が、色濃く重なりました。
この夏、南信州の山村で知る、ある写真家の『罪と罰』。

満州国と熊谷元一

熊谷元一写真童画館と満蒙開拓平和記念館、見学だけではドストエフスキーは見えてこない。両館には、謎があるからだ。その謎とは何か。
戦前、大日本帝国が中国の北東部に創った傀儡国家「満州国」。この国家と熊谷元一は深いかかわりがある。しかし、熊谷元一写真童画館では、その事実を知ることはない。なぜか、展示作品に満州の写真も「満州国」資料も展示されていない。目にした覚えがないからだ。満蒙開拓平和記念館においても同様である。この館には、熊谷元一の名は、どこにもなかった。むろん展示物も…こちらもそのように記憶している。
しかし年譜には、熊谷と満州の関係は、以下のようにしっかり記されている。

(熊谷元一著『三足のわらじ』南信州新聞社出版局 平成14年)
・昭和14年(1939年)30歳 
      写真集『会地村』により6月拓務省(大東亜省)嘱託となり上京する。満蒙開拓青少年義勇軍関係の仕事をする。
8月、約1カ月満州に出張する。
・昭和16年(1941年)32歳
      満州へ1カ月出張。
・昭和18年(1943年)34歳
      満州へ1カ月出張。

※熊谷は、大東亜省(拓務省)時代のことを、自伝『三足のわらじ』(南信州新聞刊)でこのように書いている。

「昭和20年6月退職するまで、全国各県で催された義勇軍募集のための講習会、写真撮
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影、満州へも14年、16年、18年と3回行った。18年には私の飯田中同級生の原為二
さんが団長で、会地村出身者が5名いる北満のイラハ訓練所を尋ねた。
 一望千里の実に広々とした畑で、大きなキャベツやジャガイモを収穫する様子を写真に
納めた。皆元気で活躍されている姿を見て安心した。開拓団では木曽の「読書村」北信の
「大日向村」水曲柳の「川路村」なども廻った。
私ことだが家内の弟の17年に入隊した
白子富雄君を安寧舞台に訪ね、昼食を共にさせてもらい、川路出身の牧内君と一緒にしば
らく話し合えてよかった。写真は禁止されているが背景はいれないようにとのことで注意
して写させてもらった。
 別れてから程遠くないソ連国境の町、黒河まで行った。黒竜江をへだててブラコチチェ
ンスクの町を望んだ時、その静かな風景に驚くとともにはるばる来たのを痛感した。昭和
18年8月28日のことであった。川の小石をそっと三つ拾ってきたことを思いだす。」
(2年後、ソ連軍は条約を破って突然の進撃。満州は地獄絵と化した)

熊谷元一の踏み越え

2010年11月6日、熊谷は都下の老人施設で101歳の生涯をとじた。そのとき、マスメディアは、写真家、童画家としての熊谷を称え惜しんだ。そこに1行の満州も見いだすことはできなかった。「人間万事塞翁が馬」のごときだった熊谷の人生を辿れば、満州時代は、熊谷に輝かしい舞台を与えてくれた場所だった。人生の華々しい頂点のはずだった。
信州の山村で生まれ育った熊谷は、画家をめざすが、図らずも童画家の世界に、そして写真家の道にと舵をきったが、突然の大東亜省官吏は、願ってもみなかった職場だった。
画家を夢みて東京に向かうはずだった熊谷は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いにあった拓務省(大東亜省)の官吏として上京した。青少年義勇軍の撮影班だった。社会的には、華々しい出世街道だった。信州の山奥の村から、いきなりの檜舞台。手放しで喜ぶべき現実。
清国との戦争は、連戦連勝。戦勝景気に沸く東京の街。それは、熊谷にとってラスコーリニコフの前に聳える山脈だった。踏み越えなければならない一線だった。英雄になるためには、越さなければならない障害物。日本は必死だった。満州国という理想国家を完成させるためには、日本の貧しき人々の協力という犠牲が必要だった。
【ゆけ、満蒙の地に】世界から非難されていた傀儡国家満州。日本は、中国東北部に理想国家を建設するため、恥も外聞も捨てて邁進した。満州は、熊谷にとって踏み越えなければならない一線だった。写真家として飛躍するために、画家への道を開くために。
『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフは、人々に幸福と平和をもたらすため、人類救済のため、ナポレオンのような英雄になりたいと願望した。自分を非凡人と仮定したかった。非凡人、即ち英雄には、どんなことも許されている。
英雄になるための資格。それは、強欲でシラミのような金貸し婆さんを殺すことだ。奇妙な論理に取り憑かれた彼は、なんども空想し、下見しついには実行する。彼は、英雄になれたか ? 否、殺人行為を悔いるという心、、そんな心がでてきたことに苦しめられる。本当の英雄なら、悔いる心は生まれない。更なる殺人を積み重ねていく。1人殺せば殺人犯、3人殺せば殺人鬼、100人殺せば英雄だ。

踏み越えからの引き返し

人間を殺したという罰の心。その心に苦しむラスコーリニコフは、ついに持ちこたえられなくなって自首してしまう。もし、かれが罰する心に打ち勝って、そのままの道を歩んでいたら、第2、第3の殺人を重ねていたら、彼は、英雄になれただろうか。
満州という一線を踏み越えてしまった熊谷だが、その満州で、プロパガンダ撮影を認識した。たとえ敗戦となっても、熊谷の未来は東京において輝いていた。しかし…
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2019年度下原ゼミⅢ日誌

 なんともすばらしい日になった。100%とはいかなかったが、あと1人で全員出席、そんな夢が実現しそうになった。9名出席!
 6・18現在、下原ゼミⅢは9名の登録者+1聴講生、計10名の受講生です。以下が参加の10人の皆さんです。

・志津木 喜一         5/7       5/28     6/11

・神尾 颯  4/16    4/23 5/7   5/21 5/28 6/4   6/11  6/18

・松野 優作         5/7              6/11 

・西村 美穂 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11  6/18

・吉田 飛鳥 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11  6/18

・中谷 璃稀 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11  6/18

・佐俣 光彩 4/9 4/16                6/4 6/11
 
・東風 杏奈 4/9 4/16  6/11

・山本 美空 4/9 4/16 4/23       5/21    6/4

・蓑野 悦子             5/14

 
       7  6  5  5 6  4  5  5  5  6   8  4
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読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年8月10日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』4回目
報告者 : 石田民雄さん

※「ゼミ通信」掲載は、メール可

連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

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