文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.13

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)7月9日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.13

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

7・9下原ゼミ

7・2ゼミ報告 2019年度の旅、6名
       
この日の参加者、西村美穂、吉田飛鳥、中谷璃稀、山本美空、佐俣光彩 東風杏奈の6名
    
【ゼミ合宿報告】 西村・事務局依頼 → 高速バス予約吉田1カ月前8/5  

【ルピック家観察】神尾、西村、吉田、中谷

【満蒙開拓を知る】

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またも先例重視判決 裁判員裁判 何のため?!

■この度、最高裁は、7月1日付けの決定で、一審の裁判員裁判で死刑判決がでた判決を覆し無期懲役とした。2009年にスタートした裁判員裁判で二審で無期懲役になった例は、これまでに5件ある。が、見え透いた先例重視の判決に、釈然としない声が多い。■事件は2014年9月に起きた。被告(52)は、小学1年の女児(当時6歳)に「絵のモデルになって欲しい」と声をかけ、わいせつ目的で、自宅に誘拐。発覚を免れるとともに遺体にわいせつな行為をしたいと考え、首をロープで絞め、首の後ろを包丁で刺して殺害した。遺体は切断してポリ袋に入れ、近くの雑木林に捨てた。■この犯行のどこに一審の判決が覆る要素があるのか。最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)5人の裁判官は揃って一致した意見を述べた。■これだけの重罪に、殺害の計画性がなく、他人の命を奪った前科もなく(失笑だが、この点を考慮し)「生命の軽視は明らかだが、甚だしく顕著だとまではいえない」とした。何のための裁判員制度か。裁判軽視に疑問の声があがっている。(編集室)
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.13 ―――――――― 2 ―――――――――――――

ルピック家観察報告 虐待のニュースが後を絶たない。児相はじめ、学校、教育委員会、警察と子ども救うべき手段はもっている。しかし…
ルナール(1864-1910)の『にんじん』「ヤマウズラ」「犬」「悪夢」「人には言えないこと」
「尿瓶」「うさぎ小屋」を観察して。この家に虐待はあるか? 証拠は?あるのか。

吉田飛鳥・報告     立派に育つ

 僕は、虐待に関して、本人がそう思わなければ、虐待ではない、という一艇の認識をしている。これは、僕が野球部の頃、よそから見れば虐待とも取れる仕打ちを受けていたのを、僕自身は、そうは思わず、「カントクに殴られないようにするには」という捉え方になっていたことに起因する。
 そして、それは僕にとって素晴らしい教育であったと振り返ることができる。だから、虐待かどうかは、他人が心配することではないと考える。もちろん、明らかに度を越すような(流血する程の暴行等)ものは例に当てはまらないが。
 にんじんに対する行為は観察者の立場では酷く、最低なものに見える。
 だが、当人はどうだろう。それらの仕打ちと受けて、どうすれば乗り越えられるかを考えることが出来ている。少なくとも、家族の連中よりは立派に育つのではないだろうか。

□そうですね。「にんじん」が作者なら、世界の文学者になったことになります。

中谷璃稀・報告   にんじん攻撃は、愛情の裏返しか

 全体を通して、にんじんの意思が尊重されていないように思う。お母さんを筆頭に、にんじんをトコトン攻撃している。というよりお母さんが全てを操るっているような印象だ。やはりお母さんが黒幕らしい。
 ほとんどが言葉の暴力で事が運ばれていた。しかし、「悪夢」のときのお母さんは、実力を行使してきた。どうしてもイビキをかいてしまうにんじんのお尻に爪をたてるとは、なんと卑劣な行為だろうか。しかしその後、何事もなかったように優しく振舞う姿に呆気にとられた。ただ、それでもお母さんがにんじんを脇に捉えつづけているのには、何か訳があると考える。一つは、実の子として本当は可愛くて仕方がないという真理だ。愛情の裏返しとはよく言ったものだ。もう一つは、にんじんのことをどこか恨めしく思い、無意識のうちに攻撃的になっている真理だ。どちらにしろ、手は出しちゃあいかん。

□もしかしてお母さんも可哀そうな人かも…

佐俣光彩・報告    精神的苦痛を与えている

 「尿瓶」も「うさぎ小屋」もどちらの話も虐待だと感じた。母親は、どうしてにんじんだけ差別と迫害を続けるのだろうか。お兄さんやお姉さんには尿瓶が容易されているとかかれているいたし、わざとにんじんにだけ尿瓶を用意せず、漏らしてしまったことを知ってから尿瓶をこっそり持ってきて最初からあったように見せたことも全て他の兄姉との差別だしいじめだと思った。騒ぎ立てて家族を呼び出し近所の人たちまで集めて、あきらかににんじんに精神的苦痛を与えている。
 「うさぎ小屋」も母親が実際にメロンが嫌いで、メロンを食べていないのだろうか。母親が食べていないからと言ってにんじんにも食べさせないのは、どちらにせよ、おかしいと思った。子どもに自由を与えない、選択肢を与えないのも、十分虐待だと言える。

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□お母さんは、兄や姉が怖いのかもね。にんじんだけが損な役回り。

山本美空・報告     にんじんが可哀そう

 にんじんは、母親の言うことを素直に聞いている、だなんて優しいものじゃなく、にんじんは、母親から一種のマインドコントロールをされているような気がした。〈〉の中のにんじんの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせて無理やり落とし込んでいるようないんしょうがあった。母親の前でもメロンは嫌いなものではなく美味しいものなのに、母親の前で食べることは許されないにんじんは、今後メロンが好きだと思える日が来ないというのが、かわいそうだ。
 好きなものを好きと言えない環境は個人を尊重されない最悪の状態だと思った。

□母親は、どうして「にんじん」ばかりを叱るのか。

東風杏奈・報告   にんじんに自覚がないのが怖い

にんじんが素直な性格、ママの言うことに絶対ということは分かりました。閉鎖的空間、関わる人の少なさからも、ほぼ洗脳に近いものだと思いました。にんじん自身は、それがおかしいことに、間違っていることに気づきなどしないでしょう。相違というものは比べるものがあって初めて違うと気づくのです。ママが絶対である空間に居続けるかより、にんじんはメロンが嫌いです。ママが悪いと言ったら自分が悪いのです。
きっと私たちからしたらにんじんが不憫だと思う人の方が多いかも知れませんが、この話の怖いところは、にんじん自身が不幸と感じている様子がないところです。彼は、それを風と感じ、自分の環境になんの疑問も抱くことはないでしょう。いつか素直なにんじんがその現実に直面してしまった時が一番恐ろしいなと私は思いました。

□思春期になったら、「にんじん」どうなるでしょうね。

西村美穂・報告  なぜ、こんな家庭になったか、原因はどこに

 どうか全てにんじんの被害妄想であってほしい。何の変哲もないきれいなスープ、実はにんじんがそうであってほしいと願っただけで、ベットの下にちゃんと置いてあった尿瓶…。思わず救済を求めてしまうほど悲しくなる話だった。ひとつ考えるとするならば、全ての話が、にんじんの視点から描かれているという点だろうか。小学4、5年の一番わんぱくざかり、よもや、お母さんも赤ちゃんの時から辛くあたることはないはずだ。
何がきっかけで、どのタイミングで一家がこうなったのか。ターニングポイントがあるはず。上の二人の兄姉が優秀というのも要因かもしれない。
一般的に見れば、普通のにんじんも、一人目、二人目と手のかからない子育てしか経験していないお母さんから見れば、悪魔の子に見えるのかもしれない。もっとも、お母さんの法にどこかヒステリックな病魔を強く感じた。

□病魔…そうですねお母さんも可哀そうな人かもしれませんね。
 
7/9 観察 父親ルピック氏が在宅の時はどうでしょう。

「つるはし」「猟銃」「もぐら」を観察してください。

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緊急臨時会議要請 報告書からルピック家に虐待疑惑ありの連絡

これまでの観察結果報告から、この家では、児童虐待の可能性有りとでました。学校としては、どうすればよいか。話し合って決めてください。児相、警察に伝えるべきか。

【学校対応=教師たちの考え】

【教育委員会の考え】

【児童相談所】

【警察】

【報告された疑いの虐待】第三者委員会判定結果は

「にわとり小屋」一 番年下の子に押しつけている。しつけかも ?
「ヤマウズラ」→ 誰もいやがる仕事を「にんじん」にやらせた。?しつけかも
「犬」→ 年下の子どもに夜の見回りをさせている。? しつけかも
「悪夢」→ いびきをかくからと尻をつねった。虐待 ?
「人に言えないこと」→ 真偽はわからないが、もし本当だったら虐待は確実だが…。
「尿瓶」 → 母親にも問題があるようにもみえる。
「うさぎ小屋」 → わからない。
「つるはし」 → 観察待ち
「猟銃」→ 観察待ち
「モグラ」→ 観察待ち
 
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にんじんのその後が心配・予見すると
にんじんは、成長して作家になった。小説『にんじん』は、世界文学線上に燦然と輝いた。しかし、これは、才能にめぐまれて、運が良かったのだ。
 ほとんどの「にんじん」は、両親の愛も家庭の温かさも知らず、陰惨な闇のなかに消えていった。荒んだ心に棲みついた悪魔一匹。14年目に出現した。
1997年5月27日未明、漸く明るくなってきた神戸市須磨区の友が丘中学の正門前を一台のオーパイ50CCが通り過ぎた。いつもの新聞配達だった。配達人は、途中までいって、Uターンして再び正門前に引き返してきた。柱の上に見慣れぬ袋を見つけたからだ。
「何だろう…」
配達人は、袋を手に取った。ズッシリ重かった。彼は、街灯の明かりを入れて中をみて仰天した。血だらけの子どもの頭が入っていた。切り裂かれた口のなかには、こんな挑戦状が
「さあ、ケームの始まりです。愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ、僕は殺しが愉快でたまらない」
日本中が、この残酷さ、異様さに震撼した。神戸須磨区高級住宅街に家がある犯人Aの家庭は、一流企業に勤める父親、口うるさい専業主婦の母親、そして次男、三男の5人家族だった。母親は、いつも長男Aには、きびしかった。
「私たち親は、どこで、何を間違えたか?」『「少年A」を生んで』
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ゼミ合宿について

☆銀行口座振り込み依頼書配布 → 中谷、山本、佐俣、吉田、西村、東風
           未配布 → 志津木、神尾、松野

参加者 =  予定ゼミⅡ7、+ ゼミⅢ8、+2 = 17名。

場 所 = 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷

目 的 = ・「熊谷元一写真童画館」見学
      「一年生の写真」「山村70年の写真」「風化する山村の遊び」を知る。
・「満蒙開拓平和記念館」見学 
国策「満州国建設と山村の悲劇」を知る。 日本の近代史を学ぶ。

行 程 = 9月5日(木)~6日(金) 

5日 8時05分パスタ新宿発・飯田行→2時間→双葉(15分休憩)→2時間→
12時06分「伊賀良」下車(宿送迎車)→ 昼神温泉郷(12時40分昼食・
休憩)徒歩 → 3時半「熊谷元一写真童画館」見学 温泉郷散策(自由
時間)夕食後、8時頃バス → ロープウェイ駅 → 星空見物(雨天の
場合はなし)→11時宿に戻る就寝。

6日 朝市見物・朝食 →10時「満蒙開拓平和記念館」見学 → 東山道の宿場町「駒場」商店街を歩く、打ち上げ会場(南国飯店)まで→12時半昼食、名物五平もちなどで打ち上げ → 「伊賀良」りんごの里4時19分高速バス → 8時30分前後パスタ新宿着。解散

宿泊=ひるがみの森(ひるがみのもり)
 
5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
 露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

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凡その金額

高速バス往復(8000) + 宿泊(8800) + 5日昼食(1000) + 「熊谷元一写真館」入館料(350) + 「満蒙開拓平和記念館」入館料(500) + 6日 名物の五平もちを食べる。打ち上げ(南国飯店)1500程度
☆星見物の場合(ロープウエイ)乗車+3500 雨天中止の場合返却。
()内は前後金額、割引有る場合も
       
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文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.13 ―――――――― 6 ―――――――――――――

満州を知るHP
昭和恐慌と試験的移民期[編集]
満蒙開拓団の事業は、昭和恐慌で疲弊する内地農村を中国大陸への移民により救済すると唱える加藤完治らと屯田兵移民による満州国維持と対ソ戦兵站地の形成を目指す関東軍により発案され、反対が強い中、試験移民として発足した。1936年(昭和11年)までの5年間の「試験的移民期」では年平均3000人の移民を送り出した。
二・二六事件と本格的移民期[編集]
しかし、同年の二・二六事件により政治のヘゲモニーが政党から軍部に移り、同事件により高橋是清蔵相も暗殺され、反対論も弱まり、広田弘毅内閣は、本事業を七大国策事業に位置付けた[2]。同年末には、先に関東軍作成の「満州農業移民百万戸移住計画」をもとに「二十カ年百万戸送出計画」を策定した[2]。その後の1937年(昭和12年)には、満蒙開拓青少年義勇軍(義勇軍)の発足、1938年(昭和13年)に農林省と拓務省による分村移民の開始、1939年(昭和14年)には日本と満州両政府による「満洲開拓政策基本要綱」の発表と矢継ぎ早に制度が整えられた。1937年(昭和12年)から1941年(昭和16年)までの5年間は「本格的移民期」にあたり年平均送出数は、3万5000人にのぼる。
日中戦争と移民崩壊期[編集]
日中戦争の拡大により国家総力戦体制が拡大し内地の農村労働力が不足するようになると、成人の移民希望者が激減したが、国策としての送出計画は変更されなかった。
国は計画にもとづきノルマを府県に割り当て、府県は郡・町村に割り当てを下ろし、町村は各組織を動員してノルマを達成しようとした[2]。具体的には補助金による分村開拓団・分郷開拓団の編成、義勇軍の義勇軍開拓団への編入などである[2]。それでも、予定入植戸数(一集団の移民規模;200から300戸)に達しない「虫食い団」が続出した。「移民崩壊期」である[3]。
1940年(昭和15年)には、同和地区からも開拓団が編成され、1941年(昭和16年)からは統制経済政策により失業した都市勤労者からも開拓団を編成した結局、青少年義勇軍を含めると約32万人が移住したことになる。
開拓民が入植した土地はその6割が漢人や朝鮮人の耕作していた既耕地を買収した農地であり、開拓地と言えない土地も少なくなかった。
ソ連参戦と終焉[編集]
太平洋戦争末期の戦局の悪化により、開拓団からの招集も増えるようになり、特に1945年7月の「根こそぎ動員」では、約4万7000人が招集された。同年8月9日にソ連軍が満州に侵攻すると、関東軍は開拓移民を置き去りにして逃亡した[2]。ソ連参戦時の「満蒙開拓団」在籍者は約27万人であり、そのうち「根こそぎ動員」者4万7000人を除くと開

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拓団員の実数は22万3000人、その大半が老人、女性、子供であった。男手を欠いた開拓移民は逃避行に向かい、その過程と難民生活で約8万人が死亡した。主に収容所における伝染病感染を含む病死、戦闘、さらには移民用地を強制的に取り上げられ生活の基盤を喪っていた地元民からの襲撃、前途を悲観しての集団自決などが理由である[2]。敗戦時に旧満州にいた日本人は約155万人といわれるが、その死者20万人の4割を開拓団員が占める。
自決や殺害の危機を免れ辛うじて牡丹江やハルピンに辿りついた人々は、麻袋の底をくりぬいて身に纏う避難民の姿が目立った。運よく貨車を乗り継いで、長春や瀋陽にまで辿り着いた人々もいたが、収容所の床は剥ぎ取られ、窓ガラスは欠け落ち、吹雪の舞い込む中で飢えと発疹チフスの猛威で死者が続出した。孤児や婦人がわずかな食料と金銭で中国人に買われていった。満州に取り残された日本人の犠牲者は日ソ戦での死亡者を含めて約24万5000人にのぼり、このうち上述のように8万人を開拓団員が占める。満州での民間人犠牲者の数は、東京大空襲や広島への原爆投下、沖縄戦を凌ぐ。
内地に生還した元開拓移民も、引き揚げ後も生活苦にあえぎ、多くが国内開拓地に入植したが、南アメリカへの海外移民になった者もいた。
その他に約1万人の残留孤児、残留婦人が存在する。この帰還は、1972年(昭和47年)の日中国交正常化から21世紀まで続く現代的な問題である。
開拓団員と義勇隊員併せて3万7000人の移民を送り出した長野県内に満蒙開拓平和記念館(同県下伊那郡阿智村)がある。同記念館は、2014年に、開拓団の生活やソ連軍侵攻後の逃避行についての聞き取り調査する活動を、中国人目撃者から聞き取る活動を行った[1]。黒竜江省方正県大羅密村の最年長男性によると、ソ連国境近くにいた開拓団民が同村まで徒歩で逃れてきたが「開拓団民はみなぼろを着て、女性は丸刈りだった。生活は苦しく、中国人に嫁いで子供を産み、何年もしてやっと帰国できた」などの体験談などを得ている

ドストエフスキー市民講座 「ナポレオンになりたかった青年の物語」
『罪と罰』を読む

 ことしの春、NHKテレビで「詐欺の子」というドキュメンタリー風のドラマをやっていました。振り込み詐欺ではなく、「受け子」とか「出し子」と呼ばれる若者たちがドキュメントタッチで描かれていました。この若者たちは、どのような指導や教育によって詐欺という悪事に加担するのか。そんな興味で見ておりました。見ていて、不思議に感じたのは、「受け子」や「出し子」に悪いことをしているという影がないのです。若者たちは、普通のアルバイトをしているような、むしろ堂々とやっているのです。
2003年、オレオレ詐欺がはじめて発生した。そのころは、受話器を手にしばりつけてのモーレツ社員教育のような特訓だったようですが、このとき見たのは、普通の会社のようにレクチャーしているのです。どういっただましのテクニックを教えているのか。よほどずる賢い方法を伝授するのか。そんな好奇心でみていました。ごらんになった方もいらっしゃるかもしれませんが、――
驚きました。詐欺講師がレクチャーしていたのは、いかにして人を騙すか、信じさせるか、ではなく、いかにして多くの人を幸福にするか、困っている人を救うか、そんな話をしていたのです。次号
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2019年度下原ゼミⅢ出欠記録

  6・18現在、下原ゼミⅢは9名の登録者+1聴講生、計10名の受講生です。以下が参加の10人の出欠状況です。

・志津木 喜一       5/7     5/28     6/11

・神尾 颯  4/16    4/23 5/7   5/21 5/28 6/4   6/11  6/18

・松野 優作         5/7              6/11 

・西村 美穂 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11  6/18 6/25 7/2

・吉田 飛鳥 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11  6/18 6/25 7/2

・中谷 璃稀 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11  6/18 6/25 7/2

・佐俣 光彩 4/9 4/16                6/4 6/11     6/25 7/2
 
・東風 杏奈 4/9 4/16  6/11        7/2

・山本 美空 4/9 4/16 4/23       5/21    6/4         6/25  7/2

・蓑野 悦子             5/14

 
       7  6  5  5 6  4  5  5  5  6   8  4   5  6

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読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
どなたでも自由に参加できます。下原まで

月 日 : 2019年8月10日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品  : 『カラマーゾフの兄弟』4回目
報告者 : 石田民雄さん

※「ゼミ通信」掲載は、メール可

連絡090-2764-6052下原  toshihiko@shimohara.net

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