文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.378

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)7月16日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.378

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
4/9 4/16 4/23 5/7 5/14 5/21 5/28 6/4 6/11 6/18 6/25 7/2 7/9 7/16 7/23 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

7・16下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉   梅田惟花  佐久間琴莉  松野優作  伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (写真全員のとき)

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7月16日ゼミ予定

□ゼミ合宿バス代往復料金、集める。
□ゼミ誌編集会議タイトル決め 「暗夜光路」OR「光一点」か・・・・・・・1
□ゼミⅡ観察 出欠状況、ゼミ雑誌計画・・・・・・・・・・・・・・・・・2
□提出課題報告 未読「ある日の記録」「子ども時代」(「通信376号」)・・・・・3
□子ども虐待観察『にんじん』「人には言えないこと」「尿瓶」・・・・・・・・
□「ルピック家」虐待疑惑中間報告 ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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【DVD鑑賞】「熊谷元一写真童画館」見学を前に、人物を知る。
・熊谷元一追悼番組 NHK長野放送 
・「黒板絵は残った」長野朝日放送(撮影場所、日芸所沢校舎)
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.378―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年、読書と創作の旅、同行者出欠

6月25日までの出欠状況です。6/25の参加者5名。

・宇治京香 4/9、4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4        6/25 7/2  7/9

・伊東舞七 4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28    6/11     6/25    7/9

・梅田惟花 4/9 4/16 4/23    5/14  6/4      6/18

・佐久間琴莉4/9 4/16 4/23 5/7 5/14  5/28 6/4  6/11  6/18 6/25 7/2  7/9

・大森ダリア4/9 4/16 4/23    5/14  5/28     6/11        7/2  7/9

・安室翔偉  4/16 4/23 5/7  5/21  6/4   6/11  6/18 6/25 7/2  7/9

・佐藤央康 4/9  4/16 4/23  5/28 6/4  6/11     6/25 7/2  7/9

・松野優作        5/7

総計日   6  7  7   5   5  1  5   5  5   3   5  5  6
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7・9ゼミ報告

ゼミ参加者 → 宇治、佐久間、大森、佐藤 安室 伊東

【合同ゼミ合宿について】

高速バス(新宿――伊賀良)往復8400の封筒配布

【ゼミ誌編集会議】宇治編集長

□印刷会社 → 候補、新星社

□タイトル → 候補「光一点」か「暗夜光路」

ゼミ雑誌編集 7/9現在までに決まっていること  

〈制作上の日程〉
①進行状況の報告提出 → 10/11(金)迄に
②仮見積もり書の提出 → 10/25(金)迄に
③確定見積もり書提出 → 11/22(金)迄に
④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出12月6日(金)締切

〈ゼミ雑誌の形態〉
サイズ → 文庫本 原 稿 → 夏休み明けに提出 9月24日(火)提出
表 紙 → 佐久間琴莉さん担当
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ある日の記録報告  未読(375号掲載分)前期中に読了

宇治京香          手術の思い出

 まさか自分が、とはよく言うことだが私が、当の本人になるとは思いもしなかった。10日の夕方から胃が痛くなり寝れずに一夜を越した。翌朝、大学に行けるはずもなく近くの内科を受診した。薬を処方してもらったが、全くといっても良い程効かず、熱は上がり、痛みはだんだんと右下腹部へと移っていった。カロナールを飲みごまかしていたが、深夜1時頃、母親が地元の病院に問い合わせてくれたことによって急患で足柄上病院へ駆け込んだ。
 その時には、歩くのもやっとだった。当直の医者に診てもらい、触診だけでは胃腸炎ではないかといわれたが、CT検査をしたところ、虫垂に石があり炎症を起こしていることが分かった。血液検査でも白血球の値が高くなっていた。
 その晩は、点滴をして過ごしたが、やはり痛みで一睡もできなかった。翌朝、手術が決まり、昼には始まった。その晩は術後の激痛と高熱で寝られなかった。その次の番は吐き気で眠れなかった。総括すると、寝れることは幸せだ。

□お見舞い申し上げます。大変で、危なかったですね。元気な様子にほっとしました。でも、油断せず、体やすめてください。ゆっくり睡眠も…。

伊東舞七     チョコしか目に入らなくて

 3歳の頃、私はチョコが好きでよく食べていました。特に好きだったのが、「ツィンクルチョコレート」というチョコでうずら卵くらいのチョコに金平糖やさらに小さいチョコが入っているものでした。
 ある時、そのチョコをたべようと、とろうとしたら目の前にある熱いお茶に気づかずそのまま手をひいてしまい、大ヤケドを負ってしまい、中三くらいまでヤケドの痕が残っていました。今では、消えたのでよかったです。
 小さい頃の思い出はたくさんあるけど、とてもバカなことをしたなと今でも覚えています。よく回りを見て行動しないと16年前の自分に言いたいです。

□甘いものには目がないは、本当ですね。これからも気をつけて。

佐久間琴莉      あの日々よ、もう一度

 今では考えられないことですが、一時期某テーマパークの年間パスポートを持っていました。祖父の株式優待券かなにかで安く買えたので、一年だけ夢のパスポートを手にしていました。ただ、当時私は小学2年生だったので、夢の国の通常価格も知らず、ありがたさもあまりありませんでした。今思うと後悔します。なんであのとき一生分のネズミーランドを満喫しなかったのかと。舞浜は遠く、片道1時間半はかかります。
毎週日曜は必ず行っていましたが、しだいに、今日は、夜のパレードだけ見に行こうとなり、母は犬が家にいるからと行かなくなり、ついには父に誘われても私さえ疲れるから、と言い出し、毎週日曜に残ったのは父だけでした。なんてリッチだったのでしょうか。あの日々よもう一度と何度も念じましたがもうやってきません。いまや入場券だけでも7000円かかります。痛い出費です。
   
□一生分の幸福です。この思い出があれば楽しい人生を送れますね。

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ある日の記録報告  (7/2提出分)

大森ダリア     アニメ、面白すぎて

最近、またドラゴンボールを見はじめた。やっぱり鳥山さんは天才だ。アラレちゃんから鳥山さんにはまりはじめて、9年はたつと思う。熱狂的なファンというわけではなく、好きで何回も見直してしまう。そして、今日、ついに見はじめてしまった。
面白くてしかたがない。全部、サボってドラゴンボールをひたすら見ていた。この文章も片目でドラゴンボールを見ながらなので、めちゃめちゃかもしれない。そう、見はじめると止まらなくなるのだ。朝起きて2話、学校行きの電車で1話。家に帰ってきて5話。そして、今に至る。また、お風呂に入って続きを見る予定だ。学校には、しっかり行くように、気をつけながらドラゴンボールを楽しみたいと思っています。責任はとりませんが、みなさんもぜひ見てみてください。

□欠席した理由がわかりました。夢中になれることがあることはいいことです。が、録画して見てね。どんなところが面白くてやめられないのか、そこを書いてください。

佐藤央康        私の妹

 10年以上、飼っていた犬がいた。私は、その犬を妹のように扱っていた。というかものごころつくときには側にいた。そいつは自分にとって本当の妹だった。よく回りの人に父と母と、そして種族は違うけど妹いると言っていた。それを聞く人は、あきあきしているようであったが、たいてい笑ってくれた。
 家族構成を書かされる場合も自分はどんな場合でも4人家族と妹がいると書いた。それはやはり家族の欄にあいつの名前を書かないのが耐えられなかったからだ。そんなあいつも大学に入学してから会う機会が減った。というのは、自分が家に帰るのが遅くなったからだ。これはいたしかたのないことなのかもしれない。だが、やはり小さいころリビングのソファで一緒に寝ていたように、もう少し側にいてやればよかったかなと思う。
 夜がふけたころに帰るとあいつはもちろん寝ていた。この1年はあいつを起こさないようにそっと寝床についていた。今では、夜中に帰っても風呂場で鼻歌もうたえる。

□やさしい兄がいて幸せな「いもうと」さんでしたね。ご冥福をお祈りします。

テキスト ルナールの「にんじん家族」観察 6/25提出分

安室翔偉     「犬」

 犬の話を読むと、にんじんが家の中で安全に過せるように、悪知恵をつけてきたのがわかる。家族を安心させるために外を見に行くというのは口実で、出来るだけ一緒にいたくないのだろう。それでも、にんじんはズルをしていると自分で思っているあたり、家族への気持ちはまだ残っているのだろう。
 このにんじんシリーズは、虐待としてはグレーゾーンだが、家族としては間違っているだろう。

□こんなとき父親は、どんな態度をとるべきか。

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にんじんのその後が心配・危惧する将来

にんじんは、成長して作家になった。小説『にんじん』は、世界文学線上に燦然と輝いた。しかし、これは、才能にめぐまれて、運が良かったのだ。
 ほとんどの「にんじん」は、両親の愛も家庭の温かさも知らず、陰惨な闇のなかに消えていった。荒んだ心に棲みついた悪魔一匹。14年目に出現した。
1997年5月27日未明、漸く明るくなってきた神戸市須磨区の友が丘中学の正門前を一台のオーパイ50CCが通り過ぎた。いつもの新聞配達だった。配達人は、途中までいって、Uターンして再び正門前に引き返してきた。柱の上に見慣れぬ袋を見つけたからだ。
「何だろう…」
配達人は、袋を手に取った。ズッシリ重かった。彼は、街灯の明かりを入れて中をみて仰天した。血だらけの子どもの頭が入っていた。切り裂かれた口のなかには、こんな挑戦状が
「さあ、ケームの始まりです。愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ、僕は殺しが愉快でたまらない」
日本中が、この残酷さ、異様さに震撼した。神戸須磨区高級住宅街に家がある犯人Aの家庭は、一流企業に勤める父親、口うるさい専業主婦の母親、そして次男、三男の5人家族だった。母親は、いつも長男Aには、きびしかった。
「私たち親は、どこで、何を間違えたか?」『「少年A」を生んで』
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※作家三島由紀夫が話題になったことで、江古田文学に発表した「ドストエフスキーと三島事件」を読んでもらった。三島について書いたエッセイ、論文は多いので紹介する。

清水正著『三島由起夫論』(栞)
下原敏彦

三島由紀夫は謎の多い作家である。私も個人的に気になる点がいくつかある。そのなかの三点ほどを清水正氏の『仮面の告白』批評を読みながら考えてみた。その三点とは、一つは三島が、いわゆるドストエフスキー作家であったか否か。二つ目は、私が割腹自殺した三島の年齢、つまり四十五歳になったとき、若者を道連れにできるか、大義のために一緒に死んでくれと命ずることができるか否か。三つ目は、三島事件とは完全犯罪だったのか、である。
まず三島由紀夫がドストエフスキー作家であったか否かである。知る限り書かれた本の中に言及したものは少ない。好きな作家はトーマス・マンと答えている。しかし、この作家が師と仰ぐ川端康成は、自分のところに来る文学青年たちに、だれかれとなくドストエフスキーを読みなさいとすすめていたという。また、三島研究の英国人ヘンリー・スコット氏の印象も三島は「アンドレ・ジードになぞらえられるようになるかもしれない」と評している。これらの印象から、三島はドストエフスキーを十分知り得ていたと想像つく。それに、なによりも『仮面の告白』の冒頭を『カラマーゾフの兄弟』の引用で長々と飾っているという事実。つまるところ三島由紀夫という作家は、好むと好まざるとに関わらず、ドストエフスキーをびしょ濡れに浴びるほどの環境下にあった。ドストエフスキー作家としての資格は十分に持ちえていたといえる。だがしかし、あの事件を起こしたことで、私のなかで三島は決定的にドストエフスキーと遠い存在となった。今回、三十五年ぶりに三島由紀夫を批評対象にした清水正氏も本論初頭でこう述べている。「第一、文学の天才が若い青年に首を切らせるような真似をするかい」この文が否定の全てである。ドストエフスキーの究極の目的は精神の解放である。他者を救うことはあっても、他者の精神の自由を束縛し、なおかつ肉体までに犠牲を強いることは絶対にない。
それ故に長らく収容所国家であったソビエト時代は忌み嫌われてきたのだ。三島はドスト
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エフスキーを読んでいたとしても、その意を汲み取ることはできなかったといえる。
 二つ目は、私が、四十五歳になったとき若者と死ねるか、という問いである。三島事件を知ったとき、私は強い衝撃を受けた。割腹自殺という時代錯誤の死に方に驚愕した。が、それより衝撃が胸のなかにいつまでも残ったのは、一緒に死んだ若者が知人だったからである。二年前、森田必勝君はバイト仲間だった。その頃は政治家になりたいと語っていた。バイトをやめた後、東西線の高田馬場駅で偶然会った。彼は「これから会に行くところだ」といって誘った。私はパスポートをみせて外国に無銭旅行に行くのだといった。私たちは「じゃあ」と別れた。それが最後になった。そして二年後、その死を知った。なぜ三島についていったのか。なぜあんな死に方をしたのか。そんな疑問ばかり先に立った。三島由紀夫のことは、ボディビル好きの作家という以外ほとんど知らなかった。ただ四十五歳という年齢が気になった。著名な流行作家。そんな人間が、人生半ばで、若者と死んでいく。なぜか。二十三歳の私には想像できなかった。その歳になればわかるかも知れない。ぼんやり思った。それから二十一年後、『江古田文学』でドストエフスキーの特集を組んだことがあった。そのとき当時編集長だった清水正氏から原稿を依頼された。森田君への追悼文のつもりで「ドストエフスキーと三島事件」と題したエッセイを書いた。このとき、私は三島由紀夫が死んだ年齢と同じになっていた。自分だったらどう考えるか。非凡人と凡人では、話にならん、といわれればそれまでだが、四十五歳の私の答えは、明白だった。たとえどんなに崇高な大義があったとしても、私は二十歳も年の離れた若者を、しかも自分を信じてついてきている若者を、断じて死なせはしない。終戦末期の特攻隊しかり、現在のイスラム過激派自爆テロ犯しかり。また無理心中の親しかりである。人間は生まれてくるときも死ぬときも一人なのだ。太宰治が情死したときに、志賀直哉は、「死ぬなら何故、一人で死ななかったらうと思った」と感想を述べた。全く同感である。なぜ三島は希望ある若者に生への道を残さなかったのか。「人柄については真面目で、立派な人だと思う。あんなふうに死んだのはそんな事がなければ今でも生きていて、自由に仕事ができたのにと思うと非常に残念な気がする。」と小林多喜二の死を悼んだこれも志賀直哉の言葉が思い出される。あんなことがなければ、森田君は、いまごろ国会で中堅議員として活躍していたかも知れないのだ。私の年は、三島が死んだ年齢からさらに十四年を加えた。前途ある若者を犠牲にするなど、私にはますます考えられなくなっている。人間の精神は、いついかなるときも自由でなければならない。ドストエフスキーはいまも人類に呼びかけている。
三つ目は、三島事件は完全犯罪か、である。ドストエフスキーの真髄は懐疑である。百人が百人、千人が千人、同じ意見であったとしても、まず「本当だろうか」と問うところからはじまる。それは、たとえ相手が神であっても変わることはない。三島事件は、作家の日頃の言動や凄惨な結果もあって、ほぼ計画通りに運んだとみられている。つまり完全犯罪だったというわけだ。が、はたして本当にそうだろうか。歴史に「たら」はないが、三島事件の推移には、この禁句があまりに多すぎる。結果的には、二人の割腹自殺で幕を閉じた三島事件。だが、三島が真に夢みたのは、割腹寸前に取り押さえられた惨めな己の姿ではなかったか。
そもそも三島事件とは、どんな事件だったのか。三島由紀夫と四人の学生が市ヶ谷にある自衛隊東部方面駐屯地へおもむき、総監たちを監禁して自衛隊員に決起を促す。失敗したら皆の見ている前で割腹自殺する、といった筋書きである。計画は実行され決起失敗で、当初の計画通り自殺した。建前的には成功だった。だが、この事件を完全犯罪とみるには疑わしい。衆人環視のなかで、一時間以上も時間をかけて実行する自殺計画。どう考えても完遂率は半分以下としか思えない。もし正門で衛兵が規則通りに刀を預かったら。総監室の小競り合いでもう少し自衛隊員が強かったら。バルコニーから引きずりおろされていたら。割腹前に催涙弾を撃ち込まれていたら。どこで潰えてもおかしくない犯罪計画である。三島は、なぜ実行したのか。『仮面の告白』に「私はただ生まれ変わりたかった」とある。が、事件から想像できるのはその言葉通り、失敗して人生をやり直したかった。
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三島の真の狙いは計画の完遂ではなく、計画の挫折にあった。「名誉の戦死」を夢みながら、徴兵を逃れることができたように。「武士らしい割腹」を夢みながら、政治犯として収監される。それを見越しての、行動だった。そんな気がしてならないのである。『金閣寺』の最後の場面は、そのことを実証するかのようだ。
「気がつくと体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷を舐めた。ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルチモンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。」
 清水氏は、本論の『仮面の告白』批評で主人公の心情を「死を恐れながらも、死を欲求し、死を欲求しながらも、死を恐れる」と指摘し、その信念のなさを「たとえばドストエフスキーの人物たちのようには生きていない」と切っている。この主人公の頼りなさ、臆病さはどこからきたものか。生後四十九日目にして母親から離された孤独。その一点を照射する本論に作者平岡公威の素顔と三島事件の真相が見え隠れしている。
 以上、三島由紀夫とその事件について不審に思っていたところを、自分なりに推理検証してみた。しかし、これはあくまでも空想の域をでるものではない。これらの問題が清水氏の想像・創造批評によってきちんと解析されることを期待したい。清水氏は「『仮面の告白』の中に三島由紀夫の<死>の秘密は潜んでいたという確信を得た。」としている。

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ゼミ合宿について 7/9現在までの経過 ゼミⅢと合同。 

☆「ゼミⅡ・ゼミⅢ合同ゼミ合宿」17人

○目的地 : 長野県下伊那郡阿智村昼神温泉郷

・校外学習の内容 : 熊谷元一写真童画館見学・満蒙開拓平和祈念館見学。
           東山道阿智駅「駒場宿」を歩く。中山道の裏街道として発展
            5日夜、星空日本一を観測。(天気次第)雨天は温泉を楽しむ

 ○日程 : 9月5日(木)~6日(金)

 ○宿 : 「ひるがみの森」
    
熊谷元一写真童画館見学「熊谷元一写真童画館」見学で熊谷の業績を知る。

1953年入学の「一年生」「村の記録70年」の写真作品、風化する山村文化の童画作品。

満蒙開拓平和記念館 中国残留孤児の悲劇を生んだ戦前の国策を知る。2015年9月当時天皇ご夫妻が訪問。

映画『望郷の鐘』内藤剛、常盤孝子主演。終戦まで後3カ月。昭和20年5月1日、新緑の伊那谷を後にして遠い中国の北東部(当時満州国)に旅立った村人家族と、その子どもたちと教師。総勢195名がいた。彼らは、なぜ、ソ連軍が迫る国境の開拓村に向かったのか。悲惨な逃避行を生んだ国策の謎。同館見学で、その謎が解ける。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.378 ―――――――― 8 ―――――――――――――

【 行 程 】9/5(木)~9/6(金) 

9/5  パスタ新宿8時05分発(飯田行)(2時間)→双葉休憩(15分)→(2時間)12時06分「伊賀良」下車、宿送迎車→宿(12時40分昼食)自由徒歩で3時30分「熊谷元一写真童画館」見学、・珈琲館、温泉、夕食20時バス迎えに→ロープウエイで星空見物→23時00分頃 宿 
   ※星空見物ロープウエイなら(3500円)、20時頃バスが迎えにくる。22時温泉~

宿泊: ひるがみの森(ひるがみのもり)
   5人部屋4室(8800円+TAX+ 入湯税/ ひとり)、1人部屋1室(9800円/ 先生)
   露天風呂あり 朝夜会場移動 ロビーのみWiFi あり

9/6 6:00朝市見物・朝食→10:00「満蒙開拓平和記念館」見学→東山道(古道)の宿場、駒場町を徒歩で打ち上げ会場12:30~「南国飯店」で郷土料理「五平もち」など食べる。→ 南国送迎→16:19伊賀良(新宿行)→ 20:30前後頃パスタ新宿着。解散。
予算
星見物ができたときの、だいたいの総額
8800(宿)+8000(高速バス)+350(写真童画館入館)+500(満蒙開拓入館)+3500(☆)+1500(打ち上げ)+1000(5日昼食)=

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観察報告の途中点検

 これまで提出されたルピック家の観察報告と第三者委員会の判断です。

・「にわとり小屋」ルピック家のしつけかも 直接の虐待 ?
・「ヤマウズラ」 役割分担は家によって違う 直接の虐待 ?
・「犬」にんじんの自主性を尊重か 直接の虐待 ?
・「悪夢」 母親の愛情のあらわれか。
                    これまでは、虐待の疑いは見受けられません。引き続き観察してください。
・「人には言えないこと」報告待ち
・「尿瓶」報告待ち
・「うさぎ小屋」報告待ち
・「つるはし」報告待ち
・「猟銃」報告待ち
・「モグラ」報告待ち
・・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

月 日 : 2019年8月10日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』4回目 報告者 : 石田民雄さん
連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

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