文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信 No.101

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)5月19日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.101
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008前期4/14 4/21 4/28 5/12 5/19 5/26 6/2 6/9 6/16 6/23 
6/30 7/7 7/14 
  
2008年、読書と創作の旅
5・19下原ゼミ
5月19日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.出欠・新聞コピー配布と解説・司会進行者指名
 2.課題提出原稿読み
      
 3.テキスト読み・草稿『網走まで』他
  4.表現稽古(紙芝居『少年王者』)時間あれば
     
 
常用漢字 追加候補の素案220字が公表された(2008・5・13朝日)
 
 ワープロ、パソコンの普及・発達で手書きすることが少なくなった。キーボードを打つだけで文章が書ける。これらの利器が最初から存在した若い人たちはどうか知らないが、40代、50代まで無縁だった団塊世代にとっては、画期的出来事だった。文字通り40の手習いでパソコンの前に座った。はじめは苦労したが慣れてくれば、これほど便利なものはない。しかし、良いことばかりではなかった。漢字をどんどん忘れていくのである。忘れないために何とかしなければ、と日々焦りの毎日である。が、文化審議会国語分科会・漢字小委員会は、この12日、追い討ちをかけるように新たに加える可能性のある候補220字を公表した。この220字をたたき台として2010年の新常用漢字表の制定をめざすそうだ。編集室は、むろんであるが、将来の夢が作家、ジャーナリスト等もの書きを目標にする文芸学科の学生にとっても、対岸の火事ではない。プロとして登用の漢字だけではなく、配布するこの220字も頭に入れておきたいものである。それには、やはり書くことの習慣化が最適である。
 ちなみに12日に開かれた同会の漢字小委員会では「俺(おれ)」を新たに常用漢字に入れるべきかどうか議論になったという。各委員の考えは以下の通り。
・甲斐・京都橋大教授=法令や公用文書では普通、使わないから、入れなくてもよい。
・都立目黒第八松村校長=私的に使うのはかまわないが、公的には私や僕を使いわけてほし
 い。公の場での使用を目安とする以上、あえて入れる必要なし。
・翻訳・演劇評論家松岡氏=俺は相手との距離をはかるうえで大事な言葉。また、男性が心
 の中で自分を呼ぶ場合にも使う。その俺だけ仮名で表記しなければならないのはおかしい。
などの意見。早ければ6月にも案がまとまるという。
※ものを書く場合、登場人物、筆者は、自分をどう呼ぶか。漢字では「私」「僕」「小生」「我輩」「俺」「自分」などか。仮名では「われ」「おら」「あっし」「わし」「まろ」などがある。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.101―――――――― 2 ――――――――
車窓雑記
ミャンマー表記の謎 
 中国四川省の大地震で、いくぶんはニュース量が減ったが、今月はじめ大型サイクロンに襲われたビルマの惨状は、ある意味で中国より絶望的である。どちらも自然災害であるが、中国は、漸くにしろ人的支援受け入れを表明した。が、ビルマの軍事政府は、いまだ断りつづけている。国民が助けを求めているのにもかかわらずである。さすがに国連も非難声明をだした。が、ここで一つの謎が浮かぶ。国民を大切にしない政府など、もはや政府とはいえない。だとすれば、その政府が名乗る、国名など、正式名として表記しなくてもいいのでは、と思うのだ。実際、5月14日(水)読売新聞夕刊には、日本に住むビルマ人たちが「SOS BURMA」と書いたプラッカードを掲げて抗議デモする写真が掲載されていた。なぜ日本はじめ世界のメディアは、この事態になっても政府にあるまじき国家の名前を表記し続けるのか。大きな謎である。そこで、この国の表記をめぐる経緯をHPから探ってみた。以下、HPからの抜粋である。ビルマという言葉は、江戸時代末期に蘭学者によってオランダ語(ポルトガル語由来説もある)からもたらされた。1989年6月18日に軍事政権は、国名の英語表記を、Union of Burma(ユニオン・オブ・バーマ)からUnion of Myanmarに改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続けるマスコミもある。アウンサンスーチーやNCGUBなど軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、「ワシントン・ポスト」などの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「Burma」の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは「Burma」とし、EUは「Burma」と「Myanmar」を併記している。ビルマ語では、「ミャンマー」も英語のBurma(バーマ)の由来となった「バマー」も同じ意味の言葉であり、前者が文語的、後者が口語的に使用されることが多いという違いがあるだけで、国民は特に意識することなく併用している。いわば「にっぽん」と「にほん」の違いのようなものである。正式名称としては、独立以来ずっと文語的な「ミャンマー」の方を使用してきており、1989年の英語表記変更によって内外の呼称が統一化されたことになる。元外交官による軍政擁護元ミャンマー大使(任期1995年 – 1998年)山口洋一[1]は、かねてより軍事政権を支持して来た[2]。2007年ミャンマー反政府デモで、長井健司らが殺されると、『週刊新潮』に改めて軍政支持の手記を寄稿した[3]。山口の主張は以下のとおり。今回の反政府デモの規模について、日本の全ての新聞は10万人と報じてきたが、テレビ映像を確認する限り、明らかに誇大な数字である。 ミャンマーの軍事政権が一般市民、まして外国人のジャーナリストに向けて、無差別に発砲を命じることなどありえず、恐らく不幸な偶然が重なった結果に違いない。 デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、言葉は悪いが、その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NLDから金銭の提供を受け、動員されている。ミャンマーに純粋な意味での政治犯は一人もいない。「道路や公園など公共の場所で五人以上の政治目的の集まりは禁止(中略)屋内における50名を超える政治集会は許可制」といった古くからの法律に違反したものばかり。法治国家として当然のことを怪しからんというのは如何なものか。 国際社会はミャンマーに余計な口出しをせず、援助や貿易、投資、技術移転などで側面的な支援を行うべき。 ミャンマーの国営英字紙『ミラー・デイリー』は、10月22日号で『週刊新潮』の記事全文を翻訳して転載し、軍政を支持する国際社会の声として国民に示した。当然ながら、元外交官に過ぎない山口の見解は、現在の日本政府の見解を示したものではない。山口は保守系誌『月刊日本』11月号や、2007年10月21日放送の『サンデープロジェクト』内でも同様の主張を行っている。・・・疑問だけが残るHPである。
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2008年、読書と創作の旅
「ゼミ2」船内名簿
 「2008年、読書と創作の旅」に参加した皆さんは全員で16名です。時空船「ゼミ2」号で、究極の目的「人間とは何か」を知るために、読むこと書くことの習慣化を目指します。が、お互いまだよく知り合っていないと思いますので、暫く掲示します。1年間、一緒に過ごす皆さんです。(希望カード提出順・敬称略)
 さかもとよしあき  おおの なつみ  かわばた りか  ほんな ともこ
・阪本 義明 ・大野 菜摘 ・川端 里佳 ・本名 友子
 ながぬま ともこ  のじま りょう  おおたに りえ  たきざわりょうすけ
・長沼 知子 ・野島 龍  ・大谷 理恵 ・瀧澤 亮佑
 
 あきやま ゆか   たやま ちかこ  かんだ たいすけ  おぐろたかゆき
・秋山 有香 ・田山 千夏子・神田 泰佑 ・小黒 貴之
 とねひらともや   はしもとしょうた いいじまゆうき   うすきともゆき
・刀祢平知也 ・橋本 祥大 ・飯島 優季 ・臼杵 友之
※出立の記念撮影は、全員が揃ったときに撮ります。
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「2008年、読書と創作の旅」における係
 この旅は、1年間という長旅に加え、同行者も定員の16名と小団体です。旅程をスムーズに快適にするために係を設置、お願いしました。幸いに自薦・推薦によりそれぞれの係が決まりました。協力し合って、よい旅にしましょう。どんなに小さな問題も自分だけで抱えこまないで皆で話し合って解決しましょう。
 自分だけではなく、皆がよくなれるように、皆が幸せになれるように。自他共栄の精神で。それが、最後には自分のためになります。情は人のためならず、です。
「2008年、読書と創作の旅」班長・副班長
一年を通じて旅の安全などに気を配ってもらう。難題がでたときのまとめ役。旅団長からの伝達など。偶然、二人が話しているところを見て、好印象だったので頼みました。快諾。
◎ 班長・小黒貴之さん      ○ 副長・瀧澤亮佑さん
「2008年、読書と創作の旅」旅日誌作成編集委員
旅の最大の成果、旅日誌作成の音頭をとってもらいます。印刷会社との交渉もありますが、みんなで協力して記念誌を作りましょう。一番良い形の自薦でした。
編集長 ・ 川端里佳さん   副編集長 ・ 大野菜摘さん
編集委員 ・ 坂本義明さん   橋本祥大さん 小黒貴之さん  
       飯島優季さん   瀧澤亮佑さん
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2008年、読書と創作の旅・旅人紹介
私の愛読書
「2008年、読書と創作の旅」に集まった皆さんは、どんな本を読んでいるのか、読もうとしているのか。また、映画や演劇はーーーー。
(順不同・敬称略)
野島 龍
○梶井基次郎著『梶井基次郎全集』
 私が梶井の作品に魅かれるのは、その鋭利な感覚によって知覚されたほんのひと殺那の印象を芸術としての高みにまで昇華し定着しえた秀れた造型性、例えば「夕焼け雲」の様な極めて短い断章からも彼の代表作の一隅を飾るような詩味豊かな形象を窺えたり、志賀の文体に影響されながらもそれを押し進め精神的な玻璃細工を思わせるような作品に創り上げた。こういった点に惹かれて思わず何度も読み返しています。
○牧野信一著『牧野信一の、諸作品』
 牧野氏の作品では、彼の筆が最も闊達に伸びた中期の作品が好きです。初期の作品は心理描写も巧みで、彼特有の諧謔も作品を通じて現れていることもあります。楽しめますが、何よりも中期の母親との確執が深まって苦しい現実から抜け出そうとするかのような膨大な夢の濫乱に心を奪われます。彼の作品には、登場人物達が大勢で酒に酔い醺然としている様々が度々描かれますが、その合間合間に垣間見られるふと醒めたような感覚に彼自身の悲哀を感じとるような気がします。
○『新約聖書』
 聖書は旧約も一度通読しました。愛読と呼べるのは新約の中でも特に福音書です。
常に聖書が念頭にあります。
大谷 理恵
○桜庭一樹著『少女には向かない職業』
 友達に囲まれて一見楽しそうに過ごしているが実はそうでない女子中学生葵。家に帰れば養父の虐待を受けたりと、孤独な毎日の中、ふとしたきっかけで同級生、静香との出会いで変化を迎える。
○米澤穂信著『夏期限定 トロピカルフルーツパフェ事件』
 主人公の小鳩常悟朗と小佐内ゆきが、つつましい生活を送る人々〈小市民〉を目指す内容。推理小説としては軽い作品ですが、主人公コンビの関係には非常に興味がそそられる。
○桜庭一樹著『青年のための読書クラブ』
 お嬢様が通う聖マリアナ学園で起こった事件を読書クラブ部員によってクラブ誌につづられていく作品。閉鎖的空間だからこそ起こる出来事や、過去の話が現代にも関っていく過程が面白い。
○森身見登美彦著『夜は短し歩けよ乙女』
 読みたいが発行されて数年経つが未だ手元にない本です。レトロでユニークな雰囲気が気になっています。
橋本 祥大
○奈須きのこ著『空の境界』
 血生臭い内容にもかかわらず、ミステリアスな文章で読者をひきずりこみます。
○時雨沢恵一著『キノの旅 Ⅰ~Ⅱ』
 短編連作で語られる旅の話どこか心に訴えかける文章です。
――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.101
○榊一郎著『スクラップド・プリンセスシリーズ』
 家族愛をテーマ(?)にしている作品。明るさと切なさが、とても心に残る作品です。
○映画・エドワード・ズウィック監督『ラスト・サムライ』
日本最後のサムライと、アメリカ人との交流と闘い。クライマックスに涙した作品です。
飯島 優季
○映画・佐藤信介監督『砂時計』
 情緒不安定ぎみとも思える女性が主人公となって、その女性の成長を描いた物語。全体的に鬱になりそうなストーリーではあるが、最後はなかなか感動できて、面白いといえる作品でした。
○甲田学人著『断章のグリム Ⅰ~Ⅶ 発売中』電撃文庫
 ある時、神は悪夢を見た。神は全知であるために、この世のありとあらゆる恐怖を一度に見てしまった。そして神は全能なので、その悪夢を切り捨てた。その悪夢は集合無意識の海から泡となって私たちの中(現実)へと浮かび上がってくる。〈物語〉という形で。そんな物語を現実からなくすために戦う人々の物語。
○甲田学人著『Missing(全13巻)』
 子供の頃に「神隠し」にあい、奇跡的に戻ってきた少年。その少年が神隠しの少女と出会った時、物語は始まった。物語は『感染』する。これは現代の『神隠し』の物語。その少女に関る者は誰もが全て異界へと消え失せるという都市物語。あまりにリアルに感じることが出来て引き込まれる文章。そして内容が魅力的な1作です。
○西尾維新著『戯言シリーズ』講談社ノベルス
 「戯言だけどね。」が口ぐせの「いーたん(男)」が多くの不可思議な事件にまきこまれ、あいまいに解決していく推理小説。作者の言葉遊びがとてもおもしろく魅力ある作品。ただ主人公が悟ってる感があり、そこが苦手な人がいるのも事実。
必読書紹介
 5月16日の朝日新聞「ひと」欄に、第21回山本周五郎賞に決まった作家の伊坂幸太郎さんが紹介されていた。受賞作は「ゴールデンスランバー」という、なぞの陰謀によって首相暗殺のぬれぎぬを着せられた男が仙台の街を逃げ回る物語とのこと。記事は「半年で25部以上売れ、先月、書店員が最も売りたい本を選ぶ本屋大賞にも輝いた」と紹介されている。残念ながら、まだ読んでいない。そのうち店頭で立ち読みしてみようと思う。が、ここで必読書として紹介したいのは、この伊坂氏の本ではない。恐らくこの本も、たとえ何部売れても、やがては時間の流れに押し流されて忘却の彼方に消える運命にある。
 この時空ゼミ2号に乗船した皆さんにすすめたいのは、この賞の名称、山本周五郎の作品である。昨今、時代劇では、藤沢周平の作品がひろく読まれている。『武士の一念』や『蝉時雨』など映画化も盛んである。山本周五郎作品も『樅の木は残った』『赤ひげ診療所』や映画『椿三十郎』になった『日々平安』など映画化、テレビ化は多数ある。が、必読書として紹介するのは、これら時代作品ではない。この作家には、自分の文学修業時代を描いた自伝的短編集がある。これら短編作品群は、現代日本文学のなかでも秀逸である。山本周五郎を知りたければ、何人もまず、これから読まねばならない。
 東京デズニーーランドがある、かの町は、いまでは世界の遊園地として賑わっている。が大正末期、昭和のはじめころは、寂れた田舎の漁村だった。この漁村に、東京から一人の若者がスケッチブックと原稿とストリンドベリイの本を持ってやってきて住みついた。町の人たちは彼のことを「蒸気河岸の先生」と呼んだ。
山本周五郎著『青べか物語』
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・101 ―――――――― 6――――――――
Ⅰ「2008年、読書と創作の旅」4日目
1.はじめに  → 出欠、本日のテキスト配布、課題原稿、愛読書アンケート集め
 
2.司会進行決め  →  毎回、順番にやってもらいます。担任が指名します。
司会者進行
3. 課題原稿読み(1日観察1本)
 ※提出原稿の本欄への掲載は、合評するので原則として原稿通りとしますが、あきらかな
  誤字、脱字、難読など不明個所は修正するか下線とします。
夜明けからの一日
野島 龍
 朝四時、南の空は未だ藍色に染んでいる。四時十分を境に鳥が一斉にそこここで、殆ど間断なく幾重に鳴き交わす。番の雲雀が互いに等しく距離を取りながら気忙しく何かを啄んでいる。一羽が餌食に夢中になって持ち場を離れると、その片割れが待ってとばかりに随いて行く。彼等は桜が大分落ち尽くした頃、何処からか来て今朝までこうしている。と見ると、花壇に二葉の蝶が睦まじく戯れている。暫く観察していると、彼等は次第に大きく小さく輪を描きながら、あっという間に空の高みに飛翔し去った。
 近くの教会から賛美歌とオルガンの音が漂い流れて来る。朝の日差しに輝く御最後川縁を歩き、六代の墓前に端坐して、鬱蒼と茂る欅の葉を見上げて涼んでいると、藤色の薄手のさっぱりした服を着た老女が石段を息切らし、歩んでは止まりを繰り返しながら、手摺りの錆を撫ぜて上がって来た。軈(やが)て眼が合うと軽く会釈した。老女は六代に向って恭しく手を合わせ眼を軽く閉じ、皴だらけの耳朶のような目蓋を見せ、再び会釈をすると、又来た道を緩りと下りて行った。にらいかないに行く途上、仲町橋から、少女が膝の辺りに両手で裾を留めて、一人厳粛な顔付きで冷んやりした水を裸足で濁らせているのが見えた。少女はその恰好で進み橋の真下に入った。何をしているのか見ようと思い少女が入った反対側から川を覗き込むと、一羽の家鴨が悠々と二筋の扇形に跡を残して橋の暗がりから、夢のようにはんらんする無数の白魚のはぜる方へと泳いで行った。鈍色の久木川を跨ぐ藤見橋を渡り、廃材や鉄材、赤茶けたとたんが無造作に立て掛けられた薄汚い民家を横目に過ぎて、にらいかないの前に出た。そこで数冊古書を購入すると、日は傾きかけていた。来た道を戻って橋を渡らず柳家民宿の前を通ると、玄関は暗かったが、二階の一室に燈の明かりが灯って、そこから女の人の馬鹿笑いが聞こえてきた。自家に着いて転寝すると夢を見た。昔飼っていた文鳥がその父祖の代の鳥と共に何処やらの闇の中で喧しく騒いでいる。何かと思って見ると、餌箱も、水も、何も空で、糞の受け皿も汚れによごれて何日という間、放置せられているを彼等は泣訴していた。夜の二時に家を出て披露山を道沿いに登って行った。小坪の漁村を眼下に据えた。街灯の外明りは殆ど消えていた。備え付けの望遠鏡の傍の繁みの前に坐り込んで夜を明かそうと思ったが、昼間の日差で地面はさほど冷たくはなかったものの、じっとしていると夜気が忍び寄ってきて不快に居た堪らなくなったので帰った。帰ると自室の粗末な茶ぶ台の上に小さな黒い羽虫が死んでいた。不透明な薄い羽、半ば影のような肢体。死んでいるというのに、手足を少しもだらしなくだらりと垂れ下がらずに、宙にぴんと硬直したままを保っている。原稿紙の端を掴ませてみると難なく持ち上がった。暫く羽虫を鉛筆の先で表にしたり裏にしたり転がしていたが軈て飽きたので、寝具の中で目を瞑った。
□志賀直哉の生き物観察を彷彿しました。夜明けから深夜まで、いろんな生き物との出会い。
合評
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4.テキスト読み いよいよテキスト読みに入ります。
テキスト車中作品について
  
 下原ゼミでは、この一年、テキストに志賀直哉の車中作品をとりあげる。なぜ車中作品か。(毎年、ガイダンスで説明しているが)、志賀直哉の車中作品には、創作の基本があるからである。創作の基本とは、観察力である。事実を的確に把握し精緻する目と、想像する脳。この二つがしっかりしているから志賀文学は、普遍である。よく志賀直哉の作品は、私事や家庭の葛藤のみで社会を描いていないと言われる。が、それは誤りである。この作家の視点は、常に「私」から「家族」「社会」、そして「全人類」を見つめている。世界の大文豪ドストエフスキーは、神や人類の問題を描いたが、その視線は常に人間個々の心の中を照射している。逆もまた真なりで、そこに志賀直哉の真髄がある。
 志賀直哉は、「小説の神様」と呼ばれている。それは何故か。それを知るには、まず車中作品や処女作品を読み解くこと。次に生き物観察作品。それが解決への糸口と思っている。
志賀直哉(1883-1973)の主な車中作品&車中関連作品の紹介
□『網走まで』1910年(明治43年)4月『白樺』創刊号に発表。27歳。
□『正義派』1912年(大正1年・明治45年)9月『白樺』第2巻9号に発表。29歳。
□『出来事』1913年(大正2年)9月『白樺』第4巻9号に発表。30歳。
○犯罪心理観察作品として『児を盗む話』1914年(大正3年)4月『白樺』第5巻4
 号にて発表。31歳。
○電車関連作品として『城の崎にて』1917年(大正6年)5月『白樺』第8巻第5号。
 34歳。
□『鳥取』1929年(昭和4年)1月『改造』第11巻第1号。46歳。
□『灰色の月』1946年(昭和21年)1月『世界』創刊号。64歳。
□『夫婦』1955年(昭和30年)7月1日「朝日新聞」学芸欄。72歳。
 以上の作品は、車中・車外からの乗客観察である。乗客の様子が鋭く描き出されている。『城の崎にて』は、心境小説ではあるが、電車にはねられての療養から車中作品の範ちゅうとした。『児を盗む話』は、犯罪者・誘拐犯の誘拐心理状態を克明に追っていることから、新聞の事件ものとして加えた。
生き物観察作品
□ 『城の崎にて』1917年(大正6年)5月『白樺』
□ 『蜻蛉』1917年(大正6年)7月『白樺』
□ 『濠端の住まい』1925年(大正14年)1月『不二』
□ 『犬』1928年
□ 『雪の遠足』1929年
□ 『池の緑』1938年
□ 『日曜日』1934年
□ 『クマ』1939年
□ 『虫と鳥』1940年
□ 『馬と木賊』1941年
などなどがある
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2007年、読書と創作の旅
連載1    学生と読む志賀直哉の車中作品(元稿に加筆)
『網走まで』を読む

 小説の神様といわれる志賀直哉の作品といえば唯一の長編『暗夜行路』をはじめ『和解』『灰色の月』『城の崎にて』といった名作が思い浮ぶ。浮かばない人でも『小僧の神様』『清兵衛と瓢箪』『菜の花と小娘』と聞けば、学生時代をなつかしく思い出すに違いない。最近は、そうでもないようだが、これらの作品はかつて国語教科書の定番作品であった。また、物語好きな人なら『范の犯罪』や『赤西蠣太』は忘れられぬ一品である。他にも『正義派』『子を盗む話』など珠玉の短編がある。いずれも日本文学を代表する作品群である。こうしたなかで、処女作3部作の一つ『網走まで』は、一見、なんの変哲もない小説とも思えぬ作品である。が、その実、志賀直哉の文学にとって重要な要素を含んでいる。
 かつて川端康成は、志賀直哉を「文学の源泉」と評した。その意味について正直、若いとき私はよくわからなかった。ただ漠然と、文学を極めた川端康成がそう言うから、そうなのだろう・・・ぐらいの安易な理解度だった。しかし、あらためて志賀文学を読みすすめるなかで、その意味するところがなんとなくわかってきた。そうして、川端康成が評した「源泉」の源とは、処女作『菜の花と小娘』や『網走まで』にある。そのように思えてきたのである。
 そして、これら両作品を読解できなければ、志賀直哉の文学を理解できない。『網走まで』が評価できなければ、文学というものを畢竟、わかることができない。とんでもない思い違いをしているかも知れない。が、そのように読み解いたのである。
 小説『網走まで』は、当時の原稿用紙(20×25)十七枚余りの、ちょっと見にはエッセイふうの小作品である。が、ある意味でこの作品は、金剛石の要素を持っている。光り輝くか否かは、読者の読解力の有無にかかっている。
 1910年『白樺』第一号に発表された志賀直哉の初期作品『網走まで』は、400字詰原稿用紙で21枚足らずの創作である。たまたま乗り合わせた母子をヒントに書いた、筋らしい筋もない物語。たいていの読者は、見逃してしまう初期作品である。むろん私も全く記憶になかった。日芸のゼミでテキストに選んで何度か読み返してみて、はじめてこの作品の非凡さに気がついた体たらくである。
 しかし、どんな高価な金剛石でも、磨かなければただの石である。『網走まで』も、ただざっと読んだだけでは、なんの変哲もない作品である。「こんなものが、はたして作品と呼べるのか」そんな感想も無理からぬことである。だがしかし、しっかり繰り返し読めば、いつかははたと気がつき目からうろこが落ちた思いがするに違いない。
 では、『網走まで』とはいったいどんな作品なのか。まず、草稿から読んでみよう。         
 
『網走まで』解説(『志賀直哉全集』岩波書店)
 明治43年(1910)4月1日発行の『白樺』第1巻第1号に発表され、大正7年(1918)3月、新潮社より刊行された白樺同人の作品集『白樺の森』に、現在のものにもっとも近いかたちになおして収め、「明治41年8月14日」と執筆年月が・・・明記されている。
 「菜の花と小娘」「或る朝」「網走まで」いわゆる三つの処女作といわれる。
志賀直哉 1883年(明治16年)2月20日~1971年(昭和46年)10月21日88歳
『菜の花と小娘』かっては国語教科書の定番。
『網走まで』草稿・完成作品比較読み
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5・12ゼミ報告
 
出席者・13名
 12日は、長い連休明けということで、出席率が懸念されました。現在では死語になっているか知りませんが、いまから40年前、私が学生時代のときですが1968年に「五月病」という言葉が生まれました。五月の連休明けは、学校や会社を辞める新入社員や学生が多かったのです。そんな理由から不安に思っていましたが、3名の欠席のみで留まりました。
 今日は、あまり影響しないようです。12日の出席者は、次の皆さんでした。
・阪本義明 ・大野菜摘 ・川端里佳 ・本名友子 ・大谷理恵 ・野島 龍 ・橋本祥大
・瀧澤亮佑 ・秋山有香 ・小黒貴之 ・飯島優季 ・神田泰佑 ・刀祢平知也
「2008年の旅」正・副班長指名、小黒貴之さん、瀧澤亮佑さん快諾。
○司会進行は、本名友子さん
1.ゼミ誌編集委員決め
 もしかして12日も決まらないのでは、と危惧していました。が、案ずるより生むがなんとやらで無事、自薦で決まりました。クジでなくてほっとしています。
正副は、川崎里佳さん、大野菜摘さん
委員は、坂本義明さん、橋本祥大さん、飯島優季さん、瀧澤亮佑さん 小黒貴之さん
協力は、全員
以上、護送船団で、無事の航海を
 
2.提出原稿読みと合評 以下は合評のときにでた主な感想です。
『台風一過』・「それをされると」を切った方が…。 ・言葉の重なりが多い。例えば「母親」
      「子供」など。長い文章が多い。・はじめと最後の光景が対象的でよい。
『タイムスリップ』・ギャル男についての観察があった方が。 ・おばさんとのその後が気
      になる。対比させたら面白かった。 ・ネタの強さが多い。
『ランデブーは車内で』・主観的部分が軽いのでは。・それなりの面白さは伝わってくる。
      ・読解力がいる。作者=普通、座席の端に座るが、真ん中に座った男がいて、
      それが面白かったので創作した。
『園児とサラリーマン』・「それ」が多い。少なくした方が…。・子供へのやさしさが伝わっ
      てくる。・観察したままが表現されている。
『新入生』・会話での構成が読みやすかった。・改行は必要ないのでは。・観察できている。
     ・小話になりかけている。
『スカーフ猫は喉を鳴らさない』・昨年から一緒だったが、文体、作風は、一環している。
     喫茶店観察が得意。・韓国人の会話が自然だ。作者=観察したままを書いた。
総評
 瞬時に感想は、浮かばないものです。しかし、最初のひらめきは重要です。何も浮かばないということも、一つの感想です。飾らず、繕わず、恥ずかしがらずが批評の一歩です。書き手も同じです。何の推敲もなく書ける人は稀です。文章も、また職人芸、盆栽に鋏を入れるようにして、完成品にしあげるのです。この旅は、はじまったばかり。自然体で行きましょう。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.101―――――――10 ――――――――――
ゼミ誌について
ゼミ雑誌発行は12月15日厳守です。
 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。編集委員は二人ですが、ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員でサポートする、その考えで手伝いましょう。
ゼミ誌作成日誌
 5月12日ゼミ。この日も決まりそうにない雰囲気があった。「今日でなくても」と先送りの意見もでた。しかし、嫌なこと、面倒なことは早く済ませたい。済ませた方が何事もよい結果となる。そんな人生訓もあったし、それに本当は、一人ひとりの心の奥には引き受けてもよい気持があるのがわかっていた。そんな憶測から、司会の本名さんに骨折ってもらうことにした。昨年経験者だった班長の小黒さんが、編集委員の実質的な役目を説明したことから、沈滞していた空気が、一気に流れはじめた。クジという最悪の事態は回避された。
・編集委員長=川端里佳 ・編集副委員長=大野菜摘
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 小黒貴之
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也
ゼミ誌作成計画は以下の要領です
1. 6月上旬 → ゼミ雑誌作成ガイダンス。編集委員は必ず出席してください。
        ○ゼミ誌作成説明  ○申請書類を受け取ります。
2. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
3. 6月~  → 全員でゼミ雑誌の装丁を話し合う。題名・内容・サイズ・印刷会社など
        ※印刷会社は、過去に依頼した会社は文芸学科スタッフに問い合わす。初
        めてのところは必ずスタッフに相談する。(なるべく初めてのところでな
        い方がよい。以前、苦労したことがある。会社も慣れないので大変)
4. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日を決める。だいたい夏休み明けがよい。
5. 9月末  → 編集委員にゼミ誌原稿を提出。
6. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
7. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
8. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
◎ 予算金額は、ゼミ雑誌作成ガイダンスで発表される。
◎ 過去にゼミ雑誌の印刷を依頼したことのある主な印刷会社の連絡先は、文芸学科スタッ
  フまで問い合わせる。それ以外の印刷会社を利用したい場合は、必ず事前に学科ス
  タッフに相談すること。厳守。
 ※ 印刷会社は、学科スタッフに相談した方が、スムーズに運びます。
◎ 外部(一般の人)と関係しない。(インタビュー、依頼原稿など)
ゼミ誌発行期限は、12月15日です。
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「2008年、読書と創作の旅」の記録
□4月14日 参加者20名。旅説明と嘉納治五郎の青年訓「多読と精読」読み。
□4月21日 登録12名全員出席。旅立ちに際して紀行文と書簡の読み。『おくのほそ道』
      「発端」「旅立ち」。ドストエフスキーが国家反逆罪の罪でシベリアに向う朝、
       兄に書いた手紙を読む。志賀直哉の車中作品についての説明。
□4月28日 名作紹介・サローヤン『空中ブランコに乗った大胆な青年』読みと感想と解
       説。議論・新聞「人生案内」愛の告白について〈私ならこう答える〉15名
□5月12日 ゼミ誌編集委員決め。新聞記事紹介。「小林多喜二『蟹工船』」と志賀直哉の
      関係。紙芝居『少年王者』の作者山川惣治の本が刊行される。東京新聞取材の
      ドストエフスキーの全作品を読む会「読書会」の宣伝。13名。
      提出原稿読みと合評
     【車内観察】5本
      ・本名友子「台風一過」・瀧澤亮佑「タイムスリップ」・秋山有香「新入生」
      ・川端里佳「ランデブーは車内で」・大野菜摘「園児とサラリーマン」 
      【生き物観察】1本
      ・小黒貴之「スカーフ猫は喉を鳴らさない」
新聞記事紹介 
 朝日新聞 2008年5月13日
常用漢字追加素案220字
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2008年、読書と創作の旅
 担任自己紹介の代わりに学生時代の旅を紹介します。が、想像・推測・個人問題もあるので創作ルポタージュとします。前号のつづきです。
一九六八年、アジアの旅⑤
     
                                 下原 敏彦
 1976年9月15日、よく晴れた残暑厳しい午後。相模湾はるか上空を飛ぶ遊覧セスナ機で事件は起きた。乗客は、敬老の日の思い出づくりか初老の品ある夫婦。優雅で楽しい旅に見えた。だが、二人は、晴天の蒼穹で豹変した。突然に暴れだし操縦士と同乗のカメラマンを襲った末に、相次いで眼下の海に飛び降りていった。なぜ初老の夫婦は、狂気に走ったのか、心中したのか。その謎は、アルベエル・カミュ『異邦人』で殺人を「太陽のせい」としたムルソーの動機より深く暗い謎のように思われた。
 そうして、その謎は、いまも解けない謎として私の中で燻っている。あの謎が解けぬ限り私の、アジアの旅は終わらない・・・・。
 あの日、調書をとりに訪れた羽田署の二人の刑事も、その思いだったに違いない。糸口を求めて私は話はじめた。
我が青春のプノンペン
 私は目を覚ました。高い白い天井に大きなプロペラが、ノロノロと回っていた。数匹のヤモリが、隅でじっとしている。一瞬、バンコックのユースホステルの部屋かと錯覚した。横を向くと隣のベットにA君が、高いびきをたてていた。開け放たれた窓から、茂ったココヤシの葉と真っ青な空が見えた。大勢の人の掛け声のような声も聞こえてきた。
「ムイ、ピー、バイ」「ムイ、ピー、バイ」一定のリズムをもった号令に似ていた。
何だろう・・・私はベットを降り窓辺に行って見下ろした。中庭のようなところで20人ばかりの若い男女が手に手に棒を持って、なにか練習をしていた。はじめ棒術のようなものかと思ったが、舞うような動作から、武術ではないようだ。後でわかったが、彼等は、向かいにある芸術大学の学生で、近くメコンで行われる水祭りのときに披露する踊りの練習をしていたのである。私は、すべてを思いだした。中国語の松崎教授の紹介状をもってこの国に来たこと。日本大使館の人に案内されてT先生のお宅を訪問したこと。そして、ベトナム人のお手伝いさんが作ったベトナムそばをごちそうになり、秘書だという年のころ四十前後のY女史に案内されて4階のこの部屋にきた。
「ここが、あなたたちの部屋よ。ちょうど空いてて運がよかったわ」
Y女史は、可笑しそうに笑った。彼女は向かいの部屋に住んでいると言った。
 どうやらすぐに出て行かなくてもよいようだ。T先生の話から、松崎教授とは、それほど懇意でなかったことが、わかった。それで早々に退散しようと覚悟をきめた。私たちは、昼飯を食べ終わってからお礼を言ってお暇しようと思った。が、あいにくT先生夫妻が昼寝中だったので、それまでどこで時間を潰そうと考えていると
「あなたたちもお昼寝しなさいよ」と、Y女史に案内されたのである。これも後で知ったが、そのとき彼女は、先生から私たちを宿泊させるように言われていたのだ。
 私とA君は、意味がわからず戸惑ったが、朝からの旅の疲れからベットに倒れこむと、そのまま寝込んでしまった。二時間はたっぷり眠った。
「おう、起きていたのか」そういってA君も目を覚ますと、私と同じように、辺りを見回し窓のところにきた。「棒術か」剣道経験があるA君は、目を凝らした。
「いや、踊りみたいだ」「今日は、出発しなくても…」「そうみたいだ」私とA君は、確かめあうように呟きあった。この先、まったく見当がつかなかった。が、なぜかしばらくは、ここにいられる。そんな予感がした。
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新聞記事紹介
                2008・5・13朝日
 先週、読売新聞に載った小林多喜二の『蟹工船』について、こんどは朝日新聞で取り上げていました。1930年前後、大恐慌、日本も世界も大変な時代でした。
『蟹工船』はまる若者
文庫大増刷 過酷な労働に共感
    2008・5・16 読売
関大学生学内で大麻密売
所持容疑で逮捕 40人に販売か
関西大学の学生らが大麻を所持していたとして大阪府警薬物対策課に同大学生ら3人が逮捕された。容疑者は「関大の千里山キャンパスなどで、約3年間に在学生や卒業生に売りさばいた。キャンパスは夜間も出入りでき、警察のパトロールもないので安心だった。白昼、学内で購入した学生らと数個ともあった」と供述している。
・・・・同大学では、昨年1~2月、別の男子生徒が大麻と覚せい剤取締法違反容疑で奈良県警に逮捕されている。
ほんのちょっとが身の破滅 薬物は恐ろしい悪魔です
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2008・5・16読売新聞
TALKing 五月病 処方箋はないので、のんびりと・・・
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2008・5・17 朝日新聞夕刊 検定・腕試し(回答は次号)
君の、いまの能力は?
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掲示板
提出原稿について
○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 社会観察 → 社会の出来事を観察、自分の意見もいれてみる
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)
 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。(提出原稿+出席+ゼミ貢献=評価)
ドストエフスキー情報
6月14日(土) : 全作品を読む会「読書会」 会場は東京芸術劇場第一会議室
           作品『悪霊』3回目 報告者・金村 繁氏 
8月 9日(土) : 全作品を読む会「読書会」暑気払い。「『悪霊』払い祭り」
出版
      2008・4・20
☆新刊・熊谷元一白寿記念写真集『信州 昭和の原風景』一草舎2200円
★話題・下原敏彦著『伊那谷少年記』鳥影社
 理論社 2008・3・21 定価1200
★文・藤井誠二 マンガ・武富健治『「悪いこと」したらどうなるの?』
  ★山下聖美『国文学4』「ケータイ小説 クリエイターの卵たちはどう読むか」
★福井勝也著『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』
      のべる出版企画 2008・1・10
★芦川進一著『「罪と罰」における復活』河合文化研究所・河合出版2007
★清水 正著『ドストエフスキー論全集1』D文学研究会2007
★下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社2006
★国文学別冊『ギャンブル』下原敏彦・文「ドストエフスキーとギャンブル」                                  
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編集室便り
☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。

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