文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.17

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)10月1日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.17

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 1/7 1/14 1/21 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

10・1下原ゼミ

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台風15号オンボロ道場の被害
 
 大雨、大風、大雪、異常気象と台風がくるたびに心配になるオンボロ道場だが、これまで、不思議と被害がなかった。が、今回の強風、さすがに。大工の棟梁になった弟子が応急措置をしていった。50戸の屋根修繕を頼まれているとのこと。窓ガラス損害額8000円。
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後期は、表現力を磨きます。名作の脚色を口演

ドストエフスキーの『罪と罰』を中心にゼミ授業をすすめます。
裁判員裁判10周年を記念して、『罪と罰』の法廷劇を行います。
前期は、二つの事件裁判を扱いました。
「剃刀職人客殺害疑惑裁判」と「ナイフ投げ美人妻殺害事件」です。

●「剃刀職人客殺害事件裁判」は、事故か傷害致死かの成り行き殺害。
●「ナイフ投げ奇術師美人妻殺害裁判」は、死ねばいいと願いながらのあやふや殺人。
●「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」は、明確に殺しが目的のはっきり事件。

なぜいま『罪と罰』か、その動機は

オレオレ詐欺ドキュメント番組を見て

なぜいま『罪と罰』を裁判仕立てで読むことにしたのか。ことし3月NHKテレビで「振込み詐欺」のドキュメント風のドラマがあった。そのなかに詐欺に手を染めている若者たちがでてくる。「出し子」「受け子」と呼ばれる若者たちだが、彼らに罪悪感がない。普通のアルバイトのように、むしろそれ以上に。ある種の使命感さえみせて加担していた。
なぜ若者たちは、堂々と悪事を働いているのか。罪の意識が見えないのが不思議だった。その疑問は、すぐ解けた。若者たちに騙しのテクニックをレクチャーしている詐欺講師がいたのだ。その講義を聴いて驚いた。詐欺講師のレクチャーは、『罪と罰』がテーマとする非凡人、凡人思想の話だった。ラスコーリニコフにとりついたナポレオン思想だった。

NHKのドキュメンタリー番組で耳にした詐欺講師のレクチャー(だいたいの内容)は、こんな調子の話でした。

お金をもっているお年寄りがいます。お年寄りは、お金に不自由していません。お金は、タンスの奥に眠っています。お年寄りが亡くなったら、そのお金は、お金には困らない親族たちがわけて贅沢に暮らすだけです。世の中には、お金を本当に必要としている人がいます、本当に困っている人たちがいます。そうした人たちのために、あるところからないところに流す。これっていけないことでしょうか。間違っていますか。一人のお年寄りのおかげで、大勢の若い人が助かるのです。みなさんは、善いことをするのです。

甘い、やさしい言葉でのレクチャー。
かって連合赤軍は、革命をおこして善い世の中をつくろう、と呼びかけた。幸せな社会をつくろうと呼びかけたのはオウム集団だった。そこに集まったのはほとんど真面目で純粋な若者たちだった。悪霊は、手を変え品を変えて時代のはざまで若者たちを唆す。こんどは人類二分法を逆手にとって悪事を働こうとしている。

人類二分法とは何か。ナポレオン三世(1808-1873)「ジュリアス・シーザー伝」序文

「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い未来を照らしだす。・・・」
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ドストエフスキー『罪と罰』を読む 

擬似法廷 『罪と罰』江川卓訳 脚色 下原敏彦

金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判

―ナポレオンになりたかった青年の犯罪―
                                          
                             
・裁判長・・・・
・被告人・・・・
・検 察・・・・
・弁護人・・・・
・進行係・・・・

【被告の日常をよく知る証人】犯行前の被告の生活

・プラスコーヴィヤ・パーヴィロヴナ(被告の下宿の主婦)・・・・・・家主
・ナスターシャ (その下宿の女中)・・・・・・・・・・・・・・・・女中
・ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン (大学の友人)・・・友人
・酒場の主人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・店主

【その他、犯行三日前に被告人ラスコーリニコフと接した人】

・アリョーナ・イワノヴィナ 金貸し老婆
・セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ

第一回公判(証人訊問) 10月1日 504号室にて開廷

進行係 それでは第一回公判「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」を行います。
    第一回公判は、被告人の人となりを知るため犯行前までの被告人の生活状態を証言してもらいます。被告は、事件前、周囲からどのような人間とみられていたのか。思われていたのか。
金貸し老婆を「しらみ」とさげすみ、殺害を目的として実行した。計画になかった知的障害の妹も、ためらうことなく殺害した。殺人者となった被告は、本当はどんな人間か。常日頃の被告を知る人たちの証言から、その人物像を明らかにしたい。
    その前に本件の事件概要を報告します。

事件概要
 
 1865年7月10日午後7時半頃、金貸し業アリョーナ・イワノヴィナ(60)は店舗兼自宅(エカテリーナ運河104)において同居人で義理の妹リザヴェータ・イワーノヴィナ(35)と共に死んでいるのを階下で働く塗装工二人によって発見された。二人とも斧のような凶器にて撲殺され即死した模様。はじめに金貸し業アリョーナ・イワノヴィナが襲われ、つぎに遅れて帰宅したリザヴェータが殺された。金貸し老婆は、峰のようなところで脳天を一撃されて落命。妹は、刃の部分で額をぶち割られるという凄惨な殺し方で死亡。犯人の目的は金
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貸し業老婆の金品とみられる。妹は、この日、用事で遅くなる予定だったことから、犯人は、金貸し老婆が一人のときを狙ったとみられる。しかし、妹は、予定より早く帰宅したため、不運にも巻きこまれてしまったようだ。室内は。物色され老婆の財布が盗まれている他、首
飾りなど質草の装飾品が無くなっていた。事件は、金品目的の強盗殺人で単独犯とみられる。金貸し老婆が部屋に入れたことから顔見知りの線が強かった。

事件の動機

二日後、塗装工ミコールカが逮捕される。無くなっていた質草を換金しようとした。はじめ拾ったものと無実を叫んでいたが、九日目に自白した。しかし、十日後の七月二十日、近所に住む元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が自首し、真犯人と判明、緊急逮捕となった。
 才能ある若者は、なぜ冷酷な殺人者になったのか。たんに金に困った末の犯行だったのか。それとも質草を軽く見られたことへの恨みからか。――
しかし、容疑者、ラスコーリニコフが取り調べ室で口にした犯行動機は、驚くべき理由だった。彼が語った犯行理由は、「ナポレオンになりたかった」からとの不可解なもの。英雄になって、だれもが幸福に暮らせる社会をつくる。そのため手はじめに、社会のダニともいえる金貸し老婆を血祭りにあげた。自分は非凡人、選ばれしものだから、この殺人は許されるのだ、とも言った。彼は人類二分法という凡人、非凡児を分ける大論文まで雑誌に投稿していた。このため、はじめ国事犯ではないかと疑われた。殺人はテロ活動かとも。しかし、政治的背景は何もなかった。
現在のところ容疑者は、自身の不遇を社会のせいにする輩か、精神を病んだ誇大妄想癖の持ち主。狂信的な社会主義者とみられている。ほかに、殺人依存という分析もある。つまり動機なき殺人である。
いずれにせよ単純なようで謎多い事件といえる。再発防止に一刻も早い解明を望まれる。

裁判長  それでは、これより金貸し老婆とその妹強盗殺人事件第一審裁判を開廷します。はじめに検察は、起訴状を述べてください。
検察官  起訴状 元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフは、母親からの仕送りが途絶えたことで極貧状態に陥り、この窮状を脱するために金貸し老婆強盗殺人を計画し、ことし7月8日から下見をつづけ、老婆が一人になる機会をうかがっていたが、三日目の7月10日、ついにその機会を得て実行した。事件当日、同日午後七時半頃、客を装い金品を奪う目的で、金貸し老婆宅を訪れ、質草のシガレットケースを見せ隙をみて用意した斧で老婆(60)の脳天を一撃、殺害した。そのとき用事で留守のはずの義理の妹(35)が運悪く帰宅、被告は顔を見られたとの理由から、この妹も斧で撲殺した。金貸し老婆は、吝嗇で、利子のとりたても厳しかったとはいえ、業務の範疇であり、殺されるほど恨まれていなかった。六十年間、女一人。法を犯すこともなく立派に生計をたててきた巻き添えの妹は、知能にやや劣るところもあったが、信心深く、だれからも好かれる天使のような性格だった。酷く殺された彼女の死を嘆く人は多い。被告は、この罪のない二人を、冷酷非情にも、斧という凶器で撲殺し、犯行後は、金品を奪い、隠蔽し、自宅で何食わぬ顔で日常生活を送っていた。上京してきた母親と妹にも、素知らぬ顔で接していた。犯行の十日後、犯した罪の重さに耐えきれず7月20日に自首した。とはいえ二人の尊い命を奪った罪は重い。なお、妹リザベェータは妊娠三カ月であった。被告人は三人の命を奪ったのである。この事件は、完全犯罪を狙った極めて悪質な犯罪といえる。重刑が望ましい。

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裁判長  被告人は、この起訴状に相違ないか。
被告人  はい、おおすじにおいて間違いありません。
裁判長  では、裁判に入ります。被告は、住所、氏名、職業、年齢を言ってください。
被告人  ロジォン・ミハイロビッチ・ラスコーリニコフ 23歳、大学生…元大学生です。住所は中メシチャンスカヤ通り19、またはストリャルヌィ横町9です。
裁判長  在学していた大学名と学部は…。
被告人  ペテルブルグ大学法学部です。
裁判長  大学によると被告は、成績優秀で将来を嘱望された学生だったとの評価だが。なぜ、大学をやめたのか。
被告人  学費が払えなくなったからです。
裁判長  どうして払えなくなったのか。
被告人  母親からの送金が途絶えたからです。
裁判長  途絶えた、とは ?
弁護人  裁判長 !その点についてご説明いたします。
裁判長  発言を許可します。
弁護人  被告は幼い頃、父親を亡くしております。つまり母子家庭であります。二つ違いの妹もいます。母親は、女手一つで二人の子どもを育てました。被告人が学業優秀なことから、将来に期待をかけペテルブルグ大学に入学させました。学費は、年金をけずってのお金と妹の家庭教師の給料からでしたが、滞ることはありませんでした。ところが、昨年、ちょっとしたトラブルがありました。母親は、被告人にこんな手紙を送っています。被告人の犯行の動機にも関わる重大事なので、一部を紹介したいのですが。
裁判長  音読を許可します。
弁護人  ありがとうございます。
     「なつかしい私のロージャ」おまえと手紙で話をしなくなってから、もう二カ月の余になります。略 おまえはうちのひとり息子、私とドーニャにとってのすべて 略 私たちの希望の星なのですから、おまえが生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき、私の驚きはいかほどだったでしょう!でも、年に120ルーブルの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助ができましょう!四ヵ月前にお送りした15ルーブリも、ご存じのとおり、この年金を抵当(かた)に、当地で商売をされているAさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、
裁判長  あの方とは?Aさんといいます。
弁護人  父親の友人です。
裁判長  わかりました、つづけてください。
弁護人  つづけます。
――お父様のお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。けれど今度は、おかげさまで、おまえにも送金できそうです。略 おまえとはもうすぐ会えるわけですが、それでも二、三日うちに、できるだけのお金を送ります。略 25ルーブリ、ことによると30ルーブリは送れます。略 お父さまもご存命だった時分、よくおまえは私の膝に抱かれて、まわらない舌でお祈りを捧げたこと。そしてあのころ、私たちみんながどんなにしあわせだったかを。では、さようなら、いえ、再会の日までと書きましょう!固くかたくおまえを抱きしめ、数え切れぬくらい接吻します。おまえの生涯の母なる。以上であります。

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弁護人  要するに、ちょっとした手違いから送金が遅れたわけです。しかし、その後妹アヴドーチャさんが弁護士のルージン氏と婚約を決めたことで、一家の経済状態は好転に向かっています。
裁判長  とすると、起訴状にある極貧故の犯行ではなかった、というのだな。
弁護人  はい。たとえ送金はなくても、家庭教師の口や翻訳のバイトもあったときいています。それに家賃は、家主の娘さんとの婚約で、支払う必要はなくなっていました。ところが、不幸にも娘さんはチフスで亡くなってしまい、その話はご破算になりました…。被告は再び家賃が必要になったのです。
裁判長  というと被告は、家主の娘とは家賃免除が目的で婚約したというのか。
弁護人  いえ、そうではありません。互いに愛し合ってのことだと思います。
裁判長  被告人は、それに相違ないか?
被告人  婚約のことですか。
裁判長  そうだ。
被告人  そのへんは、まあ、ぼくにも説明させてくださいな。ぼくはあの下宿にはもう三年も住んでいるんです。田舎から出てきてすぐから。で、以前は…以前はですね…いや、ぼくもやはりすっかりうちあけるべきなんだな。つまり、ぼくはいちばん最初から、おかみさんの娘と結婚するって約束していたんです。もちろん、口約束で、まったく自由な約束でしたがね…で、その娘は…ぼくも、惚れるというほどじゃあなかったけど、けっこう気に入って、いましてね…つまり、若かったわけですよ。いや、こんなことを話すのは、ぼくには不利になるかもしれませんが…おかみさんがそのころぼくにだいぶ金を貸してくれて、ぼくもまあ、いい気な暮らしをしていたんですね…まったく軽薄でしたよ…。返してくれといわれても仕方がないです。しかし、警察署に返済請求の取り立て書類を提出するなんて。しかも、ぼくが家庭教師の口もなくして、食うや食わずの状態でいるときに…ひどい話です。
裁判長  と、いうことは被告は、結婚すれば家賃は免除される。そんな計算あって、婚約したとみていいのですね。純粋な恋愛ではなく財産を目的とした魂胆ある婚約。しかし、娘の死で、家賃の支払いは元通りとなり、金も貸してくれなくなった。それで金欠に拍車をかけた。この理解でよいか。
被告人  そうですよ。ぼくは悪知恵の働く人間ですよ。ドンファンですよ。
弁護人  裁判長!被告人は、愛する者の死と、長い金欠の生活で精神膠弱状態にあります。自暴自棄になっています。本来は正義感が強い、知識青年で、母親思い、妹思いの愛すべき人間です。決して下心あって婚約したのではないのです。
裁判長  しかし、そうした正しい、愛すべき性格とこんどの犯罪とは、かなり乖離がある。被告は、長期間にわたり、この残忍な犯行計画を練りにねり、友人知人が、その健康を心配するなか、二年間も会っていなかった母親と妹が、上京してくることを知りながらも、冷酷にも強盗殺人を計画通り実行した。金貸し老婆をしらみ同然の虫けらと決めつけ惨殺したのである。そればかりか、運悪く帰宅した善人このうえもない妹リザベータを、躊躇なく、斧の刃で頭をぶち割ったのだ。鑑識によれば「斧の刃はまともに頭蓋骨にあたり、一撃で額の上部をこめかみのあたりまでぶち割った。」とある。この情けを知らぬ凶行のどこに良心があるというのか。欠片ほどの真心も感じられないが…
弁護人  しかし、被告は日常、被告人に接する人たちから愛されていたというのも事実です。これは動かし難い真実です。証言をおききください。
裁判長  証言を許可します。

進行係  最初の証人、証人席へ。
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裁判長  名前を述べてください。
女 中  ナスターシャと言います。まだ、信じられません。
裁判長  証人は質問だけに応えてください。証人と被告との関係は。
女 中  ロージャ・いえ、ラスコーリニコフさんの下宿の女中です。
裁判長  主にどんな仕事をしているのか。
女 中  下宿の掃除と、下宿人の料理を作っていますだ。
裁判長  つまり、被告人の身の回りの世話をしているということだな。
女 中  そうです。だから、ロージャ、いえラスコーリニコフさんのことは、わたしが一番よく知っております。
裁判長  そうか、それでは尋ねるぞ。被告が生活している部屋は、どんな部屋か。
女 中  はい、天井裏のような、みすぼらしい部屋です。奥行きが6歩ほどの。部屋というより狭苦しい檻のようなところです。埃をかぶった、黄色っぽい壁紙は、あちこちがはがれ、いかにもみすぼらしい感じがしますだ。天井が、やけに低く、ロージャは背が高いので、いつ天井に頭をぶっつけるか心配です家具は、だいぶがたのきた古ぼけた椅子が三脚あります。それに隅っこに色塗りのテーブル。そのうえには埃をかぶったノートと本が何冊かです。それから、もうひとつ大物が。ほとんど壁の前をそっくり、部屋の間口の半分を占領している、不格好なばかでかいソファーがあります。以前は更紗張りだったのが、いまはもう見るかげもなくないです。とにかくひどい部屋です。まるで棺桶です。
裁判長  被告は、どこで寝るのだ。
女 中  そのソファーですよ。ソファーは、ロージャのベット代わりになっていますだ。ロージャ、いえ。ラスコーリニコフさんは、よくその上に、着替えもせず、シーツも敷かず、おんぼろの古びた学生マントにくるまって、ごろりと横になっていました。頭にあてがった小さな枕の下には、洗濯したもの、汚れたままのもの。それにありったけの下着を押し込んで枕を高くして眠ってました。わたしらから見れば無精で、だらしなく見えますが、ラスコーリニコフさんには居心地がよさそうだったです。
裁判長  住居のことはわかった。つぎに被告人の生活のことを聞くぞ。この数カ月で被告の生活に、何か変わったことはあったか。
女 中  大ありです。学校に行かなくなり、毎日、寝てばかりいるようになったんです。それで家主のおかみさんは、食事をださなくなったんです。たしか事件前…二週間前からでした。しかし、ロージャは、おかみさんに掛け合うこともなしに、食うものなしでやっていた。ときどき、ポケットから銅貨をだしてかた焼きパンやソーセージを買ってきてくれと頼まれました。貧乏生活でしたが、そういえばお金には、困らなかった。手品のようにポケットから銅貨がでてくるんだ。お金にも頓着しない。あれが大学生というものですか。
裁判長  朝は、どうしていた。
女 中  10時に、掃除のため行くのですが、決まって寝てるか、そうでなければただ横になっているだけなんだ。それで、あるとき、業を煮やして言ってやっただ。そりゃあ、あたしは馬鹿だよ。「だけど、あんたはどうなんだ?いつも、だん袋みたいに寝そべっててさ。何をしているところも、見たことがない。それでもお利口さんかい?以前は、子どもを教えに行くって、出かけたけどさ。このごろじゃどうしてなにもしないんだい?」と。そしたら、なんと言ったと思います。裁判長さま。
裁判長  なんと言ったのだ。
女 中  「おれはしてるよ…」と、言うんです。で、「何をしてるのだ?」と、聞くと「仕事だ…」と答えるんです。そこで「どんな仕事だ」ときくと「考えてるんだ」と
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いうじゃあないですか。考える仕事をしてるっていうんですよ。傑作じゃないですか。腹の皮がよじれるまで笑わされましたよ。
裁判長  最後の質問だが、おまえはどう思う。
女 中  事件のことですか。まだ信じられません。ロージャが、ラスコーリニコフさんが、強盗殺人事件の犯人だったなんて、何かの間違いです。人違いです。だって、あんなものぐさな坊やが、イケメンさんが、頭のいいおぼっちゃまが、それにお母様や妹さんが上京してくるというのに、お友達だって、心配してくれていたのに。わざわざ強盗をしに行くなんて。
裁判長  よろしい、ごくろうであった。では、次の証人を――。

進行係    二人目の証人。証言席へ

家 主  ブラスコーヴィヤ・パーヴロヴナと言います。被告の下宿の主婦です。
裁判長  被告と最初に会ったのは?
家 主  三年前です。大学に入ったときです。
裁判長  会ったときの印象は、どうだったか。
家 主  礼儀正しい好青年でした。地方の名家のご子息。そんなふうに見えましたし感じました。
裁判長  娘さんが婚約されたとか。
家 主  はい、年頃だったので、恋の燃え方も早くて…。
裁判長  さきほどの被告の証言では、惚れたというほどではなかった。若さ故の婚約。そんなふうに証言しましたが、それに間違いありませんか。
家 主  恋愛ではなかった、とおっしゃるんですね。そうかも知れません。が、一人娘が、惚れてしまった相手、それも学力優秀な地方の名家のご子息。止められるわけが、反対できるわけがございません。
裁判長  被告が金に困っていると知ったのは、いつごろですか。
家 主  婚約して間もなくでした。地方の名家どころか母子家庭で、学費は、年金をけずってのやっとこどっこいの状態とわかったんです。それに家庭教師をしているという妹さんにも悪いうわさがたっていました。
裁判長  婚約すれば、家賃を払う必要がなくなる。加えて、やがては、下宿家も自分のものになる。そんな下心は感じませんでしたか。
家 主  娘の恋を計りにかけられません。なんといってもペテルブルグ大学法学部の学生さんです。たとえお家はどうでも、これに勝るものはございません。末は弁護士先生か、法務大臣。下心なんて、吹けばとぶような障害ですよ。お金だって、ときどき貸してました。投資のつもりで。
裁判長  しかし、娘さんは亡くなってしまった。
家 主  不幸のはじまりです。家の大黒柱が、いきなりなくなってしまった。悲しみより、そんな喪失感が大きかったです。
裁判長  娘がいなければ将来の希望もない。被告を援助する理由もない。区警察署に提出された借用書にもとづいた借金の支払い請求は、そんなことからですね。
家 主  そりゃあ、はじめのうちは気の毒に思ってました。ホントの恋かどうかはしりませんが、たとえ口約束でも結婚を誓った相手が突然亡くなったのです。とても学校に行かれる心境ではない。そう思っていました。ところが、いつまでたっても学校にはいかない。家庭教師の口もやめてしまい、病気でもないのに寝てばかりいる。家賃は四カ月も不払いをきめこんでいる。わたしは頭にきて、これまで貸した分、だいたい百十五リーブリはありましたから、借用書を書いてもらったのです。親しき仲にも礼儀あり、ですからね。はじめは一札書いてくれれば、お金
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を貸すのは厭わなかったですがね。なんといっても、娘の元婚約者ですからね。
裁判長  被告人は、債権取り立ての請求書が出されて驚いているようです。なぜ、被告が、苦しい時期に債券とりたての請求をだしたのですか。。
家 主  さきほども話しましたが、一向に立ち直ろうとしないからです。はじめは、辛いのかと同情していたのですが、そのうち、へんなことを言うようになったものですから。
裁判長  ヘンなこととは?
家 主  ナポレオンになりたいだの、英雄になるんだなどです。えらくなりたければ、大学で一生懸命勉強して、役所に勤めたら、真面目にこつこつ働けば、もともと頭がいいのだから、すぐに出世できる。将来は万々歳だ。そう忠告しても、馬鹿にしたように笑って、それは凡人が考えることだ、というんです。そんなわけで、現実を少しでも感じるように請求書を提出したのです。決して意地悪からではありません。ナポレオンになりたい。この話は、判事さんには、話しているようですが、わたしらには、さっぱりです。もしかして、被告の元婚約者は、あたまがおかしくなってしまったいのかもしれません。この裁判で、あきらかになることを願ってやみません。
裁判長  これは最後の質問だが、被告の事件をどう思うか。
家 主  いまだに信じられません。
  あんなにも聡明で賢く、正義感にあふれていたロジオンさんが、何故に、金貸しのアリョーナ婆さんを、だれからも愛されていたリザヴェータを情け容赦なく斧で殴り殺してしまったのか。人間は謎です。
裁判長  左様、人間は謎だ。。是が非でも解かねばならぬ。つぎの証人、前へ

進行係     3人目の証人ラズミーヒン、席に着く

裁判長  証人は、姓名と職業を。
友 人  ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン。大学生です。23歳です。
裁判長  被告人との関係は?
友 人  大学の友人です。おそらく大学で友人は、ぼく一人だけと思います。
裁判長  友人が少ない理由はなぜか。
友 人  もって生れての性格でしょう。正義感が強く、損得勘定が下手で、秀才特有の固執癖と人間嫌いがあります。なぜか人とうまくやれないネガティブ人間ですが、、根はいい奴です。愛すべき人間です。大家の娘さんとの婚約だって、強引に惚れられたからです。断りきれず、そんなに惚れているんなら、ま、いいか…彼女に同情してOKしたんです。――口約束だから、彼女の恋もそのうち冷めるだろうと思っていたんです。こんな表現もへんですが、あの婚約は思いやり婚約だったんです。決して家賃免除をねらった下心婚約なんて、そんなみみっちいことを考える奴じゃあ、ありません。なんせペテル大学きっての秀才でイケメン。女の子にもてないはずがない。が、奴は、そんなことは一切鼻にもかけない。眼中にもないんです。いつも一人で六法全書を読んでいました。
裁判長  友人関係になったのは。どんなきっかけか――。
友 人  被告、いやロージャを見直す出来事があったからです。相手が立派な人間なら、嫌われても、たとえそいつが変人でも、友人になれ!それが、我が家の家訓です。大学で、はじめて見かけたときは、いけすかない野郎と思いました。いつも人を食ったような薄笑い。教室では、いつも最前列に席をとりノートをとっていました。その態度は、講義する教授もなにするものぞ、といった威厳がありました。それが高慢にみえ、人を食ったような話し方にも腹が立つので、話しかけたこと
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はなかった。とにかくだれからも嫌われていましたよ。それが、あのことで、ロージャに対する見方が、まるっきり代わった。是か非でも奴と友だちにならねばならない。そんな思いを強くしたんです。むろん、ロージャは迷惑がりましたよ。嫌がりました。力づくで追い返そうとしましたよ。しかし、水ある井戸は、簡単には手放しません。ロージャに家庭教師のアルバイトを紹介することで、友人になったんです。彼は、バイトをさがしていたから、背に腹は代えられず、ぼくの軍門に下ったわけです。といっても、常に我が道を行くやつでしたが…。
裁判長  友人関係は、どんな出来事からか。
友 人  あるときK並木道を歩いていたんです。家庭教師のアルバイトからの帰りでした。三十歩ほど前に、ロージャを見かけた。その頃は、嫌ってましたから、脇道にそれようとしたんです。が、そのとき彼の態度が気になったんです。前を行くだれかを、つけている。そんな怪しい歩き方でした。彼の二十歩ほど前を一人の若い女の子が歩いていました。「彼女はまだほんの若い娘で、炎天下、帽子もかぶらず、傘も持たず、手袋もなしで、なんだかへんてこなぐあいに手を振りながら歩いていた。彼女は、まだ十五、六のようだったが、ひどく酒に酔っているふうでもあった。狙ってやがる、好色漢め。怒りがこみあげてきた。大学では、秀才ぶって聖人君主面をしているが、一歩、裏通りにくればこれだ。このざまだ。正体見たり、色事師。ぼくは、ロージャが娘に声をかけたら、飛んでいって怒鳴りつけてやろうと思っていた。ところが、そのとき、いつの間にか、がっしりした紳士が、女の子に近よってきたんです。そしたら「おい、きみ」突然ロージャが怒鳴ったんです。「さっきから見ていたが、きみの魂胆はわかっているぞ。そのこにからむのはやめたまえ!」彼は、その紳士をにらみつけた。「なにを生意気な、こぞうめが!」ニセ紳士は、怒ってステッキをふりあげた。痩せガエルのロージャとがっしり紳士。どうみても勝ち目はない。が、ロージャは勇敢にもとびかかっていったのだ。そのとき、ちょうど巡査がきて、二人をわけた。ロージャが巡査に説明しているのを聞くと、好色漢の紳士は、娘が酔っぱらって正体をなくしているのに目をつけなんとかものにしてやろうとずっと後をつけてきた。ロージャは、心配になり、帰り道とは反対だったが、ずっと好色漢の出方をうかがって、ついてきたというんです。この警官は、顔みしりだったので、あとできいたところによると、ロージャは、二十カペイカもあげて馬車で送るように頼んだ。人間嫌いな彼が、似合わない人助け。正義のためなら火の中だって飛び込む男。この出来事を知ってから、、ロージャと話すようになった。そしたら、不思議と馬が合うことがわかったんです。ロージャは迷惑がるが、ほくと、彼は磁石のようさ。けんかをしても、なにしていても離れることはない。
裁判長  よき友だったというのだな。
友 人  そうです。
裁判長  事件前までの証言は、あと一人になります。証人のみなにきいているのだが、君も法学部の学生だ。こんどの事件をどう思う。
友 人  貧困からくる強盗事件殺人、検察は、そのようにまとめたいようですが。疑問があります。
裁判長  金品奪取を目的とした強盗殺人事件。それも完全犯罪を目的とした計画的犯罪だ。
自分でも認めている。他にどんな理由があるのか。
友 人  殺人は、突発的なものです。それに精神疾患もあります。つまり正気の状態ではなかった。この1カ月は――。
裁判長  精神疾患は、考えられなくもないが、突発的犯行であったとは認めがたい。被告は、およそ1カ月前から、こんどの犯罪を思いつき、七百三十歩という歩数まで計算した念入りな下見と予行、加えて凶器の斧を早くから物色していた事実。妹
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の殺害は偶然かもしれないが、金貸し老婆殺しは、何から何まで計算されつくした完全犯罪といえる。情状の余地は見あたらない。
友 人  しかし。それでもぼくは納得できません。彼は、ロージャは、強盗殺人なんかできる人間ではないんです。人を殺せる人間ではないんです。
裁判長、 しかし、君がどんなに否定しようとも、友情の絆の強さを語ろうとも、被告は、人を殺した。人殺しだ。自白もしていて、証拠もある。この現実は、否めない。いまのままなら極刑は間違いない。どうしても減刑を望むなら、第二審において、事件後の被告の様子を詳しく証言してください。自首に至るまでの良心の呵責。罪に対する反省、犯行動機の変化。それによっては、情状酌量の余地も、でてくるかもしれません。罪を憎んで人を憎まず。その気持ちを大切に。では――
友 人  ありがとうございます。
進行係  これより休廷します。再開は15分後です。

休廷

進行係  第一審を再開します。証人4は証言席に着席を。

裁判長  それでは第一審を再開します。最後の証人です。姓名、職業を――
店 主  エカチェリーナ運河横町の居酒屋「こまどり」の店主です。
裁判長  被告は犯行の前々日、七月八日夕刻、店に客として入ったか。
店 主  入りました。
裁判長  常連客か。
店 主  いえ、はじめてのお客さんでございます。
裁判長  そのときの被告は、どんな様子だったか。
店 主  どんな様子といわれても、うちに来る客は、たいていどこかで一杯、ひっかけてきてるんで、足元はフラフラです。あきらかに酔っぱらっている様子です。が、そのとき被告の若者は、アルコールのせいというより、昼間の暑さと、ひどい疲れからきているように見えました。よっぽど、咽が乾いていたんでしょう。注文した最初のビールを、むさぼるように飲み干しました。そしたら急に元気になりました。水をやった花が、ピンシャンするようにです。背筋までぴんとなって酒場の中を物珍しげに見回していました。酒場は、ちょうど音楽をやるグループ客がでていったあとで、すいてました。店には、被告に勝るとも劣らないボロ服の、五十の坂を越したぐらいの、がっしりとした体つきの中背の客が一人いました。この客は、なんどか見かけていました。が、他の客を身分も教養も低くて話し相手にはならん。そんな傲慢さを感じさせるので、いつも一人でした。若者と、中年男。年齢はちがうが着ている服のボロさ加減は同じ。お似合いの二人とおもっていたら、なんと、このふたり、磁石みたいに近寄ったんです。そして、どっちが声をかけたか知りませんが、大声で話しだしたんです。といっても中年男が一方的でしたが。講談に「よく世のなかには、まるで一面識もない相手なのに、人目みるなり、まだ言葉もかわさぬ先からなにか関心をそそられしまう人間がい
る」。こんな話がありますが、二人は、まさにそれですよ。すぐに旧知の友か知り合いのようになりました。
裁判長  以前からの知り合いではなかったか。
店 主  いえ、そんなふうにはみえませんでした。店ではじめて会った。それは確かです。
裁判長  二人は内緒話のようなことはしていなかったか。たとえば事件の共犯者を探しているような…いま思えばでいいのだが、そんな怪しげな様子はなかったか。ひそひそ話とか――。
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.17 ―――――――― 12 ―――――――――――――

店 主  ひそひそ話ですか。わざとのように大声で話してましたよ。
裁判長  そうか被告は、金貸し老婆宅を下見したあとだ、共犯者を探していたふしがある。ほかに不審な点は見られなかったか。
店 主  なんも感じなかったです。二人ともボロ服を着た、乞食同然のひどい身なりでしたが、うちの店には、もっとひどいやからもくるんで…若者は、ひどく、くたびれた様子でしたが、ものおじしない態度で、とても強盗を計画して、共犯者をさがしている。そんな様子は、これっぽっちもなかったです。若者は、二杯目のビールを注文して熱心にきいていました。
裁判長  なぜ、二人の客のことをそんなにもよく覚えているのか。
店 主  そりゃあ、忘れられるもんですか。へ、へ、へ。ほとんど、元官吏のようなおっさんが、しゃべくりまくっていましたが、その話がいけません。面白すぎて、聞くも涙語るも涙の浪花節なんです。はじめのうち、あっしらも笑ってみていましたが、、そのうち、その話にひきこまれちまいました。
裁判長  どんな話か。
店 主  近ごろうが運河の界隈に、若くて美人の娼婦がでてると評判だった。この界隈じゃあババアばかりなんで、デマと思ってたが、なんと、そのボロ着のおっさんが、その若い娼婦の父親だったんです。ボロ着のアル中元官吏のわずか十八の娘が、娼婦に身を落とさなければならない日の、涙の浪花節。酒場中のものが、客も店員の小僧たちも、みんな耳を揃えてききましたよ。家には肺病やみの後妻と三人の幼子がいるというのに、アル中元官吏は、仕事を放っぽり投げて酒びたり。子どもたちは、腹がすいたとぴぃぴぃ泣く。後妻は、ついにヒステリーを起して先妻の娘に怒鳴る。「このごくつぶし、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる」「なにを大事にしてるのさ!たいしたお宝でもあるまいに!」とっとと娼婦になって稼いでこい、というわけです。その修羅場をアル中元官吏のおっさんは、寝たふりして聞いていたというんです。娘が娼婦になって稼いだら自分もおこぼれにあずかれる。そんな魂胆で。げんに、そのとき飲んでるビールは、昨晩娘が稼いだ金だと、いってましたよ。幼子たちもパンにありつけたというから、家族してたいした井戸を掘りあてたというもんです。どうです、聞くも涙、語るもの浪花節じゃあございませんか。うちの小僧たちも、さすがに神妙でした。が、悲惨は、あんまり悲惨をすぎると滑稽になるものです。だれかがこそっと笑ったら、大爆笑です。そしたら、アル親父、怒りましてね。大演説をぶちましたよ。
裁判長  どんな演説か。
店 主  哀れむ!なんでおれを哀れむことがあるのだと! (略) おい亭主、きさまはこのウオッカの小瓶がおれに楽しみを与えてくれたとでも思っているのか。おれはな、この瓶の底に悲しみを探したんだ。悲しみと涙を捜して、それを味わい、見出すことができたんだ、ときたんでがんす。
裁判長  もうよい、共犯者の話をもちかけている様子はなかったのだな。それが知りたかったのだ。さがってよいぞ。 
     
        裁判長、証人4が下がるのを待って

    これで、事件前までの被告の日常を知る証言は、すべて得た。被告の評判は、おおむねよかった。事件に繋がるものは、まったくなかった。そのように思われた。証人たちの証言からはそんな印象をもった。しかし検察は、どのように感じたか。

検察官  まさに、そこのところが、被告が周囲の人たちからよく思われていた、ということが、この事件の重要なところです。被告は、なぜ事件を起こしたか。一口でい
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うなら「甘え」です。下宿の娘の死と家賃の滞納は別なことです。し。真に愛するものの死への悲しみがあったにせよ、アルバイトの家庭教師もやめ、すべての関係を絶って、女中にいわせれば寝てばかりいる生活は異常です。自分に少しでもやる気があれば、問題は、いくらでも打破できたはずです。母親からの仕送りだけに頼らず、生活を立て直すことは、いくらでもできたはず。現に、アルバイトをさがしてくれる友人もいた。きけば優秀な学生ということだが、その才能を、自分の危機において、少しも生かしていない。そればかりか、ナポレオンのような英雄になって世界人類を救いたい。そんな誇大妄想に取りつかれ、なんの落ち度もない女性を二人も殺害した。とくに金貸し老婆殺しは、確固たる意志をもって、実行した。その考えは、いまも変わらずもちつづけている。故に、これまでの証言からは、被告への同情は、微塵もうまれず、「なぜ」「どうして」の疑問が大きくなるばかりだ。犯行を防ぐ手だてはいくらでもあったのに、実行してしまったのは、はなはだ遺憾。罪に似合った罰を要求したい。
裁判長  弁護人の方からは何か――。
弁護人  あります ! 検察の見方は、すべて否定的です。公平ではありません。口約束とはいえ、突然、婚約者を亡くした悲しみ。その悲しみは推し量ることはできません。すべての関係を絶ちたい気持ちは理解できます。心の痛みのところに送金のストップという物質的打撃。そして、娘を亡くしたとたん手の平を返したような大家の主婦による食事ストップ。行き場のなくなった被告ですが、下宿の女中も、大学の友人も、みんな、被告にやさしいです。被告の健康を心配しています。これも、ひとえに被告の性格のよさからくるものです。ナポレオンのようになりたい。なって世の中をよくしたい。これは、みな被告の正義感の強さからくるものです。金貸し老婆殺しは、高利息を厳しく取り立てることへの怒りが激しすぎたのです。いろいろな事情が重なり、魔が差したのです。神経がまいり過ぎて、よからぬ思想がはびこっただけなんです。決して金欲しさからの犯行ではないのです。それが証拠に、老婆から奪った財布のお金には、びた一文、手をつけてありません。質草も、換金してません。才能ある青年です。社会にでれば、いくつもの成功を重ね、被告が言うように社会のためになるでしょう。多くの善行が成されるでしょう。大勢の不幸な人たちを救えるかもしれません。そんな理由から、是非とも寛大の処置をお願いしたい。
裁判長  弁護するのは、これでよいか。
弁護人  はい、以上です。
裁判長、 第一回公判を閉廷します。第二回公判は、10月12日に開廷します。主に被告人質問を行います。被告の様子をみます。

陪審員の印象

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.17 ―――――――― 14 ―――――――――――――

作品上での被告ラスコーリニコフ

物語に登場する主人公は、どんな風貌か。ラスコーリニコフの容姿は、イケメン、ニヒル。団塊世代の読者は、ラスコーリニコフに憧れていた。長髪を前にたらし、陰鬱そうに徘徊したものだ。

『罪と罰』と言う作品

 ドストエフスキーと聞くと、よく難しいと言われますが、一度、読んだら、何回でも読まずにはいられない、そんな本です。とくに『罪と罰』は、ドストエフスキーの作品のなかでも一番の人気の作品です、読むたびに、面白さが増してくる作品です。他の長編作品は、物語に入るまで、やたら長いですが、この作品は、突然、はじまります。

 7月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮れどき、ひとりの青年が、S横町にまた借りしている狭苦しい小部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋の方に歩きだした。

 この出だし、好奇心をかきたてます。この青年はだれ?!どこに行くのか。読者は、最初の3行にして、物語のなかに引き込まれます。そして、さらに大きな驚きと疑問を感じます。元学生のこの青年は、優秀な法学部の学生だった。が、いまは

身すぎ世すぎの仕事もすべてやめてしまい。

家庭教師もやめて狭苦しい小部屋にひきこもり一カ月、のべつ、ごろごろしていたのだ。こうして書くと、ひきこもりを連想します。汗臭く不潔でブサイクな若者を想像します。が、

彼は、どうしてなかなかの美男子 で、スタイルも

中背より高めのすらりとした体つきをしていた。とある。

今風に言えば秀才で、イケメン、背も高い。寝ているだけで女性がハエのようにたかってくる。そんな容姿人だ。じっさい、下宿の主婦や女中は、こまごまと世話をやいている。亡くなった下宿の娘とも婚約していたという。このイケメン、部屋で寝てばかりと、お説教されると、その答えがふるっている。

「考える仕事をしている」と、答えるのだ。

「考える仕事」この物語の核を為す言葉である。
考える仕事とは何か。
この数行だけでも、興味をそそられます。先が知りたくなります。

ナポレオンのような英雄になって世直しするには、どうすればよいか。
まずは殺人ができるかどうか。

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東京新聞2019.9.12夕刊「大波小波」欄
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.17 ―――――――― 16 ―――――――――――――

2019年度下原ゼミⅢ後期出欠記録

  
・志津木喜一9/24                     
  前期4/14
・神尾 颯  欠   
  前期8/14
・松野 優作 9/24        
  前期2/14
・西村 美穂 9/24
  前期14/14
・吉田 飛鳥 9/24 
  前期14/14
・中谷 璃稀 9/24
  前期13/14
・佐俣 光彩 欠
  前期6/14
・東風 杏奈 欠
  前期4/14
・山本 美空 欠
  前期7/14

 
        6  

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読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

月 日 : 2019年10月12日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』5回目 報告者 : フリートーク
連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

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