文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.18

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)10月8日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.18

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 1/7 1/14 1/21 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

10・8下原ゼミ

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法政大学国際文化部 第五回学習会テーマ「熊谷元一」に決まる
 
  見学の法政大学高柳教授夫妻と
熊谷元一生誕110周年の会場 土壌館下原道場にて
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No18 ―――――――― 2 ―――――――――――――

後期は、表現力を磨きます。名作の脚色を口演

ドストエフスキーの『罪と罰』を中心にゼミ授業をすすめます。
裁判員裁判10周年を記念して、『罪と罰』の法廷劇を行います。
前期は、二つの事件裁判を扱いました。
「剃刀職人客殺害疑惑裁判」と「ナイフ投げ美人妻殺害事件」です。

●「剃刀職人客殺害事件裁判」は、事故か傷害致死かの成り行き殺害。
●「ナイフ投げ奇術師美人妻殺害裁判」は、死ねばいいと願いながらのあやふや殺人。
●「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」は、明確に殺しが目的のはっきり事件。

なぜいま『罪と罰』か、その動機は

オレオレ詐欺ドキュメント番組を見て

なぜいま『罪と罰』を裁判仕立てで読むことにしたのか。ことし3月NHKテレビで「振込み詐欺」のドキュメント風のドラマがあった。そのなかに詐欺に手を染めている若者たちがでてくる。「出し子」「受け子」と呼ばれる若者たちだが、彼らに罪悪感がない。普通のアルバイトのように、むしろそれ以上に。ある種の使命感さえみせて加担していた。
なぜ若者たちは、堂々と悪事を働いているのか。罪の意識が見えないのが不思議だった。その疑問は、すぐ解けた。若者たちに騙しのテクニックをレクチャーしている詐欺講師がいたのだ。その講義を聴いて驚いた。詐欺講師のレクチャーは、『罪と罰』がテーマとする非凡人、凡人思想の話だった。ラスコーリニコフにとりついたナポレオン思想だった。

NHKのドキュメンタリー番組で耳にした詐欺講師のレクチャー(だいたいの内容)は、こんな調子の話でした。

お金をもっているお年寄りがいます。お年寄りは、お金に不自由していません。お金は、タンスの奥に眠っています。お年寄りが亡くなったら、そのお金は、お金には困らない親族たちがわけて贅沢に暮らすだけです。世の中には、お金を本当に必要としている人がいます、本当に困っている人たちがいます。そうした人たちのために、あるところからないところに流す。これっていけないことでしょうか。間違っていますか。一人のお年寄りのおかげで、大勢の若い人が助かるのです。みなさんは、善いことをするのです。

甘い、やさしい言葉でのレクチャー。
かって連合赤軍は、革命をおこして善い世の中をつくろう、と呼びかけた。幸せな社会をつくろうと呼びかけたのはオウム集団だった。そこに集まったのはほとんど真面目で純粋な若者たちだった。悪霊は、手を変え品を変えて時代のはざまで若者たちを唆す。こんどは人類二分法を逆手にとって悪事を働こうとしている。

人類二分法とは何か。ナポレオン三世(1808-1873)「ジュリアス・シーザー伝」序文

「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い未来を照らしだす。・・・」
―――――――――――――――――― 3 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.18

ドストエフスキー『罪と罰』を読む 

『罪と罰』江川卓訳 脚色 下原敏彦

金貸し老婆とその妹強盗殺人事件
―ナポレオンになりたかった青年の犯罪―
                                          
金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第二回公判 

10月8日 504号室にて開廷

進 行  これより「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」第二回公判を開きます。着
     席してください。はじめに検察官は、事件概要を述べてください。
検察官  10/8現在 これまでに判明した事件概要を報告します。

【事件概要】
七月十日、午後七時半頃、金貸し老婆(60)とその義妹(35)の二人がエカテリーナ運河104番地にある店舗兼自宅で死亡しているのが発見された。金貸し老婆は斧と思われる凶器の峰で数回殴打、妹は同凶器の刃の部分で額を一撃。何れも即死。部屋は一面血の海だった。第一発見者は、階下に仕事で来ていたペンキ職人。室内に物色のあと。老婆の財布と質草何点が紛失。強盗殺人とみられる。警察は怨恨と流しの物とりの両面で捜査を開始した。近頃、ロシアでは若者による窃盗、強盗事件が多発している。事件から六日目、ペンキ職人が嫌疑で連行され自白した。が、七月二十日、近所に住む元大学生ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(23)が、罪の重さに耐えかねて愛人の娼婦に付き添われて自首。金貸し老婆とその妹強盗殺人を全面自供した。八月二十九日。第一回公判で証人訊問がおこなわれた。判決は二審以降。証人訊問の証言は被告に対するよい印象の証言が多かった。

進 行  検察は、被告が出頭した際、取り調べ室で署員が記録した調書を全文報告して
  ください。
警察署書記  はい、以下、事情聴取の全文を報告します。   

【事情調書】

容疑者ラスコーリニコフの事情調書

〈私の頭に棲みついた新しい思想〉
金貸し老婆とその妹殺人事件の犯人は私です。私が一人で二人を殺害した。私こと、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフは、一カ月前、母からの送金が途絶えたことで生活に困るようになった。それで父の形見の銀時計など質草を持って金貸し老婆のところに通うようになった。そのうち、老婆を殺して金を奪おう、そんなことを考えるようになった。ケチで欲深で、頭の足りない義理の妹をこきつかっている鬼ババア。社会のためにならないシラミのような人間。その老婆を殺したとしても罪にはならないだろう。そう思った。奪った金を将来、人々のために役立てる。起業して困っている多くの人たちを救う。それなら、老婆殺しは許されるし、それは英雄に許される権利だ。飛躍した論理だが、近頃、流行りの新
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思想だ。私はこの思想を信じていた。私は家庭教師や翻訳のアルバイトをやめ、大学もやめて、下宿のベットの上で一日中この英雄主義の思想にひたっていた。活動家が共産主義や新宗教に憑かれるように、私は英雄思想にどっぷりつかっていた。その考えの行きつくところはいつも同じだ。つまり「おまえは、凡人か非凡人か、どちら側の人間か」の問いだ。あの金貸し老婆は、その実験材料として現れたのだ。あの老婆を殺すことができれば、私は非凡人の資格あり。できなければただの凡人。いつか実行して、予見の確かさを確認したい。いったい自分は、どちらの側の人間か。その考えがいつも振り子のように心の中にあった。
しかし、この考えを実現させようなどとは、実践しようなどとは、これっぽっちも、思っていなかった。夢にもみなかった。この考えはあくまでも絵空事、空想の世界。そう思っていた。しかし、その一方で、私は選ばれた人間。将来、人類のためになる人間だ。だから私にはなんでも許される。どうしてもその考えから抜け出すことができなかった。げんにナポレオンは何万という人間を殺したのに英雄として称えられている。銅像までたてられている。一人殺せは殺人犯だが、百人殺せば英雄というわけだ。歴史が証明している。こんな考えがずっと私の頭に棲みついていた。

〈空想が現実になるまで〉
決して実践することのない思想、計画だった。しかし、私は苦しかった。私の頭に棲みついた英雄主義は、日ごとに成長し、私をせきたてる。私は心のなかで叫んだ。「おれは本当に、本当に斧を手にして、頭をぶち割る気なんだろうか・・・」そんなことが本当にできるのか。なんども自問した。そして、ぜったいにできゃしない、と思った。そのくせ前日には、ちゃっかり下ざらえまでしたのだ。一カ月間、心のなかで神と悪魔が闘っていた。「できる、できない」「だめだ、おれにはもちこたえられない!耐えられない。たとえ、たとえあの計画に一点の狂いがないとしても──」私は、迷い、苦しみ、悩んだ。
しかし、たとえ、私が、どうもがこうと、あがこうとあの計画は実現に向けて、着々と歩をすすめていた。凶器の準備から、運搬方法、シガレット・ケースにみせかけた木片の質草づくりまで、綿密に練って用意していた。
そうして、ついにあの日がきた。とくに七月十日と決めたわけではない。強いて説明すれば、まる一カ月も考えに考えた思想が熟しきった、というべきか。女中のナスターシャは「考える仕事をしている」といったら笑いころげたが、所詮、凡人たちにはわからないことだ。
あの日の夕方、私は何かに導かれるように棺おけ同然の下宿屋をでた。だれとも会わなかった。外は蒸し暑かった。空想を現実に代える要素をたっぷり含んでいた。英雄を孵化させる最適温度だった。六時を過ぎていた。太陽は沈んでいたが、蒸し暑さは変わらなかった。太陽が熱かったから――それで殺人を犯した。そんな男の話を読んだことがある。私の場合、蒸し暑かったからになるが、それだけではなかった。まるで神が行く道を指し示すように、私の行く道を示したのだ。汝、この道を進むなり。いくつもの偶然が必然となって道を開いた。知った人間に誰一人会わなかった。
私は英雄になれる人間。だから神がこの状況を用意したのだ。犯行前日は、気持ちが高ぶり過ぎた。その症状から逃れるために居酒屋でウオッカを一杯ひっかけたら、眠くなって荒れ野をさまよって、藪の中で眠りこんだ。そしたら恐ろしい夢を見た。やせ馬が酔っ払いの百姓たちに殴り殺される夢だった。あれは決行には、まだ早いという知らせだったのかも――今はそう思う。

〈神にも誤りはある〉
その時はついにきた。神は指し示した。七月十日午後七時半、金貸し老婆は、たった一人で家にいる。千載一遇のチャンス。何年好機を待ちつづけたところで巡ってくるかどうかはわからない。この機をのがしたら、永遠にチャンスはないだろう。このチャンスの時を知った

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斧をふりおろした。大量の血がほとばしり老婆は仰向けに倒れた。息の根をとめようとしたのは、決して偶然ではない。すべての道はローマに通ず。英雄への道はドアの向こうにある。すべては必然、計画通りだった。
ドアは開けられた。英雄への道の入り口に、金貸し老婆が立ちはだかっていた。私は言った。「シガレット・ケースを持って来ました」。老婆はけげんそうにに受けとると、紐をほどきはじめた。偽物であることがバレてしまう。もう一刻の猶予もなかった。私は外套から斧をとりだし、なかば無意識のうちに両手で、それを振りかぶると、ほとんど力をこめず、ほとんど機械的に、頭めがけて斧の峰をふりおろした。斧はちょうど脳天にあたった。彼女は、悲鳴をあげたが、ごくよわよわしい声だった。まだ死んではいなかった。私は、ふたたびもう一度、二度脳天をねらってが、すでに息絶えていた。

計画は成功した。私は、難関の老婆殺害を難なく成し遂げたのだ。ナポレオンへの道、英雄への道がにわかに私の前にひらけた。

しかし、神は誤った。この時間にはいないはずのリザヴェータが突然にあらわれたのだ。これも英雄になるための試練か。彼女は、布切れのように青ざめ、私を穴のあくほど見つめていた。まきぞえになった彼女には気の毒だが、責められるは神だ。私の計画には、不幸な妹リザヴェータの殺害は、なかった。

私は斧をかざしてとびかかった。彼女は泣き出しそうな顔で、なんの防御もなく立っていた。斧の刃はまともに頭蓋骨にあたった。一撃で額の上部をこめかみのあたりまでぶち割った。即死だった。このとき外に人が来て、私はひどくあわててしまった。それで、このときのことは、ほとんど記憶にない。しかし、だれにも見つからず家に帰ることができた。このことはやはり偶然ではない、必然が私にあるように思った。しかし、リザヴェータを殺してしまったということは、罰として、私の心に残った。

進 行  前回第一審の報告を行います。

【第一回公判 証人訊問】八月二十九日、ペテルブルグ裁判所で第一回公判が開かれた。第一回公判は、主に被告をよく知る人たちの証人訊問に終始した。
八月二十九日の初回法廷では被告の日常生活をよく知る人たちが証言した。主に下宿関係者
や大学の友人の証言。そこからは強盗殺人の兆候はみられなかった。被告は寝てばかりいた。体がつらそうだった。アル中の元官吏を自宅まで送る、酔った少女を助けるなど、怠惰な生活とは別の、率先して親切と正義を働く日常が証言された。被告人は、大家とは婚約した娘の死で家賃をめぐる確執はあるが、多くの人たちからは愛されていた。孤独なひここもりではなかった。貧困の問題も、母親からの手紙で解決つく見通しがあった。それ故に、初回法廷では大きな謎が残った。即ち、才能ある正義感の強い、だれからも愛される青年がなぜ殺人者になったのか。第二回公判の被告人質問でその謎に迫りたい。

進 行 10月8日、第二回公判を開始します。 

貸し業老婆の金品とみられる。妹は、この日、用事で遅くなる予定だったことから、犯人は、金貸し老婆が一人のときを狙ったとみられる。しかし、妹は、予定より早く帰宅したため、不運にも巻きこまれてしまったようだ。室内は。物色され老婆の財布が盗まれている他、首
飾りなど質草の装飾品が無くなっていた。事件は、金品目的の強盗殺人で単独犯とみられる。金貸し老婆が部屋に入れたことから顔見知りの線が強かった。
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事件の動機

二日後、塗装工ミコールカが逮捕される。無くなっていた質草を換金しようとした。はじめ拾ったものと無実を叫んでいたが、九日目に自白した。しかし、十日後の七月二十日、近所に住む元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が自首し、真犯人と判明、緊急逮捕となった。
 才能ある若者は、なぜ冷酷な殺人者になったのか。たんに金に困った末の犯行だったのか。それとも質草を軽く見られたことへの恨みからか。――
しかし、容疑者、ラスコーリニコフが取り調べ室で口にした犯行動機は、驚くべき理由だった。彼が語った犯行理由は、「ナポレオンになりたかった」からとの不可解なもの。英雄になって、だれもが幸福に暮らせる社会をつくる。そのため手はじめに、社会のダニともいえる金貸し老婆を血祭りにあげた。自分は非凡人、選ばれしものだから、この殺人は許されるのだ、とも言った。彼は人類二分法という凡人、非凡児を分ける大論文まで雑誌に投稿していた。このため、はじめ国事犯ではないかと疑われた。殺人はテロ活動かとも。しかし、政治的背景は何もなかった。
現在のところ容疑者は、自身の不遇を社会のせいにする輩か、精神を病んだ誇大妄想癖の持ち主。狂信的な社会主義者とみられている。ほかに、殺人依存という分析もある。つまり動機なき殺人である。
いずれにせよ単純なようで謎多い事件といえる。再発防止に一刻も早い解明を望まれる。

進 行 10月8日、第二回公判を開始します。 

・進行
・裁判長 
・被告人 
・検察官 
・弁護人     
・ポルフィーリイ・ペトローヴィチ 予審判事
・ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン 弁護士      
・書記

進 行  ただいまより104号議案に入ります。被告人は、前へ。
裁判長  それでは、被告人質問を行います。被告人は、氏名、年令、職業、住
          居、本籍を述べてください。
被告人  はい、ロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフ、二十三歳。職業
は無職。元大学生です。住所は中メシチャンスカヤ通り19、本籍はトゥーラ県
です。
裁判長  検察は起訴状を述べてください。
検察官  起訴状、被告人は、一八六五年七月十日、午後七時半頃、金品を奪う目的でエカ
テリーナ運河104番地にある金貸し老婆宅に客を装って訪問。金貸し老婆アリョーナ・イワノヴィナ(60)と、同居する妹リザヴェータ(35)を斧で撲殺し、金品を奪い逃走した。周到に練られた犯罪で、誤認逮捕もあったが、被告人は、二人もの人間を殺したことへの罪の意識と、良心の呵責に耐えかねて、十日後の七月二十日、自ら警察署に出頭、自首に至った。
裁判長  被告人はこの起訴状に相違ないか。
被告人  はい、おおむね相違ありません――あくまでおおむね、ですが。
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裁判長  では、これより被告人質問にはいる。被告人は自分に不利になることは言わな
     くてよろしい。
被告人  わかりました。
裁判長  それでは、はじめに、いまの起訴状に対する返事について訊ねる。被告人は、
     おおむね相違ないと答えたが、不満そうにも聞こえた。おおむねとは、だいたい
  とのことだが――すべてではないとの意味もある。何か足らないものがあっての答えか。
被告人  はい、動機の点について――。
裁判長  動機?・・・起訴状は、金品を奪う目的とあるが、犯行目的は金品を奪うことでは
なかったのか。
被告人  はい。金品が目的ではありませんでした。
進行係  法廷内、ざわつく
裁判長  静粛に!――では何か。
被告人  金品は第二の目的です。
裁判長  第二の目的? 第一目的は貧困ゆえの犯罪、つまり金品欲しさゆえの犯行ではな
  いというのか。
被告人  はい。
裁判長  よくわからないが・・・現実は、被告人は金貸し老婆を殺害して、彼女の財布や首
 飾りなど質草の品物を盗み、街外れの石の下に隠蔽した。すべてが自白通りで、証拠もそろっている。明明白白ではないか。ただ財布の金は未使用で、質草の装飾品も換金していない――との報告がある。この現状から、すぐに金が必要だったわけではないと想像できるが――。
検察官  裁判長。よろしいでしょうか。
裁判長  検察官に発言を許可する。
検察官  被告人は、母親からの手紙で現金が送金されることを知っていました。友人か
     らのアルバイトの紹介もありました。そんなことから、いますぐ金が必要ではなくなった。それゆえ、完全犯罪をより強固なものにするために、ほとぼりが冷めるまで、盗品には手をつけない。そんなプロ意識が働いたと推測します。完全犯罪を狙った犯罪だからです。しかし、根本はあくまでも金に窮した金銭目的の犯行です。典型的な物とり犯罪です。憎むべき犯行ですが動機は単純なものです。
裁判長  検察は犯行動機は、金欲しさ以外にあり得ようがないとするが。被告人、異論はあるか。
被告人  早急で稚拙な推理でお笑いだ。そんな動機など、ぺっ、ぺっだ。
裁判長  被告人、言動に注意してください。法廷を侮辱すると退場もあります。
弁護人  裁判長、被告が動機にこだわる点について説明できます。
裁判長  弁護人の発言を許可する。
弁護人  ありがとうございます。被告は犯行の前日、先ごろ不幸にも亡くなった被告の母親より手紙をうけとっています。第一回公判の証人訊問でも紹介しましたが、金に困った末の犯行ではなかったことの証明になるので今一度紹介します。
「おまえとはもうすぐ会えるわけですが、それでも、二、三日のうちに、できるだけのお金を送ります。ドゥーネチカがルージンさんといっしょになることが知れてからは私の信用も急に高まったようなわけで――いまなら年金を抵当に七十五ルーブリでも貸してくださいます。ですからおまえにも二十五ルーブリ、ことによると三十ルーブリは送れます」。
ことによると三十ルーブリも、と書いてありますが、被告は実際三十ルーブリ送ってもらったのです。妹さんの結婚話は、その後ご破算になりましたが、この時期、ラスコーリニコフ家は経済的には明るい方向に進んでいたのです。当
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然、被告はこの手紙を読んでいましたから、金に困った末に強盗殺人を実行するというような考えは起こりません。起こり得ようがありません。
検察官  意義あり!
裁判長  意義を認めます。
検察官  ラスコーリニコフ家が、当時、どんなに金にこまっていたか、弁護士のルージン氏に証言をお願いします。
裁判長  ルージンさん、証言をお願いできますか。  
ルージン もちろんですとも!私めに証言の機会を与えていただきありがとうございます。弁護士のピョートル・ペトローヴィチ・ルージンです。私めはこの家族についてよく存じております。実際、金に困った貧乏家族です。私が婚約したおかげで、どれほど明るい未来が、どれほどの幸福がこの家族にさしこんだか。大学をやめた被告の身をどんなに心配してやったか。妹と結婚したあかつきには復学させ、将来は私の事務所で働いてもらう、それも共同経営者としてですよ。これほどの恩を被告とその妹は卑劣にも仇で返したのです。せっかく極貧にあえぐ母と娘を借金の泥沼から救いだそうとしたのにです。貧困と高慢ちきな性格で頭のおかしくなった兄と、家庭教師先で、その家の主人と不倫問題をおこしキズものになった妹、おまけに、お助けくださいと日参して頼みこんでくる無学の母親。家族ひっくるめて面倒をみてやろうと思っていたのにですよ。こんな寛容な私めが裏切られたのです。
裁判長  証人は、事件とは関係ない話をしないこと。
ルージン 大いに関係ありますとも。私の寛大なる親切と恩を受け入れていたら、こんどの事件は起こらなかったはずです。兄も妹も母親も、三人全員がハッピーになって、いまごろは郊外の別荘の庭で優雅にお茶をしていたはずです。それを、このきちがいの兄のために、人殺しのために、母親は泣き死んで、妹はといえば、追ってきた地主を、聞けば家庭教師時代にさんざん面倒をみてもらったという地主を袖にして、今では若い男に乗り換えるという節操のなさ。そのため、地主はピストル自殺をしたとのことです。兄が兄なら妹も妹、兄妹そろってろくでもない家族。貧乏人のくせに――。
被告人  このチキン野郎!犬にでも喰われろ!お前なんか、ごめんこうむりだ!色魔め、吝嗇野郎!
ルージン だまれ! 人殺し! 死刑になれ! メス犬家族!売春宿がお似合いだ!兄妹そろって地獄におちろ!

     法廷内、騒然
裁判長  静粛に!
裁判長  被告人は暴言を吐かないこと。証人は退席してください。

     法廷内 鎮まる。

裁判長  犯行は貧困からではない。では、何が目的で強盗殺人を働いたのか。貧困が第一の動機でないとすると、他に、どんな理由があるというのか?先に調書で述べたような思想問題からか。
弁護人  裁判長、そのへんのところは、現在、被告人は精神的に疲労しており、正常な判断や答えができにくくなっております。今は、その質問に答えるのを控えさせていただきたいのです。
被告人  精神は至って健康です!裁判長、いますぐ答えることができます。
弁護人  裁判長、重ねてお願いします。被告人はまだ混乱状態にあります。動機の解明
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については後日の法廷で質問していただきたく――。
裁判長  弁護人の発言を却下します。被告人、引きつづき質問に答えるように。このたびの事件の第一動機は何か?
被告人  金貸し老婆の殺害であります。金品の奪取はあくまでも二の次です。
裁判長  なぜ、老婆殺害を第一の目的としたのか?
被告人  ナポレオンになりたいからです。
裁判長  ナポレオン?!あのナポレオン・ボナパルトのことか。
被告人  はい、そうです。
裁判長  なぜナポレオンに。
被告人  英雄だからです。
裁判長  なぜ、英雄になりたいのか。
被告人  思ったことがすぐ実行できるからです。普通の人間は一つの善行でも難しいが、英雄なら百の善行でも一声で成し遂げられます。ぼくは世の中の大勢のひとたちを救いたいのです。いますぐに、世界人類の救済がしたいのです。
裁判長  金貸し業アリョーナ殺害とどう関係するのか。
被告人  彼女を殺すこと。そのことがぼくが英雄である証だからです。シラミ一匹を殺せる勇気と行動力。老婆殺しでぼくは生れついての英雄であったかどうか、それがわかるんです。金貸し老婆の殺害はその試金石なのです。
裁判長  二人の人間の命を奪うのが英雄の試金石だったというのか。
被告人  リザヴェータは違います。
裁判長  違うというとどう違うのか。
被告人  リザヴェータは成り行きです。計画にはありません。運が悪かったのです。英雄に許されているのは、あくまでも役たたずの生きていても仕方ないゴミ同然の人間の殺害です。リザヴェータは違います。彼女は、皆から愛されていた・・・。
裁判長  では、なぜ彼女を、彼女まで殺してしまったのか。
被告人  なぜか、わかりません・・・。
裁判長  目撃されたからであろう。
被告人  そうだったと思います。が、そのときは何も考えませんでした。最初の殺人ですっかりまいあがっていたので、どのように殺したのかも記憶にありません。無意識に斧を振り下ろしていたのです。
裁判長  よろしい、そこは一歩ゆずってそうだとしよう。では、最初に殺した金貸し老婆は、確信をもって殺したのだな。
被告人  はい、そうであります。
弁護人  裁判長!意義あり!
裁判長  意義を認めます。
弁護人  被告は確かに強盗殺人を想像しました。しかし、現実に実行できるとは思っていませんでした。被告は、近頃流行りの人類二分法の思想に毒されていただけで――。
裁判長  人類二分法とは何か。どんな思想か。
弁護人  フランスで刊行されたある本、かのジュリアス・シーザーを礼賛する伝記ですが、この本の序文に書かれた言葉が一人歩きをして、現代の若者たちを看過しているのです。
裁判長  どのような内容か。
弁護人  独善的な毒にも薬にもならない本です。一部をよ読みあげて紹介していいでしょうか。
裁判長  一部紹介を許可する。そのまえに休廷とする。
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進 行  休廷します。再開は十五分後。

     ―― 休廷 ――

進 行  公判を開始します。
裁判長  新思想の一部紹介を許可します。
弁護人  ありがとうございます。
「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い、未来を照らし出す。本書の目的は以下の事を証明することだ。神がシーザーやカルル大帝のごとき人物を遣わす。それは諸国民にその従うべき道を指し示し、天才をもって新しい時代の到来を告げ、わずか数年のうちに数世紀にあたる事業を完遂させるためである。彼らを理解し、従う国民は幸せである。かれらを認めず、敵対する国民は不幸である。そうした国民はユダヤ人同様、みずからのメシアを十字架にかけようとする。」
この思想がロシアでも、繊毛虫のようにはびこりはじめているのです。
裁判長  稚拙だな、あまりにも稚拙だ。
弁護人  しかし、この思想が、昨今、街の居酒屋で議論されているのです。
裁判長  どのようにか。
弁護人  これは被告人が、居酒屋で直接耳にしたという将校と学生たちの会話です。記録されているので一部を紹介します。
「一方には、おろかで、無意味で、くだらなくて意地悪で、病身の婆さんがいる。だれにも必要のない、それどころかみなの害になる存在で、自分でも何のために生きているのかわかっていないし、ほっておいてもじきに死んでしまう婆さんだ。
わかるかい。ところがその一方では、若くてぴちぴちした連中が、誰の援助もないために、みすみす身を滅ぼしている。それも何千人となく、いたるところでだ! 修道院へ寄付される婆さんの金があれば何百、何千というを立派な事業や計画をものにすることができる! 何百、何千という人たちを正業につかせ、何十という家族を貧困から、零楽、滅亡から、堕落から、性病院から救いだせる――これが、みんな彼女の金でできるんだ。じゃ、彼女を殺して、その金を奪ったらどうか。ひとつのちっぽけな犯罪は数千の善行によってつぐなえないものだろうか?ひとつの生命を代償に、数千の生命を腐敗と堕落から救うんだ。ひとつの生命と百の生命をとりかえる。─―これは算術じゃないか。」
裁判長  被告人はこの思想を知っているか。
被告人  もちろん、知っています。
裁判長  実践したいと思ったことはないのか。
被告人  ありません。頭のなかで考え愉しむだけです。
裁判長  しかし、今回は実行した。
被告人  偶然が、いくつもの偶然がかさなったのです。
検察官  意義あり!
裁判長  検察は何か?
検察官  被告はこの思想を実践に代えるべき努力していました。決して、偶然からの犯行ではありません。
裁判長  意義を認めます。して、その証拠はあるのか。現実化しようとしていたという。
―――――――――――――――――― 11 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.18

検察官  被告人は何カ月も前から考えに考えていました。この計画を練りに練っていました。
裁判長  どのような方法でか?実証はできるのか・・・。
検察官  証人としてポルフイーリイ予審判事の証人訊問をお願いしたいのですが。
裁判長  許可します。
進 行  ポルフイーリイ予審判事、前へ。
裁判長  証人は氏名、職業を述べよ。
予審判事 職業はペテルブルグ警察署付きの予審判事です。
裁判長  検察はこの事件は、前もって計画され、練られていたと陳述したが。相違ない。
予審判事 相違ありません。裁判長。
裁判長  証明できるのか。
予審判事 できますとも!おおいにできます。
裁判長  証人と被告との関係は。
予審判事 私の親戚のものが──大学生ですがね、第一回公判で証人として立ちました。彼は苦学生ですが、バイタリティある若者で、いい子なんですよ、友人思いの。まあ、そんなことはどうでもいいんですがね。早い話、彼は被告の友人なんです。いや、友人なんてものじゃない、なにやら尊敬までしてるんですよ。今度の事件で警察が質草の入質者を調べていると聞いて心配しましてね。実際、質草に被告の持ち物がありました。指輪と銀時計です。質草は金貸し老婆と関係する重大物件ですからね。動かぬ証拠ですから当然疑われます、それで、警察署より先に私のところへ行って説明しておけ、と先手を打ったわけですよ。彼、ラズミーヒンは親切心と友情から内々に済ませようと思ったんですな。涙の友情物語だが、コネはいけませんですね。
裁判長  被告は捜査対象になっていたのか。
予審判事 とんでもない、嫌疑どころか、署長も副署長も、あさっての方をむいていましたよ。被告はそのころ大家に家賃を滞納して訴えられていて、警察署で払えぬ理由を一席ぶったりしていて、とても強盗殺人事件との関連などつかみようがなかったです。それに、警察は誤認逮捕をしていたほどで、被告はまったくの蚊帳の外でしたよ。
裁判長  予審判事もそうであったか。
予審判事 もちろんですよ。会うまでは、可愛い甥っ子のために一肌ぬいでやろう、そんな気持ちでした。この世界、嫌疑をかけられると、面倒だし、嫌なことがありますからねえ。甥っこの友人がこんどの事件と繋がるなどこれっぽっちも考えてませんでしたよ。
裁判長  被告に嫌疑の眼をむけたのはいつからだ。
予審判事 ラズミーヒンが被告を紹介するためにうちに連れて来たときからですよ。驚きましたよ。話しているうちに、突然、先日、運河通り104番地で起きた質屋の老婆殺人事件のホシはこの男だ!と確信したんです。
裁判長  関連づけるものがあったのか?
予審判事 脈略なんかなにもありません。私はもう終わった人間ですからね、勘も鼻も効きませんよ。ただ、雑学が好きでいろんな本をかじっているわけです。クイズの応募に役立ちますからね。もっとも本は最初の三ページぐらいしか読みませんが。
裁判長  証人は、簡潔にお願いします。
予審判事 簡潔ですか――、捜査においてはよろしくないですな、簡潔は。でも、よろしい、ここは法廷ですからできるだけ簡潔にいきましょう。協力します。
裁判長  ぜひともお願いします。
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.18 ―――――――― 12 ―――――――――――――

予審判事 私は被告の名前を聞いて驚いたんですよ。というのも二カ月ほど前、ある月刊誌を読んで――この前、廃刊になった『月刊論壇』ですがね。あの月刊誌のなかに、ひどく気になる投稿論文がありましてね。ぜひ筆者に会って、直接、話を聞きたいと思っていた矢先ですよ。論文は匿名でしたが、編集者に知り合いがいましてね。サツ時代の習性で、本名を聞き出してあたまの隅に入れておいたんです。ところが、筆者と同姓同名の人間が、なんの予告もなく、突然目の前にあらわれたのですから、こりゃあビックリです。聞けば、論文の筆者本人というわけで。二度ビックリです。
裁判長  どのような内容か、概略を簡潔に述べることは可能か。
予審判事 可能ですとも! 論文は、犯罪の全過程における犯人の心理状態を考察したものですが――かいつまんで言えばこんな内容です。
「犯罪の実行行為はつねに病気にともなわれる」と主張しています。ひじょうに、ひじょうに独創的なんです。ただ・・・実をいうと、私がとくに興味を持ったのは、論文のその部分ではなくて、論文の最後にちらともらされたある考えなんですよ。つまり、「この世界には、あらゆる不法や犯罪を行いうる、いや、行いうるどころじゃなくて、完全な権利をもって行いうるある種の人物が存在する。そういう人物にとって法は無きにひとしい」。この論文によると、すべての人間が「凡人」と「非凡人」に分かれるという点にある。凡人は、つまり平凡な人間だから、服従を旨として生きなければならんし、法を踏み越える権利ももたない。ところが非凡人は、非凡人なるがゆえに、あらゆる犯罪を行い法を越える権利を持っている。
裁判長  そこまででよろしい。事件と関連あれば、また思いだしていただくとして、証人と被告のとの関係は、投稿論文によって、でよいのだな。
予審判事 はい。じつは、もうひとつ驚くことがあったんです。残された質草ですが、老婆はその一つ一つを紙にくるんで、ご丁寧に入質者の氏名、質入れ日を鉛筆ではっきり書いていたんです。そのなかに被告のものもありました。指輪と時計でしたか。それで名前をしっかり覚えていました。気になる投稿論文の筆者の名前も同じでしたからね。で、お会いしたとき、すぐにわかったんです。ああ、あの質草の持ち主かと。論文の筆者と同姓同名の人物だと。
裁判長  しかし、残された質草はたくさんあったと聞いている。被告は、第二の被害者とドァをたたく訪問者ですっかり動転し、質草のほとんどは手付かずで、たいていは盗まれなかったようだが。それなのに、入質者全員を覚えているとはたいした記憶力です。
予審判事 いえ、記憶どころか物忘ればかりしてますよ、近頃は。もう終わった人間ですから。なぜ、被告さんの名前をしっかり覚えていたかというとですね。手品のトランプ当てのようなものですな。ほとんどの入質者は、事件直後、大慌てでやってきました。被告だけが来なかった。身体のぐあいがあまりよくなかった。あとでそんな話をききましたが、目の前に名前が書かれた持ち主が来ない質草がぽつんとあれば、いやでも覚えてしまいますよ。この持ち主は、あの論文の筆者と同じ名前だ。もしかしたら同一人物ではないか。どうして来ないのか。事件と関係あるのか。そんな疑問が次々浮かぶ道理です。そこに被告がひょっくりあらわれた。もうビックリですよ。ピカッと雷が落ちた気分でした。論文と事件。二つの点が繋がった、そんな気がしたわけですよ。
裁判長  で、あなたはどう思われるか。この事件は、たんに金に困っただけの、経済的に切羽詰まっただけの強盗事件か。それとも、被告がいうように、ほんとうにナポレオンになりたかった――そのために実行した犯行なのか。いま流行りと云う人類二分法にそそのかされての犯行だったのか。
―――――――――――――――――― 13 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.18

予審判事  動機は何か、ということですか・・・むずかしいですな・・・いまどきの若者が何を考えているのかは。考えた末の犯行というが、何も考えない犯行かも知れません。だって、そうじゃありませんか。いくら世直しのためといえ、アルバイトは世話してもらえる。母親と妹は婚約のめでたい話をもって上京してくる。そんなときに、強盗殺人をしなければならないなんて誰が考えますかね・・・。私にはわかりません。
裁判長  金欲しさからでもない。革命思想からでもない。ナポレオンの亡霊にそそのかされたとしか思えないような、この強盗殺人の本当の動機はいったい何か。
弁護人  安易に人を殺したいという事件が頻発する昨今です。なぜ人は人を殺したいのか。被告の「ナポレオンになりたい」は、ほんとうの動機なのか。
裁判長  今回も判決はありません。次の公判は、被告自首におおきな役割をはたした証人の訊問を行います。これで、第二回公判を閉廷します。

進 行  第三回公判は、十月二十二日木曜日です。

進 行  これまでの裁判経過と、今後の予定。
第一回公判は、被告人の身近な人たちの証人訊問、
第二回公判は、被告人質問
     第三回公判予定は、事件後の被告を知る人たちの証人訊問。
第四回公判予定は、被告人質問、犯行計画について
第五回公判予定、最終陳述と証言のあと判決。上告されなければ結審。
なお大量殺人の廉で二〇〇三年にアメリカ軍に拘束され死刑判決を実施されたイラクの元大統領の軍事裁判記録が入手できたことから、最終判決のあと、一部を公開。『罪と罰』所持の謎にせまる。

近頃児童虐待事件が多発しているが、この事件もそうした一連の虐待事件に同等する案件としその公判が注目されている。こちらの審議は小法廷で行われる。

継子殺人未遂事件裁判

登場人物

進 行

裁判長

被告人

検察官

弁護人

被告人の夫

親戚の者

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.18 ―――――――― 14 ―――――――――――――

継子殺人未遂事件裁判第一回公判

進 行 これより継子殺人未遂事件の裁判をはじめます。
    はじめに所轄署は事件概要を述べてください。
所轄署 事件概要を申し上げます。

事件概要

1876年5月13日、午前7時頃(推定)ペテルブルグの警察分署に、一人の若い女が出頭した。若い女は、応対した警官に、「たったいま、継娘を4階の窓から放り投げて殺してきました」と、言った。つまり殺人を自首してきたのである。継娘は6歳、4階の高さは地上から十数メートルある。驚いた警察は、現場に駆けつけた。遺体を確認してこなかった、と言ったが、誰もが最悪を思い描いた。この季節にしてはめずらしく、雪が道路のそこここに残っていた。女が放り投げたという4階の窓下にも、いくらかの雪がはき積もっていた。警察は被害者を探した。6歳の女の子は、まったくの偶然に、その雪の中に落ちて気を失っていた。怪我一つなく、奇跡的に助かったのだ。警察は、女を継娘殺人未遂事件の犯人として逮捕した。両親が再婚後、連れ子を虐待死させる。近頃、そんな事件が増えている。

裁判長 被告人は姓名、職業、年齢をのべなさい。
被告人 エカチェリーナ・コルニーロヴァ。年齢20歳。職業は、農婦です。
裁判長 それでは裁判を開始する。検察は起訴状を述べてください。
検察官 起訴状、1876年5月13日午前7時頃、被告人エカチェリーナ・コルニーロヴァ(20)は、夫(31)と口論したあと、腹いせに6歳になる継娘を自宅四階の窓から殺害の意図をもって放り投げた。窓から地上までは十数mあり、死ぬか大けがをするのは確実とみられた。が。このとき窓下には残雪があったため継子は奇跡的にきずひとつなく助かった。とはいえ、継子に与えた心の傷は大きい。近頃、幼児虐待事件が相次いでいる。いたいけな子どもたちが犠牲になっている。これらの事件に警鐘をならすためにも、被告には厳刑を処すべきである。
裁判長 被告は、この起訴内容に間違いないか。
被告人 はい。間違いございません。
裁判長 これより人定質問をおこなうが、被告は、誠実に事実を答えてほしい。が、自分に不利な発言はしなくてよろしい。
被告人 わかりました。
裁判長 でははじめるぞ。夫との再婚したのはいつだ。
被告人 一年前です。
裁判長 どうして知りあったのだ。
被告人 知り合いの口利きで知り合いました。
裁判長 先方は30歳、年も離れていて、結婚歴もあり、おまけに子どもまでいる。どのような理由から結婚しょうと思ったのか。
被告人 奥さんを亡くしたばかりで、気の毒におもいました。それに連れ子の女の子が可愛くて私が面倒をみてあげたい。そんな気持ちになりました。夫もやさしい男の人にみえましたし。そんな言葉もかけてもらいました。「しあわせにします」と。
裁判長 つまり夫への愛はないが、母性本能から結婚しようと思ったのだな。
被告人 わかりません。そうかもしれません…。
裁判長 それなら、なぜ継子を殺そうと思ったのか。継子への虐待行為は、以前からあったのか。
被告人 あの日がはじめてです。それまで一度だって継子に手をあげたことなどありません。
―――――――――――――――――― 15 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.18

裁判長 発作的というのか。あの日は、どのようにして犯行におよんだのか。詳しくのべよ。
被告人 はい。結婚してしばらくすると、夫は、自分が気にいらないことがあると、すぐ怒鳴るようになりました。亡くなった前妻の方がよかったと責めるのです。罵られるたびに、連れ子の6歳の継娘まで憎くなってきました。それで、いつか、面当てに夫が一番の打撃になること、継娘を亡きものにしようと思いました。このところ、ひどい喧嘩がつづいたので、ついに限界に達したのです。前の晩、大ゲンカして、それを実行する決心をしました。しかし、昨晩は、夫が家にいたのでできませんでした。
    今朝、夫が仕事に出かけたので、計画を実行することにしました。私は、4階の窓を開け、草花の鉢植を窓じきの一方に寄せました。それから、起きたての継娘の名を呼びました。
6歳の継娘は、眠気眼をこすってやってきました。私は、
「○○ちゃん、窓の下を見てごらん」と、言いつけました。
 継娘は、朝っぱらなんだろうという顔をしました。が、窓の下にどんな面白いものが見えるのかと、思ったのでしょう。すぐに窓じきにはいあがりました。そして、両手を窓に突っ張って、下をのぞきました。ちっちゃな両足が、私の目の前にありました。その可愛らしいちっちゃな両足を私は、つかんで持ち上げ、窓外に放り投げました。娘は、宙にもんどり打って落ちて行きました。私は、すぐに窓を閉めて、着換えをすませ、部屋の戸締りをして警察に出向しました。娘は、てっきり死んだものと思いました。これが犯行のすべてです。嘘偽りはありません。
弁護人 裁判長。
裁判長 弁護人の発言を認めます。
弁護人 被告は、自己中心的な夫への憎しみから自分を失ったのです。自分を親戚のところへ行かせず、親戚が来るのも嫌がった。喧嘩のたびに、死別した細君を引き合いに出しては、「死んだ妻の方がよかった」「あのころは、世帯向きがもっとうまくいっていた(米川訳)」など言葉の暴力を受けつづけた。
    このためいつしか愛情より憎しみが強くなり、復讐したいと思うようになった。復讐は、何がてきめんか。それは「亭主がいつも引き合いに出しては自分を非難した先妻の娘を、亡きものにすること」だった。夫に対する面当てから、なんの落ち度もない6歳の継娘を殺そうと計画し、実行してしまった。これについて弁解の余地はありません。しかし、いま被告は大いに後悔しています。やってしまった犯行に苦しんでいます。それらを鑑みると、すべては、精神のせいが大きいです。正常な精神状態での犯行ではなかった。そこに情状の余地を認めてほしいと願うばかりです。
検察官 前の夜からの計画。怒りを爆発させたのではなく冷静に考えたうえでの継子殺害計画。計画は奇跡的に、失敗におわりましたが、これを善しとすることはできません。こうした事件をなくすためにも、不幸なこどもたちを救うためにも、厳しい罪と罰を要求します。
進 行 以上、検察、弁護人双方の陳述はおわります。これより判決にはいります。
裁判長 主文、被告人エカチェリーナ・コルニーロヴァの犯罪は、幸いに幼き命は助かったとはいえ、四回の窓から放り投げるなど、決して許されざる行為である。本事件を有罪とし、懲役2年8カ月に処し、その満期後、終身シベリヤ流刑とする。
 
弁護人 重すぎる!控訴します!

二審は10月15日に開廷します。

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.18 ―――――――― 16 ―――――――――――――

2019年度下原ゼミⅢ後期出欠記録
()は提出
  
・志津木喜一 9/24  欠                     
  前期4/14
・神尾 颯  欠   ―
  前期8/14
・松野 優作 9/24 欠       
  前期2/14
・西村 美穂 9/24 10/1
  前期14/14
・吉田 飛鳥 9/24 10/1
  前期14/14  (1)
・中谷 璃稀 9/24 10/1
  前期13/14  (1)
・佐俣 光彩 欠   欠
  前期6/14
・東風 杏奈 欠   欠
  前期4/14
・山本 美空 欠   欠
  前期7/14
       6  3
        

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読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

月 日 : 2019年10月12日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』5回目 報告者 : フリートーク
連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

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