文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.20

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)10月29日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.20

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 1/7 1/14 1/21 
観察から創作へ

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

10・29下原ゼミ

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インテリが作りやくざが売るものからの脱却 新聞週間に想う

いまはどうか知らないが、昔、新聞は「インテリがつくりやくざが売る」ものと言われていた。死語とおもっていたが、その体質はいまも残っているようだ。最近実感した。
先日、加齢と経済的(台風15号で道場が修繕が必要になった)理由で、契約解除を申し出た。30年近い付き合いである。「長らくご愛読いただきありがとうございました」そんな言葉を聞けるのかと思った。ところが、やってきた勧誘員は、開口一番、「調べたが家賃値上げはない」とのいいがかり。解除理由を経済的いったのを家賃が値上げするからと解釈したようだ。もう信用できないから解除はできないと聞く耳をもたない。
新聞は、社会の良心、庶民の味方。毎日の新聞には、そんなことを思わせる記事が載っている。しかし、契約時のトラブルをみると、それらはたんに見せかけ美辞麗句。そんなふうに思えてくる。米国トランプ大統領は、新聞をフェイクニュースばかりと罵った。そのときは笑ったが、勧誘員の態度をみる限り笑えない。日本の新聞もこの悪しき体質を脱却しないかぎりフェイクニュースといわれても仕方がないかも。
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No20 ―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ誌編集報告

10/22ゼミ参加者 → 中谷 交通事情か1名のみ

【ゼミ誌編集会】西村編集長 中谷、吉田編集委員

□印刷会社 → 新生社 15日、蜷川さんに会う、「原稿出ればOKです」

□タイトル → 「是溢市(ぜみし)」

ゼミ雑誌編集 10/22現在までに決まっていること  

②仮見積もり書の提出 → 10/25(金)迄に
③確定見積もり書提出 → 11/22(金)迄に
④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出
12月6日(金)締切
〈ゼミ雑誌の形態〉
サイズ → 文庫本 原 稿 → 夏休み明けに提出 10月29日(火)~ 提出

ゼミ誌原稿提出状況 「是溢市(ぜみし)」原稿

提出済み

・吉田飛鳥『カラガラ丘』→ A4創作 13枚

・中谷璃稀『馬鹿者たち』A4創作 11枚

・志津木喜一『団地妻』A4創作 2枚

22日中に提出できる人

・西村美穂  ・山本美空  ・佐俣光彩  ・松野優作

連絡中 

・東風杏奈

脚本化で読むドストエフスキーの『罪と罰』

□「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第一回公判

□「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第二回公判

□「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第三回公判
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遠い日の夏休みの思い出  1965年の夏
 計根別まで 後編

【前編のあらすじ】
 1965年の夏、私は、下落合にある学生援護センターに夏休みのアルバイト探しに行った。掲示板に沢山の求人ビラが貼られていた。奥の方に離れて「北海道酪農手伝いの募集」ビラがあった。宿泊三食交通費付きで一日500円、40日間で労働時間は酪農家族と同じとあった。ラッキーなバイトと思った。500円は安いが、北海道観光もでき、おまけに大学からは農業実習の4単位ももらえることになった。一石三鳥、悪くないバイトと申しこんだ。いろんな大学の学生11名が集まった。8月初め、私たち北海道酪農バイト組は、上野で寝台特急に乗ると青森を目指した。青森から連絡船で函館。函館から札幌、釧路と2日間の旅。
私は、根釧原野のまんなかにある計根別という駅に降り立った。そこから農協のトラックで送られていったバイト先の農家は、開拓13年目の酪農家だった。40代の夫婦、中2の娘、小5の次女、小3の長男の5人暮らしだった。主人、原沢英四郎は。酪農の他に、午前中は周辺の各農家を回り牛乳を集めて牛乳工場に運んで行く仕事をしていた。母親のトキさんと一緒に仕事する時間が多かった。長女の道子はむろん次女の咲子、長男の健一にはそれぞれ酪農作業の仕事や水くみなど家の手伝いがあって黙々と働いていた。原沢家の子どもたちは実によく働いた。子どもたちには、勉強する時間も遊ぶ時間もなかった。
下原敏彦

原沢家には6頭のホルスタインと1頭の馬、それと十数羽のニワトリがいた。5頭が搾乳可能で、朝は、牛たちの世話に追われた。搾乳は、ちょうどミルカーという自動搾乳機がはいったばかりで、手で搾る必要がなくなって大いに助かった。食事でき驚いたのは、皆がごはんの上に大量のバターを乗せて食べることだった。うどんがご馳走だった。
毎日が、忙しくて一日が長かった。早くもバイトが終わる日が待ち遠しかった。それでも最初の日、寝る前、目をこすりながら日記をつけた。
一日目、旅の疲れもあって朝、起きたのは六時。家の中は、しんとしていた。台所はストーブが焚かれていたが誰もいなかった。あわてて外に出ると、一家総出で牛舎にいた。道子はミルカ―で搾乳する前、牛の乳房をお湯に浸した布できれいに拭っていた。咲子は、干し草を牛たちに食べさせていた。主人の英四郎は、出荷する牛乳を入れる缶を揃えていた。トキさんは、ニワトリを小屋に追ってタマゴを集めていた。健一は、馬小屋の掃除をしていた。皆、それぞれに仕事があるようだった。朝食後は、英四郎さんは、酪農家を回って牛乳集めに――ここまで書いて、猛烈な睡魔に襲われた。次の日は、2行しか書けなかった。出来事を全部書くのはあきらめた。以下は、後で書いた原沢家のだいたいの日課である。

□朝5時半起床。牛舎の掃除。6頭のホルスタインに牧草のえさやり。乳房を湯で洗いミルキーで搾乳。乳搾りが終わると、牛たちを牧場に放牧。
□7時、井戸の冷たい水で顔を洗う。ストーブの薪割り。朝食、バターのせご飯。
□8時半、牛糞山の移動。新しい牛フンを一輪車に乗せて堆肥置き場まで運ぶ。山となった牛糞は、時間があるとき外の牛糞小屋に移動させる。単純作業なので、私の仕事になった。文字通り糞まみれになっての作業だが、すぐ慣れた。
□10時お茶の時間。(8月中旬から子供たち学校)トキさんと二人で農作業。
□11時、英四郎さん牛乳集配から帰宅。じゃがいもの収穫。
□正午、お昼、
□1時、午後からは、近くの酪農家たちと共同でサイロ詰め。農協のトラックターが集めて
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きた干し草を大きな煙突型のサイロに詰め込む作業。私の仕事は、他の大人たちと一緒にサイロの中に入って干し草を踏みしめる。頭の上から、機械で刻まれた干し草がバサバサと落ちてくる。サイロの中は発酵臭の草いきれと干し草の熱気でサウナのようだった。
□5時、原沢家に戻り、放牧の牛を子どもたちと牛舎にいれる。
□6時、二日か三日置きに風呂を焚いた。風呂の水は、近くの川の水を使っていた。馬のアオ号に荷車を引かせ、牛乳カンに水をつめて運んだ。子どもたちの仕事で、私も手伝った。
□7時、夕食。二日置きに風呂。
□9時、就寝。

以上が、私が原沢家のだいたいの日課である。あまりに疲れ過ぎて、夜は、ただ
ただやたら眠かった。とくに最初のころは、慣れない生活もあって、夕飯後は、すぐに部屋に入って寝てしまった。そんな私に子どもたちは不満だったようだ。なにしろ私は、東京からきた大学生のお兄ちゃんである。いろんな話をして欲しかったようだ。勉強もみてもらいたい。そんな期待もあったようだ。なのに私は、寝てばかり。とにかく眠い。眠かった。酪農仕事にくたびれ果てていた。どんなに眠く疲れていたか、日記のつもりで書いたノートをみればそれがわかる。支離滅裂な文字と内容だ。
 八月×日 農協のコンバインが来て、牧草を刈っていった。この季節一番の大忙し。一家総出で、牧草をまとめてアオ号の荷馬車に乗せサイロまで運ぶ。サイロは二つ、一つはエントツ型、もう一つは地下型。
 八月×日 眠い、疲れた、あと何日、干し草づくり、サイロ詰め
 八月×日 東京の生活がなつかしい。
 八月×日 ジャガイモの収穫、腰痛い、疲れた、あと何日
 
こんな最悪の状態のとき、面倒なことがおきた。咲子と健一が、夏休みの宿題を手伝ってほしいといってきたのだ。二人は、内緒の話があるからと、こっそり入ってきた。私は、眠い目をこすりながらみてやった。当然だが。小学生の問題は、苦労なくできた。二日ほどして、こんどは道子が入ってきて
「わたしの宿題もみて」といった。
英語と数学を教えてくれというのだ。中学二年生の英語は、辞書を片手になんとかできたが、苦手の数学は、お手上げだった。自信なかった。道子は、勉強はできる方と聞いていたので「眠くて限界、勘弁して」と断った。
そしたら突然、
「なんなの、わたしのはみてくんないの」と、怒りだした。
「みてるよ、ちゃんとこうして、これ」
私は、一問解いてみせた。
「違ってるわ」道子は憮然と言った。
「違ってるのがわかるの。それだったら聞きにこなくたっていいのに」
「なんだ、できないんだ。できないんならできないっていってよ。眠気のせいにして」道子は腹をたてると「大学生のくせに」と捨て台詞を残して部屋を出ていった。
 次の日から道子と顔をあわすのがなんとなく気まずかった。
 八月×日 道子、まだ怒っていた。井戸で顔を会わせても挨拶しない。それまで用意してくれたタオルもわたしてくれない。代わりに咲子が持ってきてくれた。すれちがうとき小声で「大学生のくせに、わからんなんてバカじゃないの」「もっと頭のいい大学生がよかった」と悪態をついた。聞こえぬふりをした。
八月×日 道子、母親に叱られる。咲子が告げ口したようだ。
「道子、おまえの勉強のためにきたんじゃないからね。どうしてそんなこというのかい、一生懸命手伝ってくれてるのに」
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「お金のためでしょ。バカなくせして」
「バカはおまえだよ。いい学生さんじゃないか。咲子も健一も、なついている。どうしておまえだけが、なれんことでくたびれてるんだよ」
ふすまの向こうからこんな会話が聞こえてきた。
 しかし、道子と私の溝は深くなるばかりだった。
八月×日 夜中、にわかにおなかが痛くなり、トイレに起きた。トイレは、庭の隅にあった。掘立小屋のなかに掘った穴に二本の板をかけた簡単なものだった。夢中でとびこんだ。バリバリと音がしてトイレの板が壊れて落ちた。私もいっしょに落ちて、腰まで糞尿のなかにすっぽりうまってしまった。物音を聞いてか母屋に明りがついて、皆ぞろぞろでてきた。道子もいた。懐中電灯に照らされた私は、動くこともままならずみじめな状態だった。英四郎さんにひっぱりだしてもらい、ようやく糞尿の中から脱出することができた。
「川に行って洗ってきます」私は、そう言って川に向かった。英四郎とトキは止めたが、井戸水はあまりに冷たかったし、井戸で洗うにはあまりに臭く不衛生に思えた。
 夜道は、月の明りで歩きやすかった。夜の川は静かに流れていた。私は、首まで水につかった。水は、意外と暖かかった。私は水のなかで浴衣と下着を脱いで洗った。
「おにいちゃん」だれか呼ぶ声がした。道子の声だった。
「ここだよ」私は大声で答えた。彼女は、着替えをもってきてくれたのだ。私は急いで川からあがろうとしたが、丸裸なのに気がついた。私は洗った浴衣を岸辺に放り投げ、水にもぐった。水面に首をだして仰ぐと月がきれいだった。
「風邪ひくよ」道子が心配そうに叫んだ。
 岸にあがって急いで浴衣をきた。体がぽかぽかしてきた。
「夜中にトイレに落ちたなんて笑い話にもならないね」私は、冗談のつもりで言った。すると、突然、道子゛、真剣な声で叫んだ。
「お兄ちゃん、帰らないで、帰らないで」
「帰る!?」
「こんなことがあったんで、嫌になって帰っちゃうって母さんが」
「こんなことで、――あまくみられたね」私は笑って言った。「そんなことより、頭、わるいから嫌われちゃつてるほうがつらいよ」
「ごめん、ごめんなさい」道子は、突然、泣きだした。
「いいんですか、中学二年生の数学もわからん大学生で」
「ちっとも、ちっとも、わたしがバカよ」道子は叫んで、私の胸にとびこんできた。
 私は、伝わってくる彼女の体温と、胸の柔らかさに、あわてて彼女を突き放した。
「ばか、お兄ちゃんのばか」
「いいの いいの、わかったから」私は、笑って彼女と手を繋いだ。彼女はしっかりにぎりしめてきた。月の光が草原の夜露に反射しキラキラ輝き、神秘さをかもしだしていた。
光に満ちた草原の道を歩いて行く二人。このときのメルヘンチックな光景は、いまもくっきりと脳裏に焼き付いている。
「お母さん、むかし歌上手だったんだって」いきなり道子は言った。「ここにきて牛の世話に追われているうち声がつぶれちゃったって」
「道子さんは、上手…」
「すこしだけ」
「じゃあ、うたってみて」
空には月が煌々と輝いていた。
「なにか、ここ砂漠みたい。砂漠を歩いているみたい」
道子は、そう言って突然、歌いだした。きれいな声だった。

月の砂漠を はるばると
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旅のらくだが 行きました

金と銀との 鞍置いて
二つならんで 行きました

 夜のしじまに歌声がしみわたっていった。このとき、はじめて北海道にバイトにきてよかったと思った。

 四十日目、とうとう最後の日になった。長かったようで終わってみれば短かった。ちょうど日曜日だったので、子どもたちは全員いた。原沢家の庭は別れの場となった。
 農協の小型トラックが迎えにきた。
「兄ちゃん、来年、まってるぜ」健一は生意気そうにいった。
「さんすうできなくたっていいんだって」
咲子が笑ってからかう。
「来年もぜったいきてくんろ」トキさんは涙ぐむ。
「くるよ、ぜったい」
私は、大声で言った。本当に来るぞ、ぜったい来るんだ。そのときは本気でそう思った。
「やくそくだよ」
咲子は、言ってふりかえって姉と父親の姿を探す。
「おねえちゃんたち、まだもどってこんの」
「柵なおしに時間かかっとるか。べーこがまだにげとるかだべ」
トキさんが申し訳なさそうにいった。
牧場の柵がこわれて、一頭が、隣家の牧草に入っている。朝食の最中、隣の山田さんが知らせてきた。それでふたりして見にいったのだ。隣は二㌔離れている。
「とうちゃんと道子からも、よろしくって、わるいね、見送れなくて」
トキさんは、かすれた声で何度わびた。
私は、トラックに乗った。トラックは走りだした。
咲子は、万歳して手を振った。健一は、立ちつくしたまま叫んでいる。
草原のなかに立つ原沢家の丸木太小屋。辛い農作業や乳牛の世話からやっと開放されたという安堵感と、40日間寝食をともにした家族と別れるさびしさがあった。
トラックは、そんな感傷を跳ね飛ばすようにパウンドしながら国道に向かって走っていた。
「あれ、ミチ坊だ」農協の運転手は、バックミラーをみると、声をあげた。
振り返ると、遠くの土手にそって草原の中を馬が一頭駆けてくる。アオ号だ。
道子が乗っていた。
「また、きてね―」そう叫びながら手をふっている。
トラックは、国道にでると右折した。一本道が、ずっと地平までつづいている。アクセルを
踏んだ。トラックはいきおいをました。青号は、国道の手前で止まった。遠くから見る道子は泣き顔だった。
私は、別れの寂しさもあったが、ほっとした感が強かった。
「ご苦労様、お疲れ様でした」
運転手の農協職員は微笑んで言った。
その言葉に本当に終わったのだ。そんな実感が一気にわきあがった。
とたん、目頭が熱くなった。
「なれたとこで、来年もおねがいますだ」
「はい、きっときます」私は、大きく何度も頷いた。

―――――――――――――――――― 7 ――――― 文芸研究Ⅲ下原ゼミNo.20

後期がはじまった。道子とトキさんから何通も手紙が届いた。筆不精の私は、ときどき東
京の絵ハガキに「来年も、おねがいします」とだけ書いてだした。来年が本当に楽しみだった。
だが、翌年春、フランスで起きた学生運動は、またたくまに世界を席巻した。日本にも飛び火した。たちまちのうちにうちに日本中の大学は火の海となった。
私の大学も例外ではなかった。私は、学園紛争に身を投じた。デモ行進、機動隊との衝突。気がつくと季節は秋になっていた。寝袋一つで逃げ回るうちに道子やトキさんの手紙は、散逸してしまった。やがて学生運動は、セクト争いの内ゲバにかわっていった。私は嫌気がさして、外国放浪の旅にでた。横浜港からフランスの貨客船「ラオス」号で、マルセルユをめざした。一年の帰国後、学校には、席はなかった。原沢家のことも、子どもたちや道子との約束も、遠い昔に思えた。私が行かなくても、新しいバイト学生が行ったかも知れない。原沢家の人たち私のことなど忘れてしまったにちがいない。
そう思いながらも、なぜか私は、もう一度黄色の野の花が咲く、原野のただなかにあった、あの牧場に行ってみたい。そんな気持ちがわいてくるのだ。五十年という歳月が流れたが、いまも昨日のことのように鮮やかによみがえる。青い大空と緑の草原の波が…

「先生、先生」
不意の声に私ははっとした。いつのまにか眠っていたのだ。
「書き終えました」
「そうか」
学生たちは次々立ちあがって原稿用紙を提出するとでていった。私は、窓外にひろがる梅雨明けの青空をみあげて、そうだ今年こそ、計根別まで行ってみようと思った。

 完
大学・フリーター時代に体験したアルバイト。

◆一番最初のアルバイト 藤沢市にある日本石油(小田急線「藤沢本町」駅近く)、夜間住み込み 夜間のお得意さんに給油、オイル交換など 1か月1万円 1年間
◆北海道酪農手伝い 1日500円 三食宿泊、交通費 40日
◆郷土人形の配達、1日800円 歩合(50件以上)3カ月
◆製本会社 8-5時 1日800円 (東京タワーの近く)1カ月
◆毎日新聞社本社ビル 住み込み 竹橋 臨時職員 2年間
◆焼き肉店 (桜新町)6カ月
◆コーヒー店(東京駅地下街「バリ」)
◆建設現場 研磨・左官の手伝い(都内各地。品川沖地下高速道路)
◆防水工事(造幣局屋上、東北各地の公共建物)
◆街路樹の掘り出し、(山から)
◆汐留貨物駅(貨車に荷物を積んだり下ろしたり)新橋、冬場と夏場
◆植木屋手伝い 造園と剪定作業
◆夜間道路清掃車の助手 1800円
◆郵便局(豊島区 仕分け作業)
◆清掃作業(大手医療会社ビル 品川)
◆皿洗い(立川高島屋、大食堂)
◆立川駅、チッキ窓口、構内掃除
◆日刊業界紙記者 担当三多摩地区役所 5年間

バイトは、人生学校、思い出してエッセイ化か創作ルポにする。
文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.20 ―――――――― 8 ―――――――――――――

2019年度下原ゼミⅢ後期出欠記録
()は提出課題レポート
  
・志津木喜一 9/24  欠  10/8 欠   欠                     
  前期4/14
・神尾 颯  欠   ―  ―
  前期8/14
・松野 優作 9/24 欠   欠   欠   10/22
  前期2/14
・西村 美穂 9/24 10/1 10/8 欠   10/22
  前期14/14
・吉田 飛鳥 9/24 10/1 欠   欠   10/22
  前期14/14  (1)
・中谷 璃稀 9/24 10/1 10/8 10/15 10/22
  前期13/14  (1)
・佐俣 光彩  欠   欠   欠   欠   欠
  前期6/14
・東風 杏奈  欠   欠   欠   欠   欠
  前期4/14
・山本 美空  欠   欠   欠  欠   欠
  前期7/14
        6名 3名 3名 1名  4名
        
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 掲示板 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

飯田・下伊那地区研究第5回学習会テーマ「熊谷元一」に決まる
 法政大学国際文化部(高柳俊男教授)は、留学生から見た日本の地方文化ということで、一地域(飯田・下伊那地区)に焦点を当て、毎年、夏期合宿をおこなうなど、その研究をすすめているが、このたび第5回学習会のテーマを「熊谷元一」と決めた。
 この学習会は、市ヶ谷にある校舎で11月23日(土)午後3時から開催される。予定される学習内容は、熊谷を紹介したDVD観賞と関係者の話。
※熊谷元一(1909-2010)は、先のゼミ合宿で訪れた「熊谷元一写真童画館」の展示作品の作者『一年生』代表作品(第一回毎日写真コンクール一位入選)、「写しつづけて70年」など。

読書会のお知らせ ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」

月 日 : 2020年1月11日(土) 開 始  : 午後2時00分 ~ 4時45分
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室(池袋西口徒歩3分)
 作 品  :『カラマーゾフの兄弟』5回目 報告者 : フリートーク
連絡090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net 

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