文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.387

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)11月26日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.387

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/14 1/21 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

11・26下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉  梅田惟花  佐久間琴莉 (松野優作) 伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (7名参加の日撮影)

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11・19ゼミ報告 編集作業終了

11月19日(火)は、校正最終チェック。8人全員の原稿見直し、大学編集局に提出。あとは出版待ち。この日の参加は、宇治、佐久間、伊東、大森、佐藤、安室。
人間の謎     有名女優合成麻薬と通り魔事件
11月16日朝、有名女優(33)が帰宅したところを麻薬取締法違反容疑で逮捕された。来年のNHK大河ドラマにも出演がきまっている大物女優ということで、マスコミは連日大騒ぎしている。毎回おなじみの芸能界の薬物騒動だ。それにしても、いつも思うことだが、一度、入った底なし沼から抜け出るのは難しい。12日、夕方、青森の方で「人を殺してみたかった」との動機から14歳の男子中学生が小学6年生の女児をカッターナイフで、襲った事件があった。前者は薬物、後者は通り魔、犯罪は違うが、いずれも「透明な存在」に操られた事件。そのようにを感じたニュースである。
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.387―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年後期前半、同行者

9月24日からの点呼状況です。()は提出課題

・宇治京香 9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12  11/19
前期13/14

・伊東舞七 9/24 10/1 ― 10/15 -  ―    11/12  11/19
前期10/14      (2)

・梅田惟花 ゼミ誌原稿入り  ―  ―   ―   ―   11/12
前期7/14
・佐久間琴莉9/24 10/1 ―  10/15 10/22 10/29 11/12 11/19
前期13/14

・大森ダリア9/24 ―  ―  10/15 ―   10/29  11/12 11/19
前期8/14   (1)

・安室翔偉  9/24 10/1 ― 10/15 ―    10/29 11/12  11/19
前期11/14

・佐藤央康  9/24 10/1 ― 10/15 10/22 10/29  ―   11/19
前期10/14   (2)

・松野優作 9/24  ―  ― 10/15 10/22 会った   ―   -
 前期2/14  (1)

総計人数  7  5  1  7  4   5   7   6

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今後のゼミ予定 学び舎が所沢から江古田校舎になった2019年。2年次は駆け足で過ぎました。今年もあと、1か月足らずとなりました。
早くも3年次のゼミ探しをはじめた人もいるようです。下原ゼミは、以下の内容でゼミ
授業を進めていきます。(2年次後半、3年次~)各自の持ち味をだせるような愉しく有意義なゼミをめざします。同行希望者はどうぞ。

脚本化の口演と朗読など 

ドストエフスキーの『罪と罰』 志賀直哉の『范の犯罪』 

口 演 : 脚本化で読む志賀直哉『范の犯罪』

   「ナイフ投げ美人妻殺害疑惑事件」公判

 : 脚本化で読むドストエフスキー『罪と罰』

「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」公判第1回 ~ 第5回
   
朗 読 : 名作短編(サローヤン・ヘミングウェイ他)児童文学作品など

熊谷元一研究 写真展・童画展見学など
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ゼミ雑誌『暗夜光路』原稿校正完了11/19現在

 11・19ゼミでは、入稿原稿の最終チェック。宇治、佐久間、伊東。大森、佐藤、安室
 ゼミ終了後、大学編集局に提出。

梅田惟花創作『ホームで会いましょう』本人校正済み
佐藤央康 創作『八月十三日』『八月十四日』『八月十五日』
お盆の三日間を『十三日』「迎え火」「葬式」「進路」「帰り道」「思い出」
        『十四日』「待ち合わせ」「将来」「彼女」
        『十五日』(十六日?)「映画」「送り火」
佐久間琴莉 創作『幼い報復の先』
伊東舞七 詩編『ナツのオモイデ』
大森ダリア『ヤマトナデシコ』
安室翔偉 創作『自殺コンサルタント』
松野優作 マンガ
宇治京香 創作『アンビバレンス』

ゼミ雑誌編集 11/22 ~ 刊行まで  

③確定見積もり書提出 → 11/22(金)迄に
④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出

12月6日(金)締切です!!

ニュースその後  危険タックル3人不起訴 日大アメフト部2019.11.16 読売
あの騒動は、どうなったか 前監督「改めておわび」

男子選手、前監督、前コーチ 3人不起訴

 日大アメリカンフットボール部の危険タックル事件は、11月15日、東京地検立川支部は、
障害容疑で書類送検された男子選手(21)と内田前監督(64)、井上前コーチ(30)の3人をいずれも不起訴とした。不起訴とした理由は、状況証拠ばかりで、物的証拠がないとのこと。事件発覚当初の報道からは、納得しがたい判決となった。

17日大阪で不明女児 24日栃木で保護

誘拐容疑の男(35) スマホ奪い軟禁か。女児。逃げ出し交番へ。容疑者の家には6月から不明の15歳の中学生もいた。任意の家宅捜索があったが、自ら姿消していた。

令和になって半年と1カ月、女児の行方不明が相次ぐ。9月、山梨のキャンプ場で行方不明になった小学校女児。こんどの事件で拉致、誘拐の線も。甲府市内の空き家捜査必要か。

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人間の謎   14歳、「誰でもよかった」容疑で逮捕 (読売2019.11.14)

2019年11月14日(木曜日)新聞の見出し(上記)をみてあの事件を思いだした。この事件について本通信編集室は、1999年5月ドストエーフスキイの会シンポジュウムで、2004年6月都内の市民講座で「現代の問題とドストエフスキー」と題して報告した。
「人を殺してみたい」そんな欲望を持った魔物の存在に日本中が戦慄した。魔物は更生不明のまま世に出た。20年過ぎた今、またしても新たに出現した。
事件の詳細は、まだ報じられていないが、犯罪防止に役だってくれることを祈って、ドストエフスキーとの関連で報告した考察を紹介したい。

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【新聞記事】読売新聞 2019.11.12 「人を殺してみたかった」
発表では、中学生は12日午後4時40分頃、―の路上で下校していた女児の首の前部を刃物で切りつけ、殺害しょうとした疑い。「カッタ―ナイフを使った。殺すつもりだった。誰でもよかった」逮捕された男子中学生は運動部所属で、入学以来、目立ったトラブルは確認されていないという。
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一九九九年五月「ドストエーフスキイと現代」ドストエーフスキイ・シンポジュウム
二〇〇四年六月 世田谷市市民講座で報告 

「透 明 な 存 在 」 の 正 体 2

二 、 現 代 の 問 題 と 「 透 明 な 存 在 」 

 神戸の少年Aが逮捕されたとき、テレビの画面で異様な光景を見た。大勢の少年たちが警察署前に集まって、まるで英雄をたたえるかのように歓声をあげていた。彼らを駆り立てているもの。それも「透明な存在」がなせる業かも知れない。
 「透明な存在」が介在しているのではないかと思えるもの――現代は、そのような事件・出来事が激増している。例えば毒入りカレー事件、文京区の幼女殺人事件、京都の小学生殺人事件などの凶悪事件から援助交際という売春、幼児虐待、万引き、痴漢に至るまで枚挙にいとまがない。また犯罪ではないがアルコール中毒、ギャンブル狂、過食・拒食などの摂食障害、不登校、家庭内暴力などなど、いわゆる依存と呼ばれる症状にも「透明な存在」を強く感じる。まさに現代の問題のかげに「透明な存在」ありといえる。
「透明な存在」は、どんな人間の心の中にも潜んでいるものだが、それは普段は小さな無力な存在として潜んでいるに過ぎない。だが、ひとたび適した環境を得て成長すれば、その存在は絶大な力を発揮し、どんな行為でも、その人間にやらせてみせる。まさに少年Aが書いた「あたかも熟練された人形師が,音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る」のである。戦地に行った善良な市民が、平気で赤子を串刺しにしたり、強姦もすれば人肉も食らうという話を聞けば頷ける。
「透明な存在」は人間を「どんなこともする、どんなことにも慣れさせる動物」に変えてしまう恐ろしい「存在」である。この「存在」が現代社会に蔓延っている。
 ここで「透明な存在」が操る事件・出来事とは何かを理解するために、いわゆる普通の(「透明な存在」が関係しない)事件・出来事との違いを比べてみた。
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まず普通の事件は、偶発的であったり、計画的、欲がらみ憎しみがらみであったりする。これに対し、「透明な存在」が引き起こすものは、唐突で、意味も理由もなく、場合によっては動機もない。そして、自虐的・攻撃的・破壊的である。
 最大の特徴は、普通の事件は、途中で止めることができるのに対し、「透明な存在」が犯す事件や行為は、自らの意志では容易に止めることができない断念できないところにある。              
 それだけに犯行は、破滅するか、何かの理由で「存在」が抜け出さない限り何度でも繰り返される。また犯罪行為そのものも、大きな違いがある。存在の犯罪は、目的に執着するあまり、犯行は直截的で雑(証拠隠しがない)である。それゆえ、一見完全犯罪風であっても解決してみると、意外と単純で稚拙な犯罪だったりもする。
たとえばラスコーリニコフの犯罪が、そのよい例といえる。あの「金貸し老婆強盗殺人事件」。歩数まで計算したこの犯罪は、一見完璧である。が、その実、完全犯罪とは言いがたいところがある。「犯罪の実行行為は常に病気にともなわれる」と主張した『月間論壇』掲載の論文の存在。入質されていた指輪と時計の存在。財政状態など嫌疑の証拠や根拠が多すぎる。またラスコーリニコフの犯罪が非凡人思想という「存在」に操られたものではないかという疑いは、彼の行動にも多くみられる。彼は犯行を犯す前に既に真っ黒の本ボシなのである。断念できる機会は何度もあったのに実行し、考えに考えた犯行だったのに、あっさりと自首した。そして罪に服しても悔悛しない。彼こそ典型的な「透明な存在」操られ人間といえる。神戸の少年A、連続幼女殺人事件の宮崎勤、そして京都の小学生殺人事件の若者。彼らにも、どこか似たもの同族のものを感じる。
人類救済のための殺人衝動。おそらく社会復帰をしてもラスコーリニコフの人生は畢竟、その衝動(存在)にコントロールされるかも知れない。それは人類救済のために核実験を繰り返す人間と重なるものがある。
 やめることができない行為は、現代にあふれている。たとえば、「幸せそうにみえたから」といった理由で、たいした知り合いでもない男性に三年間、イヤガラセ電話をかけつづけた主婦が逮捕された。一日二百回以上というから尋常ではない。周囲の証言によると主婦は明朗活発な性格で、幸せそうにみえたという。もし証言通りだとしたら、彼女をそんな陰湿な行為に走らせたものは、やはり「透明な存在」ではなかったか。
 「透明な存在」は、必ずしも他者を攻撃(犯罪)するためにコントロールするだけではない。アルコール、ギャンブル、買物など人間が持つあらゆる欲にとりつき、その人の肉体や財産を危うくさせる。拒食症・過食症に陥った少女たちは苦しく悲しい青春を送ることになる。こうした依存行為の原因は、精神医学的見地では心の傷トラウマにあると云われている。が、はたして本当にそうだろうか。この世に生まれた以上、誰にも一つや二つ心の傷があるはず。トラウマは決して特別なものではない。だとすれば、なぜ依存行為は生じるのか。私は、こう想像する。傷口にバイ菌が感染するように、「透明な存在」は心の傷に感染する「透明な細菌」ではないかと。
「透明な存在」は、個人だけではなく、傷ついた国家や民族、迷える人々が集まる共同体にもとりついたりする。その事実を歴史や現在の事件で知る事ができる。崇高な理念の下、独裁者を崇拝したり、国民を粛清したりした。共存を訴えながらも浄化作戦を繰り返した。そして、救済や解脱、癒しを唱えながらも監禁や洗脳、搾取を繰り返すオウムをはじめとする怪しげな宗教集団がおしえている。「透明な存在」は、物質欲だけではなく、主義や理念にもとりつき国家や民族をも操ろうとするのだ。
 二十世紀は、人間が自由と幸福を目指しながら模索した時代だった。同時に最も「透明な存在」がその勢いを増した時代ではなかったか。なぜ、増殖したか。科学文明の進歩と理想国家の建設と失敗。人類の夢が具現化し挫折した時代。繁殖するのに最も適した土壌、神と悪魔がもっとも活躍した時代だったといえよう。
十六世紀・百六十万人、十七世紀・六百万人、十八世紀・七百万人、十九世紀・千九百四十万人、そして二十世紀・一億七百八十万人。
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これは米年報『ワールド・ミリタリー・アンド・ソーシャル』による、犯罪の極みである戦争によって亡くなった世界の推定戦車数である。二十世紀という現代。地球にとっても人間にとっても、きわめて危険で病んだ時代だったといえる。新世紀目前の現在、その危険や病根は未だ回避されていないし癒されてもいない。
十九世紀末ドストエフスキーは『冬に書く夏の印象』や『悪霊』などの作品で文明の危うさや水晶宮の恐さを警鐘した。それはとりもなおさず、「透明な存在」大量発生への警告ではなかったか。「透明な存在」がラスコーリニコフの夢にでてくる「せんもう虫」のように全世界にひろがることへの危惧。当時も今も「透明な存在」の恐ろしさを、正体を知っていたのはドストエフスキーだけかもしれない。
この存在が神か悪魔だとすれば、まさにドストエフスキーの文学は両者への挑戦ということになる。

三 、「 透 明 な 存 在 」 と ド ス ト エ フ ス キ ― 

 ドストエフスキーの作品には、異常とも思える人物たちが次々と登場する。と、いうより物語は殆ど異常な人たちで構成されている。ここで言う異常な人たちというのは、いわゆる「透明な存在」にコントロールされた人達のことである。
例えば『貧しき人々』のマカール・ジェーヴシキン。彼は、若い女性にせっせと手紙を書き続ける中年男だが、その純情行為は現代において、まさにストーカー的と言えなくもない。毎夜、マットレスの中に隠した金貨銀貨をこっそり数える『プロハルチン氏』、『罪と罰』では、前述した非凡人思想に憑かれた主人公ラスコーリニコフ、アル中の典型人間マルメラードフ、自己犠牲の信奉者ソーニャ。水晶宮という『悪霊』にと取り憑かれた若者たちもまたしかりである。『白痴』では、摂食障害に陥ったような過激でエキセントリックな女性がナスターシャをはじめ何人も見られる。
とにかくドストエフスキーの作品には、守銭奴、アル中、吝嗇、非凡人妄想家などあらゆる欲(存在)にとりつかれた人間が多数登場する。彼らは皆、何か強い見えぬ力に操られて行動しているかのようでもある。
 ドストエフスキーは、作品の中にこうした人たちを描くばかりではなく、現実の社会のなかにも「透明な存在」にコントロールされたかのような人々や主義を見つけることができた。たとえば社会主義という崇高な理念。そのなかに人々を粛清し奴隷化する「透明な正体」が潜んでいることを見抜いていた。当時、若者たちの心をつかんだチェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』の未来には何があるのかを的確に理解していた。
また、犯罪者のなかにも「透明な存在」に取り込まれた不幸な人を見つけ、彼らを救いだすために手を尽くした。(このためドストエフスキーは、ともすると犯罪者の味方のように誤解される)。犯罪者の救済――『作家の日記』にみる「単純な、しかも厄介な事件」は、その一つの好例である。それは次のような事件である。 
 五月のある朝、いつものように新聞を読んでいたドストエフスキーは、ある記事に興味を抱いた。それは継母が六歳の継娘を殺そうとして未遂に終わった事件である。この事件は夫に不満を持つ妻が、夫の連れ子である継娘を殺そうと計画。朝、夫を見送ったすぐあと実行した憎むべき事件である。彼女は夫の背中が見えなくなると、急いで四階の窓に継娘を呼び、小さな足首をつかんで窓外に放り投げた。彼女は、その足で警察に自首した。十何メートルの高さだったが奇跡的に少女は助かった。しかし、幼い可愛い盛りの子供を殺そうとした罪は、とうてい許されるものではない。が、ドストエフスキーは何か腑に落ちないものを感じた。このことで「しかるに、実際においては、この人非人の継母の振る舞いはあまりに奇怪千万なので」と書いている。存在のにおいをかぎとったのである。
 そして、一八七六年十月十五日にこう書いている。

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 「裁判所で例の継母事件の判決があった/半年前の五月に/幼い継娘を、四階の窓からほうり出したところ、子供は何かの奇跡で怪我一つせず、息災でいたという、あの事件なのである。」判決は、殺人未遂事件の容疑者・継母エカチェリーナ・コルニーロヴァ(20)を二年八ヵ月の懲役に処し、その満期後、終身シベリア流刑という重い、そして単純明瞭なものであった。
この判決にドストエフスキーは不満を感じた。彼女が妊婦だったことから、事件の中に彼女の意志ではない何かの介在を感じ取ったのだ。ドストエーフスキイは、犯罪を行なったのは「並はずれた激情(アフェクト)」と考えた。つまり事件の真犯人は「並はずれた激情」で彼女自身には罪がないというものだった。この論旨でドストエフスキーは裁判史上例のない弁護を熱く展開した。
 その結果、動かしがたいと思えたこの判決は覆って無罪となった。このとき、ドストエフスキーが感じたアフェクトというもの、それはもしかして少年Aが自らの心の中に認識した「透明な存在」のようなものではなかったか。私はそのように思うのである。
☆激情(アフェクト)= 少年Aの「透明な存在」=現代の問題を引き起こすもの
それでは、なぜドストエフスキーは、このように「透明な存在」に操られる登場人物を作品に描いたり、実社会のなかに発見することができたのか。
それは、もしかしたらドストエフスキー自身も「透明な存在」に支配され操られていた。そうした事実があったからではないか、と想像する。ドストエフスキーの心の中に棲み、ドストエフスキーを操っていた「透明な存在」とはいったいどんな存在であったのか。
ドストエフスキーといえば死刑宣告、シベリア流刑、そして癲癇の病をもつ文豪ということでよく知られている。が、一時期、もう一つの顔をもっていたことは、一般にはあまり知られていない。ドストエフスキーのもう一つの顔。それはギヤンブルにのめりこんだ賭博者の顔である。ドストエフスキーはルーレットをどうしても止めることができなかった。そのために家族を苦しめ、常に自己嫌悪に陥っていた。
(「家庭から、妻子から金をもぎとってしまったという自責の念でその一週間に夫が味わわねばならなかった苦しみ」)ドストエフスキーがギャンブル狂いするのに、妻のアンナには、理解できなかった。死刑に直面し、酷寒のシベリア流刑を強い意志で耐えることができた彼が、どうしてルーレットごときの誘惑に負けてしまうのか。(「はじめのうち、あれほどさまざまな苦しみ「要塞での監禁、処刑台、流刑、愛する兄や妻の死など」を男らしくのりこえてきたフョードル・ミハイロヴィチほどの人が自制心もって、負けてもある程度でやめ、最後の一ターレルまで賭けたりしない意志の力をどうして持ちあわせないのか不思議でならなかった。」と語っていた。
 ギャンブル熱、それは家族への愛も他者へのいたわりも、作家の意志さえも無視する存在。強烈で堅固な、ただひたすら目的だけを果たそうとする非情な存在。二×二=四の存在宇宙に生きる者にとっては、到底、理解しがたい存在なのだ。夫人が理解できないのも無理からぬことである。だがしかし、彼女はその後、夫に取りついた不可解な存在(ギャンブル熱)について、このように解釈し納得した。「これは単なる〃意志の弱さ〃などではなく、人間を全的にとらえる情熱、どれほどつよい性格の人間でもあらがうことができない何か自然発生的なものだということがわかってきた」
 ギャンブルという依存症。それは「透明な存在」を限りなく連想する。ドストエフスキーにギャンブルをさせていたのはドストエフスキー自身ではない、ほかの誰か。つまりも「透明」という名の「存在」ではなかったか、と思うのである。
 それではドストエフスキーはどうしてギヤンブル狂になってしまったのか。この疑問は、なぜドストエフスキーは「透明な存在」に取り憑かれてしまったか、あるいは成長されてしまったのか。
いわゆる専門家の見方として、たいていの依存症(嗜癖)は心の傷(トラウマ)と密接な関係がある、といわれている。つまり心の傷には、「透明な存在」が成育するのに適した環
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.387―――――――― 8 ――――――――――――――

境がある、ということである。心の傷と「透明な存在」の関係について知るには、その人の人生を振り返ってみる必要がある。すると虐待する親には、虐待する親が、自虐の子には、自虐の親が、といったようにそこには必ずや不幸の連鎖がある。
ではドストエフスキーには、どんな連鎖があったのか。彼の人生を振り返ってみると、(私の想像するところではあるが)、いわゆる「透明な存在」が好んで棲みついたトラウマがいくつもある。多感な少年期に愛する母を亡くしたときの傷、また、密かに忌み嫌っていた父親が異常な殺され方をしたときの傷。(間接的に父殺ししたと思い)
 もっとも、たいていの人は、その少年期において何らかのトラウマをもっている。だれもが癌細胞を有するように「透明な存在」をも棲ませているのである。そして、たいていの癌細胞がそうであるように殆ど何の活動もしないで終わる場合が多い。「透明な存在」が活動するのは切っ掛けがある。ドストエフスキーの場合どんなきっかけがあったのか。アンナの日記によるとドストエフスキーがギャンブルをはじめたのは、兄ミハイルの急死(一八六四年)以降のようだ。
 人の死と「透明な存在」の活動開始の関係。ここで思い出すのが現代の問題といわれる犯罪の容疑者と人の死の因果関係である。連続幼女殺人事件の犯人・宮崎勤は「祖父の死」をきっかけに犯行を重ねたといわれる。神戸の事件も、少年Aの「祖母の死」が引き金となったようにいわれている。京都の小学生殺人事件の容疑者が変わったのも「父の死」以降といわれる。犯罪とギャンブルでは行為そのものは違うが、どちらも親しい人間の死によって潜んでいた「透明な存在」が成長し、恐ろしい怪物と化したことになる。
このように仮定すれば、ドストエフスキーにとりついた「透明な存在」は、兄ミハイルの死を契機に活動を開始したことになる。ギャンブルというかたちで。
ゆえに些か短絡的ではあるが、ドストエフスキーと現代の問題は次のような共通項で繋がってくるのでは、と思うのである。
ドストエフスキー=ギャンブル=止めようとしても止まらぬもの、やめることのできないもの=少年Aの「とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない」(懲役13年)もの「魔物」=「透明な存在」による不可解な事件=現代の問題。
 「透明な存在」の支配から、脱出するのは難しい。また、それ以上に心の中に「透明な存在」を見つけだすのも難しい。神戸の少年Aは、例の作文のなかでこう書いている。
「通常、現実の魔物は、本当に普通な“彼”の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際、そのように振舞う」。独裁者に歓喜する国民、傍からみれば詐欺まがいの宗教をひたすら帰依している信者たち。彼らをみると頷ける。
日本にアダルトチルドレンの言葉を紹介した精神科医は、はっきりとこう断言している。拒食症・過食症、ギャンブルなど依存行為(「透明な存在」)にとらわれた人たちの治療は難しい。医師やカウンセラーだけの力では治らない、と。
神戸の少年Aは、カウンセリング中にあの事件を計画し、実行したのである。 次回へ

熊谷元一研究    法政大学国際文化学部
伊那谷の映像を観る会の第5回目
●日時:11月23日(土)15:00~18:00 35人参加
●会場:法政大学 市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー3階 BT0300教室
●テーマ:熊谷元一―教師・写真家・童画家の三足の草鞋を履いて
「ある山村の昭和史」「教え子たちの歳月」「知るしん、追悼写真家熊谷元一」
NHKDVDを観る。 

具体的には、以下のような作品の上映を予定しています。
熊谷元一の絵を使った伊那谷のふるさと歳時記/阿智村の変貌する昭和史を熊谷元一の写真で構成した番組/熊谷元一自らが教え子たちのその後を追った番組/三足の草鞋を履いた熊谷元一が残したものを考える番組、など。
2019年9月5日 (木)熊谷元一写真童画館にてゼミⅡゼミⅢ

090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net

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