文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.388

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)12月3日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.388

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/14 1/21 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

12・3下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉  梅田惟花  佐久間琴莉 (松野優作) 伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (7名参加の日撮影)

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11・26ゼミ報告 2校編集作業終了

11月26日(火)は、2校の最終チェック。この日の参加は、宇治、佐久間、安室。
人間の謎     「出所したらまた殺す」新幹線殺傷事件初公判で
 11月28日(木)横浜地裁小田原支部で新幹線車内殺傷事件の初公判が開かれた。この事件は、昨年6月走行中の東海道新幹線の車内で乗客3人が殺傷された事件。殺人罪などに問われたのは、住所不定、無職、小島一郎被告(23)
 起訴状、被告は、2018年6月9日午後9時45分頃、新横浜―小田原駅下りの車内で、当時26歳と27歳の女性をナタで襲って殺害しょうとした。そのとき、止めに入った会社員(当時38歳)をナタとナイフで切りつけ殺害した。検察は、動機について「祖母から縁を切られたと誤解し、刑務所に入るために犯した」と主張した。被告は、出所したらまた事件を起こすと答えた。「猜疑牲パーソナリティ障害」と診断。責任能力はある。 編集室
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ゼミ観察  2019年後期前半、同行者

9月24日からの点呼状況です。()は提出課題

・宇治京香 9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12  11/19 11/26
前期13/14

・伊東舞七 9/24 10/1 ― 10/15 -  ―    11/12  11/19 -
前期10/14      (2)

・梅田惟花 ゼミ誌原稿入り  ―  ―   ―   ―   11/12  -  -
前期7/14
・佐久間琴莉9/24 10/1 ―  10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26
前期13/14

・大森ダリア9/24 ―  ―  10/15 ―   10/29  11/12 11/19 -
前期8/14   (1)

・安室翔偉  9/24 10/1 ― 10/15 ―    10/29 11/12  11/19 11/26
前期11/14

・佐藤央康  9/24 10/1 ― 10/15 10/22 10/29  ―   11/19  -
前期10/14   (2)

・松野優作 9/24  ―  ― 10/15 10/22 会った   ―   -  -  - 
 前期2/14  (1)

総計人数  7  5  1  7  4   5   7   6    3

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今後のゼミ予定 学び舎が所沢から江古田校舎になった2019年。2年次は駆け足で過ぎました。今年もあと、1か月足らずとなりました。
早くも3年次のゼミ探しをはじめた人もいるようです。下原ゼミは、以下の内容でゼミ
授業を進めていきます。(2年次後半、3年次~)各自の持ち味をだせるような愉しく有意義なゼミをめざします。同行希望者はどうぞ。

脚本化の口演と朗読など 

ドストエフスキー『罪と罰』 志賀直哉『范の犯罪』 山川惣治絵・文「少年王者」

口 演 : 脚本化で読む志賀直哉『范の犯罪』

   「ナイフ投げ美人妻殺害疑惑事件」公判

 : 脚本化で読むドストエフスキー『罪と罰』

「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」公判第1回 ~ 第5回
   
朗 読 : 名作短編(サローヤン・ヘミングウェイ他)児童文学作品など

熊谷元一研究 写真展・童画展見学など
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ゼミ雑誌『暗夜光路』2校完了11/26現在

 11・26ゼミでは、2校ゲラの最終チェック。宇治、佐久間、安室。
 ゼミ終了後、大学編集局に提出。

ゼミ雑誌編集 12/6 締切  

④ a.請求書提出
  b.納品書提出
  
c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出

ドストエフスキー生誕200周年を記念して

 来年2020年は前夜祭になります。この節目を祝ってドストエフスキーの作品『罪と罰』を読んでゆきます。

『罪と罰』脚本化について
2019.11.21

ゼミでは、脚本化して口演します。これによって読了できなかった人でも物語の大筋がみえてくると思います。もっとも脚本化の読みだけでは、この物語を理解したとはいえません。時間あるとき黙読してください。なお、はじめは音読で、そのあと口演で稽古します。

■1821年10月30日、ドストエフスキーモスクワで生れる。
■1831年 10歳 トゥーラ県の小村で過す。この時代が一生の思い出となる。
■1837年2月27日 16歳 母マリヤ死ぬ
■1839年6月 18歳 父ミハイル 村人に殺される。
■1843年8月12日 22歳工兵学校卒業、工兵局製図室に配属
■1844年10月13日 23歳 一身上の都合により退役。小説家を目指す。
■1845年5月6日 24歳 『貧しき人々』で衝撃デビュー 作家となる。
■1848年27歳 ペトラシェフスキーの金曜会に参加。フーリェ主義
■1849年4月23日28歳 午前4時過ぎ逮捕。
     12月22日処刑場にて刑の停止 25日シベリアへ、監獄暮らし
■1854年2月33歳 懲役刑終了 3月セミパラチンスク国境警備隊に配属
■1857年36歳 マリアと結婚
■1859年38歳 ペテルブルグに帰還
■1864年43歳 『地下室の手記』『罪と罰』に繋がる作品
■1866年1月 45歳 『罪と罰』連載開始。1年間

訳者・江川卓の読み方
「私自身、推理小説にはじまって、思想的、哲学的、社会的、心理的、宗教的、等など、
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実にさまざまなレベルの読みを体験してきた」(「『謎とき『罪と罰』』」)

ドストエフスキーの小説作法  新聞記事から

『罪と罰』の場合、モデルは1865年1月モスクワで起きた強盗殺人事件。犯行は夜の7時頃、2人の老婆が殺害された。凶器は斧。後頭部を打撃。金と金銀製品を奪う。犯人ゲラーシム・チストーフ(27)
※当時(1853~)、盗難や詐欺事件の被害総額14万ルーブル、毎年の逮捕者4万人

モデル事件と小説設定の違い

小説のテーマが思想的要素もあるので

1.犯人像の変更 モデルは27歳の店員だが、小説の主人公ラスコーリニコフ
 は、23歳の元大学生。思想的背景をだすため。
2.モデルの被害者は料理人と洗濯女。小説では金貸しとその義妹。
3.モデル事件では狂気の斧が証拠品として提出。小説では予審判事ポリフィ ーリイとの心理的駆け引き。論文が「ほんのちょっとした証拠」に
4.モデル被害者2人目は、友人。小説では義理の妹。
5.季節の変更モデルの犯行は冬、小説では炎暑。

新聞記事 + 以下の著作のテーマをあわせて書き上げた作品。
人類二分法はナポレオン三世(1808-1873)「ジュリアス・シーザー伝」序文

「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い未来を照らしだす。・・・本書の目的は以下の事を証明することだ。神がシーザーやカルル大帝のごとき人物を遣わす。それは諸国民にその従うべき道を指し示し、天才をもって新しい時代の到来を告げ、わずか数年のうちに数世紀にあたる事業を完遂させるためである。彼らを理解し、従う国民は幸せである。かれらを認めず、敵対する国民は不幸である。そうした国民はユダヤ人同様、みずからのメシアを十字架にかけようとする。」

【当時の作品の評判】
※作者ドストエフスキーは1865年9月上旬に『ロシア報知』誌の編集長カタコフにこんな手紙をだしている。

あなたの雑誌に私の小説を掲載していただけないでしょうか。・・・これはある犯罪の心理学的報告書です。事件は現代のもので、今年のことです。大学を除籍された町人身分の青年が極貧の暮らしをしているのですが、浮薄で、考えが揺れ動いているために、今、流行りのある奇妙な「未完成の思想に取り憑かれてしまって、自分の忌わしい境崖から一気に脱することを決意します。

・1866年1月『ロシア報知』誌に連載開始
1月、2月、4月、6月7月、8月、11月、12月号で完結 
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『罪と罰』は大好評だった。『祖国雑報』1867年第一号にはこんな批評も。

最近の文学の最大の事件は、疑いもなく、ドストエフスキーの長編小説『罪と罰』の出現である。この小説は、あらゆる人によってむさぼり読まれた。刑事事件を扱った話としての外的な面白さもさることながら、作者は内的な問題を非常な高さにまで高めた。そのために、外的な関心事はさまたげとはならず、背後に退くぞいている。この小説の語っているのは、現代の我が国の知的精神的体制のぐらつきであるが、それがさまざまな場面で衝撃的な力を持って描きだされている。

【日本では、内田魯庵がはじめて訳す】
この作品が日本にはじめて入ったのは、明治25年(1892)といわれています。小説家の内田魯庵が訳しました。英語版でした。推理小説。そんな感覚だったようです。
魯庵は、2編迄しか訳しませんでしたが、その内容には衝撃を受けたようです。
こんな感想を残しています。
「『罪と罰』を読んだ時、あたかも曠野(こうや)に落雷に会うて眼眩(くら)めき耳聾(し)いたる如き、今までにかつて覚えない甚深の感動を与えられた。」(内田魯庵「二葉亭余談」)
マンガ家・手塚治虫と『罪と罰』
マンガ家の手塚治虫は、この作品をマンガ化するにあたってこんなことを述べています。手塚治虫〈インサイダーな学生時代とロシア文学〉から
 私が学生時代むさぼるように読んだのは、なんといってもトルストイや、ドストエフスキイなど、土の匂いがぷんぷんと臭うようなロシア文学であった。ことに学生演劇に凝っていた当時、ゴーゴリの短編や、『どん底』などを舞台で演じたこともあって、ロシア人の体臭は懐かしく、抵抗なく読み続けることができた。私のストーリイ・テリングの教科書として『戦争と平和』や『罪と罰』などは有難い存在である。ことに『罪と罰』からは、作劇法だけではなく数え切れないほどいろいろなものを学んだ。手垢のつくほど読んだのは中村白葉氏訳の世界文学全集である。
 ラスコリニコフの思想については、当時からかなり否定的でその意味では私はいたってインサイダー的な学生だったのだが、彼をめぐるさまざまな人物像にかえってそれなりに共感を覚え、好意をもったものだ。たとえばルージンのような、俗物根性のかたまりにさえ。面白がって共鳴した。スヴィドリガイロフに至っては、感激して人物論を書こうと思ったくらいである。なにひとつ犯罪の証拠をにぎらないまま、心理的にぐいぐいと主人公を追いつめていくポルヒィーリイ判事とのやりとりが圧巻で、これが雑誌に掲載された時、読者はどんなに興奮して次を待ちあぐねただろうかが想像できた。その本格ミステリーの道具だてのうまさは、現代の推理作家など足もとにも及ばない。
 私がこの作品に興味を覚えた動機は。敗戦直後、小説の舞台そのままが、当時の社会情勢で、不条理の殺人、貧困と無気力、売笑婦、学生犯罪などのなまなましいニュースが、奇妙なほど酷似していたからであるが、それから20年たって、さらに今日性をもって迫って来るこの物語につくづく作者の偉大さを認識するものである。
 余談だが、学生演劇熱が昂じて、その合同公演で行ったときも参加してしまったが、そのときとり上げられたのがこの『罪と罰』だった。三幕二十四場ほどの大作で、私は、主人公が罪を犯すアパートのペンキ職人の役を貰った。さらに数年たって、私が現在の仕事にはいってから、子供のためにこの名作を紹介しょうと、ダイジェスト・マンガ化して出版したことがある。マンガブームになって、昔書いたものを、某紙が最近採録してくれた。こうして『罪と罰』は私ときってもきれない縁になってしまった訳である。 1953年11月
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人間の謎   14歳、「誰でもよかった」容疑で逮捕 (読売2019.11.14)

2019年11月14日(木曜日)新聞の見出し(上記)をみてあの事件を思いだした。この事件について本通信編集室は、1999年5月ドストエーフスキイの会シンポジュウムで、2004年6月都内の市民講座で「現代の問題とドストエフスキー」と題して報告した。
「人を殺してみたい」そんな欲望を持った魔物の存在に日本中が戦慄した。魔物は更生不明のまま世に出た。20年過ぎた今、またしても新たに出現した。
事件の詳細は、まだ報じられていないが、犯罪防止に役だってくれることを祈って、ドストエフスキーとの関連で報告した考察を紹介したい。

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【新聞記事】読売新聞 2019.11.12 「人を殺してみたかった」
発表では、中学生は12日午後4時40分頃、―の路上で下校していた女児の首の前部を刃物で切りつけ、殺害しょうとした疑い。「カッタ―ナイフを使った。殺すつもりだった。誰でもよかった」逮捕された男子中学生は運動部所属で、入学以来、目立ったトラブルは確認されていないという。
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一九九九年五月「ドストエーフスキイと現代」ドストエーフスキイ・シンポジュウム
二〇〇四年六月 世田谷市市民講座で報告 

「透 明 な 存 在 」 の 正 体 3

四 癒 し と 再 生 

 アルコール、ギャンブル、摂食障害など、いわゆる依存行為に取り憑かれた人々が、正常な暮らしを取り戻すことは極めて難しいといわれている。神戸の事件をはじめ父親殺し、子供殺し、児童虐待、少女売春、不登校など噴出する現代の問題に、はたして解決への道はあるのか。それはとりもなおさず「透明な存在」に打ち勝つ方法はあるかということでもある。コントロールという呪縛を解くもの。それは、はたして何か。
 先ごろ新聞で知ったことだが、非営利組織(NPO)「ニュースタート事務局」という団体がある。「学校に行かなくなる、あるいは定職に就こうとしない若者の再起を手助けする」組織らしい。たとえば彼らが「引きこもり」の若者を助けるためにとった作戦は「兵糧攻め」だった。送金を止め、落城を待つのである。逆境に弱い現代の若者、すぐに出てくると予想した。が、若者は手ごわく、「三万円で、半年もしのぐ猛者」もいたという。なぜ、そんなに持ちこたえることができたのか。現代の若者の心の深層に「富への懐疑」があるのでは、彼らはそう分析した。なぜ、若者は手ごわかったのか。私は、若者が我慢強かったからでも時代への反発意識があったからではなく、たんに「透明な存在」が強かったからではないかと思っている。
 たいていの場合、このように物質的に、あるいは精神的な力を頼んでの治療(「透明な存在」を取り除こうとすること)が試みられている。アメリカでは、自分たちで航海させたり幌馬車で砂漠を旅させたりする方法があるという。日本では、死亡事件を起こしたヨットスクールが有名である。つまり、肉体を極限状態にすることて゛「透明な存在」を追い払おうとする。仮に功を奏すことがあっても、かなり危険な方法といえる。
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 「透明な存在」との闘いについて、少年Aは、作文でこんなことを述べている。
「魔物と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。」と。
 ドストエーフスキイは、ギャンブルという魔物との闘いに勝った。なぜ作家は、彼の心を支配しつづけた「透明な存在」を、きれいさっぱり追い払うことができたのか。その解明こそ、現代の問題に苦しむ人々を救う事になるのでは・・・と信じる。
勝利の日、その日は突然にやってきた。その記念すべき日のことを作家は一八七一年四月二十八日のアンナへの手紙にこう書いている。
「信じてほしい!じつは私の身に重大なことが起きたのだ。過去十年間にわたってわたしを苦しみつづけてきた、あのいまいましい賭博熱が、いまここにいたって消え果てたのだ。」だがアンナは、すぐには信じなかった。「もちろんわたしは、夫のルーレット遊びの熱がさめるというような大きな幸福を、すぐに信じるわけにはいかなかった。どれほど彼は、もうけっして遊ばないと約束したことだろう。それでもその言葉が守れたためしはなかったのだ。(『回想のドストエフスキー』)」と冷ややかだった。
 しかし、この約束は真実だった。アンナはこう証言している。
「その後夫は、何度も外国に出かけたが、もはやけっして賭博の町に足を踏みいれようとはしなかった。」
 ドストエーフスキイは、なぜアリ地獄から脱出することができたのか。なぜ「透明な存在」という悪魔に打ち勝つことができたのか。彼は、このことについて何も語っていない。ドストエーフスキイは、どうして自身の重大事について、触れようとしないのか。大いなる謎である。もしかしてドストエーフスキイ自身にも、よくわからないのかも知れない。
 しかしこの謎は、『アンナの日記』(木下豊房訳)や『回想のドストエフスキー』(松下裕訳)を読むと、いくぶん解けるような気がする。ドストエーフスキイから「透明な存在」が去ったわけ。それはアンナ夫人の、無限の愛と辛抱強い温かな見守りがあったからではないだろうか。短絡的な結論ではあるが、私にはそう思えてしかたがない。
案外、「透明な存在」の弱点はそんな単純なところにあったのではないか。「透明な存在」という悪しきマント。その呪われたマントを脱がすには、強い突風でも灼熱の太陽でもない。春の陽だまりのようなやさしい暖かな日差し。そして、いかなる嵐にも揺るがぬ大地。アンナ夫人には、そんな陽光のような愛と、強い意志があったのだ。と。
 「透明な存在」とは恐ろしい怪物。存在宇宙の破壊者である。この存在の前には、いかなる医学も、いかなる知識も経験も無力である。唯一、打ち勝つことのできるもの、それはアンナのような愛に満ちた観察眼であり、ドストエーフスキイが抱いた自己嫌悪の念である。この両者の強い意志があったればこそ、「透明な存在」に打ち勝つことができた。私は、そのように解釈し、謎解きたい。見守ること・・・それが大切だ。
たら、ねばは禁句ではあるが、神戸の少年Aの両親が書いた「知らなかった」「気がつかなかった」とわびる『この子を生んで』の告白本を読むといっそうそんな気持ちになる。
まとめになるが、少年Aに取りついた「透明な存在」の正体。それはドストエーフスキイにとりついた賭博熱と同族のもの、強烈な依存行為ではなかったか。
                                 (完)
ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

日時:22020年1月11日(土)午後2時~4時45分
会場:東京芸術劇場小会議室7 作品『カラマーゾフの兄弟』

ドストエーフスキイの会・第255例会

2020年1月25日(土)午後1時~ 早稲田大学戸山キャンパス31号館208教室
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熊谷元一研究    法政大学国際文化学部
伊那谷の映像を観る会の第5回目報告
●日時:11月23日(土)15:00~18:30 35人参加
●会場:法政大学 市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー3階 BT0300教室
●テーマ:熊谷元一―教師・写真家・童画家の三足の草鞋。教え子の一人とし  て下原は、熊谷の教育についてコメント
「ある山村の昭和史」「教え子たちの歳月」「知るしん、追悼写真家熊谷元一」
熊谷元一写真保存会 第23回総会報告
 熊谷元一写真保存会の第23回総会は、以下の要領で開催されました。
日時:2019年11月16日(土)午後1時~
会場:昼神温泉郷・熊谷元一写真童画館2階ホール 0265-43-4422 

2019年9月5日 (木)熊谷元一写真童画館にてゼミⅡゼミⅢ

090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net

NHK文化センター 柏市民講座「ドストエフスキー『罪と罰』を読む」6回

2019年12月19日(木)AM10:30~12:00 最終審理第5回 講師 下原

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