文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.390

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)12月17日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.390

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/14 1/21 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

12・17下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉  梅田惟花  佐久間琴莉 (松野優作) 伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (7名参加の日撮影)

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12・10ゼミ報告 ゼミ誌『暗夜光路』刊行到着待ち

12月10日(火)は、刊行されたゼミ誌『暗夜光路』の配達を待つ。が、時間内に到着せず。来週に期待。5時限目、ゼミⅢのゼミ誌は到着。この日の参加は、宇治、大森、佐藤。
土壌館日誌    手賀沼、散策 嘉納邸と白樺派文士の別荘跡地見学
 千葉県にある手賀沼がきれいになり白鳥も飛来するようになった。そんなニュースを聞いていたので、最近ウオーキングをはじめた友人たちと見に行くことにした。
12月11日(水)曇り 11月初めの気温とかで割と暖か。我孫子駅に向かう途中、松戸付近で人身事故とアナウンス。我孫子駅南口10時半待ち合わせだったが、15分遅れ11時45分に出発。手賀沼は初日なので、この日は白樺派の別荘跡と白樺派文学館を見学した。ここを最初に別荘地としたのは、柔道の開祖嘉納治五郎。別荘地跡からは手賀沼が良くみえた。
その下に先日、脚本を口演した『范の犯罪』の作者志賀直哉の跡地。武者小路実篤の跡地は離れていたので行かなかった。この日の歩行は10㌔、温泉に入って帰った。  編集室
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.390―――――――― 2 ―――――――――――――

ゼミ観察  2019年後期前半、同行者

9月24日からの点呼状況です。()は提出課題

・宇治京香 9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12  11/19 11/26  12/3 
前期13/14                                          (1)

・伊東舞七 9/24 10/1 ― 10/15 -  ―    11/12  11/19 - -
前期10/14      (2)

・梅田惟花 ゼミ誌原稿入り  ―  ―   ―   ―   11/12  -  - -
前期7/14
・佐久間琴莉9/24 10/1 ―  10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3
前期13/14                                          (1)

・大森ダリア9/24 ―  ―  10/15 ―   10/29  11/12 11/19 -  -
前期8/14   (1)

・安室翔偉  9/24 10/1 ― 10/15 ―    10/29 11/12  11/19 11/26 12/3
前期11/14                                          (1)

・佐藤央康  9/24 10/1 ― 10/15 10/22 10/29  ―   11/19  - 12/3
前期10/14   (2)                                     ( )

・松野優作 9/24  ―  ― 10/15 10/22 10/29   ―   -  -  - ―
 前期2/14  (1)

総計数8  7  5  1  7  4   6   7   6    3  4

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・宇治京香   12/10  

・伊東舞七    -

・梅田惟花    -

・佐久間琴莉   -

・大森ダリア  12/10

・安室翔偉    -

・佐藤央康   12/10

・松野優作    -

   8      3

ゼミ雑誌『暗夜光路』12月16日
c.発行の冊子5部 紹介文(100字)を添えて大学編集局に提出
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原作脚本を口演   志賀直哉『范の犯罪』を裁判形式にした

 裁判員裁判がはじまって、ことしで10年になる。評価は、あまり芳しくないようだ。専門の裁判官だけで決めるのではなく、一般の人たちの見方も判決材料に加味する。そんな目的ではじまったが、実際の裁判の行方はどうか。裁判員と裁判官の罪と罰には開きがあった。

【「ナイフ投げ奇術師美人妻殺害疑惑事件裁判」を口演しての感想】

10年前との比較 10年後のゼミ生たちの判決は、どう違うのか。

裁判員裁判はじまりの頃と10年後の感想の違い

【10年後2019年の感じ方】前号掲載

 ☆進行係・被告人を演じて……安室翔偉 提出 12/3

被告は正直すぎた

 裁判官に対して被告が半生の色を見せたなら、情状酌量の余地もあっただろう。しかし、この被告はあまりに正直すぎた。精神鑑定が必要な状況とも見てとれるが、この証言のあとでは有罪が決まりそうだ。

☆裁判官・座長を演じて……佐藤央康 提出 12/10

☆検察官を演じて……宇治京香 提出 12/3

情状酌量の余地はない

 この裁判が無罪になるとしたら、被告側が過失だということを証言で突き通すことと、とても悲しんでみせることが必要であると思います。加えて妻との不仲が妻側の過ちからであり。それによって自分が傷ついたが、妻を許したにも関わらず、妻から一方的な嫌悪を向けられ、つらい思いをして過していたと言うべきである。
 座長、助手の証言は、どちらも結局、過失か故意か分からないということだったので、被告人の証人次第で状況は充分に変わり得る。今回の裁判において被告人は、自分の本心を嘘偽りなく話したことによって、「妻が死んで嬉しい」という心情が前面に出てきてしまっているので、周りからの同情は得られにくいと思う。また裁判官も、殺意があったことを認めている。被告人に対して情状酌量の余地はないだろう。ただ、夫と妻という間柄であるので(子どもを殺したなどではない)、罪は、そこまで重くなることはないと思われる。

☆助手・弁護人……佐久間琴莉 提出 12/3

「無罪」は、考え難い

 二年前、妻が夫以外の子を産んだ。その話が本当なら、妻の不貞事実を知ったおっとは、恨みを積み重ねてきたことになる。また、二人の仲を取りもった妻の従兄弟で、夫とも仲が良いとなればなおさらだ。現代社会では、浮気や不倫をしても、賠償金を払ってハイ終わりというケースが多い気がするだけに、今回の件は殺害までしてしまっているので許せないと思う。しかし、夫は、酒も賭博も女遊びもしない誠実な男だとの証言がある。日々積もって
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いくストレスの半面。それを発散する方法がなかったのではないだろうか。一人で抱え込んだ結果、殺害まで考えてしまい、故意かどうか自覚がないにしろ、殺害に至ってしまった。ストレスを発散する方法がなかったとはいえ、人を殺してしまったことは許されることではない。無罪、というのは考えがたい。有罪だろうと思う。

比較

10年前、裁判員裁判がはじまったころのゼミでの見方 (「下原ゼミ通信」)

【この事件を、故意とみるか、事故とみるか】

争点 = 神経衰弱からくる被害妄想の結果か → 精神鑑定は必要か  
       それとも完全犯罪を狙った犯行か  → 状況証拠固め
疑惑   = 不仲のなか、なぜ危険演芸をつづけたのか

検察側の意見   
弁護側の弁論   
裁判員(観客)からみて  
無罪なら(事故・過失)
有罪なら(完全犯罪)刑罰は

裁判長の判決は

代表発言者 = 川端、秋山、飯島、阪本、大野裁判員

□川端里佳 裁判員  故意

 故意であるかどうか。殺害する意志はあったかのか。それが事件と事故を分けるポイントだと思うが、ここがとてもあいまいである。しかし、夫は故意であったかもしれないと供述している。精神的混乱があったのかもしれないが、この事を聞いている時は、冷静さが感じられるため、この供述は有効であり、事件だと考える。

□秋山有香 裁判員 故意

 事件だと考える。被告が、故意だったかも知れないと証言している以上、事故にするには難しい。ナイフ投げの奇術師ということを利用し、事故を装った殺人事件である

□大野菜摘 裁判員 事故
 
 事故。被告・加害者は精神に異常をきたしているので、故意だったかもしれないと話すがそれも精神の病からきていると思われる。

□飯島優季 裁判員 事件

 事故に限りなく近い事件。

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□阪本義明 裁判員 事故

 范氏が妻に対して死んでほしいという感情を抱いていた事は確かだが、裁判官が事情聴取をした際の供述から察すると意図して殺したという点は後から付け足したものと考えられるため、再度聴取する必要があると思うが、現時点では事故とする。

□本名友子 裁判員

☆審議結果 = 裁判官 橋本祥大裁判員兼任

故意か事故か →

【故意なら・情状は】

代表発言者 =大谷、長沼、瀧澤裁判員

□川端里佳 裁判員 ない

 妻の死を悲しむ気持が全くありませんという供述から、反省をうかがえない。また、故意で投げたかどうかという重要なポイントをごまかしている。精神的な問題にもっていこうとしている様で悪質である。

□秋山有香 裁判員

□飯島優季 裁判員  ある

 ・被告のハンは、奇術の演芸中に妻の頚動脈をナイフで切断した。
 ・被告と被害者、二人の間柄はあまりよろしくなかった。また、前の晩に二人は喧嘩して
  いた。その喧嘩のときに被告は、妻を殺そうと考えた。
 ・被告自体が、今回の出来事を故意であったと証言している。

□大野菜摘 裁判員 ない

 精神異常を装った事件。被告は、故意でやったにも関わらず、故意で投げたのではないが、故意かも知れないと証言し、精神状態の悪さをかもし出している。悪質 !
 

☆審議結果 = 裁判官  橋本祥大裁判員兼任

情状酌量の余地は → なし

次号に つづく

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.390 ―――――――― 6 ―――――――――――――

ドストエフスキー生誕200周年に向けて

 連載2回
ドストエフスキーと私 

 本論は、2006年、ドストエーフスキイの会例会で下原が報告した論文です。本論は、その後、会誌『ドストエーフスキイ「広場 16号」』に掲載された。また2011年に出版された下原康子との共著『ドストエフスキーを読みつづけて』にも収録された。
 2021年はドストエフスキー生誕200周年。来年2020年は前夜祭にあたります。この節目を記念して、これまで報告した「ドストエフスキーと私」を紹介します。

小説 罪と罰 上篇 第一回
 七月上旬或る蒸暑き晩方の事、S……「ぺレウーロク」(横町)の五階造りの家の道具附の小坐敷から一少年が突進して狐疑逡巡の体でK……橋の方へのツそり出掛けた。
 
この作品のすごさは、小説としての面白さもあるが、ストーリー展開のなかで読者に向けられた人間社会の作り方にもある。一人を救うために後の九十九人を犠牲にできるのか。九十九人を救うために一人を犠牲にできるのか。人類に提起された永遠の問題である。はじめて訳して読んだ内田魯庵は、そのときの感想をこのように書いている。(ここまで前号)

 恰(あたか)も曠野に落雷に会ふて眼眩(くらめ)き耳聾(ろう)ひたる如き、今までに曽(かっ)てない甚深の感動を与えられた。(「二葉亭余談」)

 この衝撃と感動は、これ以降、文学者から文学者にと受け継がれてきた。その波紋は、明治、大正、昭和、平成と止まることはない。
       (三)
 明治から現在まで、ドストエフスキーがよく読まれた――よく研究された、ということは、研究者や読者が周囲や次世代に熱心に薦めた、ということでもある。ドストエフスキーの名前は出てこないが、東京外国語学校の授業でロシア文学をススメていたというこんな記述がある。(明治四十二年六月「新小説」、岩波版『二葉亭四迷全集』第九巻所収、同級生大田黒五郎「種々なる思ひ出」から)

 …上級になると、ロシアの有名な小説家を教えられる。ロシア人が二人いて、一人はコレンコ、もう一人はアメリカへ亡命したグレー、このグレーが大変朗読が上手でテキストがたくさんないから先生が読んできかす。トルストイ、カラムジン、プーシキンなどの作品を生徒は黙ってきいていて、読み終わると、その小説に現れた主人公の性格を批評したリポートを提出する。先生がそれを見て直してくれる。(『ドストエフスキイと日本文学』)

 当時このように授業で、積極的にロシア文学をススメル、ロシア人教師もいたようだ。当然、ドストエフスキーをススメル人もいたはずである。一八六一年に函館に派遣されてきたイワン・ドミトリエヴィチ・カサトキン(のちのニコライ大主教1836-1912)は明治五年(1872年)に東京へきて、神田駿河台に居を定め伝道学校を設立するが、

 このニコライ大主教自身、文学の愛好者で、とくにゴーゴリ、ドストエフスキイを読むことをすすめた。(『ドストエフスキイと日本文学』)

※このニコライについては、前期ゼミで『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫)「神道とはどのようなものか」を朗読してもらった。ニコライの『古事記』解釈。 次回に
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 熊谷元一研究  創作ルポ 『熊谷元一の選択』2回目

             二
2010年(平成二十二年)11月6日、写真家で童画家、そして元小学校教師と、その人生で三足のわらじをはいていた熊谷元一が、東京都下武蔵野にある老人施設で百一歳の生涯を閉じた。亡くなる前日まで元気でカメラや童画の話をしていたという。
熊谷は、故郷の長野県伊那谷の山村で小学校の教師生活を終えたあと上京、清瀬市に居を
構えた。還暦前の出発だったが、清瀬では写真家・童画家として活躍する一方、「清瀬の自然を守る会」会長として地域のために尽力された。
訃報を知って大勢の清瀬市民が焼香に列を成した。名誉村民となっている故郷、阿智村からも村長はじめ関係者多数が駆けつけた。他に知人友人、出版社やマスメディアの人たち。そして写真集の愛読者が大勢参列した。私は熊谷の写真世界、特に『一年生』を愛する一人だった。『一年生』に魅せられて三十年、熱心なファンでありつづけている。
それ故、訃報を知って、矢も盾もたまらずお通夜に駆けつけた。大勢の参拝者のなかには、写真展で顔見知りになった人もいた。その一人に地元紙の元記者がいた。米寿に近いお歳だが、嘱託記者兼写真班として、いまでも地元紙に写真や記事を載せていた。彼はふだんは農業に従事していて、農作業のあいま、村中を回って話題や出来事を取材していた。熊谷とは遠縁にあたる関係で唯一、村での血縁者だった。それだけに熊谷のことは村のだれよりもよく知っていた。私は、挨拶して話しかけた。通夜の場ではあったが、当事者がいなくなった開放感もあり、長年、熊谷に抱いていた疑問をきいてみたかった。
「だれよりも村を愛し、だれよりも村人と深くかかわってきた人」それなのに、「なぜ、村をでたんでしょう。村に帰らなかったんですか」
「そうですね・・・」
彼は、なぜか口ごもった。
「どうしてでしょう」私は、こだわった。
「波乱万丈な人生でしたからねえ」
「波乱万丈?!」
意外な答えに私は、思わず言った。
「順風満帆な人生だったようにおもえるのですが」
私が年譜などで知ってる熊谷の人生はこのようだ。画家が夢だった熊谷は、童画家武井武雄との出会いで童画家としての道を歩み始めた。が、偶然カメラを手にしたことで、写真の世界に目覚めた。28歳で朝日新聞社から写真集を出版、高い評価を得た。30歳で大東亜省の嘱託カメラマンとなり、国策として満州の開拓村を撮影した。戦後は、郷里で小学教師として教壇に立ちながら村人の生活を写真に撮り、出版された写真集は、農村の記録写真として評価を得た。岩波写真文庫『農村の婦人』『かいこの村』などがそれである。そしても写真の合間に描きつづけた童画は、失われていく山村文化の伝承と認められた。絵本『二ほんのかきのき』(福音館)は、百万部を超えるロングベストセラーとなっている。写真や童画作品の多くの作品が数々の賞に輝いた。とくに教え子たちの学校での一年間を撮った岩波写真文庫『一年生』は、写真界の金字塔となって熊谷に絶対の幸運をもたらしている。
功なり名を遂げて、101歳で人生の幕を閉じた。波乱万丈より順風満帆がふさわしかった。
「いろいろ苦労はありました。選択の多い人生でしたから」
「選択…といいますと、あの選択ですか?選ぶ」
「そうです、人生の岐路に立ったときの選択です。結果的には正解でしたがね」
「どんなときでした?」
私は、興味をもってたずねた。
 寡黙ではあったが、いつものんきそうに構えていた熊谷から未来の人生の道を選択する真
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剣で深刻な表情は思い浮かばなかった。
「いろいろありましたから、ではまた」
老記者は、そんな謎めいた言葉を残し、深夜高速の最終バスにまにあわなくなるからと、そそくさと去っていった。熊谷元一の人生の選択についてあまり話したくなさそうだった。
結局、そんなわけで、その話はそれっきりになってしまった。私のなかで永遠の謎になってしまった。ところが七年が過ぎたある日、老記者から、こんな手紙が届いた。つづく

・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・・

NHK文化センター 柏市民講座「ドストエフスキー『罪と罰』を読む」6回

2019年12月19日(木)AM10:30~12:00 最終審理第5回 講師 下原

Ⅴ「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」第五回公判

ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

日時:22020年1月11日(土)午後2時~4時45分
会場:東京芸術劇場小会議室7 作品『カラマーゾフの兄弟』

日時:22020年2月29日(土)午後2時~4時45分
会場:東京芸術劇場小会議室7 作品『カラマーゾフの兄弟』

メール toshihiko@shimohara.net 携帯 090-2764-6052下原

ドストエーフスキイの会・第255例会

2020年1月25日(土)午後1時~ 早稲田大学戸山キャンパス31号館208教室

公 演  ◆劇場 梅若能楽学院会館 住所:東京都中野区東中野2-6-14

12月22日(日)15:00~冬至の日に、能楽堂にてマキシム・ゴーリキ作「どん底、」を上演致します。

演出家のレオニード・アニシモフは、1993年に本作品のモスクワ公演で大成功を収め、ロシア功労芸術家の称号を与えられました。
黒澤明監督も映画化した不朽の名作「どん底、」は、時代を超えて世界中で語り継がれている物語です。
能楽堂という和の空間でロシアの古典名作を観劇できるまたとない機会です、この機会をお見逃しなく!
——————————————
「どん底、」
作:マキシム・ゴーリキ
演出:レオニード・アニシモフ

とあるから、日本でのドストエフスキーのススメは、この伝道学校が発信地ということになる。明治二十九年にニコライの正教神学校に入学した昇曙夢(1878-1959)も『虐げられし人びと』(大正三年 新潮社)を訳したりしてドストエフスキーのススメに尽力した。このように、最初、伝道・神学校の生徒からはじまったドストエフスキーのススメは、その後、神学校から離れ、文学を志す者たちの間に広まっていった。
「ドストエフスキーを読みなさい」戦前の作家たちは、よくこんな言葉を口にした。多くの文学者がドストエフスキーについての記述を残している。川端康成は、訪ねてくる文学青年たちに誰彼となくドストエフスキーをススメていたという。例えば『いのちの初夜』の北條民雄には、繰り返しこのようにススメていた。
□川端康成から北條民雄への書簡 (『北條民雄全集』)

 …先づドストエフスキイ、トルストイ、ゲェテなど読み、文壇小説は読まぬこと。…(S10・11・17)。三笠書房のドストエフスキイ全集新版(46版)には、特製本がありますか、あなたの特製本といふのは旧菊版のことぢゃないでせうか。新版は旧版の改訳訂正版ゆえ、本は粗末でも、新版の方がよいのです。新旧版とも訳のよいのもありませうが、新版の方が大分よくなっているのです。新版に特製本あるか否か調べ、あれば買ひ送ります。…(S11・10・31)。三笠のド全集、小生旅中おくれましたが、まだそちらでお買ひにならぬなら、手配します。…(S11・11・30)

【事件の場合、刑罰としてどのくらいの量刑を望むか】

代表発言者 = 阪本、臼杵、刀祢平裁判員

□川端里佳 裁判員  懲役五年ほど。
 
 殺人ではあるが、故意であるかどうかという部分がはっきりしない。また、精神的混乱があると判断され短くなると思われる。

□秋山有香 裁判員 懲役三年 ~ 五年くらい。

 妻の死を悲しむ心は、全くありませんと証言していて、人を殺したことへの罪の意識が感じられず、反省の色が見えない。

□飯島優季 裁判員 懲役三年 執行猶予三年。

  この後に同じような事件を起こさせない為にも、無罪ということには出来ない。そこで
 殺人罪となる。殺人罪は無期懲役または五年以上の懲役。しかし、この事件は実際100%
 故意とは言えない。よって、五年では長いと考えて減刑三年。すると、執行猶予を付ける
 ことが可能なので、一番オーソドックスな執行猶予三年とした。

□大野菜摘 裁判員 無期懲役。

 精神がしっかりしているのに、精神異常を装い妻を殺したため。

☆審議結果 = 裁判官 橋本祥大裁判員兼任

量刑は →  七年

 
【量刑を軽くするために弁護するとしたら】

代表発言者 = 橋本、小黒、野島裁判員

 
 ナイフを投げたとき、夫は殺す気などなかった。しかし、実際に殺してしまったことで精神的に混乱し、殺すつもりだったような錯覚にとらわれてしまった。
 故意ではなかったこと。精神的混乱があったこと。この二点が弁護のポイント。

□秋山有香 裁判員

 元を辿れば、妻の不倫が原因。また、それによって精神が乱されていた。

□飯島優季 裁判員

 ・この出来事は故意であったと言い切ることは不可能である。実際、被告の周辺の人物も
  どちらかわからないというし、被告自身が最後に「わからない」と言っている。
 ・この奇術自体がもともと危険なものであり、タネも仕掛けもないのである。ならば失敗
  で今回のような事故は起こりうるものと考えられる。
 ・この日の彼のコンディションは、眠れなかったこともあり、あまりよくなかったようで、
  このような失敗が起こっても不思議ではなかった。
 ・喧嘩のときの「妻を殺す」という考えも朝には無くなっていたと証言している。

□大野菜摘 裁判員

精神的に追いつめられていたかも知れないと言ってしまったのは、病んでいた精神のせいでそう思ったかも。実際に殺す機械は他にもあったはずなのに多人数の前で殺すのは少しおかしい。

☆審議結果 = 裁判官 橋本祥大裁判員兼任

減刑対象と理由 →

【判決と主文】

代表発言者 =神田、田山、本名裁判員

☆審議結果 = 裁判官 橋本祥大裁判員兼任

 本件は、審議の結果、→

 有罪なら量刑は →

【これまでの判決主文】
故意であるかがあいまいであるが、故意だったかもしれないと供述しているときは冷静だったため、その供述は有効であり、故意だったと裁断。
 よって、本件は有罪。殺人罪とする。

 原因は妻の不倫でも、それが人を殺してもいい理由にはならない。また、妻の死を悲しむ心がなく、罪の意識が薄い。よって事故として扱うことはできない。「有罪」。
 
 事故に限りなく近い事件である。減刑の余地有り。
 よって、懲役三年の執行猶予三年とする。
 
 事故だったとしても殺してしまった事には変わりはない。執行猶予を付けて、精神状態を回復させるべき。よって、「有罪」とする。

       
つづく 次号へ

              一 選択の人生
 晩秋の武蔵野の青空が窓いっぱいにひろがっていた。熊谷元一は、一人部屋のベットを少し持ち上げて、ぼんやり窓外をながめていた。どこが悪いというのではないが一週間前、なんとなく体の不調を感じたことから、清瀬の自宅から、そう遠くないこの老人介護施設に思いきって入居した。妻の貞子は三年前、亡くなった。性分が独立独歩の性格なので、そのときにもしかのときは、と、申し込んでおいたのだ。先ほど、今年五歳になる曾孫が長男夫婦と見舞いにきた。すっかりわんぱく坊主になった曾孫は、入ってくるなり
「じいちゃん、きたよ」
と、叫んで元気に駆けよってきた。
「ほう、きたか」
 熊谷は、おどけ顔をして叫ぶとからかうようにきいた。
「ジィは、いくつだ」 
「ひゃく一さいだよ」
曾孫は、そんなことぐらいはしっているぞ、といわんばかりに胸をはって答えた。
「ほう、百一歳か」熊谷は、おどけたように言った。「そんねん生きたのか、このへんで遠慮しとくか」
「いやですよ。おじいちゃん、そんな言い方しては」
後から入ってきた長男の嫁は、叱るように言ってほほ笑んだ。
彼女は、熊谷が教師を退職し、東京の清瀬に家を建て妻の貞子と故郷の長野県から越してきて以来からずっと同居してきた。出版社に勤める夫は多忙でほとんど家にいなかった。彼女は、二人の子どもを育てながら、熊谷元一という写真家・童画家の秘書となって働いてきた。出版社の打ち合わせや来客の予約や接待。彼女が一人で切り盛りしてきた。姑の貞子が病気入院してからは、秘書として、嫁として、姑の役として、三足のわらじで熊谷を支えてきた。それだけに、つい強い口調にもなる。が、熊谷は、意に介さない。
「えれえ、いきたもんだなあ」
と、またしても他人事のようにつぶやいて感心した。
「まだまだ、大丈夫ですよ」
遅れて入ってきた孫夫婦と長男夫婦は、口々にそう言って笑った。
 本当に、そうみえた。それもそのはず、熊谷は、生涯を通じ病気らしい病気をしたことがない。一人っ子で育ったが、ひ弱ではなかった。熊谷が生まれたとき母親のハツエは、自分の母親が病弱で早くに亡くなり苦労したことから、思わずくちにした「元気が一番」の言葉から元一とつけた。元一は、その言葉通り元気にそだった。101歳になった人生のなかで入院したのは七十三歳のとき脱腸手術のため市内の病院に一度入院したきりだった。歳とって尿が近くなったことを除けば、体は、子どものときからすこぶる丈夫だった。体で悪いところといえば右目が乱視で、徴兵検査のときに乙種だったことぐらいだ。白寿をむかえても歯も丈夫なら、耳も聞こえた。目は右目は乱視だが、左目は眼鏡なしで新聞が読めた。百一歳になっても変わることはなかった。
そんなわけで、このたび入院となっても息子夫婦は、一過性のことだと思った。すぐに退院してカメラを手に清瀬の町に出ていくと楽観していた。足は弱ってもまだ自転車には乗れる。写真は撮れたし、頼まれた童画もまだ描けた。
賑やかだった見舞客が帰って部屋は、急にひっそりした。熊谷は、じっとしていることが嫌いだった。家族のものが言っていたように、足さえ動けば、自分は、まだまだ仕事ができる。そんな自信があった。まだ大丈夫だ。足が弱っていくぶん歩行困難になったが気持ちは若いころと変わらないと思った。

熊谷は、曾孫との会話を思いだした。百一歳か…。とても自分のこととは思えなかった。だが、いま介護施設のベットに横たわっていることは現実だ。
晩秋の黄昏前の空は、あくまでも高く青く澄み渡っていた。熊谷は、青空を見あげながら自分の人生を振り返った。波乱万丈だったが、人間万事塞翁が馬というのではなかった。自分の人生の分岐点は、いつも選択にあったような気がする。迷い、苦しんだ決断の時。あのときの選択があるからこそ、現在がある。熊谷は、懐かしく思いだした。  つづく

  2019年9月5日 (木)熊谷元一写真童画館にてゼミⅡゼミⅢ

090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net

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