文芸研究Ⅲ 下原ゼミ通信No.27

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2019年(令和元年)12月24日発行

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.27

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/14 1/21 
観察と口演

2019年ゼミⅢ読書と創作の旅

12・24下原ゼミ

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12・17ゼミⅢ報告 

 12月17日(火)、参加は、西村美穂、吉田飛鳥、中谷璃稀。ドストエーフスキイ〈作家の日記〉から「単純な、しかし、厄介な事件」感想と判決。
土壌館日誌      熊谷元一研究が繋ぐ縁
20日こんなメールを受信した。「木下晋という知り合いの画家(日大芸術学部講師)の老老介護と創作を追ったETV特集が21日(土)に放映されます(以下クリックすると予告編が出てきます)。よろしければご覧ください。」発信人は、毎日新聞社元南アフリカ支局長、現同社編集委員のG氏からだった。木下画伯を直接には、知らないが、ちょっとでも縁があれば知らせてくれる気持ちがうれしかった。G氏は熊谷元一の写真を通じて知り合った。熊谷の写真「一年生」が縁で、「毎日小学生新聞」インタ―ネットニュース「幸せの学び〈その129〉黒板絵は残った」などの記事を書いていただいた。  編集室
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12.17ゼミ報告 課題・提出レポート

 6歳継子殺人未遂事件  

1876年5月×日ロシアのペテルブルグでこんな事件が起きた
(実際の情報が少ないため、事件発生時と現場状況について多少の推理・憶測があります)

日本には、現在1億3千万近い人間がいる。そのうち未成年者は2300万人というから選挙権の有権者は、1億人前後いることになる。自分が選ばれる確率は宝くじより低い、などと思ってはいけない。人間一生のうち67人に1人が裁判員となる割合だという。
 ゼミの皆さんも例外ではない。というわけで、この事件を裁判員になったつもりで、評決してみましょう。(この事件は、1876年ロシアの裁判で陪審員制度で裁かれました。ある意味で裁判員の見本となる裁判です。)

「単純な、しかし、厄介な事件」(ドストエフスキー全集『作家の日記』上巻)

事件発端と推移

 1876年5月×日、午前7時頃(推定)ペテルブルグの警察分署に、一人の若い女が出頭した。若い女は、応対した警官に、「たったいま、継娘を4階の窓から放り投げて殺してきました」と、言った。つまり殺人を自首してきたのである。継娘は6歳、4階の高さは地上から十数メートルある。驚いた警察は、現場に駆けつけた。遺体を確認してこなかった、と言ったが、誰もが最悪を思い描いた。この季節にしてはめずらしく、雪が道路のそこここに残っていた。女が放り投げたという4階の窓下にも、いくらかの雪がはき積もっていた。警察は被害者を探した。6歳の女の子は、まったくの偶然に、その雪の中に落ちて気を失っていた。怪我一つなく、奇跡的に助かったのだ。警察は、女を継娘殺人未遂事件の犯人として逮捕した。はたして、この女の罪状は・・・・。最近、日本のあちこちで起こっている幼児虐待事件を思い出します。令和に入ってから各地で多発している。

犯人の身元

 犯人の若い女は何者か。名前、エカチェリーナ・コルニーロヴァ。年齢20歳。職業、農婦。1年ほど前、妻が病死した子連れ男と結婚した。連れ子は6歳の女の子で、この事件の被害者となった。この夫婦は結婚当初から夫婦喧嘩が絶えなかった。妊娠中。

殺意の動機

 自己中心的な夫への憎しみ。自分を親戚のところへ行かせず、親戚が来るのも嫌がった。喧嘩のたびに、死別した細君を引き合いに出しては、「死んだ妻の方がよかった」「あのころは、世帯向きがもっとうまくいっていた(米川訳)」など言葉の暴力を受けつづけた。
 このためいつしか愛情より憎しみが強くなり、復讐したいと思うようになった。復讐は、何がてきめんか。それは「亭主がいつも引き合いに出しては自分を非難した先妻の娘を、亡きものにすること」だった。夫に対する面当てから、なんの落ち度もない6歳の継娘を殺そうと計画し、実行した。

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陳述・容疑者の義母はこのように犯行を話した
 
夫婦喧嘩では、夫にいつも怒鳴られていました。亡くなった前妻の方がよかったと責めるのです。罵られるたびに、連れ子の6歳の継娘まで憎くなってきました。それで、いつか、面当てに夫が一番の打撃になること、継娘を亡きものにしようと思っていました。このところ、ひどい喧嘩がつづいたので、ついに限界に達し、昨日、それを実行する決心をしました。しかし、昨晩は、夫が家にいたのでできませんでした。
 今朝、夫が仕事に出かけたので、計画を実行することにしました。私は、4階の窓を開け、草花の鉢植を窓じきの一方に寄せました。それから、起きたての継娘の名を呼びました。

6歳の継娘は、眠気眼をこすってやってきました。私は、
「○○ちゃん、窓の下を見てごらん」と、言いつけました。
 継娘は、朝っぱらなんだろうという顔をしました。が、窓の下にどんな面白いものが見えるのかと、思ったのでしょう。すぐに窓じきにはいあがりました。そして、両手を窓に突っ張って、下をのぞきました。ちっちゃな両足が、私の目の前にありました。その可愛らしいちっちゃな両足を私は、つかんで持ち上げ、窓外に放り投げました。娘は、宙にもんどり打って落ちて行きました。私は、すぐに窓を閉めて、着換えをすませ、部屋の戸締りをして警察に出向しました。娘は、てっきり死んだものと思いました。これが犯行のすべてです。嘘偽りはありません。

中谷璃稀

【検察側の起訴と求刑】 

被告は、夫や娘に対する憎しみと罪の意識を明確に示している。犯行は計画的

かつ最初から自首つもりで行った。腹いせによるものといえる。

懲役2年を求刑。

【弁護側だったら、どのように弁護するか】 

愛情を上回るほどの憎しみに動かされた犯行。罪悪感があったからこその自首。

結果的に被害者は生還。それに被告は妊娠中。

【裁判員の刑罰は】

懲役1年6カ月。

【裁判長の判決は】

有罪、懲役2年 妥当だろう。罪は罪、償うつもりは本人にもあるから。
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吉田飛鳥

【検察側の起訴と求刑】 

夫との関係が思わしくなかったにせよ、継娘が被告になつかなかったとか、そ

のような陳述もない。6歳の子を。夫の目を盗み計画的に殺そうとした。継娘

が無傷だったのは、あくまでも奇跡である。殺人未遂にあたる。

【弁護側だったら、どのように弁護するか】 

被告は連日、夫から精神的な口撃を受け続け、心身がまいっていた。親族に助

けを求められない状態であり、正常な判断ができなかった。犯行後、すぐに自

首したことも含め情状酌量の余地はある

【裁判員の刑罰は】

この状況では、自首したことはあまり重要でない。被告の犯行とみるのは明白 

だからである。ただ長い間こらえた部分が爆発したものであり、突発的な犯行

ではない。

【裁判長の判決は】

無抵抗な、継娘といえども我が子を殺そうとした罪は大きい。子の心にも言い

表せない傷が残る。殺人未遂として懲役3年。

実際の第1審での裁判の判決 ドストエーフスキイ全集『作家の日記上・下巻』

1876年10月15日 初審判決、有罪 懲役2年8カ月 その満期後、終身シベリヤ流刑。

この新聞記事を読んだドストエフスキーは、この事件を妊娠状態が起こしたアフェクト(激情)ではないかと想像した。そうして、こんな感想をもった。(『作家の日記』)

「…もし彼女か゛妊娠していなかったら、何事も起らなかったかもしれないのだ…いな、二つの過ちから一つを選ぶなら、むしろ慈悲の過ちをとったほうがよい」

再審で被告は無罪判決

1877年4月22日 再審、無罪判決、被告コルニーロヴァ釈放

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ドストエフスキー生誕200周年を前 に

ドストエフスキーの『罪と罰』を読む

 2021年はドストエフスキー生誕200周年です。ということは、来年2020年は前夜祭に当たります。この節目を記念して、『罪と罰』を読みます。下原脚本の「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」裁判の口演。関係事項としてHP(立命館法学)の紹介です。
ラスコーリニコフの周辺
-ドストエフスキーの『罪と罰』をめぐって-

上 田  寛
目    次

• は  し  が  き
• 一  ラスコーリニコフ  たち
• 二  時代、社会、犯罪現象
• 三  犯罪と刑罰
• 四  裁      判
• 五  ドストエフスキーの刑法思想
• むすびにかえて
二  時代、社会、犯罪現象

  小説『罪と罰』の背景となっているのは、農奴解放直後のロシアであり、当時の社会問題の全てを抱え込んだペテルブルグという都市である。
  クリミア戦争に敗北することにより露呈されたロシアの近代化の遅れを取り戻すために、いわば「上からの革命」として断行された農奴解放ではあったが、実際には、「解放」という名目の下、農民は自分の土地を「買い戻す」ことを余儀なくされ、結局はあらゆる種類の債務にからめ取られてしまった。買い戻すだけの資力を持たなかった農民は、劣悪な条件で小作農となるか、都市に流入して職探しに奔走するかの選択を迫られた。
 
※公式記録の表は、跡で掲載

農奴解放令(一六六一年)前後の犯罪現象の深刻化については当時の公式記録からも見て取ることができる。
後者の表は多くの興味ある事実を物語っている。まず気づくのは、全犯罪の三分の二までが財産犯罪だということである。中でも、全体の二八・九%までを占める森林窃盗については、当時の『軍事統計集』の編集者自身、それが「民衆の観念では何ら犯罪的な意味を持たず、きわめてしばしば農民の貧困と租税負担の重さにより引き起こされたもの」であることを認めている。同様の事情が個人財産に対する窃盗についても当てはまることについては、当時すでに指摘されていた。これらに
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加えて、国家犯罪の中に含められた浮浪および国内旅券制度違反の比重の大きさを見るとき、伝統的な農村経済の破壊と土地の商品化にはじき飛ばされ、流民化した農民層の都市への流入、困窮した都市下層民の膨張、それらの必然的結果としての潜在的犯罪者予備軍の増大を読みとることは困難ではない。
  小説の舞台であるペテルブルグは、一片のパンのためには何でもする乞食や泥棒、売春婦にあふれており、スラム街と売春宿の立ち並ぶ「現代のバビロン」であった。このロシア帝国の首都において、嵐のような資本主義経済の発展のかたわらで、犯罪現象がいかに急激な展開を見せたかは左の表から明らかである。
  都市下層市民ばかりでなく、急激な資本主義経済の導入にともなう社会・経済的な変動についていけない小貴族(ラスコーリニコフがまさにそうである)や下級の官吏も、職人はじめ各種の都市住民も、生活の窮迫に追いつめられ、没落し、ある者は犯罪行動に訴えた。オストロウーモフの引用する、当時の犯罪者の階層帰属から確認されるのはこの点である。
  一方、農奴解放令の内容が期待されたものからはほど遠かったことに失望し、自棄的になった農民の騒擾事件も全国に広がり、その鎮圧のために大量の軍隊が導入された。農民への同情と政府への反発は学生運動の昂揚にもつながり、チェル
ヌイシェフスキーやゲルツェン、オガリョーフらの呼びかけに呼応して、「社会革命」を目指す運動も活発化する。後の一八六六年、『罪と罰』連載中に起こったカラコーゾフによるアレクサンドル二世銃撃事件、そして七〇年代のナロードニキ運動へと展開していく種子はすでに育ちつつあったのである。立命館法学  一九九五年五・六号(二四三・二四四号)
次回は「三 犯罪と刑罰」 以下はNHKカルチャー市民講座完結〈罪と罰〉脚本
Ⅰ.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第一回公判 (8月29日)
日常生活での被告に関する証言。:ラスコーリニコフ、ナスターシャ、プラスコーヴィヤ、ラズミーヒン
Ⅱ.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第二回公判 (9月29日)
被告人ラスコーリニコフに対する人定審問。動機など。:「ラスコーリニコフの事情調書」、ポルフィーリィ、ルージン
Ⅲ.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第三回公判 (10月17日)
被告と娼婦の関係について。:ラスコーリニコフ、ソーニャ、マルメラードフ
Ⅳ.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第四回公判 (11月21日)
警察関係者の尋問。:ラスコーリニコフ、ポルフィーリィ、警察署長、副警察署長、警察署書記官、町人

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Ⅴ.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第五回公判 (12月19日)
検察側の新証言。弁護団の新証言。判決。:ラスコーリニコフ、ソーニャ、ゾシーモフ、新証人(検察側)3名、新証人(弁護側)2名

連載7回 下原報告
ドストエフスキーと私 

8.雑多な多様な時代の中で

 団塊世代にとって60年代から70年代はじめは懐かしい時代です。それはたんに青春期だったからだけではないように思います。
 あのナンデモアリの時代。雑多で多様なポリフォニック的時代。混沌のなかで、若者たちは、羅針盤をみるようにドストエフスキーを読んだのではないでしょうか。

故新谷敬三郎先生訳のバフチン著『ドストエフスキイ論』(1968・6・8発行)にあったポリフォニックという言葉です。団塊世代が歩んできた時代、それは、多様で雑多な世界。まさにドストエフスキーの作品世界ではなかったのでしょうか。
 木下氏は著書『ドストエフスキー対話的世界』の「精神共同体の思想と人間学」
 
 M・バフチンによれば、ドストエフスキーの小説は、作品中に作者の声を代弁する主人公を容易に読みとることのできるツルゲーネフやトルストイなどの小説とは異なって、各々の独立した声(人物)が対話するポリフォニック(多声楽的)な世界であり、作者の姿はその対話の場を活性化する機能そのものに他ならない。

まとめ
 なぜ、柳の下に、2匹目のドジョウはいるか。この謎を解くために、30数年前の団塊世代の青春期10年間を追ってみました。この時代、ドジョウは2匹目どころか何匹でも出ていました。例会会場は満席だった。大勢の人がドストエフスキーを読んでいたのです。なぜ、この時代にドジョウが増えたのか。あいまいな戦争、共同体幻想、非凡人思想の破綻。あの時代にみたものはポリフォニック的混沌でした。あの時代に起きた事件、出来事の一つ一つがドストエフスキー作品の予見にあったように思われます。不可解な事件、出来事の連続。「なぜ、こんなことが・・・」人びとは、その謎解きをドストエフスキーに求めた。そう考えるのはあまりに安易過ぎるでしょうか。
 今日、世界は、混沌にある。日本においては、ドストエフスキーが危惧した子供に関する不幸なニュースが連日報道される。いまもまた、ドストエフスキーが必要な時代、となっているのかも知れません・・・。
 それにしても団塊世代の青春真っ只中の1968年という年に、46年前「現下においてこそ、ドストエフスキーを」と叫んだペレヴェルゼフが死に、ドストエフスキー文学の多様性が述べられたバフチンの『ドストエフスキイ論』が出版されたのは、なんとも不思議な因縁です。だが、団塊世代は、大審問官の前で混迷したまま、時代の波に流されて還暦を迎えようとしています。またふたたびの人生です。これからはじっくりドストエフスキーを呼んでゆきたい。これが団塊世代のドジョウたちの本音ではないでしょうか。                   完

文芸研究Ⅲ下原ゼミ通信No.27 ―――――――― 8 ―――――――――――――

2019年度下原ゼミⅢ後期出欠記録

()は提出課題レポート
 ・志津木喜一 9/24  ―  10/8   ―   ― 10/29 ―  11/19 11/26 12/3                
  前期4/14                                     (1)  (1)
・神尾 颯  ―   ―  ―  ―    -  -  - - - ― 
  前期8/14
・松野 優作 9/24 ―   ―   ―   10/22  ―   ― -
  前期2/14
・西村 美穂 9/24 10/1 10/8 ―   10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3
  前期14/14                                     (1)  (1)
・吉田 飛鳥 9/24 10/1 ―   ―   10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3
  前期14/14  (1)                                 (1) (1)
・中谷 璃稀 9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 ―  11/12 11/19  - 12/3
  前期13/14  (1)                                     (1)
・佐俣 光彩  ―   ―   ―   ―   ―   ―   ―  -      -
  前期6/14
・東風 杏奈  ―   ―   ―   ―   ―   -   -  -  ―   - 
  前期4/14
・山本 美空 9/24   ―   ―  ―   ―   10/29  ―  - - - 
  前期7/14
        6   3  1  4   4   4   3    4  3
       
・志津木喜一  ―  ―

・松野 優作  ―  ―

・西村 美穂  12/10 12/17

・吉田 飛鳥  12/10 12/17
            (1)
・中谷 璃稀  12/10 12/17
            (1)
・佐俣 光彩   ―  ―

・山本 美空   ―  ―

・神尾 颯
・東風 杏奈
         3   3

〈ゼミ誌・合宿(60)+ゼミ誌・合宿(10)+参加+提出+α〉

2019年 令和元年12月24日

よいお年をお迎えください!

 

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