文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信No.392

公開日: 

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日本大学藝術学部文芸学科     2020年(令和2年)1月7日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.392

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7 1/14 1/21 
観察と記録

2019年読書と創作の旅

1・7下原ゼミ

2019年度読書と創作の旅同行者です。8人の仲間です。
宇治京香  安室翔偉  梅田惟花  佐久間琴莉 (松野優作) 伊東舞七
大森ダリア  佐藤央康 (7名参加の日撮影)

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2020年
新年、明けましておめでとうございます
土壌館日誌         消えたムクドリ
 暮れの30日、夕方の暗くなりかかった路上で、鳥の骸を見つけた。運悪く、車に衝突したのかもしれない。羽根に血痕らしきものが付着している。こんなところに転がっていては、車にペチャンコにされるか、通行人に踏みつぶされる。春先に、よくペチャンコにされたガマガエルをみかける。死んでからあんなふうになっては嫌だろうと、足で道路わきに寄せようとした。ところが生きていた。つかんでみると温かい。が、どうみても瀕死だ。帰りに、まだ生きていたら家に持って帰ろうと植え込みに移した。一昨年の元旦、メジロを拾った。死んでいるとおもったが、元気になった。この鳥は無理かも。が、帰りのぞいてみるとどこにもいない。夜道に人通りはない。飛べたのか…?それならいいが…。 編集室
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.392―――――――― 2 ―――――――――――――

12・24ゼミ報告 

12月24日(火)は、クリスマスゼミ、この日の参加は、宇治、伊東、大森、佐藤、安室の5名。ドストエフスキー『罪と罰』脚本化「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」口演。最近の事件を『罪と罰』と罰と比較して議論。
ゼミ観察  2019年度後期、ゼミ観察

9月24日からの点呼状況です。()は提出課題

・宇治京香 9/24 10/1 10/8 10/15 10/22 10/29 11/12  11/19 11/26  12/3 
前期13/14                                          (1)

・伊東舞七 9/24 10/1 ― 10/15 -  ―    11/12  11/19 - -
前期10/14      (2)

・梅田惟花 ゼミ誌原稿入り  ―  ―   ―   ―   11/12  -  - -
前期7/14
・佐久間琴莉9/24 10/1 ―  10/15 10/22 10/29 11/12 11/19 11/26 12/3
前期13/14                                          (1)

・大森ダリア9/24 ―  ―  10/15 ―   10/29  11/12 11/19 -  -
前期8/14   (1)

・安室翔偉  9/24 10/1 ― 10/15 ―    10/29 11/12  11/19 11/26 12/3
前期11/14                                          (1)

・佐藤央康  9/24 10/1 ― 10/15 10/22 10/29  ―   11/19  - 12/3
前期10/14   (2)                                     ( )

・松野優作 9/24  ―  ― 10/15 10/22 10/29   ―   -  -  - ―
 前期2/14  (1)

総計数8  7  5  1  7  4   6   7   6    3  4
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・宇治京香   12/10  12/17   12/24

・伊東舞七    -   12/17   12/24

・梅田惟花    -   -     ―

・佐久間琴莉   -   12/17    ―

・大森ダリア  12/10   ―    12/24

・安室翔偉    -    ―(病)  12/24

・佐藤央康   12/10    ―   12/24

・松野優作    -    ―    ―

   8      3    3     5
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1・7ゼミ   名作読み『小倉百人一首』

 本日のゼミは、お正月明けなのでカルタ大会を行います。昨今、ゲームは沢山ありますが、『小倉百人一首』は、古典ではありますがゲームの一つです。

昔の正月の遊び、いま何処

 最近の家庭は、どうか知らないが、私が子どもだったころは、正月の遊びは百人一首と相場が決まっていた。そのころは、まだ大家族で、どの家にも大勢の子供がいた。子供たちは、年賀に親戚の家々を泊まり歩いた。こたつで、花札、トラン遊びをした。大人が加わると百人一首大会となった。楽しさのなかに緊張があった。正月がくると、思い出す。
 核家族になった現代では、都会でも、田舎でもほとんど百人一首は遊ばなくなったようだ。従兄弟の数も減ったし、いろんなゲームが増えたこともある。ゼミで毎年暮れに、やったことがある人を聞くが、未経験の人が多い。
そんなわけで、今年最初のゼミは、百人一首大会にした。

百人一首とは何か

天智天皇(平安末期)から藤原家隆・雅経(鎌倉)の時代までのもの

小倉山荘で藤原定家(1162-1241)が勅撰集から選んだ。男79名、女21名。
春夏秋冬の歌32首 恋歌43首 その他、旅など25首などで構成されている。

 百人一首とは何か。カルタひろいから入れば、それほど縁遠いものではない。おそらく苦手とする人は、学校教育の一環、古典文学と考えるからと思う。昔の人が優雅に風景や、四季、恋、失恋を詠んだもの、文法ではなくリズムで思い描いてみよう。
 百人一首とは、何か。HPでは、このように説明・紹介している。
 藤原 定家(ふじわら の さだいえ、1162年(応保2年) – 1241年9月26日(仁治2年8月20日))は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中納言と呼ばれた。法名は明静(みょうじょう)。
 平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家の歌道の家としての地位を不動にした。代表的な新古今調の歌人であり、その歌は後世に名高い。俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心(うしん)」をとなえ、後世の歌に極めて大きな影響を残した。
 摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)が京都嵯峨野に建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より色紙の依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家[1]が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型と言われている。男性79人(僧侶15人)、女性21人の歌が入っている。成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」などと称された。

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 いずれも『古今集』 、『新古今集』などの勅撰和歌集から選ばれている。歌道の入門書として読み継がれた。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まった。より人々が楽しめる遊戯として普及した。関連書に、やはり藤原定家の撰に成る『百人秀歌』があり、『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は「後鳥羽院・順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。現在、この『百人秀歌』は『百人一首』の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。
2020年読書と創作の旅  百人一首一覧

 1.秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ     天智天皇 
 2.春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山        持統天皇  
 3.あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む  柿本人麻呂
 4.田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ  山部赤人
 5.奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき       猿丸大夫
 6.鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける       中納言家持
 7.天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも      安倍仲麿
 8.わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり     喜撰法師
 9.花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに   小野小町
10.これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関    蝉丸
11.わたの原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね  参議篁
12.天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ      僧正遍昭
13.筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる    陽成院
14.陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに     河原左大臣
15.君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ     光孝天皇
16.立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む    中納言行平
17.ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは    在原業平朝臣
18.住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ     藤原敏行朝臣
19.難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや     伊勢
20.わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ   元良親王
21.今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな    素性法師
22.吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ   文屋康秀
23.月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど   大江千里
24.このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに   菅家
25.名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな   三条右大臣
26.小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ      貞信公
27.みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ    中納言兼輔
28.山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば     源宗于朝臣
29.心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花      凡河内躬恒
30.有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし      壬生忠岑
31.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪      坂上是則
32.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり     春道列樹
33.久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ        紀友則
34.誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに        藤原興風
35.人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける      紀貫之
36.夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ     清原深養父

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37.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける     文屋朝康
38.忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな     右近
39.浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき     参議等
40.忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで     平兼盛
41.恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか   壬生忠見
42.契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは      清原元輔
43.逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり        権中納言敦忠
44.逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし   中納言朝忠
45.哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな    謙徳公
46.由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな      曽禰好忠
47.八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり    恵慶法師
48.風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな     源重之
49.みかきもり 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ   大中臣能宣朝
50.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな      藤原義孝
51.かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしもしらじなもゆる思ひを   藤原実方朝臣
52.明けぬれば暮るるものとはしりながら なほうらめしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣
53.なげきつつひとりぬる夜のあくるまは いかに久しきものとかはしる  右大将道綱母
54.忘れじのゆくすえまではかたければ 今日を限りの命ともがな      儀同三司母
55.滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ      大納言公任
56.あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびのあふこともがな   和泉式部
57.めぐりあひて見しやそれとも わかぬまに雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58.有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
59.やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな    赤染衛門
60.大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立         小式部内侍
61.いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな       伊勢大輔
62.夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ     清少納言
63.いまはただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな   左京大夫道雅
64.朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木     権中納言定頼
65.うらみわびほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそをしけれ   相模
66.もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかにしる人もなし       前大僧正行尊
67.春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなくたたむ名こそをしけれ     周防内侍
68.心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな     三条院
69.あらし吹くみ室の山のもみぢばは 竜田の川の錦なりけり       能因法師
70.さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづくもおなじ秋の夕ぐれ   良選法師
71.夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろやに秋風ぞ吹く       大納言経信
72.音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ    祐子内親王家紀伊
73.高砂のをのへのさくらさきにけり とやまのかすみたたずもあらなむ 前権中納言匡房
74.憂かりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを   源俊頼朝臣
75ちぎりおきしさせもが露をいのちにて あはれ今年の秋もいぬめり   藤原基俊
76.わたの原こぎいでてみれば久方の 雲いにまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣
77.瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ      崇徳院
78.淡路島かよふ千鳥のなく声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守       源兼昌
79.秋風にたなびく雲のたえ間より もれいづる月の影のさやけさ    左京大夫顕輔
80.長からむ心もしらず黒髪の みだれてけさはものをこそ思へ     待賢門院堀河
81.ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる   後徳大寺左大臣
82思ひわびさてもいのちはあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり   道因法師

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.392 ―――――――― 6 ―――――――――――――

83.世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる     皇太后宮大夫俊成
84ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき   藤原清輔朝臣
85.夜もすがら物思ふころは明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり   俊恵法師
86.なげけとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな        西行法師
87.村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕ぐれ       寂蓮法師
88.難波江の蘆のかりねのひとよゆえ みをつくしてや恋ひわたるべき  皇嘉門院別当
89.玉の緒よたえなばたえねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする   式子内親王
90.見せばやな雄島のあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色はかはらず   殷富門院大輔
91.きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む 後京極摂政前太政大臣
92.わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそしらねかわくまもなし   二条院讃岐
93.世の中はつねにもがもななぎさこぐ あまの小舟の綱手かなしも    鎌倉右大臣
94.み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり        参議雅経
95.おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣に墨染の袖      前大僧正慈円
96.花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり     入道前太政大臣
97.こぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ    権中納言定家
98.風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける     従二位家隆
99.人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆえに物思ふ身は    後鳥羽院
100.ももしきやふるき軒ばのしのぶにも なほあまりある昔なりけり   順徳院

解説のなかで、注目される一つ
 
◇ 32.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり     春道列樹

この歌は、古注では「風のかけたるしがらみ」という表現をきわめて高く評価しており、応永抄では、「誠にはじめて言出したる妙処也」、頼孝本は「ことばあたらしくおもしろきうたなり」、上條本は、「粉骨也」、米沢本は「金玉なり」なりと絶賛している。
しかし、その表現内容の理解には微妙な相違がある。紅葉が間断なく散り落ちて流れもせきかえすばかり、と見る光景と、紅葉のながれる跡より吹き入れて、そこにもみじのたえぬしがらみ、と見る光景など。詳しくは『百人一首』(講談社)解釈参照

余興として、坊主めくりも面白い。僧侶は15名/79。

土壌館日誌  道場大掃除 集まった門下生

 NHK大河ドラマ「いだてん」前半、柔道の創始者嘉納治五郎(役所幸治)が準主役で人気があった。2020年はオリンピックもある。そんなことから2019年は入門者が目白押し、
そんな期待をしたが、現実は厳しかった。子どもの入門者ゼロ行進。柔道不人気。

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ドストエフスキー生誕200周年に向けて

 連載3回
ドストエフスキーと私 

□川端康成から北條民雄への書簡 (『北條民雄全集』)
 …先づドストエフスキイ、トルストイ、ゲェテなど読み、文壇小説は読まぬこと。…(S10・11・17)。三笠書房のドストエフスキイ全集新版(46版)には、特製本がありますか、あなたの特製本といふのは旧菊版のことぢゃないでせうか。新版は旧版の改訳訂正版ゆえ、本は粗末でも、新版の方がよいのです。新旧版とも訳のよいのもありませうが、新版の方が大分よくなっているのです。新版に特製本あるか否か調べ、あれば買ひ送ります。…(S11・10・31)。三笠のド全集、小生旅中おくれましたが、まだそちらでお買ひにならぬなら、手配します。…(S11・11・30)
 ハンセン病のため東村山の病院にいた北條は川端の、このススメによって励まされた。これを受けて北條も、次のような手紙を何通も出している。
□北條民雄から川端康成への書簡 (『北條民雄全集』)
 村山でみつちりトルストイとドストエフスキーを研究するつもりです。(6・23)
 ドストエフスキーとトルストイに没頭しやうと思ってをります。(6・26)
 北條は川端のススメを真摯に受けとめ、熱心にドストエフスキーを読みつづけた。白樺派の作家たちもそうであったが、尾崎士郎、宇野千代、室生犀星ら馬込村の作家たちはドストエフスキーをよく読みよくススメた人たちだった。が、この時代のススメは、多分に文学を志すものにのみに向かってのススメだったように思われる。「文学をやるのなら、ドストエフスキーを読みなさい」。戦前戦後を通じ、当時のドストエフスキーのススメは、こんな文壇的仲間意識からのススメであったように思われる。
 
※北條民雄『いのちの初夜』
次回につづく

 熊谷元一研究  創作ルポ 『小説恩師の選択』草稿プラン、3回目

2020年の目標 
熊谷元一研究のまとめとして『小説恩師の選択』を出版する。5つの謎を考察推理する。

1.写真館、満蒙開拓記念館見学 ゼミ
2恩師の死 選択 謎の人生、
3.架空書簡
4.昭和41年、57歳で上京  
5.選択の人生回顧  元気が一番 駒場の宿、父親、栄吉の夢 画家
 家の商売 カイコ 呉服屋、小物屋 菓子製造販売 そば店開業 ふすまの張り替え
6.満州の開拓団を撮影 写真家の日々
7.最初の謎、退職、阿智村へ。
8.終戦五、村にとどまる。教師をつづける。
9.写真作品日本一、東京に出るチャンス。が、村にとどまる。
10.昭和41年、村をでる。

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.392―――――――― 8 ――――――――――――――

・・・・・・・・・・・・・掲示板・・・・・・・・・・・・・・

ドストエーフスキイ全作品を読む会・読書会

日時:22020年1月11日(土)午後2時~4時45分
会場:東京芸術劇場小会議室7 作品『カラマーゾフの兄弟』

日時:22020年2月29日(土)午後2時~4時45分
会場:東京芸術劇場小会議室7 作品『カラマーゾフの兄弟』

日時:22020年4月25日(土)午後2時~4時45分
会場:東京芸術劇場小会議室7 作品未定

メール toshihiko@shimohara.net 携帯 090-2764-6052下原

ドストエーフスキイの会・第255例会

2020年1月25日(土)午後1時~ 早稲田大学戸山キャンパス31号館208教室
報告者 杉里直人
題 目 『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して

※最寄駅は地下鉄東西線「早稲田」

2020年 本年もよろしくお願いします!!

  2019年9月5日 (木)熊谷元一写真童画館にてゼミⅡゼミⅢ

090-2764-6052下原 メール:toshihiko@shimohara.net

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