文芸研究Ⅱ 下原ゼミ通信 No.107

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)6月30日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.107
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008前期4/14 4/21 4/28 5/12 5/19 5/26 6/2 6/9 6/16 6/23 
6/30 7/7 7/14 
  
2008年、読書と創作の旅
6・30下原ゼミ
6月30日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.出欠・連絡事項・司会進行者指名・ゼミ誌作成報告
 2.課題提出原稿&テキスト『城の崎にて』読み「生き物観察」
    
 3.「単純な、しかし厄介な事件」観察「裁判員制度擬似体験」
  4.名作「ニコライが読む古事記」「日本のはじまり観察」読み
     
 
     車窓 北朝鮮問題観察③
 最近の世界ニュースは米国の北朝鮮へのテロ支援国家解除である。6月24日読売新聞は朝刊トップに「テロ指定解除26日着手 米、北の核申告と同時」を掲載。朝日新聞は27日に「北朝鮮テロ指定解除表明」をと、このところ北朝鮮関連の記事が目立つ。これは6カ国会議で、核無能力化をゴネていた北が、突如非核化計画を申告し実行したことにある。内外とも問題を抱える米国は、形だけにせよ爆破を米CNNがテレビ中継したことで、テロ指定を解除したい意向だ。日本政府も、これに追随するようだ。福田首相は、23日の記者会見で「停滞する日朝関係にも前進の兆しが見え始めている」と話した。北の核施設爆破は、プロパガンダなのは、誰がみてもあきらかだ。が、核廃絶を願う世界にとっては、それでも喜ばしいニュースのようである。それにしても、米国は、なぜこうも容易く北の策略にはまったのか。日本としては、米国のテロ解除を作戦とみたい。(例えば新証拠を握っていて、後で攻撃の材料とする。イラクの失敗の轍は踏まないためのである)。そうでなければ、到底承諾できるものではない。今回の核施設爆破は、細菌で汚れた貯水槽がある、皆が心配し恐れていると騒いだら上の濁りだけを、すくいとった。そんな見え透いた行為である。
 日本にとって北がテロ支援国家でなくなるのは、二つしかない。一つは1970年3月31日に起きた「よど号ハイジャック事件」。午前7時21分乗員7名、乗客131名を乗せた日航機「よど号」は福岡空港を目指して羽田を飛び立った。しかし、富士山上空でハイジャックされた。犯人は9人の赤軍派。よど号は、福岡空港と韓国金浦空港で交渉のため40時間留まった後、犯人の希望通り北朝鮮の平壌に向った。犯人たちは、犯罪者にもかかわらず、北朝鮮では、英雄視された。彼らテロ犯の無条件の返還である。もう一つは、拉致被害者、全員の即刻返還。アメリカが拉致に鈍感なのは、自分たちもつい最近までアフリカから人をさらってきて働かせていた。そんな歴史があるからか。もし、米国のテロ支援国家解除が本当なら、残念ながらそうと疑ってしまう。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.107―――――――― 2 ――――――――
車窓雑記
太宰治と志賀直哉の違い
 6月13日は何の日か思い出せない人も、来年2009年は、作家太宰治の生誕100年に当たることは知っている。あちこちで太宰特集が計画されているからである。太宰人気は、相変わらず健在というところか。文芸棟のドアや廊下にも、原稿募集のポスターが目に入る。頼りない笑み、なぜか三島由紀夫を彷彿するもの悲しそうな憂い顔。純朴な田舎の人間か、健全な心の持ち主から見れば「薄気味悪い人物」だが、文学に凝りだした若者には、たまらない魅力に見えるらしい。狐つきに憑かれるように、彼らの魔力にハマってゆく。そうして、いっぱしの文学青年になって「太宰文学には、人間の心の弱さが書かれてある」とか「三島文学は華麗だ」など、赤面なく騙るようになる。たいていは、一過性のおこりだが、そうでない人たちもいる。それらの人たちは、志賀直哉については否定的である。
 志賀直哉と太宰治の違いは、何か。答えは簡単。太宰や三島の文学は、いわゆるオタク文学である。オタク文学とは何か、それははまった人だけの文学。そうでない人にとっては、全く理解できないもの、単純だがそう分類している。いつだったか、かなり昔になるが、「知ってるつもり」のような番組で太宰治が紹介されたことがあった。コメンティターが万年文学青年とか文学オタクのような人ばかりだったので、太宰称賛の声が多かったが、一人加山雄三だけが憤慨して「私には、まったくわからない」と首をひねっていた。その様子を、やっぱり健康過ぎる人間にはわからん、とでもいうように司会者はじめ他の出演者は失笑していた。番組では浮いてしまった加山だが、案外それは、的を得ている。後になって、そんなふうに思った。たとえば自分の友人、家族親戚を見回したとき、太宰ファンをみつけるのは難しい。話しても、関心をもつとは思えない。それが普通の、平凡な人々の感想である。「心中相手を探して苦悩する人間」、どう考えても、異常である。たとえその人間が、天才だろうが、大傑作を書く作家だろう、が、である。
 志賀直哉が太宰治をどう見ていたか。早い話、太宰が最後の心中体験というか心中観察したとき、それについて評したものがあるので紹介する。以下がそれである。(誤解のないよう全文、掲載した。なお、編集室が現代表記にした)
 
 太宰君の小説は8年程前に一つ読んだが、今は題も内容も忘れてしまった。読後の印象はよくなかった。それも図々しいから来る人を喰ったものだと一種の面白みを感じられる場合もあるが、弱さの意識から、その弱さを隠そうとするポーズなので、若い人として好ましい傾向ではないと思った。その後、もう一つの「伊太利亜館」というのを読んだ。伊太利亜館というのは昔、伊太利亜人が始めたという新潟の西洋料理屋で、私も前に行ったことがあるので、その興味から読んでみたが、これは前のもの程ポーズはないが、それでも、頼まれて講演に来た事を如何にも冷淡な調子で書きながら、内心得意でいるようなところが素直でない感じががした。こういうことは誰にもあることで、そのことは仕方ないとして、作品に書く場合、作家はもう少しそのことに神経質であってもいいと思った。冷淡に書けば読者もその通りに受け取ると思っているようなところが暢気だと思った。
 それから私は最近まで、太宰君のものは一つも読まなかった。そして、去年の秋、「文学行動」の座談会で太宰君の小説をどう思うかとたずねられ、とぼけたようなポーズが嫌いだと答えたのであるが、太宰君はそれを読んで、不快に感じたらしく、「新潮」の何月号かに、「ある老大家」という間接な言い方で、私に反感を示したということだ。私はそれを見落とし、今もその内容は知らない。(「太宰治の死」から)つづきは次回転載
 
 途中だが、ここで志賀直哉と太宰治の文学にたいする考えを明らかにしたい。たとえば「芸のためなら女房も泣かす」という歌詞がある。太宰の文学は、まさにそれである。他者が困ろうが、どう思おうが、傑作が書ければよい。志賀直哉の芸術実践は、まったく反対である。芸術は、あくまでも己個人のこと。他者とは関係がない。その信念を貫いている。次回
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2008年、読書と創作の旅
「ゼミ2」号乗員名簿
 「2008年、読書と創作の旅」に参加した皆さんは全員で16名です。時空船「ゼミ2」号で、究極の目的「人間とは何か」を知るために、読むこと書くことの習慣化を目指します。(希望カード提出順・敬称略)
・阪本 義明 ・大野 菜摘 ・川端 里佳 ・本名 友子
・長沼 知子 ・野島 龍  ・大谷 理恵 ・瀧澤 亮佑
 
・秋山 有香 ・田山 千夏子・神田 泰佑 ・小黒 貴之
・刀祢平知也 ・橋本 祥大 ・飯島 優季 ・臼杵 友之
※記念撮影は、全員が揃ったときに撮ります。
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「2008年、読書と創作の旅」班長・副班長
 ◎ 班長・小黒貴之さん      ○ 副班長・瀧澤亮佑さん
「2008年、読書と創作の旅」ゼミ誌作成編集委員
 ◎ 編集長  ・ 川端里佳さん   大野菜摘さん
 ○ 副編集長 ・ 小黒貴之さん
   編集委員 ・ 坂本義明さん   橋本祥大さん   
          飯島優季さん   瀧澤亮佑さん  補助委員・全員
6月の車窓
雨の巷に降る如く   われの心に涙ふる
かくも心ににじみ入る  この悲しみは何やらん?
  やるせなの心の為に  おお、雨の歌よ!
  やさしき雨の響きは  地上にも屋上にも!
     消えも入りなん心の奥に  故なきに雨は涙す
     何事ぞ!裏切りもなきにあらずや? 
     この喪その故の知られず
        故しれぬ悲しみぞ
        実にこよなくも絶えがたし
        恋もなく恨みもなきに
        わが心かくもかなし
『無言の恋歌』「忘れた小曲 その3」ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)堀口大学訳
       
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107 ――――――――4 ―――――――――
「2008年、読書と創作の旅」10日目
はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」配布、連絡事項、その他
         
司会進行決め  →  毎回、順番にやってもらいます。担任が指名。
司会者進行
0.本日のゼミ会について
  小黒班長・瀧澤副班長から、詳細報告 会場=所沢「笑笑」時間19時
1.ゼミ誌作成に関する報告、説明、  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員)
 
2.課題原稿読み
 ※提出原稿の本欄への掲載は、合評するので原則として原稿通りとしますが、あきらかな
  誤字、脱字、難読など不明個所は修正するか下線とします。
【生き物観察】
変わらぬ風景
 飯島 優季
人通りがあまり多いとは言えない田舎の駅。その駅の一番上の改札機の上。そこが彼のお気に入りの場所。彼は毎朝そこで寝ている。誰が来ようが関係ない。目の前でsuicaをかざされ音が鳴ろうが、切符や定期が通されようが、彼には何の問題もないのだ。勿論なでられても同じ、そこを退く気は全くない。動く気すらない。
晴れている日はお日様と日向ぼっこ。雨の日は、雨の音をBGMにうつらうつら。風が強けりゃ、風に体を撫でてもらいながら夢心地。彼は、いつもそこで気持ちよさそうに目を細め、体を丸めている。
そんな彼の元へ一人の少女が近寄り、写真を一枚パシャリと撮った。彼は珍しく頭を持ち上げ「何?気が済んだら早くどっか行って。俺はまだ眠いんだよね」と訴えかけているよう。もう数枚写真を撮った後、少女は満足そうに去っていった。それを見送ると彼は、頭を下ろしてもう一眠り。またいつもと変わらない風景がそこにはあった。
彼の名前は知らない。彼の年齢も知らない。ただ、分かることが二つ。それは、彼が今日もそこで眠っていること。そして彼がノラ猫であること。
□ そういえば、所沢校舎の校門を入ったところにも太った猫がいました。文芸棟に向う桜並木の根本で、いつも昼寝をしていたあの猫です。きっと餌が豊富で、あんなにもデブデブしてしまったに違いありません。が、近頃、見かけません。あの太った猫はどこに行ったのでしょうか。
―――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107
【車中観察】
電車の中の「蹴りたい背中」
  瀧澤 亮佑
電車の中にはたまに変な人がいる。
車内で車掌さんのまねをやたら大声で演じる人とよく遭遇するが、彼らの周りの乗客に対する迷惑、気まずさといったらない。これは都会に住み、普段電車に乗る人ならわかるだろう。とにかく大声で、本職であるはずの車掌さんより前にアナウスを始めてしまう。
「次は~石神井公園~」
本職の車掌さんも顔負けの独特な言い回しで電車最後尾の乗客にのみアナウンスして教えてくれるのだ。
 その後、本職の車掌さんもきちんとアナウンスするので、周りの乗客にとってはものすごく迷惑である。
 彼らは見たところ(30代くらいの男が多い)は鉄道会社に就職できなかった事のうっぷんを晴らしているのだろうか。とにかく電車の最後尾、ドアをはさんで車掌さんの目の前で大声で張り上げているのである。
 こういうことは家でNゲージでも作って一人で誰もいないところでやれ!と思う。
 もしかしたら彼らは精神的に何かしらの病があるのかもしれない。でもだからといっていい大人が周りの人間の事もかえりみずに電車の中で騒いでいいものであろうか。
 前、「けりたい背中」と言う小説が話題になったが、僕はこういう人たちを見ると背中から蹴り飛ばしたくなるのである。
□京成のホームにも、同じような人がいます。こちらは車掌さんと仲良く指差し確認しています。毎朝、ラッシュ時、に見かけるから本人は手伝っているつもりかも。
【普通の一日を記憶する】
岩波文庫『コロンブス航海誌』クリストパール・コロン日誌 林屋永吉訳
要約バルトロメー・デ・ラス・カサス神父(1474-1566)
1492年
サンタ・マリア、ニーニャ、ピンタ号で出航(目的地はジャパン)
8月3日、金曜日 1492年8月3日。金曜日の8時にサルテス川口から出航した。陸からの強風を受けて、日没までに南へ60ミリャ(1ミリャは1・5㌔)すなわち15レグア(1レグアは6㌔)を進み、その後カナリア諸島への針路をとって南西及び南微西へ向った。
8月4日、土曜日 南西微南へ航走した。
8月8日、水曜日 船の現在位置について、三隻のカラベラ船の舵手達の間で意見が分かれたが、提督(コロンブス)の意見が最も正しかった。提督は、ピンタ号の舵の調子が悪く、浸水するので、グラン・カナリアへ着いて同船を放棄し、他の船が見つかればそれととりかえたいと思った。しかしその日は同島に着くことはできなかった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・107 ―――――――― 6―――――――――
3.テキスト『城の崎にて』読み【生き物観察】(時間の都合で4番と交代も)
■1917年(大正6年)5月1日発行『白樺5号』に発表。
『城の崎にて』は、日本文学のなかでも異彩を放つ名作である。いのち観察作品。
 先々週『出来事』を読んだが、この作品は、『出来事』を書き終わった夜、即ち1913年8月15日、友人の里見弴と散歩に出て、その帰り山手電車にはねられ、怪我をする。その怪我の治療に城の崎温泉にきて書いたものである。【創作余談】これは事実ありのままの小説である。鼠の死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じは素直に且正直に書けたつもりである。いわゆる心境小説というものでも余裕から生まれた心境ではなかった。
4.模擬評決「単純な、しかし厄介な事件」あなたならどう裁く
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
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 日本には、現在1億3千万近い人間がいる。そのうち未成年者は2300万人というから選挙権の有権者は、1億人前後いることになる。自分が選ばれる確率は宝くじより低い、などと思ってはいけない。人間一生のうち67人に1人が裁判員となる割合だという。
 平成元年生まれの人たちが多いゼミの皆さんも例外ではない。というわけで、ある事件を裁判員になったつもりで、評決してみましょう。(この事件は、1876年ロシアの裁判で陪審員制度で裁かれました。ある意味で裁判員の見本となる裁判。)
「単純な、しかし、厄介な事件」(ドストエフスキー全集『作家の日記』上巻)
1876年5月×日ロシアのペテルブルグでこんな事件が起きた
(実際の情報が少ないため、事件発生時と現場状況について多少の推理・憶測があります)
事件の推移
 1876年5月×日、午前7時頃(推定)ペテルブルグの警察分署に、一人の若い女が出頭した。若い女は、応対した警官に、「たったいま、継娘を4階の窓から放り投げて殺してきました」と、言った。つまり殺人を自首してきたのである。継娘は6歳、4階の高さは地上から十数メートルある。驚いた警察は、現場に駆けつけた。遺体を確認してこなかった、と言ったが、誰もが最悪を思い描いた。この季節にしてはめずらしく、雪が道路のそこここに残っていた。女が放り投げたという4階の窓下にも、いくらかの雪がはき積もっていた。警察は被害者を探した。6歳の女の子は、まったくの偶然に、その雪の中に落ちて気を失っていた。怪我一つなく、奇跡的に助かったのだ。警察は、女を継娘殺人未遂事件の犯人として逮捕した。はたして、この女の罪状は・・・・。現在、日本のあちこちで起こっている幼児虐待事件、とくに一昨年の秋田の事件を思い出す(あれは実の娘だったが)。
犯人の身元
 犯人の若い女は何者か。名前、エカチェリーナ・コルニーロヴァ。年齢20歳。職業、農婦。1年ほど前、妻が病死した子連れ男と結婚した。連れ子は6歳の女の子で、この事件の被害者となった。この夫婦は結婚当初から夫婦喧嘩が絶えなかった。
殺意の動機
 自己中心的な夫への憎しみ。自分を親戚のところへ行かせず、親戚が来るのも嫌がった。喧嘩のたびに、死別した細君を引き合いに出しては、「死んだ妻の方がよかった」「あのころは、世帯向きがもっとうまくいっていた(米川訳)」など言葉の暴力を受けつづけた。
 このためいつしか愛情より憎しみが強くなり、復讐したいと思うようになった。復讐は、何がてきめんか。それは「亭主がいつも引き合いに出しては自分を非難した先妻の娘を、亡きものにすること」だった。夫に対する面当てから、なんの落ち度もない6歳の継娘を殺そうと計画し、実行したのである。
陳述・義母はこのように犯行を話した
 夫婦喧嘩では、夫にいつも怒鳴られていました。亡くなった前妻の方がよかったと責めるのです。罵られるたびに、連れ子の6歳の継娘まで憎くなってきました。それで、いつか、面当てに夫が一番の打撃になること、継娘を亡きものにしようと思っていました。このところ、ひどい喧嘩がつづいたので、ついに限界に達し、昨日、それを実行する決心をしました。しかし、昨晩は、夫が家にいたのでできませんでした。
 今朝、夫が仕事に出かけたので、計画を実行することにしました。私は、4階の窓を開け、草花の鉢植を窓じきの一方に寄せました。それから、起きたての継娘の名を呼びました。
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6歳の継娘は、眠気眼をこすってやってきました。私は、
「○○ちゃん、窓の下を見てごらん」と、言いつけました。
 継娘は、朝っぱらなんだろうという顔をしました。が、窓の下にどんな面白いものが見えるのかと、思ったのでしょう。すぐに窓じきにはいあがりました。そして、両手を窓に突っ張って、下をのぞきました。ちっちゃな両足が、私の目の前にありました。その可愛らしいちっちゃな両足を私は、つかんで持ち上げ、窓外に放り投げました。娘は、宙にもんどり打って落ちて行きました。私は、すぐに窓を閉めて、着換えをすませ、部屋の戸締りをして警察に出向しました。これが犯行のすべてです。嘘偽りはありません。
検察の第一審・判決
 前日に計画。落ちれば必ず死ぬ高さ。実に、情け容赦のない人非人の恐ろしい犯罪とみた。検察側の求刑は以下の通りであった。
「犯行当時17歳以上20歳未満に相当するエカチェリーナ・コロニニーロヴァを、2年8ヶ月の懲役に、その満期後、終身シベリヤ流刑」に処す。
 今日の日本ならば、幼児虐待も殺人未遂だが。重い刑といえる。
 ちなみに『罪と罰』の強盗殺人で、金貸しの老婆と、その妹の2人をオノで殴り殺した元大学生には、「潔く自首したこと」、過去に火事場から「二人の子供を救出したこと」その他2、3の酌量すべき情状から、刑期はわずか8年と決まった。
6歳継娘の殺人未遂事件裁判
 さて、「2008年、読書と創作の旅」の皆さんの審判は。自分の考えを述べ合って、この事件が有罪・無罪を結審させてください。
1.司会者は、公平な判断ができない場合は、裁判長(自薦)を指名。以下、裁判長主導
2.無記名で「有罪」か「無罪」を
3「有罪」記入者は、.なぜ「有罪」かを立証。全員
4.「無罪」記入者は、なぜ「無罪」かを立証。全員
5.「無罪」不利の場合、隠し玉「?」を紹介。
6.「有罪」「無罪」記入者代表、説得し合う。
7.判決
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6・23ゼミ報告
 
出席者・11名
 
6月23日の出席者は、以下11名の皆さんでした。
 
・川端里佳  ・大谷理恵  ・野島 龍  ・飯島優季  
・小黒貴之  ・秋山有香  ・大野菜摘  ・橋本祥大  
・阪本義明  ・本名友子  ・臼杵友之
○ 司会進行は、野島 龍さん
1.ゼミ誌作成の進行状況報告 川端編集長、小黒副編集長
 ○ テーマ → 「空」内定
 ○ ジャンル → なし 枚数 ~20枚程度
 ○ 表紙デザインなど  → 小黒貴之さん
 
編集長の意向 → 長編希望の人は前もつて凡その枚数をお知らせください。         
           
2.課題原稿読みと感想 【普通の一日】【生き物観察】【車内観察】各1本
臼杵友之「溺れる蝶」蝶が灯火に焼かれるまでをじっくりながめた「生き物観察」
合評 → 「表現的には整っていてきれいだが」「全部が、この流れだと」「詩の形態にした
     方が」「主体が見えない。誰が、何が」
作者 → 「直したい個所もあったが、短編だからこれでいいかとも思った」
阪本義明「サークル活動とは何か」部活動と学業の矛盾を問う「社会観察」
合評 → 「曜日をはっきりさせたほうがよいのでは」「よくある話だが」「そのサークルの
     方針はどうなっているのか」
作者 → 「曜日の明記の指摘ありがとうございました。発表前の点検の必要性」
大谷理恵「スキンヘッドの視線」空いた電車の車内で、感じる視線。怪しいヘッド
合評 → 「ダボダボした小柄な身体」の個所が気になった「小柄の身体に不釣合いのダボ
     ダボした」の方がいいのでは。
作者 → 「描写が足らなかった」
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107―――――――10 ―――――――――― 
人生相談トーク
大学2年の息子が「大学を辞め料理人になりたい」といっている。どうすればいいのか。
「言葉だけかも、熱意に疑問を感じるので、大学をつづけることをすすめます」
「あまり意見が強そうに見えないので、大学に籍をおいたまま料理の勉強をしたらどうか」
「大学をつづけた方がいいとすすめる。雰囲気でいく性格のようだから」
「料理人になりたい意志が伝わってこない。すぐやめてしまいそう」
「寿司学校の方がいい。とにかく一度やらせてみたらとすすめる。甘いかも」
「どうして料理学校にこだわるか。親にも問題がありそう」
「自分で経験しろ、と言う」
「母親の考えが不安定なところが問題」
「友人のタイプによる。母親からの一方的情報過ぎる。母親が、すでに(否定的な)答えを出している。息子はまだ2年、道はこれから」
「大学に籍だけおいて料理修業を、とすすめる」
「大学に行くべき」
「甘ったれるな、といいたい」
 毎年、卒業式に参加して、ゼミの卒業生を探します。何人かの、姿がみえません。たずねると留年の他に退学した人が1人か2人います。驚くのは、そんな人たちはゼミは、ほとんど休まず出席していた熱心なゼミ生でした。経済的、目的、様々な動機があるようです。彼らは退学する前、友人に相談したのでしょうか。
新聞の識者アドバイスは、このようでした。
――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107
ゼミ誌について
ゼミ雑誌発行12月15日を目指して
 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
ゼミ誌原稿について
 ゼミ誌原稿は、そのために書くというより、日々の授業のなかで育てることをすすめます。締め切り前あわてて書くより、発表した観察作品を草稿として完成品に高めるよう創意工夫してみてください。合評したとき、皆の印象や意見を参考に。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也
ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです
○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン → 小黒副編集委員を中心にすすめる
      原稿締め切り → 夏休み明け
1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日を決める。
以上までが完了。6月30日現在。
4. 9月末  → 編集委員にゼミ誌原稿を提出。
5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107―――――――12 ――――――――――
「2008年、読書と創作の旅」の記録
□4月14日 参加者約20名。旅説明と嘉納治五郎の青年訓「多読と精読」読み。
□4月21日 司会=小黒、登録11名出席。旅立ちに際して紀行文と書簡の読み。『おくの
      ほそ道』「発端」「旅立ち」。ドストエフスキーが国家反逆罪の罪でシベリアに
      向う朝、兄に書いた手紙を読む。志賀直哉の車中作品についての説明。
□4月28日 司会=田山、15名出席、名作紹介・サローヤン『空中ブランコに乗った大胆
      な青年』読みと感想と解説。議論・新聞「人生案内」愛の告白について〈私な
      らこう答える〉、登録者16名に。
□5月12日 司会=本名、13名出席、ゼミ正副班長指名、ゼミ誌編集委員決め。新聞記事
      紹介。「小林多喜二『蟹工船』」と志賀直哉の関係。紙芝居『少年王者』の作者
      山川惣治の本が刊行される。東京新聞取材のドストエフスキーの全作品を読む
      会「読書会」の宣伝。提出原稿6本の読みと合評。
     【車内観察】5本
      ・本名友子「台風一過」・瀧澤亮佑「タイムスリップ」・秋山有香「新入生」
      ・川端里佳「ランデブーは車内で」・大野菜摘「園児とサラリーマン」 
      【生き物観察】1本
      ・小黒貴之「スカーフ猫は喉を鳴らさない」
□5月19日 司会=飯島、12名参加、新聞記事紹介=「『蟹工船』再記事について」「五月
      病記事について」「候補漢字220字について」など。提出原稿1本の読み。
      【一日観察】・野島 龍「夜明けからの一日」
      【テキスト読み】・『菜の花と小娘』 ・草稿『小説 網走まで』
□5月26日 司会=川端、12名参加、小黒班長=ゼミ合宿の有無。合宿なしで決定。
      名作読みA・ランボー「谷間に眠るもの」、車内観察テキスト見本「夫婦」
      完成作『網走まで』感想
□6月2日 司会=秋山、14名参加 『少年王者』と『灰色の月』の関係。
      【車内観察】1本・長沼知子「立ち聞き」
      【一日を記憶する】1本・秋山有香「一日の出来事」
      【コラム】1本
      ・瀧澤亮佑「池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』を読んで」
      【少年王者】紙芝居口演
      ・14名全員が口演。約1時間。三分の二カットまで
□6月9日 司会=瀧澤、13名参加、編集委員=ゼミ誌報告、印刷会社決定など
      【車内観察】1本 ・刀祢平知也「僕の中央線」
      テキスト読み『或る朝』、車中観察関連作品夏目漱石の『三四郎』上京まで
□6月16日 司会=阪本、15名参加、川端編集長より提案、題「空」内定、表紙デザイン
       協力者希望者は来週ゼミで。
      【一日の記憶】1本・長沼知子「300円以下の時間」
      【車内観察】1本・小黒貴之「広告という名の電車」
      テキスト読みと感想『正義派』、『出来事』
□6月23日 司会=野島、11名参加。ゼミ誌報告、表紙デザイン担当は小黒。
      【生き物観察】1本・臼杵友之「溺れる蝶」
      【社会観察・一日の記憶】1本・阪本義明「サークル活動とは何か」
      【車内観察】1本・大谷理恵「スキンヘッドの視線」
       議論・人生案内「母親が大学2年の息子の相談」私の答え
      『ひがんさの山』【生き物】【一日】【狩り】【部落の大人】観察を物語にした。
       
―――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107
岩波写真文庫復刻される!!
写真家・熊谷元一の『一年生』『農村の婦人』に注目
                                 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107―――――――14 ――――――――――
帯写真は、熊谷と下原
――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107
『農村の婦人』岩波写真文庫ひとくちばなし・しもはらとしひこ
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.107―――――――16 ――――――――――
掲示板
提出原稿について
○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 社会観察 → 社会の出来事を観察、自分の意見もいれてみる
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)
 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。
ゼミ誌・課題・その他+提出原稿(2×)+出席(1×)=評価(60~120)
ドストエフスキー情報
7月26日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から 
8月 9日(土) : 全作品を読む会「読書会」暑気払い。「『悪霊』払い祭り」
               会場は東京芸術劇場第一会議室 午後2時から
出版
 
 ☆復刻版・岩波写真文庫『農村の婦人』6月25日発売「ひとくちばなし」下原
☆新刊・熊谷元一白寿記念写真集『信州 昭和の原風景』一草舎2200円
★旧刊・下原敏彦著『伊那谷少年記』鳥影社「昭和30年の原風景」
 理論社 2008・3・21 定価1200
★文・藤井誠二 マンガ・武富健治『「悪いこと」したらどうなるの?』
  ★山下聖美『国文学4』「ケータイ小説 クリエイターの卵たちはどう読むか」
★福井勝也著『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』のべる出版企画 2008
★芦川進一著『「罪と罰」における復活』河合文化研究所・河合出版2007
★清水 正著『ドストエフスキー論全集1』D文学研究会2007
★下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社2006 2月点字図書
★國文学別冊『ギャンブル』下原敏彦・文「ドストエフスキーとギャンブル」
                                  
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編集室便り
☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。

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