文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.108

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)7月14日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.108
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008前期4/14 4/21 4/28 5/12 5/19 5/26 6/2 6/9 6/16 6/23 
6/30 7/14 
  
2008年、読書と創作の旅
7・14下原ゼミ
7月14日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.出欠・連絡事項・司会進行者指名・ゼミ誌作成報告
 2.課題提出原稿発表&前期回顧(出席率・課題原稿提出率など)
    
 3.なぜ「継娘殺人未遂事件」は無罪になったか
  4.紙芝居『少年王者』「生いたち篇」残り「赤ゴリラ篇」
     
 
     車窓 前期を振り返る
 今日は、7月14日、前期ゼミ最終日である。開講した4月14日が、昨日のことのように思える。16名の受講生、最近になってようやく名前と顔が一致した人もいる。欠席の多い人は、まだ怪しい。それなのに・・・・ただ歳月の流れる速さに驚くばかりである。
 時空を旅するゼミ2号の旅は、半行程を終えた。隊員16名全員、いまのところ1人の不明者、落伍者もでていない。旅程も、全員が揃わないことを除けば順調である。隊員たちのあいだも、出発時は、ゼミ誌委員も遠慮し合ってなかなか決まらない状態であったが、気がつけば、それぞれが自主的に役を引き受け、お互い融和協力意識も芽生えている。
 そんな雰囲気を察してか6月30日に所沢「笑笑」で懇親会が開かれた。出席者は、それぞれの都合もあって全体の三分の一強の6名と少なかったが、その分、より深い親交を結ぶことができた。宴席では、家族の話、学校の話、自分の目標や血液型の話など多彩であった。班長の小黒君から、昨年学業優秀でこのたび特待生に選出されたとの祝事報告もあった。前期を飾るめでたい出来事である。楽しい時は短い。皆「もう時間か」と、名残惜しそうだった。こんどはもっと多くの人にを合言葉に散会した。幹事さんご苦労様でした。
 順風満帆のゼミ。しかし、車窓は穏やかではなかった。8月の北京オリンピックに向けてアテネからスタートした聖火ランナー。各国での反対運動騒ぎに油を注いだ中国のチベット暴動。日本では、善光寺が辞退した。漸く鎮静化に向かった。しかし、一難去って、また一難。中国四川省でM7の大地震。なんと何万人もの人が亡くなったのである。そして、その復興・救援も遅々として進まぬうちに、こんどは日本の東北でM6の大地震。相次ぐ自然災害の恐ろしさ。しかし、それにも勝るとも劣らないのは、人間社会だ。暗澹とした事件、出来事がつづく。父殺し、子殺し、兄弟殺し。こんな家族から街にでれば、「誰でもいいから殺したかった」そんな輩が走り回っている。商品も料理も偽物だらけ。げに恐ろしや人間社会。後期の車窓は、楽しい、美しい風景であって欲しいと願う。      (編集室)


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.108―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
不忍池観察
 7月1日、東京芸術劇場で午前10時30分から10月読書会の会場抽選会。3分遅れで45番目の申し込み順位。いつも運が悪い。1時間半待ちでなんとか予約。「第50回記念 日本総合書芸院展」を観るため上野の東京都美術館に向かう。読書会の会員の方の作品が展示されていて読書会の人たちと約束していた。大幅の遅刻。が、皆、昼食を食べずに待っていた。
 書道は、自分が悪筆なので、どれをみても立派にみえる。読書会の会員の方の作品は、石川啄木の雪を歌ったものだった。会場で、はじめて知って驚いたことがある。その読書会会員の書家は、卒寿に近いお歳だが、きれいな白髪で、小柄な可愛らしいといったら語弊があるが、どこか上品な、そんな印象のお婆さんだった。が、足も丈夫で、視力もメガネ要らずという達者ぶり、90に近い年齢をまったく感じさせなかった。
 彼女は、読書会には80歳になったとき入会された。2004年ドストエフスキーの曾孫ドミイトリー氏を招聘したとき、露文の関係から早稲田大学で講演してもらった。終わってから近くの居酒屋で親睦会を開いた。そのとき出席され、それが縁で読書会に来られるようになった。小柄の体のどこに、そんなエネルギーが潜んでいるのか、次々と、ドストの長編を読破された。が、読書会では、いつも自分は初心者だからと謙虚だった。そんなご様子から、読書好きの可愛いお婆さん。そのように思っていた。ところが会場に着くと、展示会関係者とみられる人たち、皆さん年配の方々なのだが、あちこちから「大先生」と、駆け寄ってきて挨拶していた。その読書会参加のお婆さんは、実は書道界では大家で、大勢のお弟子さんがいたのである。そのあと私たち読書会の一行は、精養軒の奥にある老舗の鰻屋に案内され鰻重をご馳走になった。座敷からは、下方に不忍池が木の間隠れに見えた。書道の大家であった彼女は、上野界隈に明るく、昼食後、不忍池を散歩して帰りましょう、ということになった。私たち5名は、東照宮神社の石段を下って不忍池に歩いていった。時刻は、午後3時近く、梅雨の晴れ間の日差しが暑かった。上野には、展覧会などを見に度々くるが、たいていは大通りを京成電車方面に歩いて帰る。不忍池方面は、さすが人通りが少なかった。が、向う人たちは、散策目的であるから、歩きもどことなくのんびりしている。穴場としてマップで紹介されているのか、外国人観光客の家族もいる。「いまは蓮の花なんですよ」何度もここを訪れているという書道の大家は、そう説明された。埃っぽい砂利の中道を弁天神社に向かって歩いて行くと、両側は、蓮の群生池となった。が、見渡たしても、花らしきものは見当たらない。大きなハスの葉の緑の絨毯がひろがるばかりである。「どうしたんでしょうねえ」書道の大家は、彼女のせいではないのに申し訳なさそうに謝った。「きっと、まだ早いんでしょう」私は、開花時期は、知らなかったが、そう言って慰めた。
 橋の下を見ると、大きな真鯉が十数匹泳いでいた。「ありました、あそこに」他の会員の女性が指差すので見ると、小さな蓮のつぼみが葉の下に見えた。ほかにはなかった。両側を蓮池に囲まれた中道を歩いていくと、白っぽい鳥が、すぐ近くで2羽、休んでいた。人間なれしているのか逃げようともしない。鵜でもないから皆で、「何だろう」と眺めていたら、縞々のしゃれた甚平さんを粋に着込んだ老人が、扇子で顔を扇ぎながらやってきた。老人は、私たちの会話を聞いて、ハタと足をとめ、いきなり説明しはじめた。
「あれは、ウミネコです。かもめですよ」老人はカンカン帽子をとってはげ頭の汗をぬぐって言った。「海から、遊びにくるんですよ。ほかの鳥は、みんな、海に帰ったんですが、2羽だけ帰らずに居ついたのがいるんです。あれは、その子どもなんです。ここで育ったんで、海を知らんのです」そうですか、と皆、なぜか感心して聞いていると、白と黒の鳥が飛んできた。「あれが、あの2羽が、その子どもですよ」物知りの老人は言った。「すると、お孫さんですか」書家の大家が聞いた。「そうです、そうです」物知りの老人は、わが意を得たりといった顔で説明しながらベンチに腰を下ろした。それを機に私たちは、少し早足で遠ざかった。振り向くと老人は他の散策人を探していた。私たちは、御徒町駅まで歩いて、そこで、大江戸線に乗るという人たちと別れた。
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2008年、読書と創作の旅
「ゼミ2」号乗員名簿
 「2008年、読書と創作の旅」に参加した皆さんは全員で16名です。時空船「ゼミ2」号で、究極の目的「人間とは何か」を知るために、読むこと書くことの習慣化を目指します。(希望カード提出順・敬称略)
・阪本 義明 ・大野 菜摘 ・川端 里佳 ・本名 友子
・長沼 知子 ・野島 龍  ・大谷 理恵 ・瀧澤 亮佑
 
・秋山 有香 ・田山 千夏子・神田 泰佑 ・小黒 貴之
・刀祢平知也 ・橋本 祥大 ・飯島 優季 ・臼杵 友之
※記念撮影は、全員が揃ったときに撮ります。
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「2008年、読書と創作の旅」班長・副班長
 ◎ 班長・小黒貴之さん      ○ 副班長・瀧澤亮佑さん
「2008年、読書と創作の旅」ゼミ誌作成編集委員
 ◎ 編集長  ・ 川端里佳さん   大野菜摘さん
 ○ 副編集長 ・ 小黒貴之さん
   編集委員 ・ 坂本義明さん   橋本祥大さん   
          飯島優季さん   瀧澤亮佑さん  補助委員・全員
7月の車窓の歌
Sensation
夏の爽やかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと麦穂の先で手をつつかれ、小路をゆこう。
  夢みがちに踏む足の、一あしごとの新鮮さ。
  帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。
     話もしない。ものも考えない。だが、
     僕のこのこころの底から、汲めどつきないものが湧きあがる。 
     
        さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミアンのように。
        自然とつれ立って、
         ―― 恋人づれのように胸をはずませ……
『第一詩集』ジャン・アルチュール・ランボオ(1854-1891)金子光晴訳      
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「2008年、読書と創作の旅」12日目
はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」配布、連絡事項、その他
ニュース
祝・小黒貴之さんが特待生に!!
おめでとうございます!
 ゼミ班長で、ゼミ誌副編集長でもある小黒貴之さんが、先ごろ大学の特待生に選出された。昨年時の成績優秀が評価されました。特典として学費が免除されます。
         
司会進行決め  →  毎回、順番にやってもらいます。担任が指名。
司会者進行
0.ゼミ親睦会の報告
  6月30日、午後7時、所沢「笑笑」ゼミ親睦会の報告。幹事・瀧澤副班長から
1.ゼミ誌作成に関する報告、説明、タイトル決め  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員)
 
2.課題原稿読みor 出席者数・課題原稿提出中間報告(なければ確認)
 △「観察」提出原稿発表 → あれば
 △ 出席者数(16名中)
   4月14日 → 見学20余名  登録者 → 12名
   4月21日 → 出席11名   欠席1  登録者 → 12名決定
   4月28日 → 出席15名   欠席1  登録者 → 16名確定
   5月12日 → 出席13名   欠席3
   5月19日 → 出席12名   欠席4
   5月26日 → 出席12名   欠席4(内病欠1)
   6月02日 → 出席14名   欠席2
   6月09日 → 出席13名   欠席3
   6月16日 → 出席15名   欠席1
   6月23日 → 出席11名   欠席5
   6月30日 → 出席12名   欠席4
※ 平均出席者数は、13名(16名中)でした。8割弱でした。
  皆勤者 → 4名  精勤者(1欠) → 5名  準精勤者(2欠) → 2名
△ 課題原稿の提出記録 → 33本
  ・愛読書アンケート → 12本  未提出4
  ・【車内観察】 → 12本
  ・【普通の一日を記録する】 → 5本
  ・【生き物の観察】 → 3本
  ・【コラム】 → 1本
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3.「単純な、しかし厄介な事件」について
 
6歳継娘殺人未遂事件は、なぜ無罪になったか
■なぜ、事件は起こったのか。前回も紹介しましたが犯人の継母は、その動機について、こ
 のように述べています。
 夫婦喧嘩では、夫にいつも怒鳴られていました。亡くなった前妻の方がよかったと責めるのです。罵られるたびに、連れ子の6歳の継娘まで憎くなってきました。それで、いつか、面当てに夫が一番の打撃になること、継娘を亡きものにしようと思っていました。このところ、ひどい喧嘩がつづいたので、ついに限界に達し、昨日、それを実行する決心をしました。しかし、昨晩は、夫が家にいたのでできませんでした。
 今朝、夫が仕事に出かけたので、計画を実行することにしました。私は、4階の窓を開け、草花の鉢植を窓じきの一方に寄せました。それから、起きたての継娘の名を呼びました。
6歳の継娘は、眠気眼をこすってやってきました。私は、
「○○ちゃん、窓の下を見てごらん」と、言いつけました。
 継娘は、朝っぱらなんだろうという顔をしました。が、窓の下にどんな面白いものが見えるのかと、思ったのでしょう。すぐに窓じきにはいあがりました。そして、両手を窓に突っ張って、下をのぞきました。ちっちゃな両足が、私の目の前にありました。その可愛らしいちっちゃな両足を私は、つかんで持ち上げ、窓外に放り投げました。娘は、宙にもんどり打って落ちて行きました。(高さ5サージェン半)私は、すぐに窓を閉めて、着換えをすませ、部屋の戸締りをして警察に出向しました。これが犯行のすべてです。嘘偽りはありません。
□1876年5月に起きたこの事件は、10月15日の一審判決では、有罪。刑罰は2年8ヶ月
 の懲役、満期後は終身シベリヤ流刑。
 前回のゼミ裁判員は、刑罰が重いという意見もありましたが、有罪判決は変わらず、でした。12名の出席者全員(司会の橋本君を含む)は、「有罪」。犯行当時、犯人が妊娠4ヶ月であったことを考慮しても、夫が警察に面会にきて自分の至らなさを詫びたことや犯人が充分に反省していることを知らせても「有罪」判決を支持するでした。
 この事件をとりあげた狙いは、このあまりに単純な有罪事件が、なぜ「無罪」になり得るのか。ちょっと難しいですが、そのへんを考えてもらいたかったからです。
□1877年4月22日、地方裁判所で再審。裁判官と陪審員は新しい顔ぶれ。判決は「無罪」
 被告コルニーロヴァ(21)は、釈放された。無罪判決の主な理由は以下の通り。
1.医学上の鑑定が不充分のため。妊娠4ヶ月で、「妊娠時の激情」があった。
2.奇跡的に継娘は、けが一つなく助かった。現在、寄宿舎にいるが心の傷より許しが強い。
3.夫は、改心し、なんども面会にきている。本人は、充分反省して悔いている。
4.被告は女児を出産している。母親としての自覚がでてきた。
5.有罪になった場合、女児の運命も寄宿舎にいる継娘も母無し子になる
6.有罪になった場合、彼女の人生は悲惨なものになる。予見。
 懲役 → シベリヤ → 身を持ち崩す → 病気 → 死
 生まれた赤ん坊も、被害者の娘も同じ人生を辿る可能性が高い。
7.被告の反省と悔い。夫の反省と悔いを考慮。有罪で、この家庭を破壊するより、無罪にして、もう一度チャンスを、の性善説に立った考えを支持。
8.自首したこと。犯罪が成立していて犯人が自首しなければ、誤って落ちた事故の可能性も
 あった。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・108―――――――― 6――――――――――――――――
参考資料
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 日本には、現在1億3千万近い人間がいる。そのうち未成年者は2300万人というから選挙権の有権者は、1億人前後いることになる。自分が選ばれる確率は宝クジより低い、などと思ってはいけない。人間一生のうち67人に1人が裁判員となる割合だという。
 
「単純な、しかし、厄介な事件」(ドストエフスキー全集『作家の日記』上巻)は、覆った判決裁判の見本。
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4.紙芝居『少年王者』「おいたち編」このまえの残りを口演
 時間あれば、第2話「赤ゴリラ篇」も
 
 前回、川端編集長から、「マキムリン」の話はどうしたのか、と聞かれました。ゼミ中日で口演した折り、皆の興味が薄い、アフリカのターザン物語には関心がない。そんな印象だったので、つづきの口演は躊躇していました。
 が、質問で、気になっていたことがわかりました。というわけで、前期最終日は、紙芝居で締め括ろうと思います。
歴史的【普通の一日を記憶する】
岩波文庫『コロンブス航海誌』クリストパール・コロン日誌 林屋永吉訳
要約バルトロメー・デ・ラス・カサス神父(1474-1566)
1492年8月3日金曜日サルテスの川口から、サンタ・マリア、ニーニャ、ピンタ号で出航(目的地はジャパン)
□ 9月15日、土曜日
 この日は夜も含めて、針路を西へ27レグア(1レグアは6㌔)余り進んだ。夜になる頃、乗組員達は空からすざまじい火の束が、船より4、5レグア離れた海へ落ちていくのを見た。  ※「火の束」は何か。隕石かも(編集室)
□ 9月16日、日曜日 
 西へ向い、昼夜にわたって航海をつづけ、39レグアも進んだであろうが、36レグアだけ勘定した。この日は少し雲が出て、小雨が降った。ここで提督は、この日からその後はずっとまことにさわやかな風に恵まれ、朝ともなればまったく爽快で、これでうぐいすが鳴けば申し分ないとし、「アンダルシアの4月のような気候であった」とのべている。ここで普通見られないほどの濃い緑をした草の束が次々と流れてくるのを見始めた。この草束は陸地からはがれてきたもののようだったので、誰も皆、どこかの島へ近づいたものと考えた。提督は、それでも大陸の近くではないとして「大陸はもっとさきにある」とのべている。
土壌館日誌
7月7日 日曜日 全国的に梅雨明けか。例年より12日早いという。
 土壌館道場は隣りの民家に配慮して、北側は窓がない。風が入る場所は西側の玄関と、並びの更衣室の窓、それに東側に窓二つ。が、東側も民家に接しているので、ほとんど風は入って来ない。そして、道場のある住宅街は、この地域では鍋の底のような場所にある。というわけで、夏は物凄い暑さである。今年は、例年より夏が早く来る予報。七夕のこの日は、朝から暑かった。朝稽古は、小学生は1時間が限界のようだ。中学生も、10時半になるとさっさと帰った。夕方は、中高年の受身と自彊術体操。暑くてもやる方が体にいいと、Y夫婦が来る。何もしないうちから汗。始めようとしたとき、訪問者があった。金髪の若い外国人。見覚えがある。最近、夜、稽古をのぞきに来ている彼だ。顔を合わせると入って来て、いきなり「英語は、少ししか話せないが、英語でいいですか」と言う。ちょうどよかった。Y氏は、元国連職員で、現在も国連アドバイザーとして各国を飛び回っている。日本にいるときだけ、道場に夫婦で来ていた。彼に通訳してもらった。若者はドイツ人で、日本に来て2ヶ月になる。柔道を学びたいという。「ここは、暑いですよ」と、言った。意味を理解してかどうか、ドイツ人の若者は、笑って頷くと柔道着や練習日のことを聞いて帰っていった。
「あの若者、くるだろうか」そんな話をしながら、そのあと準備体操、筋力体操、自彊術体操、受身、気孔、バランスと、いつものメニューをこなして6時半に終えた。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108―――――――― 8 ――――――――――――――――
6・30ゼミ報告
 
出席者・12名
 
6月30日の出席者は、以下12名の皆さんでした。
 
・川端里佳  ・長沼知子  ・野島 龍  ・飯島優季  
・小黒貴之  ・秋山有香  ・瀧澤亮佑  ・橋本祥大  
・阪本義明  ・本名友子  ・臼杵友之  ・田山千夏子
○ 司会進行は、橋本祥大さん
1.ゼミ懇親会について → 瀧澤亮佑副班長から報告、「会場が江古田は10名だったが
               所沢にしたら7名になった」とのこと。
2.ゼミ誌作成の進行状況報告 川端編集長、小黒副編集長
 ○ テーマ → 「空」
 ○ 表紙デザイン、サイズなど  → 小黒貴之さん 田山千夏子さん
 ○表題 → 14日ゼミで決める 発案は橋本祥大さんまでお知らせください
        メールは ethelance@ray.ocn.ne.jp
 
編集長の意向 → 写真とかがある場合は、早目、早めにお願いします。         
           
3.課題原稿読みと感想 【生き物観察】【車内観察】各1本
飯島優季「変わらぬ風景」駅の野良猫と私「生き物観察」
 ・訂正 → 「一番上の」を「一番右の」に訂正
合評 → 「タイトルを、もう少しひねった方が」「日がつづくが」「どんな野良猫か」
     「田舎の駅」について、これでよいと田舎はいらないの二つの感想。     
作者 → 「想像で書いた。全体を視覚的に捉えた方がよかったかも」
瀧澤亮佑「蹴りたい背中」ホームで駅員を真似る人を見て「社会観察」
合評 → 「蹴りたい背中を入れない方が」「自分の好みでは入れる」「作者のイライラが伝
      わってくる」「ユーモアーセンスが必要」
作者 → 「友人といるときなど、気まずい雰囲気になる。注意はしたいが・・・」
4.テキスト『城の崎にて』読み全員 → 「生き物観察」
 課題 → この作品は日本文学のなかで名作線上にある。――と、言われている。今後、いろいろな作品を読むなかで、それはなぜか、考えてください。
5.「単純な、しかし、厄介な事件」について1876年にロシアで起きた「20歳4ヶ月妊婦の6歳継娘殺人未遂事件」の判決を巡って
第一審、「シベリア監獄2年8ヶ月と終身シベリア暮らし」の判決は
ゼミ参加者12名の見方 → 重い刑罰だが、仕方がないのでは。「有罪」は覆らなかった。
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ゼミ誌について
ゼミ雑誌発行12月15日を目指して
 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
ゼミ誌原稿について
 ゼミ誌原稿は、そのために書くというより、日々の授業のなかで育てることをすすめます。締め切り前あわてて書くより、発表した観察作品を草稿として完成品に高めるよう創意工夫してみてください。合評したとき、皆の印象や意見を参考に。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也
ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです
○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン、奥付など → 小黒、田山が担当
      原稿締め切り → 夏休み明け
      タイトル決め → 7月14日に決める。
               メールは ethelance@ray.ocn.ne.jp 橋本
1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日、夏休み明け9月22日(月)。
以上までが完了。7月14日現在までの進行状況。
4. 9月末  → 編集委員にゼミ誌原稿を提出。
5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
ゼミ合宿について
夏のゼミ合宿は、5月末の採決、多数決により実施しないことに決まっています。
(昨年は星降る軽井沢の夜、マラソン朗読に挑戦。中編小説を7時間で完読でした)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108―――――――10 ――――――――――――――――― 
「2008年、読書と創作の旅」の記録
□4月14日 参加者約20名。旅説明と嘉納治五郎の青年訓「多読と精読」読み。
□4月21日 司会=小黒、登録11名出席。旅立ちに際して紀行文と書簡の読み。『おくの
      ほそ道』「発端」「旅立ち」。ドストエフスキーが国家反逆罪の罪でシベリアに
      向う朝、兄に書いた手紙を読む。志賀直哉の車中作品についての説明。
□4月28日 司会=田山、15名出席、名作紹介・サローヤン『空中ブランコに乗った大胆
      な青年』読みと感想と解説。議論・新聞「人生案内」愛の告白について〈私な
      らこう答える〉、登録者16名に。
□5月12日 司会=本名、13名出席、ゼミ正副班長指名、ゼミ誌編集委員決め。新聞記事
      紹介。「小林多喜二『蟹工船』」と志賀直哉の関係。紙芝居『少年王者』の作者
      山川惣治の本が刊行される。東京新聞取材の「読書会」紹介。
     【車内観察】・本名友子「台風一過」・瀧澤亮佑「タイムスリップ」・秋山有香
      「新入生」・川端里佳「ランデブーは車内で」・大野菜摘「園児とサラリーマン」 
      【生き物観察】1本・小黒貴之「スカーフ猫は喉を鳴らさない」
□5月19日 司会=飯島、12名参加、新聞記事紹介=「『蟹工船』再記事について」「五月
      病記事について」「候補漢字220字について」など。提出原稿1本の読み。
      【一日観察】・野島 龍「夜明けからの一日」
      【テキスト読み】・『菜の花と小娘』 ・草稿『小説 網走まで』
□5月26日 司会=川端、12名参加、小黒班長=ゼミ合宿の有無。合宿なしで決定。
      名作読みA・ランボー「谷間に眠るもの」、車内観察テキスト見本「夫婦」
      完成作『網走まで』感想
□6月2日 司会=秋山、14名参加 『少年王者』と『灰色の月』の関係。
      【車内観察】1本・長沼知子「立ち聞き」
      【一日を記憶する】1本・秋山有香「一日の出来事」
      【コラム】・瀧澤亮佑「池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』を読む」
      【少年王者】紙芝居口演・14名全員が口演。約1時間。三分の二カットまで
□6月9日 司会=瀧澤、13名参加、編集委員=ゼミ誌報告、印刷会社決定など
      【車内観察】1本 ・刀祢平知也「僕の中央線」
      テキスト読み『或る朝』、車中観察関連作品夏目漱石の『三四郎』上京まで
□6月16日 司会=阪本、15名参加、川端編集長より提案、題「空」内定、表紙デザイン
       協力者希望者は来週ゼミで。
      【一日の記憶】1本・長沼知子「300円以下の時間」
      【車内観察】1本・小黒貴之「広告という名の電車」
      テキスト読みと感想『正義派』、『出来事』
□6月23日 司会=野島、11名参加。ゼミ誌報告、表紙デザイン担当は小黒。
      【生き物観察】1本・臼杵友之「溺れる蝶」
      【社会観察・一日の記憶】1本・阪本義明「サークル活動とは何か」
      【車内観察】1本・大谷理恵「スキンヘッドの視線」
       議論・人生案内「母親が大学2年の息子の相談」私の答え
      『ひがんさの山』【生き物】【一日】【狩り】【部落の大人】観察を物語にした。
□6月30日 司会=橋本、12名参加。ゼミ誌報告、表紙田山、協力。題名は橋本にメール。
      【生き物観察】1本・飯島優季「変わらぬ風景」
      【車中観察】1本・瀧澤亮佑「電車の中の『蹴りたい背中』」
      【テキスト読み】『城の崎にて』全員で
      【議論】「単純な、しかし、厄介な事件」継娘殺人未遂事件裁判。
□7月14日 司会=   紙芝居「少年王者」口演
      
――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108
テキスト『車内観察』『生き物観察』『一日観察』
ゼミで予定している志賀直哉の観察作品の主なものは以下の通りです。
【車内観察】
□読み・感想が完了=『網走まで』、『出来事』、『正義派』、『夫婦』
□まだ読んでいない作品=『鳥取』、『灰色の月』
※このなかで『網走まで』、『灰色の月』を重点的にとりあげます。
【生き物の観察】
□読み・感想が完了=『菜の花と小娘』、『城の崎にて』
□まだ読んでいない作品=『濠端の住まい』、『蜻蛉』、『犬』、『雪の遠足』、『池の緑』
 『日曜日』、『クマ』、『虫と鳥』、『馬と木賊』、『兎』、『玄人素人』、『猫』、『蝦蟇と山棟蛇』
 『子雀』、『山鳩』、『目白と鵜と蝙蝠』『朝顔』、『鵜の子』、『雀の話』
※このなかで『菜の花と小娘』、『城の崎にて』、『濠端の住まい』、『蝦蟇と山棟蛇』などを
【普通の一日を記憶する】
□読み・感想が完了=『或る朝』
□まだの作品=『母の死と新しい母』、『母の死と足袋の記憶』
※ このなかで『或る朝』、『母の死と足袋の記憶』
【犯罪心理を観察する】
□とりあげてみたい作品=『兒を盗む話』、『范の犯罪』
志賀直哉の作品以外の後期テキスト
後期は、視点をひろげて世界の名作のなかから【家族観察】、【地域観察】などを見て、家族のなかの自分、社会のなかの自分を考えてみます。
 併せて、名作ルポタージュの【戦争観察】文学から、いまもこの世界のどこかでつづいている戦争について考えてみます。
検定・腕試し答え
       →
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108―――――――12 ―――――――――――――――――
新聞・投稿 朝日新聞「声」欄 2008年7月8日火曜日
落書きのニュースがあったので、小学校時代の黒板落書きを思い出して書いてみました。
(もちろん他所に落書きは悪いことだが、こんどの世界遺産落書きは日本のマスコミが先行した節があります。投書の主旨は、黒板落書きをすすめてくれた恩師のこと)
―――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108
新聞・「検定」腕試し
                                 
答えは、11頁
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108―――――――14 ―――――――――――――――――
2008年、読書と創作の旅
担任自己紹介の代わりに本欄で、学生時代の旅を紹介していますが、都合につきあらすじをもって本通信での掲載を終わりにします。
一九六八年、アジアの旅まとめ
                                   下原 敏彦
 1976年9月15日、午後の雲ひとつない残暑の相模湾上空。遊覧のセスナ機から、老初老の夫婦が操縦士とカメラマンを襲撃したあと、眼下の海にダイブしていった。初老夫婦は、なぜ死を選んだのか。元大学学長という身元から事件は、センセーショナルに報じられた。が、動機は、何もわからなかった。それから半月もあと。
 初秋の午後、立川の私の下宿に羽田署外事課の二人の刑事が、調書を取りにきた。謎を解くため私は、8年前のプノンペンの日々を話はじめた。若い刑事は、ちゃぶ台にひろげた調書の紙に丁寧にペンを走らせた。
 私にとって恩ある元学長夫妻の心中は、ムルソー(『異邦人』)の殺人よりも深い謎だった。私は、謎を解くために記憶の糸を探りながら話した。
 1968年8月、私は友人と横浜のメリケン波止場からフランスの定期客船「ラオス号」1万3千㌧で旅にでた。折りしも34億円もの使途不明金で端を発した日大闘争が熱く燃え広がろうとしていた。1㌦365円の時代だった。マルセーユまでの切符はもっていた。が、バンコックで下船。中国語の松崎教授の紹介状をもつて、当時鎖国政策を実施していた独裁社会主義国のカンボジアの首都プノンペンに行く。飛行機代で所持金は使い果たした。が、紹介された人の家に世話になることになった。その人は、カンボジア政府の経済企画庁で顧問をしていた日本人の元大学学長をしていた人だった。私たちのプノンペンの一日は、午前中、カンボジア語の勉強からはじまった。日本に行きたいという勉強好きの青年がやってきて先生になった。が、彼は、すでに日本語が流暢に話せて、テキストも雑誌『文芸春秋』というハイレベル。私たちはついてゆけず、彼自身も日本語を話したがることから勉強にならず、カンボジア人と結婚している日本人女性の子供さんと一緒に勉強することにした。小学校1年生の国語の教科書がテキスト。昼食のあと昼寝。夕方、涼しくなると講道館から派遣されてきている柔道師範がオートバイで呼びにきた。後ろに乗せてもらって、プノンペンにある柔道場めぐり。警察、軍属、フランス人クラブなど立派な道場があった。講道館師範は、一人で指導していたので、私がきたことを喜んだ。その師範は、体は大きく豪傑だったが、お酒で度々失敗していた。フランス人は、かなり柔道好きなことを知った。かれらは日本人と柔道できるのを楽しみにした。おかげで、メコンの岸辺でのんびり夕涼みする暇がなくなった。日大の先輩で水泳部だった人も指導者として地方都市にきていて、世話になった。この国では、水泳を教えるのはまだ早いらしい。ボコールという高原で農場を経営している日本人がいた。驚いたことに戦後の一時期、この国は日本からの移民を受け容れていたのだ。東京農業大学の学生が、その農場で働くことになった。私たちも合流することになった。仕度をしていると、移民局から知らせがあった。ビザ申請は日本にあるカンボジア大使館でという連絡だった。私たちは体よく追い出された。1969年、私は信州の郷里にいた。盲腸を郷里の病院で摘出した。これで心配なくインドシナに渡れる。しかし、プノンペンからの便りは、政情不安で待機の報。1970年4月、一緒に働くことになっていた農大生が行方不明。ほどなくして彼は、案内した記者とともに殺されたという噂。世話になった元学長夫妻の家も爆弾が投げこまれて狙われるようになった。私は、ふたたびのプノンペンを断念した。先生夫妻も帰国された。今の住所の家は、一緒に探し、ときどき遊びに行っていた。これがすべてです。2時間余りつづいた調書は終わった。
 やがて1975年ポルポトの黒い悪魔がカンボジア全土を闇と化した。
―――――――――――――――――――― 15 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108
一週間後、テレビのニュースでセスナ機心中事件について羽田署の調査結果が報じられた。それによると貿易商の元学長夫妻は、経済的破綻から、セスナ機で無理心中を決行、失敗して飛び降りた、とまとめられていた。経済的破綻の真相は知る由もないが「貿易商」は、あきらかに間違っている。当時、インドシナ関係のジャーナリストなら「貿易商」などではないことは誰もが知っていたはず。先生の死で何かの均衡が崩れた。そんな気がした。
 翌年の1977年12月25日、日本からラオスに赴任したばかりの若い代理大使夫妻が惨殺された。夫妻は8月に着任したばかりだった。事件は、単なる強盗殺人からCIA陰謀説から麻薬密売に至るまで謎に満ちていた。が、うやむやとなった。先生が生きていたら、あのラオスでの悲劇はなかった。そう思えて仕方ないのである。
新聞・話題
1975年4月17日、突如
黒服を着たカラスのよう
な兵士たちがプノンペン
の街に入ってきた。
 市民は、これで内戦が
終わると歓迎した。だが、
黒服の少年兵士が命令し
たのは、200万のプノン
ペン市民の大移動だった。
その日から、カンボジア
の恐怖がはじまった。
 100万とも200万人と
もいう国民の粛清。クマ
イ語の先生も、一緒に柔道
をやった若者たちも皆いなく
なった。恐怖政治は1978年、
ベトナム軍が突入するまで
暗黒時代はつづいた。
 しかし、その犯罪は、まだ
裁かれていない。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.108―――――――16 ―――――――――――――――――
掲示板
提出原稿について
○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(創作・事実どちらでも)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ晒せるか)
○ 社会観察 → 社会の出来事を観察、自分の意見もいれてみる
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察(宇宙人の目で)
 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。
ゼミ誌・課題・その他+提出原稿(2×)+出席(1×)=評価(60~120)
ドストエフスキー情報
7月26日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から 
8月 9日(土) : 全作品を読む会「読書会」暑気払い。「『悪霊』払い祭り」
               会場は東京芸術劇場第一会議室 午後2時から
10月11日(土) : 全作品読む会「読書会」、作品『未成年』、報告者は平哲夫氏
           会場は東京芸術劇場第7会議室 午後2時から
出版
  ☆復刻版・岩波写真文庫『農村の婦人』6月25日発売「ひとくちばなし」下原
☆新刊・熊谷元一白寿記念写真集『信州 昭和の原風景』一草舎2200円
★旧刊・下原敏彦著『伊那谷少年記』鳥影社「昭和30年の原風景」
 理論社 2008・3・21 定価1200
★文・藤井誠二 マンガ・武富健治『「悪いこと」したらどうなるの?』
  ★山下聖美『国文学4』「ケータイ小説 クリエイターの卵たちはどう読むか」
★福井勝也著『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』のべる出版企画 2008
★芦川進一著『「罪と罰」における復活』河合文化研究所・河合出版2007
★清水 正著『ドストエフスキー論全集1』D文学研究会2007
★下原敏彦著『ドストエフスキーを読みながら』鳥影社2006 2月点字図書
★國文学別冊『ギャンブル』下原敏彦・文「ドストエフスキーとギャンブル」
                                  
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編集室便り
☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。
皆さん、楽しい夏休みを !!

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