文芸研究Ⅳ 下原ゼミ通信 No.43

公開日:  最終更新日:2020/10/27

日本大学藝術学部文芸学科     2020年(令和2年)10月20日発行

文芸研究Ⅳ下原ゼミ通信No.43

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/29 10/6 10/13 10/13 10/20 10/27 11/10 11/17 11/24 12/1 12/8 12/15 2021年 1/19 1/19 

2020年下原ゼミⅣ 観察と表現の旅

10・20ゼミⅣ

10・13報告  

 参加の皆さん 中谷璃稀さん  吉田飛鳥さん  

この日、参加できなかった皆さんでした。

西村美穂さん  志津木喜一さん  松野優作さん   佐俣彩美彩

テレビ観戦  第97回箱根駅伝予選会、日大まさかの落選 18位

 このところ毎回シード落ちでも予選会では、不死鳥のように復活していた日大。ことしは、監督がかわって期待もしたが、やはりというか、やっぱりというかまったくだめでした。もうこうなれば、0からの出発しかない。第100回を目指して頑張って欲しい。

社会観察 いま児童書が人気 10/16(金)NHK番組「ネタドリ」 

長引くコロナ禍、どんな本が読まれているのか。テレビで、そんな番組があった。子供ものから一般書まで、書店での売れ筋は、意外や意外、児童書だとのこと。絵本がよく読まれているらしい。自粛、巣もごりが関係あるのだろうか。
一番人気は、ミヒャエル・エンデの『モモ』だという。時間を泥棒される。その出来事が、楽しい思い出を奪うコロナと似ているのかも。
※ミヒャエル・エンデ(1929-1995)『モモ』(1973年、初版発行)

児童文学作品の試験問題の観察

今年は、児童書がよく読まれているという。が、児童書とは何か。普通の文学作品として考察できるのか。子供時代の体験を書いた作品が、童話作品とみられた。高校入試の国語問題として採用されたので、童話作品の試験問題を体験してみる。

☆平成20年度埼玉県立高校入試第二次入試試験問題の実施。採点してみる。
課題報告

前期の自粛生活の感想  長かった & 楽しかった

吉田 飛鳥    働かずしてお給料が…

大学生活を完全に忘れ、より有り余る時間の中で、様々な経験をした。何よりも特記したいのが、働かずしてお給料が入ったことだ。4月から6月下旬までプー太郎をしながら稼ぐことができた。舞い降った金はみるみる娯楽に姿を変えて、部屋を彩ったのだ。
 肉を焼き、スケボーに乗り、ワンクリックのガラクタを増やしつづける生活が、僕には長過ぎた。豊島園の終焉と共に僕牙は完全に抜け切って、フヌケとなったのである。

前期の自粛生活の感想  あっという間だった

中谷 璃稀  闇に食い尽くされた日々

 4、5月と丸ごと地元ですごしました。毎日が不完全燃焼、というより、そもそもその炎すら宿ることがありませんでした。無駄な2カ月間、そう言ってしまえばそうかもしれません。何もない一日ならば、実際より長く感じるものです。しかし、私の日々は、あっという間に闇に食い尽くされてしまいました。6月、自粛ムードも一段落した頃、私は何も残すことができていないことに気がつきました。
 いやな夢でもみていたのでしょうか。ならば、いっそさめないでほしかった。
4年間の大学生活の思い出  早かった  楽しかった

吉田 飛鳥  遊び尽くした所沢と江古田の街

 父は大学の四年間を京都で暮らしたことを第二の故郷としている。
 さて、僕は、所沢と練馬で二年ずつ、どちらを選んでいいものか。はじめの二年間は、ろくに通学せず、遊びとバイトに明け暮れた。想えば、とんだ不良、親不孝者ですかね。両親は、そんな僕を見て、「アンタはギャンブル枠やから」と半ば諦め模様。
 次の二年間は、そんな言葉を背に受けて、江古田の街を遊び尽くした。バチ当たりなのか、コロナと遭遇、大学生活は5年目も見えてきたが、一番の思い出は、リキの焼き鳥カーペット落とし。

4年間の大学生活の思い出  あまりない

中谷 璃稀   刺激的な、貴重な時間でした

 これといって変化のない4年間だったのかもしれません。ゼミ誌に載せる作品を書き上げるのに必死だった日々も今や昔の話です。現在は卒業のためにに必死ですが。友人との時間は、多くもなく、少なくもなく、文字におこすようなことはありませんが、何気ない時間はかけがえのないものです。演劇に携わったこともありました。毎日が新鮮でした。刺激的な4カ月間でした。今はもうあじわうことができない貴重な時間です。そう考えると、私の大学生活も意外に捨てたものではないかもしれません。

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10・13ゼミ授業報告   高校入試問題と前回つづき舞台劇に口演 

平成20年度埼玉県県立高校入試問題、第2次試験国語

解釈の違いを確認 一部、掲載。この作品は、こんな冒頭からはじまる。

コロスケのいた森

    一         
 幸運にも六時間目の授業が休みになった。正雄は、掃除が終わると大急ぎで学校を飛び出した。太陽は、まだ頭上高くにあった。
 まだたっぷり時間はある。正雄は、浮き立つ心を押さえながら小走りに帰った。ぬかるんだ国道の泥が背中にぺたぺたはねあがったが、かまわなかった。いつもなら部落に通ずるつり橋の上から河原の畑に古屋のババアがいるかどうか確かめたり、川の中にあめのうとりに夢中のおキチさを探したりするのだが、今日は、立ち止まりもせず一気にわたりきった。
家にはだれもいなかった。ハエの大群だけがわがもの顔で台所の中を飛び回っていた。ちゃぶ台の上に置かれた広告紙のうらにお母のことづてがあった。

 三本木平の畑にいっとる。お菓子もある

 正雄は、ランドセルを投げだすとふたたび外にとび出していった。が、足は三本木平ではなく、ひがんさの山につづくあぜ道だった。道草もくわずまっすぐ帰ってきたのは、ちゃんと目的があったからだ。
 もう、どこまでいったんかなあ。正雄の頭は、昨年の秋からはじまった林道工事のことでいっぱいだった。ちょっと見ないあいだに山が崩され、谷が埋められ、石垣ができ、ローラーで固められた平たい立派な道が山間をぬっていく。穴ぼこだらけの国道とはだいぶん違う。
 正雄は、完成したての林道を部落のどの子供より先に歩いてみたかった。そのことを秘密の楽しみにしていた。それなのに、このところ学校の用事で遅くなったり、休みの日には苗代づくりやれんげのサイロづめ、それに桑畑の草かきの手伝いをさせられたりで、なかなか見にゆけなかった。それで、なんとなく面白くない日がつづいていた。だれかに先をこされたらと、毎日が冷や冷やだった。
 それが今日の予告なしの短縮日課。思わず頬をつねって喜んだ。上級生のタケシとシゲルは、まだ教室にいた。二人のいとこはライバルだが、なにかの当番らしい。よっぽど運がよい日だ。正雄は、忍者のようにもうダッシュで帰ってきた。
 ひがんさの山に林道が通る。正雄にとって夢のようなことだった。全面開通したら山仕事の手伝いがラクになる。たきぎやボロ炭を農道まで背負いだすのは辛い仕事だった。これからは荷車かリヤカーで運べる。それにカブト虫とりや蜂つけ、きのことりにくるとき朝つゆに濡れなくてすむ。冬になったら竹スキーができるかもしれない。
 林道のことをあれこれ想像すると楽しくなってくる。それでよけいに工事の進み具合が気になった。終点の昼飯松まで、どれくらい行けたかなあ。正雄は、足を早めた。

  二
いくぶん黄緑色に色ずんできた麦畑からヒバリが飛び立った。が、正雄は見向きもしなかった。山間に近づくと、どこからあらわれたのか、数羽のカラスが、大騒ぎをはじめた。はじめは、白髭神社の上空をガーガー旋回していたが、そのうち正雄の頭上高くをうるさくまわりだした。
「ふん、安心しろ!」正雄は、ひがんさの山を指差して怒鳴った。「今日は、こっちだ!」
正雄は、カラスたちを無視してひがんさの山を見上げた。新緑の山腹に白いものが点在していた。まるで白い鳥の群れが羽を休めているように見えた。
「あれ、なんだろう・・・?」
正雄は、立ち止まって目をこらした。
 が、すぐに、正体はわかった。
「なんだ、ホオノキの花か」
正雄は舌打ちしてふたたび歩きだした。
 いつだったかホオノキの花を美佐子姉に、枝さら折って持って帰ったことがある。大きな白い花だったので、生け花をはじめたお姉が喜ぶと思ったのだ。ところが、家のものにこっぴどく叱られた。ホオノキの花はおカイコ様に毒だというのだ。においをかぐと死んでしまうと騒ぎたてた。
「早よ、びちゃってこんか!」
「さん室に、入っちゃあいかん!」
お婆もお母も、まるで正雄が爆弾でも持って帰ったようなあわてようだった。 あしびの葉っぱのときは、「ヤギに食わせるんじゃねえずら」と、ちょっと注意されただけなのに。
 せっかくおみやげにと持ってかえったのに、とんだ災難だった。あのときのことを思いだすと腹が立ってくる。
 大きいきれいな花なのになあ・・・。正雄は、首をかしげながら思った。と、いうことは、つまりホオノキの花はおカイコ様にとってテンテキかと。でも、すぐにおかしいぞと思いかえした。べつにホオノキの花がおカイコ様をねらうわけじゃなあないしなあ・・・。
しかし、死ぬというから、やっぱり敵か・・・考えると頭がこんがらがってきた。
「どっちだっていいや」
正雄は、言って手にしていた桑の棒をいきよいよく振った。ビューと音がしてイタドリの新芽が、宙に飛んだ。細い棒なのに切れ味がいい。正雄は、面白くなって土手に並ぶイタドリの頭を次々にはねていった。
 しかし、どうもすっきりしない。テンテキのことを考えたら、昨日のことを思いだしたのだ。学校の帰りにイトコの和江から
「マサオ、あんたはテンテキよ」
と、非難された。
 そればかりか、不覚にもテンテキの意味が分からず思わず、その意味を聞き返してしまったのだ。それがしゃくのタネになっている。
「あら、テンテキのこと、知らないの。だから平気で小鳥の巣をとったりするんよ」和江は、勝ち誇ったように言って説明しはじめた。「いいカエルにとって恐いものは何。ヘビずら。そのヘビが恐がるものは」
「なめくじだろ」
「なあに、それ?!」
「ガマガエルはヘビに弱くて、そのヘビはなめくじに弱い。そのなめくじはガマガエルにペロリだ。本にあったぞ」
「なによ、学問的に考えなさいよ」和江は先生みたいに言った。「沖縄にハブって毒ヘビがいるの知ってる。猛毒をもってるんでみんな恐がってる。けど、そのヘビにも恐いものがあるのよ。マングースってリスみたいな動物」
「ああ、知ってらあ」正雄は、むきになって言った。「そんなこと、とっくの昔に知ってらあ。一番の敵ってことだろ。それがどうした」
「どうもしないわ。小鳥にとってはあんたがテンテキだっていうこと。ただそれだけ。じゃあバイバイ」
和江は人を小ばかしたように手をふって、いきなり駆け出した。
「イバルナ、イバルナ。オタンコナス」
正雄は悪態をついたものの、大いに心配になった。
 今、学校では春先にかけた小鳥の巣箱調査をやっている。図工の時間に作って学校の裏山の林にかけた巣箱にどんな小鳥が巣をかけたかを観察して報告するのだ。副級長で、しかも巣箱調査の推進委員でもある和江が、テンテキの話をするということは・・・もしかして、今日ある委員会で話題にするつもりかもしれん。
そうしたら、問題になるかも。もしかして来週の朝礼のとき、全校生徒の前で注意されるかもしれん。学校のことを考えると不安が、にわかにひろがった。
「まずいなあ・・・」
正雄は棒で雑草をなぎ倒しながらためいきをついた。
 なにしろ和江は、みんな知っているのだ。宿場町の金物屋のおやじに一羽五円で四十雀のヒナを売ったこと。種をほじくるからと丸屋のおいさまに頼まれて白髭神社のカラスの子を巣から落として殺したこと。ひがんさの山でとった五色の卵をタマゴ焼きにして食べてしまったこと。あげたらきりがない。
 和江なんかに自慢しなければよかった。正雄は、後悔した。が、不意にウグイスの卵のことを思い出した。
「そうだ、あのことがあるぞ!」
とたん正雄の心配は吹き飛んだ。
 去年のいまごろ和江がウグイスの卵を見たいというから巣ごととってきてやった。ウグイスの巣はススキの葉で作ってあって、ボールのように丸い形をしていた。卵は、あずき色で小さかった。五六個あった。和江に見せたら気に入って、ままごと遊びに使いたいと言いだした。それで、からたちのトゲで小さな穴をあけ中身を吸い出した。あのときのカラタマゴがあるはず。証拠品だ。人のことなんか非難できないぞ。
「何がテンテキだ。自分だってウグイスのテンテキじゃないか」
正雄は、逆転した気分だった。
いつのまにかカラスはいなくなっていた。正雄の足取りは、ふたたび軽くなった。林道下につくと、いっきに土手を駆けあがった。新しい土のにおいのする林道は、まるで白い大蛇のようにひがんさ山の山間につづいていた。
 正雄は振り返って部落の方を見下ろした。うす黄緑色の麦畑や耕された黒土の田んぼが、段々に河原まで広がっていた。丸屋のおいさまが朝鮮牛を使ってしろかきをしていた。段沢のオジさが田んぼで肥料をまいていた。向こうの農道を上屋敷の源伯父さと伯母さが二人して大きなカゴを背負って歩いた。つり橋をだれかが渡ってくる。豆粒ほどでわからないが、子供ではないようだ。のんびりした風景だが、この季節、農作業は大忙しなのだ。
 正雄は、三本木平にいるお母たちのことを思い出すと、ちょっぴりうしろめたい気持ちになった。が、林道の上を歩きだすと、すっかり忘れた。
  
    三

 林道は、ひがんさの山の奥にあるクラマツ山の松の木を運び出すためにつくられるのだ。昨年の秋、国道に通じるコンクリートの橋が部落のはずれにある大沢川に完成してから、着々と工事が進んでいた。
 クラマツ山は、二つの山が尾根でつながった二つ山だった。松の大木がうっそうとしげっていて、とおくから見ると黒い大きな鳥が羽撃こうとしているように見えた。昼も暗い森には、いろんな種類のきのこが、いっぱい生えていた。まつたけやごんすけがよくとれた。おしょうにん、かわたけ、しもしめじ、きいしめじ、いくち、あめたけもとれた。クラマツ山きのこの宝庫の山だった。それだけに森がなくなってしまうのは、ものすごく残念だった。でも、いまの正雄には林道ができることの方がはるかにうれしかった。
 正雄は、学校で行進するように胸を張って歩いて行った。荒い山砂がザクザクと鳴った。固い平らな地面が足の裏に気持ちよかった。
 ひがんさの山は静かだった。休憩時間か、何の機械音も聞こえてこなかった。かわりに小鳥の鳴き声が騒々しかった。
 もう魚止めの先までいったのかも知れんぞ。正雄は、崖下で立ち止まって耳を澄ませた。そのとき不意に、頭上を何かが横切って斜面の雑木林に飛び込んでいった。山バトのようだった。
「巣があるな!」
正雄は直感した。
急に山バトのヒナを見たくなった。いまごろなら、ちょうど黄色のうぶ毛が生えそろったころだ。もし飼えそうだったら、捕って帰ろう。テンテキの心配も愛鳥週間も、きれいさっぱり忘れ去っていた。
 山バトが飛びこんでいったのは切り崩された崖の上だった。正雄は、垂れ下がった葛のつるをつかんで登って行った。斜面は、荒い砂地で、ズルズルと押し戻されたが、岩場を足場になんとか崖の上にたどり着いた。そのとき
「おい、マサオじゃないか」
いきなり、下から大声をかけられた。
 正雄はギクリとして見下ろした。前田のオンちゃが林道に立って仰ぎ見ていた。脚絆をまいて腰にナタやノコギリをぶら下げた山まわりの恰好だった。
「そんなとこで、なにしとる」
「山バトの巣が」
正雄は、木の根っこにぶら下がったまま雑木林を見上げた。
「なんだ、デッポポか」オンちゃは、日焼けした顔をニッとさせると乱暴に言った。「そんなものとらんでいい。早くおりてこい。いいもの見せてやる」
「いいもの?!」
正雄は、つぎの瞬間、根っこを離すと、一気に林道まで滑り降りた。
 いいもの。オンちゃがそんな言い方をしたときは、必ず山で見つけた珍しいものを持っていた。面白い形をした木の実や木の枝。へんてこな形の蜂の巣、驚くほど大きなイモビクタ(ガマガエル)。去年は、野うさぎの子を呑み込んで動けなくなった青大将を見せてもらった。
「なんな?!」
正雄は、勇んで近寄った。
 オンちゃは腰の小さなビクに手を入れると
「ほら、これよ」
と、言ってふわふわした灰色の毛糸玉のようなものをとりだした。
 はじめて目にするものだった。動物のようだが、どんな生きものかわからなかった。真ん丸い眼が可愛かった。
「なんだか、わかるか」
「わからん」
正雄は、首をひねった。
さわろうとしたらりながら大きな目玉がグルっと動いた。
「な、なんの子な」
「フクロウの子だ」
「フクロウの子!これが!」
正雄は、思わず声をあげた。フクロウの子を見るのは、はじめてだった。
正雄は、恐る恐る手をのばして灰色の毛玉に触れた。綿のようにやわらかだった。
「どうだ、かわいいだろう。ほれ」
言ってオンちゃは、無造作によこした。
 正雄は、両手で受け取ろうとした。が、フクロウの子はまるでとりもちでくっついたようにオンちゃの手から離れない。ツメでしっかり袖口をつかんでいた。正雄は強く引っ張って引き離そうとした。
「まてまて」オンちゃはフクロウの子をなぜながら言った。「足場がなくちゃあな、腕にとまらしてやるから腕をだせ」
「こうかな」
正雄は、腕を差し出した。
「そうだ。さあ、いけ。ツメに気をつけろ。強いからな」
オンちゃは、笑ってフクロウの子を正雄の腕に寄せた。
 フクロウの子は、まるで枝から枝にのり移るように体を正雄の腕に移動した。ずっしりした重みが腕にかかり、ぐっとツメが食いこんできた。
「イタイ!」
正雄は、おもわず叫んで腕を動かした。
 フクロウの子は、ゆれまいとして小羽をひろげた。踏ん張ったのでツメがなおも強く腕に食いこんだ。
「わー!肉がとられる!」
「なにいっとる。動かすんじゃない。足場が悪いんだ」
オンちゃは怒鳴って正雄の腕をがっしり押さえた。
 フクロウの子は、ツメをゆるめて元の毛玉になった。「もう、痛くないだろ」
「うん」正雄は、まだおっかなびっくりのままで聞いた。「どうしたの、これ」
「工事の衆にもらったんだ。クラマツ山におったらしい」
「巣があったの?」
正雄は、フクロウの巣を一度も見たことがなかった。
「いや、巣はつくらん。フクロウは、木のほら穴がすみかだでな」オンちやは言った。「工事の音におどけてでてきたんずらよ」
「親は?」
「そりやあ、クラマツ山におったずらが、さわがしいでなあ」
「逃げたの」
「そうだなあ。帰っちゃこんかも」
 フクロウの子は、たいてい二羽いるから、一羽だけ連れてどこかに行ったというのだ。
「ふうん」正雄は、ちょっとのあいだ考えていたが、恐る恐る聞いた。「あんなあ、おらあが、飼ってもいい?」
「おお、いいさ」オンちゃは、頷いて言った。「ちゃんと飼えるんならなあ」
「うん、飼えるよ」
正雄は、思わず声を張り上げた。
「それじゃあ、マサオにやるわ」
オンちゃは、あっさり言った。
「ほんとだね!?ほんとだね」
正雄は、思わず聞き返した。
うれしくて心臓が破裂しそうだった。
「エサはカエルをとって食わせろ。肉食だでな」
オンちゃは、それだけ言うと、もう用事はすんだというばかりにさっさと歩きだした。山仕事の後は、もうすぐくるおカイコ様の準備で忙しいのだ。
 フクロウの子が手の中にいる。正雄は天にものぼる気持ちだった。あまりのうれしさに、立っていられなかった。正雄は、その場にへたりこんでフクロウの子をじっくりながめた。灰色の綿毛。クリっとした真ん丸い眼。クルっと回す首。いろんな鳥の雛をみてきたが、こんなに可愛い雛を見るのは、はじめてだった。林道工事は、もうどうでもよかった。
 もし今日、学校が早く終わらなかったら、林道を見に来なかったら、と考えると冷汗がでる。そしたら、娘の和江が愛鳥週間だからと学校に持っていったに違いない。
「あぶなかった・・・」
思わずため息がでる。
よっぽど今日は、運がいい日だ。正雄は、幸運を確かめるようにフクロウの子をくりかえしなでた。温かいやわらかな羽毛が手のひらに心地よかった。フクロウの子は、ちょっとの間、ぬいぐるみ人形のようにじっとしていた。が、そのうち落ち着きなく首をクルクルと回して、タンタンとくちばしを鳴らしはじめた。
「ハラ、へったんか。よしカエル、とりに行こう」
正雄は、立ち上がって林道を引き返した。
 ひがんさの山を出ると、視界がひらけた。はるか遠くに赤石山脈の青い山なみがくっきりと見える。この景色を目にするといつも
「図画の時間にここまでこれたらなあ」と、残念に思う。
 この場所から赤石山脈を描いたら、図工の通信簿、ぜったいに毎度の「やや劣る」から「良い」になるかもしれん、と思っているのだ。
 でも、いまは一瞬だってそんな思いはひらめかなかった。正雄の頭の中はフクロウの子を飼える喜びでいっぱいだった。
「待ってろ、すぐにエサやるから」
正雄は、タンタンとエサをねだるフクロウの子に話しかけながら林道の土手をゆっくり下った。もうすっかり親になった気持ちだった。途中、ミミズを一匹食わせた。

本日のゼミ

児童文学作品観察 平成21年大阪府立高校入試問題実施 国語

冨田常雄原作『姿三四郎』の脚本化「獅子と白菊」口演稽古
 
庭の千草 アイルランド民謡

第一回の読み合わせ 複数代役で口演
第二回目は『庭の千草』を入れて立体化をみる。

登場人物 

・矢野正五郎(浩)→ 中谷璃稀
・戸田雄次郎   → 中谷璃稀
・椿  早苗   → 吉田飛鳥
・矢野須賀子   → 吉田飛鳥
・矢野 一作   → 西村美穂
・泉 専太郎   → 西村美穂
・手下      → 中谷璃稀

矢野正五郎のモデルは、嘉納治五郎
戸田雄次郎のモデルは、富田常次郎 その息子が作家の富田常雄『姿三四郎』の作者。
           富田常次郎が学習院大学の講師のとき、志賀直哉は柔道を習った。

モデルを知る。嘉納治五郎とは何か。神戸の菊正宗の一族。

嘉納治五郎 講道館柔道創設までの年譜

1860年(万延元年)10月28日 兵庫県御影村で生まれる。生家は灘の銘酒『菊正宗』
1869年(明治2年)10歳 母貞子病死。
1870年(明治3年)11歳 父と東京にでる。学問のため。天文学者が夢。
1875年(明治8年)15歳 英語学校卒業、開成学校(東大)に入学。イジメに悩む。
1877年(明治10年)18歳 柔術の道場を探し、天神真楊流福田道場に入門。
1879年(明治12年)20歳 米元大統領グラント将軍の前で柔術の技を披露。

2020年10月20日 文芸研究Ⅳ エッセイ道場 下原ゼミ 課題  名前

.子ども時代で、一番記憶に残っているものは。

「なんでもない一日」

熊谷元一研究  生誕110周年を記念して書き下ろす。

草稿 小説もといち伝

 熊谷栄吉は、蚕養農家の6人兄姉の末っ子に生まれた。飯田の城下に近いかいこの村だった。栄吉は、天竜川と赤石山脈をながめて育った。
明治12年、絹織物が好景気で、伊那谷の村々は、蚕養。
栄吉は、おとなしい子どもだった。自分から、なにかをやりたいとはいいださなかった。かいこで猫の手もかりたいほど忙しい両親をみていて、言いだせなかったのかもしれない。とにかく、えいきちは青春時代、文句一つ言わずに家のかいこの手伝いをしてすご゜した。ので、両親は、かいこの手伝いをさせた。
「えいきち、おまえなにかやりたいことはあるか」
栄吉は、はずかしそうに笑ったが、なにもこたえなかった。
 28歳のとき3璃離れた山間の村に養子に

日本大学異聞 『昭和元禄草莽伝』草稿  資料1「山田顕義」
山田に残した言葉
• 高杉晋作
o 高杉晋作が亡くなる時に、「奇兵隊を引き継ぐ人物は?」と問われて、晋作が名を挙げたのは、大村益次郎であった。しかし、大村は元々、村医者だった為「その次は?」と問うと「山田市之允」と答えたという。この時、山田顕義はまだ23歳の青年であった[4]。
• 泥だらけの花びら

1968年春、フランスパリで発生した大学紛争は、またたくまに世界を席巻した。むろん日本にも飛び火した学園紛争は、全国の大学に燃え広がった。
しかし日大だけは学園紛争とは無縁だった。あるいは眠れる獅子のように、あるいは従順な羊の群れのように黙していた。「日大生は、学生にあって学生にあらず」こんな失笑と侮蔑が、いつのころからか社会に沁み込んでいた。日大の暗黒時代であった。
だが、昭和四十三年、突如、日大は燃え始めた。その火は、まるで枯野に放たれた野火のようにたちまちに全学部にひろがった。香港帰りの警視庁公安部警視正佐々淳行警備第一課長は、鎮火すべき日大校舎に向かった。彼は、後に東大安田講堂攻防戦や連合赤軍浅間山荘事件で警備幕僚長として活躍する。当時彼の知る日大はこのようだった。

• 「日大は徹底した商業主義に基づくマンモス教育であり、その放漫きわまる経営方針ゆえに私立大学紛争の最高峰となったのである。そもそも学生の総数すら日大当局の誰にきいてもはっきりしない。あるいは十二万人、あるいは十五万人という。・・・・二部や通信教育をいれると三十万人ともいう。(『東大落城』)」

【松陰神社】

昭和四十年四月はじめ。山口の萩にある松陰神社境内。新学期がはじまったこの時期、参拝客は、まばらだった。桜だけが満開でにぎやかだった。
日本大学の本部勤務の此木大吉は、社務所をでると、もう一度松陰神社を参った。午前中から市役所公園課、観光課、商工会議所と回って最後に神社の管理組合にお願いした。しかし、どこも手ごたえはなかった。疲労だけが残った。
このたびの彼の出張の目的は、学祖山田顕義銅像建立に際しての陳情だった。明治維新の立役者、大村益次郎の後継者、また伊藤博文あとの総理候補とまで言われた幕末の志士山田市之充の石碑に日本大学の校名を刻んでもらうためだったが、どこもあまりよい返事はもらえなかった。役所も神社も乗り気でないのは、日本大学と入れられるのが嫌なのだ。ひらたくいえば、そういうことだ。こんな田舎にも日大の商業主義はつたわっている。
「お宅の学校は、学生を商品あつかいしていると聞く。教室に入れんくらい大量に学生を増やし学士さまをにわかづくりしとるって評判じゃけんに」それが断りの理由である。
此木大吉は悔しく思う。これもかれも20年まえの学徒出陣、あの戦争で死んだ穴埋めに、学士製造工場としたのはだれか。国公立の教職員の天下り先として存続させたのは誰か。
 これでは学祖様に申し訳がたたない。古木は、思わず両手を合わせて詫びた。
誰かが鼻歌をうたっている。みると閑古鳥鳴く土産物店の近くで若者が、漢詩の書かれた扇子の若者が詰将棋本をみながら鼻歌を歌っていた。
テレビドラマで人気がある高杉晋作の主題歌らしい。さすが萩の城下である。

60余州を 揺り動かして
菊を咲かせる 夜明けが近い
のぞむところだ 幕末 あらし
剣を つかんで
いくぞ 高杉晋作が

 境内の隅にある土産物小屋の近くで、若者が扇子の色紙を売っていた。四月はじめの神社。参拝客は少ない。若者は、色紙を売るのをとうに諦めている様子で、歌を口ずさみながら、詰将棋本をみていた。
 此木は、声をかけた。
「すみません―」
若者は気がつかない。
「すみません」大吉は、少し声をおおきくした。
「あ…」若者は、驚いて顔をあげた。「お客さん、いつのまに。すまんです。今日は、お客さん少ないんで」
「いや、いや驚かせてすみません。ちょつとみかけたものですから」
「なんです」
「その扇子のことなんですが」
「ああ、これ、吉田松陰先生の漢詩です。」

立志尚特異  志を立てるためには 人と異なることを恐れてはならない
俗流與議難  世俗の意見に惑わされてもいけない
不思身後業  世の中の人は 死んだ後の業苦のことを思うこともなく
且偸目前安  ただ目の前の安逸を貪っているだけなのである
百年一瞬耳  人の一生は長くても百年 ほんの一瞬である
君子勿素餐  君たちは どうか徒に時を過ごすことのないように

「そっちは」
「これになんと書いてあるのか」
「松陰先生の言葉です。意味は知らんけん」
「こちらは」
「これは山田市之充が師である高杉晋作の死を悼んで書いたものだそうです」

白日光り無く陰雲垂(いんうんた)る。
感慨腹に満ちて泣き且つ悲しむ。
墓門の昼暗し松柏の雨。
粛々涙に和して新碑にそそぐ。

「それ十本もらおうか」

最後の入試

若者は不満そうだった。
青年は財布で金を払う。そのとき切符を落とす。が、二人とも気がつかない。しばらくして砂利のなかに切符を見つける。萩から東京都内行きの切符。自転車で萩の駅に届ける。
此木、探している最中。
「ありがとう、助かりました」
「やまだ市之充のは、あまりうれんけん」
「ぼくは、買う必要があるんです」
「必要?」
「なんといっても学祖様ですから」
「えっ?!大学の人」
「学祖?!」
「山田顕議は、日本大学の学祖です」
「あ、そうですか、山田市之充は日大の・・・・はじめてしりました」
「きみは、大学生?」
「浪人ですけん。早稲田と慶応受けた、どちらも落ちた」
「どうして早稲田に?」
「どうして、っていっても…」
「早稲田は明倫館だよ」
「日大はそうもうだ。日本大学はだめかね」
「日大ですか」
若者は、失笑した。この時代、同じマンモス大学でも、日大と早稲田とは、埋めがたい差がついていた。
「日大は、門戸を最後まであけている」
「それって、ずるくないですか」
扇子の詩の意味をよく考えて、もしその気になったら最後の入試、受けてみてください」
「なんだ、あの人。日大の職員か」
早稲田か慶應だ。日大生いなかった。
「きみも悪戯に時を過ごすより

「やはり明倫館ですか」
「明倫館、早稲田がそうだというんですか」
「そうでしょう、いまではエリート校といわれている。そこへいくとわが日大は、草もう、吉田松陰先生のめざしたのは、ピンからきりまでくる学校です。草もうの若者
「都の西北ですよ。ワシあ、もう決めてるんです」
「そうですか、気がかわったら、最後の入試が

昭和40年4月とはいえ、まだ 木曽谷を走る列車、中央本線、新宿行き、車内は、車内
「東京まで」
「大学生ですか」
「いえ、これから受験です」
「えっ、」驚くのも無理はない。大学入試に向かう若者が一人こんな時期に、まだ大学入試があった。
「どこに」
「日本大学です」
驚かない。失笑しているようにみえた。

赤門前、清田家真樹夫の家は、三代つづく製薬会社、良くて東大、悪くて東大の家柄。兄、姉、従兄弟、父親の二号さんの子、全員東大だ
「ことしは、大丈夫だろうな」

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