文芸研究Ⅳ 下原ゼミ通信 No.45

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2020年(令和2年)11月10日発行

文芸研究Ⅳ下原ゼミ通信No.45

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/29 10/6 10/13 10/20 10/27 11/3 11/10 11/17 11/24 12/1 12/8 12/15 2021年 1/19 1/19 

2020年下原ゼミⅣ 観察と表現の旅

11・10ゼミⅣ

本日のゼミⅣ授業

 11・10、今日のゼミⅣの授業は、以下の要領で行います。

□希望あれば、先週、写真家熊谷元一の命日を偲んで観たDVD「50歳になった一年生」残り映像、観賞。25分ほど(日テレ番組「オンボロ道場再建」)

□ドストエフスキー生誕200周年前夜祭を祝って処女作に挑戦

『貧しき人々』を読む この名作、卒業までの残りの時間、読破できるか。
とにかくドストエフスキーをよみなさい。アインシュタイン、ニーチェ、川端康成といった、多くの偉人たちが薦めたドストエフスキー。1冊でもよみきっておこう。

西村美穂さんから絵本展のお知らせ

もりの絵本屋さん絵本展 in café earth しろうさぎ

日芸の学生サークルでオリジナル絵本の原画展示・販売をしています。

期 間 : 11/1(日)~ 11/29(日)

時 間 : Open 11:00   Close18:00

※月曜日定休日  ※入場無料・ワンオーダー制

café earth ekoda
江古田駅南口旭丘文化通り徒歩2~3分 東京都練馬区旭丘1-56-13-101

11・3ゼミ報告 写真家・童画家 熊谷元一のDVDを観る。

2010年11月6日、熊谷元一は亡くなった。101歳だった。命日が近いので11/3ゼミは、熊谷元一を偲んでDVDを観た。下原ゼミⅡ、Ⅳは、昨年夏、熊谷の故郷、阿智村で合同ゼミ合宿をおこなった。

・DVD『黒板絵は残った』長野朝日放送「戦後70年特集」2015年5月21日放送。所沢校舎撮影、ゼミ授業風景も。

感想 中谷璃稀「所沢校舎の懐かしさに、つい目がいっちゃいました。やはり黒板は、味があっていいですね」

・DVD『熊谷元一さんが遺したもの』NHK長野 追悼番組 2011年1月14日 放送
    写真家、童画家、教師、熊谷の実像を追った。

感想 中谷璃稀「同じ人が同じ目線で撮り続けることで、その人にしか出せない趣きが生まれるとしりました。なかなかできないことです」

・DVD『教え子たちの歳月』「50歳になった一年生」NHK「にっぽん点描」番組
    1996年11月24日 放送 その後アーカイブスで再放送

感想 50歳になった教え子を応援し続け、会いに行き撮影するその姿は、根っからの教育者であり、ねっからの写真家だなと思いました。

新聞テレビ欄 読売新聞「試写室」1996年(平成8年)11月24日

43年の空白を埋める師弟愛

古い写真集がある。コッペパンをほおばる子、取っ組み合うガキ大将、家の野良仕事を手伝う子…。将来を語るレコードも残っている。かわいらしい声で「百姓になりたい」、「いい人になりたい」…。
昭和28年、長野・会地村の小学校に66人が入学した。彼らを撮り、記録したのは、担任の熊谷元一先生。その子らが今年、50歳になった。今は東京に住む先生も米寿を迎えた。「教え子を再び撮りたい」これは、43年の空白を埋める先生の旅を追った記録だ。
家業を継いだ者、集団就職で都会に出た者、道は違っても、みんな立派な大人になった。その人生模様が、戦後から高度成長へと歩んだ日本の縮図を垣間見せる。そして、今秋39人が村に集まり、先生を囲む同窓会が実現した。
「あのころに戻ってみたいなあ」再会を喜び無邪気な一年生に帰る教え子たち。
 自分に重ねて郷愁に胸詰まる思いの同世代も、きっと多いだろう。貧しく苦しかったけれど、陰湿ないじめも受験戦争もなかったセピア色の昔。山あいの小さな村を舞台によみがえる先生と教え子の、ちょっといい話である。(成)

10・27ゼミ授業報告  

 参加の皆さん 西村美穂さん 中谷璃稀さん  吉田飛鳥さん  

この日、参加できなかった皆さん。ズーム設置

 志津木喜一さん  松野優作さん   佐俣彩美彩

☆平成20年度大阪府立高等学校国語入試問題、出題『コロスケのいた森』10/20実施。
10・27、この日のゼミは、10月20日実施した入試問題の解答と考察。

【解答】文学的文章 出典:下原敏彦『伊那谷少年記』

本文は、昭和30年代の信州を舞台に、フクロウと少年の交流を描いたもの。できごとと少年の心情の移り変わりを追ってよんでゆこう。

1. ア りょうよく  ウ ゆ(らし) オ しゃめん
2. イ 風圧     エ 感激    ウ 反応
3. ウ
4. 1(例)コロスケがもしかして逃げていってしまうのではないか(25字)
  2(例)コロスケも新しい森にひっこしして無事だろう(21字)
  
【解説】小説の読み方
 3.本文全体を注意してよく読む。①でコロスケの様子を表現するために、4~5行目に「上野方からタンタンという音が聞こえた」(『最新入試過去問解答と解説』から)

『コロスケのいた森』「下原ゼミⅣ43」掲載のつづき

1~3 フクロウの雛を飼うことになるまで
4~7 フクロウを育てる苦労

連載2
        四

 「えらいもん、よこしたもんだ」
お婆はフクロウの子を見るなり、おおげさにため息をついた。まるで、オンちゃに文句を言いに行きそうな口ぶりだったので正雄はあわてて
「おらあが、欲しいっていったんな」
と、説明した。
 春ご様を迎える準備をしているだけに、フクロウの子はホウノキの花同様におカイコ様に害がある、といわんばかりだった。
「しょうがないもんだに」お母は苦笑いしながらも言って聞かせる。「こんどは、だいじに飼うんだに」
 そんなふうに言われるのも無理なかった。正雄はこれまで、山から捕ってきて飼ったヒナ鳥を全部死なせてしまっていた。スズメからはじまってモズ、ひよどり、山バト、クイナ、カラスと飼ってみた。が、結局はどのヒナもうまく育てられなかった。良くて一週間、悪くて二日。どうしてかみんな死んでしまった。こんな実績があるから、信用されないのはもっともだ。
「くせえんじゃあないか」
あんちゃが、わざと鼻をつまんで遠くの方からからかう。
 あんちゃは、一度、山でうるしにかぶれてから山のものは何でも嫌いになっていた。それで、めったに山に入らなかった。植林か炭焼きで、どうしてもというときは、軍手やマスクをしての完全装備だった。
 それでも大きい姉さんは、ホオノキの花のことを悪いと思っていたのか
「ぬいぐるみだったらいいのに」
と、小骨を吐き出したりフンをするのを残念がった。
 正雄は、家のものが無関心でほっとした。可愛いからといって、皆であまり触ってほしくなかった。フクロウを自分だけに馴れさせたかった。
 フクロウの子は、古い納屋で飼うことにした。窓のないモルタル壁の部屋で桑の葉をしまうための部屋だった。いまでは使われない農機具がおかれてあった。入り口の木戸を閉めると、真っ暗になる。夜行性のフクロウを飼うには、もってこいの場所だ。

              五

 フクロウの子を飼うことになって正雄の生活は、俄然忙しくなった。なにしろ小鳥を飼うのとはわけが違う。フクロウは猛禽類なのだ。生きている小動物の生肉しか食べないときている。山では、ネズミとかヘビをエサにしているようだが、正雄には無理だった。ネズミは、毎晩、天井裏を走り回っていたが、捕まえるとなると難しい。ヘビも畦道でよく見かけたが、エサになるほど出くわすわけでもない。正雄が毎日用意できるのはカエルぐらいだ。それも殿様ガエルなら、すぐに手に入った。田んぼに行けばいくらでもいる。
 しかし、いくら容易くとも毎日捕りに行くとなると大変だった。正雄の毎日は、カエル捕りに追われることになった。
 オンちゃが、フクロウの子をくれたとき
「エサが大変だぞ」と、言っていたが、その意味がだんだんにわかってきた。 はじめのうち一回に小さいカエル三匹ぐらいで間に合っていた。が、すぐに満足しなくなった。フクロウの子の食欲は日増しに増した。正雄の顔さえ見ればタンタンとうるさく口ばしを鳴らしてエサを欲しがった。カエルを水槽にいくらとりおきしておいても、夜のうちになくなることも度々だった。
 正雄は、朝、早く起きてカエルとりに行く羽目になった。早朝の河原は、部落の大人たちでにぎやかだった。大人たちは田の水をみたり、畦のモグラの穴をふさいだり、土手の草刈をしていた。腰に乾燥モチグサの蚊取りをぶらさげているので、あちこちに薬っぽい臭いと煙がただよっていた。
 早朝の河原は、正雄にとっても忙しい場所だった。これまではヤゴからかえるオオヤマトンボをとったり、カブト虫がいそうな柳の木を回って歩いた。しかし、ことしはそんなひまはなかった。
 正雄は、お父が草を刈っていれば、草集めを手伝った。そのかわりにカエルを捕ってもらった。お父に捕ってもらう方が自分で捕るより効率がよかった。お父は、草むらからカエルが飛び出すと、素早く棒で一撃した。殺してしまうこともあったが、たいていはのびただけで、生け捕りできた。丸屋のおいさまは、正雄がフクロウの子のエサ捕りにきていると知るとニヤニヤしながら
「毎日カエルとりもえらいずらよ。ハクセイにしとけ、その方が利口だわ」
と、からかった。おいさまにとっては、セキレイとツバメ以外は、みんな悪い鳥のようだ。
 お父のいとこの段沢のオジさは、なにも言わずに「ほれ」と草でグルグルまきにしたカエルを投げてよこした。最初のうち、オジさは学校で理科の解剖で使うのかと思っていたらしい。大きな殿様ガエルだけ捕ってくれた。フクロウのエサとわかってからは小さなカエルも捕ってくれた。
「どうだ、しとなったか」が、オジさの口ぐせだった。
 朝のカエル捕りは、朝露でズホンがびしょ濡れになった。泥だらけになることもあった。家に帰るとお婆とお母が
「学校に行くまでには、かわかんぞ」と、騒いだ。
 朝は田んぼ水を使うので、小川の水が少なくて洗濯ができないというのだ。「へっちゃらだ。つくまでにはかわくら」
正雄は、気にならなかった。コロにとりたてのカエルを食わすと、自分もご飯にみそ汁をぶっかけ一気にかきこんで、学校に行った。
 おカイコ様も大きくなる。麦の穂も色づいた。畑の草ものびてきた。家の仕事は、だんだん忙しくなった。このごろでは、あんちゃや初子姉さんはむろん、弟の勇介まで、駆り出されていた。それだけに正雄は、なんとなく気兼ねだった。学校から帰えってすぐ河原の田んぼに行くので、なんとなく気兼ねだった。家のものもいい顔しなかった。
「フクロウのおかげで、勉強にも家の手伝いにも身が入らんくなった」
と、嫌味を言われるようになった。
 だが、正雄の耳には届かなかった。正雄の頭は、とりおきのカエルが夜の分まであるかどうか、その心配でいっぱいだった。
 大きなカエルを生きたまま捕まえるのは、むずかしかった。遠くまでジャンプするし、動きも素早かった。それにこのごろは正雄のでかたを見るようになった。近づいても、じっとしてやり過ごそうとするのだ。
 それでも毎日のカエル捕りから正雄は、コツをつかんできた。むやみに追い回さないことがその一つだ。カエルが田んぼに飛びこんだら、じっと水が澄むのを待って、泥の中にもぐりこんだやつを、いっきにわしづかみにする。ハエをエサにして釣り上げるのは、面倒臭かった。
 捕まえたカエルは庭先の水槽に入れた。いつも足らなくなるので多めに捕っておきたかったが、なかなか余分に捕ることができなかった。納屋は薄暗く、落ち着かなかった。それで、しばらくして縁側でエサをやることにした。フクロウの子は明るくても嫌がらなかった。
 朝、正雄が納屋に行くと、フクロウの子はカゴから飛び出て入り口まで歩いてきた。腕を出すとヒョイと飛び乗った。
 縁側には、朝の光がいっぱい差し込んでいた。フクロウの子はまぶしがりもせず、栗色の眼を輝かせてタンタンとエサをほしがった。正雄は、自分の朝ごはんも忘れてながめていた。
「おとなしくしてろよ」
時間がくると正雄は言って、フクロウの子を納屋のカゴの中に戻した。
 学校にいっているあいだフクロウの子は、じっとしていた。正雄は、毎日素っ飛んで帰ってきた。フクロウの子が元気なので、家のものは驚いていた。どうせすぐに死なせてしまうだろう、と思っていたようだ。
 正雄は、皆の予想を裏切ってフクロウの子を育てつづけた。雨が降っても、風が吹いてもエサ捕りにでかけた。朝も早起きになった。
 家のものはあきれるやら感心するやらで、正雄がカエル捕りに出かけても非難するような顔をしなくなった。

              六

 「名前をつけなさいよ」大きい姉さんに言われて正雄は
「そうか、名前をつけなくちゃあ」と、思った。エサ捕りに夢中で、そんな大事なことをすっかり忘れていた。
 しかし、考えると、どうもうまい名前が思い浮かばない。犬ならポチとかチビとかすぐに思いつくのだが。だいたいこれまで、鳥の名前など考えたことなどなかった。正雄にとって鳥は、食べるか卵を生む存在でしかなかった。
 これまで飼った小鳥のヒナも、ただ山バトの子、モズの子と呼んでいただけだ。短期間だったので、名前をつけるまでに至らなかった。
「なんて名がいいなあ」
教室でも正雄は、フクロウの子の名前のことばかり考えていた。おかげで授業はさんざんだった。あてられて何度もトンチンカンの返事をした。しまいには立たされた。が、正雄にとってその方が都合よかった。正雄は当てられる心配がなく、じっくりと名前を考えた。
 フクロウだからフクちゃん。ホーホー鳴くからホー助。どれも気にいらなかった。
「マサオ、クルクルパアになったんじゃないの」
学校帰り、和江が追いついて話しかけてきた。
 テンテキの話以来、口をきいてなかった。しかし、いまの正雄は相手をする余裕などない。
「そうかなあ・・・」
と、うわの空だ。
 つり橋をわたると、ついに和江は怒りだした。正雄の前に、通せんぼするように立ちふさがってどなった。
「テンテキのマサオ、学校に言いつけてやるわ。フクロウの子、飼ってるの」 正雄は、ぎくりとした。いきなり水をぶっかけられたようだった。これまで和江は一度もフクロウの子のことを口にしたことがなかった。おんちゃからもらったのだから娘の和江が知らないわけがない。だから、家の者同様、たいして興味がないのだろうと思っていた。
 羨ましがっているイトコのシゲルやタケルだって学校では、話題にしないのに。正雄は、急に和江が憎らしくなった。
「おらあ、おっかなくなんかないぞ、あれは迷子のフクロウなんだ。帰っておとうに聞いてみろ。まだ死なしちゃいないんだ」
正雄のけんまくに和江は、びっくりした。みるみる泣き顔になって
「バカ、マサオのバカ」
と、走っていった。
「フクロウの子のことを学校に言うっていうからだ」
正雄は、腹立たしい気持ちで和江の赤いランドセルを見送った。
 でもすぐに「そうだ名前のことは和江に相談すればよかった」と後悔した。 

              七

 二階では、まだ家のものがおカイコ様の世話でごそごそしていた。正雄は名前を考えるのにあきて学校から借りてきた図書の本を読みだした。
 ネモ船長・・・頭にひらめいた。そうだネモってのはどうだろう。正雄は本を投げ出すと、大きい姉さんがいる部屋に飛んでいった。
「入ってくるな!」
ふすまを開けるなり大きい姉さんの怒鳴り声。
 正雄はあわてて飛び出した。尻にできたおできのウミをお婆がしぼりだしている最中だった。のぞくなと注意されていたが、すっかり忘れていた。きっとすごく怒っていて、もう名前のことなど聞いてくれないと、あきらめていたが出て来た大きい姉さんは
「大声だしたら、ねっこがとれた」
と上機嫌だった。
 まったく何が幸いするかわからない。さっそく名前のことを話そうとすると大きい姉さんは自分から
「コロスケって名前にしなさいよ」
と、言い出した。
 何のことはない、ちゃんと自分で考えていたのだ。だいたい初子姉さんは昔からものに名前をつけるのが好きで、そこいらの石や丘にまで名前をつけていた。「あの木は首つりにぴったりだから、首くくりの木」などとおどかされたものだ。このごろは口にしないので、もうあきたものかと思っていたが、フクロウの子で、またぞろ昔の虫が目をさましたらしい。
 正雄はコロスケなんて名前は気にいらなかった。オスかメスかもわからんし、それにせっかくネモ船長という立派な名前を思いついただけにおおいに不満だった。しかし
「だめだめコロスケでいいのよ」
と、大きい姉さんはゆずらない。
 名前のことを言い出したのは初子姉さんだったので、正雄は従うしかなかった。それにしてもコロスケなんて一体どこから考えついたのかと思えば
「ほんとは、うちのポチ、五郎って名前の方にしたかったの。それを知らないまにポチにされちゃって。だから、その名前、あんたのフクロウにつけることにしたのよ」
と、何ともいいかげんな命名。つまり五郎にしたいのだけれども犬じゃないから濁点をとってコロにした。でもコロではフクロウらしくないのでスケをつけてコロスケにしたというのだ。
 簡単すぎて不満だったが、とにかくもフクロウの子にはコロスケという名前をつけることにした。しかし、呼んでみるとコロスケという名前も悪くないように思えた。フクロウの子も、こたえるようにタンタンと口ばしを鳴らした。 コロスケは日ましに大きくなっていった。ススキの穂をまるめたような灰色の羽毛も、少しづつ張りのある褐色の羽毛にかわっていた。正雄にすれば、たいした飼育記録だった。
 ときどきアカガエルやイモビクタをもってくるオンちゃも
「よう飼えるは。てえしたもんだ」
と、ほめてくれた。
 おカイコ様が大きくなったので部落中の家は、もう毎日が火事場のような忙しだった。なにしろおカイ様は、もうれつないきおいで桑の葉をたべるのだ。それもとりたての新鮮な葉っぱしかたべないときている。部落中のどの家も家族総出で朝、暗いうちから桑の葉とりに畑に出た。正雄は、お父が切った桑の木を集めるのが仕事だった。桑の葉がびっしり繁った木は、重かったが正雄は、カエル捕りの時間をつくるために夢中で働いた。
(『伊那谷少年記』所収)
つづく

10・27ゼミⅣ授業

下原敏彦『ひがんさの山』朗読&問題、

四谷大塚 YTnet 予習シリーズ6年下 第5回 国語(bc問題)

・6年生 Bコース 国語、「小説の読み方(3)」

解答

問一  A エ B ウ C イ D ア
問二 雪景色は  問三 残念 問四 ウ 問五 イ 
問六 獲物を前に~った気持ち(くんで) 問七 ア 問八 エ  
問九 正雄は、もう弱っているうさぎさえ、捕まえることができなかったのだと思ったから。
問十 エ 問十一 エ 
問十二 自分の手で生きものの命をうばったことに、ショックをうけている。
問十三 ア
問十四 イ 
 
社会観察  アメリカ大統領選挙一色の一週間だった。

トランプ大統領かバイデン候補か。世界中がコロナを忘れて注目した一週間だった。が、二分した現地アメリカの興奮とは裏腹に日本では熱気が急速に冷めた。日本ならとっくに結着がついてるはずの選挙結果。ところが、いつまで待っても決まらない。多民族国家と単一民族国家と違うところか。

【11月の読書のススメ】

北條民雄『いのちの初夜』 日本文学の中で別格の光を放つ作品

第36回 日大文芸賞 幅 観月さんの「黄色の瞳」を読む

友人と恋人の間で、祖母と母の間で存在し成長する私

 「幅さんが日芸賞をとったのよ!!」ゼミⅣの西村さんが、教えてくれた。幅さんは、よく知っている。ゼミ授業で、毎回お世話になっているからだ。無口で、はにかんだ微笑みが可愛らしい長髪の美人さんだ。そんな彼女がどんな小説を書いたのか、興味あった。
乗車時間は、1時間半かかるが、幸いにして座れたのでゆっくり読むことができた。夕方のラッシュアワーの車中は、若者はほとんどいない。家路に急ぐ高齢者がほとんどだ。そんななかで読む、「黄色い瞳」は、後期高齢者目前の身には、文字通り、黄金色となってまぶしかった。孫と一緒に住もうと、自分の娘に隠れて手紙をだす、おばあちゃんの気持ちが切なかった。物語は、爽やかな青春小説ふうをみせながらも進展しない。傍目には一風変わった彼氏と彼女の友情のような、恋人同士のようなつきあいからありきたりな結幕を想像しながら読み進めた。ところが突然、物語は、終わってしまった。
愛の告白もなにもなく、すごろくのように振り出しに戻った。文体は簡潔で読みやすかった。が、食べはじめたご馳走をいきなりとり上げられてしまった感もある。微妙に成長する乙女の心の動きを描いた青春日記。総じればそんな作品か。
題とした『黄色の瞳』とは何か。作中では、落とし卵だったり、学ランの金ボタンだったりするが、意味するところは、もっと深いのかも知れない。
下車する駅についたとき、長くすわっていたせいで、足がしびれてすぐに立てなかった。私は、いきなり現実に引き戻された。ジンボーも有馬も遠い世界の人間になってしまった。私の青春も、はるか彼方だ。私は、よろける足でホームに降りた。

ドストエフスキーのススメ2021年は生誕200周年

HP「ドストエーフスキイ全作品を読む会」で検索 興味ある人はのぞいてください。

読書会は、以下の要領でおこなっています。

読書会開催 偶数月の土曜日 午後2時 ~ 5時 

会場:東京芸術劇場小会議室 池袋西口 徒歩3分

次回は、12月6日(日)小会議室7

toshihiko@shimohara.net 携帯090-2764-6052 下原

2020年11月10日 文芸研究Ⅳ エッセイ道場 下原ゼミ 課題  名前
.
10年後の自分を想像してください。どんな生活をしていますか。

「近未来の自分」

「なんでもない一日」

シェアありがとうございます

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

PAGE TOP ↑