文芸研究Ⅳ 下原ゼミ通信 No.48

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2020年(令和2年)12月1日発行

文芸研究Ⅳ下原ゼミ通信No.48

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/29 10/6 10/13 10/20 10/27 11/3 11/10 11/17 11/24 12/1 12/8 12/15 12/22 1/12 1/19 

2020年下原ゼミⅣ 観察と表現の旅

12・1ゼミⅣ

本日のゼミⅣ授業

 12・1、今日のゼミⅣの授業は、以下の要領で行います。

ドストエフスキー生誕200周年前夜祭

記念にマラソン朗読会を実施中 ゴールまで83頁

11月17日1区スタート → 2区11月24日 → 3区12月1日

作品は『貧しき人々』 卒業までの残り時間で、読破できるか。

本日は3区からの出発です。

全行程149㌔

1区走者 中谷璃稀 → 吉田飛鳥 → 西村美穂 4回転3周 38地点
2区走者 吉田飛鳥 → 西村美穂 → 中谷璃稀 4回転3周 66地点
3区走者予定 西村美穂 吉田飛鳥

2021年は、ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して、下原ゼミⅣでは、マラソン朗読会を実施しました。現在、往路を快走中です。
 
2020年、マラソン朗読会走者、紹介

☆西村美穂 学力優秀、絵本作家 著作に『ぼくの さいぼうの はなし』
      『かたがむ』などがある。姐ご肌。

☆中谷璃稀  神戸からきたさすらい人 かっては舞台役者を目指した。

☆吉田飛鳥 大阪谷のムーミン 元豊島園レンジャー
ニュース 信濃毎日新聞 11月26日 コラム「斜面」で『黒板絵は残った』

            

11・24ゼミ報告 朗読走者:西村美穂 中谷璃稀 吉田飛鳥

『貧しき人々』マラソン朗読会 2日目 P38 下段3行目スタート 66

この作品の概要

主人公マカール・ジェーヴシキンは、場末の安アパートに住む中年の独身男で小役人。同じアパートの向いの棟には、仕立物をしてようやく暮らしをたてている、身寄りのない若い娘ワルワーラがいる。この小説は、この年のはなれた男と女が交わす54通の手紙から成っている。

1844年10月末、24歳のドストエフスキーは、工兵局製図室勤務の職を退職して、無職自由の身になる。このとき一つ年上の兄ミハイルにこんな手紙を送っている。

辞表はだしたというから出したというまでです。もうこれ以上勤めてはいられなかった。/ぼくは希望を持っているのです。『ウージェニー・グランデ』(バルザックの中編小説)くらいの小説を書きあげようとしているのです。それはかなり独創的なものです。もうその清書にとりかかっています」

都会の片隅で生きる初老官吏と貧しい娘。事件らしいものは何も起きない「メールごっこ」。この作品のどこが面白いのか。その謎をマラソン朗読会で解く。

【時空体験ツアー出発前夜】プレイバック2007年 ※前部、以前と重複します。

一、とにかく読んでみよう!
 
 二○○七年八月二十五日、土曜日の朝、NHKテレビは「おはよう日本」の番組のなかで「なぜ人気、ドストエフスキー」と題して現在のドストエフスキー事情をレポートした。ドストエフスキーをとりあげた動機については、HPでこのように説明していた。
百人に一人しか読破できないと言われるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。今、この「カラマーゾフの兄弟」が人気だ。言葉を平易に直すなどした新訳本(全5巻)が若者を中心に売り上げを伸ばし、既に25万部を記録。かつて読破を挫折した団塊の世代で再挑戦する人も多い。「金銭トラブル」「テロリズム」など、現代の問題が描かれていることもヒットの要因だという。なぜ今ドストエフスキーが人気なのか。その背景を探る。NHK
 確かに昨今、ドストエフスキー熱が高まっている。自然発生的か作為的か、メディアにおいての喧伝が目立つ。多くの関係書物が出版されたり、新たに新訳作品が刊行されたりしている。07年の六月に発行された『21世紀ドストエフスキーがやってくる』(集英社)は、まさにそのブームを象徴する一冊といえる。本書には、作家大江健三郎をはじめ、多くの著名人のドストエフスキーに寄せる思いや対談が掲載されている。NHKが着目したのは、こうした熱いドストエフスキー現象を受けてのことだった。
 番組では、新訳の翻訳者と出版社のコメント 。ドストエフスキーを愛読書とする若手の人気俳優と私たちがつづけている「ドストエーフスキイ全作品を読む会」読書会が紹介された。市民が読み続けている読書会の取材撮影は、八月十一日、東京芸術劇場小会議室で開催されたもの。一九七○年から隔月に開かれていて今夏は第二二二回目となる。お盆休みに炎暑も重なったが、参加者は十八名。いつもの通りであった。NHK取材班は、読書会の様子と出席者全員にインタビューした。が、テレビの常で放映されたのは僅かだった。
 本を買っても実際に読む人は、少ないと思います。「千人に一人、五千人に一人」かも知れません。訳者の亀山郁夫氏は、番組終わりにこう言って苦笑された。ドストエフスキーブームといわれる現象は、これまでも、何度かあった。が、その都度、本当に読まれていたかといえば、はなはだ疑問である。いつのときも笛吹けども、の感がある。
 長い、くどい、暗い、の印象が強いドストエフスキー作品である。いっそうの簡略化がすすむ現代において、人気とは裏腹に、むしろますます敬遠されていく傾向にある。たとえ『カラマーゾフの兄弟』がカラキヨと呼ばれても、中身の重さは変わらない。
 しかし、二十世紀において、世界の賢者たちの多くは、ドストエフスキーに学んだと公言して憚らなかった。アインシュタインしかり、ニーチェしかりである。川端康成はじめ日本の文学者たちもこぞってドストエフスキーを読むことをすすめてきた。そして、それは新世紀になった今日でも止むことはない。「圧倒された。世の中にこんなものがあるのか、と思いました。朝日2007・7・15(中村文則)」と述懐する若い作家たちがつづいている。先にあげた『21世紀ドスト…』の帯にも、こんなすすめが書かれている。

いまどきドストエフスキー?
知っている人も、知らない人も 
 読み進めれば、ヤメラレない。
 こんなにおもしろかったんだ。   (『21世紀ドストエフスキーがやってくる』帯)
 
 いったいドストエフスキーの、どこがそんなに面白いのか。読み進めればヤメラレないのか。NHKでなくとも疑問に思うところである。大きな謎といえる。
 だが、この謎は、あまたの案内書を読んでも、どんなに優れた研究者に尋ねても答えは得られない。謎解きの道は、ただ一つ、自分で作品を読むことである。とにもかくにも本をひろげて作品と向き合う。そうして、悪戦苦闘しながら読みすすめてみる。それしか方法はないのである。
 と、いうわけで07年夏の下原ゼミ合宿は学生諸君に、ドストエフスキー作品に挑戦してもらうことにした。合宿地、軽井沢で作品のマラソン朗読会を決行することにしたのである。
 星降る信濃の夜に、無粋な試みである。果たして、学生諸君は読みきることができるだろうか。辟易し投げ出すのでは。そんな懸念もある。が、「とにかく読でみよう!」と、すすめるしかない。退屈するか、夢中になるか。いずれにせよ、読んでみなければはじまらないのだ。試みる挑戦者は、下原ゼミの五人衆。そして、マラソン朗読会のテキストは、ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』とした。
 この作品は、400字詰原稿用紙に換算すれば約八百枚前後の中編書簡小説か。一夜にリレー読みするには大変な枚数である。果たして五人衆は、棄権することなく、完走できるだろうか。不安と期待を抱いての軽井沢入りであった。

二、なぜ『貧しき人々』か

 ドストエフスキー文学を代表する作品といえば、『カラマーゾフの兄弟』『未成年』『悪霊』『白痴』『罪と罰』がある。いずれも世界文学最高峰に位置する長編名作である。ほかにも多くの中短編がある。これら作品群を目指すのに、どの作品から入っていくか。人それぞれ、動機も様々である。では、マラソン朗読になぜ『貧しき人々』を選んだのか。時間的、物理的に手ごろ、ということもあるが、一番の理由は、真の目的は、この作品のデビュー秘話の真相を確かめたい。その一点にある。
 今から一六二年前、ロシアのペテルブルグで、『貧しき人々』を世界ではじめて読み終えた若き詩人と作家がいた。彼らは、読了のあと暫し茫然自失状態だったが、次の瞬間、白夜の街に飛び出して行った。作者に会うためだった。昼のように明るい通りとはいえ朝の四時前である。そんな時間に感動のあまり、作者に会いに走る。そんなことが、この世にあるだろうか?!そして、それは真実なのか・・・?
 私は、偶然この作品の解説を目にした。そのとき、まず最初に頭に浮かんだのはこの疑問だった。おそらく初めに作品を読もうとしたら、躊躇なく投げ出していたに違いない。私とドストエフスキーとの出会いは、『貧しき人々』の解説を読んだこと、その一点にある。
 私は、これまで世間で面白いとされる小説を何冊か、読んできた。松本清張の推理もの、司馬遼太郎の歴史小説、大デュウマの熱血物語。ポーの怪奇もの、などなど。どれも我を忘れさせてくれた。だが、すぐさま作者に会いに行きたい。どの本もそんな気持は起きなかった。読み終えた途端、作者のもとに走らせる。そんな物語があるのか。正しい読書動機とはいえないが、これが私の読書の旅のはじまりだった。そうして読んだ結果は、その通りだった。「こんな本がこの世にあるのか」私は、驚き、感動し、ドストエフスキーのすばらしさを知った。街にでて誰彼に、この本をすすめたい、教えたい、そんな衝動に駆られた。
 しかし、あれから三十五年。私は、いまだ私と同様の体験した人に会ったことがない。たいていのドストエフスキー読者は、『地下生活者の手記』だったり『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』だったりした。『貧しき人々』について言及している人は、はるかむかし宮本百合子が『貧しき人々の群れ』を書いたのと、先ごろ出版された『21世紀ドストエフスキーがやってくる』の「私とドストエフスキー」のなかで作家の井上ひさしが

『貧しき人々』をよく読むのは、この処女作にドストエフスキーのすべてがあるからで、…
と述べているぐらいか。他にこの作品について、語っている人の話は、あまり聞かない。
 あの衝撃的なデビュー秘話は、はたして真実だったのか。それとも十九世紀のロシアのペテルブルグでしか起きえなかった白夜の夢物語か。また、私の同様体験。あれは、たんに私の思い込みに過ぎなかったのか。そんな疑念が絶えず頭に浮かんでは消えた。
 この伝説の真相に迫りたい。学生たちと共に再体験したい。そんな理由から、第一にこの作品をとりあげることにした。真夏の軽井沢の夜、『貧しき人々』に挑戦する学生たちは、果たして一六二年前のロシア、ペテルブルグの若き詩人と作家が体験した白夜の感動を得られるだろうか。はたまた三十五年前の私と同じ思いを抱くことができるだろうか。時空体験ツアーで挑戦してもらうことにした。本論は、その体験ツアーの記録を報告するものである。
 なお、その前に時空体験ツアーで試みる、あの日の白夜の感動体験とは、いったいどんなものだったのか、当時の証言を拾ってみた。

三、一六二年前の白夜の出来事
 
ときは一八四五年五月六日未明、ロシアの首都ペテルブルグ。昼間のように明るい白夜の街を、興奮した様子で駆けていく二人の青年がいた。一人は若手作家のD・V・グリゴローヴィチ(ドストエフスキーの友人。後年、文壇長老としてチェーホフなど若手作家を育てた)、もう一人は当時ロシアを代表する詩人で編集出版人でもあるN・A・ネクラーソフ(1821-78)。二人は、ヴラヂーミルスキー大通り十一番にあるドストエフスキーの下宿に飛び込むと、寝かかっていたドストエフスキー(24)をたたき起こした。「寝てる場合じゃない!」。彼らは、『貧しき人々』を読み終えるとすぐその足で会いにきたのだ。
 文豪ドストエフスキー誕生の衝撃デビューのエピソードである。この劇的場面をドストエフスキーは、後に『作家の日記』のなかでこのように書いている。(中村健之介訳)

 一八四五年五月五日であった・・・(工兵学校で一年先輩で友人の)グリゴローヴィチが私のところへ来てこう言った。「原稿を持ってきたまえ」・・・、当時ロシアを代表する詩人で編集出版人でもあるネクラーソフ(1821-78)が、来年までにいろんな人の作品を集めた作品集の出版を計画している。「ぼくが紹介してやるから」、(作品をだしてみないか、ということだった。このときドストエフスキーは、作家になるつもりで勤めを辞め、小説を書いていた。24歳だった)。
私は原稿を持って行き、ネクラーソフにちょっと会った。私とネクラーソフは握手を交わした。私は自分の作品を持ち込んだのだ、と思うときまりが悪くて、ネクラーソフとほとんどひとことも口をきかずに早々に退散した・・・
 私が部屋へ帰って来たのは、もう午前四時、昼のように明るいペテルブルグの白夜であった。・・・突然ベルが鳴り、私はびっくりした。グリゴローヴィチとネクラーソフが飛び込んできて私を抱きしめた。
 彼らは前の晩、私の原稿を取り出し、どんなものか試しに
 その夜、詩人と友人は、「どんなものか試しに読んでみよう」と読み始めた。10ページ読んだ。「なんだこれは・・・」二人は、もう10ページ読むことにした。が、気がつくとやめられなくなっていた。二人は一晩中、声を出して読みつづけた。読み終えたのは朝4時前だった。二人はいても立ってもいられなかった。寝ている場合じゃない。作者に会いに行こう!二人は、興奮して白夜の街にとびだしていった。

 作品は、その日のうちにロシア随一の評論家ベリンスキー(1811-1848)に手渡された。ロシアの指導的批評家は、皮肉な笑みを浮かべて

「君たちによると、ゴーゴリはまるで茸みたいにやたら生えてくるんだな」

と、受け取った。が、彼もまた同じだった。読みはじめたらやめられなかった。そうして 
 
「急いで来たまえ、ニュースがあるんだよ」と大きな声で言った。・・・・「これで二日間、この原稿から離れられないってわけさ。これは、新人の小説なんだがね。その男がどんな見てくれをしているのやら、どの程度のことを考えているのやら、まだ知らないんだけれど、小説は、この男以前には誰一人思いも及ばなかったような、ロシアの生活とさまざまな人間の性格の秘密をあばいたものだ。これはわが国で初めての社会的小説の試みだ。そしてその試みを実行する者自身は、自分のやっていることがどういうことなのか気づいてもいない。この試みは、そういう、芸術家がいつもやるやり方でなされたのだよ。
P・V・アンネンコフ『文学的回想』

と、絶賛した。一八四五年五月六日未明から七日にかけて、白夜のペテルブルグでこんな出来事があった。無名の若者がはじめて書いた小説『貧しき人々』は、これほどまでに感銘を与えた。それも、作家、詩人、評論家といった専門家たちに、である。
 今日、こんな劇的な出来事が、これほど絶賛された小説作品があるだろうか。是非に時空体験ツアーで挑戦して、一六二年前の感動と興奮を今一度再体験してみよう!

※アンネンコフ(1813-1887)ロシアの批評家。西欧派の一人。フランス空想的社会主義をロシアに紹介した。ゴーゴリ、ベリンスキー、ゲルッイン等と親交があり、K・マルクスとも文通した。

四、時空体験ツアー参加者紹介
 
一六二年前、白夜のペテルブルグでの出来事。グリゴーロヴィチとネクラーソフの感動体験。その真相を確認するために、また、その体験を再体験するため、下原ゼミはゼミ合宿において時空体験ツアーを計画した。果たして一八四五年五月六日未明に起きた出来事は真実だったのか。いま軽井沢で、その謎が明かされる。
 なお、時空体験ツアー参加者は、07年下原ゼミ五人衆である。マラソン朗読は、初体験だが、全参加者とも前期授業での名作朗読と紙芝居稽古で鍛えている。
 以下、時空体験ツアー参加者の紹介である。

茂木愛由未・・・一見かよわそうだが信念は強い。ガイダンスでの朗読ふるいに残った前橋
        っ子。前橋といえば萩原朔太郎。朔太郎といえばドストエフスキーである。
        今春『ダヴィンチ・コード』を読了。時空ツアーでは、レイアヒメ。
疋田祥子・・・ハスキー声が魅力。映画「ハムナプトラ(失われた砂漠の都)」を彷彿する
       冒険娘。昨夏は、タクラマカン砂漠をラクダに揺られ彷徨った。今春は自転
       車で四国一周。『クレイジー・ガール』のパワフルさに魅かれる。
髙橋享平・・・大きな体格とボサボサ頭がトレードマーク。顔いっぱいひろがる人なっこい
       笑顔が場を和ませる。話し出したらとまらない弁舌過剰な面もある。DJと
       も呼ばれている。南方熊楠が愛読書。未知の旅には、頼りになりそう。
山根裕作・・・根は理工系。ドストエフスキー『地下生活者』的傾向。ゲーム物語作成や創
       作が趣味。ポーカフェイスだが、融和性あり。酔うと女形を披露する特技。
       『アーサー王の死』など歴史ものが好み。朗読に適したバリトン低音。
金野幸裕・・・道産子ボヘミアン。か細い身体だが健康優良児。チャランポランふうに見え
       て根はしっかりしている。ムイシュキンと寅さんの魂を持つ明るいキャラ。
       『リング』や『ポケット怪談』などの怖い話が好き。
 
 まさに五者五様。愛読書も違う。それぞれに個性的メンバーである。果たして彼らは、この時空体験ツアーで、作品を読了して、あの日の感動を体験することができるだろうか・・・・・。
                 プレイバック・マラソン朗読会次号に つづく
三島事件とは何か

11月25日周辺のメディアは、三島事件についての報道が多い。今年は、特に美化された番組が多かった。三島の講演に酔った団塊世代、三島文学に魅了された若者たち。神格化は、進んでいるようだ。もう一度
あの事件は何であったか、観察する必要がある。

事件の推移

この事件は、あまりに有名で、書物も沢山でていることから、いまさらどんな事件だったか、説明する必要もないが、意外と知られていないこともある。三島という作家が若者四人を連れて、市ヶ谷自衛隊東部方面総監部の総監室を占拠し総監を人質にクーデターを要請。自衛隊に呼びかけるも失敗。若者と二人で腹を切って死んだ。これが一般的に知られていることだが、事件があった総監室での推移を知る人は少ない。と、いうことで、時間で事件の推移を追った。(『三島由紀夫死と真実』ストークス著抜粋)

一九七○年十一月二十五日

10時53,4分 市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部正門に三島と若者4人を乗せた車が到着する。車中に日本刀があったが警衛所の隊員、三島を見て咎めず。

11時00分頃 三階建ての二階にある総監室に三佐の案内ではいる。益田総監(57)が迎える。総監室の広さは六㍍×七・五㍍と狭いが天井は高い。外部に通じる場所は、廊下にドア、バルコニーに窓、西側の副長室と幕僚長室にも通じるドア。この日、小春日和。晩秋の陽射しが窓から注いでいた。三島が日本刀を見せると総監は
「立派な刀のようですが、そんなものを、吊って、警察に見咎とがめられませんでしたか。私は規則をよく知らんが、われわれも軍刀は携行しておらんのです」と言う。三島は、芸術品だとごまかす。

11時05分頃 若者たち総監を襲いしばりあげる。バリケードをつくりはじめる。三佐、覗き窓から事件を知り仰天。上司の一等陸佐に報告。二人はドアを開けようとする。開かないので幕僚副長に報告。幹部たち覗いて事件を知る。
11時20分 自衛隊員体当たりでドアを破り、数人の下士官が総監室になだれ込む。武器は木刀一本。陸佐、三島に背中と腕を斬られる。陸曹、右手首が落ちるほど斬られる。さらに一人が両腕と背に三太刀浴びる。あと一人は木刀で防ぐ。一同、総監室から逃げる。自衛隊の幹部たち、非常事態にただただ狼狽するのみ。陸将補は作戦のないまま六人の隊員を引き連れ再び、総監室に突入。武器は棒一本持たず。再び乱闘。自衛隊三人が負傷。森田の短刀を奪うも、またしても七人とも逃げ出す。(短刀を置いてか?)

12時少し前頃 三島と森田、バルコニーに現れる。三島、檄をとばすが野次られ「天皇陛下万歳」を三唱して再び総監室へ戻る。三島、切腹の前に再び「天皇陛下万歳」を三唱。三島、切腹。森田、斬首される。

12時23分 検死官、二人の死亡確認。

「ドストエフスキーを手がかりに」この事件を解く。はたしてそれはできただろうか。世間では三島事件は、いまもって論じられている。信奉者も増えていると聞く。
 しかし、団塊世代の若者が道連れにされた、この事件を思うと、痛ましい気持になる。あの時代、団塊世代の若者には崇高な希望があった。世界を日本をよくしたい。そのために活動したい。そんな意欲があった。べ平連参加も赤軍派もその現れであった。オウムに操られた若者たちをみると今もそれは同じかも知れない。
 死んだ若者は自衛隊員と乱闘の際、短刀を奪われたとある。が、もしかして彼は、奪われた瞬間、ほっとしたのではないだろうか。これで死ななくてもよい。――だが、なんと自衛隊員たちは逃げ出してしまった。「なぜ?!」若者の悲痛な叫びが想像できる。そのときの若者の心中は察するに余りある。若者は、絶望のなかで、まだ一縷の望みを託したに違いない。まだ、時間はある。バルコニーにいる間に、百戦錬磨の特殊部隊が総監室を必ずや奪取してくれると。だが、誰一人来なかった。彼らは、うろたえ小田原評議していただけだった。戦争経験者もいたというのにである。外は大勢の人間の右往左往する騒ぎ、ヘリコプター音やパトカーのサイレンの響き。その喧騒とは反対にあの部屋は湖底のように静まりかえっていたに違いない。もしかして若者は、最後の五分間を振り分けながら扉を蹴破ってくる自衛隊員に賭けたのかも知れない。あの朝、ドストエフスキーが体験した恐怖を感じながらすべてが茶番劇に終わってくれることを祈って・・・だが、結局はドアは蹴破られなかった。
 三島事件は、政治、芸術、性的などなど多面的だが、団塊世代にとっては、よど号犯人たち同様、非凡人思想の挫折を象徴する事件の印象が強い。

2021年のドストエフスキー生誕200周年を記念して

HP「ドストエーフスキイ全作品を読む会」で検索 興味ある人はのぞいてください。
小説「ドストエフスキイの人々」連載中
脚本「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」1回~5回公判

読書会は、以下の要領でおこなっています。

読書会開催 偶数月の土曜日 午後2時 ~ 5時 

会場:東京芸術劇場小会議室 池袋西口 徒歩3分

次回は、12月6日(日)小会議室5

toshihiko@shimohara.net 携帯090-2764-6052 下原
下原ゼミⅣ ドストエフスキー生誕200周年を記念して 名前

『貧しき人々』本日読みの感想 

マカール・ジェーヴシキンの印象

ワルワーラの印象

三島事件を知っていますか 感想「三島事件とは何か」推移

黒板絵の感想

                              

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