文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.416

公開日: 

日本大学藝術学部文芸学科     2020年(令和2年)12月22日発行

文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.416

BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
9/29 10/6 10/13 10/20 10/27 11/3 11/10 11/17 11/24 12/1 12/8 12/15 12/22 1/12 1/19    
観察と創作

2020年読書と創作の旅

12・22下原ゼミ

12・15ゼミ報告 対面4名 zoom3名 

対面 (小原、正村、藤井 篠崎)Zoom (宇佐見、長内、大野)

未(又野、研、鎌田、野島)

授業報告 地域でしか食べないものがある。蜂の子やカイコのさなぎもその一つのようだ。食べるためにハチの巣を探す。子どもには、きのこ採りや魚取りの
ように楽しみでもあった。長野県の南信濃地方、伊那谷では、蜂の巣探しは現在もさかんで
ある。資料の漫画は、伊那谷出身の元朝日新聞記者(本多勝一氏)が出版した『こんなもの
を食べてきた』からのもの。
珍しい食べ物の話の後、下原の子ども時代の体験『念仏平の午後』を読む。

※『こんなものを食べてきた』「ハチの子」
原案・本多勝一 漫画・堀田あきお&佳代 朝日新聞社1999.5.1

※ 『伊那谷少年記』「念仏平の午後」
  下原敏彦著 鳥影社 2004.6.23
      
ニュース 「オンボロ道場は不滅です」12月24日(木)朝日新聞「声」欄

コロナ禍、私のオンボロ道場は、閑古鳥が鳴いている。三密のスポーツだけに仕方ないとこ
ろだが…この先、「つづけるべきか、やめるべきか」ハムレットの心境である。揺れる気持
ちを新聞に投稿した。採用された。2020年12月24日(木)朝日新聞オピニオン「声」欄に
掲載される予定とのこと。
【過去に採用された柔道・道場関係の投書】  「カエルがすむ安全な場所は」2006.3.19
「カラー柔道着いいじゃない」1994.5.14    「カエル飼って子供ら変わる」2006.7.28
「柔道の変化は自他共栄実現」1996.8.9     「振動は困る、街道場に難題」2003.12.8 
「地域に必要な子供たちの運動の場」1996.11.5 「嘉納の理念、世界に発信を」2009.3.10
「町道場の灯を支える教え子」2000.4.2    「町の道場で感じる柔道の魅力」2013.6.19
「子どもが集う道場は町の灯」2002.5.8    仮「オンボロ道場は不滅」2020.12.24
課題1. 『念仏平の午後』を読んで思ったこと (書くことの習慣化)
     蜂追いという、地方の風習・文化・食材体験作品についての感想を。
※念仏平=山の名前 蜂がいる場所。

篠崎 真桃

ハチの子どもを食べることにも驚いたが、それを自分一人でとるということもすごいと思った。私が子どものころは、鬼ごっこやおままごとをよくやっていた。

□どんな鬼ごっこやままごとだったのかな。地域によって違うかも…。

正村 真一朗

ハチを捕える光景がユーモラスで笑ってしまった。僕は地元で山菜やキノコを採って食べていたけれど、上には上がいた。また、山に入りたくなった。野山にはいり食料を調達するのはよいですね。昔が懐かしいです。

□55年前の北海道根釧原野、40日間でしたが、懐かしく思い出します。バイトに入った酪農農家のご家族「必ず来年もきます」と約束したのに、学生運動や外国旅行で反故になってしまいました。いまでも心残りです。「計根別まで」というエッセイ風の短編を書きました。北海道のこと書いてください。

藤井 智也

ハチを食べるという驚きがあった。また、ハチの巣を探して自分でとるというのにもびっくりした。すごいなと思った。

□ハチの子を食べるのは全国でなかったんですね。地方では普通のことと思っていました。中国地方では、たべないのですね。ハチの子ごはんとして食べるハチは、自宅の庭で飼って、蜂の子が一番多くなった秋口に食べるというのが信州伊那谷では一般的です。

小原 遥夏

虫は食べたことないけど、そういえば、最近、虫の菓子みたいなの売ってますね。子どものころはネコの観察に夢中でした。

□見たことあります。すぐに思いだせませんが、テレビでやっていたように思います。カブトいろんな虫の形をしたお菓子でした。

下原 敏彦

私が子どもだった頃、1950年代ですが、信州の山村では、食は農作物の他は、自然のものに頼ってた。春は、木汁(新しい切り株からでる木の養分)、木くらげ、わらび、ぜんまい、つくしんぼ、等です。採るのは子供の役目だった。夏場は、男の子は蜂の巣探し。6月、7月にみつけた小さな巣は、自宅の庭で飼って、その数を自慢しあった。秋は、農作業手伝いのあとキノコ採りです。蜂の巣探しやキノコ採りは、大人も子供も関係ないので、自分一人で探した時は、喜びが大きかった。山と共生していた生活は、私の時代が最後だったようです。いまの村の子どもたちは、山にはいかないという。習い事があって、都会の子と同じような生活とのこと。
課題2.  ゼミ誌作品、他作品で感想あるもの

小原 遥夏

又野さんの『歌唄いは口を閉ざす』。
とにかく女の子がかわいかった。世間的にはダメかもしれないけど、私は好き。

□片道だけで終わってしまったのは、惜しかったですね。往復書簡読みたかったですね。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』、ドストエフスキーの『貧しき人々』、バルザックの『谷間の百合』ウェブスターの『あしながおじさん』名作です。

12・22ゼミについて

本日の授業 12・22、今日のゼミⅡ授業は、以下の要領で行います。出版編集室

資料 → 1.ドストエフスキー『罪と罰』脚本化「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第一
      回公判、2.朝日新聞「私の視点」 3.雑誌コピー4. 課題(さようなら2020年)

※裁判2~5回公判「ドストエーフスキイ全作品を読む会HPにUPしてあります。

ドストエフスキー ゼミの目的だったが

一粒の麦、地に落ちて死ななければ、一粒のままであるが、死ねば、多くの実を結ぶ
(ヨハネ福音書12章24節)

悪夢のような2020年も残り少なくなった。後期前半授業も、今日が最後です。前期のオンライン授業、後期の対面授業。コロナ禍の中で変転した不安で、嵐の海をゆく小舟のようでもあった。羅針盤もきかず海図さえあてにならない。感染拡大という情報に怯え、自粛の穴のなかで孤独の寂しさと苦しさを知った。
パンデミックという歴史の只中にあっての勉学、どれほどの実りがあったろうか。読書や思考をめぐらせる余裕はなかったが、ゼミ誌を残せたのは、大きな成果といえる。
しかし、この一年の授業内容を振り返ると、どれだけの文芸研究を指導できたか、考察できたか、コロナのせいにしろ自信はない。
下原ゼミ通信Ⅱの目標は、ドストエフスキーのススメであった。が、コロナの嵐の中で遅々として進まなかった。不慣れなオンライン授業では混乱するばかりであった。
そこで反省をこめて、(まだ、来年早々2コマ残っているが)まだ、耕かされていない地にドストエフスキーの種を蒔いて一年の締めくくりとしたい。
たとえ、すぐに読まれなくても、『カラマーゾフの兄弟』の序文に「多くの実を結ぶ」とある。そこに希望をもって。
『罪と罰』とコロナ時代

いつの時代もドストエフスキーの作品は、その時代の問題を解く鍵となっている。とくに『罪と罰』は、コロナ時代と言われる今年ほど、その意味を示唆する年はない。
近年、注目されたのは、イラクの独裁者フセイン元大統領が隠れ家ににあった本としての存在だった。大勢を救う為に、無用人間を犠牲にする人間二分法。独裁者=非凡人は、なにをしても許されるのか、が論点だった。
『罪と罰』の非凡人思想は、人類を幸福にするか否かを問う小説だが、未知のウイルス来襲のコロナ時代をみると、非凡人思想が正しいようにも思えてくる。
フセイン元大統領と『罪と罰』の謎

2003年12月13日未明 アメリカ陸軍第4歩兵師団と特殊部隊は、イラクの独裁者サッダーム・フセイン逮捕を目的とした「赤い夜明け作戦」を決行。イラク中部の農村で拘束した。フセイン元大統領は、民家の庭に掘られた地下穴に隠れていた。生活していた穴の中にあったものは拳銃や日用品の他に。何冊かの書物もあった。そのなかにドストエフスキーの『罪と罰』があったと報道された。権力者や組織が一番に忌み嫌う作家はだれかと問えば、真っ先にあがるのはドストエフスキーの名前だろう。独裁者にとって、天敵ともいえる。では、なぜこの本があったのか?!
あれから16年、この謎は、未だ解かれていない。この間、ドストエフスキー論は数多くだされたが、この謎に触れた研究はなかったような気がする。
この謎解きは、想像すると三つの答えが思いつく。
1.たまたま、民家にこの本があった。
2.逃亡を手助けした世話人が持ってきた。退屈しのぎに読むように
3.フセインの愛読書だった。いつも持ち歩いていた。
1、2は、偶然に頼りすぎる。答えは、やはり3の「フセインの愛読書だった」だろう。フセインは、意外にも文学好きだという。自分でも小説を書いているらしい。下記の4作の小説は、彼が書いたという。他にこれも俄かに信じがたいが、独裁者時代、彼は、各地で読書会を開催していたという。
• 『王様と愛人』(Zabibah and the King、2000年。邦訳 ISB978-4893085559)
• 『難攻不落の砦』(The Fortified Castle、2001年)
• 『男たちと都会』(Men and the City、2002年)
• 『悪魔のダンス』(Begone, Demons、2002-3年頃。邦訳 ISB978-4198621704
フセインが真の読書好きなら、世界文学最高峰に位置するドストエフスキーの作品を読んでいないはずがない。それなら『罪と罰』を持っていても不思議ではないが、小説作品として持っていたのではない気がする。
『罪と罰』は、訳者の江川卓氏によれば「推理小説にはじまって、思想的、哲学的、社会的、心理的、宗教的、等など、実にさまざまなレベルの読み」(『謎とき『罪と罰』できる)ができるという。
あるときは、犯罪者のバイブルともなり得る本である。フセインは、捕まったときの用意として、自らの正当性を証明するために持っていた。大統領時代、多くの人命を奪った。その罪は、すべて中東の平和のためだった。そのことを『罪と罰』を全世界に知らせんがために。だが、その試みは成功しただろうか…。
ドストエフスキーの『罪と罰』を読む。長編の解説は難しいので、脚本化して口演してもらいました。これによって読了できなかった人は、物語の内容が、だいたいわかってきたと思います。脚本化では、心理的に表現できないところもあります。お時間あるとき読んでいただければ幸いです。また新しい発見があります。

■1821年10月30日、ドストエフスキーモスクワで生れる。
■1831年 10歳 トゥーラ県の小村で過す。この時代が一生の思い出となる。
■1837年2月27日 16歳 母マリヤ死ぬ
■1839年6月 18歳 父ミハイル 村人に殺される。
■1843年8月12日 22歳工兵学校卒業、工兵局製図室に配属
■1844年10月13日 23歳 一身上の都合により退役。小説家を目指す。
■1845年5月6日 24歳 『貧しき人々』で衝撃デビュー 作家となる。
■1848年27歳 ペトラシェフスキーの金曜会に参加。フーリェ主義
■1849年4月23日28歳 午前4時過ぎ逮捕。
     12月22日処刑場にて刑の停止 25日シベリアへ、監獄暮らし
■1854年2月33歳 懲役刑終了 3月セミパラチンスク国境警備隊に配属
■1857年36歳 マリアと結婚
■1859年38歳 ペテルブルグに帰還
■1864年43歳 『地下室の手記』『罪と罰』に繋がる作品
■1866年1月 45歳 『罪と罰』連載開始。1年間

訳者・江川卓の読み方
「私自身、推理小説にはじまって、思想的、哲学的、社会的、心理的、宗教的、等など、実にさまざまなレベルの読みを体験してきた」(「『謎とき『罪と罰』』」)

ドストエフスキーの小説作法  新聞記事から

『罪と罰』の場合、モデルは1865年1月モスクワで起きた強盗殺人事件。犯行は夜の7時頃、2人の老婆が殺害された。凶器は斧。後頭部を打撃。金と金銀製品を奪う。犯人ゲラーシム・チストーフ(27)
※当時(1853~)、盗難や詐欺事件の被害総額14万ルーブル、毎年の逮捕者4万人

モデル事件と小説設定の違い

小説のテーマが思想的要素もあるので

1.犯人像の変更 モデルは27歳の店員だが、小説の主人公ラスコーリニコフ
 は、23歳の元大学生。思想的背景をだすため。
2.モデルの被害者は料理人と洗濯女。小説では金貸しとその義妹。
3.モデル事件では狂気の斧が証拠品として提出。小説では予審判事ポリフィ ーリイとの心理的駆け引き。論文が「ほんのちょっとした証拠」に
4.モデル被害者2人目は、友人。小説では義理の妹。
5.季節の変更モデルの犯行は冬、小説では炎暑。

新聞記事 + 以下の著作のテーマをあわせて書き上げた作品。

人類二分法はナポレオン三世(1808-1873)「ジュリアス・シーザー伝」序文

「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い未来を照らしだす。・・・本書の目的は以下の事を証明することだ。神がシーザーやカルル大帝のごとき人物を遣わす。それは諸国民にその従うべき道を指し示し、天才をもって新しい時代の到来を告げ、わずか数年のうちに数世紀にあたる事業を完遂させるためである。彼らを理解し、従う国民は幸せである。かれらを認めず、敵対する国民は不幸である。そうした国民はユダヤ人同様、みずからのメシアを十字架にかけようとする。」

【当時の作品の評判】
※作者ドストエフスキーは1865年9月上旬に『ロシア報知』誌の編集長カタコフにこんな手紙をだしている。
あなたの雑誌に私の小説を掲載していただけないでしょうか。・・・これはある犯罪の心理学的報告書です。事件は現代のもので、今年のことです。大学を除籍された町人身分の青年が極貧の暮らしをしているのですが、浮薄で、考えが揺れ動いているために、今、流行りのある奇妙な「未完成の思想に取り憑かれてしまって、自分の忌わしい境崖から一気に脱することを決意します。

・1866年1月『ロシア報知』誌に連載開始1月、2月、4月、6月7月、8月、11月、12月号で完結 
『罪と罰』は大好評だった。『祖国雑報』1867年第一号にはこんな批評も。

最近の文学の最大の事件は、疑いもなく、ドストエフスキーの長編小説『罪と罰』の出現である。この小説は、あらゆる人によってむさぼり読まれた。刑事事件を扱った話としての外的な面白さもさることながら、作者は内的な問題を非常な高さにまで高めた。そのために、外的な関心事はさまたげとはならず、背後に退くぞいている。この小説の語っているのは、現代の我が国の知的精神的体制のぐらつきであるが、それがさまざまな場面で衝撃的な力を持って描きだされている。

【日本では、内田魯庵がはじめて訳す】
この作品が日本にはじめて入ったのは、明治25年(1892)といわれています。小説家の内田魯庵が訳しました。英語版でした。推理小説。そんな感覚だったようです。
魯庵は、2編迄しか訳しませんでしたが、その内容には衝撃を受けたようです。
こんな感想を残しています。
「『罪と罰』を読んだ時、あたかも曠野(こうや)に落雷に会うて眼眩(くら)めき耳聾(し)いたる如き、今までにかつて覚えない甚深の感動を与えられた。」(内田魯庵「二葉亭余談」)
マンガ家・手塚治虫と『罪と罰』

マンガ家の手塚治虫は、この作品をマンガ化するにあたってこんなことを述べています。手塚治虫〈インサイダーな学生時代とロシア文学〉から

 私が学生時代むさぼるように読んだのは、なんといってもトルストイや、ドストエフスキイなど、土の匂いがぷんぷんと臭うようなロシア文学であった。ことに学生演劇に凝っていた当時、ゴーゴリの短編や、『どん底』などを舞台で演じたこともあって、ロシア人の体臭は懐かしく、抵抗なく読み続けることができた。私のストーリイ・テリングの教科書として『戦争と平和』や『罪と罰』などは有難い存在である。ことに『罪と罰』からは、作劇法だけではなく数え切れないほどいろいろなものを学んだ。手垢のつくほど読んだのは中村白葉氏訳の世界文学全集である。
 ラスコリニコフの思想については、当時からかなり否定的でその意味では私はいたってインサイダー的な学生だったのだが、彼をめぐるさまざまな人物像にかえってそれなりに共感を覚え、好意をもったものだ。たとえばルージンのような、俗物根性のかたまりにさえ。面白がって共鳴した。スヴィドリガイロフに至っては、感激して人物論を書こうと思ったくらいである。なにひとつ犯罪の証拠をにぎらないまま、心理的にぐいぐいと主人公を追いつめていくポルヒィーリイ判事とのやりとりが圧巻で、これが雑誌に掲載された時、読者はどんなに興奮して次を待ちあぐねただろうかが想像できた。その本格ミステリーの道具だてのうまさは、現代の推理作家など足もとにも及ばない。
 私がこの作品に興味を覚えた動機は。敗戦直後、小説の舞台そのままが、当時の社会情勢で、不条理の殺人、貧困と無気力、売笑婦、学生犯罪などのなまなましいニュースが、奇妙なほど酷似していたからであるが、それから20年たって、さらに今日性をもって迫って来るこの物語につくづく作者の偉大さを認識するものである。
 余談だが、学生演劇熱が昂じて、その合同公演で行ったときも参加してしまったが、そのときとり上げられたのがこの『罪と罰』だった。三幕二十四場ほどの大作で、私は、主人公が罪を犯すアパートのペンキ職人の役を貰った。さらに数年たって、私が現在の仕事にはいってから、子供のためにこの名作を紹介しょうと、ダイジェスト・マンガ化して出版したことがある。マンガブームになって、昔書いたものを、某紙が最近採録してくれた。こうして『罪と罰』は私ときってもきれない縁になってしまった訳である。 1953年11月

エピローグの悪夢
コロナ時代の『罪と罰』は、エピローグからの衝撃が走った。
「全世界が、アジアの奥地からヨーロッパへ向かって進む、ある恐ろしい、前代未聞の犠牲となるさだめになった」(『罪と罰』)
ラスコーリニコフがみた、この悪夢は、中国の武漢、奥地の山中を連想させた。
非凡人は、全人類を救う。ラスコーリニコフはにとりついた思想。
時゛文が非凡人か、そうでないか。まずは金貸し老婆の実行。
コロナ退治は、民主主義作戦か。非凡人に任せるか。
1人を犠牲にして99人を救う。
コロナがなかったらゼミ合宿は南信州の阿智村で実施しました。

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☆熊谷元一研究 DVDの感想、熊谷元一HPにアップしました。
 興味ある人は「熊谷元一研究」を検索ください。
2020年12月15日 下原ゼミⅡ  エッセイ道場 提出課題   名前

エッセイ 書くことの習慣化

課題1. 2020年は、どんな年でしたか

課題2.少数を犠牲にして大勢を救う。非凡人思想について

 

. 課題3. 3年生の目標ありますか

課題4.. なんでもない一日の記録(コロナ禍を生きる)

 

.  

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