文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信 No.115

公開日: 

日本大学芸術学部文芸学科     2008年(平成20年)11月17日発行
文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.115
BUNGEIKENKYU Ⅱ SHIMOHARAZEMI TSUSHIN
                              編集発行人 下原敏彦
                              
2008後期9/22 9/29 10/6 10/20 10/27 11/10 11/17 12/1 12/8 
12/15 1/19 1/26 
  
2008年、読書と創作の旅
11・17下原ゼミ
11月17日(月)の下原ゼミは、下記の要領で行います。文ゼミ教室2
 1.ゼミ誌作成報告 出欠・連絡事項・課題提出・課題配布
 2.課題発表・「ナイフ投げ奇術師美人妻変死事件」裁判
    
 3.世界名作読み 詩編「失恋」、幕末江戸観察・シュリーマン『日本』
 
  4.ゼミ中日・紙芝居 「赤ゴリラ編」残り
     
 
今週の車窓 
 晩秋の車窓は、なにかとあわただしい。ゆく秋の感傷に浸りたいところだが、時空列車は2008年の終点に向かって矢のごとく走り行く。目まぐるしく過ぎ行く車窓の景色。クリスマス飾りで彩られてはいるが、雑然・騒然として心やすらぐものがない。
 今週の気になる景色をいくつか拾ってみた。
・どうなる定額給付金「2次補正先送りへ 今国会延長せず」与党の合意事項は下記。
 1人あたり1万2千円(・66歳以上と18歳以下は8千円を加算し2万円、・所得制限
 は各市町村が判断、・その場合の下限は1800万円)朝日11・13
・だれでもよかった殺人事件、父親に仕事のことで叱られた腹いせに19歳が道を歩いてい
 た銀行員24歳を車ではねて死なす。千葉県香取市。今年多発、無差別殺人。
・大学生に大麻汚染。大学生のあいだで大麻汚染が広がっている。先の慶應につづいて、こ
 んどは都の西北の早稲田でも逮捕者が。入手先はインターネットでタネを購入して自宅で
 栽培。密輸入して。大学はすでに逮捕者を退学処分に。東京理科大生も。
 よいニュースは、あまりなかった。定額給付金は、唯一、明るい話題だが、なぜ、なんのためにと考えると、複雑な気持になる。日本の政治の貧困を思ってしまう。昔、竹下首相(あるロック歌手の祖父ということで知られている)が全国市町村に一律1億円をバラまいたことを思い出す。あれは、どんな相乗効果が、成果があったのだろう。不明である。
 木枯らし吹きはじめる、この季節は、なにかしら不穏なものを感じる。これもかれも以前、見た車窓の景色が頭に残って離れないからだ。あれは、たしか141年前。時は1867年11月15日だった。ところは京都市内。木枯らし吹く、寒い夜だった。時間は夜8時過ぎか。四条河原町にある醤油商近江屋の板戸をたたく数人の侍がいた。彼らは奉公人に手札をみせ誰かに面会を求めた。在宅とわかると、奉公人を刺殺し暗殺者に変身した。「こなくそ」の叫び。彼らが去ったあと二階には、死者1名と重傷者1名が。翌年、王政復古発布。


文芸研究Ⅱ下原ゼミ通信No.115―――――――― 2 ――――――――――――――
車窓雑記
A・C・クラークとM・クライトン
 今年は、SF文学界には厄年のようだ。3月、世界のSF界を代表するアーサー・C・クラーク(1917-2008)が亡くなった。が、この11月4日、こんどはマイケル・クライトン(1942-2008)が亡くなった。A・クラークは、90歳、M・クライトンは66歳だった。
 二人の体表作は、アーサー・クラークは何と言っても『前哨』を書きひろげた『2001年宇宙の旅』である。SF文学の金字塔となっている。マイケル・クライトンは、世界中に恐竜ブームを巻き起こした『ジュラシック・パーク』だ。どちらも出版界でも映画化でも大成功を収めた。とくにM・クライトンの作品は、ロイター通信によると、作品が世界で1億5千万部以上売れたというからすごい。クライトンは最近は、テレビドラマ「ER 緊急救命室」の制作も手掛けていた。A・C・クラークは、晩年はスリランカに住んでダイバーを愉しんでいたらしい。地球外生物の存在を知ってから死にたいと、言っていたが、残念ながら果たせなかった。最近作『宇宙でのランデヴー』の映画化が待たれるところだ。
 この二人のSF作家を比較したとき、クライトン氏の作品は忘れ去られていく可能性が高い。氏の作品は、あくまでもサブカルチャーの範疇。面白い、わくわくする。家族全員が楽しめる冒険的物語。氏の作品は、最後まで読者や視聴者を意識したものだった。A・クラークは、人間とは何か、といったテーマがあった。人間は、なぜいるのか。どこからきたのか。その謎にたいする興味が強かった。故に共感する読者は、難解でも読んだ。『2001年』『2010年』『2030年』『2060年』と謎を追ったが、解決はつかなかった。
 A・クラーク = 代表作の一つ『2001年宇宙の旅』はスタンリー・キューブリック監督による映画版がSF映画のジャンルにおいて記念碑的な作品とみなされている。クラークは脚本の共同執筆に参加した。原案は短編の『前哨』であると言われている。小説と映画は同時進行で製作されていて、「映画原作本」「映画のノベライゼーション」といった関係ではない。映画の劇場公開は1968年4月であり、小説の出版は同年7月である。映画作成時の状況については、エッセイ『失われた宇宙の旅2001』に詳しい。最高のSF映画として全世界で高く評価されており、日本の旧文部省が「特選」に指定した唯一のSF映画でもある。また、続編『2010年』の映画化に際してキューブリック抜きを条件にした。クラークは映画の仕上がりに満足したという。
M・クライトン = 1965年、処女作『殺人グランプリ』を執筆(1967年にジョン・ラング名義で出版)。1968年にジェフリー・ハドソン名義で『緊急の場合は』を執筆、アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞。1969年、医学博士号を取得。はじめてマイケル・クライトンの名で出版した『アンドロメダ病原体』がベストセラーとなる。1972年、ABCテレビでTVドラマ『暗殺・サンディエゴの熱い日』を製作。1973年、映画『ウエストワールド』で監督・脚本を手がける。1990年にはバイオテクノロジーで恐竜が現代に蘇るという内容の『ジュラシック・パーク』を発表、スティーヴン・スピルバーグにより映画化されて世界中に恐竜ブームを巻き起こし、続編も製作された。2008年11月4日、がんのためロサンゼルスで死去。66歳であった。マイケルはエンターテインメント小説史のなかでも稀に見る作風の多彩な作家であるが大学での専攻分野が反映され科学技術、とりわけ生命科学に関わるテーマは多くの作品で通底している。さらに最先端のサイエンストピックスも貪欲にリサーチし、咀嚼したうえで問題提起し作品に取り入れている。このため彼の作品はしばしば訳者等から「新鮮なテーマ」が大きな魅力の1つとして評価されてきた。出世作『緊急の場合は』は医学ミステリ、『アンドロメダ病原体』はバイオ・サスペンス、『ジュラシック・パーク』はパニック・アクション[1]と以上の代表3作品のみでもジャンルと扱われるテーマは多岐に渡る。また作品にはクライトンの作品で扱うテーマに対する姿勢・意見が反映されている。
――――――――――――――――― 3 ―――――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115
2008年、読書と創作の旅
後期「2008年、読書と創作の旅」
11月17日ゼミ・プログラム
はじめに  → 出欠、「ゼミ通信」、課題テキスト配布、連絡事項、その他
                 
司会進行決め  →  (二度目になります)
司会者進行
1.ゼミ誌『ドレミファそらシド』作成に関する報告、  
 (川端・大野編集長、小黒副編集長、坂本・瀧澤・橋本・飯島編集委員から)    
2. 配布課題テキストの説明・(編集室から)
3. 課題4報告・「奇術師美人妻変死事件」結審、『ハンの犯罪』から
 
4. 世界文学名作読み → 詩編・ヴェルレーヌ
〇 詩・秋の歌 訳者の違いで詩の印象は変わるのか。そのへんを吟唱で聞き比べ。 
 ・ポール・ヴェルレーヌ「失恋」堀口大学訳 対比 橋本一明訳
〇 幕末江戸観察1865年6月1日~7月4日 訳・石井和子
 ・ハインリッヒ・シューリーマン(1822-1871) 
  H・シュリーマンといえばホメロスの伝説からトロイアの遺跡を発掘した。そのことは
  あまりにも有名である。が、その発掘に先立つ6年前、幕末の日本を訪れていたことは、
  ほとんど知られていない。明治維新の3年前の6月、彼は江戸に上陸した。1ヶ月と短
  い滞在だが、日本人の風俗気質を見事に観察している。シュリーマンが、真の考古学者
  だったかどうかは知らない。が、鋭い観察者であったことは、幕末観察から窺う知るこ
  とができる。現在、NHK大河ドラマ「篤姫」の時代、彼の目にはどう映ったか。
時間あれば
〇 戦争観察 中国南京1938年1月5日 ~ 13日、上海 ~ 17日
  石川達三『生きている兵隊』赤紙で徴集された市民が戦地に行ったらどうなるか。ライ
  ターは冷静に客観的に徐々に兵士になっていく一市民の姿を観察している。
〇 ・ジュール・ルナール(1864-1910)『にんじん』訳・窪田般彌(くぼたはんや)
  前回ゼミのつづきを読む。「湯飲み」「パンきれ」
  注目は、次のところ。
   「湯のみ」・・・・家庭のなかでのにんじんの立場
  「パンきれ」・・・・父親ルピック氏と母親の関係
5. ゼミ中日休憩・紙芝居口演「少年王者」
   
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115 ――――――――4 ――――――――――――――――
課題・4 テキスト『范の犯罪』        
ナイフ投げ奇術師美人妻変死事件
 見世物小屋で范(ハン)という若い中国人の奇術師の妻が演芸中に死んだ。奇術師の夫が投げたナイフが頚動脈を切断。若い妻は、その場で亡くなった。不意の出来事だった。演芸に伴う事故とみられたが、夫婦間に不和があったため故意と疑われ奇術師は逮捕された。
 裁判で被告の夫は、「故意ではないが、(無意識に)故意があったかもしれない」と答えた。そして、不倫妻の死を悲しむ心は、「全くない」と話した。
 さて、裁判員に選ばれ出廷した、あなたの判決は。
  川端里佳
【若妻の死を、故意とみるか、事故とみるか】
 故意であるかどうか。殺害する意志はあったかのか。それが事件と事故を分けるポイントだと思うが、ここがとてもあいまいである。しかし、夫は故意であったかもしれないと供述している。精神的混乱があったのかもしれないが、この事を聞いている時は、冷静さが感じられるため、この供述は有効であり、事件だと考える。
【事件なら、告訴状はどのようになるか】
 妻の死を悲しむ気持が全くありませんという供述から、反省をうかがえない。また、故意で投げたかどうかという重要なポイントをごまかしている。精神的な問題にもっていこうとしている様で悪質である。
【上記の場合、刑罰としてどのくらいの量刑を望むか】
 懲役五年ほど。
【その刑罰の理由は、根拠は】
 殺人ではあるが、故意であるかどうかという部分がはっきりしない。また、精神的混乱があると判断され短くなると思われる。
【量刑を軽くするために弁護するとしたら】
 ナイフを投げたとき、夫は殺す気などなかった。しかし、実際に殺してしまったことで精神的に混乱し、殺すつもりだったような錯覚にとらわれてしまった。
 故意ではなかったこと。精神的混乱があったこと。この二点が弁護のポイント。
【判決主文、裁判長だったら】
 故意であるかがあいまいであるが、故意だったかもしれないと供述しているときは冷静だったため、その供述は有効であり、故意だったと裁断。
 よって、本件は有罪。殺人罪とする。
―――――――――――――――――― 5 ――――― 文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115
  秋山有香
【若妻の死を、故意とみるか、事故とみるか】
 事件だと考える。被告が、故意だったかも知れないと証言している以上、事故にするには難しい。
【事件なら、告訴状はどのようになるか】
 ナイフ投げの奇術師ということを利用し、事故を装った殺人事件である。
【上記の場合、刑罰としてどのくらいの量刑を望むか】
 懲役三年 ~ 五年くらい。
【その刑罰の理由は、根拠は】
 妻の死を悲しむ心は、全くありませんと証言していて、人を殺したことへの罪の意識が感じられず、反省の色が見えない。
【量刑を軽くするために弁護するとしたら】
 元を辿れば、妻の不倫が原因。また、それによって精神が乱されていた。
【判決主文、自分が裁判長だったら】
 原因は妻の不倫でも、それが人を殺してもいい理由にはならない。また、妻の死を悲しむ心がなく、罪の意識が薄い。よって事故として扱うことはできない。「有罪」。
  飯島優季
【若妻の死を、故意とみるか、事故とみるか】
 事故に限りなく近い事件。
【事件なら、告訴状はどのようになるか】
 ・被告のハンは、奇術の演芸中に妻の頚動脈をナイフで切断した。
 ・被告と被害者、二人の間柄はあまりよろしくなかった。また、前の晩に二人は喧嘩して
  いた。その喧嘩のときに被告は、妻を殺そうと考えた。
 ・被告自体が、今回の出来事を故意であったと証言している。
【上記の場合、刑罰としてどのくらいの量刑を望むか】
 懲役三年 執行猶予三年。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo・115―――――――― 6――――――――――――――――
【その刑罰の理由は、根拠は】
  この後に同じような事件を起こさせない為にも、無罪ということには出来ない。そこで
 殺人罪となる。殺人罪は無期懲役または五年以上の懲役。しかし、この事件は実際100%
 故意とは言えない。よって、五年では長いと考えて減刑三年。すると、執行猶予を付ける
 ことが可能なので、一番オーソドックスな執行猶予三年とした。
【量刑を軽くするために弁護するとしたら】
 ・この出来事は故意であったと言い切ることは不可能である。実際、被告の周辺の人物も
  どちらかわからないというし、被告自身が最後に「わからない」と言っている。
 ・この奇術自体がもともと危険なものであり、タネも仕掛けもないのである。ならば失敗
  で今回のような事故は起こりうるものと考えられる。
 ・この日の彼のコンディションは、眠れなかったこともあり、あまりよくなかったようで、
  このような失敗が起こっても不思議ではなかった。
 ・喧嘩のときの「妻を殺す」という考えも朝には無くなっていたと証言している。
 
【判決主文、自分が裁判長だったら】
 事故に限りなく近い事件である。減刑の余地有り。
 よって、懲役三年の執行猶予三年とする。
 
  大野菜摘
【若妻の死を、故意とみるか、事故とみるか】
 事故。被告・加害者は精神に異常をきたしているので、故意だったかもしれないと話すがそれも精神の病からきていると思われる。
【事件なら、告訴状はどのようになるか】
 精神異常を装った事件。被告は、故意でやったにも関わらず、故意で投げたのではないが、故意かも知れないと証言し、精神状態の悪さをかもし出している。悪質 !
【上記の場合、刑罰はどれほどの量刑を望むか】
 無期懲役。
【その刑罰の理由は、根拠は】
 精神がしっかりしているのに、精神異常を装い妻を殺したため。
―――――――――――――――――――― 7 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115
【量刑を軽くするために弁護するとしたら】
  精神的に追いつめられていた被告が故意だったかも知れないと言ってしまったのは、病
 んでいた精神のせいでそう思ったから。実際に殺す機会は他にもあったはずなのに多人数
 の前で殺すのは少しおかしいので、この殺人は事故によるもの。
【判決主文、自分が裁判長だったら】
 事故だったとしても殺してしまった事には変わりはない。執行猶予を付けて、精神状態を回復させるべき。よって、「有罪」とする。
裁判実況中継
現 場 = 芝居・見世物小屋 
観 客 = 当日は300人余り
目撃者 = 興行・座長一名、ナイフ投げ演芸助手一名、巡査一名
       観客300余名
状 況 = 戸板大の板の前に女を立たせ、二間(約三・七㍍)離れたところから奇術
       師が出刃包丁ほどのナイフを投げる。
       ナイフは、女の体から二寸(六センチ)と離れない距離に突き刺さる。奇
       術師は、掛け声とともに、体にナイフの輪郭をとるように次々となげる。
推 移 = 何本目かのとき、首に投げたナイフが女の頚動脈に突き刺さった。血が
       どっとあふれ女は、前に倒れて、そのままこと切れた。
公 判
―― はじめに被告をよく知る関係者の訊問から行います。
裁判官 「証人と被告との関係は ―― 」
座 長 「被告がいる興行一座の座長です」
裁判官 「あの演芸はぜんたいむずかしいものなのか ? 」
座 長 「いいえ、熟練のできた者には、あれはさほどむずかしい芸ではありません。ただ、
    あれを演ずるにはいつも健全な、そして緊張した気分を持っていなければならない
    という事はあります」
裁判官 「そんなら今度のような出来事は過失としてもありえない出来事なのだな」
座 長 「もちろんそういう仮定 ―― そういうごく確かな仮定がなければ、許しておけ
    る演芸ではございません」
裁判官 「では、お前は今度の出来事は故意のわざと思っているのだな ? 」
座 長 「いや、そうじゃありません。なぜなら、なにしろ二間という距離を置いて、単に
     熟練とある直覚的な能力を利用してする芸ですもの、機械でする仕事のように必
     ず正確にいくとは断言できません。ああいう誤りが起こらないまでは私どもはそ
     んなことはあり得ないと考えていたのは事実です。しかし今実際起こった場合、
     私どもはかねてこう考えていたという、その考えを持ち出して、それを批判する
     事は許されていないと思います」 
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115―――――――― 8 ――――――――――――――――
裁判官 「ぜんたいおまえは、どっちだと考えるのだ」
座 長 「つまり私にはわからないのであります」
座長、礼をして退席。つづいて若い助手が証言台に立った。
裁判官 「被告との関係は」
助 手 「被告の助手をしています。ナイフを運んだり、渡したりする役目です」
裁判官 「被告は、ふだんの素行はどういうふうだった」
助 手 「素行は正しい男でございます賭博も女遊びも飲酒もいたしませんでした。それに
    あの男は昨年あたりからキリスト教を信じるようになりまして、英語も達者ですし、
    暇があると、よく説教集などを読んでいるようでした」
裁判官 「妻の素行は」
助 手 「これも正しい方でございました。ご承知のとおり旅芸人というものは決して風儀
    のいい者ばかりではありません。他人の妻を連れて逃げてしまう。そういう人間も
    時々はあるくらいで、被告の妻も小柄な美しい女で、そういう誘惑も時には受けて
    いたようでしたが、それらの相手になるような事は決してありませんでした」
裁判官 「二人の性質は ? 」
助 手 「二人とも他人にはごく柔和で親切で、また二人ともに他人に対しては克己心も強
    く決して怒るような事はありませんでした。―― 」
      助手は、ちょっと考えて、また続けた。
    「・・・この事を申し上げるのは被告のために不利益になりそうで心配でもありま
    すが、正直に申し上げれば、不思議なことに他人にたいしてはそれほど柔和で親切
    で克己心の強い二人が、二人だけの関係になるとなぜか驚くほどお互いに残酷にな
    ることでございます」
裁判官 「なぜだろう・・・ ?  」
助 手 「わかりません」
裁判官 「お前の知っている最初からそうだったのか ? 」
助 手 「いいえ、二年ほど前、妻が産をいたしました。赤子は早産だという事で、三日ば
    かりで死にましたが、そのころから二人はだんだん仲が悪くなって行くのが私ども
    に知れました。二人は時々、ごくくだらない問題から激しい口論を起こします。し
    かし、被告は、どんな場合でも結局は自分の方で黙ってしまって、決して妻に対し
    て手荒な行いなどする事はございません。もっとも被告の信仰心がそれを許さなか
    ったでしょうが、顔を見るとどうしても、押さえ切れない怒りがすごいほどあらわ
    れていることもございます。で、私はあるとき、それほど不和なものならいつまで
    もいっしょにいなくてもいいだろう、と言ったことがございます。しかし、彼は妻
    には離婚を要求する理由があっても、こっちにはそれを要求する理由はないと答え
    ました。… 自分に愛されない妻が、だんだん自分を愛さなくなる。それは当然の
    ことだ、こんなことも言っていました。彼がバイブルや説教集を読むようになった
    動機もそれで、どうかして自分の心を和らげて憎むべき理由もない妻を憎むという、
    むしろ乱暴な自分の心のため直してしまおうと考えていたようでした。妻もまた可
    哀そうな女なのでする。… 故郷の兄というのが放蕩息子で家はつぶれて無いので
    す。… 不和でもいっしょにいるほかなかったのだとおもいます」
裁判官 「で、ぜんたいお前は、あの出来事についてどう思う ? 」
助 手 「誤りでした事か、故意でした事かとおっしゃるのですか ?  私も実はあの時以
    来、いろいろ考えてみました。ところが考えれば考えるほどだんだんわからなくな
    ってしまいました」
裁判官 「よろしい、尋ねることがあったらまた呼び出す」
    「休廷します」
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世界名作読み・詩編 晩秋といえば、落ち葉。落ち葉といえば失恋か ?
 ヴェルレーヌの作品『無言の恋歌』から「忘れた小曲 その七」を紹介します。前回同様二人の訳者のものです。訳者によって名作の印象・情景は、違うのか、違わないのか。そのへんを気にとめて吟唱してみてください。
※ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896 1月8日夜デカルト街の陋屋にて死去。51歳)
訳者・堀口大学『無言の恋歌』から       訳者・橋本一明『言葉なき恋歌』から
新潮文庫『ヴェルレーヌ詩集』1958       角川書店『ヴェルレーヌ詩集』1967
     
   忘れた小曲              たったひとりの…
    その七
たったひとりの女のために       たったひとりの  たったひとりの女のために
わたしの心は悲しかった        おお、ぼくの魂は悲しかった
胸ではどうやら忘れはしたが       ぼくはなぐさめられなかった
心も胸も彼女から            たとえ心がはなれてしまっていても
どうやら今では離れてきたが        たとえ心が  たとえ魂が  この女から 
然もわたしはなぐさみかねる        とおく逃げさってしまっていても
 
傷つき易いわたしの胸が           ぼくはなぐさめられなかった  
わたしの心に呼びかけて言う         たとえ心がはなれてしまっていても
「― 夢ではないのか、これは果たして     そしてぼくの心は
在り得ることなのか、             あまりにも感じやすいぼくの心は
こんな別離(わかれ)が ? 」          魂にむかって言うのだ、     
                       ありうることだろうか
心が答えて胸に告げる              ありうることだろうか
「――姿は見えぬ遠よそに別れていながら     ―― たとえ、そうだとしても ――
あきらめきれぬ                 こんなたけだけしい追放が
                         こんな悲しい追放が ?
 
こんな地獄があろうなぞ              ぼくの魂は心に言うのだ
自分もきょうまで知らなんだ ! 」         わたしが知ろうか ?
                         
                         ふたりは追放されている
                         遠くさってしまっているのに
                     それでいて 現にいま ふたりいっしょに
                     いるという このわながいったいふたりを
                     どうしょうとか そんなこと 
                     わたしが知ろうか ?
              
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115―――――――10 ―――――――――――――――――
土壌館ニュース(11・10ゼミ報告)
後期航路6日目、順風満帆
参加者は16名、祝全員揃う !!
 
 文芸棟への並木路、落ち葉を踏みながら歩いていると、一年の早さをしみじみ感じます。桜の花びらが舞っていたころ。青葉が繁っていたころ。それらの光景が遠い昔のように、まるで昨日のことのように、走馬灯のように思い巡ります。そんな日、全員の出席に、なにか、新鮮な気持になりました。
参加者紹介(敬称・順番略)
 
阪本義明、 大野菜摘、 川端里佳、 本名友子、 長沼知子、 大谷理恵、
瀧澤亮佑、 秋山有香、 田山千夏子、橋本祥大、 小黒貴之、 野島 龍
臼杵友之  飯島優季  神田泰佑  刀祢平知也 
司会進行は、川端里佳さん
1.ゼミ誌作成経過報告 編集委員
   ・原稿は全員が提出
   ・訂正など詳細は、編集担当者に連絡。個別に相談
   ・脚本、詩編、小説の配置は編集委員で
2. 課題報告
   ・振込み詐欺、事件の新聞コピー配布 各人の感想、騙される人の性格について。
   ・「太陽のせい殺人事件」『異邦人』裁判 無罪3名、有罪13名と分かれるが。が、
    議論・反論少なく過剰防衛が加味されて判決は懲役5年 となった。
     作品の方では、事件当時の生活から
   ・『灰色の月』 作品から、深刻さを 感じとった。昭和20年10月の車内ということ
    に注目。  
全員が揃ったので記念撮影
――――――――――――――――――― 11 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115
『灰色の月』とは何か。分析、考察してみました。
『灰色の月』を読む
はじめに
 この作品は、僅か6、7枚の分量なのに、中長編にも匹敵するものを感じる。千枚の告発文にも勝るものがある。その夜、乗り合わせた乗客から人間の哀しみや怒れる声が聞こえる。それはなぜか。たぶんに、作者志賀直哉の車内観察が、表層に終わらないからだろう。僅か数行の人物描写でも、時代を超えて真理を見ることができる。そこから、人間の愚かさ、無力さ、悲しさを感じ取ることができる。それ故にこの作品は、というよりこの作者の車中文学全般は、一時代の一電車車内を映しながらも普遍でありつづけるのである。
『灰色の月』は、一見、なんの変哲もない車内エッセイである。だが、ここには現在、日本が抱える様々な問題が潜んでいる。日本の為政者は目まぐるしく変わっている。靖国神社参拝問題は、戦争責任は棚上げされたままだ。そんななか、こともあろうに、あの戦争は正しかったのだ、という自衛隊トップもいた。現在の混沌する時代において日本は、人間は、どうするのか。この作品は、人類全体に向かって訴えている。
なお、本文は小話48年発行の岩波書店『志賀直哉全集』を『下原ゼミ通信』編集室で現代読みにしたもの
灰色の月
表題に凝る作家と、頓着しない作家がいる。志賀直哉は、それなりに拘泥した作家のようである。例えば処女作の一つ「花ちゃん」は『菜の花と小娘』になった。『暗夜行路』も『和解』も簡潔だが、葛藤の深さを感じる。この作品も、草稿ノートには、「白いつき、白い月、しろいつき、しろいつき」という書入れがあったという。『灰色の月』に決まるまで、あれこれ模索したに違いない。が、つけてしまえばぴったりする。それが名作である。
灰色・・・はっきりしない、うっとおしい色である。そんな月が、都会の夜を照らしている。地上はほとんど真っ暗いに違いない。狼男かドラキュラでもでそうな不気味さがある。作品をよく表した題名といえる。それでは、作品を検証・考察していきます。
東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。連れの二人は先に来た上野まわりに乗り、あとは一人、品川まわりを待った。
東京駅は、大正3年12月30日アムステルダム中央駅をモデルにルネッサンス様式赤レンガ駅舎として開業された。原敬首相暗殺や浜口幸雄狙撃など、大きな政治的事件は起きたが、建築的にはいたって頑丈で、大正12年のときに起きた関東大震災でも被害はなかった。それなのに「屋根のなくなった歩廊」、とはどういったことか。疑問は、冒頭のこの光景からはじまる。なぜ、屋根がないのだろうか。日付も説明もないから、読者にはわからない。が、その疑問は、すぐに明らかになる。ちなみに「上野まわり、品川まわり」とあるが、山手線が現在の環状運転になったのは大正14年のことである。と、するとこの物語はそれ以降の話ということになる。「着て来た一重外套」から、季節は初秋とわかる。屋根のなくて見通しのよいホームからは何が見えるか。
 薄曇りのした空から灰色の月が日本橋側の焼跡をぼんやり照らしていた。月は十日位か、低くそれに何故か近く見えた。八時半頃だが、人が少なく、広い歩廊が一層広く感じられた。
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115―――――――12 ―――――――――――――――――
 「日本橋側の焼跡」で、読者は、ようやく情景を思い描くことができる。都心の「焼跡」といえば、東京大空襲しかない。B29の爆撃で焼け野原と化した東京。文面の印象から静けさを感じるから、既に戦争は終わっているようだ。8月15日に終戦。山手電車も普通に走り出したのなら、10月初旬の頃だろうか。この時の乗客は、どんなだったか。
 遠く電車のヘッドライトが見え、暫くすると不意に近づいて来た。車内はそれ程込んでいず、私は反対側の入口近くに腰かける事が出来た。右に五十近いもんぺ姿の女がいた。左には少年工と思われる十七八歳の子供が私の方を背にし、座席の端の袖板がないので、入口の方へ真横を向いて腰かけていた。その子供の顔は入って来た時、一寸見たが、眼をつぶり、口はだらしなく開けたまま、上体を前後に大きくゆすっていた。それはゆすっているのではなく、身体が前に倒れる、それを起こす、又倒れる、それを繰返しているのだ。居眠りにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でない程度に子供との間を空けて腰かけていた。
 ここには東京駅から有楽町までの車内の乗客観察が描かれている。当時の(終戦直後の)夜八時半頃の山の手電車の、乗車状況がどうだったかは知らない。しかし、「車内はそれ程、
混んでいず」とあるから7、8割の乗客があったかも。観察では、右隣の「もんぺ姿の女」
のほかに「少年工」のことが書かれている。「連続的なのが不気味に感じられた」とあるから七、八分入りの車内で少年は目立った存在だったのだろう。が、ホームに着くたびに乗客は入れ替わる。志賀直哉(この作品では、主人公を志賀直哉本人とみるべきである。続々創作余談で「あの通りの経験をした」と語っている)は「車中の人々」を、どう描いたのだろう。みてみよう。山手電車は、有楽町、新橋と停車していく。
有楽町、新橋では大分込んで来た。買出しの帰りらしい人も何人かいた。二十五六の血色のいい丸顔の若者が背負って来た特別大きなリックサックを少年工の横に置き、腰掛に着けて、それにまたぐようにして立っていた。その後ろから、これもリックサックを背負った四十位の男が人に押されながら、前の若者を覗くようにして、
「載せてもかまいませんか」と云い、返事を待たず、背中の荷を下ろしにかかった。
「待って下さい。載せられると困るものがあるんです」若者は自分の荷を庇うようにして男の方へ振り返った。
「そうですか、済みませんでした」男は一寸網棚を見上げたが、載せられそうにないので、狭い所で身体をひねり、それを又背負ってしまった。
 若者は気の毒に思ったらしく、私と少年工の間に荷を半分かけて置こうと云ったが、
「いいんですよ。そんなに重くないんですよ。邪魔になるからね。おろそうと思ったが、いいんですよ」そう云って男は軽く頭を下げた。見ていて、私は気持よく思った。一頃とは人の気持も大分変わってきたと思った。
 乗客はリックサックを背負った人が多くなった。有楽町、新橋から混んできたというから、新橋あたりに市場があったのだろうか。しかし、時間を考えると戦後の闇市を想像する。話は逸れるが、闇市で思い出すのは、昭和40年前後に流行ったヤクザ映画の一つである。当時、高倉健、鶴田浩二の任侠ものが全盛時代ではあったが、それとは違う、戦後のドサクサを描いた、闇市ヤクザ路線も流行っていた。安藤昇という大学出のインテリヤクザが、足を洗い映画監督になってつくったもので闇市がリアリティあった。殺伐とした時代だが、主人公の観察は「一頃とは人の気持も大分変わってきた」と、戦争、終戦で埃のようにまいあがっていた世の中が、漸く治まってきたと見ている。観察は、乗客の表層面から、会話や一人ひとりの感情や思考へと移っていく。
 
――――――――――――――――――― 13 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115
浜松町、それから品川に来て、降りる人もあったが、乗る人の方が多かった。少年工はその中でも依然身体を大きくゆすっていた。
「まあ、なんて面をしてやがんだ」という声がした。それを云ったのは会社員というような四、五人の一人だった。連れの皆も一緒に笑いだした。私からは少年工の顔は見えなかったが、会社員の云いかたが可笑しかったし、少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。車内には一寸快活な空気が出来た。その時、丸顔の若者はうしろの男を顧み、指先で自分の胃の所を叩きながら、「一寸手前ですよ」と小声で云った。
男は一寸驚いた風で、黙って少年工を見ていたが、「そうですか」と云った。
笑った仲間も少し変に思ったらしく、
「病気かな」
「酔ってるんじゃないのか」
こんなことを云っていたが、一人が、
「そうじゃないらしいよ」と云い、それで皆にも通じたらしく、急に黙ってしまった。
 
 山手電車は、浜松町、田町、品川と過ぎていく。車内は益々混んできた。乗客も入れ替わったが、あの少年工は、まだ乗っていた。「依然身体を大きくゆすっていた」ところから、
他の乗客たちも注目する。奇妙な動作。主人公からは見えなかったが「少年工の顔も恐らく可笑しかったのだろう。」会社員たちは笑い、車内の雰囲気は快活になった。しかし、新橋から乗っている25、6の若者は、少年工をずっと観察していたので、なにかがわかったようだ。いまでこそ、若者は血色のいい丸顔であるが、戦時中は、この少年工と同じだったことがわかる。「そうじゃないらしいよ」その意味は、皆にもすぐわかった。ここから主人公は、この少年をじっくり観察することになる。
地の悪い工員服の肩は破れ、裏から手拭でつぎが当ててある。後前に被った戦闘帽のひさしの下のよごれた細い首筋が淋しかった。少年工は身体をゆすらなくなった。そして、窓と入口の間にある一尺程の板張りにしきりに頬を擦りつけていた。その様子が如何にも子供らしく、ぼんやりした頭で板張りを誰かに仮想し、甘えているのだという風に思われた。
 破れ、つぎはぎだらけの工員服。よごれた細い首。甘えるように頬ずりする子供らしい顔。一見、無邪気な光景描写である。しかし、読者は、凍りつく。少年の子供のような仕草は何を意味するのか。この世の全てを放棄した姿。恐れを知らぬ幼児の表情。それとも写真で見たホロコーストの順番を待つ人々の顔か。上野の山ではこのときもバタバタ飢え死んでいる。
「オイ」前に立っていた大きな男が少年工の肩に手をかけ、「何処まで行くんだ」と訊いた。少年工は返事をしなかったが、又同じ事を云われ、
「上野へ行くんだ」と物憂さそうに答えた。
「そりゃあ、いけねぇ、あべこべに乗っちゃったよ。こりゃあ渋谷の方へ行く電車だ」
 
 乗客は、少年の運命を知っている。なんとかしたい。男が聞いたのもその表れだろう。しかし、少年には、もはやどうでもよいことだった。こんな日本に誰がした。そんな怒りや絶望も、もはやない。乗客にできることは、電車の方向を教えることだけだった。
少年工は身体を起こし、窓外を見ようとした時、重心を失い、いきなり、私に寄りかかってきた。それは不意だったが、後でどうしてそんな事をしたか、不思議に思うのだが、その時ほとんど反射的に寄りかかってきた少年工の身体を肩で突返した。これは私の気持を
全く裏切った動作で、自分でも驚いたが、その寄りかかられた時の少年工の抵抗が余りに少なかった事で一層気の毒な想いをした。私の体重は今、十三貫二三百匁に減っているが、
少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。(一貫=3・75k)
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115―――――――14 ―――――――――――――――――
 私は、なぜ少年を突返したのか。死神がついている。無意識にそれをみたのかも知れない。このときの私は、体重が13貫余りというから50㌔に満たないわけだ。少年工のそれはそれよりもはるかに軽かった。とあるから、少年は栄養失調を過ぎた体だったのだろう。この少年にたいして何をしてやれるのか。作者には『小僧の神様』になれる余裕も体力も気力もなかった。このときの気持を作者志賀は【続々創作余談】でこう述べている。
「あの場合、その子供をどうしてやったらいいか、仮に自家へ連れて来ても、自家のものだけでも足らない食料で、又、自身を考へても程度こそ異ふが、既に軽い栄養失調にかかっている時で、どうする事も出来なかった。まつたくひどい時代だった。」
「東京駅でいたから、乗越して来たんだ。―― 何処から乗ったんだ」私はうしろから訊いて見た。少年工はむこうを向いたまま、
「渋谷から乗った」と云った。誰か、
「渋谷からじゃ一回りしちゃったよ」と云う者があった。
少年工は硝子に額をつけ、窓外を見ようとしたが、直ぐやめて、漸く聞きとれる低い声で、
「どうでも、かまはねえや」と云った。
少年工のこのひとり言は後まで私の心に残った。
どうやら少年工は、山手線に乗ったままぐるぐる回っているようだ。乗客たちは、おせっかいに、むろん悪気はないのだろうが騒ぎだした。少年も皆が自分の行き先に注目していることがわかった。山手線を一回りしようが何周しようが、少年にとってどうでもよいことだった。少年は、現世とは、もはや完全に縁を切った世界にいる。他者は、どうすることもできない。ヘミングウェイの短編に『殺し屋』というのがある。不況とギャングが横行するアメリカの暗黒時代の話だ。主人公のニックが働くレストランに二人の殺し屋がやってきた。時間まで待って殺す相手が来ないとわかると帰って行った。ニックは、知らせに走った。だが、狙われている「オール・アンダーソンは、きちんと服を着たままベッドに横になっていた」そうして逃げようともせず、他人事のように「どうしょうもねえんだ」と言うばかりであった。死ぬことを、殺されることを受け入れた人間の前にニックは、なす術もない。このときの作者も同じ気持であったのかも知れない。
 近くの乗客たちも、もう少年工の事には触れなかった。どうすることも出来ないと思うのだろう。私もその一人で、どうすることも出来ない気持だった。弁当でも持っていれば自身の気休めにやることも出来るが、金をやったところで、昼間でも駄目かも知れず、まして夜九時では食い物など得るあてはなかった。暗澹たる気持のまま渋谷駅で電車を降りた。昭和二十年十月十六日の事である。
                   (『志賀直哉全集』を現代読みに・編集室)
「暗澹たる気持」志賀直哉は、この「暗澹」、アンタンという言葉をこの時代、何度か使っている。が、おそらくこの言葉が最初に口にでたのは、あの日ではなかったか、と推測する。
昭和8年2月25日(土)の日記にこう書いている。
<MEMO 小林多喜二2月20日に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会わぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持になる。ふと彼等の意図ものになるべしという気する>
このとき志賀直哉が抱いたアンタンは、国民を戦争へと駆り立てていった為政者たちへの怒りと憎しみ、それを阻止できなかった悔やみと後ろめたさ。今日、靖国神社は戦犯合祀の問題でゆれている。死ねば、誰しもが英霊か。否、時の為政者は、死してなおその罪を償わなければならない。それが為政者の使命であり、義務である、と編集室は思う。
 
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参考資料
 いよいよ来年2009年5月21日(平成20年)から裁判員制度が施行される。これにより同年7月以降から実際に一般市民が裁判に参加することになる。「裁判院制度とは何か」を知りたい人はHPにあったWiKiPediaを以下に転載したので読んでください。
 裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。例外として、「裁判員や親族に危害が加えられるおそれがあり、裁判員の関与が困難な事件」は裁判官のみで審理・裁判する(法3条)。被告人に拒否権はない。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている(法2条2項、3項)。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する(法6条)。裁判員は、証人や被告人に質問することができる。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない(一部立証責任が被告人に転換されている要件が満たされていると判断するためには、無罪判決をするために合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない)。以上の条件が満たされない場合は、評決が成立しない(有罪か無罪かの評決が成立しない場合には、被告人の利益に無罪判決をせざるを得ないと法務省は主張しているが、法令解釈権を持つ裁判所の裁判例、判例はまだ出ていない)。なお、連続殺人事件のように多数の事件があって、審理に長期間を要すると考えられる事件においては、複数の合議体を設けて、特定の事件について犯罪が成立するかどうか審理する合議体(複数の場合もあり)と、これらの合議体における結果および自らが担当した事件に対する犯罪の成否の結果に基づいて有罪と認められる場合には量刑を決定する合議体を設けて審理する方式も導入される予定である(部分判決制度)。裁判員制度導入によって、国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方、国民に参加が強制される、国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する、公判前整理手続によって争点や証拠が予め絞られるため、現行の裁判官のみによる裁判と同様に徹底審理による真相解明や犯行の動機や経緯にまで立ち至った解明が難しくなるといった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。
 最高裁によると、全国の裁判員裁判対象事件は2004年の3791件から減少傾向にある。都道府県別で昨年、対象事件が最も多かったのは①大阪306件、②東京255件、③千葉214件の順。最も少なかったのは福井県の7件。罪名別では、①強盗致死傷695件、②殺人556件、現在建造物など放火286件、強姦致死傷218現在と続いた。(新聞8・5)
選ばれる確率は4911人に1人(全国平均)
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裁判員関連新聞記事・朝日2008・11・12
         
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腕試し 朝日2008・11・1 解答は他頁
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土壌館創作道場・プレイバック青春観察
汐留青春グラフィティ⑤
 この手記の作者は、ベトナム戦争反対集会で機動隊と衝突。警察に追われることになった。潜伏したのは、汐留にある貨物駅だった。毎日、日本全国から鉄道荷物が到着し、また全国に発送されていた。そこには、いろんな青春があった。奇妙な連中がいた。

食堂は、貨物駅のなかにある五階建てビルの三階にあった。戦前からあったものか、戦後すぐ建てられたものか、いたるところがすすで汚れ剥がれた見るも無残なビルだった。全体が貨物会社のもので、二階が事務所、四階と五階は、休憩室とロッカールーム。それに二段ベットの宿泊施設だった。風呂は一階にあった。季節のおっちゃんたちは、自炊していた。
休憩室に食堂で昼食を済ませたものが集まってきた。弁当持ちや自炊のおっちゃんたちは、まだのんびり食べていた。
チャーリーのおっちゃんと倒産社長は、持参の弁当をひろげたまま話し込んでいた。年齢が近そうで境遇も同じで会話はあうようだった。
「しかし、仕事を探す時間がないでしょ。ここに来てたら」
「そうですけど、ぼくらみたいな年になるといくら探したったなかなかありませんよ」チャーリーのおっちゃんは、情けなさそうに苦笑して言った。「肩たたきされる年ですから」
「お宅は、身一つだからまだいい方ですよ、わたしなんか会社の借金があるから」
倒産社長は、ため息つく。
「そりゃあ、そうですが、なんとかしないと、どうにもならんです」
チャーリーのおっちゃんもため息。
 二人が話すと、いつも暗い雰囲気だ。弁当持ちで気楽なのは、自称カメラマンさんだ。
「お二人さん、大丈夫だって春になれば景気よくなるから」
自信たっぷりに言ってなにやら熱心に冊子をみている。
 倒産社長がのぞきこんでみる。株の本だった。
「だんなの株相場も、ここにくるようじゃあ、当てにはならんね」
倒産社長は、ヒヒヒとへんな笑い方をする。
「何回いったらわかるの、わたしゃ退屈しのぎだって」
「いいご身分だねえ」チャーリーのおっちゃんはからかい気味に言いながらも、それでも信じたいようにつぶやく。「春かあ、ほんとによくなるかねえ、景気」
 食堂で昼食を済ませた若者連中が戻ってきた。とたん休憩室は、にぎやかになった。日芸中退の劇団さん、ヒゲのバンドマン、アサッテのジョーは、テーブルでポーカーをはじめた。
「うるせえんだよお」
同じテーブルでインスタント焼きそばを食べていたパチキチ40番は、大きな声でひとりごちてもろに嫌な顔をして出ていった。
「ああ、気にしない、きにしない」
「悪うござんす、三太郎」
「ごめんなさいね、気をつけます」
三人は、てんでに好き勝手を言ってポーカーをつづけていた。
受験生のグズラは、まったく気にする様子もなく、テーブルの端でおにぎりを食べていた。テーブルの上には例の赤線を引きまくった英和辞典がひろげられていたが、暗記しているようにはみえなかった。
――――――――――――――――――― 19 ――――文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115
 大男のフランケンは、姉に作ってもらうという分厚い弁当を誰よりも早くたいらげると退屈そうに、キョロキョロしていた。彼は、見かけよりおしゃべりで、休憩時間、自分のことを話すのが好きだった。作業しながら荷物が岩手だったりすると、「寒かったので一日で帰ってきた」と言ったり、四国の荷物だったりすると「野宿したら、えらい蚊にさされてよお」と、話しはじめる。よほどあちこち旅行、放浪して歩いているような口ぶりだった。ゴリラのようないかつい顔、それでいて言葉遣いは妙に丁寧で、目があったりすると、ニヤッと笑うので薄気味がられた。どうせ嘘八百と陰口は、あったが、弁当を持参するので、姉がつくるのは本当と思われた。彼が妻帯者だとは、みえなかった。
「ムショ帰りだよ。きっと」
そんなうわさがあった。
 もしかしてプロ野球選手は、フランケンの隣で腕組みして眠っていた。彼は、皆とほとんど話をしなかった。休憩時間は、たいてい眠っていた。先日、アサッテが確かめたが、彼を見ると、やはり疑ってしまう。
 ほんとうにプロ野球選手なのだろうか。ほんとうにあの王選手キラーだったのか。日本一のホームラン打者を討ち取って歓声のなか、ゆっくりベンチをおりていく。かつて、そんな栄光の瞬間があったのか。いま、薄汚れた壁に背をもたせてうつむいて居眠りしている彼からは、そんな雄姿をみじんも想起できなかった。
 反対のテーブルでは、今朝、出勤してきた季節のおっちゃんたちが昼食中だった。おっちゃんたちは、テーブルの上に持参の重箱をひろげて、てんでにおかずを交換しながら、モミまきから、早くも田植えの話までに花を咲かせていた。季節のおっちゃんたちは、倒産社長やチャーリーのおっちゃんと同年齢だったが、彼ら都会のおっちゃんたちに比べると、貨物駅に来ることが楽しそうだった。冬の農閑期のあいだ都会に出てくるのは息抜きになるようだ。一泊二日の作業である。長距離電車を乗り継いで出勤してくるのは、大変そうだが、野良仕事に比べれば、貨物駅の作業などたいしたことはないのかも知れない。
「おりるんか」
「おりねえって!」
「じゃあ出せよ」
「ハッタリかましゃあがって」
三人は、にぎやかにポーカーをつづけていた。
 家出少年は、ぼんやりながめていた。
「仲間に入るか」
劇団さんが家出少年に声をかけた。
「だめだめ、まずいぜ、子供は」バンドマンは首を振る。「部屋を借りるんだろ、地道にやらなくちゃあ」
「よくいうぜ、スリーカード」
 突然、大音響にベルが鳴った。1時きっかり、昼食時間は終わった。とたん構内は、轟音がこだました。作業員たちがアリンコのようにホームに出ていった。
 長い長い午後の作業がはじまった。
 
                
  つづく
文芸研究Ⅱ下原ゼミNo.115――――――20 ――――――――――――――――― 
掲示板
提出原稿について
◎ 課題原稿 → テキスト配布。主に裁判もの。告訴状、弁護、判決理由
○ 車内観察 → 電車の車内で観察したこと(車内から社会を、時代を見通す)
○ 1日の記録 → 自分の1日を観察する(自分のことをどれだけ書けるか)
○ 生き物観察 → 人間、動物、草木、生あるものすべての観察
 締め切りはありません。書けた人は、どんどん提出し、皆の評価をみてみましょう。何事も切磋琢磨です。
後期・配布テキスト一覧
 9月22日 → 「奇術師美人妻変死事件」志賀直哉『ハンの犯罪』
 9月29日 → ヘミングウェイ『殺し屋』、ニコライの『古事記』
10月 6日 → ルナール『にんじん』、志賀直哉『幼女を盗む話』
10月20日 → ルナール『にんじん』、「尾道幼女誘拐事件公判」
10月27日 → カミュ『異邦人』「太陽のせい殺人事件」
11月10日  → 「コルシカ愛息射殺事件」メリメ作品
ドストエフスキー情報
11月22日(土) : ドストエーフスキイの会例会 会場は千駄ヶ谷区民会館
           午後6時から 講演者・清水正氏(日芸教授)  
12月20日(土) : ドストエーフスキイ全作品読む会「読書会」、 
           会場は東京芸術劇場小会1議室 午後2時から
           講演者・高橋誠一郎氏(東海大教授)
 2月21日(土) :  ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」
           会場は東京芸術劇場小会7 報告者・長野正
           作品『カラマーゾフの兄弟』
詳細は、編集室
ゼミ誌発表(合)+課題・提出原稿(2×)+出席(1×)+α=評価(60~120)                               
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編集室便り
☆「2008年、読書と創作の旅」内容は、本通信に掲載します。
☆ 原稿、歓迎します。学校で直接手渡すか、下記の郵便住所かメール先に送ってください。
 「下原ゼミ通信」編集室宛
  住所〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
  メール: TEL・FAX:047-475-1582  toshihiko@shimohara.net
☆本通信はHP「土壌館創作道場」に掲載されています。
ゼミ誌について
ゼミ雑誌発行12月15日を目指して
 ゼミの実質的成果は、決められた期日までのゼミ雑誌発行にあります。毎年、納品日の遅れが指摘されています。一年間の大切な成果なので、しっかり守って、よい雑誌をつくりましょう。本ゼミは、二人編集長と一人副編集長に四人の編集委員が、アシスト、全員が協力します。ゼミ誌は自分の作品でもあるので、全員一丸となって当たりましょう。
・編集委員長=川端里佳 大野菜摘
・編集副委員長=小黒貴之
・編集委員=阪本義明 橋本祥大 飯島優季 瀧澤亮佑 
・補助委員=本名友子 長沼知子 大谷理恵 野島 龍 田山千夏子 臼杵友之 
      秋山有香 神田泰佑 刀祢平知也
ゼミ誌作成の進行状況と予定は以下の通りです
○決定事項 6月9日報告 → 印刷会社、フジワラ印刷(株)決定             
      6月16日 テーマ決め → 「空」内定
      ゼミ誌表紙デザイン、奥付など → 小黒、田山が担当
      原稿締め切り → 夏休み明け
      タイトル決め → 7月14日に決定「ドレミファそらシド」              
1. 6月中旬 → ①「ゼミ誌発行申請書」の提出。出版編集室に
2. 6月~  → ゼミ雑誌の装丁を話し合う。表紙デザインなど
3. 7月下旬 → 原稿依頼し、締め切り日、夏休み明け9月22日(月)。
4. 10月18日 → ページ数を増やしたい人は連絡。
  10月19日 → 最初から最後まで
  10月20日 → 
  11月10日 → ゼミ誌原稿の最終締め切り。
5. 10月上旬 → 編集委員は、内定の印刷会社から②「見積書」をもらう。
6. ~11月 → 「見積書」の提出。印刷会社と相談しながらゼミ雑誌作成。
7. 12月 → 15日までにゼミ誌提出、③「請求書」提出
注意事項!!
◎ ①【ゼミ誌発行申請書】、②【見積書】、③【請求書】以上3種類の書類が提出されない
  場合はゼミ誌の発行はできません。補助金の支払いも認められません。
正月休みにゼミ誌を読んできてもらい、新年明け最初のゼミで合評会を行います。
☆ 2009年1月19日(月) ゼミ誌合評会
       
腕試し解答 → 
土壌館・下原ゼミ課題           2008・11・10配布
コルシカ・地主愛息射殺事件
メリメ『マテオ・ファルコネ』から
           名前・
1.あらまし
 被告人はコルシカに住む、裕福な地主。「貴族風に…つまり何もせずに、家畜から上が
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るもので暮らしていた」。射撃の名人で、土地の名士でもある。被告人には、子供が三人
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いる。「妻は最初3人の娘を生んだ。が、遂に男の子が生まれた」家の名を継ぐものとして
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被告人は可愛がった。しかし、息子が10歳になったある日、射殺した。理由は、息子が
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家の名を汚した。逃げてきたお尋ね者を憲兵に売って「裏切り者の家」と言われたから。
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2.被告人を弁護するとしたら・被告人の名誉とは何か
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3.この家族殺人・有罪なら量刑は、その理由は
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4.その場合、量刑はどのくらいか
5.その理由は
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6.弁護するとしたら
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7.自分が裁判官だったら、主文は
※ 長い場合は他の用紙でも結構です

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