ドストエーフスキイ全作品を読む会



読書会のための資料 (2024.4.20)

『夏象冬記』から『地下生活者の手記』へ 


1.海外旅行におけるドストエフスキーの関心事


引用:ドリーニン編 水野忠夫 訳『ドストエフスキー 同時代人の回想』 河出書房新社
 


アレクサンドル・ウランゲリ
21歳の若さで地方検事としてシベリヤのセミパラチンスクに赴任し、その地で兵役についていたドストエフスキーと知り合い親密になった。

ドストエフスキーにはいつも驚かされるのだが、かれはその当時、自然の風景には無関心で、それに感動したり、興奮したりすることは少しもなかった。かれはもっぱら人間の解明に没頭していて、その長所だとか、弱点だとか、苦悩にしか興味がなかったのである。それ以外のものはなんであれ、かれにとっては重要なものではなかった。ドストエフスキーは偉大な解剖学者の腕前をもって、人間の精神のもつきわめて微妙な問題に、格別な注意を払っていたのであった。
( p.144)


ニコライ・ストラホフ
自然科学、哲学、文学など広範な分野で活躍した批評家。1960年、ドストエフスーがシベリヤから戻ってまもなくミリュコフ家で開催されていた火曜会で定期的に顔を会わせるようになった。「時代」や「世紀」の発行で緊密な協力関係を持った。『冬に記す夏の印象』の海外旅行に同行した。

ドストエフスキーはあまりよい旅行者とはいえなかった。なぜなら、自然の景色にも、歴史的な記念碑にも、芸術作品にも、もっとも著名なものをのぞいてはとりたてて興味もはらわなかったからである。かれの関心のすべては人々に向けられていて、もっぱら人々の気質や性格、それに街の生活の一般的な印象だけをすばやく把握してしまうのであった。ガイドブックをたよりに、さまざまな名所を見学して歩くといったおきまりのやりかたなんか軽蔑している、とかれは熱っぽく説明しはじめたものだ。じっさい、わたしたちは、名所旧跡といったたぐいのものはなにも見ず、なるべく人の多いところを散歩しながら話し合っていただけだった。・・・・・『冬に記す夏の印象』から読者は外国でのかれの関心が、ほかと同様、どこに向けられていたのかをなによりもはっきり知ることだろう。かれの関心をよびさましていたものは人々であって、もっぱら人々だけが、人々の精神構造と、生活や感情や思考の形態だけがかれの興味の対象となったのである。
(p.180-182)


2.「水晶宮」をめぐって


チェルヌイシェーフスキイの『何をなすべきか』
 引用:米川正夫「ドストエーフスキイ研究」全集別巻 p.264

『地下生活者の手記』 はチェルヌイシェーフスキイの『何をなすべきか』に対する反駁である。女主人公のヴェーラ・パーブロヴナは、こんなふうに自分の空想を語っている。(米川正夫)

「その建物はね、今のところまだ一つもないようなすばらしく大きな建物なのよ。それは畑や、草場や、庭や、森の間にあってね・・・・・庭には、レモンや、オレンジや、桃や、杏の樹があるの、でも、その建物は、──なんだと思って、どんな建築だかわかって?今のところ、そんな建築はないわ。鉄とガラス、ただそれだけなの。いえ、ただそれだけじゃないのよ。それは建物の表側だけ、外の壁だけでね、内側はもうほんとうの家なの、とてもとても大きな家なの。その家はね、鉄とガラスの建物で、ケースのように包まれているのよ。家を包んでいるそのケースには、どの階にも広い階段があってね・・・・・つまり水晶の家なんだわ・・・・一人一人のひとのためにとって、永遠の春と夏、永遠の喜びなの・・・・・だれもかれもが、歌い楽しんでいるの」



『夏象冬記』米川正夫訳 (全集5)

水晶宮、万国博覧会・・・・・さよう博覧会は瞠目すべきものである。諸君は全世界からやって来たこれら無数の人々を、一つの群れに統一した、恐ろしい力を感じられるであろう。諸君は巨大な思想を意識されるのに相違ない。そこには何かが到達された、そこには勝利がある、凱歌がある、と感じられるだろう。それどころか、もう何か怖いような気がし始めるに相違ない。諸君がいかに独立不羈であろうとも、なぜか恐ろしくなって来るだろう。「ひょっと、これが真に到達された理想ではなかろうか?」と諸君は考える。「これでもう最後ではあるまいか?これこそもうほんとうに《一つになった羊の群》ではあるまいか?まったくこれを真実と受け取って、いよいよだまってしまうようなことになるのではあるまいか?・・・・・これは何か旧約聖書めいた光景であり、何かバビロンの伝説のようでもあり、まのあたり成就された黙示禄の予言のようでもある。この印象に負けないように、釣り込まれないようにし、事実を跪拝せず、バールを神様あつかいにしないためには、つまり現存せるものをおのれの理想あつかいにしないためには、長い世紀にわたる抵抗と否定の精神がどれだけいるかもしれない、とこう諸君は感じられるだろう・・・・・
(全集5 p.381)


◎『地下生活者の手記』米川正夫訳(全集5)

・・・・・これはみんな諸君の言葉を代弁しているのだ──数学的な正確さで計算された据え膳式の新しい経済関係がはじまって、問題は瞬時にして、一切合切消滅してしまう。それというのも、すべての問題に対するレディーメードの答えをみつけることができるからである。その時は、水晶の宮殿が建立されるわけである。
(p.22-23)

私は確信しているが、人間は本当の苦痛、いい換えれば、破壊と混沌とを決して拒もうとしないものである。苦痛──これこそ実に自意識の唯一の原因なのだ。わたしはこの手記の初めで、自意識は人間にとって最大不幸であると申し上げたけれど、人間がその不幸を愛して、いかなる満足とも見替えようとしないのを、わたしはちゃんと知っている。自意識というものは、たとえば、二二が四よりも無限に優れているのだ。二二が四のあとでは、もういうまでもなく何一つすることがなくなるばかりか、知ることさえ尽きてしまうのだ。
(p.31)

諸君は永遠に不壊の水晶宮を信じていられる。つまり、内証で舌を出して見せたり、袖のかげでそっと赤んべをしたり、そんな真似のできない建物を信じていられる。ところで、わたしはそれが水晶でできていて、永久に不壊のものであり、おまけで内証で舌を出して見せることもできないので、そのためにこの建物を恐れるのかもしれない。
(p.31)


3.米川正夫:『夏象冬記』」と『地下生活者の手記』
  
 引用:全集別巻『ドストエーフスキイ研究』第9章


・ドストエーフスキイは『夏印冬記』の中で、西洋の没落を、パリとロンドンの二都市に集中しながら、彼独特の逞しい力をもって、浮き彫りにしようと試みた。彼は西洋の退廃の徴候を、フランスにおいては、生活の享楽という形の凝集された小市民性、すなわちブルジョワ根性、イギリスにおいては、悪魔的といっていいほど容赦のない資本主義形態の完成に認めたのである。『夏印冬記』の叙述によると、この二つの国の首都は地獄と極楽である。いうまでもなく、前者はロンドン、後者はパリである。
(p.260)

・・・・・・要点は、ドストエーフスキイがフランスにおいては、プロレタリヤもブルジョワたらんとしていると結論したことと、イギリスでは水晶宮、すなわち世界博覧会に異常な印象を受けたことである。
(p.260)

・ドストエーフスキイが、資本主義の階級の理想である水晶宮なる言葉を、二年後に書かれた『地下生活者の手記』の中で、社会主義国家の象徴として用いたことは、きわめて興味深い。要するにプロレタリヤであると、ブルジョワであるとにかかわらず、人間が物欲につかれている間は、水晶宮を究極の理想としてあがめざるを得ないという意味なのである。
(p.262)

・『地下生活者の手記』はある程度、『夏象冬記』によって予言されている。『夏象冬記』では、社会生活を合理的に組織しようとするあらゆる試みにたいして論戦をおこない、理性や悟性によってエゴイズムと個人主義を克服することは不可能である、なぜならば、理性こそがエゴイズムとシニシズムのはじまりだからだ、と言っている。・・・・・『地下生活者の手記』の中では、エゴイズムおよび個人主義と同一視されている、自由な、無神論的な人間理性にたいする、はなはだしく反動的な闘争が作品の内容を決定している。
(p.265-266)

・ドストエーフスキイは水晶宮を蹴とばすと同時に、人道主義がはたしてどれだけの力をもっているかを、ためしてみたかったのである
(p.270)


4.イワン・カラマーゾフ

「俺はヨーロッパに行ってきたいんだ、アリョーシャ。ここから出かけるよ。しょせん行きつく先は墓場だってことはわかっているけど、しかし何より一番貴重な墓場だからな、そうなんだよ!」
(『カラマーゾフの兄弟』原卓也訳)