ドストエーフスキイ全作品読む会
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.192 2022

ジェーヴシキンの文学論 プーシキンの「駅長」とゴーゴリの「外套」をめぐって 

『貧しき人々』読書会参考資料 2022.5.15 (編集室)

『貧しき人々』のエピグラム

おお、なんたる物語作家たちだ!なにか有益な、愉快な、心楽しませる話でも書くことか、こともあろうにこの世のいっさいの秘密をほじくり出すなんて!いっそ書くことを禁ずべきだ!まったく不都合きわまる、読めば・・・・・つい考えこまざるをえないし、そうなれば、いろいろと無用なたわごとも頭に浮かぼうというものだ。ほんとに、書くことを禁じたらいい。いや、ともかく、断然禁止すべきだ。  V.F.オドエフスキー公爵

V.F.オドエフスキー公爵(1803-69)
ロシアの作家、音楽批評家。この文章は彼の短編『生きている死者へ』(1938)の結末の言葉。出世コースを歩んだ官吏の死後、超能力を得た彼の霊魂が部下や息子たちの自分についての取沙汰や行状を見て歩くという筋で、最後にそれが夢であることを知った主人公が、目覚めてこの言葉を叫ぶ。(江川卓)

プーシキン『駅長』についてのジェーヴシキンの感想 
7月1日の手紙より (江川卓 訳)

・・・・・私は無学な人間です。これまでに読んだ本もわずかです。ところが、こんどあなたのご本で、『駅長』を読んだのです。長年ずっと生きてきても、すぐ手近に、自分の生活のいっさいが、それこそ指でさすように書かれている本があるのを知らずにいるということもあるものなのですね。以前には自分でもとくとわからなかったことが、こういう本を読んでいくうちに、少しずつ思い出されてきて、なるほどとわかってきます。・・・・・この本を読んでいると、まるで自分が書いたようで、それこそ、私自身の心を、それがどんなものであろうと、そのままそっくり取ってきて、みんなに裏返して見せ、何から何までこまごまと書いたというような気がするのです。そうなんですよ!おや、簡単なことじゃないか、ほんとうになんてことはない!私にだってこのくらいなら書けそうだ、どうして書けないことがあるだろう?だって、私自身が同じことを感じているのですものね。・・・・・ほんとうにどこにでもあることで、あなたや私の身の上にだってふりかかるかもしれないことなんです。ネフスキー通りや海岸通りに住んでいる伯爵にしたって、やはり同じことで、ただ違ってみえるのは、ふつうの人とは違って、上品だからというだけで、伯爵だって同じこと、そうならないとはかぎらないのです。そうでしょう、ワーレンカ、だのにあなたは、これでもまだ私たちを棄ててどこかへ行こうとなさるのですか。ワーレンカ、思いなおしてください。つまらない忠告やおせっかいには耳を貸さないことです。あなたの本をもう一度、しっかり身をいれて読んでみてください。きっとあなたのためになるでしょう。

ゴーゴリ『外套』についてのジェーヴシキンの感想 
7月8日の手紙より (江川卓 訳)

お借りしたあなたのご本をとりいそぎお返して釈明しておきます。私をこんなひどい目に遭わせるなんて。およそ人間の境遇というものは至高の神様によって各人ごとに定められているはずのものです。才能そのものは神様によってあたえられているのです。私はもうかれこれ三十年も役所勤めをつづけ、別に非難されることもなく、品行も方正で、規律を乱したことなど一度もありません。一人の市民として欠点もあるが、同時に長所もあると深く自覚しております。これまでとりたてて好意を示されたことはありませんが、それでも長官が私に満足しておられることを知っています。もちろん、小さな過ちはだれでもあることです。しかし、法令に違反したとか、社会の安寧を害した、そんなことは一度もありませんでした。十字勲章さえ、いただけるところでした ─、こうしたことをあなたがご存じないはずはありませんし、あの男(作者ゴーゴリを指す)にしても知らないではすまないはずのことです。物を書こうとするからには、何もかも知っていなければならないはずですものね。こんなことになっては、もう自分の小さな部屋に引きこもっておとなしく暮らすこともできないじゃありませんか。・・・・・お前は数だけの下着を持っているか、靴の底には何を張っているか、何を食べ飲み、何を浄書しているか、とこうくるのですからね。こちらはせっせと勤勉につとめている、それでいいじゃないですか。ところが、これという理由もないのに、いきなり悪質な物笑いのたねにするんです。それにしても、こんな本が野放しになっているのが、心から不思議でなりません。長官が私どもを叱りつけることが必要な場合なら、どなり散らして当然です。なぜかというと、私ども小役人は、そうしないと何もしないのです。この予防装置がなかったら、世の中も立って行かないし、秩序もなにもあったものではないでしょう。それに、なんのためにこんなことを書くのでしょう。なんのために必要なのです?読者のだれかがこれを読んで私のために外套を作ってくれるとでもいうのですか?いいえ、ワーレンカ、読みとばして、せいぜいつづきを要求するだけです。こうなると私などはじっと身をひそめていなくてはなりません。なぜって、市民としての生活が、すべて文学に取り上げられ、印刷され、読まれ、笑いものにされ、取沙汰されて、私は往来へ出ることもできなくなります。まあ、結末をもう少しなんとかすればよかったでしょう。「彼は、ちゃんと取り柄のある市民で、同僚からそんな仕打ちをされるいわれはなかった。神を信じ、みなに惜しまれて死んだ」とでもすればよかったのです。けれど何よりいいのは、この気の毒な男を死なせないで、外套も探し出され、例の将軍が、彼の官等と俸給を上げてやるというふうにすることでした。これでは日常の醜悪な生活のなかから何かつまらぬ例を引いてきたというだけにすぎません。これは悪意のある物語ですよ。ワーレンカ。

ドストエフスキー作品における「駅長」と「外套」の類似場面

1. ルーブリ紙幣を投げ捨てる


プーシキン『ベールイキン物語』「駅長」のシメオン・ヴィリン
<シメオン・ヴィリンが娘を取り返そうとして、大尉を訪ねる場面> 神西清 訳

「ドゥーニャは私を愛している。以前の身分などはすっかり忘れているんだ」娘を奪い去った大尉は、そう言うと、駅長の袖の折返しに何やら押し込んで、扉を開けた。駅長は無我夢中で、いつの間にやら往来に出ていた。長いこと身動きもせずに立っていたが、やがて、袖の折り返しに、何やら巻いた紙幣の入っているのに気がついた。引き出して伸ばして見ると、数枚の皺だらけの50ルーブリ紙幣だった。涙がその眼に湧いた─忿怒の涙が!彼は紙幣を揉みくしゃに丸めて、地面に投げつけ、踵で踏みつけると、そのまま歩き出した。・・・・・5,6歩あるいてから、彼は立ちどまって、ちょっと思案した上で・・・・・取って返した。・・・・・が、紙幣はもう影も形もなかった。身なりのいい若い男が、彼の姿を見ると辻馬車のところに駆けつけて、急いで乗り込むなり、「さあ出した!」と叫んだのである。

『カラマーゾフの兄弟』のスネギリョフ大尉
2部4編 意地づく7:清らかな空気のもとでも (江川卓訳)
<アリョーシャがカチェリーナからあずかった200ルーブリをスネギリョフに渡す場面>

スネギリョフは、話の間、右手の親指と人差指で二枚重ねて端をつまんでいた虹色の百ルーブリ紙幣を、いきなりアリョーシャの目の前に突きつけたかと思うと、突然すさまじい勢いでひっつかみ、揉みくちゃにして、右手の拳できゅっと握りしめた。
「ごらんになりましたか、ごらんになりましたか!」彼は真っ青な取り乱した顔つきでアリョーシャに向かってこう叫び立てると、いきなり拳を振りあげ、しわくちゃになった二枚の百ルーブリ紙幣を力いっぱい砂の上に叩きつけた。


2. 閣下の御前で

『外套』アカーキイ・アカーキエウィッチ
<盗まれた外套をとり戻すため、有力者に尽力を頼む場面> 平井肇 訳

「君はそんなことをいったい誰に向かって言っているつもりなんだ? 君の前にいるのがそもそも誰だかわかってるのか? わかってるのか? わかってるのか? さ、どうだ?」と有力者は言った。
ここで彼は、アカーキイ・アカーキエウィッチならずとも、ぎょっとしたに違いないような威丈高な声を張りあげながら、どしんと一つ足を踏み鳴らした。アカーキイ・アカーキエウィッチはそのまま気が遠くなり、よろよろとして、全身をわなわなふるわせ始めると、もうどうしても立っていることができなくなってしまった。

『貧しき人々』のジェーヴシキン
<9月9日の手紙:書類の筆写でミスをして、閣下に呼びだされた場面> 江川卓 訳

閣下は怒っておっしゃいました。「いったいこれはどうしたことかね、きみ!何をぼんやりしているのかね?必要な書類で、急ぎの書類なのにきみはそれをだいなしにしてしまったじゃないか」
私はただぼんやりと「怠慢だ!不注意だ!」という言葉が飛んでくるのを聞いているばかりでした。お詫びを申し上げようと思ったのにそれもできず、逃げ出そうと思ったのですが、これもできませんでした。と、そのとき・・・・・、いまでも恥ずかしさにペンを持つ手が震えるような出来事が起こったのです。私のボタンが ─ 糸一本にやっとぶらさがっていた私のボタンが ─ ふいにちぎれて、床に一つはずんだかと思うと、ぴょんぴょん跳ねて、からんからん音をたてながら、まっすぐに、ええ、こん畜生め、まっすぐ閣下の足元にころがっていったのです、それもみながしんと成りをひそめている真っ最中にです!

参考情報

文学に現れた役人像と等級
R.ヒングリー『19世紀ロシア作家と社会』川端香男里 訳 昭和46(1971)


帝政時代には多くの作家が帝国の官僚制度の働き方を、不体裁な茶番(ファルス)として描いた。忘れがたいのは『検察官』と『外套』である。ゴーゴリの弟子の若きドストエフスキーは『貧しき人々』と『分身』を書いた。読者にわけがわからない当時の習慣に、文官のなかでも一等官から五等官までを「将軍」(ゲネラール)と呼ぶ習慣がある。ロシアの小説では、ゲネラールと呼ばれる人物がたくさん登場する。これら高等文官は軍服を着たこともなければ、鉄砲のどちらが先か後かもわからないようなことがあった。このような将軍たちの多くは滑稽な人物として描かれることが多かった。(例えば『白痴』のイヴォルギン将軍)そのなかでも、やや低めの名義上の参事官(九等文官)が一番コミカルだということになっていた。九等官という名前が出てくるだけで、読者は快い緊張感を覚え、どんなどたばたが演ぜられることだろうと待ち受けるのである。

官吏の等級はピョートル大帝が創始した。1722年に文官とそれに対応する陸軍武官の十四等から成る官吏等級表を発布した。その後わずかな改訂がほどこされただけで、1917年まで通用していた。(十一等文官、十三等文官は19世紀前半に、八等官相当だった少佐の階級は、1884年に廃止)ちなみに文官の第一等は、尚書(大臣、若しくは実権ある一等枢密議官名義参事官)、陸軍武官の第一等は陸軍元帥である。文官の第九等は陸軍二等大尉にあたる。
一、二等級は「いと高き閣下」、三、四、五等級は「閣下」と呼ばれた。夫人も夫と同じ敬称を奉られた。官吏たちの主たる関心事は、色とりどりの勲位、勲功章にあった。たとえば、聖ヴラジーミル勲章には4つの等級があったが、その最下等の等級でも、授与されたものは貴族の世襲身分に列せられることになっていた。

『外套』のアカーキイ・アカーキエウィッチと『貧しき人々』のジェーヴシキンは九等官、『駅長』のシメオン・ヴィリンは十四等官、スネギリョフは二等大尉なので、九等官である。